臼杵・津久見旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「稲葉家下屋敷」と「旧平井家」を見学した後は「臼杵城 古橋門櫓跡」の方向へ進み、「臼杵市観光交流プラザ」に立ち寄りました。ここではレンタサイクルがあり、無料で自転車が貸してもらえます。おりしもヘルメット着用が推奨されたことからへルメットまで貸してもらえます。最近足の遺体妻は歩くのが嫌になったようで、午後の散策を考えてのことのようです。実際これは正解で足の負担も軽くなり、思ったよりも広範囲の散策が出来ました。まずは港町商店街を進んで「山田屋」へ向かいます。臼杵では一番の臼杵フグの料亭で、この店へ自転車で乗り付けた人物は少ないと思います。当初は「星月庵」という店で精進料理を食べるつもりでしたが、電話してみると臨時休業ということで断られてしまいました。その後いろいろ調べてみると臼杵はフグが名物だと分かり、どうせ食べるならと「山田屋」に予約を入れました。これも後になって知りましたがglobe(グローブ)のケイコの実家だということでした。この日は他に予約客は1組くらいだったのか、サービスのしやすい部屋でしたが、妻にとっては願ったりだったようです。掛軸は西郷隆盛だったので、由来を仲居さんに尋ねてみましたが、詳しいことは分からないようです。まずはビールを頼んで、料理に合わせて冷酒に移り、最後はひれ酒で終わりました。テッサが薄造りではなく、しっかりした食べ応えが臼杵のフグの特色だそうです。今年は1月末に行った下関で「春帆楼」へ行き、その後も何度かフグを食べる機会があり、そして臼杵の「山田屋」にも来ることが出来ました。ダンテは「神曲」でベアトリーチェを讃えていますが、今年の妻の誕生日は前日の「別府地獄めぐり」を地獄篇、午後に行った「鉄輪地獄蒸し湯」を煉獄篇、そして今日の「山田屋」が天国篇にたとえられそうです。食後は妻の自転車に合わせて「二王座歴史の道」周辺を散策しました。「久家の大蔵」のアズレージョタイルを見て、「小手川酒造」の蔵を見学させていただき、通りの向かい側にある「フンドーキン」でソフトクリームを食べて一休みします。この辺りは蔵造りの古い建物が多く、そこに描かれた恵比寿や大黒の鏝絵(こてえ)も素晴らしいです。まだまだこんな風景のある街が日本には残っているのだと嬉しくなります。最後に「臼杵城跡」に向かいますが高台にあるので自転車は立ち入れません。あっさり妻は「いかない。」と言い残し、自転車で去っていきます。1人でぶらぶら坂道を登り、城址公園を散策しましたが、臼杵の街や周囲の山並みも見渡せました。「山田屋」の近くで妻と合流して臼杵駅へ戻りました。ちょうど特急が来るので乗り込んで車掌さんから特急券を購入しました。駅の窓口は早い時間に閉まってしまうようです。追加で750円で快適に別府に戻れるのであれば、往路も特急にすればよかったと思います。ホテルに戻って別府最後の夜を過ごし、翌日の国東半島巡りの準備と荷造りをします。

トラピックス 九州第一位の名湯「別府温泉」4日間(7)別府の地獄めぐりの後は臼杵の「山田屋」でフグを堪能して別府へ戻る。

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2023/04/06 - 2023/04/06

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旅行記グループ 2023別府の旅

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kojikoji

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「稲葉家下屋敷」と「旧平井家」を見学した後は「臼杵城 古橋門櫓跡」の方向へ進み、「臼杵市観光交流プラザ」に立ち寄りました。ここではレンタサイクルがあり、無料で自転車が貸してもらえます。おりしもヘルメット着用が推奨されたことからへルメットまで貸してもらえます。最近足の遺体妻は歩くのが嫌になったようで、午後の散策を考えてのことのようです。実際これは正解で足の負担も軽くなり、思ったよりも広範囲の散策が出来ました。まずは港町商店街を進んで「山田屋」へ向かいます。臼杵では一番の臼杵フグの料亭で、この店へ自転車で乗り付けた人物は少ないと思います。当初は「星月庵」という店で精進料理を食べるつもりでしたが、電話してみると臨時休業ということで断られてしまいました。その後いろいろ調べてみると臼杵はフグが名物だと分かり、どうせ食べるならと「山田屋」に予約を入れました。これも後になって知りましたがglobe(グローブ)のケイコの実家だということでした。この日は他に予約客は1組くらいだったのか、サービスのしやすい部屋でしたが、妻にとっては願ったりだったようです。掛軸は西郷隆盛だったので、由来を仲居さんに尋ねてみましたが、詳しいことは分からないようです。まずはビールを頼んで、料理に合わせて冷酒に移り、最後はひれ酒で終わりました。テッサが薄造りではなく、しっかりした食べ応えが臼杵のフグの特色だそうです。今年は1月末に行った下関で「春帆楼」へ行き、その後も何度かフグを食べる機会があり、そして臼杵の「山田屋」にも来ることが出来ました。ダンテは「神曲」でベアトリーチェを讃えていますが、今年の妻の誕生日は前日の「別府地獄めぐり」を地獄篇、午後に行った「鉄輪地獄蒸し湯」を煉獄篇、そして今日の「山田屋」が天国篇にたとえられそうです。食後は妻の自転車に合わせて「二王座歴史の道」周辺を散策しました。「久家の大蔵」のアズレージョタイルを見て、「小手川酒造」の蔵を見学させていただき、通りの向かい側にある「フンドーキン」でソフトクリームを食べて一休みします。この辺りは蔵造りの古い建物が多く、そこに描かれた恵比寿や大黒の鏝絵(こてえ)も素晴らしいです。まだまだこんな風景のある街が日本には残っているのだと嬉しくなります。最後に「臼杵城跡」に向かいますが高台にあるので自転車は立ち入れません。あっさり妻は「いかない。」と言い残し、自転車で去っていきます。1人でぶらぶら坂道を登り、城址公園を散策しましたが、臼杵の街や周囲の山並みも見渡せました。「山田屋」の近くで妻と合流して臼杵駅へ戻りました。ちょうど特急が来るので乗り込んで車掌さんから特急券を購入しました。駅の窓口は早い時間に閉まってしまうようです。追加で750円で快適に別府に戻れるのであれば、往路も特急にすればよかったと思います。ホテルに戻って別府最後の夜を過ごし、翌日の国東半島巡りの準備と荷造りをします。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー JALグループ JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 「稲葉家下屋敷」を出ると通りの先に「臼杵城址」が望めました。時間があれば見学するつもりですが、まずは予約した店でお昼を食べに行きます。

    「稲葉家下屋敷」を出ると通りの先に「臼杵城址」が望めました。時間があれば見学するつもりですが、まずは予約した店でお昼を食べに行きます。

    臼杵公園 公園・植物園

  • 稲葉家譜に「古老の言によれば、大友氏の家臣であった辻井某がこの辺りに居住しており、辻井殿と呼ばれていた」「辻井戸というのは辻井殿がなまったもの」と記されているそうです。臼杵城下を代表する井戸で、塩分を含まない上質の水が湧出するため、上水道が普及するまでは飲用だけでなく、醸造用にも使用されたそうです。

    稲葉家譜に「古老の言によれば、大友氏の家臣であった辻井某がこの辺りに居住しており、辻井殿と呼ばれていた」「辻井戸というのは辻井殿がなまったもの」と記されているそうです。臼杵城下を代表する井戸で、塩分を含まない上質の水が湧出するため、上水道が普及するまでは飲用だけでなく、醸造用にも使用されたそうです。

    臼杵市観光交流プラザ 名所・史跡

  • 臼杵の町はこの井戸を中心に放射状に道が伸びていて、幕府や領主の基本的な法令を書き記した木の札(高札)を掲示していた高札場でもあり、街道の結節点でもあったことから多くの人々の往来があった場所です。

    臼杵の町はこの井戸を中心に放射状に道が伸びていて、幕府や領主の基本的な法令を書き記した木の札(高札)を掲示していた高札場でもあり、街道の結節点でもあったことから多くの人々の往来があった場所です。

  • その場所には「臼杵市観光交流プラザ」があり、貸自転車があるので立ち寄りました。歩くのが嫌になった妻は足の負担の少ない自転車を借りることにしました。おりしもヘルメット着用が推奨されたばかりなので借りることも出来ました。前の籠に荷物も入れられるので便利でした。

    その場所には「臼杵市観光交流プラザ」があり、貸自転車があるので立ち寄りました。歩くのが嫌になった妻は足の負担の少ない自転車を借りることにしました。おりしもヘルメット着用が推奨されたばかりなので借りることも出来ました。前の籠に荷物も入れられるので便利でした。

  • まずは「港町商店街」を走ります。自転車に乗ってもスピードは遅いので歩いていても十分に追いつけます。鳥居が乗ってるのは「卯寅稲荷神社」の参道になっているからのようです。

    まずは「港町商店街」を走ります。自転車に乗ってもスピードは遅いので歩いていても十分に追いつけます。鳥居が乗ってるのは「卯寅稲荷神社」の参道になっているからのようです。

  • 数分で予約した「山田屋」が見えてきました。

    数分で予約した「山田屋」が見えてきました。

  • 今回の旅では当初「禅味料理 星月庵」という店で精進料理を食べようと考えていました。予約の電話をするとこの日は臨時休業ですとの琴でした。そこでいろいろ調べているうちに臼杵は「臼杵ふぐ」というブランドでフグ好きにはたまらない場所だと分かりました。

    今回の旅では当初「禅味料理 星月庵」という店で精進料理を食べようと考えていました。予約の電話をするとこの日は臨時休業ですとの琴でした。そこでいろいろ調べているうちに臼杵は「臼杵ふぐ」というブランドでフグ好きにはたまらない場所だと分かりました。

  • 東京にも「山田屋 西麻布」「山田屋 丸の内」と出店していて、西麻布の店は予約も難しいミシュランの★付きの店の本店があると知りました。これは行ってみないとということになり電話をしてみると予約が取れました。しかも料金は西麻布の半分ほどでした。

    東京にも「山田屋 西麻布」「山田屋 丸の内」と出店していて、西麻布の店は予約も難しいミシュランの★付きの店の本店があると知りました。これは行ってみないとということになり電話をしてみると予約が取れました。しかも料金は西麻布の半分ほどでした。

    山田屋 グルメ・レストラン

  • 「臼杵ふぐ山田屋」はとらふぐの好漁場として名高い豊後水道に面した「ふぐの郷」である臼杵にて明治38年の1905年創業の老舗です。通された部屋の床の間には西郷隆盛の軸がかかっていました。仲居さんに尋ねても古い時代のもので「何て書かれてあるのかは分からないみたいです。」とのことでした。

    「臼杵ふぐ山田屋」はとらふぐの好漁場として名高い豊後水道に面した「ふぐの郷」である臼杵にて明治38年の1905年創業の老舗です。通された部屋の床の間には西郷隆盛の軸がかかっていました。仲居さんに尋ねても古い時代のもので「何て書かれてあるのかは分からないみたいです。」とのことでした。

  • 表も日差しが強くて暑いほどでしたので、冷房を入れていただいて、ビールで喉を潤します。しばらくすると料理が出てきました。お昼なので13,310円コース(税サ込)を予約してありました。

    表も日差しが強くて暑いほどでしたので、冷房を入れていただいて、ビールで喉を潤します。しばらくすると料理が出てきました。お昼なので13,310円コース(税サ込)を予約してありました。

  • 焼きフグに昆布と生湯葉を乗せ、薄い餡をかけグリンピースを散らした美味しい小鉢です。息も整って暑さも引いて来て食欲が湧いてきます。

    焼きフグに昆布と生湯葉を乗せ、薄い餡をかけグリンピースを散らした美味しい小鉢です。息も整って暑さも引いて来て食欲が湧いてきます。

  • もう1つの小鉢は黄色の桜型の器にふぐ皮に酢味噌を乗せたさっぱりとした味わいです。ゆり根をピンクに染めた桜の葉が季節を感じさせます。

    もう1つの小鉢は黄色の桜型の器にふぐ皮に酢味噌を乗せたさっぱりとした味わいです。ゆり根をピンクに染めた桜の葉が季節を感じさせます。

  • そして大皿に少し厚めの臼杵ふぐの刺身が出てきます。

    そして大皿に少し厚めの臼杵ふぐの刺身が出てきます。

  • ポン酢に青ネギとモミジおろしを入れ、細ねぎを巻いていただきます。

    ポン酢に青ネギとモミジおろしを入れ、細ねぎを巻いていただきます。

  • 昨日の妻の誕生日は「別府地獄めぐり」の地獄篇、午後は「鉄輪地獄蒸し風呂」の煉獄篇」、そして今日は「臼杵のふぐ」の天国篇というダンテもびっくりの「神曲」のような設えになりました。ダンテの恋焦がれたベアトリーチェは24歳で夭折しますが、妻はもう少しで古希を迎えられそうです。

    昨日の妻の誕生日は「別府地獄めぐり」の地獄篇、午後は「鉄輪地獄蒸し風呂」の煉獄篇」、そして今日は「臼杵のふぐ」の天国篇というダンテもびっくりの「神曲」のような設えになりました。ダンテの恋焦がれたベアトリーチェは24歳で夭折しますが、妻はもう少しで古希を迎えられそうです。

  • ふぐ刺しからは臼杵の久家本家の「生酒」にしました。大分の焼酎はホテルの晩御飯で飲みまくりましたが、日本酒も美味しいです。臼杵にも数件の造り酒屋があるので、午後に立ち寄れたらと思います。

    ふぐ刺しからは臼杵の久家本家の「生酒」にしました。大分の焼酎はホテルの晩御飯で飲みまくりましたが、日本酒も美味しいです。臼杵にも数件の造り酒屋があるので、午後に立ち寄れたらと思います。

  • 次はふぐの唐揚げが出てきました。元々唐揚げは好きですが、ここの唐揚げはカリカリの衣で中はジューシーで美味しかったです。

    次はふぐの唐揚げが出てきました。元々唐揚げは好きですが、ここの唐揚げはカリカリの衣で中はジューシーで美味しかったです。

  • ここからはひれ酒もいただきます。昨年のクリスマスは小倉でひれ酒をいただきましたし、今年は下関の「春帆楼」でもいただけました。そして臼杵の「山田屋」のひれ酒です。

    ここからはひれ酒もいただきます。昨年のクリスマスは小倉でひれ酒をいただきましたし、今年は下関の「春帆楼」でもいただけました。そして臼杵の「山田屋」のひれ酒です。

  • 部屋も涼しくなってきたので熱々のひれ酒が美味しいです。

    部屋も涼しくなってきたので熱々のひれ酒が美味しいです。

  • 頃合いを見計らってふぐちりが準備されました。目の前で仲居さんが調理してくれるのでらくちんです。

    頃合いを見計らってふぐちりが準備されました。目の前で仲居さんが調理してくれるのでらくちんです。

  • お昼とは言えちょっと寂しいふぐちりです。味はよろしいのですが、おかわりは出来ません。昨年暮れに行った小倉の「ふくいち」は驚くほどのふぐの身の多さでした。<br /><br />

    お昼とは言えちょっと寂しいふぐちりです。味はよろしいのですが、おかわりは出来ません。昨年暮れに行った小倉の「ふくいち」は驚くほどのふぐの身の多さでした。

  • 最後は下げた鍋で作ってきてくれた雑炊です。ここでいつも妻と好みが分かれるのですが、サラサラの雑炊の方が好きです。妻はおじや風が好みで、蜀の好みが合わないのはこの1点だけです。

    最後は下げた鍋で作ってきてくれた雑炊です。ここでいつも妻と好みが分かれるのですが、サラサラの雑炊の方が好きです。妻はおじや風が好みで、蜀の好みが合わないのはこの1点だけです。

  • この雑炊も美味しかったです。鍋で使ったポン酢を残しておきましたが、入れる必要はありませんでした。

    この雑炊も美味しかったです。鍋で使ったポン酢を残しておきましたが、入れる必要はありませんでした。

  • 前日の別府の地獄めぐりの話をして仲居さんを笑わせていたら、デザートは誕生日の設えにしてくださいました。

    前日の別府の地獄めぐりの話をして仲居さんを笑わせていたら、デザートは誕生日の設えにしてくださいました。

  • 得にデザートが増えたわけではないですが、心遣いが嬉しいですね。

    得にデザートが増えたわけではないですが、心遣いが嬉しいですね。

  • 桜のモンブランのお皿は臼杵石仏に近くに窯のある「臼杵焼 atelierSARAYAMA」のものだとすぐに分かりました。

    桜のモンブランのお皿は臼杵石仏に近くに窯のある「臼杵焼 atelierSARAYAMA」のものだとすぐに分かりました。

  • お店のホームページにも紹介されている山田屋自慢の庭園に面した、広く落ち着いた客室でした。

    お店のホームページにも紹介されている山田屋自慢の庭園に面した、広く落ち着いた客室でした。

  • のんびりもしていられないので、午後の観光へ出かけることにします。本当ならば臼杵に1泊したいところです。

    のんびりもしていられないので、午後の観光へ出かけることにします。本当ならば臼杵に1泊したいところです。

  • 「山田屋」の玄関まで自転車で乗り付けたのは妻くらいだと思います。仲居さんもびっくりしていました。もちろん通りの反対側にある駐車場に置きました。

    「山田屋」の玄関まで自転車で乗り付けたのは妻くらいだと思います。仲居さんもびっくりしていました。もちろん通りの反対側にある駐車場に置きました。

  • スタンバイできたので旧市街の「二王座歴史の道」辺りに行ってみることにします。

    スタンバイできたので旧市街の「二王座歴史の道」辺りに行ってみることにします。

  • 善正寺は二王座に鎮座する浄土真宗の寺院です。鐘楼と山門が一体になっている鐘楼門が一際目を引きます。「二王座歴史に道」は臼杵の代表的な観光名所であり周辺には10以上の寺院が集まっています。

    善正寺は二王座に鎮座する浄土真宗の寺院です。鐘楼と山門が一体になっている鐘楼門が一際目を引きます。「二王座歴史に道」は臼杵の代表的な観光名所であり周辺には10以上の寺院が集まっています。

    善正寺 寺・神社・教会

  • 「長屋門」は武家屋敷や豪農、地方有力者の家で見られた門の形式で、門とはいっても部屋を持ち、使用人を住まわせることが多かったようです。臼杵でも上級藩士の邸宅見られた建築で、「稲葉土佐様一の槍」の家と呼ばれ稲葉家分家の稲葉甚兵衛の屋敷でした。

    「長屋門」は武家屋敷や豪農、地方有力者の家で見られた門の形式で、門とはいっても部屋を持ち、使用人を住まわせることが多かったようです。臼杵でも上級藩士の邸宅見られた建築で、「稲葉土佐様一の槍」の家と呼ばれ稲葉家分家の稲葉甚兵衛の屋敷でした。

  • 昔懐かしい折り畳み式の縁台が残っています。エアコンの室外機が置かれてあるので長いこと使われていないのだと分かります。昔は夕涼みとかが出来たのでしょう。

    昔懐かしい折り畳み式の縁台が残っています。エアコンの室外機が置かれてあるので長いこと使われていないのだと分かります。昔は夕涼みとかが出来たのでしょう。

  • 脇道に入ってふらふらしたい気持ちもありますが、そこまでのんびりしている時間もなさそうです。まずは目的の場所を目指すことにします。

    脇道に入ってふらふらしたい気持ちもありますが、そこまでのんびりしている時間もなさそうです。まずは目的の場所を目指すことにします。

  • 二王座は阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通しました。狭い路地のいたるところに城下町特有の面影が残っていて、高い石垣、重厚感のある瓦屋根、白壁の建物や多くの寺院が坂道沿いに長く続きます。

    二王座は阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通しました。狭い路地のいたるところに城下町特有の面影が残っていて、高い石垣、重厚感のある瓦屋根、白壁の建物や多くの寺院が坂道沿いに長く続きます。

  • この建物は大正時代に建てられた洋館で、竹製のハケでセメントを摺り付ける手法で、「ドイツ壁」と呼ばれます。当時にしては珍しい薄いピンク色が配色された元歯科医院だった建物です。現在はギャラリーやセレクトショップになっているようですが、扉は閉まっていました。

    この建物は大正時代に建てられた洋館で、竹製のハケでセメントを摺り付ける手法で、「ドイツ壁」と呼ばれます。当時にしては珍しい薄いピンク色が配色された元歯科医院だった建物です。現在はギャラリーやセレクトショップになっているようですが、扉は閉まっていました。

  • 真宗に伝わる「佐々木伝説」から佐々木氏にゆかりのある廓玄(かくげん)上人が鎌倉末期に臼杵末広の地に開基しました。九州最古の真宗寺院として栄え、江戸の寛永期に藩主の命によりここ二王座に移されています。立派な二重門が美しいです。

    真宗に伝わる「佐々木伝説」から佐々木氏にゆかりのある廓玄(かくげん)上人が鎌倉末期に臼杵末広の地に開基しました。九州最古の真宗寺院として栄え、江戸の寛永期に藩主の命によりここ二王座に移されています。立派な二重門が美しいです。

    善法寺 寺・神社・教会

  • 旧斎藤家屋敷は元臼杵藩士だった斎藤氏の住宅でした。元々は美濃の国出身で、筑後の有馬氏に仕えていましたが、後に臼杵藩に150石で召し抱えられました。石高(こくだか)とは土地の生産性を石という単位で表したもので、太閤検地以降の地租改正まで大名や旗本の収入を表します。1石は大人1人が1年に食べる米の量に相当することから石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになります。

    旧斎藤家屋敷は元臼杵藩士だった斎藤氏の住宅でした。元々は美濃の国出身で、筑後の有馬氏に仕えていましたが、後に臼杵藩に150石で召し抱えられました。石高(こくだか)とは土地の生産性を石という単位で表したもので、太閤検地以降の地租改正まで大名や旗本の収入を表します。1石は大人1人が1年に食べる米の量に相当することから石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになります。

  • 浄土真宗の支院だった旧真光寺は移転に伴い町並み散策の無料休憩所として開放されています。

    浄土真宗の支院だった旧真光寺は移転に伴い町並み散策の無料休憩所として開放されています。

  • 旧真光寺の向いには侘びた趣きある石段の先に長屋門が見えます。天保8年の1837年頃に建築された旧片桐家100石の屋敷跡です。幕末に臼杵藩一の剣豪であり、西南戦争の臼杵の戦いで戦死した片桐八三郎の屋敷として知られています。

    旧真光寺の向いには侘びた趣きある石段の先に長屋門が見えます。天保8年の1837年頃に建築された旧片桐家100石の屋敷跡です。幕末に臼杵藩一の剣豪であり、西南戦争の臼杵の戦いで戦死した片桐八三郎の屋敷として知られています。

    直良信夫生家跡 名所・史跡

  • 法音寺は日蓮宗の寺院で細川忠興と細川ガラシャの娘を奥方に迎えた臼杵3代藩主の稲葉一通により創建されたと伝わります。寺の入り口には変わった形の鳥居があり、境内の中には神も祀られていることから、「神仏習合」の文化が今も息づく寺院でもあります。

    法音寺は日蓮宗の寺院で細川忠興と細川ガラシャの娘を奥方に迎えた臼杵3代藩主の稲葉一通により創建されたと伝わります。寺の入り口には変わった形の鳥居があり、境内の中には神も祀られていることから、「神仏習合」の文化が今も息づく寺院でもあります。

    法音寺 寺・神社・教会

  • 二王座の道を離れて街中に移ると白壁の美しい町並みが続きます。

    二王座の道を離れて街中に移ると白壁の美しい町並みが続きます。

  • 立派な店構えの呉服店が残っています。それだけ需要があるということなのだと思います。七五三用の振袖が可愛らしいです。かわいがっている姪も12歳になってしまい、成人式まで祝い事が無いのが寂しいです。

    立派な店構えの呉服店が残っています。それだけ需要があるということなのだと思います。七五三用の振袖が可愛らしいです。かわいがっている姪も12歳になってしまい、成人式まで祝い事が無いのが寂しいです。

  • 「石敢當(せっかんとう)」は向かうところ敵無しという意味で、唐の時代に始まり、この三字を石に刻んで路傍や橋畔などの要害のところに建てておくと災禍を除くといわれています。大友宗麟が臼杵に居城を構えた頃の臼杵は早吸瀬戸の難所を往来する船の潮待ちや風待ちで賑わい、街には大阪堺に店を持つ豪商の仲屋宗悦の店や唐人の店が並んでいたそうです。取引の上で喧嘩や口論があり、皆が迷惑していた時に「中国にはこれを納める方がある」と石敢當の3文字を石に刻んで建てると喧嘩は収まったそうです。<br />

    「石敢當(せっかんとう)」は向かうところ敵無しという意味で、唐の時代に始まり、この三字を石に刻んで路傍や橋畔などの要害のところに建てておくと災禍を除くといわれています。大友宗麟が臼杵に居城を構えた頃の臼杵は早吸瀬戸の難所を往来する船の潮待ちや風待ちで賑わい、街には大阪堺に店を持つ豪商の仲屋宗悦の店や唐人の店が並んでいたそうです。取引の上で喧嘩や口論があり、皆が迷惑していた時に「中国にはこれを納める方がある」と石敢當の3文字を石に刻んで建てると喧嘩は収まったそうです。

  • 鏝絵(こてえ)は土蔵や家の壁に書かれた漆喰レリーフのことで、起源は飛鳥時代と言われ江戸後期から全国に広まりました。通常の恵比寿は鯛を抱えていますが、鯛を抱えているのは臼杵らしいです。

    鏝絵(こてえ)は土蔵や家の壁に書かれた漆喰レリーフのことで、起源は飛鳥時代と言われ江戸後期から全国に広まりました。通常の恵比寿は鯛を抱えていますが、鯛を抱えているのは臼杵らしいです。

  • 九州の鏝絵は庶民的でユーモラス、おおらかでダイナミックという特徴があるようで、七福神や龍虎、鶴亀など縁起の良い絵柄が好まれました。火事を避けるための龍、子孫繁栄のためのブドウ、魔物から家を守る鷹など、住む人々の願いがこめられています。

    九州の鏝絵は庶民的でユーモラス、おおらかでダイナミックという特徴があるようで、七福神や龍虎、鶴亀など縁起の良い絵柄が好まれました。火事を避けるための龍、子孫繁栄のためのブドウ、魔物から家を守る鷹など、住む人々の願いがこめられています。

  • じっくり探せば他にもあるのだと思いますが、通りすがりに見つけたものだけ写真に撮りました。

    じっくり探せば他にもあるのだと思いますが、通りすがりに見つけたものだけ写真に撮りました。

  • この辺りにも古い蔵や屋敷を利用した店が数多くありそうです。この辺りの散策だけでも1日掛かりそうです。

    この辺りにも古い蔵や屋敷を利用した店が数多くありそうです。この辺りの散策だけでも1日掛かりそうです。

  • 京都の愛宕神社の「火迺要慎(ひのようじん)」のお札の下に布袋の像が並んでいます。臼杵の街の鬼瓦には布袋がデザインされたものも多いようです。

    京都の愛宕神社の「火迺要慎(ひのようじん)」のお札の下に布袋の像が並んでいます。臼杵の街の鬼瓦には布袋がデザインされたものも多いようです。

  • 布袋の鏝絵もありました。瓦の上には鍾馗の姿もあります。「石敢當」といい、明との貿易が盛んだったころは中国からの人も多かったようなので、その文化が伝わって残されているのかもしれません。

    布袋の鏝絵もありました。瓦の上には鍾馗の姿もあります。「石敢當」といい、明との貿易が盛んだったころは中国からの人も多かったようなので、その文化が伝わって残されているのかもしれません。

  • 同じような布袋の像はなんか初夏で見たので、何か呪礼的要素も感じます。

    同じような布袋の像はなんか初夏で見たので、何か呪礼的要素も感じます。

  • 迷路のような街をさまよっていると「久家の大蔵」にたどり着きました。久家の大蔵は慶応4年(明治元年)の1868年に棟上げされた古い蔵で、造り酒屋の「久家本店」がかつて貯蔵庫として使用していた酒蔵で、現在は改修してギャラリーとして開放しています。

    迷路のような街をさまよっていると「久家の大蔵」にたどり着きました。久家の大蔵は慶応4年(明治元年)の1868年に棟上げされた古い蔵で、造り酒屋の「久家本店」がかつて貯蔵庫として使用していた酒蔵で、現在は改修してギャラリーとして開放しています。

    久家の大蔵 名所・史跡

  • この蔵の外壁や内部には、アズレージョの壁画が装飾されています。この壁画は、ロジェリオ・リベイロにより制作された ポルトガルのアズレージョタイルで構成されたものです。

    この蔵の外壁や内部には、アズレージョの壁画が装飾されています。この壁画は、ロジェリオ・リベイロにより制作された ポルトガルのアズレージョタイルで構成されたものです。

  • 天使や聖職者などが描かれたパネルの中には大友宗麟も描かれたパネルもあり、往時のキリシタン文化を彷佛とさせる絵柄ばかりです。

    天使や聖職者などが描かれたパネルの中には大友宗麟も描かれたパネルもあり、往時のキリシタン文化を彷佛とさせる絵柄ばかりです。

  • 最初の3面は「生誕」「洗礼」「昇天」の場面です。

    最初の3面は「生誕」「洗礼」「昇天」の場面です。

  • 左は「旅立ちの街」で、右側は「大航海の夢」というタイトルです。ポルトガルから出港した船が日本へ向かう場面を描いているようです。

    左は「旅立ちの街」で、右側は「大航海の夢」というタイトルです。ポルトガルから出港した船が日本へ向かう場面を描いているようです。

  • 「出会い」「知識交換」日本へ到着した船から出会いが始まり、布教が始まる場面のようです。臼杵へ来る前に熊本から天草半島を旅しておいて良かったと思います。そして五島など長崎の教会なども巡らなければと思いました。

    「出会い」「知識交換」日本へ到着した船から出会いが始まり、布教が始まる場面のようです。臼杵へ来る前に熊本から天草半島を旅しておいて良かったと思います。そして五島など長崎の教会なども巡らなければと思いました。

  • 「病人の看護」「日本史を執筆するフロイス」<br />ルイス?フロイスは著書「日本史」に大友宗麟の計画について、「大友宗麟は土持に新しい規律によって統治される都市を建設する計画だったようである。その都市では住人が皆、キリスト教によって結はれ、司教の教えのもとに生活するのである。宗麟は、個人的にそこで洗礼を受け、他の者が彼にならうようにさせるつもりであった。日本のイエズス会の布教長であるフランシスコ?カブラルは、自らが宗麟に付いて土持に向かい、新しい都市に建てられる教会が完成するまではそこに留まるつもりであると述べた。」書き残しています。

    「病人の看護」「日本史を執筆するフロイス」
    ルイス?フロイスは著書「日本史」に大友宗麟の計画について、「大友宗麟は土持に新しい規律によって統治される都市を建設する計画だったようである。その都市では住人が皆、キリスト教によって結はれ、司教の教えのもとに生活するのである。宗麟は、個人的にそこで洗礼を受け、他の者が彼にならうようにさせるつもりであった。日本のイエズス会の布教長であるフランシスコ?カブラルは、自らが宗麟に付いて土持に向かい、新しい都市に建てられる教会が完成するまではそこに留まるつもりであると述べた。」書き残しています。

  • 「大友宗麟の洗礼」キリシタン大名としても知られる宗麟ですが、天文20年の1551年に豊後へ布教のためにやってきたイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルを引見したことがキリスト教との出会いでした。27年後の天正6年の1578年7月にキリスト教の洗礼を受け、ポルトガル国王に親書を持たせた家臣を派遣しています。キリシタンとなったのは従来の仏教を見限り、キリスト教に帰依したためですが、キリシタンになったことが大友家臣団の離反を招き、晩年には国人の反乱の多発という形で表面化します。

    「大友宗麟の洗礼」キリシタン大名としても知られる宗麟ですが、天文20年の1551年に豊後へ布教のためにやってきたイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルを引見したことがキリスト教との出会いでした。27年後の天正6年の1578年7月にキリスト教の洗礼を受け、ポルトガル国王に親書を持たせた家臣を派遣しています。キリシタンとなったのは従来の仏教を見限り、キリスト教に帰依したためですが、キリシタンになったことが大友家臣団の離反を招き、晩年には国人の反乱の多発という形で表面化します。

  • 「大友宗麟の洗礼を祝福する天使が続き、「修練院(臼杵教会ノビシャド)」はカトリック教会の修道会員の養成機関のことで、日本語では修練院といわれます。天正8年の1580年に臼杵に設置され、後に各地に移転したキリシタン時代のものを限定して指す言葉です。当時のキリスト教の有力な庇護者であった大友義鎮(宗麟)は、天正4年の1576年に家督を息子に譲り、臼杵の丹生島城に居を移し二元統治を行ったため、実質的に大友氏の城下町の様相を呈し、府内から宣教師や信者が移り住み、天主堂などが建設され栄えていました。

    「大友宗麟の洗礼を祝福する天使が続き、「修練院(臼杵教会ノビシャド)」はカトリック教会の修道会員の養成機関のことで、日本語では修練院といわれます。天正8年の1580年に臼杵に設置され、後に各地に移転したキリシタン時代のものを限定して指す言葉です。当時のキリスト教の有力な庇護者であった大友義鎮(宗麟)は、天正4年の1576年に家督を息子に譲り、臼杵の丹生島城に居を移し二元統治を行ったため、実質的に大友氏の城下町の様相を呈し、府内から宣教師や信者が移り住み、天主堂などが建設され栄えていました。

  • 「天正少年遣欧使節」は天将0年の1582年に九州のキリシタン大名、大友義鎮(宗麟)と大村純忠と有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団です。このタイルの元は1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された天正遣欧使節の肖像画に倣ったもののようです。

    「天正少年遣欧使節」は天将0年の1582年に九州のキリシタン大名、大友義鎮(宗麟)と大村純忠と有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団です。このタイルの元は1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された天正遣欧使節の肖像画に倣ったもののようです。

  • 上段の伊東マンショ(主席正使)は 大友義鎮(宗麟)の名代で宗麟の血縁者でもありました。下段の原マルチノ(副使)は後年に司祭に叙階され、1629年に追放先のマカオで死去しています。

    上段の伊東マンショ(主席正使)は 大友義鎮(宗麟)の名代で宗麟の血縁者でもありました。下段の原マルチノ(副使)は後年に司祭に叙階され、1629年に追放先のマカオで死去しています。

  • 上段の千々石ミゲル(正使)は大村純忠の名代です。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟にあたり、後に棄教しています。下段の中浦ジュリアン(副使)は後年に司祭に叙階されます。1633年に長崎で穴吊るしの刑により殉教し、2008年になってローマ教皇により福者に列せられます。

    上段の千々石ミゲル(正使)は大村純忠の名代です。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟にあたり、後に棄教しています。下段の中浦ジュリアン(副使)は後年に司祭に叙階されます。1633年に長崎で穴吊るしの刑により殉教し、2008年になってローマ教皇により福者に列せられます。

  • 「波乱万丈のナウ船」<br />15世紀に地中海で開発された大航海時代を代表する船に1つを、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルトガルではナウ(Nau)と呼びます。全長は30メートルから60メートル、全長と全幅の比は3:1とずんぐりし、排水量は200トンから1,500トン、通常は3本ないし4本のマストを備え、丸みを帯びた船体が特徴です。

    「波乱万丈のナウ船」
    15世紀に地中海で開発された大航海時代を代表する船に1つを、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルトガルではナウ(Nau)と呼びます。全長は30メートルから60メートル、全長と全幅の比は3:1とずんぐりし、排水量は200トンから1,500トン、通常は3本ないし4本のマストを備え、丸みを帯びた船体が特徴です。

  • コロンブスが新大陸を発見した際の「サンタ・マリア号」もこのタイプの帆船です。そのくらいの規模で喜望峰を越えて、インドから東南アジアを通り日本まで来るのは大変なことだったろうと想像します。

    コロンブスが新大陸を発見した際の「サンタ・マリア号」もこのタイプの帆船です。そのくらいの規模で喜望峰を越えて、インドから東南アジアを通り日本まで来るのは大変なことだったろうと想像します。

  • 久家本店(くげほんてん)は臼杵市に万延元年の1860年に藩主の稲葉観通より醸造蔵を下賜されて酒造りを始めています。お昼を食べた「山田屋」で飲んだのもこの酒蔵の冷酒でした。

    久家本店(くげほんてん)は臼杵市に万延元年の1860年に藩主の稲葉観通より醸造蔵を下賜されて酒造りを始めています。お昼を食べた「山田屋」で飲んだのもこの酒蔵の冷酒でした。

  • 「ケレシュ雑貨部」と看板の下がった建物は1935年築の古民家を改装した店でした。

    「ケレシュ雑貨部」と看板の下がった建物は1935年築の古民家を改装した店でした。

  • 白壁の町並みと白い軽トラと白いシャツを着た妻…、どれも時代を感じさせて風景になじんでいます。なんで自転車をこぐのをやめたのかと思いましたが、のぼりにはソフトクリームの文字が見えます。

    白壁の町並みと白い軽トラと白いシャツを着た妻…、どれも時代を感じさせて風景になじんでいます。なんで自転車をこぐのをやめたのかと思いましたが、のぼりにはソフトクリームの文字が見えます。

  • 大きな醸造用の甕の中に桜が投げ入れてあります。口が割れたのか肩の半分くらいまで切り落とされています。

    大きな醸造用の甕の中に桜が投げ入れてあります。口が割れたのか肩の半分くらいまで切り落とされています。

  • この建物は「小手川酒造向店」という江戸時代後期に建築された店舗で、母屋である酒造場の向かいにあるので「向店(むこうみせ)」と呼ばれています。現在はフンドーキン醤油の店になっています。最初はフンドーキンの意味が分かりませんでしたが、重りの分銅の中に金と書かれていあるのだとロゴを見て理解しました。

    この建物は「小手川酒造向店」という江戸時代後期に建築された店舗で、母屋である酒造場の向かいにあるので「向店(むこうみせ)」と呼ばれています。現在はフンドーキン醤油の店になっています。最初はフンドーキンの意味が分かりませんでしたが、重りの分銅の中に金と書かれていあるのだとロゴを見て理解しました。

  • まずは向にある「小手川酒造」に入ってみます。番頭さんが奥の事務室から出てきて案内してくださいました。少し歪んだガラス張りの戸の奥が事務所です。何とも言えない雰囲気が残されています。

    まずは向にある「小手川酒造」に入ってみます。番頭さんが奥の事務室から出てきて案内してくださいました。少し歪んだガラス張りの戸の奥が事務所です。何とも言えない雰囲気が残されています。

    小手川酒造 名所・史跡

  • 小手川酒造は作家の野上弥生子の生家で、創業は安政2年の1855年の蔵元です。150年程前に建てられた土壁の蔵の中で、毎冬11月中旬から3月上旬まで黒麹の麦焼酎を昔ながらの手造りで仕込んでいるとのことです。

    小手川酒造は作家の野上弥生子の生家で、創業は安政2年の1855年の蔵元です。150年程前に建てられた土壁の蔵の中で、毎冬11月中旬から3月上旬まで黒麹の麦焼酎を昔ながらの手造りで仕込んでいるとのことです。

  • この蔵で造る麦焼酎の一部は県内でもめずらしい大甕に寝かせて造られています。古い甕に新しい酒を足さない方法で、いつまでも純粋な年代物の焼酎を楽しめるそうです。昭和61年から黒麹を使った焼酎を造り始め、くせと甘みのある深い味わいがあります。

    この蔵で造る麦焼酎の一部は県内でもめずらしい大甕に寝かせて造られています。古い甕に新しい酒を足さない方法で、いつまでも純粋な年代物の焼酎を楽しめるそうです。昭和61年から黒麹を使った焼酎を造り始め、くせと甘みのある深い味わいがあります。

  • 小手川酒造の一角は大林宣彦監督の「なごり雪」の撮影が行われたそうです。大林宣彦監督により大分三部作として構想された中の第1作で、旧友の妻が交通事故で危篤状態にあるとの呼び寄せで、50歳を迎えた男が28年ぶりに故郷・臼杵市に帰郷するというストーリーです。津久見市出身の伊勢正三の「なごり雪」をモチーフに、淡い青春の想い出を描いているのですがまだ観たことはありません。

    小手川酒造の一角は大林宣彦監督の「なごり雪」の撮影が行われたそうです。大林宣彦監督により大分三部作として構想された中の第1作で、旧友の妻が交通事故で危篤状態にあるとの呼び寄せで、50歳を迎えた男が28年ぶりに故郷・臼杵市に帰郷するというストーリーです。津久見市出身の伊勢正三の「なごり雪」をモチーフに、淡い青春の想い出を描いているのですがまだ観たことはありません。

  • 古い甕の並んだ様は以前に行った中国の紹興や烏鎮の村を思い出します。紹興の町の「咸亨酒店」でベロベロになるまで飲んだ紹興酒が最高においしくて甕を2つ買って持ち帰ったことがありました。魯迅の短編小説「孔乙己」に登場する老舗料理店で、気分はまさに孔乙己(こんいーちー)でした。

    古い甕の並んだ様は以前に行った中国の紹興や烏鎮の村を思い出します。紹興の町の「咸亨酒店」でベロベロになるまで飲んだ紹興酒が最高においしくて甕を2つ買って持ち帰ったことがありました。魯迅の短編小説「孔乙己」に登場する老舗料理店で、気分はまさに孔乙己(こんいーちー)でした。

  • 余市のニッカウヰスキーの蒸留所の銅製のものとはまた違った風情のある蒸留器です。ふくよかに仕上げるために木樽で蒸留して、「はなだれ」と言われる70度の初留焼酎ができ、調整しながら40度になるくらいまで蒸留するそうです。いつまでもこのまま続いて欲しいと思える酒蔵でした。この後は試飲させていただきます。

    余市のニッカウヰスキーの蒸留所の銅製のものとはまた違った風情のある蒸留器です。ふくよかに仕上げるために木樽で蒸留して、「はなだれ」と言われる70度の初留焼酎ができ、調整しながら40度になるくらいまで蒸留するそうです。いつまでもこのまま続いて欲しいと思える酒蔵でした。この後は試飲させていただきます。

  • 土間には新聞紙は貼られていました。「もう燕が渡ってくるんですね。」と尋ねると「もう来ていますよ。」とのことでした。いくつか試飲させていただきましたが、焼酎は別府で大量に買い求めて家に送った後なので、「宗麟」の大吟醸にしました。試飲させていただいた中で一番おいしかったです。ここで別府の「コタニ酒店」の話をするとよくご存じだったので、やはり有名な店なのだと思いました。

    土間には新聞紙は貼られていました。「もう燕が渡ってくるんですね。」と尋ねると「もう来ていますよ。」とのことでした。いくつか試飲させていただきましたが、焼酎は別府で大量に買い求めて家に送った後なので、「宗麟」の大吟醸にしました。試飲させていただいた中で一番おいしかったです。ここで別府の「コタニ酒店」の話をするとよくご存じだったので、やはり有名な店なのだと思いました。

  • 番頭さんに見送られて表に出ましたが、そのまま向店に入りました。フンドーキンは小手川酒造を継いだ方の弟さんが開いた会社だそうです。酒を仕込まない開いた時期に味噌や醤油を仕込んだことに始まるようです。その後は扱う量がフンドーキンの方が多く、大きな会社になったそうです。

    番頭さんに見送られて表に出ましたが、そのまま向店に入りました。フンドーキンは小手川酒造を継いだ方の弟さんが開いた会社だそうです。酒を仕込まない開いた時期に味噌や醤油を仕込んだことに始まるようです。その後は扱う量がフンドーキンの方が多く、大きな会社になったそうです。

    フンドーキンドレッシング工場 名所・史跡

  • ここでは醤油ソフトクリームをいただきました。そして「畑のお肉を使ったみそ」と「もろみ」をお土産に買い求めました。値段は安いけれど5家族分なのですごい量になってしまいました。

    ここでは醤油ソフトクリームをいただきました。そして「畑のお肉を使ったみそ」と「もろみ」をお土産に買い求めました。値段は安いけれど5家族分なのですごい量になってしまいました。

  • 本当に「向店」だなと思います。社名のフンドーキンは醤油や味噌の重さを量る際に使用した分銅と、会社を設立した小手川金次郎の「金」に由来します。醤油・味噌・サラダドレッシング・ポン酢・柚子胡椒の生産量は九州第1位で、醤油は全国8位の生産量であり、麦味噌の生産量は日本一だそうです。この店先からはそんな大きな会社とは思えません。

    本当に「向店」だなと思います。社名のフンドーキンは醤油や味噌の重さを量る際に使用した分銅と、会社を設立した小手川金次郎の「金」に由来します。醤油・味噌・サラダドレッシング・ポン酢・柚子胡椒の生産量は九州第1位で、醤油は全国8位の生産量であり、麦味噌の生産量は日本一だそうです。この店先からはそんな大きな会社とは思えません。

  • 名前くらいしか知らない小説家の野上弥生子の実家が小手川酒造だとはここへ来るまで知りませんでした。

    名前くらいしか知らない小説家の野上弥生子の実家が小手川酒造だとはここへ来るまで知りませんでした。

    野上弥生子文学記念館 美術館・博物館

  • ついつい買い物をしてしまい、前かごはいっぱいになってしまいました。自転車を返した後にどうやって駅まで持っていくのかが問題になりそうです。

    ついつい買い物をしてしまい、前かごはいっぱいになってしまいました。自転車を返した後にどうやって駅まで持っていくのかが問題になりそうです。

  • 「臼杵八坂神社」は臼杵川のほとりに位置し、「臼杵城跡」から臼杵川に向かって続く石畳の通りの突き当りにあります。本殿まで参拝に行く時間は無いので、鳥居の前で手を合わせておきます。

    「臼杵八坂神社」は臼杵川のほとりに位置し、「臼杵城跡」から臼杵川に向かって続く石畳の通りの突き当りにあります。本殿まで参拝に行く時間は無いので、鳥居の前で手を合わせておきます。

    臼杵八坂神社 寺・神社・教会

  • 戦国時代には臼杵に本拠地を置いて豊後国を治めた大友宗麟がキリスト教に帰依したことにより神道や仏教は迫害を受けました。焼き討ちに遭う寺社も多かったため、この神社も臼杵湾沿岸の岩窟や、津久見、日向国飫肥にまで遷座を余儀なくされた時代があったようです。

    戦国時代には臼杵に本拠地を置いて豊後国を治めた大友宗麟がキリスト教に帰依したことにより神道や仏教は迫害を受けました。焼き討ちに遭う寺社も多かったため、この神社も臼杵湾沿岸の岩窟や、津久見、日向国飫肥にまで遷座を余儀なくされた時代があったようです。

    稲葉家下屋敷 旧平井家住宅 名所・史跡

  • 「稲葉家下屋敷」の前を通って「臼杵城址」までやってきました。さすがにここから先は自転車は進めません。妻はもう歩きたくないので、自転車を返しに向かいました。1人歩いていると通りがかりのおばさんから「こんにちわ。」と声を掛けられました。続いて小学生たちからも「こんにちわ。」と。この日だけで何人の方から声を掛けられたでしょうか。臼杵っていい町だなぁと思います。

    「稲葉家下屋敷」の前を通って「臼杵城址」までやってきました。さすがにここから先は自転車は進めません。妻はもう歩きたくないので、自転車を返しに向かいました。1人歩いていると通りがかりのおばさんから「こんにちわ。」と声を掛けられました。続いて小学生たちからも「こんにちわ。」と。この日だけで何人の方から声を掛けられたでしょうか。臼杵っていい町だなぁと思います。

    臼杵城跡(臼杵公園) 名所・史跡

  • 「臼杵城 古橋門櫓跡」から城内へ入ります。「臼杵城」は元々は「丹生島(にうじま)」と呼ばれ、切り立った崖に囲まれた臼杵湾に浮かぶ島でした。現在は埋め立てられてその面影はありませんが、その防御性の高さから城郭を築く土地として選択されたと思えます。

    「臼杵城 古橋門櫓跡」から城内へ入ります。「臼杵城」は元々は「丹生島(にうじま)」と呼ばれ、切り立った崖に囲まれた臼杵湾に浮かぶ島でした。現在は埋め立てられてその面影はありませんが、その防御性の高さから城郭を築く土地として選択されたと思えます。

  • 「臼杵城」が中世城郭として利用され始めた年代は明瞭ではないようで、大友宗麟によって永禄5年から6年に築城されたとする説が有力でした。近年ではそれ以前には利用され始めていたのではないかとの説が有力だそうです。

    「臼杵城」が中世城郭として利用され始めた年代は明瞭ではないようで、大友宗麟によって永禄5年から6年に築城されたとする説が有力でした。近年ではそれ以前には利用され始めていたのではないかとの説が有力だそうです。

  • 「亭櫓」のあった場所まで石段を上がってみます。柵などは無く自己責任で登るように書かれてあります。

    「亭櫓」のあった場所まで石段を上がってみます。柵などは無く自己責任で登るように書かれてあります。

  • 確かに注意が必要ですが美しい姿が見えます。この周りが海だったとは知りませんでした。

    確かに注意が必要ですが美しい姿が見えます。この周りが海だったとは知りませんでした。

  • 「鐙坂(あぶみざか)」にはくねくね曲がった漆喰の美しい壁が続きます。狭間(さま)が開けられていることから防御上の曲線だと分かります。上海の「豫園」の龍壁を思い出しました。

    「鐙坂(あぶみざか)」にはくねくね曲がった漆喰の美しい壁が続きます。狭間(さま)が開けられていることから防御上の曲線だと分かります。上海の「豫園」の龍壁を思い出しました。

  • 「中門櫓跡」の近くにも石の鳥居があり、その先には「畳櫓」と呼ばれる櫓が建ち、明治期に決定した廃城の際に東側に建つ「卯寅口門脇櫓」と共に取り壊しを免れた貴重な遺構1つです。

    「中門櫓跡」の近くにも石の鳥居があり、その先には「畳櫓」と呼ばれる櫓が建ち、明治期に決定した廃城の際に東側に建つ「卯寅口門脇櫓」と共に取り壊しを免れた貴重な遺構1つです。

  • 稲葉氏が城主となった時には既に「三十一櫓七櫓門」が築かれ、大友氏の時代から豊臣時代にかけて多くの櫓が林立する城郭に様変わりしていたようです。

    稲葉氏が城主となった時には既に「三十一櫓七櫓門」が築かれ、大友氏の時代から豊臣時代にかけて多くの櫓が林立する城郭に様変わりしていたようです。

  • 櫓は攻めてきた敵に対して反撃を優位にする目的で簡易的なものが造られましたが、時代と共に進化する武器に対して堅固な建物が建てられるようになっていきます。

    櫓は攻めてきた敵に対して反撃を優位にする目的で簡易的なものが造られましたが、時代と共に進化する武器に対して堅固な建物が建てられるようになっていきます。

  • 「時鐘(ときかね)櫓跡」は時報施設で、臼杵城下に時を知らせていました。鐘は「原山時鐘」と呼ばれ、元禄13年の1700年に鋳造されています。

    「時鐘(ときかね)櫓跡」は時報施設で、臼杵城下に時を知らせていました。鐘は「原山時鐘」と呼ばれ、元禄13年の1700年に鋳造されています。

  • 「大門櫓」は稲葉氏入城直後の17世紀初頭に建てられ、宝暦13年の1763年の大火で焼失し、明和5年の1768年に再興されました。明治元年の廃城に際して取り壊されてしまい、現在の大門櫓は平成13年に復元されたものです。

    「大門櫓」は稲葉氏入城直後の17世紀初頭に建てられ、宝暦13年の1763年の大火で焼失し、明和5年の1768年に再興されました。明治元年の廃城に際して取り壊されてしまい、現在の大門櫓は平成13年に復元されたものです。

  • ここまで上がってくると臼杵市内が見渡せます。フンドーキンの工場の看板が大きく見えたので、臼杵川の位置が想像できました。

    ここまで上がってくると臼杵市内が見渡せます。フンドーキンの工場の看板が大きく見えたので、臼杵川の位置が想像できました。

  • 桜の盛りは過ぎてしまったようですが、まだ何とか花見が出来る程度には残っていました。

    桜の盛りは過ぎてしまったようですが、まだ何とか花見が出来る程度には残っていました。

  • 周囲は山に囲まれ、臼杵の土地が護られているように思えました。臼杵川の河口に開けた土地に街を作り、天然の良港をもち、その脇には当時は島だった臼杵城が構えていたのですから領民も安心して過ごせたのではないでしょうか。

    周囲は山に囲まれ、臼杵の土地が護られているように思えました。臼杵川の河口に開けた土地に街を作り、天然の良港をもち、その脇には当時は島だった臼杵城が構えていたのですから領民も安心して過ごせたのではないでしょうか。

  • 少し小高くなった辺りが「二王座の歴史道」辺りなのだと分かります。

    少し小高くなった辺りが「二王座の歴史道」辺りなのだと分かります。

  • 「旧丸毛家住宅」など今回は足を延ばせなかった辺りも風情のある街並みが残っているようです。

    「旧丸毛家住宅」など今回は足を延ばせなかった辺りも風情のある街並みが残っているようです。

  • 「井楼櫓跡」からの臼杵の町の眺めは素晴らしかったです。

    「井楼櫓跡」からの臼杵の町の眺めは素晴らしかったです。

  • 臼杵護国神社(稲葉神社)は臼杵城跡(臼杵公園)内に鎮座して、戦没者の霊や稲葉歴代藩主の霊が祀られています。

    臼杵護国神社(稲葉神社)は臼杵城跡(臼杵公園)内に鎮座して、戦没者の霊や稲葉歴代藩主の霊が祀られています。

  • 日清戦争の威海衛の要塞砲の砲弾を持ち帰って奉納されたものです。実際に物は昭和20年に終戦後に地下に埋められましたが、その場所が不明となりこれは模造品のようです。妻と2人で旅した旧満州の旅でも旅順へ行き、いくつかの戦跡を訪ねましたが、同じような砲弾を見掛けることがありました。

    日清戦争の威海衛の要塞砲の砲弾を持ち帰って奉納されたものです。実際に物は昭和20年に終戦後に地下に埋められましたが、その場所が不明となりこれは模造品のようです。妻と2人で旅した旧満州の旅でも旅順へ行き、いくつかの戦跡を訪ねましたが、同じような砲弾を見掛けることがありました。

  • 明治10年の1877年の西南戦争豊後方面の戦いで、薩摩軍奇兵隊の進攻に備えて旧臼杵藩の家老であった稲葉頼が臼杵隊を組織して臼杵城に篭城します。奇兵隊の襲撃に抵抗しますが臼杵城は落城し臼杵は薩摩軍に占領されます。その後新政府軍から4個大隊と軍艦3隻の援軍が送られて、臼杵城は奪還されます。西南戦争の犠牲者や後の日清日露戦争で亡くなった方も祀られています。

    明治10年の1877年の西南戦争豊後方面の戦いで、薩摩軍奇兵隊の進攻に備えて旧臼杵藩の家老であった稲葉頼が臼杵隊を組織して臼杵城に篭城します。奇兵隊の襲撃に抵抗しますが臼杵城は落城し臼杵は薩摩軍に占領されます。その後新政府軍から4個大隊と軍艦3隻の援軍が送られて、臼杵城は奪還されます。西南戦争の犠牲者や後の日清日露戦争で亡くなった方も祀られています。

  • 大友宗麟を偲んで1937年にブロンズ製のレリーフが制作されましたが、1944年に軍事資材の供出で姿を消してしまいました。その後の1982年に復元製作されたものが置かれてありました。足元に大砲を置き、右手で鉄砲を持つ姿の背景には南蛮船が描かれています。

    大友宗麟を偲んで1937年にブロンズ製のレリーフが制作されましたが、1944年に軍事資材の供出で姿を消してしまいました。その後の1982年に復元製作されたものが置かれてありました。足元に大砲を置き、右手で鉄砲を持つ姿の背景には南蛮船が描かれています。

  • 「佛狼機(フランキー) 砲」のレプリカも置かれてありました。明代の中国人がポルトガル人を呼んだことに由来します。フランキ砲とは16世紀の大砲の種類で、日本に最初に伝わった大砲ともされます。日本では大友宗麟が使った大砲として知られますが、正確には特定の砲ではなく砲の種類のことです。大友宗麟はこの大砲を「国崩」と名付けて量産し、臼杵城に備えました。

    「佛狼機(フランキー) 砲」のレプリカも置かれてありました。明代の中国人がポルトガル人を呼んだことに由来します。フランキ砲とは16世紀の大砲の種類で、日本に最初に伝わった大砲ともされます。日本では大友宗麟が使った大砲として知られますが、正確には特定の砲ではなく砲の種類のことです。大友宗麟はこの大砲を「国崩」と名付けて量産し、臼杵城に備えました。

  • 「廃墟」<br />臼杵出身の彫刻家の日名子実三(ひなこじつぞう)の作品で、俊寛という平安時代の僧侶がモデルのようです。ロダンの彫刻や朝倉文夫の「墓守」を思い出しましたが、東京美術学校で朝倉文夫に師事していたと書かれてありなるほどと思いました。

    「廃墟」
    臼杵出身の彫刻家の日名子実三(ひなこじつぞう)の作品で、俊寛という平安時代の僧侶がモデルのようです。ロダンの彫刻や朝倉文夫の「墓守」を思い出しましたが、東京美術学校で朝倉文夫に師事していたと書かれてありなるほどと思いました。

  • 建物は残されていませんがm「枡形」など石垣はほぼ昔のまま残されているようで、往時の連郭式の縄張りを想像することが出来ます。

    建物は残されていませんがm「枡形」など石垣はほぼ昔のまま残されているようで、往時の連郭式の縄張りを想像することが出来ます。

  • 本丸は公園になっていて平面的な大きさを想像することしかできません。いつの日か復元することがあるのでしょうか。

    本丸は公園になっていて平面的な大きさを想像することしかできません。いつの日か復元することがあるのでしょうか。

  • 公園の遊歩道は桜の花びらで覆われ、まるで花筏の上を歩いているような気分になれました。

    公園の遊歩道は桜の花びらで覆われ、まるで花筏の上を歩いているような気分になれました。

  • 「臼杵城」を西川原入って東側までたどり着きました。「卯寅口門脇櫓」が残されています。ここから「港町商店街」に戻り、妻と合流して臼杵駅に向かいます。

    「臼杵城」を西川原入って東側までたどり着きました。「卯寅口門脇櫓」が残されています。ここから「港町商店街」に戻り、妻と合流して臼杵駅に向かいます。

  • 調子に乗って買ってしまった日本酒や味噌などがずっしりと重たいです。別府と臼杵の切符は往復で買ってありましたが、うまいタイミングで特急がやってくることが分かりました。

    調子に乗って買ってしまった日本酒や味噌などがずっしりと重たいです。別府と臼杵の切符は往復で買ってありましたが、うまいタイミングで特急がやってくることが分かりました。

    臼杵駅

  • 駅の窓口はすでに閉まっていて、特急券を買うことは出来ませんでした。車内で自由席に座って、車掌さんから特急券を買うことにしました。

    駅の窓口はすでに閉まっていて、特急券を買うことは出来ませんでした。車内で自由席に座って、車掌さんから特急券を買うことにしました。

  • 往路の普通列車と違って、通過の待合も無いので買えるだけの列車旅としてはこちらの方が快適です。750円でこの快適さはなんということでしょう。2000年に上海から蘇州へ列車で往復したことがありました。往路は外国人窓口で切符を買ったら紺のベルベットに白いレースのカバーの掛かった席に座れました。復路は3等車に乗ってみましたが、料金の差は30円くらいでした。予約してあった席には知らない親父が座り、席を渡してくれません。挙句に痰は吐くし、席は満員だし、自分の座っている席も誰かが予約した席のはずです。30円でも100円でも追加で払うから1等に行かせてくれと祈るような思いでした。そんな旅を思い出しながら別府に向かいます。

    往路の普通列車と違って、通過の待合も無いので買えるだけの列車旅としてはこちらの方が快適です。750円でこの快適さはなんということでしょう。2000年に上海から蘇州へ列車で往復したことがありました。往路は外国人窓口で切符を買ったら紺のベルベットに白いレースのカバーの掛かった席に座れました。復路は3等車に乗ってみましたが、料金の差は30円くらいでした。予約してあった席には知らない親父が座り、席を渡してくれません。挙句に痰は吐くし、席は満員だし、自分の座っている席も誰かが予約した席のはずです。30円でも100円でも追加で払うから1等に行かせてくれと祈るような思いでした。そんな旅を思い出しながら別府に向かいます。

  • 特急列車は大分駅止まりで、数分後に来た別の特急に乗り込みました。2種類の特急列車に乗ることが出来て良かったです。

    特急列車は大分駅止まりで、数分後に来た別の特急に乗り込みました。2種類の特急列車に乗ることが出来て良かったです。

    大分駅

  • 予定よりだいぶ早く別府駅まで戻ることが出来ました。別府駅の表示はこんな感じでしたが臼杵駅は「う?」でした。バタバタしていて写真に撮れなかったのが残念です。

    予定よりだいぶ早く別府駅まで戻ることが出来ました。別府駅の表示はこんな感じでしたが臼杵駅は「う?」でした。バタバタしていて写真に撮れなかったのが残念です。

    別府駅 (大分県)

  • 「亀の井ホテル」の晩御飯も早いもので最後になりました。最初の2晩で羽飲み放題で焼酎30種類をほぼ制覇したので、3日目は軽くビール1本に抑えました。さすがにお昼に食べ過ぎてしまい、おなかもあまり空いていません。こんな時はカレーが一番です。

    「亀の井ホテル」の晩御飯も早いもので最後になりました。最初の2晩で羽飲み放題で焼酎30種類をほぼ制覇したので、3日目は軽くビール1本に抑えました。さすがにお昼に食べ過ぎてしまい、おなかもあまり空いていません。こんな時はカレーが一番です。

    Beppu Bold Kitchen グルメ・レストラン

  • 最後はヌードルバーで蕎麦を作ってもらいました。

    最後はヌードルバーで蕎麦を作ってもらいました。

  • こちらはとんこつラーメンです。どちらも美味しかったです。

    こちらはとんこつラーメンです。どちらも美味しかったです。

  • 部屋に戻って荷造りをしますが、いつの間にか増えてしまったお土産でトランクには収まり切れません。翌日の準備もして温泉にゆっくり浸かります。

    部屋に戻って荷造りをしますが、いつの間にか増えてしまったお土産でトランクには収まり切れません。翌日の準備もして温泉にゆっくり浸かります。

  • 「別府タワー」の灯も落ちたのでゆっくり眠ることにします。最終日は念願の国東半島を巡ります。

    「別府タワー」の灯も落ちたのでゆっくり眠ることにします。最終日は念願の国東半島を巡ります。

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2023別府の旅

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