宇佐・豊後高田旅行記(ブログ) 一覧に戻る
別府4日目はゆっくり温泉に入って、朝食を済ませてチェックアウトします。重たくなってしまった荷物をごろごろ運んで別府駅に向かいます。最終日は大分交通の国東半島観光バスに乗って、半島を巡って大分空港で下車して東京へ戻るというルートです。バスは一昨日に「別府地獄めぐり」のバスを待つ際に一度確認しているので安心して待っていられます。この日のツアー参加者は十数人だけだったので後方の座席を左右に分かれて座りました。このバスは大分市からスタートするのですでに数人の方が乗車していました。予約は事前に済ませていましたが、料金は当日バスガイドさんに直接支払うという前時代的なものでした。切符は料金表にパンチしてくれるというさらに昭和的なものでした。出発時は小雨が降っていましたが、最初の宇佐神宮に着く頃には雨は上がりました。何とか本殿を参拝するまでは雨模様でしたが、その後はパラパラと降り始めました。宇佐神宮も初めて知ったのは中学生のころで、諸星大二郎の「暗黒神話」という作品でした。国東半島の摩崖仏に憧れたのもこの作品からで、50年近く経ってようやく来ることが出来て感慨深かったです。帰りの参道では名物の「宇佐飴」も買ってバスに戻ります。バスは国東の田園風景の中を走りますが、青々と実った麦畑の中を進みます。遠くの山々には霧が湧き上がり美しい景色です。飴なのは残念なのですが、雨の風景の美しさも楽しめました。バスガイドさんの案内は非常に上手で、コースに載った名所以外にも数多くの神社などでスピードを落としてくれて説明があります。午前中は「富貴寺」の見学がありましたが、本堂は文化沿い保護のために雨の日は湿度が高いので開けられずにな偉人を参拝することは出来ませんでした。ツアーには食事は含まれていませんが、「富貴寺」の前にある「榧の木」という食堂で昼食時間があてがわれます。これは「宇佐神宮」へ向かう途中で予約するのですが、名物のだんご汁をいただきました。素朴な料理でしたが定食になった他の料理も美味しかったです。ここではビールではなく大分の麦焼酎のお湯割りをいただきます。最後には「やせうま」というお菓子もいただきましたが、こういった郷土料理が旅の最後にいただけて良かったです。

トラピックス 九州第一位の名湯「別府温泉」4日間(8)バスツアーで国東半島の宇佐神宮に参拝し、富貴寺でだんご汁に舌鼓み。

7いいね!

2023/04/07 - 2023/04/07

540位(同エリア670件中)

旅行記グループ 2023別府の旅

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kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

別府4日目はゆっくり温泉に入って、朝食を済ませてチェックアウトします。重たくなってしまった荷物をごろごろ運んで別府駅に向かいます。最終日は大分交通の国東半島観光バスに乗って、半島を巡って大分空港で下車して東京へ戻るというルートです。バスは一昨日に「別府地獄めぐり」のバスを待つ際に一度確認しているので安心して待っていられます。この日のツアー参加者は十数人だけだったので後方の座席を左右に分かれて座りました。このバスは大分市からスタートするのですでに数人の方が乗車していました。予約は事前に済ませていましたが、料金は当日バスガイドさんに直接支払うという前時代的なものでした。切符は料金表にパンチしてくれるというさらに昭和的なものでした。出発時は小雨が降っていましたが、最初の宇佐神宮に着く頃には雨は上がりました。何とか本殿を参拝するまでは雨模様でしたが、その後はパラパラと降り始めました。宇佐神宮も初めて知ったのは中学生のころで、諸星大二郎の「暗黒神話」という作品でした。国東半島の摩崖仏に憧れたのもこの作品からで、50年近く経ってようやく来ることが出来て感慨深かったです。帰りの参道では名物の「宇佐飴」も買ってバスに戻ります。バスは国東の田園風景の中を走りますが、青々と実った麦畑の中を進みます。遠くの山々には霧が湧き上がり美しい景色です。飴なのは残念なのですが、雨の風景の美しさも楽しめました。バスガイドさんの案内は非常に上手で、コースに載った名所以外にも数多くの神社などでスピードを落としてくれて説明があります。午前中は「富貴寺」の見学がありましたが、本堂は文化沿い保護のために雨の日は湿度が高いので開けられずにな偉人を参拝することは出来ませんでした。ツアーには食事は含まれていませんが、「富貴寺」の前にある「榧の木」という食堂で昼食時間があてがわれます。これは「宇佐神宮」へ向かう途中で予約するのですが、名物のだんご汁をいただきました。素朴な料理でしたが定食になった他の料理も美味しかったです。ここではビールではなく大分の麦焼酎のお湯割りをいただきます。最後には「やせうま」というお菓子もいただきましたが、こういった郷土料理が旅の最後にいただけて良かったです。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー JALグループ JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 別府も最終日の4日目にになりました。天気はころころと変わり、朝から雨模様の空です。

    別府も最終日の4日目にになりました。天気はころころと変わり、朝から雨模様の空です。

    亀の井ホテル 別府 宿・ホテル

  • これから向かう国東半島にも厚い雲がかかっています。

    これから向かう国東半島にも厚い雲がかかっています。

  • いつにもまして温泉の蒸気が高くまで上がっています。

    いつにもまして温泉の蒸気が高くまで上がっています。

  • 別府港には外国のクルーズ船がお尻から着岸するところでした。朝食を済ませてチェックアウトして、荷物を持ってガラガラと別府駅に向かいます。

    別府港には外国のクルーズ船がお尻から着岸するところでした。朝食を済ませてチェックアウトして、荷物を持ってガラガラと別府駅に向かいます。

  • バスが来るまで観光案内所のソファに座らせていただきました。オープン前でしたが皆さん親切です。大分交通の国東半島観光バスがやってきたので、ドライバーさんに荷物を預けます。<br />

    バスが来るまで観光案内所のソファに座らせていただきました。オープン前でしたが皆さん親切です。大分交通の国東半島観光バスがやってきたので、ドライバーさんに荷物を預けます。

    別府駅 (大分県)

  • この日の「国東半島巡り」の参加者は10人ちょっとでしたので、後方の座席に座りました。左右に動けて写真も撮りやすいですから。

    この日の「国東半島巡り」の参加者は10人ちょっとでしたので、後方の座席に座りました。左右に動けて写真も撮りやすいですから。

  • 大分交通にはホームページから予約は入れてありましたが、支払いはバスの中でガイドさんに行います。昔懐かしい鉄の鋏でパンチを入れてくれます。これだけで昔のことが頭の中に蘇ってきます。子供の頃は路線バスでも車掌さんがいて、切符を買っていましたから。

    大分交通にはホームページから予約は入れてありましたが、支払いはバスの中でガイドさんに行います。昔懐かしい鉄の鋏でパンチを入れてくれます。これだけで昔のことが頭の中に蘇ってきます。子供の頃は路線バスでも車掌さんがいて、切符を買っていましたから。

  • バスは北浜に立ち寄り、数名の方が乗車してきました。バスは大分駅が始発なので、先に乗ってこられた方もいらっしゃいました。四国の宇和島航路のフェリーともこれがお別れです。5月には道後温泉から海岸線を足摺岬や室戸岬を巡るツアーに申し込んでいるので、また渡バスの中から見ることがあるかもしれません。

    バスは北浜に立ち寄り、数名の方が乗車してきました。バスは大分駅が始発なので、先に乗ってこられた方もいらっしゃいました。四国の宇和島航路のフェリーともこれがお別れです。5月には道後温泉から海岸線を足摺岬や室戸岬を巡るツアーに申し込んでいるので、また渡バスの中から見ることがあるかもしれません。

  • 「さんふらわあ」も見納めです。関東ではほとんど見ることのない太陽マークです。以前は有明埠頭から横浜経由で那智勝浦へ行けたりしたのですが。

    「さんふらわあ」も見納めです。関東ではほとんど見ることのない太陽マークです。以前は有明埠頭から横浜経由で那智勝浦へ行けたりしたのですが。

  • 先ほど入港したクルーズ船が国際ターミナルに停泊しています。

    先ほど入港したクルーズ船が国際ターミナルに停泊しています。

  • 熊本で買った「資さんうどん」のぼた餅が友人たちに好評だったので買いたかったのですが、立ち寄ることは出来ませんでした。

    熊本で買った「資さんうどん」のぼた餅が友人たちに好評だったので買いたかったのですが、立ち寄ることは出来ませんでした。

    資さん うどん 明野店 グルメ・レストラン

  • 「Silver Whisper」は28,258トンで全長186メートル、定員684名の小型のクルーズ船です。今年の8月は2020年にキャンセルになったダイアモンド・プリンセスのクルーズと9月にヨーロッパのクルーズを予約してあるので楽しみです。妻とのクルーズ旅も20年振りです。その間地中海の定期航路のフェリーにはたくさん乗せてあげましたが。

    「Silver Whisper」は28,258トンで全長186メートル、定員684名の小型のクルーズ船です。今年の8月は2020年にキャンセルになったダイアモンド・プリンセスのクルーズと9月にヨーロッパのクルーズを予約してあるので楽しみです。妻とのクルーズ旅も20年振りです。その間地中海の定期航路のフェリーにはたくさん乗せてあげましたが。

  • バスは海岸線から内陸に入り「宇佐神宮」を目指します。バスガイドさんはツアーの立ち寄り先以外にもいろいろ説明をしてくださるのでとても楽しいです。「赤松山願成就寺」は六郷満山の創建者の仁聞(にんもん)が建立したと伝えられる由緒ある寺だそうです。

    バスは海岸線から内陸に入り「宇佐神宮」を目指します。バスガイドさんはツアーの立ち寄り先以外にもいろいろ説明をしてくださるのでとても楽しいです。「赤松山願成就寺」は六郷満山の創建者の仁聞(にんもん)が建立したと伝えられる由緒ある寺だそうです。

    赤松山願成就寺 寺・神社・教会

  • 「六郷満山」とは国東半島一帯にある寺院群の総称のことです。「六郷」は両子山を中心とした山稜の間に開かれた6つの郷、「満山」はそこに築かれた寺院群を指し、古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えた土地でもあります。

    「六郷満山」とは国東半島一帯にある寺院群の総称のことです。「六郷」は両子山を中心とした山稜の間に開かれた6つの郷、「満山」はそこに築かれた寺院群を指し、古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えた土地でもあります。

  • 「赤松橋」明治30年9月に完成した日出町で唯一の石拱橋(せっこうきょう)です。通称「赤松のめがね橋」と呼ばれました。日本に現存する石橋は1,300基以上あり、そのうち約1,200基は九州に残されています。なかでも大分と熊本の両県は367基と330基と特に多く、合計で九州全体の半数以上を占めています。

    「赤松橋」明治30年9月に完成した日出町で唯一の石拱橋(せっこうきょう)です。通称「赤松のめがね橋」と呼ばれました。日本に現存する石橋は1,300基以上あり、そのうち約1,200基は九州に残されています。なかでも大分と熊本の両県は367基と330基と特に多く、合計で九州全体の半数以上を占めています。

    赤松橋 名所・史跡

  • 中でも宇佐市院内町には75基もの石橋が残されており、アーチ橋(めがね橋)は64基と日本一を誇っています。この地に石橋が多い理由は地形が深い渓谷を形成して流れも急であるためです。2つ目は石橋作りに必要な材質となる石が豊富に採石できたこと。3つ目は生活に必要不可欠な棚田や石垣等を組む技術を持った優れた石工が多かったことです。熊本の旅でも「肥後の石工」の話を思い出しましたが、豊後の国の旅でも同じでした。

    中でも宇佐市院内町には75基もの石橋が残されており、アーチ橋(めがね橋)は64基と日本一を誇っています。この地に石橋が多い理由は地形が深い渓谷を形成して流れも急であるためです。2つ目は石橋作りに必要な材質となる石が豊富に採石できたこと。3つ目は生活に必要不可欠な棚田や石垣等を組む技術を持った優れた石工が多かったことです。熊本の旅でも「肥後の石工」の話を思い出しましたが、豊後の国の旅でも同じでした。

  • 一昨日まではたいして気にも留めなかった九州の特急列車ですが、昨日臼杵から戻る際に乗ってしまうと身近なものに見えてきます。青々とした麦畑に青い車体が映えます。

    一昨日まではたいして気にも留めなかった九州の特急列車ですが、昨日臼杵から戻る際に乗ってしまうと身近なものに見えてきます。青々とした麦畑に青い車体が映えます。

  • 道路沿いの小高い山からは霧が立ち込めて幻想的な風景です。神仏習合の国東半島という地理を考えるとこれくらいの天気で良かったのかもしれません。

    道路沿いの小高い山からは霧が立ち込めて幻想的な風景です。神仏習合の国東半島という地理を考えるとこれくらいの天気で良かったのかもしれません。

  • 麦秋というには少し早い季節ですが、大分の春は麦畑がきれいでした。これが大分の麦焼酎になるのかと思うと感慨深いものがあります。小津安二郎の映画に「麥秋」がありますが、銀座で陶器店を営む大叔父と小津安二郎が懇意にしていて、映画の中に出てくる陶器などは大叔父が用意していました。大船から新橋まで出た小津安二郎は銀座8丁目のその店に集まって飲み歩いたと聞いたことがあります。

    麦秋というには少し早い季節ですが、大分の春は麦畑がきれいでした。これが大分の麦焼酎になるのかと思うと感慨深いものがあります。小津安二郎の映画に「麥秋」がありますが、銀座で陶器店を営む大叔父と小津安二郎が懇意にしていて、映画の中に出てくる陶器などは大叔父が用意していました。大船から新橋まで出た小津安二郎は銀座8丁目のその店に集まって飲み歩いたと聞いたことがあります。

  • バスは宇佐駅にも立ち寄りました。ここからもこのバスに乗車が出来るようです。予約しなくても空席があれば乗れるようなので、停留所には立ち寄らないとならないようです。この日はここからの乗車は無く、ここが最後の停留所でした。

    バスは宇佐駅にも立ち寄りました。ここからもこのバスに乗車が出来るようです。予約しなくても空席があれば乗れるようなので、停留所には立ち寄らないとならないようです。この日はここからの乗車は無く、ここが最後の停留所でした。

    宇佐駅

  • 我々の後方には誰もいないのでリクライニングも出来て快適でした。<br />

    我々の後方には誰もいないのでリクライニングも出来て快適でした。

  • 宇佐神宮は神輿(みこし)発祥の地としても有名です。天平21年の749年に東大寺大仏殿の造営に貢献した八幡大神が東大寺に招かれた際、八幡様を神輿に乗せて東大寺までお連れしたのが神輿の起源とされます。

    宇佐神宮は神輿(みこし)発祥の地としても有名です。天平21年の749年に東大寺大仏殿の造営に貢献した八幡大神が東大寺に招かれた際、八幡様を神輿に乗せて東大寺までお連れしたのが神輿の起源とされます。

  • 参道前の駐車場にバスは停まり、トイレに寄った後は「宇佐神宮」の自由参拝になります。経路や見どころはバスガイドさんが車内でレクチャーしてくれているので万全です。

    参道前の駐車場にバスは停まり、トイレに寄った後は「宇佐神宮」の自由参拝になります。経路や見どころはバスガイドさんが車内でレクチャーしてくれているので万全です。

  • 「宇佐神宮」について初めて知ったのは1978年に発売されていた少年ジャンプに掲載されていた諸星大二郎の「暗黒神話」という作品でした。仏教と神道と、そのどちらでもない土俗的や古代的な信仰や神話が混然と混じり合いながらも物語が成立している不思議なストーリーに魅了され、45年経った今でも愛読書の1つです。長年一度は参拝したいと思いながらとうとうこの日、その願いが叶いました。

    「宇佐神宮」について初めて知ったのは1978年に発売されていた少年ジャンプに掲載されていた諸星大二郎の「暗黒神話」という作品でした。仏教と神道と、そのどちらでもない土俗的や古代的な信仰や神話が混然と混じり合いながらも物語が成立している不思議なストーリーに魅了され、45年経った今でも愛読書の1つです。長年一度は参拝したいと思いながらとうとうこの日、その願いが叶いました。

    宇佐神宮 寺・神社・教会

  • 「宇佐神宮」は全国に約44,000社ある八幡宮の総本社で、石清水八幡宮と筥崎宮(または鶴岡八幡宮)と共に日本三大八幡宮の1つとされます。

    「宇佐神宮」は全国に約44,000社ある八幡宮の総本社で、石清水八幡宮と筥崎宮(または鶴岡八幡宮)と共に日本三大八幡宮の1つとされます。

  • 祭神である八幡大神は応神天皇の神霊で、欽明天皇の時代の571年に初めて宇佐の地に示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。神亀2年の725年に現在の地に御殿を造立し、八幡神を祀りました。

    祭神である八幡大神は応神天皇の神霊で、欽明天皇の時代の571年に初めて宇佐の地に示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。神亀2年の725年に現在の地に御殿を造立し、八幡神を祀りました。

  • 宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋に降臨されたと「日本書紀」に記されています。比売大神は八幡神が現われる以前の古い地主神として祀られ崇敬されてきました。八幡神が祀られた8年後の天平5年の733年の神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は比売大神を祀りしました。

    宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋に降臨されたと「日本書紀」に記されています。比売大神は八幡神が現われる以前の古い地主神として祀られ崇敬されてきました。八幡神が祀られた8年後の天平5年の733年の神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は比売大神を祀りしました。

  • 三之御殿は神託により弘仁14年の823年に建立されました。応神天皇の母の神功皇后を祀っています。バスガイドさんから「神社」と「神功」の違いについて説明がありました。「神宮」「神社」の名称は神社名に付される称号で社号といいます。「神宮」は皇祖を祀る霧島神宮や鹿児島神宮、また天皇や後続を祀っている平安神宮や明治神宮に限られます。

    三之御殿は神託により弘仁14年の823年に建立されました。応神天皇の母の神功皇后を祀っています。バスガイドさんから「神社」と「神功」の違いについて説明がありました。「神宮」「神社」の名称は神社名に付される称号で社号といいます。「神宮」は皇祖を祀る霧島神宮や鹿児島神宮、また天皇や後続を祀っている平安神宮や明治神宮に限られます。

  • 「神橋」のたもとには淡い緑色の桜「御衣黄(ぎょいこう)」が咲いていました。<br />「御衣黄」は大島桜系のサクラで、ソメイヨシノ後に咲くそうです。花が開いたときには緑色ですが、次第に緑色は薄れて黄緑色から黄色になり、やがて中心部が筋状に赤くなるそうです。花の色が高貴な貴族の衣裳のイメージから、「御衣黄」の名前がついたそうです。今年は各地の桜の開花が2週間ほど早かったお陰で見ることが出来ました。

    「神橋」のたもとには淡い緑色の桜「御衣黄(ぎょいこう)」が咲いていました。
    「御衣黄」は大島桜系のサクラで、ソメイヨシノ後に咲くそうです。花が開いたときには緑色ですが、次第に緑色は薄れて黄緑色から黄色になり、やがて中心部が筋状に赤くなるそうです。花の色が高貴な貴族の衣裳のイメージから、「御衣黄」の名前がついたそうです。今年は各地の桜の開花が2週間ほど早かったお陰で見ることが出来ました。

  • 寄藻川(よりもがわ)の「神橋」を越えて神域に入ります。他にも屋根の付いた「呉橋(くれはし)」がありますが、時間が無くて見ることが出来ませんでした。呉の国の人が掛けたというのが名前の由来ですが、現在も中国の少数民族のトン族は風雨橋という同じような橋を村の入り口に架けています。

    寄藻川(よりもがわ)の「神橋」を越えて神域に入ります。他にも屋根の付いた「呉橋(くれはし)」がありますが、時間が無くて見ることが出来ませんでした。呉の国の人が掛けたというのが名前の由来ですが、現在も中国の少数民族のトン族は風雨橋という同じような橋を村の入り口に架けています。

  • 表参道の入口に建つ大きな「宇佐鳥居」が見えてきました。鳥羽天皇の治める平安時代中期の1111年に創建され、その後の1600年の関ヶ原の合戦の後に豊前国中津の藩主となった細川忠興や細川氏肥後転封の後、入国した松平重直の子の直次などが改修を加えました。昭和9年の室戸台風により木造の大鳥居が倒壊し、その後の昭和12年の昭和大造営によって現在のコンクリートで造られた大鳥居が建立されました。

    表参道の入口に建つ大きな「宇佐鳥居」が見えてきました。鳥羽天皇の治める平安時代中期の1111年に創建され、その後の1600年の関ヶ原の合戦の後に豊前国中津の藩主となった細川忠興や細川氏肥後転封の後、入国した松平重直の子の直次などが改修を加えました。昭和9年の室戸台風により木造の大鳥居が倒壊し、その後の昭和12年の昭和大造営によって現在のコンクリートで造られた大鳥居が建立されました。

  • 先回りしたバスガイドさんが待っていてくれて写真を撮ってくださいました。

    先回りしたバスガイドさんが待っていてくれて写真を撮ってくださいました。

  • 鳥居の手前には「黒男神社」があります。祭神は武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)です。武内宿禰は景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、5代の天皇に240余年もの間大臣として仕えたと伝えられます。数多くの功労があり、忠誠を尽くされたことをもって祀られています。先の「暗黒神話」にも竹内老人という名前で武内宿禰が重要な役割をしています。

    鳥居の手前には「黒男神社」があります。祭神は武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)です。武内宿禰は景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、5代の天皇に240余年もの間大臣として仕えたと伝えられます。数多くの功労があり、忠誠を尽くされたことをもって祀られています。先の「暗黒神話」にも竹内老人という名前で武内宿禰が重要な役割をしています。

    宇佐神宮 黒男神社 寺・神社・教会

  • 30数年前に祖母と叔母と大山崎の妙喜庵さんと桂離宮を観に行ったことがあります。御殿の中も見せていただいたのですっかり遅くなってしまったのですが、お昼は「中村軒」さんにご用意いただいていました。ちょうど端午の節句の前で、中村軒さんには古い人形が飾られていました。応神天皇と武内宿禰を見て、5代の天皇に仕えた話をすると祖母から「あんたはおじいさんに似てへんなことに詳しいなぁ。」と言われましたが、最高の賛辞に思えました。

    30数年前に祖母と叔母と大山崎の妙喜庵さんと桂離宮を観に行ったことがあります。御殿の中も見せていただいたのですっかり遅くなってしまったのですが、お昼は「中村軒」さんにご用意いただいていました。ちょうど端午の節句の前で、中村軒さんには古い人形が飾られていました。応神天皇と武内宿禰を見て、5代の天皇に仕えた話をすると祖母から「あんたはおじいさんに似てへんなことに詳しいなぁ。」と言われましたが、最高の賛辞に思えました。

  • 「宇佐神宮」の見学は10時30分から1時間なので先を急がないと戻ってこれません。大鳥居の横にある「宝物館」の見学などは最初から諦めています。

    「宇佐神宮」の見学は10時30分から1時間なので先を急がないと戻ってこれません。大鳥居の横にある「宝物館」の見学などは最初から諦めています。

  • 「祓所(はらえど)」<br />参道の突き当りには「祓所」と呼ばれる空間があります。ここはその名の通り勅使奉幣祭をはじめ大祓式などの祭典の祓の儀を行う場所です。宗教は違いますが、バリ島のバリ・ヒンドゥーの聖地の泉を思い出すようなスピリチュアルな雰囲気を感じました。

    「祓所(はらえど)」
    参道の突き当りには「祓所」と呼ばれる空間があります。ここはその名の通り勅使奉幣祭をはじめ大祓式などの祭典の祓の儀を行う場所です。宗教は違いますが、バリ島のバリ・ヒンドゥーの聖地の泉を思い出すようなスピリチュアルな雰囲気を感じました。

    宇佐神宮 大元神社遙拝所 寺・神社・教会

  • 別府を出て「宇佐神宮」に着くときから小雨がぽつぽつと落ち始めましたが、カンカンの天気よりも厳かな感じがして良かったと思います。「三ノ鳥居」からは階段が続いています。宇佐鳥居は屋根のような笠木がそり上がり、額束がなく、柱の上部に黒い台輪を置くのが特徴です。この形式は宇佐古来のものであり、朱色は厄除けや魔除けの意味合いがあります。この黒い台輪はこの後のバス移動で通りがかった神社でも見ることが出来ます。

    別府を出て「宇佐神宮」に着くときから小雨がぽつぽつと落ち始めましたが、カンカンの天気よりも厳かな感じがして良かったと思います。「三ノ鳥居」からは階段が続いています。宇佐鳥居は屋根のような笠木がそり上がり、額束がなく、柱の上部に黒い台輪を置くのが特徴です。この形式は宇佐古来のものであり、朱色は厄除けや魔除けの意味合いがあります。この黒い台輪はこの後のバス移動で通りがかった神社でも見ることが出来ます。

  • 「奉納酒樽」<br />献酒を見るとどうしても銘柄が気になってしまいます。昨日行った臼杵や、ここ国東や玖珠、中津、地元の宇佐の酒が並んでいます。下に並んだ瓶は一升瓶ではなくてその10倍の一斗瓶です。

    「奉納酒樽」
    献酒を見るとどうしても銘柄が気になってしまいます。昨日行った臼杵や、ここ国東や玖珠、中津、地元の宇佐の酒が並んでいます。下に並んだ瓶は一升瓶ではなくてその10倍の一斗瓶です。

  • 台湾からの添乗員さんが「夫婦石」の説明をされていました。つい先日台湾へ行ってきたばかりなので、親近感が湧いてしまいます。・

    台湾からの添乗員さんが「夫婦石」の説明をされていました。つい先日台湾へ行ってきたばかりなので、親近感が湧いてしまいます。・

  • 「夫婦石」は若宮神社の手前の参道にある似たような三角形の石が2つ並んだものです。2つの石が寄り添うように並ぶことから縁起が良いといわれ、サイズも他の石より大きめで見つけやすいです。夫婦やカップルは手をつないで左右の石を一緒に踏むと幸せになれます。

    「夫婦石」は若宮神社の手前の参道にある似たような三角形の石が2つ並んだものです。2つの石が寄り添うように並ぶことから縁起が良いといわれ、サイズも他の石より大きめで見つけやすいです。夫婦やカップルは手をつないで左右の石を一緒に踏むと幸せになれます。

    宇佐神宮 夫婦石 寺・神社・教会

  • ようやく「西大門」が見えてきたと思ったら工事用のシートに印刷されたものでした。

    ようやく「西大門」が見えてきたと思ったら工事用のシートに印刷されたものでした。

  • 「上宮」の主祭神は「一之御殿」は八幡大神の 誉田別尊(応神天皇)、「二之御殿」は比売大神の宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)とし、「三之御殿」は神功皇后の息長足姫命になります。本殿は3棟が1列に並んで、切り妻、平入りの建物が前後に2棟並ぶ「八幡造」と呼ばれる建築様式をしています。奥殿を「内院」、前殿を「外院」と呼び、祭神が昼は外院に出てこられ、夜は内院でお休みになるような独特の造りになっています。

    「上宮」の主祭神は「一之御殿」は八幡大神の 誉田別尊(応神天皇)、「二之御殿」は比売大神の宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)とし、「三之御殿」は神功皇后の息長足姫命になります。本殿は3棟が1列に並んで、切り妻、平入りの建物が前後に2棟並ぶ「八幡造」と呼ばれる建築様式をしています。奥殿を「内院」、前殿を「外院」と呼び、祭神が昼は外院に出てこられ、夜は内院でお休みになるような独特の造りになっています。

  • 主神「一之御殿」に祀られている八幡大神の応神天皇ですが、本殿で主神の位置である中央に配置されているのは比売大神でした。参拝も作法は「片参り」にならないように「上宮」「下宮」ともにお参りします。左の「一之御殿」、中央の「二之御殿」、右の「三之御殿」の順に参拝します。そして「二拝四拍手一拝」します。

    主神「一之御殿」に祀られている八幡大神の応神天皇ですが、本殿で主神の位置である中央に配置されているのは比売大神でした。参拝も作法は「片参り」にならないように「上宮」「下宮」ともにお参りします。左の「一之御殿」、中央の「二之御殿」、右の「三之御殿」の順に参拝します。そして「二拝四拍手一拝」します。

  • 願掛けの瓢箪の絵馬が奉納されていました。これは「三之御殿」の祭神である神功皇后が我が子である応神天皇に瓢箪に入れた自身の母乳を与えたことに由来します。

    願掛けの瓢箪の絵馬が奉納されていました。これは「三之御殿」の祭神である神功皇后が我が子である応神天皇に瓢箪に入れた自身の母乳を与えたことに由来します。

  • 「南中楼門(勅使門)」は入母屋造檜皮葺の神宮内郭の南正門で、通常は開くことはありません。皇族や勅使が参拝する正門として造られ、「上宮」の正面に配置され樓門を中心に回廊が巡らされています。

    「南中楼門(勅使門)」は入母屋造檜皮葺の神宮内郭の南正門で、通常は開くことはありません。皇族や勅使が参拝する正門として造られ、「上宮」の正面に配置され樓門を中心に回廊が巡らされています。

    宇佐神宮本殿 名所・史跡

  • 「神木大楠」は高さ約30メートル、幹まわり約5メートルの風格ある御神木です。

    「神木大楠」は高さ約30メートル、幹まわり約5メートルの風格ある御神木です。

  • 「南中楼門(勅使門)」は寛保2年の1742年に再建されたもので、明治8年の1875年と昭和15年の1940年にそれぞれ修理が行われましたが、東西回廊並びに申殿ともに経年劣化により屋根の檜皮が腐朽され、門の塗装の退色も著しくなっています。

    「南中楼門(勅使門)」は寛保2年の1742年に再建されたもので、明治8年の1875年と昭和15年の1940年にそれぞれ修理が行われましたが、東西回廊並びに申殿ともに経年劣化により屋根の檜皮が腐朽され、門の塗装の退色も著しくなっています。

  • 「百段」と呼ばれる急な石段がありましたが閉鎖されていました。

    「百段」と呼ばれる急な石段がありましたが閉鎖されていました。

  • 雨のせいか参拝する人の姿も少ないように思えました。

    雨のせいか参拝する人の姿も少ないように思えました。

  • 「上宮」の参拝を済ませて時間も無くなってきたので「下宮」に向かいます。

    「上宮」の参拝を済ませて時間も無くなってきたので「下宮」に向かいます。

  • 「若宮神社」は宇佐神宮の摂社で、大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、大葉枝皇子(おおばえのみこ)・小葉枝皇子(こばえのみこ)・隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)・雌鳥皇女(めどりのひめみこ)の五柱の神々が祀られています。これらの神々は宇佐神宮の主祭神である八幡大神として崇められる第15代天皇「応神天皇」の若宮(子女)であり、その中の1人の大鷦鷯命は応神天皇のあとを継ぎ、第16代天皇となった「仁徳天皇」のことです。現在の社殿は江戸時代末期の1843年に再建され、平成21年の2009年に修繕されています。

    「若宮神社」は宇佐神宮の摂社で、大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、大葉枝皇子(おおばえのみこ)・小葉枝皇子(こばえのみこ)・隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)・雌鳥皇女(めどりのひめみこ)の五柱の神々が祀られています。これらの神々は宇佐神宮の主祭神である八幡大神として崇められる第15代天皇「応神天皇」の若宮(子女)であり、その中の1人の大鷦鷯命は応神天皇のあとを継ぎ、第16代天皇となった「仁徳天皇」のことです。現在の社殿は江戸時代末期の1843年に再建され、平成21年の2009年に修繕されています。

    宇佐神宮 若宮神社 寺・神社・教会

  • イチイガシやクスノキを主体とした常緑広葉樹林が広がる社叢(しゃそう)と呼ばれる鬱蒼とした森へ下っていきます。この先に「下宮」があります。

    イチイガシやクスノキを主体とした常緑広葉樹林が広がる社叢(しゃそう)と呼ばれる鬱蒼とした森へ下っていきます。この先に「下宮」があります。

  • ここにきてとうとう雨が降り出しました。社叢の森はしっとりとした雰囲気に包まれています。脇道にあたる「下宮」への道へ降りてくる人の姿も少ないようです。

    ここにきてとうとう雨が降り出しました。社叢の森はしっとりとした雰囲気に包まれています。脇道にあたる「下宮」への道へ降りてくる人の姿も少ないようです。

  • 太鼓橋の先に「下宮」の鳥居が見えてきました。

    太鼓橋の先に「下宮」の鳥居が見えてきました。

  • 「下宮」は「上宮」建立から100年後の平安時代の初期に嵯峨天皇の勅願により創建されました。古くは御炊殿(みけでん)といわれ、神前にお供えする食事を作る場所でした。

    「下宮」は「上宮」建立から100年後の平安時代の初期に嵯峨天皇の勅願により創建されました。古くは御炊殿(みけでん)といわれ、神前にお供えする食事を作る場所でした。

  • 農業や漁業をはじめとする産業一般の発展を守る神として、「上宮」と同様に八幡大神、比売大神、神功皇后の三柱が祀られており、宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」といわれて親しまれました。

    農業や漁業をはじめとする産業一般の発展を守る神として、「上宮」と同様に八幡大神、比売大神、神功皇后の三柱が祀られており、宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」といわれて親しまれました。

  • 「上宮」は国家の神として、「下宮」は民衆の神として、皇室をはじめ国民より篤い崇敬を集めてきました。かつて「上宮」は身分の高い者しか参拝できなかったため、「下宮」が庶民の参拝する場所となり、このような違いが生まれた言わます。このように同じ神様を祀る社が2つある神社は全国でも珍しいようです。

    「上宮」は国家の神として、「下宮」は民衆の神として、皇室をはじめ国民より篤い崇敬を集めてきました。かつて「上宮」は身分の高い者しか参拝できなかったため、「下宮」が庶民の参拝する場所となり、このような違いが生まれた言わます。このように同じ神様を祀る社が2つある神社は全国でも珍しいようです。

  • 「士短期や」の参拝を終えて参道を戻ります。

    「士短期や」の参拝を終えて参道を戻ります。

  • 先ほど潜った鳥居も出戻ってきたことになります。

    先ほど潜った鳥居も出戻ってきたことになります。

  • この看板はインパクトがありました。「神様と仏様、日本で最初に出会ったのは、この場所でした」というコピーも良いです。奈良時代の日本は中国の唐に倣って律令国家の建設を進めていましたが、東北の蝦夷(えみし)と南九州の隼人はその中に組み込まれることに強く抵抗しました。8世紀のはじめころに起きた隼人の反乱を制圧するため八幡神を神輿に乗せ、宇佐の人々も参加されました。「放生会」は隼人との戦いで殺生の罪を悔いた八幡神が、仏教に救いを求めたことに起因しています。これを契機に宇佐での神と仏が習合した先進的な思想が成立しました。

    この看板はインパクトがありました。「神様と仏様、日本で最初に出会ったのは、この場所でした」というコピーも良いです。奈良時代の日本は中国の唐に倣って律令国家の建設を進めていましたが、東北の蝦夷(えみし)と南九州の隼人はその中に組み込まれることに強く抵抗しました。8世紀のはじめころに起きた隼人の反乱を制圧するため八幡神を神輿に乗せ、宇佐の人々も参加されました。「放生会」は隼人との戦いで殺生の罪を悔いた八幡神が、仏教に救いを求めたことに起因しています。これを契機に宇佐での神と仏が習合した先進的な思想が成立しました。

  • 神亀2年725)年に宇佐宮を現在の小倉山に移した際、東方の日足の地に弥勒禅院を建立しています。この事業には聖武天皇の大きな援助がありました。初代の別当には虚空蔵寺の法蓮がなったとも伝えています。以後の弥勒寺は宇佐宮とともに、神仏習合の歴史を続けることになります。現在の神宮庁や参集殿などがある正参道の西側は、弥勒寺の境内でした。これから国東半島を巡るには神仏習合は重要な鍵になってきます。

    神亀2年725)年に宇佐宮を現在の小倉山に移した際、東方の日足の地に弥勒禅院を建立しています。この事業には聖武天皇の大きな援助がありました。初代の別当には虚空蔵寺の法蓮がなったとも伝えています。以後の弥勒寺は宇佐宮とともに、神仏習合の歴史を続けることになります。現在の神宮庁や参集殿などがある正参道の西側は、弥勒寺の境内でした。これから国東半島を巡るには神仏習合は重要な鍵になってきます。

  • 参道で友人たちのお土産に「宇佐飴」を買い求めました。宇佐神宮名物の土産菓子で、麦芽ともち米で作った水飴を練った飴です。宇佐神宮の祭神である神功皇后が、同じく祭神である皇子の応神天皇(八幡大神)を育てる際に、母乳の代わりに与えた御乳飴であるとする由緒が伝えられています。先ほどは瓢箪でしたが、どちらが正しいかは分かりません。

    参道で友人たちのお土産に「宇佐飴」を買い求めました。宇佐神宮名物の土産菓子で、麦芽ともち米で作った水飴を練った飴です。宇佐神宮の祭神である神功皇后が、同じく祭神である皇子の応神天皇(八幡大神)を育てる際に、母乳の代わりに与えた御乳飴であるとする由緒が伝えられています。先ほどは瓢箪でしたが、どちらが正しいかは分かりません。

    宇佐神宮仲見世通り 名所・史跡

  • 天気は下り坂のようで沸き立つようだった霧は低く垂れこめる雨雲に変わっています。

    天気は下り坂のようで沸き立つようだった霧は低く垂れこめる雨雲に変わっています。

  • 大分は竹工芸もまた古い歴史を持ち、伝説では12代の景行天皇が九州熊(くまそ)の征伐の帰りに別府に立ち寄った際に、伴の膳伴(台所方)が良質のシノダケの多いことを発見し、メゴ(茶碗かご)をつくったことが「日本書紀」の景行記に書かれているそうです。竹の葉は1年で生え変わりますが、5月から6月に黄色く色づいて落葉します。竹にとっての春は芽吹きの季節ではなく、「竹の秋」は春の季語、「竹の春」は秋の季語になります。

    大分は竹工芸もまた古い歴史を持ち、伝説では12代の景行天皇が九州熊(くまそ)の征伐の帰りに別府に立ち寄った際に、伴の膳伴(台所方)が良質のシノダケの多いことを発見し、メゴ(茶碗かご)をつくったことが「日本書紀」の景行記に書かれているそうです。竹の葉は1年で生え変わりますが、5月から6月に黄色く色づいて落葉します。竹にとっての春は芽吹きの季節ではなく、「竹の秋」は春の季語、「竹の春」は秋の季語になります。

  • 「宇佐神宮」から次の「富貴寺」まではバスで30分ほどの移動です。

    「宇佐神宮」から次の「富貴寺」まではバスで30分ほどの移動です。

  • 「富貴寺」にはある「富貴寺大堂(ふきじおおどう)」は、近畿地方以外に所在する数少ない平安建築の1つとして貴重な存在であり、1952年に国宝に指定されています。内部には当時の絵が残されていますが、雨の日は湿度の関係で扉が開けられないとガイドさんから聞かされていました。

    「富貴寺」にはある「富貴寺大堂(ふきじおおどう)」は、近畿地方以外に所在する数少ない平安建築の1つとして貴重な存在であり、1952年に国宝に指定されています。内部には当時の絵が残されていますが、雨の日は湿度の関係で扉が開けられないとガイドさんから聞かされていました。

  • 到着の前に「電話で確認したところ、残念ながら本日は雨のために外観だけの見学になるとのことです。」とのことことです。文化財保護ですから仕方ありません。

    到着の前に「電話で確認したところ、残念ながら本日は雨のために外観だけの見学になるとのことです。」とのことことです。文化財保護ですから仕方ありません。

    富貴寺(大分県豊後高田市) 寺・神社・教会

  • 古い石段をかなり上ってもまだ山門には着きません。

    古い石段をかなり上ってもまだ山門には着きません。

  • 「富貴寺」のある国東半島は神仏習合の信仰形態を持つ「宇佐神宮」と関係の深い土地であり、古くから仏教文化が栄えていました。「富貴寺」は国東半島の多くの寺と同様に養老2年の718年に仁聞の開創と伝えられます。仁聞はほとんど伝説中の人物で確かな事績は不明だが、国東半島の六つの郷(武蔵、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ))に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれます。

    「富貴寺」のある国東半島は神仏習合の信仰形態を持つ「宇佐神宮」と関係の深い土地であり、古くから仏教文化が栄えていました。「富貴寺」は国東半島の多くの寺と同様に養老2年の718年に仁聞の開創と伝えられます。仁聞はほとんど伝説中の人物で確かな事績は不明だが、国東半島の六つの郷(武蔵、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ))に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれます。

  • 国東半島一帯にある仁聞関連の寺院を総称して「六郷山」または「六郷満山」と呼びます。平安時代後期には天台宗となり、六郷山の寺院も比叡山延暦寺の末寺となります。

    国東半島一帯にある仁聞関連の寺院を総称して「六郷山」または「六郷満山」と呼びます。平安時代後期には天台宗となり、六郷山の寺院も比叡山延暦寺の末寺となります。

  • 天正年間のキリシタン大名の大友宗麟の時代に多くの仏教寺院が破壊されましたが、「富貴寺大堂」は難を免れ、平安期の阿弥陀堂の姿を今に伝えています。

    天正年間のキリシタン大名の大友宗麟の時代に多くの仏教寺院が破壊されましたが、「富貴寺大堂」は難を免れ、平安期の阿弥陀堂の姿を今に伝えています。

  • 富貴寺の大堂の別称「安養閣」の扁額が山門に掲げられていました。

    富貴寺の大堂の別称「安養閣」の扁額が山門に掲げられていました。

  • 磨崖仏や国東塔、板碑や石殿や五輪塔など、ありとあらゆる石造美術の宝庫として名高い国東半島ですが、これらには当然その作者としての石工たちが存在しており、江戸時代中期には豊後高田市に数多くの石工集団があったようです。

    磨崖仏や国東塔、板碑や石殿や五輪塔など、ありとあらゆる石造美術の宝庫として名高い国東半島ですが、これらには当然その作者としての石工たちが存在しており、江戸時代中期には豊後高田市に数多くの石工集団があったようです。

  • なかでも田染の石工手段のルーツは南北朝時代にまでさかのぼるといわれ、大分県で最も古い石工とされます。豊後高田市内の石造仁王像は全71カ所138体が残されているとのことです。<br />豊後高田市の仁王像:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/news/2545/

    なかでも田染の石工手段のルーツは南北朝時代にまでさかのぼるといわれ、大分県で最も古い石工とされます。豊後高田市内の石造仁王像は全71カ所138体が残されているとのことです。
    豊後高田市の仁王像:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/news/2545/

  • さらに階段を上がったところに角塔婆(かくとうば)が目に留まり、びっくりしました。その先には「富貴寺大堂」が美しい姿を見せています。何となく高野山を思い出させます。

    さらに階段を上がったところに角塔婆(かくとうば)が目に留まり、びっくりしました。その先には「富貴寺大堂」が美しい姿を見せています。何となく高野山を思い出させます。

  • この地には高さ970丈もある榧(かや)の大木があったそうです。その影は数里を越え、朝は河内の塔御堂、夕には田原の釜割まで届いたそうです。竹田番匠がこの榧の木の一本木で「富貴寺大堂」を造り、仏像を刻んだといわれます。

    この地には高さ970丈もある榧(かや)の大木があったそうです。その影は数里を越え、朝は河内の塔御堂、夕には田原の釜割まで届いたそうです。竹田番匠がこの榧の木の一本木で「富貴寺大堂」を造り、仏像を刻んだといわれます。

  • 「笠塔婆」は塔婆の一種で,角柱状または板状の塔身に屋根(笠)をのせたものです。塔身には種子(しゆじ)が刻まれています。

    「笠塔婆」は塔婆の一種で,角柱状または板状の塔身に屋根(笠)をのせたものです。塔身には種子(しゆじ)が刻まれています。

  • 野手溢れた境内の庭には苔むした可愛らしい「五輪塔」が結界のように並べられています。

    野手溢れた境内の庭には苔むした可愛らしい「五輪塔」が結界のように並べられています。

  • 「富貴寺大堂」は現存する九州最古の木造建築物で、平泉の「中尊寺金色堂、」宇治の「平等院鳳凰堂」とならび日本三阿弥陀堂に数えられているそうです。偶然にもこの2年間でその3つを参拝することが出来ました。屋根に使われている行基瓦葺はこの寺以外には奈良の「元興寺」の極楽堂と、兵庫県有馬の「浄土寺」でしか使われていないそうです。

    「富貴寺大堂」は現存する九州最古の木造建築物で、平泉の「中尊寺金色堂、」宇治の「平等院鳳凰堂」とならび日本三阿弥陀堂に数えられているそうです。偶然にもこの2年間でその3つを参拝することが出来ました。屋根に使われている行基瓦葺はこの寺以外には奈良の「元興寺」の極楽堂と、兵庫県有馬の「浄土寺」でしか使われていないそうです。

  • 若い頃に奈良の「二月堂」の修二会の韃靼の法要を堂内で見られる機会がありました。父と待ち合わせをしていたのですが、父は「元興寺」の住職と寿司屋で酔っ払っていて、危うく見られなくなるところでした。そんなことを思い出すとともに何か縁のようなものも感じました。

    若い頃に奈良の「二月堂」の修二会の韃靼の法要を堂内で見られる機会がありました。父と待ち合わせをしていたのですが、父は「元興寺」の住職と寿司屋で酔っ払っていて、危うく見られなくなるところでした。そんなことを思い出すとともに何か縁のようなものも感じました。

  • 平泉の「中尊寺金色堂、」宇治の「平等院鳳凰堂」と比べると規模も小さいように思えます。本尊の阿弥陀如来の周りには極楽浄土の様子が描かれ、4本のはいsらには胎蔵界曼陀羅の中心物が描かれ、外陣の小壁には東方薬師、南方釈迦、西方阿弥陀、北方弥勒が描かれています。天台宗寺院にしては浄土教色の強い建物で、大堂の正面の扉が開けられていたら極楽浄土を感じられたかもしれません。

    平泉の「中尊寺金色堂、」宇治の「平等院鳳凰堂」と比べると規模も小さいように思えます。本尊の阿弥陀如来の周りには極楽浄土の様子が描かれ、4本のはいsらには胎蔵界曼陀羅の中心物が描かれ、外陣の小壁には東方薬師、南方釈迦、西方阿弥陀、北方弥勒が描かれています。天台宗寺院にしては浄土教色の強い建物で、大堂の正面の扉が開けられていたら極楽浄土を感じられたかもしれません。

  • 板壁の絵も薄くはなっていますが、900年前に描かれたものがそのまま残っているということで、絵画という部門で重要文化財という指定を受けています。

    板壁の絵も薄くはなっていますが、900年前に描かれたものがそのまま残っているということで、絵画という部門で重要文化財という指定を受けています。

  • 境内には注連縄を張られた親睦が2本ありました。この銀杏は樹齢500年を数え、愛と死11月下旬から12月頭にかけては黄金色の絨毯が敷き詰められたようになるそうです。

    境内には注連縄を張られた親睦が2本ありました。この銀杏は樹齢500年を数え、愛と死11月下旬から12月頭にかけては黄金色の絨毯が敷き詰められたようになるそうです。

  • 「富貴寺大堂」と本尊の阿弥陀如来を造られた「榧木」も樹齢500年の親睦として祀られています。

    「富貴寺大堂」と本尊の阿弥陀如来を造られた「榧木」も樹齢500年の親睦として祀られています。

  • 「奥の院薬師岩屋」へ続く階段がありますが、時間の都合から割愛されます。

    「奥の院薬師岩屋」へ続く階段がありますが、時間の都合から割愛されます。

  • 「五輪塔」と雨に濡れたツワブキの葉が美しいです。富貴寺は古くは蕗浦阿弥陀寺と呼ばれ、現在の地名も蕗浦(ふきうら)でした。

    「五輪塔」と雨に濡れたツワブキの葉が美しいです。富貴寺は古くは蕗浦阿弥陀寺と呼ばれ、現在の地名も蕗浦(ふきうら)でした。

  • 「五輪塔群」五輪塔(ごりんとう)は主に供養塔や墓として使われる塔の一種で、五輪卒塔婆とも呼ばれます。インドや中国、朝鮮に遺物は存在しなく、日本では平安時代末期から供養塔や供養墓として多く見られるようになります。石造の五輪塔の形式は下の地輪は方形、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝珠型によって表されます。

    「五輪塔群」五輪塔(ごりんとう)は主に供養塔や墓として使われる塔の一種で、五輪卒塔婆とも呼ばれます。インドや中国、朝鮮に遺物は存在しなく、日本では平安時代末期から供養塔や供養墓として多く見られるようになります。石造の五輪塔の形式は下の地輪は方形、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝珠型によって表されます。

  • 「国東塔」は名前の通り国東半島を中心に分布する宝塔の一種です。一般の宝塔が台座が無いのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座からなる台座を持つのが外観上の最大の特徴です。

    「国東塔」は名前の通り国東半島を中心に分布する宝塔の一種です。一般の宝塔が台座が無いのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座からなる台座を持つのが外観上の最大の特徴です。

  • 「国東塔」の総数は約500基といわれ、その分布は大分県内北部から西部にも及び、約9割が国東半島に集中しています。先日熱海の「MOA美術館」で松永耳庵旧蔵の素晴らしい「国東塔」見たばかりでした。

    「国東塔」の総数は約500基といわれ、その分布は大分県内北部から西部にも及び、約9割が国東半島に集中しています。先日熱海の「MOA美術館」で松永耳庵旧蔵の素晴らしい「国東塔」見たばかりでした。

  • 「種子石」種子(しゅじ)は密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)のことをさします。

    「種子石」種子(しゅじ)は密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)のことをさします。

  • 「十王像」十王(じゅうおう)は道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官です。人間を初めとする全ての衆生はよほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日から七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌に順次十王の裁きを受けるという信仰があります。閻魔大王が有名ですが、本来は五七日(35日目)の裁判官にしかすぎません。

    「十王像」十王(じゅうおう)は道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官です。人間を初めとする全ての衆生はよほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日から七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌に順次十王の裁きを受けるという信仰があります。閻魔大王が有名ですが、本来は五七日(35日目)の裁判官にしかすぎません。

  • 「八臂弁財天(宇賀弁財天)」八本の腕(臂)のそれぞれに宝珠・剣・戟(げき)・鉤(かぎ)・輪宝・宝棒・弓・矢を持ち、頭上には宇賀神(うがじん)(蛇の体と年老いた男の顔をした姿の穀物神)を頂く宇賀弁財天の姿をしています。

    「八臂弁財天(宇賀弁財天)」八本の腕(臂)のそれぞれに宝珠・剣・戟(げき)・鉤(かぎ)・輪宝・宝棒・弓・矢を持ち、頭上には宇賀神(うがじん)(蛇の体と年老いた男の顔をした姿の穀物神)を頂く宇賀弁財天の姿をしています。

  • 正徳6年の1716年の年号と施主の名前も彫られているようです。湘南の「江の島」は八臂弁財天の聖地であったことを思い出しました。

    正徳6年の1716年の年号と施主の名前も彫られているようです。湘南の「江の島」は八臂弁財天の聖地であったことを思い出しました。

  • 「富貴寺大堂」の内部の参拝が出来なかったので、工事中の仮本堂で住職のお話を聞いて石段を下ります。我々のツアー以外に参拝者の姿もなく、しっとりとした「富貴寺」の参拝が出来ました。

    「富貴寺大堂」の内部の参拝が出来なかったので、工事中の仮本堂で住職のお話を聞いて石段を下ります。我々のツアー以外に参拝者の姿もなく、しっとりとした「富貴寺」の参拝が出来ました。

  • この日のお昼は自由昼食ですが、バス会社からの推奨は「榧の木」というお食事処です。ちゃんとした食事がとれるのはここしかありません。

    この日のお昼は自由昼食ですが、バス会社からの推奨は「榧の木」というお食事処です。ちゃんとした食事がとれるのはここしかありません。

  • バスの車内で事前にバスガイドさんからメニューを聞いて、予約だけはしてありました。混雑していてもバスツアーの参加者は優先的に席が確保されるわけです。

    バスの車内で事前にバスガイドさんからメニューを聞いて、予約だけはしてありました。混雑していてもバスツアーの参加者は優先的に席が確保されるわけです。

    榧の木 グルメ・レストラン

  • バスツアーは毎日催行されているのでこの看板は掛けたままのようです。

    バスツアーは毎日催行されているのでこの看板は掛けたままのようです。

  • バスガイドさんから受け取っていたカードをテーブルにおいて、料理が届くのを待ちます。雨模様で少し寒かったので大分の麦焼酎のお湯割りも注文しました。

    バスガイドさんから受け取っていたカードをテーブルにおいて、料理が届くのを待ちます。雨模様で少し寒かったので大分の麦焼酎のお湯割りも注文しました。

  • 「田舎定食」です。自家栽培の野菜や近隣で採れた山菜等を使った料理ばかりで、これで1,250円なのはリーズナブルだと思います。

    「田舎定食」です。自家栽培の野菜や近隣で採れた山菜等を使った料理ばかりで、これで1,250円なのはリーズナブルだと思います。

  • 自家製手延べの国東だんご汁は農水省認定の全国郷土料理百選に選ばれた大分県を代表する料理です。自家製手延べというのが嬉しいです。

    自家製手延べの国東だんご汁は農水省認定の全国郷土料理百選に選ばれた大分県を代表する料理です。自家製手延べというのが嬉しいです。

  • 野菜と山菜の煮付、刺身こんにゃく、酢の物、白和え、茶碗蒸し、そば豆腐、漬物が並びます。自家栽培の食材や地元で採れた野菜をたっぷり使い、蕗地区特産のブランド食材をとり入れた料理ばかりです。ご飯は大分県の推奨米の「ヒノヒカリ」で、産地は裏の田んぼというのは笑えます。

    野菜と山菜の煮付、刺身こんにゃく、酢の物、白和え、茶碗蒸し、そば豆腐、漬物が並びます。自家栽培の食材や地元で採れた野菜をたっぷり使い、蕗地区特産のブランド食材をとり入れた料理ばかりです。ご飯は大分県の推奨米の「ヒノヒカリ」で、産地は裏の田んぼというのは笑えます。

  • 美味しい麦焼酎のつまみには最高の料理でした。どれも美味しくて体に優しいなと思いました。

    美味しい麦焼酎のつまみには最高の料理でした。どれも美味しくて体に優しいなと思いました。

  • デザートに別注文した「やせうま」は小麦粉で練った団子に甘い黄粉をまぶしたものです。大分弁でおやつや小昼を意味する「こびれ」の代表的なものです。これも素朴で美味しかったです。かなりの量がありましたが、これで350円。

    デザートに別注文した「やせうま」は小麦粉で練った団子に甘い黄粉をまぶしたものです。大分弁でおやつや小昼を意味する「こびれ」の代表的なものです。これも素朴で美味しかったです。かなりの量がありましたが、これで350円。

  • 周囲はこんな桃源郷のような場所でした。お昼を食べた後はまだまだ国東半島の旅が続きます。

    周囲はこんな桃源郷のような場所でした。お昼を食べた後はまだまだ国東半島の旅が続きます。

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2023別府の旅

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