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コロナ禍あけを待って4年ぶりとなるロマネスク紀行の復活はベルギーからスタートしました。今回も車でオランダ、ドイツ、フランスを巡りました。7日目(5月10日)の行程、フランスのアルザスのロマネスク街道の3回目です。

2023年5月ベルギーからのドライブ旅行20 アルザスのロマネスク街道3(La Route Romane d’Alsace)

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2023/05/03 - 2023/05/18

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クリス

クリスさん

コロナ禍あけを待って4年ぶりとなるロマネスク紀行の復活はベルギーからスタートしました。今回も車でオランダ、ドイツ、フランスを巡りました。7日目(5月10日)の行程、フランスのアルザスのロマネスク街道の3回目です。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 5月10日最初の訪問はムルバッハ修道院(Abbaye de Murbach)。アルザスの南オーラン県のムルバッハ渓谷沿いの山中に位置しています。アルザスロマネスク街道のリストでは18番目になります。

    5月10日最初の訪問はムルバッハ修道院(Abbaye de Murbach)。アルザスの南オーラン県のムルバッハ渓谷沿いの山中に位置しています。アルザスロマネスク街道のリストでは18番目になります。

  • 修道院に向かう坂道に置かれた聖ピルミン(Saint Pirmin)の像。彼の生年は不明でおそらく670年頃にナルボンヌ地域のゴート族の家系の生まれと考えられています。<br />メロヴィング朝のシャルル・マルテルに用いられてアルザス一帯での布教に活躍します。<br />753年アルザスに近いドイツのプファルツ州ホルンバッハ(Hornbach)で死去とあります。ホルンバッハにも有名な修道院がありますが、そこの修道院の設立にも関係したといわれています。

    修道院に向かう坂道に置かれた聖ピルミン(Saint Pirmin)の像。彼の生年は不明でおそらく670年頃にナルボンヌ地域のゴート族の家系の生まれと考えられています。
    メロヴィング朝のシャルル・マルテルに用いられてアルザス一帯での布教に活躍します。
    753年アルザスに近いドイツのプファルツ州ホルンバッハ(Hornbach)で死去とあります。ホルンバッハにも有名な修道院がありますが、そこの修道院の設立にも関係したといわれています。

  • 修道院は727年にアルザス伯エバーハルト(Eberhard)の寄進により設立されました。聖ピルミンはエバーハルトに依頼され建設に係わります。

    修道院は727年にアルザス伯エバーハルト(Eberhard)の寄進により設立されました。聖ピルミンはエバーハルトに依頼され建設に係わります。

  • 写真は北側のポータル。<br />現存の建物は正確な年数は不明ですが、12世紀に修道院付属教会として建てられた聖レジェ教会の東端の二つの尖塔とトランセプトの部分のみです。

    写真は北側のポータル。
    現存の建物は正確な年数は不明ですが、12世紀に修道院付属教会として建てられた聖レジェ教会の東端の二つの尖塔とトランセプトの部分のみです。

  • 主祭壇のある東側の開口部。<br />あいにく修復作業中で外観は足場が組まれており細部の撮影は出来ませんでした。

    主祭壇のある東側の開口部。
    あいにく修復作業中で外観は足場が組まれており細部の撮影は出来ませんでした。

  • 中世においてはとても栄えた修道院でしたが、フランスのアルザス併合の前後から修道院の歴史は暗転します。18世紀の初めには修道院は世俗化され修道士たちが不在になります。<br />1789年フランス革命の略奪により修道院は解散となり、財産処分等で現存の形となっていまいます。

    中世においてはとても栄えた修道院でしたが、フランスのアルザス併合の前後から修道院の歴史は暗転します。18世紀の初めには修道院は世俗化され修道士たちが不在になります。
    1789年フランス革命の略奪により修道院は解散となり、財産処分等で現存の形となっていまいます。

  • 20世紀に入ると歴史的記念物として修復作業が行われ教区教会として残されています。

    20世紀に入ると歴史的記念物として修復作業が行われ教区教会として残されています。

  • 現存の教会家具や祭壇はけっこう新しい物です。この写真は聖歌隊席にある三連祭壇画の写真ですが1986年の作品です。

    現存の教会家具や祭壇はけっこう新しい物です。この写真は聖歌隊席にある三連祭壇画の写真ですが1986年の作品です。

  • 祭壇画したの祭壇。

    祭壇画したの祭壇。

  • 1902年製作のオルガンと木製クワイエ。

    1902年製作のオルガンと木製クワイエ。

  • 北側礼拝堂にある18世紀の聖ミカエル像。

    北側礼拝堂にある18世紀の聖ミカエル像。

  • 南側トランセプトに置かれたアルザス伯エバーハルトの石棺。13世紀の物とあります。

    南側トランセプトに置かれたアルザス伯エバーハルトの石棺。13世紀の物とあります。

  • こちらは926年に殉教した修道士たちのレリーフ石棺だそうです。

    こちらは926年に殉教した修道士たちのレリーフ石棺だそうです。

  • 少し高い位置からとった修道院。もう少し山道を登るとより良い撮影場所があるのですが、修復中のこの姿ですから諦めました。

    少し高い位置からとった修道院。もう少し山道を登るとより良い撮影場所があるのですが、修復中のこの姿ですから諦めました。

  • 次は19番目のゲブヴィレールのサン・レジェ教会(Église Saint-Léger de Guebwiller)。ムルバッハへの通り道にある街ですから行きでも帰りでもよいのですが、今回は戻りに立ち寄りました。

    次は19番目のゲブヴィレールのサン・レジェ教会(Église Saint-Léger de Guebwiller)。ムルバッハへの通り道にある街ですから行きでも帰りでもよいのですが、今回は戻りに立ち寄りました。

  • 建設にはムルバッハ修道院が大きく係わっています。建設の開始は定かではありませんが遅くとも1182年頃といわれ、完成も1200年から1230年までの間と考えられています。その後多くの改修が加えられ今日の姿となっています。

    建設にはムルバッハ修道院が大きく係わっています。建設の開始は定かではありませんが遅くとも1182年頃といわれ、完成も1200年から1230年までの間と考えられています。その後多くの改修が加えられ今日の姿となっています。

  • ファザードはロマネスクが残っています。

    ファザードはロマネスクが残っています。

  • タンパンには三人の人物が描かれています。

    タンパンには三人の人物が描かれています。

  • 中央は右手を挙げ書物を持つことから栄光のキリストと思われますが、左右の<br />人物については確証がありません。左側の事物は後光があるので福音史家の誰かといわれています。右側は右手に百合の花を持つので、おそらくフランス王の誰か、時代的にはフィリップ2世かルイ9世だろうといわれています。<br /><br />他の説について追記します。<br />左側については献堂された聖レジェ。右の百合を持つのは聖母マリアとも。個人的にはこの方がわかりやすいと思います。

    中央は右手を挙げ書物を持つことから栄光のキリストと思われますが、左右の
    人物については確証がありません。左側の事物は後光があるので福音史家の誰かといわれています。右側は右手に百合の花を持つので、おそらくフランス王の誰か、時代的にはフィリップ2世かルイ9世だろうといわれています。

    他の説について追記します。
    左側については献堂された聖レジェ。右の百合を持つのは聖母マリアとも。個人的にはこの方がわかりやすいと思います。

  • まぐさ石を支える左右の柱には髭を生やした人頭彫刻あります。

    まぐさ石を支える左右の柱には髭を生やした人頭彫刻あります。

  • ポータル左右の脇柱はロマネスクの物です。

    ポータル左右の脇柱はロマネスクの物です。

  • ゴシックの磔刑像と洗礼盤

    ゴシックの磔刑像と洗礼盤

  • 左袖廊。

    左袖廊。

  • ステンドグラスは比較的に新しい

    ステンドグラスは比較的に新しい

  • 中央身廊からみた聖歌隊席

    中央身廊からみた聖歌隊席

  • 聖歌隊席の上部に聖レジェの生涯を描いたパネルがあります。

    聖歌隊席の上部に聖レジェの生涯を描いたパネルがあります。

  • 1860年と言われるオルガン。

    1860年と言われるオルガン。

  • ポータルのある西正面側の眺め。

    ポータルのある西正面側の眺め。

  • ゲブヴィレールから南東に34km。オットマルスハイムの村は、ドイツ国境も数キロのライン川の畔にあります。南に30km走ればスイスのバーゼルにもたどり着けます。

    ゲブヴィレールから南東に34km。オットマルスハイムの村は、ドイツ国境も数キロのライン川の畔にあります。南に30km走ればスイスのバーゼルにもたどり着けます。

  • <br />オットマルスハイムは人口2,000人未満の村ですが2021年にストラスブールの首長とするフランスの地域広域連合「アルザスのヨーロッパ集団(Collectivité européenne d&#39;Alsace)」統合され隣接するオーラン県では最大の都市ミュールーズとの都市共同体を形成しています。


    オットマルスハイムは人口2,000人未満の村ですが2021年にストラスブールの首長とするフランスの地域広域連合「アルザスのヨーロッパ集団(Collectivité européenne d'Alsace)」統合され隣接するオーラン県では最大の都市ミュールーズとの都市共同体を形成しています。

  • 発掘調査により6世紀の墓地が見つかっている事からメロヴィング朝の時代には村が存在していたと考えられています。史料ではムルバッハ修道院が881年に記述しているのが最初となります。

    発掘調査により6世紀の墓地が見つかっている事からメロヴィング朝の時代には村が存在していたと考えられています。史料ではムルバッハ修道院が881年に記述しているのが最初となります。

  • 写真のオットマルスハイムの聖ペテロと聖パウロの教会(Église Saint-Pierre-et-Saint-Paul d&#39;Ottmarsheim)は、ハプスブルク王朝の創始者の一人、ロドルフ・ダルテンブルクによって1040年頃に建てられました。

    写真のオットマルスハイムの聖ペテロと聖パウロの教会(Église Saint-Pierre-et-Saint-Paul d'Ottmarsheim)は、ハプスブルク王朝の創始者の一人、ロドルフ・ダルテンブルクによって1040年頃に建てられました。

  • アルザスロマネスク街道の教会では、20番目の教会で街道上で現存する建物の中では一番古い教会となります。

    アルザスロマネスク街道の教会では、20番目の教会で街道上で現存する建物の中では一番古い教会となります。

  • 半円双連の窓はネオロマネスクのようです。

    半円双連の窓はネオロマネスクのようです。

  • 八角形の礼拝堂のプランはアーヘンのパラティノ礼拝堂を意識しています。13世紀に鐘楼が追加され1495年と1582年にゴシック様式の礼拝堂が追加されています。

    八角形の礼拝堂のプランはアーヘンのパラティノ礼拝堂を意識しています。13世紀に鐘楼が追加され1495年と1582年にゴシック様式の礼拝堂が追加されています。

  • 八角形の身廊から眺めたドーム内写真。

    八角形の身廊から眺めたドーム内写真。

  • 中央の主祭壇の方向になります。

    中央の主祭壇の方向になります。

  • 主祭壇。

    主祭壇。

  • 上部に設置されたオルガンと聖歌隊席。上部階層は事前予約がないと入れないようです。

    上部に設置されたオルガンと聖歌隊席。上部階層は事前予約がないと入れないようです。

  • 1582年に追加された礼拝堂。

    1582年に追加された礼拝堂。

  • 修道院として設立された11世紀当初の修道院長の墓石。

    修道院として設立された11世紀当初の修道院長の墓石。

  • クーポラに描かれた16世紀のフレスコ画。四人の福音史家のシンボルです。

    クーポラに描かれた16世紀のフレスコ画。四人の福音史家のシンボルです。

  • 交差部下部の聖歌隊席。

    交差部下部の聖歌隊席。

  • 像は聖キリアン(Saint Quirin)。1720年製作の木製像とあります。

    像は聖キリアン(Saint Quirin)。1720年製作の木製像とあります。

  • 下部のフレスコ画にはロドルフ・ダルテンブルク(Rodolphe d&#39;Altenbourg:生年985から990~1053年)の生涯が描かれています。

    下部のフレスコ画にはロドルフ・ダルテンブルク(Rodolphe d'Altenbourg:生年985から990~1053年)の生涯が描かれています。

  • ロドルフ・ダルデンブルグは1053年にイタリアで戦死し子を残しませんでしたが、弟の子がハプスブルク家のヴェルナー1世として後の繁栄を築いています。

    ロドルフ・ダルデンブルグは1053年にイタリアで戦死し子を残しませんでしたが、弟の子がハプスブルク家のヴェルナー1世として後の繁栄を築いています。

  • こちらのフレスコは教皇レオ9世の前に跪くロドルフ・ダルテンブルクとあります。

    こちらのフレスコは教皇レオ9世の前に跪くロドルフ・ダルテンブルクとあります。

  • 1495年に追加された聖十字架礼拝堂。洗礼フォントの後ろにパドヴァの聖アントニウスと十字架があります。

    1495年に追加された聖十字架礼拝堂。洗礼フォントの後ろにパドヴァの聖アントニウスと十字架があります。

  • この日の前半はこれで終了。この後はディジョンのドライブで次回からはブルゴーニュ編になります。

    この日の前半はこれで終了。この後はディジョンのドライブで次回からはブルゴーニュ編になります。

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