2023/04/28 - 2023/04/28
35位(同エリア3722件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35326件
- Q&A回答420件
- 5,369,282アクセス
- フォロワー666人
今日から二日間は、本当に久々の長崎市内散策。たぶん、長崎はもう20~30回くらいは来ているはず。特にここは行きたいという場所もないので、あちこちまんべんなくという感じかな。長崎は小さな町なんですが、いろんなところに隠れた見どころがあって、何度歩いても新しい発見がありますからね。そんなところを楽しみたいと思います。
ところで、長崎の街について少し解説すると、長崎市は、市街電車のルートで理解する地理と歩いて理解する地理にはちょっとギャップがあるように思います。その原因の一つは、中心部にある市役所通りと呼ばれる国道34号線が通る馬の背のような高台の存在。官庁街というか金融街というか長崎市の重要なエリアなのですが、観光に関しては全く関係がないのと市街電車はこれを迂回して走るので、電車に乗っていても、あれ?長崎駅はどっちだったけなあといった方向感覚が狂う原因にもなっています。そして、市街電車は観光の基本的な交通手段なのですが、電停の近くに観光スポットが比較的集中していて分かりやすいエリアとそもそも最寄りの電停がはっきりしないし観光スポットが広い範囲に点在していてかつ道が複雑なエリアがあって、意外に限界があります。後者の方のエリアは市街電車の路線図を睨んでいるだけではらちがあきませんからね。
そんなことも頭に置いたうえでですが、まず街の賑やかさの中心は、地元の百貨店、長崎浜屋のある観光通り、浜んまち商店街にこれらの裏通り的な位置づけの銅座、思案橋を含めたエリアです。外せない長崎グルメの名店がいくつもあって、それらを一通り押さえるだけでも大変です。
これと並ぶのが中華街から出島のエリア。大波止、出島ワーフや長崎県美術館辺りの臨海部も含めていいと思いますが、ここも長崎観光では定番ですよね。ただ、この二つのエリアだけでもちゃんと歩けるかというと割と長崎ツウという感じにならないと歩けないかも。なんかまだまだ見てないけどねみたいなところで、違う観光エリアに向かってしまうのがだいたいのパターンだと思います。
ちょっとキリがないので、この辺でまとめてしまうと①観光通り・浜んまちエリア、②中華街・出島エリア、③大浦天主堂・グラバー園のエリア、④眼鏡橋から寺町・亀山社中のエリア、⑤唐人町から丸山のエリア、⑥諏訪神社からシーボルト通りのエリア、⑦長崎駅周辺のエリア、⑧平和公園等浦上のエリア。この中で最寄りの電停を降りてすぐに歩ける分かりやすいエリアは①~③くらい。⑥~⑧はまあまあ。対して、④、⑤だとそうはいかない。ちゃんと調べて行かないとほとんど訳が分からないハードルが高いエリアだと思います。
う~ん。もう少し分かりやすく解説したいと思ったのですが、あんまりうまくいかないですね。それだけ長崎は観光資源が豊富で奥が深いということなのですが、逆に全部を回らないと長崎が分からないということでもないですからね。それぞれがそれぞれでキリシタン・南蛮文化や中国文化の薫る長崎を感じれる。そんなに難しいものでもないでしょう。
そういう意味ではこの旅行記もごちゃごちゃ感の中にどれだけ長崎の薫りをお伝えできるかが大事なところ。まあまあ、そんなことでスタートです!
PR
-
早朝、大波止のホテルを出発して、出島から中華街の方へ向かいます。
出島もまだ静かですね。 -
これは、出島橋。江戸町側から中島川を渡って出島に渡る橋のうち、一番東側。中華街に近い方の橋です。
現役の鉄製道路橋としては日本最古という白い鉄骨を組んだトラス橋。鉄橋によくあるタイプの橋なので、あまり珍しいという感じはしないのですが、明治43年から使われているというのはそれなりにすごいことかもしれません。出島橋 名所・史跡
-
すぐに電車通りに出て
-
これはおらんだ橋。もうここは、新地中華街の電停すぐ。銅座川に架かる橋で、褐色の煉瓦の親柱にはひらがなで「おらんだばし」と書かれています。親柱の上にはからくり時計のモニュメント。ちょっと和風にも見えますが、これも異国風なんだと思います。
-
おらんだ橋のほとんど橋のたもとに建つ南蛮人をモチーフにした石像は、なんばんえびす。オランダ人かポルトガル人かの人物なんですが、よく見るとベルトのところに鯛を抱いているんですね。恵比寿の像は佐賀でよく見かけますけど、どっちにしてもさりげなく和洋折衷。長崎らしいアートです。
なんばんえびす 名所・史跡
-
おらんだ橋から電車通りを長久橋に向かってすぐ。これは、俵物役所跡 対馬藩蔵屋敷跡 長崎商工会議所発祥の地の碑。石柱や案内板がいくつかまとめて立っていて、俵物というのは、対清国貿易向けに輸出された海産物加工品。煎海鼠(なまこ)、乾鮑(あわび)、鱶鰭(ふかひれ)とか。長崎は今でも水産王国なんですけどね。もう少し認識されていてもいいように思います。
俵物役所跡 対馬藩蔵屋敷跡 長崎商工会議所発祥の地 名所・史跡
-
その先には、十八希望の鐘。原爆で吹き飛ばされたアンジェラスの鐘が有名ですが、いずれにしても歌謡曲「長崎の鐘」とか長崎は鐘のイメージが強いですからね。この鐘も十八銀行が建てた平和への思い。たくさんの鐘が連なっています。
十八希望の鐘 名所・史跡
-
長久橋は江戸町通りと電車通りである築町通りを結びます。
-
そのすぐ北隣りの中央橋。この橋の東側でいずれも電車通りの築町通りと思案橋通りがぶつかっていて、電車の往来が頻繁。車の交通量も多いです。観光通りの長崎浜屋も見えていますが、浜町商店街や新地中華街、出島にもそこそこ近いので長崎市内の中心といった感じかなと思います。
中央橋 名所・史跡
-
改めて銅座川に戻ってきて、電車通りからすぐ上流が中華街。
川は、新地中華街の入り口を横切るように東西に流れていて、下手で中島川に合流します。海にも近いし、あまり流れは感じない。どろんとしたお堀の方な眺めです。 -
中華街を抜けて、そのまま唐人屋敷の方に向かいます。
-
ここが唐人屋敷の入り口。誘導門が建っていて、ここからメインストリートが始まります。
誘導門は左右の歩道部分に対で建っているのですが、灰色の目立たない色調だし、また一つ一つでも成り立たなくはないので、もしかしたら二つあることに気が付かない人もいるかもしれません。 -
では、どんどん進んで
-
象徴門は、唐人屋敷のメインストリートが緩やかな坂道に変わる辺り。屋根の形とか明らかに中国風の特徴ある形なのですが、色合いは白と黒。落ち着いていて大人しい印象です。
唐人屋敷 象徴門 (誘導門) 名所・史跡
-
さらに進むと緩やかな坂道の中ほどに土神堂。赤い煉瓦の塀に囲まれた屋根が極端に反りあがっていて、これはいかにも中国風といった意匠です。
-
安政6年(1689年)に唐人屋敷ができて、それからほどなくして建てられたもの。土神は土地の神様、商売の神様なんだそうです。
ちなみに、唐人屋敷は幕府の鎖国政策の下、中国人を隔離収容していた街。
遡ること寛永12年(1635年)、日本人の海外渡航と帰国を全面的に禁止し、御朱印船貿易は終焉。翌寛永13年(1636年)、ポルトガルとの貿易のために築かれた出島ですが、寛永14年(1637年)の島原の乱に危機感を持った幕府はポルトガル人を追放。代わって、出島には、寛永18年(1641年)平戸からオランダ商館が移転。オランダを窓口とする鎖国時代の歴史が始まります。一方で、唐人屋敷ももう一つの海外との交流の窓口。柿右衛門の赤絵の技術は唐人からの教えだったし、伊東若冲の画風も中国の南蘋派の影響であることが知られています。 -
唐人屋敷の中にはほかにも中国人が神様を祀ったお堂がいくつかあって、これは天后堂。メインストリートの坂道をさらに上がって、少し右手に入ったところ。煉瓦のしっかりした塀に囲まれて、これもいかにも中国風。
-
棟木に唐草模様やしゃちほこ、真ん中には塔も建ってコテコテです。
-
続いての観音堂も近く。メインストリートの反対側です。
円形の門が面白いですね。 -
門を開けてお堂の方に。
-
お堂はレンガと石を組み合わせた頑丈な造り。
-
堂内には陶器製だと思いますが、鮮やかな色彩の中国風の神様がいくつか置かれていて、やはり日本のやり方とはかなり違います。
-
唐人屋敷からまた中華街の方に戻って、今度は丸山の方に向かいます。
これは梅香崎神社 一の鳥居。その奥に急な石段が待っています。お年寄りとかも含めて地元の人が普通に利用しているのにはちょっとびっくりですけどね。 -
石段を登り切ったら、大徳寺公園。「寺もないのに大徳寺♪」と歌われた長崎七不思議の大徳寺跡に整備された公園です。街中にある児童公園のような公園ですが、
-
見どころは樹齢800年の大徳寺の大クス。
-
長崎市内にはこうした楠の大木があちこちあって、何か心を癒してくれるような気がします。
-
梅香崎神社は、大徳寺公園の続き。鳥居は立派でしたが、本殿は小さい。神社の前身が大徳寺という関係のよう。
-
ほどなく丸山公園
-
坂本龍馬の銅像も建っています。
長崎丸山は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大花街の一つ。ただ、いつも気になるのは今でも現役の花月。伝統の卓袱料理を食べてみたいのですが、予約は二人から。一人旅の私には手が出ないので、悔しい思いをしています。
では、ここから高島秋帆旧宅跡に向かいます。 -
その途中、長崎検番は、まだ料亭花月にもほど近い場所。検番は京都でもありますけど、芸妓衆の稽古が行われたり、お座敷への手配などをしているところ。表には芸子さんの名前が入った赤い提灯が並んでいて、ちょっとだけ華やかな匂いも感じます。ただ、内部の見学はできません。
-
細い路地が続いて、梅園身代り天満宮の鳥居。
長崎は天満宮が多いですね。この先に長崎ぶらぶら節の碑があります。「遊びに行くなら花月か中の茶屋♪ 梅園裏門叩いて 丸山ぶうらぶら ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう♪」のぶらぶら節。幕末から明治にかけて盛んに歌われていたお座敷唄ですから、維新の志士たちも楽しんでいたのは間違いない。これは後世ですが、吉永小百合、渡哲也主演の映画もあるし、どこまでも尽きない味わいがあると思います。 -
高島秋帆旧宅跡に到着。高島秋帆は幕末の砲術家。西洋砲術を研究し、幕府に兵制改革の必要性を訴えたことで有名です。
-
高島家は代々町年寄を世襲する家柄。
-
ここは、秋帆の父、高島四郎兵衛茂紀が建てた別邸です。
-
坂の上の限られた場所にこれだけ広い敷地を持った建物を作っているのはちょっと稀有なこと。高島秋帆がこんなところで暮らしていたというのはすごいですが、一方で長崎の町年寄がけっこうな力を持っていたこともよくわかる遺構だと思います。
-
正覚寺は、崇福寺の電停にもだいぶ近い場所。
下から見上げると立派な山門が目立ちます。 -
一方で、芝生の緑がちょっとありますけど境内は塀もないしちょっと殺風景な感じ。唯一、陰陽石というのが本堂の手前にあるくらいです。
-
正覚寺のそばには丸山オランダ坂。ちょっと裏道のような細い坂ですが、こちらが本当のオランダ坂なんだとか。中ほどに説明板があって、出島に出入りを許されていた丸山の遊女たちがこの坂を通って出島に向かったからオランダ坂なんだということです。
-
長崎山清水寺は、崇福寺の電停を越えた東側。山に向かって長い石段が続きます。
-
創建は、元和9年(1623年)。
-
京都の清水寺の僧が建てたというので、名前のゆかりはけっこう単純ですね。
-
本堂前の崖の上から市内を眼下に眺める舞台のような構造もシチュエーションが似ていなくもないし、
-
そういう意味ではよくできていると思います。
-
このまま隣りの八坂神社に抜けれるよう。
かなりショートカットになりますね。 -
つまり、長崎にも清水寺と八坂神社があって、隣りあわせということですね。
なお、1638年に現在の鍛冶屋町から現在の場所に移転したというので、けっこうな歴史。 -
明治以前の名前は祇園社だったので、「ぎおんさん」と言われるようです。
まあ、その辺りも京都と似ています。 -
では、寺町の方に入って行きますよ~
赤い中華門の崇福寺はスルーして
このめちゃめちゃ立派な山門は大光寺。 -
本堂まで上がってみましたが。
幼稚園をやっているみたいです。 -
さらに進んで発心寺。ほかの寺と比べるとちょっと鄙びた寺なのですが、
-
自慢はこの梵鐘。もともとは中国の北京西門内にあった寺にあったものだそうですが、明朝英宗の代、1438年の作。底辺の口が八つの弧を描いていてインパクトありの意匠です。
-
隣りの大寺は大音寺。ここから寺町通を北に向かいますよ~
大音寺は、慶長19年(1614年)伝誉が創建。寛永年間に当地に移り、御朱印地に。歴代将軍の位牌を祀るお霊屋が建立されるなど長崎三大寺の一つになったという格式の高い寺。 -
寺町通りから見える山門はかなり立派です。
-
本堂を過ぎて奥に向かうと
-
フェートン号事件の責任を取り自害した長崎奉行松平図書頭康英の墓もありました。
-
そのまま北側に降りて行くと
-
これは、晧台寺。創建は、1608年(慶長13年)。こちらも、本蓮寺、大音寺と並んで長崎三大寺の一つ。
-
境内奥に大仏殿があって、中を覗くと宝冠を被った赤茶色の観音像のような大仏が拝めました。珍しいものだと思います。
-
本堂はまだ新しい感じですが、立派なものが建ちましたね。さすが長崎三大寺です。
ただ、長崎三大寺というのは実はあんまり有名ではないかな。寺町通りの双璧は、崇福寺と興福寺。やっぱり中国寺ということでかもしれませんが、普通にメジャーな観光スポットです。 -
晧台寺から、北隣の長照寺に抜けました。
-
寛永8年(1631年)、幕府の命令で各宗が寺町にそれぞれ1寺を建てた時、日蓮宗はこの寺を建てたとありました。境内はそこまで広くはないですが、芝生や植え込みで緑が美しいです。
-
石段を下って、これが山門です。
-
さらに北に進んで、延命寺です。
創建は元和2年(1616年)。 -
疫病と船舶の安全を祈願するために建てられましたが、その後、長崎奉行から長崎界隈総祈願所としてのお達しがあったとか。
-
境内にはたくさん猫がいて、大事にされているようでした。
-
改めてですが、これが寺町通り。山に沿っての微妙な道幅が特徴です。
-
さて、これが双璧の一つ興福寺です。長崎の中国寺で、黄檗宗のお寺です。
厳めしい山門を入ると -
お城の桝形のようなスペースがあって
-
境内はその一段上。
芝生の穏やかな姿です。 -
そして、本堂の奥に
-
今回のお目当て、旧唐人屋敷門がありました。
唐人屋敷にあったものが今は興福寺境内の境内に保存されていますが、世界でもいくつかしか残っていない貴重なものなのだとか。 -
たまたまいたお寺の方に教えてもらったのですが、表から見ても美しいけど、裏から見ると金を使った松のデザインでさらに豪華。長崎奉行から華美だと睨まれないように裏側だけがこういうことになっているのだそうです。
-
今度は、深崇寺。正面階段には鐘楼を兼ねた楼門式の山門。木造を強調した二重垂木の精緻なデザインです。
-
境内は意外に限られていて、芝生の空間と本堂が見えました。
-
深崇寺の角から山の上に続くのが龍馬通り。亀山社中や風頭公園の方につながります。
-
ただ、通りといっても通りというよりは細長い石段の道。共同墓地の脇や一般の住宅の間を抜けていきます。けっこうな坂でもあるので、この辺りに住んでいる人は大変だろうなあと心配になります。
-
長崎市亀山社中記念館に到着。
なんでこんな不便な場所に拠点を構えたのか不思議な気もしますが、結成された慶応元年(1865年)は、まだ龍馬は脱藩の罪を負った立場。派手な活動は控えていたのかも。亀山社中を改め、土佐藩の外郭機関としての海援隊が結成されたのは、慶応3年(1867年)。龍馬が脱藩の罪を許されたことが機ですからね。
ただ、薩長同盟は慶応2年(1866年)。長州藩が長崎で薩摩藩の名義を借りて軍艦や武器を購入できるように仲介したことが薩長同盟につながり、また、同年の第二次長州征討の撃退にもつながったりと華々しい活躍はやっぱり亀山社中の時代かな。 -
館内へ。
-
最初の間は撮影可ですが、
-
その奥の展示室は撮影禁止。
龍馬のブーツやピストル、書簡の写し、志士達の写真など社中ゆかりの品々が展示されていて、幕末の緊張感ある時代に思いを馳せるにはやっぱりここですね。こんなちっぽけなところを拠点にして、才覚ひとつで大仕事をしたのですが、これも幕末の奇跡のひとつなのかもしれません。 -
長崎市亀山社中記念館から歩いてすぐのところにある龍馬のぶーつ像。これも必見ポイントですよね。街を見下ろす小さなスペースですが、着物姿なのにぶーつを履いていた龍馬を偲ぶ象徴的なデザイン。船の舵に向かって並ぶブーツは未来に向かって進む姿でしょうか。いろんな想像で楽しめます。
-
さらに進むと若宮稲荷神社。
-
楠木正成の守護神と言われ、龍馬や志士たちも参拝していたという神社。
-
境内に龍馬神社があって、その正面には風頭公園の坂本龍馬之像の原型というミニチュアの坂本龍馬の像もありました。赤い社殿と龍馬像がけっこう映えています。
-
では、風頭公園の方へ。
亀山社中から風頭公園って、こんなに遠かったかなあ。それにけっこう登るので、ちょっと息切れしてしまいました。
はいはい。これが本物の坂本龍馬の像ですよ~ -
海の方をにらんで何を思うのか。
「おまんら、今はいがみあっちゅう時ではないぜよ」
福山雅治の龍馬もまた見てみたいものですね。 -
展望所もそれなりに広いです。
-
上野彦馬の墓は、風頭公園の龍馬像に向かうアプローチの道の元のところに入口があって、そこからしばらく下りて行ったところ。
-
一族の墓とともに上野彦馬の墓がありました。上野彦馬は日本最初の写真家であり、龍馬のほか志士たちの写真を撮ったことで知られますが、なかなか立派な墓。それなりの家系だったようです。
-
こちらは、もう一つの展望台。
-
左手には龍馬の像が見えましたが、こちらの展望台の方が少し高いですね。
-
では、再び龍馬通りを下りて寺町通に戻ります。
-
宮地嶽八幡神社は、寺町通りからもう少し北に行った先。それなりに立派ですが、街の神社という感じ。見どころは陶器の鳥居。石の鳥居と石の灯篭の間に挟まれて建っていますが、有田の方の神社にも負けないくらい立派な鳥居です。
-
中島川を臨む市街の一角。ビルの傍らに上野彦馬宅跡の碑が建っていましたが、
-
気が付くと向かいには上野彦馬のスタジオ”上野撮影局”を記念して撮影機のモニュメントを置いたメモリアルパーク。
-
写真家としての活動は維新の原動力そのものではないかもしれませんが、影響力はそれなりにあったのかなあと想像しました。
では、これで昼飯にします。
大工町から、中華街まで市街電車で移動します。 -
お昼は江山楼へ。長崎中華街だとやっぱりここがナンバーワンかな。堂々とした入り口の構えから、店内も悠々とした広さ。
-
お昼に酢豚をいただきましたが、うーん、最高。から揚げの豚のところで、もう味が違うような気がします。
この日は、夜も再訪して皿うどん。これも海鮮の味わいがしっかりしていて、安定感がありますね。何度通ってもいいお店です。 -
中華街から今度は大浦海岸まで移動して。ここからは大浦天主堂・グラバー園のエリアを回ります。
領事館の小径は、旧長崎英国領事館に隣接する小路。旧長崎英国領事館は修復工事中で見れないし、この小路だけ見ても気分は出ないのですが、それでも入ってみるとオルトとかリンガーとか幕末に来日し活躍した英国人の紹介ボードとかがあって、少し気分が出てきました。
一方の旧長崎英国領事館は、オランダ坂の方から眺めたら工事中。重機が入って本格的な工事をしていてこれはダメだなと思ったのですが、電車通りの方から眺めると赤い煉瓦の美しい外観がそれなりに見えました。内部はもちろん見学はできませんが、今の時期、電車通りの方から外観を見るのはありだと思います。 -
長崎聖三一教会は、オランダ坂の下、旧長崎英国領事館と同じブロックにある教会です。敷地の少し奥に建つ二階建ての教会は尖塔とか目立つ意匠もなくて、むしろ落ち着いた灰色の煉瓦の外壁がほかの教会とは全然違った雰囲気。中も入れるようでしたが、そこはやめておきました。
-
旧長崎英国領事館の方からオランダ坂に入る入り口のところに石碑が建っていて、大浦東山手居留地跡の碑。
幕末、長崎が開港されると大浦、東山手、南山手、出島などが外国人の居留地となり、洋風の建物が多く建てられたのですが、その歴史を引き継いだ伝統的建造物群保存地区が東山手と南山手の二つあって、ここは東山手。大浦、東山手の居留地から現在の東山手伝統的建造物群保存地区へ。石碑の隣りには詳しい説明板も建っています。 -
少し進んで、これは湊会所跡の碑。
湊会所というのは幕末の長崎開港以降、貿易や外交などにかかる事務を行う役所のこと。そういう意味だと英国領事館はこの近さですから、その関係の深さが想像できるというものです。 -
左手に見えてきたのは東山手十二番館。
-
オランダ坂を上り切った辺りです。
敷地内にはイスとテーブルが置かれていかにも優雅なたたずまい。 -
では、中へ。
-
イチオシ
建物の中も自由見学で、喫茶スペースなんかもありますね。
-
二階にも上がってみますと
-
こちらも
-
それぞれいい感じ。
おもてなしの施設としてはこれ以上のものはないかも。とってもありがたい施設です。 -
東山手十二番館の奥は、東山手甲十三番館。
-
では、中へ。
-
東山手十二番館は喫茶店が入っていますが、東山手甲十三番館の方は休憩室があってあとは内部の自由見学をするだけ。
建物はこちらの方が少し大きいかもしれませんが、ゆっくり寛ぐなら東山手十二番館の方がいいですね。 -
ところで、東山手十二番館、東山手甲十三番館を見下ろすような場所に建つのは活水女子大学。明治12年に設立されたクリスチャンの学校です。
敷地内は入れないので、遠めから眺めるだけですが、雰囲気のある校舎群は山手のバタ臭い景色をさらに補強しているようにも感じます。 -
オランダ坂をさらに進んで、ここからは下り坂。
長崎孔子廟の方に下りて行くことになりますが、 -
その途中にも洋館がたくさん並んだ一角があって、それが東山手地区町並み保存センター。保存センターという名前ですが、街並みそのものですけどね。
-
イチオシ
街を見下ろす斜面に整備された段々の住宅地にかつての個人の洋風住宅が並んで建っていて、かつての外国人が住むエリアはどこでもこういう感じだったのかな。一つ一つの住宅を見るのもいいですが、こうして街並みとして拝見するとより当時の状況が実感できると思います。
-
その中に古写真資料館 埋蔵資料館として活用されている建物も。
-
埋蔵資料館は、長崎の古写真や出島とかから出土した陶器類とかを展示。展示品はまあまあですが、展示品を拝見しながら洋館の中で静かに時を過ごす。それを楽しむのがまたここの価値なのかなと思います。
-
こちらは、古写真資料館
-
かつての長崎の市街風景
-
出島橋もありますね。
-
大浦海岸通りも変わった雰囲気です。
-
では、グラバー園に向かいますが、
グラバースカイロードを利用します。
ただ、この斜めのエレベーターは地元の住人も利用するようで、途中の階が設けられているのはそのためのよう。また、グラバー園の入り口はいったん上がってから、もう一度別のエレベーターを使って行くので、お間違えのないように。 -
南山手レストハウスは、グラバースカイロードで、最初の斜めのエレベーターを上がって。グラバー園の入り口はもう一度別のエレベーターを上がるのですが、それを上がらずそのまま進むとありました。
-
広い前庭が付いた開けた敷地に建つ気持ちの良い洋館。
-
中も自由に拝見できて、
-
気分が解放されたような気持になりました。
-
南山手レストハウスの正面は、大浦展望公園。
-
グラバー園は海を望んだ景色ですが、こちらは海を望んで広がる丘陵の住宅地を望む景色。
-
ただ、洋館もちらほら混じって長崎らしい優雅な雰囲気も感じられるいい眺め。いい具合にベンチがあって、それも快適です。
-
ちょっと寄り道しましたが、ここからがグラバー園です。
-
いきなり池のところに出ました。
-
その先が展望所。
-
向かいは三菱長崎造船所。ドックやクレーンがよく見えていて、お馴染みの景色になっています。
-
イチオシ
振り返るとこの瀟洒な旧三菱第2ドックハウス。
明治29年(1896年)、三菱長崎造船所の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎だそうですが、かなり手厚い処遇をしていたことが窺われます。 -
二階のベランダからの眺めも確認して、
-
ここはサクッと終了です。
-
一段下がったところには
-
こちらもまた気持ちの良さげな木陰のテーブル席。
傍らには滝が落ちていて、贅沢なことになっています。 -
旧ウォーカー住宅は明治中頃の建物。
-
薄いピンクがかったほとんど白の色調がなんとも品がよくて素晴らしいですね。
-
イチオシ
邸内もゆったりと明るい部屋ばかり。
-
死んだスペースがほとんどなくて、住みやすそうな間取りだと思います。
-
もう一段下がって
-
こちらの広場も
-
またいいですね。
-
このエリアには旧リンガー住宅
-
グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸です
-
明治元年ごろに建てられたもの。
150年以上経っているのですが、よくメンテされています。 -
ほか旧自由亭から
-
イチオシ
さらに下って、グラバー邸
グラバー園のシンボルといった建物ですが、寄棟屋根のようなイメージの部分があって、それが特徴的ですよね。 -
そして、規模としても堂々としたもの。
-
花壇の方から眺めても
-
イチオシ
その優雅さは
-
群を抜いていると思います。
-
グラバーは幕末には大量の武器を扱った死の商人の顔も持つ貿易商。亀山社中の龍馬とも大いに取引をしたはずです。
-
イチオシ
その時、日本の国の行く末にどれほどコミットしようとしていたかは分かりませんが、維新後も三菱財閥の顧問をしたりして純粋な経済人として力を尽くし、日本人の妻とも最後まで仲睦まじく暮らした人生。スコットランド人のようですが、日本を愛していた人物であることは十分に想像できると思います。
-
長崎伝統芸能館は、グラバー園の順路の最後にある施設。
-
オランダ漫才もくんちの人気演目ですよ~
-
広いスペースにはくんちの豪華な曳山がずらりと並んでいてなかなか圧巻。
-
イチオシ
じゃ踊りの龍や傘鉾の展示もとても優美です。
-
ほか、館内の巨大スクリーンではくんちの祭りの様子も放映しているのでしばらく時間をとって見るのもいいと思います。
-
以上でグラバー園も終了です。
-
最後は、長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館へ。
-
一階は銀行らしい高い天井。
ここは無料のスペースで -
二階から先が有料のゾーン。
長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアムとなっています。 -
二階展示は孫文と梅屋庄吉の二人の友情の物語と長崎華僑の誕生の歴史と活躍ぶりを伝えるコーナー。
-
内容のスケールの大きさもありますが
-
この雰囲気の中にいること自体がなんか夢の中といった感じ。
まだ気持ちがふわふわしています。 -
さらに上階があって
-
3階展示は、上海航路や国際通信、貿易港長崎の居留地での外国商人たちのくらしを紹介するコーナー
-
展示内容の細かいところは置いても
この建物の雰囲気がすごいので、それだけでも価値があるような気はします。 -
イチオシ
この像はその記念館の通りを挟んだ向かい側。
孫文の後ろには梅屋庄吉夫婦が立っています。友情というよりも固い絆。その関係を思うに孫文の人間力がすごかったのもあるのでしょうが、梅屋庄吉の度量もまたすごかったと言うべきかな。しかし、その後、日本が中国にしたことは明らかな侵略行為。胸が痛みます。 -
晩飯はまた江山楼で食べたのですが、ちょっとまだ物足りない。思案橋の方で
-
宝雲亭を訪ねました。
こちらは、長崎のひと口餃子の老舗。久しぶりの訪問です。 -
イチオシ
お店はちょっと年季が入っていて、店内もガチャガチャした感じなのですが、おばちゃんの人懐っこい対応とかも含めて、それがこの店のカラーでしょう。餃子はけっこう小ぶりですが、カリッとした皮にねちょっとしたいい感じの餡。やっぱりうまみが濃いと思います。
-
今夜の宿は、ホテルマリンワールド。中華街の方からでも丘の上に建っている建物がよく見えます。入口からエレベーターを乗り継いでフロントへ。ロビーからしてシティホテルと観光ホテルの中間といった感じ。ちょっと華やかさも感じます。
一人で泊まったのですが、ツインタイプの部屋。街を見下ろす悠々とした部屋でゆっくり寛ぐことができました。
なお、中華街へも思案橋の方へもアクセスは同じくらい便利です。
明日は、最終日。平和公園の方を歩きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
たびたびさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
長崎市(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
176