2025/04/04 - 2025/04/04
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ちちぼーさん
夫と長崎に来た理由。
それは、長崎街道を歩くため。
また街道歩き?って思うかもしれませんが、たぶん夫とはどちらかが歩けなくなるまで
旅行は街道歩きになっちゃうかもなって思います。
なぜ、長崎街道かというと旅行記はまだだけどすでに始めている東海道を伸ばしてどこでぶつかるかって考えるのも面白かったけど、たぶんそこまでの長距離は私たちには無理。
これまた、まだ旅行記になっていない中山道でここを江戸時代に象が歩きましたっていう話があって、その象はベトナムから日本まで連れてこられた象でした。
徳川吉宗の象が見たいっていうわがままで海外から日本に連れてこられ、長崎街道を歩きさらに江戸を目指したわけです。
長崎街道は坂本龍馬やシーボルトや平賀源内などの歴史上の人物だけじゃなくて象も歩いたんですね。
そして長崎街道と山陽道を歩いた後は東海道を歩いたということになっていますが、実際は途中までは中山道を歩いたというのが史実のようです。
日本に来たときは雄雌1頭ずつだったけど、雌のほうは死んでしまったので雄1頭だけになって江戸まで歩いたわけです。
そしてたどり着けない可能性のほうが高いけど、佐賀へ行ったときに武雄温泉に泊まり長崎街道っていいなあと思ったのも大きな理由の1つでした。
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おはようございます。
朝食付きの予約ではないので、この日はコンビニでおにぎりを購入しました。 -
今は冷凍食品の自販機に煮あなごのすしとかいか刺身とかあるんですね。
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鹿島藩蔵屋敷跡・佐賀藩深堀鍋島家屋敷跡
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文明堂総本店はまだしまっている時刻
文明堂総本店 専門店
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私達の長崎街道のスタートは出島からです。
中山道や東海道のガイドブックや旅行記の多くが東からスタートするのと同じように、長崎街道も東の小倉から長崎へ行く資料や旅行記を多く目にします。
でも、私達は(はっきりいえば私1人のこだわりだけど)象の歩いた長崎街道を歩きたいと思ったので、スタートは長崎にしました。出島 名所・史跡
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出島の見学前にちょっと私のこだわりとして江戸で象と縁のあった場所へ行ってみました。
東京の浜離宮です。
江戸時代、長崎から江戸に連れてこられた象はここ浜離宮で過ごしました。 -
象は飼育にお金がかかり世話が大変ということで払い下げられました。
その結果中野に象舎がたてられそこで飼育されました。
こちら中野の朝日が丘公園がその象舎のあった場所です。 -
その後亡くなった象の骨と牙は宝仙寺に納められましたが、空襲により宝仙寺は全焼。牙は炭化して見つかったそうですが、非公開となっています。
話は長崎に戻ります・・・宝仙寺 寺・神社・教会
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出島和蘭商館跡
象は清国の商人によって日本に連れられてきましたが、出島は和蘭(オランダ)の商人のための場所ですね。
なんとなく鎖国というと長崎でオランダとの貿易だけだと思っちゃいますが、長崎ではオランダ以外に清と対馬では朝鮮国、薩摩は琉球王国、松前ではアイヌと交易していたのですよね。
本当は象の旅としては出島スタートじゃなくて唐人屋敷が良かったのですけどね。 -
出島の見学は8時から。
8時2分に一番乗りで見学スタートです。 -
他に見学者もいないのでまるで当時の出島に迷い込んだよう。
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一番船頭部屋
お部屋がかわいい。 -
カピタン部屋
オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用されていた出島で最も大きな建物。 -
阿蘭陀冬至(オランダのクリスマス)のテーブル
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毎回同じような写真になってしまうけど、私はここの壁紙が好きです。
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三番蔵の中は資料館になっていました。
こちらには長崎街道の話も。
長崎街道は別名シュガーロード。
長崎に輸入された砂糖は長崎街道を通って日本全国に運ばれました。 -
現在はその砂糖が通った道の銘菓をアピールしています。
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別の建物には夫の大好きな平賀源内の作ったエレキテルの模型もありました
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私が興味を持った象(広南従四位白象)の100年後にも贈り物として象が日本に来たそうですが、当時の将軍に受け取りを拒否され追い返された象もいたようです。
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柵の向こうに見えるのは日本のパフェ発祥の店だそう。
入りたそーにしている人がいるんですが、まだ開店前ですよ! -
模型は当時の様子を見せてくれます。
今は出島とは呼べないですからね。
出島も長崎街道の目線で見ると今までとちょっと違って見えた気がします。 -
シーボルト里帰りのアケビ
このアケビはシーボルトが来日中にオランダに送った植物を里帰りさせてもの -
江戸の人に見送られて出島を後にします。
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歩いていたら「象の仔」という名の喫茶店
これから象の歩いた道を歩くのでご縁を感じたお店だけど
もうやっていないようでした。 -
ここは幕末偉人通りだそうです。
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長崎街道とポストについての説明が。
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ここは
イエズス会本部
奉行所西役所
海軍伝習所
の跡だそうです。 -
小学校はもと代官屋敷があったところ。
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諏訪神社は長崎街道を長崎から出発する人は旅の安全と仕事の成功を江戸(小倉)から来た人は無事到着したお礼をする場所でした。
私達も諏訪神社にお参りします。
と、思ったのにこの後の街道歩きに備えて体力温存のため下で待っているそうです。
神様!2人分無理なら私1人分でいいですから、旅の安全よろしくお願いします。諏訪神社 寺・神社・教会
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厄はじき
厄をはじいてくれるおはじきははなれた所から入れるのだけど、私はコントロール悪いのでパス。 -
諏訪神社は長崎くんちの会場になっています。
長崎くんちが全国的に知れることになったのも、長崎街道のおかげだそうです。 -
長崎街道の案内板がありました。
一般の長崎街道の地図は小倉からになっているけど、さすが長崎。
スタートは長崎ですね。 -
シーボルト通りです。
シーボルト通り 名所・史跡
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「長崎街道はここにはじまる」
長崎街道の長崎側の起点は諸説あるようですが、こうして建っているのが長崎街道の起点と考えていいのかな? -
長崎街道についての説明があります。
象だけじゃなくてラクダも長崎街道を歩きました。 -
桜場天満宮
江戸時代は威福寺でした。
当時は、オランダ人や唐人等が将軍に会うため長崎を発って江戸に上る時にはここで勢揃いして見送り人と別れの盃を汲み交わし、旅の安全を祈る祈祷寺としても親しまれていました。
以前はもっと大きいところだったようです。 -
天満宮にはシーボルトが江戸へ行くときの様子がタヌキで描かれています。
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シーボルト通りの横には
長崎街道の説明と長崎歴史探訪路と書かれた石碑がありました。 -
坂本龍馬も長崎街道をあるきました。
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桜場中学校
こちらは日本初のキリシタン大名である大村純忠の家臣長崎甚左衛門の居館だったところで、そのあと270年間庄屋だったところです。 -
こちらに長崎街道の一ノ瀬番所がありました。
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古橋(中川橋)は鳴滝川にかかる石橋で眼鏡橋から6番目に架けられた石橋
現在は勾欄・親柱等をそのまま埋めこんで約1メートルかさ上げがされています。 -
シーボルト宅跡
シーボルト自身は出島以外で暮らすことができたということ?
当時、出島から出るのも大変なことだったので、シーボルトは別格の待遇だったということですね。
鳴滝塾もここにありました。シーボルト宅跡 名所・史跡
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桜の木の下にあるシーボルト像
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洋風の建物はシーボルト記念館。
シーボルト記念館 美術館・博物館
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シーボルト宅のイメージなのかと思ったらシーボルトが暮らしたのは純和風の建物だったようです。
当時内部は洋風の要素を取り入れていたそうです。 -
見学料は100円で充実した資料がありましたが、写真撮影は1階のこの辺りを除いて禁止でした。
見学後、持ってきた昼食を外でべて先へ進むことにします。
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