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高島秋帆旧宅

名所・史跡

高島秋帆旧宅 クチコミ・アクセス・周辺情報

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ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    歴史の証人です

    4.0

    高島秋帆先生は「しゅうはん」と読み、江戸後期に西洋砲術を初導入した専門指導家です。高島流砲術を確立し、自作品のの青銅製モル...  続きを読むチール大砲を献上したことで歴史に残ります。長崎会所調役頭取なども務め、長崎の近代化に貢献した人物の一人です。  閉じる

クチコミ・評判

3.33

(21件のクチコミ)
アクセス:
3.00
市電から降りて坂を上がればほどなくです by cooさん
人混みの少なさ:
4.13
バリアフリー:
2.00
見ごたえ:
3.09

1~20件(全21件中)

  • 幕末の砲術家、高島秋帆

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/04(約3年前)
    • 0

    幕末の砲術家、高島秋帆。西洋砲術を研究し、幕府に兵制改革の必要性を訴えたことで有名です。高島家は代々町年寄を世襲する家柄。...  続きを読むここは、秋帆の父、高島四郎兵衛茂紀が建てた別邸。坂の上の限られた場所にこれだけ広い敷地を持った建物を作っているのはちょっと稀有なこと。高島秋帆がこんなところで暮らしていたというのはすごいですが、一方で長崎の町年寄がけっこうな力を持っていたこともよくわかる遺構だと思います。  閉じる

    投稿日:2023/09/16

  • 家っぽいのはふつうの家です。

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/02(約3年前)
    • 0

    旧宅、とありますが実際には旧宅跡、で(石碑にもそう刻まれている)、そこには大きな隔たりがあります。旧宅跡の石碑から階段をの...  続きを読むぼっていくとほどなく家が見えてくるのですが、そこは旧宅でもなんでもなくふつうに現在も人が暮らしている家です。なんともわかりづらい!  閉じる

    投稿日:2023/02/17

  • 旧宅 という感じでは

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/04(約5年前)
    • 0

    西洋砲術を研究して兵制改革に力を尽くそうとした高島秋帆の旧宅です。身代り天満宮
    から向かったので比較的近かったです。もう...  続きを読む少しかつての邸宅の名残がある後思いましたが、実際には建物はほぼなく、あまり見ごたえはなかったです。  閉じる

    投稿日:2021/08/05

  • 江戸時代後期に西洋砲術を学んだ砲術の専門家

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/10(約5年前)
    • 0

    正覚寺からさらに坂を上って辿り着きました。高島秋帆氏とは江戸時代後期に西洋砲術を学んだ砲術の専門家だそうです。建物は原爆で...  続きを読む大破したので残っておらず石垣や土塀が主な見所です。国指定史跡とのことですがあまり手入れされていないのか雑草が多いのがちょっと気になりました。  閉じる

    投稿日:2021/03/05

  • ほとんど何もないです

    • 4.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    かなり不便な場所にあるので、見学者は私一人でした。旧宅とありますが、ほとんど空き地という状態です。門はかろうじて残っていま...  続きを読むした。あと、高島秋帆の硝煙蔵あるいは倉庫だったと考えられる石倉だけは、原型が残っていました。この石倉とツバキの花は非常に絵になる光景でした。  閉じる

    投稿日:2020/05/12

  • ほとんど残っていない

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約7年前)
    • 0

    坂の上にある史跡です。西洋式砲術を研究していた高島の家があった場所と現地の案内板に説明書きがありました。しかし建物などは現...  続きを読む存しておらず、あるのは塀と建物があった場所の土台となる基礎石のようなものが或るのみでした。見どころは無いです。  閉じる

    投稿日:2019/07/09

  • 正覚寺の裏手の高台にある、元々は町年寄の名家、高島家の11代当主の秋帆氏が居住した邸宅の跡地です。建物自体は原爆で破壊され...  続きを読むたために現存していませんが、跡地の遺構としては、周囲に石垣が張り巡らされていたり、立派な塀で囲われていたりと、名家としての風情を存分に味わえる所です。私は前日に大村を散策していたのですが、その時に眺めた草場小路の五色塀を彷彿とさせるような、様々な石を埋め込んだような塀も見られて、当時の有力者はこういう塀を造るのがトレンドだったのかな、等と思いを馳せながら、その風情を味わうことが出来ました。  閉じる

    投稿日:2018/12/22

  • 砲術訓練の場

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    丸山花街から丘を上がって行くと、周りの風景とは異なる綺麗な石塀がある。この中が高島秋帆旧宅である。石造りの蔵以外建物は何も...  続きを読む残っていないが、広い敷地にかつてここにあっただろう建物を想像してみる。庭の片隅に砲術訓練の弾痕跡がある石がある。降れば正覚寺下の電停である。  閉じる

    投稿日:2018/01/26

  • 東京の「高島平」はこの人に因む地名です

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/04(約9年前)
    • 0

    地図と案内標識を頼りに住宅街の坂道を登ったところにありました。
    石積みの塀で囲まれた広い屋敷跡ですが建物は残っていません...  続きを読むでした。
    主のいない屋敷内の桜が綺麗に咲いていました。
    この高島秋帆が今の東京の高島平で砲術の練習をしたことから高島平の地名が付いたことを思い出しました。   閉じる

    投稿日:2017/04/17

  • 綺麗な石塀と、石倉のみがある兵学者の邸宅跡。

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約10年前)
    • 2

    高島秋帆(しゅうはん)は長崎出身
    江戸時代 後期の兵学者、砲術家。

    鉄砲を外国より購入し
    その鋳造に尽力した近代...  続きを読む的西洋流砲術の
    先駆者で進取的精神の持主だったそう。

    幕府の鉄砲方手付、教授方頭取
    講武所砲術師範役などを歴任した人。

    その様な方のお住まいですが
    敷地跡に残っているのは、周りを囲む
    綺麗な石塀と、硝煙庫と言われる石造の
    蔵のみ。

    木陰で鎮座する2匹の猫ちゃんが
    留守を守っている様でした。  閉じる

    投稿日:2015/09/17

  • よくわかりませんでした

    • 1.5
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    市電の長崎観光案内にこの場所の案内があったので、行ってみることにしました。
    ガイドブックにも掲載されていない場所でしたが...  続きを読む少し期待していました。
    市電を降りて坂道を少し上ると見つかりました。
    でも、なんだかよくわからない場所でした。
    確かに邸跡であることはわかるし、弾薬庫などの跡もありましたが、わざわざ行くほどのことはありませんでした。すぐ横に民家もありますし、もう少しきちんと残してほしい感じでした。
    その後偶然グラバー園で彼の情報を見れたので、グラバー園で十分だと感じました。  閉じる

    投稿日:2015/03/31

  • 建物はありませんでした。

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    高島秋帆は、江戸時代末期に荻野流砲術や西洋砲術の研究をした兵学者です。
    江戸時代の高島家は、長崎四家のひとつに数えられる...  続きを読む名家で代々、町年寄として町の行政権を握っていました。
    今では石垣・土塀・井戸・常夜灯が名残をとどめています。
    奥まった所にあり、素通りしてしまい、なかなか所在がつかめませんでした。
    坂道、きつかったです。
      閉じる

    投稿日:2014/10/13

  • マニア向き

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/05(約12年前)
    • 0

    長崎に初めて来たここを目指す人はまずいないと思います。
    実際ぶらぶら歩いてふと看板を目にしたのでついでに行ってみようと思...  続きを読むい坂を上っただけですから・・

    一般住宅とお墓やお寺の並ぶ細い道を結構歩きます。
    説明の看板はあるのですが立派な石垣で囲われた広場で建物などはなかったと思います。  閉じる

    投稿日:2014/05/13

  • 高島流砲術の祖

    • 5.0
    • 旅行時期:2014/04(約12年前)
    • 0

    高島家は長崎四家の一つで、代々町年寄として長崎の行政権を握っていた。秋帆は出島のオランダ人を通してオランダ語や洋式砲術を学...  続きを読むび、私費で銃器等を揃え高島流砲術を完成させた。
    1838年、大村町(現・万才町)にあった高島邸が大火で焼失したため、父がこの場所に建てた「雨声楼」という別邸に移り住んだ。原爆で大破し、現在は石段、石垣、土塀、弾薬庫、砲術練習場などが往時の面影をとどめている。  閉じる

    投稿日:2015/04/07

  • 花街からさらに坂を登り、思いっきり住宅街のような細い路地を歩いてやっとたどり着きます。

    旧宅といっても建物は蔵みたい...  続きを読むなものがあるだけで、お屋敷はありません。

    もともとお庭だったと思われるあたりには木があり、訪れた3月半ばでも椿やら、桜の一種のようなお花が咲いていて楽しめました。  閉じる

    投稿日:2014/08/17

  • 高島秋帆屋敷跡 長崎・丸山

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/03(約12年前)
    • 0

    高島秋帆屋敷跡は、丸山公園から徒歩7~8分の所にある幕末の砲術家の屋敷跡です。
    建物は、塀しか残っていませんが、坂の多い長...  続きを読む崎ではかなりの広さがあります。
    高島秋帆は、将軍の御前で、西洋式の砲術演習を行なったことで有名です。板橋区の高島平の名前の由来になっています。  閉じる

    投稿日:2014/04/03

  • 国の史跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/02(約12年前)
    • 0

    市電で、正覚寺下で下車して、案内板の坂道を歩いて行くと、国の史跡に指定されているこの跡地に着きます。今は、石倉、塀の一部、...  続きを読む建物の基礎が残り、それ程、広くない敷地のここで、鉄砲の訓練をしたそうですが、「強者どもの夢の跡」でした。  閉じる

    投稿日:2014/02/15

  • お宅があるかと思いきや跡地でした

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/02(約13年前)
    • 1

    路面電車を降りて、長崎名物の坂を登って、階段を上って着いてみたところが、お宅があると思っていたのに、基礎?が残った跡地でい...  続きを読むした。

    ちょっとうけたのは門があって違う名前の表札が掛かっていたことでしょうかね。  閉じる

    投稿日:2013/02/28

  • ここで大砲の試射・訓練をしたのでしょうか

    • 3.0
    • 旅行時期:2010/02(約16年前)
    • 0

    今は、敷地と石が残るのみ。

    投稿日:2010/02/13

  • 本当に跡地だけ

    • 2.5
    • 旅行時期:2009/12(約16年前)
    • 0


    幕末の砲術家として知られる高島秋帆の住居跡です。
    高島家は長崎の町年寄を務めた旧家。跡地には砲痕石、石垣、ねり塀が残...  続きを読むる。国の史跡に指定されています。

    「正覚寺」の見学の際に一緒に行きましたが、ただ(石碑)のようなものがあるだけで
    ここだけの見学に来る気はしませんでした。  閉じる

    投稿日:2013/04/06

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
高島秋帆旧宅
住所
  • 長崎県長崎市東小島町5-38
アクセス
JR長崎駅から長崎電気軌道1号系統で15分、正覚寺下電停下車、徒歩3分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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