2023/04/06 - 2023/04/06
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/04/06
この旅行記スケジュールを元に
「臼杵石仏」から臼杵駅へ戻るバスを少し手前の辻口でバスを降りました。これは駅構内の案内所の女性に教えてもらったことでした。お昼を予約した時間まで間があるので先に「稲葉家下屋敷・旧平井家」の見学を先にすることにします。この辺りも掘割があったり風情のある通りで、突き当りには「臼杵八坂神社」の大きな鳥居が見えます。反対側には「臼杵城跡」の高台が望めます。「稲葉家下屋敷」の門を潜り、受付で料金を支払って表玄関から中に入ります。妻の実家と家紋が同じなので表玄関で出迎えてもらいました。「稲葉家下屋敷」は明治の廃藩置県後に東京に住まいを移した旧藩主の稲葉家の里帰り用の屋敷です。書院造や玄関や門構えなど上級武家屋敷の風格漂う臼杵を代表する建築物です。上質な材をふんだんに使った屋敷は他に見学する人の姿もなく、母の実家に戻ってきたような気分で見学が出来ました。広大な庭園も散策することが出来、その庭先から奥に「旧平井家」の庭先へ行くことが出来ます。ここは藩士の住宅ですが、かなりの規模の大きさです。2つを見比べることが出来るのも面白いと思いました。1時間近く見学を楽しんでお昼を予約した「山田屋」へ向かいます。昨日は妻の誕生日で、午前中は「別府地獄めぐり」、午後は「鉄輪温泉」で「地獄蒸し湯」を楽しんでもらいましたが、臼杵では極楽のふぐフルコースを楽しんでもらいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス タクシー JALグループ JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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お昼近いバスで臼杵駅方面へ戻ります。
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帰りのバスもガラガラでした。駅まで戻ってしまうと臼杵市内の観光に不便なので少し手前の「辻口」という停留所で降りる事にします。
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別荘として建てられた古い建物が魅力的な「海鮮 かわ村」という店が停留所の近くにありました。木曜日は定休日でしたが、お昼の予約は別の店にしてあります。
かわ村 グルメ・レストラン
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「海鮮 かわ村」の塀に沿って通りに出ると掘割が現れました。以前に行った津和野を思わせるような風景です。この塀も含まれるのが「稲葉家下屋敷」のようです。
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掘割には美しい錦鯉が泳いでいます。
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掘割に沿って進むとようやく表門にたどり着きました。
稲葉家下屋敷 旧平井家住宅 名所・史跡
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稲葉家下屋敷は廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのための住宅として、明治35年の1902年に造られたということです。
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1600年から臼杵藩を収めてきた稲葉家のこの下屋敷の周辺は、その昔には稲葉家の居城である臼杵城の三の丸にあたる地域で、米蔵などの重要施設や重臣の屋敷が連なっている場所でした。
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稲葉氏は東京移住後も臼杵の発展に尽力し、臼杵に来る機会は少なくなかったようで、その滞在用に作られたのがこの旧別邸です。建築は近代に入ってからのものですが、武家屋敷の様式を色濃くとどめています。
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表玄関には郭登の「甘州即事」という詩が掲げられていました。甘州は中国の甘粛省の地名で、即事とは文字通り即興で詩を作ることです。内容は「甘州には黒河が帯のように西方から流れている。河のほとりには漢の時代の城が建っている。近くに見える山の頂には一年中雪が積もっていて、土地は冷たく雷を聞くことはない。遠くから牛を連れてきた人たちが、地元の人と貿易をしている。昔、大宛の馬を連れて漢の使者が帰って行ったことがある。はるか東の都の方を眺めると何万里もあって何も見えないが、そのかなたには仙人の住むという蓬莱山がある。」
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稲葉家の家紋が妻の実家のものと同じ「折敷に三文字」なので気に入ったようです。千鳥破風入母屋造りの玄関は大きな式台まである実に風格のあるものです。
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戦国時代の稲葉氏ははじめ斎藤氏に仕え、安藤守就と氏家卜全と共に西美濃三人衆として権勢を振いますが、やがて織田信長に仕えるようになります。信長が本能寺の変で急死すると、信長に追放され身を潜めていた安藤守就が兵を挙げ、領土確保を目指しますが、これを破り安藤一族を討ち果たします。その後は豊臣秀吉に仕えています。
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関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返り、本戦に参加して武功を挙げると美濃の郡上八幡4万石から豊後の臼杵5万石に加増移封され、以降は明治維新まで転封なく臼杵藩主の外様大名家として続きました。
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明治維新後の最後の臼杵藩主稲葉久通は明治2年の1869年の版籍奉還で藩知事に任じられるとともに華族に列し、明治4年の廃藩置県まで藩知事を務めています。明治17年の華族令施行で華族が五爵制になると旧小藩知事として子爵に叙せられています。
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まずは大書院の部分を見学していきます。「表玄関」の横には6畳の「脇室」があります。非常にシンプルな造りの和室です。
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「脇室」から「二の間」の西側に「前室」が続きます。畳1枚分の広い畳敷きの廊下になります。
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「書院」とは書斎のことで「武家造り」とも呼ばれていたように、武士にとって大切な「書院」を建物全体の中心に据えました。書院造りでは「襖」、「障子」などの間仕切りが発達し、畳を敷き詰めた「座敷」、「付け書院」など役割別の部屋が誕生します。床の間、角柱、そして雨戸、縁側、玄関なども書院造りから生まれています。
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「前室」の北側は途中から板敷になり、「廻り縁」に繋がっていきます。北西に位置する部分はトイレなどが並ぶので窓はありません。その薄暗さが美しく感じます。
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谷崎潤一郎は「陰影礼賛」の中で、まだ電灯がなかった時代の近代と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化して風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じています。ただ、現代の日本に住んでいるとアジアの古い町並みや、ヨーロッパの歴史あるホテルなどに「陰影礼賛」を感じることが多いように思います。安易な蛍光灯が日本人から感性を失わせているように思えます。
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北側の「廻り縁」は庇も大きく、気持ちの良い空間が広がっています。臼杵という土地は冬の寒さも酷くないのではないだろうかと感じます。
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北側には庭園が広がり、飛び石が軽やかに並んでいます。2本並んだ切石の由来が気になってきます。
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縁側は東側に折れ曲がりますが、その小口の仕舞いがシンプルでありながらきれいだなと思いました。45度の止めにすると雨が当たっていたが反る可能性が高くなりますが、やはりこのおさまりが理にかなっているのだと納得します。
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「上ノ間」を東側から眺めてみます。和室にしては非常に天井が高いと感じます。天袋のある長押から天井までが間が抜けたような広さを感じます。天井を高くしても障子や襖など建具の寸法は変えられなかったのでしょう。
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床の間には山吹と椿が生けられていました。中学生の頃に都電の荒川線沿線を訪ねたことがあり、面影橋で「山吹の里の碑」を見たことを思い出しました。子供の頃の方が優雅な日常を送っていたような気がします。
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「上の間」から「二の間」を望みます。やはり欄間の大きさがアンバランスに感じます。あえて何も嵌めないことで軽やかに見せています。
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「二の間」は非常にシンプルな造りですが、天井は格天井になっています。中央部分はさらに細かい格子になっています。
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「二の間」から「上の間」を望むと北側でありながら非常に明るく感じます。広い欄間の意味が分かるような気がします。
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「二の間」から東側を眺めると坪庭があります。この面は日当たりが良いので前面に障子が嵌め込まれています。欄間が横長で、障子戸は縦長の桟で仕切られているところが変化があって面白いです。
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東側の2部屋分の「廻り縁」が美しいです。部屋の間の辺りに戸袋があり、雨戸が収納されています。戸の桟が目立たないように一番外側に設けてあります。
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蹲(つくばい)とは元々は茶道の習わしで、客が這いつくばるように、 身を低くして手を清めたことが始まりです。茶事の際に席入りする前に、手水を使って心身を清めるもので、露地には欠くことのできないものです。灯篭は庭園とはまるで関係なく、仏にささげる明かり、献灯として発祥した石灯篭が庭園と関係を持つようになったきっかけは桃山時代で、この頃に始まった茶庭(路地)の照明として、茶人達が古い灯篭に目をつけ利用したのが始まりです。
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「御台所」の2階にも上がれるように階段がありました。
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15畳ほどの大きな畳敷きの部屋になっています。ここは女中部屋として使われたようです。
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天井は無く梁が露出した根太天井ですが、下地の割り竹が美しいです。
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「手斧(ちょうな)はつり」の美しい梁です。自然木の剛性を考慮して架けられた梁の姿も理にかなった美しさを感じます。
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「御居間」から「大書院」を望むと開け放たれた障子越しに奥の庭まで見通せました。先ほどの蹲から路地を歩いて、こちら側に茶室が設けられてあったのだと分かります。
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こちらにも由緒のありそうな灯篭が置かれてありました。残念ながらその由来などは紹介されていません。
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8畳の「居間」が茶室として使われたようです。炉畳(ろだたみ)とは、炉を設えるために炉の大きさだけ切り取った畳のことをいいます。炉畳は「鍵畳」(かぎだたみ)ともいいます。千家流では点前畳の畳縁と炉畳の炉縁に接する畳縁が平行になるように炉の向う側に畳縁を付けます。そう考えると茶席の設えなどが頭に浮かんできます。
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こちらにも書院造りの横の間と違い棚が設けられています。「不惜身命」は仏道のために身も命も惜しまないこと、身や命をささげて惜しまないこと、身を顧みないことを意味します。
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障子を開けたままなので掛軸には風鎮が必要だと感じます。灰釉の鼠色のキレイな花入れには椿と青葉が生けられています。
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「居間」からも庭先へ降りられるように沓脱石と飛び石が置かれてあります。
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「大書院」との目隠しにアジサイが植えられていますが、まだ花の季節ではなさそうです。
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一度「大書院」に戻って庭先へ降りてみました。
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この敷石も見えるところ以外にもっと大きなものが埋まっているのだと感じます。祖父の生まれた京都の二条陣屋の縁側に座っているときに、「そこに置かれた岩はなぁ、わしのお父さんが嵐山から牛車で運ばせたんや。土の上に見えとる3倍くらいの大きさが埋まってんやで。」とニヤッと笑ったことを思い出しました。
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「大書院」は入母屋造り妻入桟瓦葺で、北側と東西側の3面に庇を設けています。幅の広い沓脱石は水はけのよい砂岩のようです。そのせいか水はけを良くする”むくり”という勾配は設けていないようです。
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寄棟造り桟瓦葺で、大きな庇を設けています。この北側から左手の東側に向けて周り縁(えん)がまわされています。
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庭先からは隣接する「平井家住宅」を見学することが出来ます。この住宅は江戸時代後期の建築様式を留めている臼杵市内でも数少ない上級武士住宅の1つです。
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平成7年の保存修理では安政6年の1859年の銘が記されている「棟札」が発見されたそうです。稲葉家側から入った「離れ座敷」から玄関へ回り込みます。
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「離れ座敷」の前には岩から削り出した池がありました。
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南側の縁側から奥に続く座敷が見えます。見学してきた稲葉家とは違い、質実剛健な屋敷を想像させます。
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白いつつじがきれいに咲いています。
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稲葉家とは違い北側に玄関を設けているのが分かりました。土間の広さからも農作業なども行われていたのではないでしょうか。
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北西側に屋敷門がありました。紋は閉じられているので表側を見ることは出来ませんでした。板塀ではなく垣根で仕切られています。
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門から正面に母屋が見えます。大きな庇の下の開口から屋敷内に入ってみます。
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入ってびっくりしたのは武家屋敷なのに「土間」になっています。かなりのスペースなので農作業も行われていたのではないかと思いました。
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その理由は足踏み式の石臼が据えられていたからでもあります。川崎の日本民家園に保存されている曲り家などの農家のような設えを思い出します。「土間」の上は物置になっているようで、梯子も据えられています。
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玄関は2つに分かれていて、右側が「表玄関」で、左側が家人が使う「内玄関」のようです。
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元々が北側にある玄関なので、「内玄関」は非常に暗い印象を受けます。
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「表玄関」から上がった「次の間」から「上の間」を望むと西側に開口部があるので非常に明るく感じます。
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「内玄関」から上がった部屋には囲炉裏が切られています。ここが主だった生活の場だということが分かります。通常であれば板の間だと思われますが、上級武士の家なので畳敷きになっています。
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この2つの部屋は天井が無く、小屋組みまでが見通せます。部屋の間には太い鴨居を兼ねた梁が渡されて、壁も乗せられていますが、丈夫では繋がっています。これは煙貫の意味もあるように思えます。茅葺きであれば天井裏に煙を抜く意味が分かりますが、瓦葺期ではどのような意味があるのでしょうか。
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「上の間」には1間の床の間が設けられています。床柱は杉の磨き丸太で、贅沢ではありませんが品の良い設えです。銅の花瓶にヤツデの葉とモッコウバラが生けられています。ヤツデの葉は千客万来や人を招く縁起の良い意味があります。
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「奥座敷」も同じような設えの床の間が設けてあります。
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こちらにはヤツデの葉とハナズオウの紫の花が美しいです。
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この屋敷は平井家となっていますが、その名になったのは明治以降のことで、それまでは稲葉姓の姓の200石取りの上級武士の住まいで、臼杵藩の大組頭や長柄頭、御小姓頭や御旗奉行などの要職についていました。
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立派な「脱衣の間」があってびっくりしました。
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湯殿といっても湯船があるわけではなく、石を敷いたところにたらいを置いて湯あみをしていたようです。表で沸かした湯を運び入れ、流された湯野排水の勾配も考えられているようです。
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突き当りには「雪隠」の看板が置かれてあります。文字通り「雪隠詰め」です。
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「離れ座敷」には蹲が設けられています。
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「離れ座敷」は細長い変形の部屋で須賀、物入は多いようです。隠居部屋のような使い方をされたのでしょうか。
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東側に縁がをを設けているので採光は十分のようです。
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座敷を抜けて「台所」に出てきました。
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こちらは土壁で仕上げられた質素な造りです。
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台所と土間の雰囲気は武士の屋敷とは思えないです。台所もいろいろな作業場所を兼ねているようです。簡単に見学するつもりでしたが妻を「稲葉家下屋敷」に置いてきているので早々に引き上げます。
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