天橋立・宮津旅行記(ブログ) 一覧に戻る
福知山から天橋立に向かう途中、宮津に寄ってみました。<br />今回の旅で楽しみにしていた場所の一つです。<br /><br />宮津は宮津城というお城があった場所。<br />明治の廃城例で壊されたため、ほとんど残ってはいませんが、細川藤孝のお城です。<br />織田信長による毛利攻めで、明智光秀は丹波、細川藤孝は丹後を攻めました。<br />2人とも戦に勝利し、それぞれ城を築きます。<br />細川藤孝が丹後に造った城が宮津城です。<br />信長の命令で光秀に指示を仰ぎながら海辺の城である宮津城が築城されました。<br />光秀は琵琶湖湖畔に坂本城を築城した経験があったからだと思われています。<br />毛利水軍に対抗するための海沿いの宮津城だったようです。<br /><br />明智光秀の娘である細川玉子は細川藤孝の息子である細川忠興の妻になります。その細川玉子はカトリックの洗礼を受け細川ガラシャとなり、悲運な人生を遂げるのは有名なお話ですよね。<br />忠興と玉子が2年間の新婚生活を送ったのがココ宮津城です。<br /><br />また宮津は、江戸から昭和初期まで北前船で栄えた街でもあります。<br />奇跡的に残っていた宮津城の門や城下町の雰囲気、そして平成になって建てられた細川ガラシャの像を見て回ってきました。

そうだ!京都へ行こう! その14 宮津へ! 宮津の街をプラプラ。

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2022/07/01 - 2022/07/10

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nichi

nichiさん

福知山から天橋立に向かう途中、宮津に寄ってみました。
今回の旅で楽しみにしていた場所の一つです。

宮津は宮津城というお城があった場所。
明治の廃城例で壊されたため、ほとんど残ってはいませんが、細川藤孝のお城です。
織田信長による毛利攻めで、明智光秀は丹波、細川藤孝は丹後を攻めました。
2人とも戦に勝利し、それぞれ城を築きます。
細川藤孝が丹後に造った城が宮津城です。
信長の命令で光秀に指示を仰ぎながら海辺の城である宮津城が築城されました。
光秀は琵琶湖湖畔に坂本城を築城した経験があったからだと思われています。
毛利水軍に対抗するための海沿いの宮津城だったようです。

明智光秀の娘である細川玉子は細川藤孝の息子である細川忠興の妻になります。その細川玉子はカトリックの洗礼を受け細川ガラシャとなり、悲運な人生を遂げるのは有名なお話ですよね。
忠興と玉子が2年間の新婚生活を送ったのがココ宮津城です。

また宮津は、江戸から昭和初期まで北前船で栄えた街でもあります。
奇跡的に残っていた宮津城の門や城下町の雰囲気、そして平成になって建てられた細川ガラシャの像を見て回ってきました。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
個別手配
  • 福知山の駅前のホテルをチェックアウト。

    福知山の駅前のホテルをチェックアウト。

  • 福知山から京都丹後鉄道に乗ります。

    福知山から京都丹後鉄道に乗ります。

  • 通称、丹鉄です。<br />宮津と福知山を結ぶ宮福線に乗って宮津に向かいます。

    通称、丹鉄です。
    宮津と福知山を結ぶ宮福線に乗って宮津に向かいます。

  • 宮福線の福知山駅ホームです。<br /><br />ちっちゃい。。。。

    宮福線の福知山駅ホームです。

    ちっちゃい。。。。

  • 7時50分発の宮津行に乗ります。

    7時50分発の宮津行に乗ります。

  • 福知山が宮福線の始発駅であることが判ります。

    福知山が宮福線の始発駅であることが判ります。

  • 島式ホームですね。

    島式ホームですね。

  • 列車が入ってきました。<br />ココで折り返しで宮津に向かいます。<br /><br />大勢の高校生が下りてきて、大勢の高校生が乗車しました。

    列車が入ってきました。
    ココで折り返しで宮津に向かいます。

    大勢の高校生が下りてきて、大勢の高校生が乗車しました。

  • 途中駅で高校生が下りていくと、車内はガラガラ。<br />列車は長閑な田園風景の中を進みます。

    途中駅で高校生が下りていくと、車内はガラガラ。
    列車は長閑な田園風景の中を進みます。

  • 田んぼの緑が綺麗です。

    田んぼの緑が綺麗です。

  • 朝の8時47分。<br />福知山より1時間弱。<br />本読んでたらあっという間に宮津に着いちゃった。

    朝の8時47分。
    福知山より1時間弱。
    本読んでたらあっという間に宮津に着いちゃった。

  • 京都丹後鉄道の宮津駅。<br />舞鶴まで行く宮舞線<br />豊岡まで行く宮豊線<br />はここから出てます。

    京都丹後鉄道の宮津駅。
    舞鶴まで行く宮舞線
    豊岡まで行く宮豊線
    はここから出てます。

  • ココ宮津駅は元々は国鉄の駅です。<br /><br />今止まってり列車は宮舞線かな?<br />舞鶴方面に向かう列車です。<br /><br />軍港だった舞鶴と宮津を結ぶ国鉄だったのですね。

    ココ宮津駅は元々は国鉄の駅です。

    今止まってり列車は宮舞線かな?
    舞鶴方面に向かう列車です。

    軍港だった舞鶴と宮津を結ぶ国鉄だったのですね。

  • 駅のロッカーに荷物を預け、周辺を散策してみましょう。<br /><br />一番大きなロッカーになんとか2人分の荷物がギリギリ入りました。

    駅のロッカーに荷物を預け、周辺を散策してみましょう。

    一番大きなロッカーになんとか2人分の荷物がギリギリ入りました。

  • 宮津の駅前。<br />なんか寂しいぞ~~

    宮津の駅前。
    なんか寂しいぞ~~

  • 駅を振り返ります。<br /><br />駅前にはバス乗り場とタクシー乗り場があります。<br /><br />駅で宮津の散策マップを頂いて、荷物も預けたシニア夫婦はテクテク歩き開始です。

    駅を振り返ります。

    駅前にはバス乗り場とタクシー乗り場があります。

    駅で宮津の散策マップを頂いて、荷物も預けたシニア夫婦はテクテク歩き開始です。

  • 川沿いの「しらかべの道」に出ました。<br />白壁の奥に大手川を挟んでカトリック丹後教会が見えます。

    川沿いの「しらかべの道」に出ました。
    白壁の奥に大手川を挟んでカトリック丹後教会が見えます。

  • この白壁は、平成になって復元された宮津城の城壁です。

    この白壁は、平成になって復元された宮津城の城壁です。

  • 太鼓門<br />今は宮津小学校の正門ですが、宮津城の門の一つで、城の南側にあったようです。

    太鼓門
    今は宮津小学校の正門ですが、宮津城の門の一つで、城の南側にあったようです。

  • この太鼓門の説明書き<br />そもそもこの門の隣に時を知らせる太鼓櫓があったから太鼓門と呼ばれていたそうです。<br />江戸時代には藩校が作られ、それが現在の宮津小学校につながっているんですね。<br /><br />明治の廃城令でことごとく壊されてしまいましたが、この門だけはボロボロの状態で残っており、平成になって元あったこの場所に移築され、綺麗に整備されたようです。

    この太鼓門の説明書き
    そもそもこの門の隣に時を知らせる太鼓櫓があったから太鼓門と呼ばれていたそうです。
    江戸時代には藩校が作られ、それが現在の宮津小学校につながっているんですね。

    明治の廃城令でことごとく壊されてしまいましたが、この門だけはボロボロの状態で残っており、平成になって元あったこの場所に移築され、綺麗に整備されたようです。

  • 宮津小学校の塀も太鼓門の合わせて造られています。

    宮津小学校の塀も太鼓門の合わせて造られています。

  • 永い間、ご苦労様です。

    永い間、ご苦労様です。

  • いつまでも残ってほしいものです。

    いつまでも残ってほしいものです。

  • 大手川を渡ります。

    大手川を渡ります。

  • 案内図。<br /><br />これ見て再確認、<br />というか、駅で頂いた案内図よりわかりやすいので、これをスマホで撮影してそれ見て歩きました。<br /><br />イラストも入っていてわかりやすい。

    案内図。

    これ見て再確認、
    というか、駅で頂いた案内図よりわかりやすいので、これをスマホで撮影してそれ見て歩きました。

    イラストも入っていてわかりやすい。

  • 大手川沿いをテクテク。<br />宮津城の城内だった所を歩いています。

    大手川沿いをテクテク。
    宮津城の城内だった所を歩いています。

  • 振り返ると宮津の街の中心街が見えます。<br />川沿いの大きな建物は京都北都信用金庫の本店。<br />右の大きなアンテナの建物はNTT西日本です。

    振り返ると宮津の街の中心街が見えます。
    川沿いの大きな建物は京都北都信用金庫の本店。
    右の大きなアンテナの建物はNTT西日本です。

  • 左の緑のところは宮津市役所です。<br />市役所もお城があった場所にあるんですね。

    左の緑のところは宮津市役所です。
    市役所もお城があった場所にあるんですね。

  • 広いところに出ました。<br /><br />大手川ふれあい広場です。

    広いところに出ました。

    大手川ふれあい広場です。

  • その広場の中央には、、、、<br /><br />これ、<br />細川ガラシャ像<br />です。

    その広場の中央には、、、、

    これ、
    細川ガラシャ像
    です。

  • ガラシャの像の後ろにはカトリック丹後教会があります。

    ガラシャの像の後ろにはカトリック丹後教会があります。

  • この像、見たかったんだよな~<br />そのために宮津で途中下車した感じです。<br /><br />綺麗ですね~<br /><br />細川ガラシャ<br />ガラシャとは洗礼名で、名は細川玉子。<br />明智光秀の三女です。<br />織田信長の命で細川藤孝の長男である忠興に嫁いでいます。<br />その時、忠興はココ宮津城の城主。<br />細川玉子はココで2年間を過ごしています。<br />父である明智光秀が謀反を起こし、織田信長を討ったあと、秀吉に山崎の戦いで敗れて細川玉子は謀反人の娘になります。<br />夫である細川忠興は、彼女を守るために丹後の山奥の味土野(後日レンタカーで訪れました。)に2年間幽閉しました。<br />秀吉の計らいで大阪の細川家の屋敷に戻ることができましたが、高山右近の影響を受け、彼女はキリシタン細川ガラシャになります。<br />関ヶ原の直前、夫である忠興が上杉征伐に出陣している間に西軍の石田三成は細川ガラシャを人質にしようとしますが、彼女は拒否。<br />大阪の細川邸で彼女は壮絶な死を遂げました。<br /><br />ココ宮津は彼女が夫と新婚生活を過ごしたゆかりの場所なんですね。

    この像、見たかったんだよな~
    そのために宮津で途中下車した感じです。

    綺麗ですね~

    細川ガラシャ
    ガラシャとは洗礼名で、名は細川玉子。
    明智光秀の三女です。
    織田信長の命で細川藤孝の長男である忠興に嫁いでいます。
    その時、忠興はココ宮津城の城主。
    細川玉子はココで2年間を過ごしています。
    父である明智光秀が謀反を起こし、織田信長を討ったあと、秀吉に山崎の戦いで敗れて細川玉子は謀反人の娘になります。
    夫である細川忠興は、彼女を守るために丹後の山奥の味土野(後日レンタカーで訪れました。)に2年間幽閉しました。
    秀吉の計らいで大阪の細川家の屋敷に戻ることができましたが、高山右近の影響を受け、彼女はキリシタン細川ガラシャになります。
    関ヶ原の直前、夫である忠興が上杉征伐に出陣している間に西軍の石田三成は細川ガラシャを人質にしようとしますが、彼女は拒否。
    大阪の細川邸で彼女は壮絶な死を遂げました。

    ココ宮津は彼女が夫と新婚生活を過ごしたゆかりの場所なんですね。

  • この「祈り」<br />の文字を書いたのは細川護熙?<br />揮毫とあるので、、、、<br /><br />内閣総理大臣より<br />細川家第18代当主 という表記がいいですね。

    この「祈り」
    の文字を書いたのは細川護熙?
    揮毫とあるので、、、、

    内閣総理大臣より
    細川家第18代当主 という表記がいいですね。

  • 近くのこんな写真の展示がありました。<br />明治初期の宮津城の写真です。<br />映っているのは大手門。<br /><br />堀は今の大手川ですね。

    近くのこんな写真の展示がありました。
    明治初期の宮津城の写真です。
    映っているのは大手門。

    堀は今の大手川ですね。

  • こんな展示も。<br />宮津城が海に面して造られていたことが判ります。<br />大きなお城だったんですね~

    こんな展示も。
    宮津城が海に面して造られていたことが判ります。
    大きなお城だったんですね~

  • 今の地図と見比べてみます。

    今の地図と見比べてみます。

  • ココは大村邸という武家屋敷の跡なんですね。<br />

    ココは大村邸という武家屋敷の跡なんですね。

  • 大村邸の長屋門。

    大村邸の長屋門。

  • カトリック丹後教会です。

    カトリック丹後教会です。

  • マリア様

    マリア様

  • カトリック丹後教会の正面。<br />明治29年、フランス人宣教師であるルイ・ルラーブ神父によって建てられた聖堂です。<br />明治初期の貴重な教会建築です。<br />コロナの影響で聖堂には入れませんでした。<br />素敵なステンドグラス、見たかったな~

    カトリック丹後教会の正面。
    明治29年、フランス人宣教師であるルイ・ルラーブ神父によって建てられた聖堂です。
    明治初期の貴重な教会建築です。
    コロナの影響で聖堂には入れませんでした。
    素敵なステンドグラス、見たかったな~

  • 綺麗な教会ですね。

    綺麗な教会ですね。

  • 和貴宮神社にやってきました。<br />創建は不明ですが、15世紀には存在していたようです。<br /><br />入口の門は唐門ですね。

    和貴宮神社にやってきました。
    創建は不明ですが、15世紀には存在していたようです。

    入口の門は唐門ですね。

  • 江戸時代には宮津城下町の町人の社として栄え、北前船の往来などによって日本の様々な場所から参詣した豪商らの名が残っています。

    江戸時代には宮津城下町の町人の社として栄え、北前船の往来などによって日本の様々な場所から参詣した豪商らの名が残っています。

  • 本殿の装飾が美しい。

    本殿の装飾が美しい。

  • 古稲荷神社 という小さな神社の横を通っていきます。

    古稲荷神社 という小さな神社の横を通っていきます。

  • 桜山天満宮です。<br />細川家に代わって宮津城の城主になった京極家が17世紀に再建した神社です。<br />

    桜山天満宮です。
    細川家に代わって宮津城の城主になった京極家が17世紀に再建した神社です。

  • 祭神にまつられている菅公木像は、豊臣秀吉が身辺にもって尊崇していたものだとか。。。

    祭神にまつられている菅公木像は、豊臣秀吉が身辺にもって尊崇していたものだとか。。。

  • なぜか牛。。。。

    なぜか牛。。。。

  • 横から入っちゃったので、参道を通って外に出ます。<br /><br />一礼

    横から入っちゃったので、参道を通って外に出ます。

    一礼

  • なまこ壁の家があったり、古き良き街並みが残ってますね。<br />素晴らしい~<br /><br />今林家住宅。<br />国登録有形文化財に指定されています。<br />江戸から明治の糸問屋、ちりめん問屋だったようです。

    なまこ壁の家があったり、古き良き街並みが残ってますね。
    素晴らしい~

    今林家住宅。
    国登録有形文化財に指定されています。
    江戸から明治の糸問屋、ちりめん問屋だったようです。

  • 白壁に格子窓がカッコいいですね。

    白壁に格子窓がカッコいいですね。

  • 隣の佛性寺へ。<br />立派な山門ですね~

    隣の佛性寺へ。
    立派な山門ですね~

  • 17世紀に京極高広が建立しています。

    17世紀に京極高広が建立しています。

  • 境内には立派な聖徳太子殿がありました。

    境内には立派な聖徳太子殿がありました。

  • 引き続き古き良き街並みを歩きます。<br /><br />奥は袋屋醤油店。

    引き続き古き良き街並みを歩きます。

    奥は袋屋醤油店。

  • こんな表記。<br /><br />今も風情が残るこの通りは、宮津城下の主な道路の一つだったようです。<br />醤油屋さんの壁に馬留の金具??

    こんな表記。

    今も風情が残るこの通りは、宮津城下の主な道路の一つだったようです。
    醤油屋さんの壁に馬留の金具??

  • これだ!<br />ここに馬をつないでいたんですね~

    これだ!
    ここに馬をつないでいたんですね~

  • いいなぁ~<br />風情あるな~

    いいなぁ~
    風情あるな~

  • 三上家住宅にやってきました。

    三上家住宅にやってきました。

  • 江戸時代、酒造業、廻船業、糸問屋を営む一方、藩財政や宮津城下の町政に深くかかわっていた商家です。<br />大規模な町屋建築で、独特のその防火構造と酒造施設が見学できますが、、、、、<br /><br />近くを掃除していたおばあちゃんが、「今日はお休みですよ。」<br />私&家内「えー--??」<br /><br />残念。

    江戸時代、酒造業、廻船業、糸問屋を営む一方、藩財政や宮津城下の町政に深くかかわっていた商家です。
    大規模な町屋建築で、独特のその防火構造と酒造施設が見学できますが、、、、、

    近くを掃除していたおばあちゃんが、「今日はお休みですよ。」
    私&家内「えー--??」

    残念。

  • 名残惜しく、外にあった説明書きを見る私たちシニア夫婦。<br /><br />庭園もあるんだ~~<br />毎週水曜日はお休みなのね~

    名残惜しく、外にあった説明書きを見る私たちシニア夫婦。

    庭園もあるんだ~~
    毎週水曜日はお休みなのね~

  • ここに8棟の古き良き建物が残っています。<br /><br />残念。。。

    ここに8棟の古き良き建物が残っています。

    残念。。。

  • 名残惜しいです。。。

    名残惜しいです。。。

  • 突然、海に出ました。<br /><br />ポツンと宮津桟橋。<br />ここから天橋立まで船でも行けます。

    突然、海に出ました。

    ポツンと宮津桟橋。
    ここから天橋立まで船でも行けます。

  • 見づらいですが、正面の山と海との境にある緑の線が天橋立です。<br /><br />ちょうど天橋立に向けて船が出港していきました。<br />ググってみたら9時50分発ですね。<br />でもココ発の船は1日でこの1本のみのようです。<br /><br />

    見づらいですが、正面の山と海との境にある緑の線が天橋立です。

    ちょうど天橋立に向けて船が出港していきました。
    ググってみたら9時50分発ですね。
    でもココ発の船は1日でこの1本のみのようです。

  • 宮津と天橋立の位置関係を確認。<br />近いですね~<br />船で10分というのも判ります。

    宮津と天橋立の位置関係を確認。
    近いですね~
    船で10分というのも判ります。

  • 海沿いを歩きます。<br />だーれもいません。<br /><br />島崎公園というのですね。<br />海沿いが綺麗に整備されています。<br /><br />このあたりは埋め立てられた場所です。<br />以前はお城は海に面していたわけですから。。。

    海沿いを歩きます。
    だーれもいません。

    島崎公園というのですね。
    海沿いが綺麗に整備されています。

    このあたりは埋め立てられた場所です。
    以前はお城は海に面していたわけですから。。。

  • ちょっと暑くなってきました。

    ちょっと暑くなってきました。

  • 湊橋という橋を渡ります。<br />歩行者専用の橋です。

    湊橋という橋を渡ります。
    歩行者専用の橋です。

  • 大手川ですね。<br />もうそこは河口。<br />宮津湾です。

    大手川ですね。
    もうそこは河口。
    宮津湾です。

  • 渡ってきた湊橋を振り返ります。

    渡ってきた湊橋を振り返ります。

  • 大手川を渡って反対側を見渡します。<br />長閑だな~

    大手川を渡って反対側を見渡します。
    長閑だな~

  • 何やら大きな石。<br />これ、宮津城の本丸入り口の石垣。<br />その下の丸い穴の石は、大手橋の橋脚の礎石だそうです。

    何やら大きな石。
    これ、宮津城の本丸入り口の石垣。
    その下の丸い穴の石は、大手橋の橋脚の礎石だそうです。

  • 明治の廃城令で壊された宮津城。<br />残っている遺構は貴重ですね。<br />ほとんど残ってないんだもん。。

    明治の廃城令で壊された宮津城。
    残っている遺構は貴重ですね。
    ほとんど残ってないんだもん。。

  • 残された遺構は、地元で大切にされています。

    残された遺構は、地元で大切にされています。

  • 真っすぐ言ったら宮津駅。

    真っすぐ言ったら宮津駅。

  • 10時過ぎに宮津駅に戻ってきました。<br />宮津の街を約1時間でしたがくるっと歩いてきました。<br />後半暑かった~~<br /><br />さあ冷たいものでも飲んでから、ロッカーから荷物出して天野橋立に向かいましょう。<br />宮津の街歩き、面白かったです。<br /><br />続く

    10時過ぎに宮津駅に戻ってきました。
    宮津の街を約1時間でしたがくるっと歩いてきました。
    後半暑かった~~

    さあ冷たいものでも飲んでから、ロッカーから荷物出して天野橋立に向かいましょう。
    宮津の街歩き、面白かったです。

    続く

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この旅行記へのコメント (2)

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  • masaさん 2022/08/05 11:56:56
    畳敷きの教会
    こんにちは

    丹後はよく行くのに。宮津はついつい素通りしてしまう町です(^^;)
    むか~し、免許取りたての友人の運転で行ったことありますが、その時畳敷きの珍しい教会に行きました。宮津教会だったのかな?

    ゆっくり歩いてみたくなりました(^-^)

    masa

    nichi

    nichiさん からの返信 2022/08/07 20:14:26
    RE: 畳敷きの教会
    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    > 丹後はよく行くのに。宮津はついつい素通りしてしまう町です(^^;)
    →そうかもしれないですね。天橋立まで一気に行けますしね。

    > むかし、免許取りたての友人の運転で行ったことありますが、その時畳敷きの珍しい教会に行きました。宮津教会だったのかな?
    →そうです!そうです!
    私は聖堂内を拝見できませんでしたが、明治から大正に造られた聖堂は畳敷が多かったようで、宮津教会はその畳敷の聖堂が残る珍しい教会の一つだそうです。

    > ゆっくり歩いてみたくなりました(^-^)
    masaさんは私よりお近くでいらっしゃるので、是非いらしてみてください。

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