2023/04/07 - 2023/04/07
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/04/07
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榧の木で郷土料理をいただいた後、バスはさらに国東半島の旅を続けます。ツアーの立ち寄り先と立ち寄り先の間にも小さな摩崖仏や神社があり、その都度バスは徐行したり停車してくれます。そしてバスガイドさんが説明をしてくださいます。これは本当に価値があり、国東半島について深く知ることが出来たと思います。「元宮摩崖仏」や「金毘羅宮(田染元宮八幡社)」などに立ち寄りながら先に進みます。菜の花畑を越えた先の「真木本堂」でバスを降り、ここでは下車観光があります。宇佐の国東半島は宇佐神宮の八幡信仰と古代仏教とが融合した「神仏習合」が今も残る地でもあります。平安時代から中世にかけて半島には来縄(くなわ)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、武蔵(むさし)、国東(くにさき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、山あいには天台宗と結び付いた65ヶ寺ともいわれる数多くの寺院が作られ、これらは総称して「六郷満山」と呼ばれて独特な仏教文化が花開きました。ツアーバスの側面にも大きく「六郷満山」の文字が書かれてあります。「真木大堂」は六郷満山本山本寺8ヶ寺の1つとして36坊を有し、六郷満山寺院最大の寺院であった馬城山伝乗寺として今も多くの仏像を守り続けています。堂内には素晴らしい仏像が並び、その中でも牛の背に乗った「木造大威徳明王像」が心に残りました。像も素晴らしいのですが、境内の一部には古い石塔や版などが集められ、屋外博物館のようになっています。国東塔や庚申塔の素晴らしいものが並んでいました。バスは山中に差し掛かり「熊野摩崖仏」の見学になりますが、これが思っていた以上に険しい山中にあります。妻は最初からあきらめて売店に残りましたが、お昼に焼酎のお湯割りなど飲まなければ良かったと思うほどです。ですが、登り切った先にあった摩崖仏は素晴らしかったです。バスはまだまだ山中を走り、「財前墓地」の近くまで行きます。ここでは下車はしませんが、女優の財前直見の実家がここであったと初めて知りました。最後に「両子寺」に立ち寄ります。仁王像と記念写真を撮った後は石段をあがり、本堂まで行って自由時間になります。妻はここへ残り先の奥の院まで足を延ばしましたが、素晴らしい佇まいでした。ここの見学を最後にバスは大分空港から別府を経由して大分まで戻ります。我々はこのまま東京へ戻るので、大分空港で下車しますが、その道中にも白石照山の生家や重光葵の家などについての説明がありました。大分空港で下車したのは我々2名と1名の男性だけで、先へ行く皆さんに手を振ってお別れします。その方とも瓶が違うので入り口でお別れして、時間を持て余します。まずはチェックインして身軽になり、手回りの荷物とタオルを持って足湯に向かいます。空港内に足湯があるのは嬉しい限りで、1日歩いて疲れた足を癒せました。展望デッキに出てみたりしながら、いい時間になったので最後の晩御飯もいただきました。滑走路越しの豊後水道は1月にフェリーで通過した時と同じような青さをたたえています。60歳を過ぎてもいろいろな経験をして、感動する力は残っているのだと思います。「大分名物満載 味力御膳」をいただいて、日の暮れた大分空港から東京へ戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス タクシー JALグループ JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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お昼を食べて午後の観光に移りますが、天気は相変わらずの雨模様です。バスはまず「真木本堂」に向かいます。かつて宇佐神宮の根本荘園として重要視された田染荘の景観は、千年以上経った現在もそのままの姿を残しています。平成22年に国の「重要文化的景観」に、翌23年には「ユネスコ未来遺産」にも認定されています。京の比叡山、東京の東叡山とともに日本三大叡山と言われる西叡山もこの辺りです。
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通りがかった「元宮摩崖仏」ではバスが停車してくれて、バスガイドさんが説明してくれます。八幡宮境内の奥の岩壁に半肉彫りで刻まれており、室町時代後期の作と伝えられています。
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向かって右から毘沙門天(多聞天)、矜羯羅(こんがら)童子、不動明王、持国天、地蔵菩薩が刻まれていますが、バスの中からなので細かいところまでは確認できません。矜羯羅とともに不動三尊の脇侍を形成する制?迦(せいたか)童子は残念ながら剥落しているようです。
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「金毘羅宮(田染元宮八幡社)」の境内西側には「神 光照天地」と刻まれた石柱があり、その傍には金比羅宮が鎮座します。江戸時代末期の慶応2年の1866年に建立の石造明神鳥居があります。
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通りを挟んだ鳥居を見比べてみると「宇佐神宮」の鳥居と同じように笠木がそり上がり柱の上部に台輪を置いています。このタイプの鳥居は神仏習合時代の古いタイプの鳥居だということです。
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仁王像が社殿の左手の参道を挟むようにして一対あり、本殿の左手の少し小高くなった所にもう一体仁王像があります。
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満開の菜の花畑を通過すると「真木本堂」はすぐです。
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「真木本堂」の前でバスを降りて全員で見学と参拝に向かいます。
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入り口にはこんな仁王像のようなご意見箱が置かれてあります。バスガイドさんによると、昔はこの箱の中に公衆電話が入っていたそうです。携帯電話の時代になって必要もなくなったのでここに置かれているそうです。
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「真木大堂」の名で知られる「馬城山伝乗寺(まきさんでんじょうじ)」は、国東半島に点在する天台宗の寺院と同様に、八幡神の化身であるとされる仁聞菩薩により養老2年の718年に開基されたと伝えられています。当時は六郷満山65ヶ寺のうち本山本寺8ヶ寺の1つとして36坊を有した六郷満山最大の寺院として、僧達が修行に励む長講所であったと伝えられます。
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長い間仏像を安置してあった「真木大堂旧堂」で江戸時代のものとされています。本尊他仏像は収蔵庫に移されていますが、正面には国東半島では極めて珍しい木造の仁王像が今も堂を護っています。
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仁王像の肩越しの朱塗りの扉には皇室の御紋章があります。これは今から約700年前の六郷満山寺院に対して鎌倉幕府から蒙古来襲の折に異国降伏の祈祷を行うよう指示がありました。
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国難を救うため馬城山伝乗寺では長期にわたり異国降伏の大祈祷が行われました。 そのおかげをもって、蒙古軍を退けた恩賞として弘安8年に将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜されたと伝えられます。
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「真木大堂旧堂」の裏側は「古代公園」がありました。国東半島には六郷満山文化の遺産として「国東塔」、「宝筐印塔(ほうきょういんとう」)、「庚申塔」、「五輪塔」、「板碑等多くの石造文化財が残されています。これらの文化財は半島全域の寺院や山岳地に散在して、手軽に観賞する事が出来ないので「真木大堂」の園地に遷仏しています。
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旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」や「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。
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三角屋根の上には右に日輪、左には月輪が見えます。中央には青面金剛と両脇には二童子の姿があります。
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足元には二羽の鶏と、見ざる言わざる聞かざるの三猿と四夜叉の姿があります。これらの庚申塔は庚申講を一定期間続けた記念として建立されたようです。
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多くは悪疫重複の青面金剛明王とその使いの三猿が一般的でした。四夜叉は青面金剛に従う四護法善神の夜叉で、名はそれぞれ毘陀羅(びだら)、阿跋摩羅(あばつまら)、犍陀羅(けんだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)です。
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青面金剛明王は唐の時代にインド密教の「マハーカーラ」の姿が一人歩きして中国に伝わり、ドクロの首飾りや蛇を巻き付けた怖しい姿から病気を流行らせる悪鬼と誤伝されて、「青面金剛」と命名されて病気平癒祈祷用に使われました。三眼の憤怒相で六臂のそれぞれの手に、三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持つ姿で表されます。
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「国東塔」についても詳しい図解がありました。国東塔(くにさきとう)は国東半島を中心に分布する宝塔の一種で、一般の宝塔が台座を持たないのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座の台座を持つのが外観上の最大の特徴です。
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「富貴寺」の住職も仰っていましたが、国東の寺院は寺だけでは食べて行けず、農業を兼業しなければならなかったようです。さらに廃寺することも多く、その寺にあった仏像や石塔などは残った他の寺に託されることが多いようです。ここに並ぶ石塔もそんな預けられたものなのかもしれません。
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「五輪塔」については昨年の妻の誕生日の旅行で宿泊した高野山でいろいろなことを学びました。五大(ごだい)にかたどった5種の部分からなる塔をいい、五輪卒と婆卒塔婆ともいいます。五大とは物質の構成要素である地、水、火、風、空のことであり、輪とはすべての徳を具備するという意味を持ちます。
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五輪とは地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称で、それぞれ方形、円形、三角形、半月形、宝珠(ほうしゅ)形に造られ、日本では平安時代のなかばごろから死者への供養塔あるいは墓標として用いられました。人間の五体は五輪からなり(五輪五体)、大日如来と等しいとみなされました。
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「板碑(いたび)」は主に供養塔として使われる石碑の一種で、板石卒塔婆や板石塔婆と呼ばれます。板状に加工した石材に梵字=種子(しゅじ)や被供養者名、供養年月日、供養内容を刻みました。
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「燈明石(拝み岩)」12の穴に油を入れて、燈明をあげて拝んでいた十二支燈明石です。
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「収蔵庫」には旧本堂から移された9体の仏像が安置されています。本尊の阿弥陀如来坐像を中心に四天王立像が囲んでいます。
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阿弥陀如来坐像は丈六の座像で桧材による寄木造りです。全面に布貼下地に肉身に漆箔、螺髪に群青、衣には朱が施されています。右手は施無畏印に左手は与願印の上品下生の印を結んでいます。
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不動明王は木造の不動明王としては日本一の大きさだそうです。脇には向かって右側に慈悲の矜羯羅(こんがら)同時と左側には制?迦(せいたか)童子が脇侍(きょうじ)として立っています。
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一番印象に残ったのが大威徳明王像です。仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊とされます。五大明王のなかで西方の守護者とされ、白牛にまたがる姿で表されます。
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6つの顔は「六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)」を隈なく見渡す役目を持ち、6本の腕は矛や長剣などの武器で法を守護し、6本の足は「六波羅蜜」(布施・自戒・忍辱・精進・禅定・知彗)を怠らずに歩み続ける決意を表します。また、この明王は頭上の3面をいただき、炎髪開口に牙を露出させ、火焔光背を負った大憤怒相をしています。
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再びバスに乗って「熊野摩崖仏」に向かいます。バスは山道に入り、周囲の景色は見えなくなってきます。
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駐車場からすぐに坂道が始まり、その先の山道を見た途端に妻は間倍物を見に行くのを諦めました。実際これは正解だったと思います。
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登り口で竹の杖を借りましたが、下りではこの杖が無かったら降りるのに時間がかかったと思います。
熊野磨崖仏 寺・神社・教会
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仁な沢沿いの道を延々と歩きます。ここでの自由時間は50分ほどなので片道20分もあれば登れるはずです。
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しばらく登ると今度は石段と石鳥居が見えてきました。
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この鳥居も神仏習合の時代の古いタイプの鳥居です。そしてその先の石段を見てしまうと絶望的な気分になります。
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磨崖仏に続く自然石を乱積みにした石段には鬼が積んだという伝承が残されています。 かつて集落対面の岩峰に見える洞穴に棲んでいたとされる鬼は村人たちを食らう悪い鬼でした。ある日、熊野権現は鬼の過ちを改めるため、熊野社に参拝するための石段を一夜で100段積み上げることができれば、今までの鬼の悪さを許すという約束をしました。鬼はその腕力でいとも簡単に石段を積み重ねていくので、驚いた熊野権現は鶏に変身して、コケコッコーと鳴きました。鬼は慌てて逃げ出し、杵築市山香の立石で力尽きたと言われています。
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ツアーの他の参加者は年配の女性ばかりでしたが、皆さん歩くのが早いこと。杖を持ってきて良かったと思うのと、妻を置いてきて良かったと思いながら必死に登りました。お昼に飲んだ焼酎のお湯割りが効いてきます。
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「不動明王二童子像」
向かって左に位置する高さ約8メートルの半身像は鎌倉時代の作とされ、安山岩質の礫混じりの硬い岩壁に造られたために彫り口がやや浅く、明王像ではありますが口元に柔和な笑みを浮かべているようにも見えます。左右両脇には高さ約3メートルの矜羯羅童子像、制多迦童子像の痕跡が認められます。 -
今回の旅では「臼杵石仏」とこの「熊野摩崖仏」を絶対に観たかったので、念願がかなった瞬間です。感動の対面と行きたいところですが、息が切れてシャッターを押す手も震えています。
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「大日如来像(如来形像)」
向かって右に位置する高さ約6.7メートルの半身像で、高さ約8メートルの壁龕(へきがん))の中に彫り出されています。螺髪等の造形的特徴からも、不動明王像よりも制作年代が古いようです。光背上部の種子曼荼羅は鎌倉時代になってからの追刻のようです。通常の大日如来像は髻を結って装身具を着けた菩薩形に造形されますが、この像は頭髪を螺髪としており、本来の像名は不明です。重要文化財指定名称にも「如来形(にょらいぎょう)像」となっています。 -
2体を参拝しても終わりではなく、ここからまだしばらく階段を上がることになります。さすがにここから引き返す方もいらっしゃいました。それくらい体力を消耗する石段です。まだ春先の涼しい季節で良かったと思います。バスガイドさんによると夏は蒸し暑くて汗だくになるそうです。
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「熊野権現熊野神社」まで登ってきました。ここが終点です。「熊野磨崖仏」と特別に呼ばれるのはこの神社があるからですが、神社と仏像という神仏習合の時代を考えてしまいます。
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古びて趣のある木造の本堂の裏手には小さな石仏が安置され、不思議な雰囲気が漂っています。宇佐神宮の八幡神の化身が磨崖仏を作ったと伝わるように、国東半島が神と仏の共存する神仏習合が発展した地だということを改めて感じる場所です。
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せっかくここまで来たので燈明を上げて、御線香も上げて両親や妻の名代で参拝します。
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ここからは下りの階段になりますが、雨で滑ってはいけないので杖を使った3点支持しながら下ります。ここで滑落しても誰も助けに来れないと思います。
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下りになると多少余裕が出てきて、摩崖仏を正面から見ることが出来ました。
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下から見上げるよりも正面から眺めた方が美しい顔立ちだと思えました。
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養老2年の718年に宇佐神宮の祭神「八幡神」の化身である仁聞菩薩が造立したという伝説も残り、いずれにしても国内最古にして最大級の磨崖仏です。
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自由時間の残りも少なくなってきましたが、慌ててけがをしても行けないので我ながらゆっくり降りたと思います。
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渓谷沿いには石が積まれ、手入れされた杉の木が植林されています。これだけの景色でもどれだけの年月と人の手が入っているのだろうかと考えてしまいます。
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ようやく天台宗「胎蔵寺」の屋根が見えてきました。その姿からも昔は茅葺きであったであろうことが想像できます。
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渓谷の石を渡って対岸の「胎蔵寺」側に渡ってみます。
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国東六郷満山霊場の1つである「胎蔵寺」は宝クジが良く当たるとメディアで紹介される有名な寺で、遠方から訪れる人や、高額当選者のお礼参りも多いそうです。住職がいる時に参ると地蔵を表す印のついた金色のシール状の護符がもらえるそうです。「いい種をまくといい結果が出る」ことから、シールを七福神や不動様に貼って参拝するそうです。黄金に輝く「宝くじ地蔵」にも触れながら祈願できるみたいです。
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摩崖仏を参拝してきたかのように颯爽と歩いていらっしゃいます。実際は下の売店でピーナッツを買っていただけです。豊後高田はピーナッツが名産のようで、安かったと喜んでいました。美味しかったらしいのですが、その後そのピーナッツを見ることはありませんでした。
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熊野摩崖仏を背にした集落の反対側には岩山が見えました。
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この洞窟に鬼が住んでいたとされます。天気は午後になってどんどん良くなり、晴れ間も見えてきました。
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バスは「真木大堂」方面に戻るように走ります。往路では反対側だった着物を着た花嫁の案山子の一団が見えました。先月の熊本の天草半島と言い、九州はこういった案山子をたくさん見かけます。
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「真木大堂」と菜の花畑を通過します。
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天気が良くなってきて、麦畑がより美しく輝き始めました。この麦が美味しい焼酎や味噌や醤油になるのでしょう。
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白髭田原神社も神仏習合時代の古いタイプの石鳥居が残っていました。この神社は秋の例大祭で参拝者に無病息災と長寿の印としてどぶろくを振る舞うそうです。
白髭田原神社 寺・神社・教会
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神社が建てられた1300年ほど前から続き、地域の人々に愛され各地から酒好きが集まるそうで、参拝をすれば何杯でも出来立てのおいしい「どぶろく」を味わえるそうです。
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「両子寺」へ向かう途中、バスは山道に差し掛かり、バスガイドさんから女優の財前直見についての話がありました。次に行くのが「財前家墓地」だということに気が付きました。そういえば以前にテレビで大分の実家で料理を作っている番組を見たことがありました。
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国東地方の豪族だった財前家の墓地は小野地区の高台にあり、3基の国東塔を中心に、国東塔15基、宝篋印塔2基、五輪塔70基、板碑14基の計101基の石塔と石碑が散在しているそうです。
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バスは停車してバスガイドさんが説明してくれますが、何とものどかで素晴らしい田園風景が続いています。
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畔道に犬が歩いているのかと思ったらタヌキでした。ここは豊後ですが動揺が頭に浮かんできます。
「あんたがたどこさ 肥後さ
肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ 船場(せんば)さ
船場山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉で ちょいとかぶせ」 -
女優の財前直見は財前家に繋がる家系の出で、NHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」でこの墓地を訪れているそうです。
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ツアーでは「財前家墓地」まで行くことはなく、見ることが出来るのはこの「六地蔵」だけです。現在に続く家のお墓をツアーで参拝するのも気が引けます。
財前家墓地 名所・史跡
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バスは最後の立ち寄り先の「両子寺(ふたごじ)」に着きました。天気は完全に回復して快晴の青空になりました。下の駐車場でバスを降りて、両子川に沿って寺に向かいます。
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参道には仁王像が並び、寺を護っています。杉木立からの木漏れ日がきれいです。雨上がりの気持ちよい参拝になりました。
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バスガイドさんが交代で記念写真を撮ってくださいました。一応仁王のポーズにしてみました。
両子寺 寺・神社・教会
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「旅行寺」は両子山中腹にある天台宗の寺院で、山号を足曳山と称し、本尊は大講堂の阿弥陀如来です。九州西国三十三箇所第六番、国東六郷満山霊場第十三番の寺院です。
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養老2年の718年に仁聞菩薩によって開創されたと伝えられる六郷満山の中山本寺で、修行の中心地として栄えました。江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総持院として満山を統括する立場にありました。
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山門に続く石段の両脇には江戸後期の作とされる国東半島最大級の石造の金剛力士像が立っています。仁王は総高245センチもあります。
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バスガイドさん曰く、腹筋を表現した石像や木像はあっても、脊髄をここまで表現した像は少ないとのことです。
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仁王像の足をさすると足腰が強くなるといわれていると聞いてはご利益にすがるしかありません。
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ようやく山門までたどり着きました。山門から先は杉木立から新緑の木々に変わります。
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特に放生池というわけではないようですが、小さな祠の置かれた池は神聖な雰囲気を感じました。
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我々はいつも「殿(しんがり)」を担当しています。軍が退却する時に軍列の最後尾で敵の追軍に備える軍のことで、元々「後駆(しりがり)」という字があてがわれていました。そういうとカッコいいですが、ただただ歩くのが遅いだけです。
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境内はシャクナゲの花がきれいに咲いていました。以前にゴールデンウィークに行った奈良の室生寺でもきれいだったなと思い出します。
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「護摩堂」まで登ってきました。ここで30分ほど自由時間になります。
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この奥に「奥の院」があり、そこまでは行けそうなので1人で先へ行ってみることにします。
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ここにも立派な「国東塔」がありました。相輪と傘の部分は降るそうですが、塔身のは奉納と書かれてあるので部分的に修復されたもののようです。
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両子川沿いに坂道を上がります。
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「鬼橋」を渡るタイミングで妻から声がかかり、写真を撮ってくれました。この後は駆け足で「奥の院」へ向かったのですが、同じように橋を渡ろうとした同じツアーのおばあさんが下の川に落ちてしまい大変だったのを後で知りました。
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「奥の院」へ向かいましが、午後の石段登りがここにきて足腰に効いてきます
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時間が無くても素通りできないので、苔むした仏さまに手を合わせます。
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両所大権現の額束のある石鳥居を潜ります。お寺の境内の奥に鳥居があるのも不思議ではなくなってきました。国東半島は比較的神仏分離には寛容だったようですが、神仏分離の時に一部寺内の人が「鳥居が寺にあるのはおかしい」と言い出して、この鳥居を壊したということがあったそうです。すると、当時の住職が急に亡くなったそうで、それを祟りと畏れて、あわてて鳥居を再建したそうです。
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子の国東塔は「両子寺崖上国東塔」と呼ばれるもので、背後の「板碑」には阿弥陀如来、観音菩薩と、勢至菩薩の「種子」の3文字が刻まれています。
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奥の院へ向かうと周囲は巨石が現れてきて、また違った聖域のようなものを感じます。
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30年前だったら絶対に登ったと思いますが、鎖を握る気にもなりませんでした。
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そのさきに「奥の院」が見えてきました。巨大な石の岩窟にせり出している木造の寺社を床下で貫と柱で支える構造になっており、山岳修行者が山の奥に入って発展した国東半島の六郷満山寺院に多く見られる建築様式です。
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京都の清水寺も同じ「懸造り(かけづくり)」という建築形式で建てられています。小学生の夏休みは京都の祖父母や伯母に預けられていましたが、清水の家に泊まると蒸し暑く、タライとタオルを持って音羽の滝で水浴びをしていました。当時は特に門もなく、地元の人は夜中でも境内に入れました。今でも音羽の滝の映像を見ると恥ずかしい気持ちが湧き上がってきます。
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「奥の院」の本尊の右側には男と女の双子の神様で「両所大権現」が鎮座しています。このお寺の名前である両子寺の由来も宇佐神宮に関わっていて、宇佐八幡には5人子供がいて、その中の2番目と3番目の男と女の双子の神様です。この大葉枝、小葉枝という双子の神様が宇佐八幡からこちらの山に下りられたことによって「両子(ふたご)山」と呼ばれるようになったということです。
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岩屋洞窟に入ってみます。誰もいないのでちょっと怖い気もします。壁には手彫りしたノミの跡が残っています。
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旅の最後が良い天気に恵まれて良かったです。そろそろ戻らないと集合時間に間に合いません。
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重要文化財に指定された「国東塔」がここにもありました。
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「奥の院」から先も杉木立が続いています。この先も「お山巡り」が出来るようですが、もう時間はありません。
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戻る途中に置かれてあった巨大な釜の意味が分かりませんでした。戻ってお寺の方に尋ねようと思っていたのですが、怪我をされた方がいたので聞けずじまいでした。
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「板碑」には上に阿弥陀如来、右下に観音菩薩、左下に勢至菩薩と書かれてあります。これで阿弥陀三尊だということが分かります。
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境内にはモクレンが蕾を着けています。天気も良いのであと数日で咲きそうな感じがします。
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春霞の両子山も見納めです。
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駐車場の片隅では桜が満開でした。ソメイヨシノは終わっているので別の種類だと思いますが、詳しくは分かりません。少し黄色がかった八重の美しい花でした。
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「両子寺」でツアーの観光地は全て終わり、バスは大分空港へ向かいます。車内ではバスガイドさんの説明は続きます。
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「豊後の三賢人」の1人の三浦梅園という方の生家がこの辺りだということです。逆光だったのでどの家までは確認できませんでした。三浦梅園は日本の江戸時代の思想家で自然哲学者ですが本職は医者だったそうです。
三浦梅園資料館 名所・史跡
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さらにガイドさんからこの辺りは重光葵(しげみつまもる)の生地の近くだと教えてもらいました。一番有名なのは太平洋戦争後の日本政府の全権として降伏文書に署名するという大役を引き受けたことで、東京湾上に停泊したアメリカ戦艦「ミズーリ」甲板上で行われた連合国への降伏文書調印式において、大本営代表の参謀総長梅津美治郎と共に日本全権として署名を行っています。
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大分空港でバスを降りたのは我々2人ともう1名の方だけでした。後は別府に戻る方、大分まで帰る方とそれぞれです。手を振って皆さんを見送り、JALのカウンターでチェックインします。そしてタオルを持って、同じフロアにある「足湯」に直行です。
大分空港「足湯」 温泉
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1日歩き疲れたのでザボンの入った香りのよい足湯は最高です。しばらくここでくつろぎました。
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フライトまで時間があるので展望デッキにも出てみました。
大分空港 空港
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ここからは東側に四国が見えるようですが、天気の良いこの日でも海しか見えませんでした。1月にはこの豊後水道を横須賀から乗ったフェリーで新門司港まで行ったことを思い出します。ちょうどこんな天気の同じような時間で、夕日がきれいだったのを覚えています。
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大分空港に隣接するホンダ・フライト・トレーニング・センターから「本田航空Diamond DA42 TwinStar」が滑走路に入っていきます。
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5月下旬には対岸の四国の海岸線を走る予定です。その時は九州側を眺めて何を想うのでしょう。
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「ビューレストラン スカイライン」で早めの晩御飯をいただくことにします。ハッピーアワーなので生ビールをジョッキでいただきます。
ビューレストラン スカイライン グルメ・レストラン
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「大分名物満載 味力御膳」というセットにしてみました。この4日間で食べてきた大分の旅を思い出す料理が詰まっています。今回も美味しい旅が出来ました。
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窓の外には「Diamond DA42 TwinStar」が右から左に流れていきます。
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タッチ&ゴーを何度も繰り返しています。スマホで写真を撮るだけでグーグルが機種まで全部教えてくれるので、便利な世の中になったものです。
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DHC8-Q400型機は、ANAグループ唯一のプロペラ機です。ここでお目にかかれるとは思いませんでした。時刻表を見てみると伊丹空港から大分空港へ飛んできたみたいです。
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辺りが暗くなった午後7時になって搭乗時間が来たと思いましたが、到着便が遅れているようで出発も遅れます。羽田発の最終のリムジンバスの時間が気になってきます。
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初めて利用した大分空港ともお別れです。次に来るのは宇宙へのフライトかと思いましたが、この旅の後に大分空港を水平型宇宙港として人工衛星の打ち上げを計画していたヴァージン・オービット社が破産申請してしまったので、また温泉に入りに来るしかなさそうです。
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座席は窓側でしたが、この時間では表の景色も楽しめません。
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20分遅れでしたが、無事に羽田空港に到着しました。
羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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最終の池袋行きのリムジンバスにも乗れて、無事に家にたどり着きました。荷物を片付ける間もなく次は山形庄内空港からの旅が始まります。
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旅行記グループ 2023別府の旅
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