2016/05/09 - 2016/07/29
347位(同エリア443件中)
おくさん
歩く歩く歩く2016 イギリス人の道2
日本出発から63日目 プレセド - ブルマ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
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7月8日(金)狭いキッチンで昨日のレストランで買っておいたボカディージョ半分を食べて7時に出発する。このアルベルゲも巡礼路から少し外れているので、まずは巡礼路に復帰するために少し戻る。暗い山道だが、昨日の明るいうちに3つの曲がり角を確認しておいたので心配ご無用だ。
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暫く歩いて行くと、昨日ごはんを食べたレストランの裏手に出た。えーっ、巡礼路ってここを通ってたの!それが分かってたらわざわざ遠回りして淋しい裏道を通らなくて良かったんだが。どれもこれもまともな地図を持っていないんだからアチコチで割を食う。
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次の村には墓地付と思われる教会があった。いや、教会付きの墓地か。日本と同じように教会の敷地内に墓地があることがよくある。ここなら死んでからも安心てことなんかな。こういう墓地で良く見るのが団地みたいになっている現代風の墓地で、この墓地も同じだった。映画「星の旅人たち」では息子の遺灰を携えた父親が、サンチャゴ巡礼の道々で遺灰をまきながら歩いていたが、欧米ではそういうのが受け入れられるようだ。日本は遺骨を大切にする国民性なのか、散骨なんてとんでもないと思ってしまうだろうな。私も日本人なので、どうも散骨と言うのは馴染めない。自分のならまだしも、家族の遺骨をばらまくなんて正気の沙汰でない。
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その後は地図を見て想像したとおりの急な登りが続いていた。ひたすら歩き、途中に腰を下ろすのに手頃な石があった所でボカディージョの残り半分を食べて大休止。長めに休む時はいつも靴と靴下を脱いで足を開放することにしている。マメ対策であるが、実際こうした方が楽だし。この淋しい道では歩いている人が少なく、20分ほど休んでいる間、誰も通らなかった。
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森の中を歩いたり舗装路だったり、草原の中を歩いたり、変化に富んだ道を歩き続ける。今日の道は自然公園の中を歩いているみたいで凄く楽しい気分にさせてくれる。
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人里離れた山の中にポツンと何かの施設が建っていて、そこの壁に「ALBERGUE DE BRUMA 3km」と大きく書かれている。建て物は柵で囲まれており、扉には世界共通の「進入禁止」のイラストが描かれている。一体なんの施設なのか皆目分からないが、隣に鉄塔が建っているので電気関係かな?でも、この建物に送電線などは繋がれていないからやっぱり分からない。でも、こういうアルベルゲまで何キロと言う看板は先が見渡せて非常に有難い。残念ながらこういう親切な看板は滅多にあるものじゃなくて、百回に1回くらいかな?
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そこから30分歩いたところにブルマのアルベルゲはあった。スペインに良くある石作りの重厚な建物。11時10分に到着なのでとても早い時間だ。ホワン、ハイメ親子が外で開くのを待っていたので私は3番目の到着だった。取り合えずビールが飲みたい。このアルベルゲの庭には二羽鶏がいたじゃなくてビールの自販機が設置してあった。ビールが1ユーロに対して、手持ちのコインが0.99ユーロしかないと言うのは何かの皮肉か。どっちみち細かいコインを合計して1ユーロ揃ったとしても、そんなコインは使えないので別の方法を考える。
昨日はアルベルゲから400m歩かないと店がなかったが、ここには100mの所にバルがあった。早速そこへ行って生ビール1.5ユーロを飲ませてもらう。店の人にメルカード(スーパー)があるかと聞いてみたら、2km行ったところにあるそうだが、この暑さの中2kmはちょっと勘弁だ。ここにやって来る途中にも店はなかったから、昨日に引き続き買い物ができないイコール食料がないことになってしまった。食事は村に1軒だけのこのバルでとるしかなさそうだ。今はビールだけにしといて、3時ころにでも昼・夕を兼ねた食事をしにやってこよう。一日ほぼ二食はダイエットじゃなくて節約です。寝るのは毎日明るい内に寝てしまうし。 -
このバルは一般の民家と変わらない外観だった。表に出してある立て看板がなかったら誰もバルとは気がつかないだろう。村に1軒だけのバルなので競争相手がいないからこそ出来る荒技か。
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1時にオスピタレロがやってきてチェックイン開始。6ユーロ。Wi-Fiは相変わらずスマホでしか使えないろくでなし。今回も早い受付なので2階の下段ベッドを確保して一安心。このアルベルゲは我々フェロール出発組とア・コルーニャ出発組が合流するところなので、予想通り沢山の巡礼が続々とやって来る。大き目のアルベルゲだが、そのうち一杯になってしまうかも知れない。フェロールから一緒のスペイン3人娘はいつも到着が夜なので、あぶれる可能性があるな。さて今夜はどうなるか?
ここはベッドルームとシャワー、トイレが 別棟になっているので、夜中に一度トイレに起きる私には難儀な作りだった。暗闇で階段を踏み外さないように気をつけよう。
キッチンではお湯が沸かせて瓶の中に粉コーヒーがあったので飲んでみる。基本的にアルベルゲに残されている食材は前の巡礼が残して行ったもので、後の人が自由にしていいのが有難いシステムだ。瓶ごと置いていくなんて、どんなお金持ちなんだろう。
3時過ぎたのでバルに食事をしにいく。多くのバルにはWi-Fiが完備されているので、ここでゆっくり食事をしながらフェイスブックへのアップやメールをチェックしておく。もちろんこういう場合は日記もせっせと付けておく。 -
1皿目はジャガイモスープで2皿目にはポークを頼んだつもりだったが、出てきたのは昨日と同じチキンだった。鶏は骨が多くて食べづらいんだよな。ボトルワインはのんびり8割がた飲んでおく。味は旨くも不味くもないと言うところか。昨日のワインはとても旨かったので、私でもワインの不味い美味いは幾らか分かるんだな。ここの定食にはデザートにプリンとコーヒーも付いたので、まだ寝るまでには相当の時間があるので飲ませてもらう。
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4時近くにアルベルゲに戻る。暗くなるのは10時過ぎなので時間をつぶすのが大変だ。みんなも外で寛いだり近くの小川で遊んで時間潰しをしている。これもまたゆっくりと時間が過ぎて行き良いひと時か。
明日も公営アルベルゲに泊まる積もりだったが、ホワンが次のシグエイロには公営はなくて私営だけだと言っている。でも、タブレットの地図には公営があるらしいのだが同じところに私営もあるようなので行ってみないと分からない。どっちにしても、シグエイロ以外に泊まれるところはないので何とかするっきゃないだろう。念のためオスピタレロに聞いてみたところ、シグエイロには2軒アルベルゲがあるが、どちらもペケーニョ(小さい)で収容人数は少ないそうだ。早めに着いて地図に載っているアルベルゲをまず目指そう。
買い物ができないので明日の食料が殆どないが最後の頼みのスープを持っているので、それに日本から緊急用に持ってきている潰れたカロリーメイトでも入れて朝飯にするか?
ブルマのアルベルゲで一緒だった美人ママの一家はやってきたが、スペインの3人娘は来なかった。どこに泊まったんだろう?
日本出発から64日目 ブルマ - シグエイロ -
7月9日(土)ブルマのアルベルゲ。外はまだ真っ暗な内からみんなゴソゴソと活動開始している。キッチンに下りていくと、そこは明かりがついて沢山の人たちが出発準備の最中で活気があった。みんな早い出発にするようだ。取り合えず出る前に何か食べておきたいので、手持ちのインスタント玉ねぎスープを作り、誰かが置いてったマカロニと日本から持ってきたカロリーメイトの潰れたのを嵩増しに入れる。本当に腹に入ればいいやと言うだけの朝飯。こんなんでも食べておけば午前中くらいは歩けるだろう。もう食料が完全に底をついたので途中に店があることを祈ろう。昨日みたいにこれから山の中に入るのに食料なしだと心細いが、今日の行程はそんなじゃないらしい。
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6時50にブルマを出発。左手には朝やけ、前方には大量の朝もやが低く重く垂れ込めているのが幻想的だ。丘の間からあふれ出したモヤが私が歩いている前方の道路を音もなく横断している。まぁこれで音がしてたら地すべりだろう。なんとも良い眺めで、こういうのを見ると来た甲斐を感じる。
8時15、最初に出てきた村に運良くバルが店開きをしていた。他のみんなもこの有難いバルに寄って腹ごしらえをしていくようだ。私はまだ腹は減っていないのでカフェコンレチェだけ飲んでおく。1.3ユーロ。 -
バルのテレビではパンプローナの牛追い祭りのニュースを流していた。そうだ、パンプローナのサン・フェルミン祭は7月だったんだと気づく。日本のニュースやバラエティ番組でも時々目にすることがあるが、スペインで見る牛追い祭り(のニュース)は貴重なのでテレビ画面をカメラで撮っておく。
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歩いていくと道端に奇妙なものが現れた。あー、これかぁ。前にネットの巡礼記で見たことがある変なオブジェのある所までやって来ていた。恐竜のでっかい作り物やトラクターが遊具みたいのに乗り上げているオブジェだった。中には長い首がポッキリ折れた首長竜らしきものもある。ここんちは店でもなさそうなので、客寄せのために展示してある訳でもないらしい。ただの趣味で作ったのを我々に見せてくれようと言うのだろうか。変わった人がいるもんだ。
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次の町のOrdesのバルでビールとトルティージャでエネルギーを補給しておく。小さなパンがおまけで付いてきた。ここんちは5ユーロと少し高めだった。店内にいた巡礼夫婦が私を日本人と分かったらしく、「クマノコドー」と話しかけてきたので私のクレデンシャルを見せたる。熊野古道とサンチャゴ巡礼の共通巡礼手帳と言うレアものだよ。クマノコドーはどの位の日数で歩けるのかと興味があるようだが、あそこはルートが複数あって私も良く分かっていない。。テーブルの向こうでは初日のアルベルゲで一緒だったホワンじゃない方の父子が何か飲んで寛いでいる。あと2日で到着なので、みんな余裕が感じられる。
このバルで「ユーは日本からフェロール(イギリス人の道出発地)に直接来たのか?」と聞いてきた人がいたので、イルンから北の道を歩き始めて、これが3つ目のカミーノだと鼻の穴を膨らませながら自慢する。イギリス人の道は120kmちょっと、軽くその十倍を既に歩いているのを知って他のみんなもビックリしていた。ビールでもおごってくれないかな。
暑い中を延々と歩き続けてシグエイロの町外れまでやってきた。町の入口にある公園に7人の巡礼の集団が休んでいて、美人ママの家族連れもいた。シグエイロのアルベルゲは謎だらけなので、この人たちに付いていくことに決める。しかし家族連れは私がチェックしてなかったアルベルゲへ行くと言うが、残りの3人は私が目指そうとしているChiseaだったので、こちらのグループに移ることにした。家族連れもこの人たちも全員がスペイン人のようだ。段々と分かってきたが、イギリス人の道はスペイン人が圧倒的に多い。距離が短いので家族で歩いている人も多く、夏休みには最高のイベントなんだろう。 -
アルベルゲはほどなく見つかったが、扉が開かないようだ。ここでもう二人の巡礼が加わる。オーナーに電話で連絡するとすぐやってきた。どういう訳か、一旦、玄関からアルベルゲの中に入るも家の中を通り過ぎて裏口から外に出てしまう不可解な行動をとった。そこからまた少し離れた家に案内される。どういうカラクリなんだろう?やって来た家の壁には「売ります」という看板が掲げられている。ここはどうも、アルベルゲオーナーの持家で、アルベルゲが満杯になると臨時で泊まらせる家のようだ。普通の民家で部屋には家財道具もそのままあった。
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我々の構成は私がソロで、もう一人の女性もソロ。一組は親子、もう一組は夫婦だった。私だけ個室と言うことに決まったらしい。個室なので高めの24ユーロ。一泊6ユーロの公営なら4泊分の値段だ。こんなに大きな町なのに公営がないのは勘弁してほしいが、これも仕方がないことか、泊まれただけでも有難いとしよう。他の人たちはそれぞれダブルやツインに決まったらしい。みんなは20ユーロだった。みんなと一緒でいいから安い方がいいんだけどな。
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私の部屋だけが敷地内で別棟になっていてシャワー・トイレが独占できた。ま、高いけどこれも悪くないかな。Wi-Fiも使えるし。シャワー、洗濯して中庭に干しておく。陽が良くあたっているのですぐ乾きそうだ。
いつものルーチンが済んだので買い物の時間だ。スーパーに行くと伝えたら、親子で歩いている少年がネットの翻訳を使って何やら伝えようとしてきた。ポリスや違法という単語が混ざっているので唐突な文面に理解できないでいたところ、周りの大人たちも加わる。すったもんだの末に理解したことは、この家はアルベルゲとして登録されていないので、金を取って客を泊めるのは違法だと言うことがわかる。それでここにやって来るまでにアルベルゲの中を一旦通過して裏から出た意味が理解できた。オーナーは町の人には我々6人を正規のアルベルゲに泊める振りをしたかったのだ。「エンティエンド(理解した)、ポリスに聞かれたらステイ アルベルゲと言うよ」と身振りを交えて伝えたらみんな笑顔で一件落着。きっとオーナーの小母さんは私以外のスペイン人にはその事を口を酸っぱくして伝えてたようだ。みんなの真剣具合からそう理解した。
私が日本人と分かると、この親子は空手を習っていると言ってきたのでビックリ。少年は現在15歳で習い始めてまだ一年目だが親父さんはもう何年もやっているそうだ。親父さんが言う事には、空手は他のスポーツと違って、自分の体力に応じて出来るので良いと言っている(らしい)。今年のクリスマスに昇級審査があって、そこで茶帯になれるんだと嬉しそうに言っている(らしい)。実は私も若いころにやっていて、3級で茶帯だったと伝え、空手の話で目一杯盛り上がる。ポルトガル人の道で一緒になった女性空手家アレハンドラに続いてスペインで空手をやっている人に会ったのはこれで3人目だ。柔道なら国際的に知名度が高いので分かるが、空手も意外と普及してることに驚く。
スーパーではいつものように1リットルビールに生ハム、パン、缶コーラに1リットルオレンジジュースで3.45ユーロ。円なら416円ほどだ、スペインの物価安すぎっ。またレジ袋を持ってくるのを忘れた。安いのは結構なんだがビールは相変わらず冷えたのを置いてない。一縷の望みを託して(おおげさ)店員に聞くもここには冷えたのは置いてないそうだ。アルベルゲに戻って早速いっぱいやり始める。生ハムを早めに食べ尽くしてしまったので、数枚残っていたビスケットを肴に飲む。もう少し食料を確保しておきたいな。
ディナーが6か7ユーロで食べられる所があるそうなので皆で一緒に行く話になったようだ。ソロの女性は既に買い物が済んでいたので、5人でゾロゾロと歩いていくとレストランには行かずにスーパーへ行き、そこで材料を買ってアルベルゲで食べることに方向変換したようだ。私の聞き間違いだったのかな?
全員でカゴを持ってスーパーの中をウロチョロする。何を買ったのかと他の人とカゴの中身を見せあったりして、これも今まで経験したことのない楽しい時間かもしれない。空手親子がカップ焼きそばを買っていたので私も同じのを買ってみる。スペインのカップめんは大体旨くないのが経験済みだが、たまにはこれもいいかな。それにカットスイカ、ヨーグルト4、スープの素まで買って4.07ユーロ。今日は宿代が高かったので大分金を使ってしまったが食事は安く済んで良かった。
この5人とは急激に仲良くなった。やっぱり狭い範囲の中で小人数で付き合いだすと親密になる。言葉の方は相変わらずだが、みんなフレンドリーなので言葉が通じなくても楽しい。
6人全員で大きなテーブルを囲んで座り、それぞれ買ってきたもので夕飯にする。私が最初にスイカを食べだしたので皆がビックリした顔で見ている。「日本では最初にデザートを食べるのか?」と言う事らしい。日本でもデザートは最後だが、今はこれが食べたいのだと何となく答えておく(大体いつも何となく)。さらに意外な事が・・・スイカに塩をかけて食べることに全員がまたビックリして文字通り目を剥いている。え、そうなの?日本ではスイカには塩をかけるんだよ。すっごく意外な顔をしているが、こんな美味い食べ方をスペイン人が知らないとはこっちの方が驚きだよ。空手親子の息子の方がやけに私に興味を持ってくれてるので、息子も自分たちで買ってきたスイカに塩をかけて食べだした。みんなはそちらも興味津々な顔で「どうだ?」と聞いている。少年は「おいしい」と言って父親にも勧めている。他のみんなも注目していて「ほー」と頷いている。ひょっとして、スペインでスイカに塩を掛けるのが大ブームになったとしたら、その種を蒔いたのは私です。
少年は空手の本場、日本の国からやってきた私と同じことをしたいようでマゴマゴしている。食後にみんなで一緒に写真を撮ろうとなったときも、息子は私とツーショットを盛んに撮りたがっていた。きっと、東洋人と会ったことも初めてだし、面と向かって日本人と話すなんてことは人生で初なんだろな。北の道で泊まったアルベルゲの中学生の息子が私に強い関心を示したことを思い出した。
親子と夫婦とソロの女性に1枚ずつ和風マリアカードをあげる。そしたら裏にサインをしてとお願いされる。少年はそのほかにスマホの画面を見せて「心技体」と書いてとリクエストしてくる。心技体の意味も知っているようだ。 -
遅くなって女の子の4人組巡礼がやってきた。ちょうど皆で写真を撮っている時にやって来たので、女の子にシャッターをお願いする。小さな別棟がまだ空いているようなので、あそこに入ればいいやと思っていたが、私の棟の隣部屋に2人が入ってきた。そこは扉もない談話室タイプの部屋で、2つのベッドが無造作に置いてある。トイレに行くには女の子が寝ているその間を通らないと行けないので面倒なことになったな。多少高くても完全な一人部屋(と言うか一棟まるごと)だったのがシェアハウスに早変わりしてしまった。これで24ユーロは高いよ。
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日本出発から65日目 シグエイロ ー サンティアゴ
7月10日(日)早朝、トイレに行きたいのだが女の子たちが寝ている脇を通らなくちゃならないので我慢している。アルベルゲではそんなの普通なのだが、やっぱり一般の民家だと思うと何となく遠慮してしまう。部屋の外でゴソゴソと音がしているので、彼女たちはそろそろ起きだすのかなぁ?外はまだ真っ暗で大分早いのだが。
それから30分ほどしてから恐る恐る部屋を出てみたら、すでに女の子たちは出発した後でモヌケノ空だった。なんだ、それが分かってたら遠慮するんじゃなかった。今朝はみんなで朝食を食べるらしいのだが、一人で別の部屋に寝ているので何処で食べるのかも時間も分かっていない。他の人たちの動きも見えないのでボチボチかと思われる時間に部屋の外に出ていったら、全員がバックパックを背負って出かける準備ができていた。えっ、もう行くの!?デサジュノ(朝飯)は?どうも朝飯を食べるところはここではなく別のどっからしい。良かったぁ、パッキングだけはして置いたのですぐ出発することが出来る。私以外は全員がスペイン人なので、これらは前の晩に決まっていたんだろうが、悲しいかなスペイン語片言の私だけが知らなかったらしい。 -
少年が一人待っていてくれて、他の人たちはどっかに行ってしまった。表に出ると、真っ暗なのに地元民があちこちに居る。この人たちは早起きなんじゃなくて、昨日の夜から遊んでいる人たちだ。スペイン人が夜更かしなのは知っているが、こんな時間まで遊んでいたんだ。もう朝だよ。普段からこんなことやってたら仕事に差し支えるだろうが、今日は日曜日の朝なので特別なのかもね。
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二人で急いで他の人の後を追うも、真っ暗だしどこに行ったのか分からない。少年は分かっているのかな?昨日、最初に尋ねたアルベルゲの入口が見えるが、そこじゃないと思って少年の後について行くが迷っているようだ。ちょっと戻ってみようと言うことにしてみたら、さっきのアルベルゲを見つけて、少年はそこで食べられることを知っていた。私は今朝の流れが分かっていなかったのでチンプンカンプンだったが、中に入って行くと我々のメンバーの他にこの建物の中に泊まれた巡礼達が何人も朝飯を食べていた。オスピタレラのおばちゃんはトーストをじゃんじゃん焼いて後から後から出してくれた。途中で腹が減らないように5・6枚食べておく。
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同じ宿に泊まった6人で一緒に歩き出す。町の中で顔見知りの親子と合流し、今日は8人の大所帯になった。この親子は最初に泊まったネダのアルベルゲに居た人で、何度か一緒の宿になったことがあり、最初から一緒だったのはこの親子だけだ。
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薄暗い森の中にあった給水所は水が出しっ放しなので湧き水だろう。私は絶対に飲まないようにしているが、空手親子はボトルに残った水をまき散らしながら嬉々として水を汲みに走って行った。平気なんか?そんなの飲んだら下痢するんじゃないのかね。同じスペインに住んでいる人だから耐性があるんか?
森を抜けて丘を越えてだんだんとコンポステラが近づいてきた。途中の工業団地の中にあったバルに寄ると、ここでも休んでいるグループが何組もいた。ブエンカミーノ、もうすぐだね。 -
住宅団地の中に入ってきたようだ。同じような住宅棟がいっぱいたち並んでいる所で全員で巡礼路を見失う。こんだけ居るのに何故だーっ。あっちだこっちだと協議するついでに全員で記念写真を撮りだす。迷っている割には何とも呑気だ。少年がまたここでも私とツーショットを撮りたいと言うので付き合ってあげる。
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さすがスペイン人のグループで、近くにいた人を捕まえて道を教えてもらう事など朝飯前。そこから20分ほど歩いただろうか、ここは遠くから見たことがあるなぁと言う特徴のある建物が現れたので、いよいよカテドラルに近づいて来たのが分かる。もう歩いている端にはお土産の屋台まで現れだした。雰囲気からカテドラルの近くらしいことは分かるが、私はこの辺りの風景がまったく覚えが無かった。
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あ、ここは昨年、バスターミナルへ行く途中に歩いたところだ!ほどなくカテドラルの尖塔が見え出した。ここで全員の写真が撮りたいのでバタバタと走り出したら、何事かと思ったらしく、みんなが後ろから笑っているのが聞こえる。振り向いてカメラを向けたら、全員がその場で立ち止まってポーズを取ってくれたので、その阿吽の呼吸がまるで昔からの仲間みたいだった。
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オブラドイロ広場でそろって記念写真を撮る。空手少年のマヌエルがさっきもここでも私とツーショットで撮りたがっていた。親父さんもそれが分かるので、さっさとカメラを用意している。
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解散するときになったら、マヌエルが自分が持ってるマルチナイフをくれると言い出したのでビックリする。10種類くらいの機能が付いた大きいナイフなので、結構高いんじゃないの?一年前に親父さんからプレゼントされたナイフだけど、刃は切れなくなっているが他は使えると言っている。近くで見ている親父さんも、うんうんと頷いているので承諾済みらしい。日本人の悪い癖は封印して、少年の心を思って素直に戴いておく。自分はスイス製のちっこいのと、ポルトガルの道で買った安物の2本を持っているので、両方ともプレゼントする。日本びいきの少年の良い記念になってくれるかな。取りあえずここで解散として、各々当てのある宿に散って行く。
今回もおなじみのアルベルゲ・メノールに行ってチェックイン。受付してお金は払っても清掃時間なのでベッドルームに行くことはできない。地下のキッチン前は広いロッカールームになっているので、そこにバックパックを置いてカテドラルに戻る。ミサの30分前だが、空いた席は既にひとつもなかったので、パラドールのただ飯待合所に行ってみると、まだ3人しか待ってなかった。結局、時間になっても7人しか並ばなかったので、今回は定員割れしてしまった。イギリス人の道で仲良くなった知り合いでも居たら招待したいところだ。 -
今回の賄い食は前回より劣ったが、腹はいっぱいになったので満足。冷えた白ワインが旨かったので、ボトル半分を飲んでしまう。前回の時は前の人達が多く注ぎ過ぎてしまって私はちょっぴりしか飲めなかったので、江戸の仇を大阪で討った気がした(うそ)。もちろん、私は他の人を無視して自分だけ沢山注いだんじゃないですよ、今回は他の人は幾らも飲まなかったのが幸いした。
私がたまにスーパーから買うワインはフルボトルでも2ユーロ程だけど、このワインは最高級ホテルのパラドール御用達ワインなので高いんだろなー。でもこのワインの味は美味いのか不味いのか分からなかった。あいも変わらずです。
満腹になったところで、巡礼事務所に足を運んでコンポステラーノ(巡礼証明書)をゲットする。クレデンシャルはポルトガル人の道で使ったのと同じ物だったので、スタンプはどうするのかなと思ったら、(コンポステラのスタンプは押すところが決まっている)前に押されたスタンプの横に日付だけのスタンプを押してくれた。へー、こうやるんだと新鮮な驚きがあった。 -
事務所を出てカテドラル方面への道を歩いていると、ラストを一緒に歩いたソロの女性と再会する。この人はナップザックと杖だけで歩いていたので、どういう巡礼スタイルなのか興味があったが、足だか腰を痛めて大きなバックパックは配達サービスを使って歩いていたのだった。広場へ行くと、やはり最後を一緒に歩いた親子と再会し、すぐ美人ママの4人家族にも再会する。みんなで一緒にランチしようと誘われたので、昼飯はさっき食べたばかりなのでビールだけ付き合おうと一緒に歩いていく。結局、昼飯時で大混雑していたので手頃なレストランが見つからなかった。ママ達は聖年の門へ入る列に並ぶという。私はきちんと別れの挨拶をしていないマヌエル親子を探したいので、そこでハグして分かれる。
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やっぱり人が大勢集まるのはオブラロイド広場と巡礼事務所だろうと、広場から事務所へ行ってみる。今度は顔見知りのカップルと母娘3人と再会する。そんなに付き合いは深くなくても、みんなゴールしたことでテンションが上がっているのでやたらと喜び合う。あ、マヌエルが居たっと走り寄ったが別の親子だった。結局、空手親子とは最後のさよならをすることなく会わず終いになってしまった。とても心残り。
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メノールへ戻る途中に、いつも行くパン屋で食料を調達する。いつものように1リットルビールにポテチ、KASオレンジジュース、ヨグール4で5.15ユーロ。暑い日差しの中をメノールに戻り、キッチンの冷蔵庫にビールを入れてたら教師のホワン、ハイメ親子がやってきた。部屋に行くと、これも知り合いのカップルが同じ部屋だった。ホワン親子も同じ階に決まったようでやってくる。次から次へと知り合いと再会できるので不思議なようだ。
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このイギリス人の道は日数が少ないので親しくなる人も少ないだろうと予想して来たが、実は逆だった。歩いている人自体少ないので仲間意識が強くなり、泊まるアルベルゲも限られているので何度も何度も同じ人たちと出会うことになる。更に、期間が短いと言うことはゴールまでの日数が同じになり易く、離れ離れになる確立が低い。親しくなる人が多くなるのは必然だったのだ。
イギリス人の道、総括的な・・・私はサンチャゴ巡礼の一番の魅力は巡礼者同士の温かい交流と最初から思っていました。それがイギリス人の道には凝縮していたのは嬉しい発見でした。もしサンチャゴ巡礼に憧れていて、100キロの巡礼を経験したいと思っている人がいたら、このイギリス人の道は打ってつけですよ。100キロ巡礼はフランス人の道の後半にあるサリアを出発するのが有名ですが、サリアからの道は私としてはお勧めできません。私の考えるサンチャゴ巡礼の魅力とは別物だからです。それに、既に700kmを歩いて来た人と100kmだけ歩く人との温度差も、サリアからのルートには間違いなくあります。それに引き替え、イギリス人の道は全員が同じ距離を歩くので、言葉は悪いですがズル感がありません。イギリス人の道の出発地であるフェロールへ行くのは多少面倒でしょうが、もし許されるなら、イギリス人の道を歩くことをお勧めします。
日本で立てた計画ではイギリス人の道は影も形もなかったが、日数が余る関係で急遽採用してみました。当然、カミーノの地図もなければアルベルゲ情報も何も持ってなかったが、期待していなかった分、この道はとても素晴らしかったです。帰国までの日数が余ったらまた歩くと思います。
イギリス人の道はショートコースなので、これでおしまいです。明日からは最後のルート「歩く歩く歩く 2016フィステラへの道」を歩き始めます。
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン) の旅行記
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