2025/09/17 - 2025/10/28
104位(同エリア499件中)
Pメテオラさん
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2025年秋のスペイン巡礼フランス人の道、サンジャン・ピエ・ドゥ・ポールからサンチアゴ・デ・コンポステーラまでの779㎞(巡礼証明書ベース)の風景と巡礼姿をまとめてみました。
1日に20人から50人くらいの巡礼者と「ブエン・カミーノ!」(Buen camino: 楽しい道中を!)と、巡礼ならではの挨拶をしなから進みました。まさに、「袖振り合うも他生の縁」、「旅は道連れ、世は情け」の日々でした。多くの体験者が固有名詞を挙げて、仲良しになった巡礼仲間との日々を回顧しています。その後、仲良しの巡礼仲間と再会したのでしょうか。初秋の巡礼路は、昼下がりの暑さを除けば、とても過ごしやすい状態でした。大雨や大風にも祟られずにゴールへ着くことができました。
1日単位で巡礼日記を書いていると、とてつもなく冗長になります。全行程のエッセンスを一挙に見ていただき、「それなら私もサンチアゴ・デ・コンポステーラに行ってみっか」くらいに心が動いたら幸いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【巡礼の道しるべ「モホン」】
スペイン巡礼は、ルートに関わらず、青地に黄色のホタテ貝のマークと矢印が書かれた道しるべに沿って歩きます。スペイン語で「モホン」(Mohon:2つ目の”o” の上にアクセント記号あり)というそうです。写真左が現代版の金属製モホン、右が旧式の石造りモホンです。
ホタテ貝(スペイン語:コンチャ、フランス語:コキーユ、英語:シェル)は、巡礼路や巡礼者のシンボルマークで、巡礼者はバックパックの後ろにぶら下げて歩くのが一般的です。 -
【観光地兼巡礼宿場町のフランスのサンジャン・ピエ・ドゥ・ポール】(0㎞)
(以降、km表示はサンジャン・ピエ・ドゥ・ポールからのおおよその距離です)
フランス人の道を踏破するスペイン巡礼者の多くが出発点とするのがサンジャン・ピエ・ドゥ・ポール(St Jean Pied de Port)で、ゴールまで779㎞あります。写真は、一本道の目抜き通り。ここは、フランス、バスク地方の観光地でもありますので、レストラン、お土産屋さんがいっぱいです。観光客も巡礼者もいる活気ある町でした。 -
【フランス人の道は4区分くらいで理解しましょう】
スペイン領内のフランス人の道は、だいたいブルゴス(280㎞)、レオン(460㎞)、サリア(660㎞)の3都市くらいを節目に4区分くらいで考えると全体感がつかめると思います。東京から岡山の先まで歩き通す感じですが、峠越えや丘陵地の昇り降りがあるので、肉体的には厳しい日々となりました。写真はピレネー越えの峠道。舗装道路ですがイメージ以上に急こう配でした。
思い立ったら、10回くらい、1回25㎞前後を歩く練習を繰り返しましょう。途中に坂道や砂利道があると、より実践的な練習になります。 -
【初日のピレネー越えこそ、有名な難所】(0~24㎞)
巡礼情報や各種体験記が「最初で最大の難所」と強調しているのが仏西国境のピレネー山脈を越える峠道です。ふもとから、やや勾配のきついダラダラ坂の舗装道を約4時間かけて1つ目の峠に到着、その後1時間半くらいで2つ目の峠に到着しました。
写真は、2つ目の峠の標高1430mのレポエデール峠(Col de Lepoeder:仏語 / Collado de Lepoeder:西語)です。晴天微風の下、きついながらも満足度の高い歩きができたことは幸いでした。眼下の森林風景も広々としていました。 -
レポエデール峠を越えると、すぐにスペイン側で最初の宿泊地であるロンセスバーエス (Roncesvalles) のアルベルゲと集落が、はるか下方に目に入ってきます。ここまで来れば、もう安心。急な下り坂で転んだり、膝に体重をかけないようにして降りていきました。峠からアルベルゲまでは約2時間かかりました。
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【ロンセスバーエスで巡礼仲間意識が芽生える】(24km)
午前7時に歩き始め、午後3時前にロンセスバーエス のアルベルゲ到着です。チェックインの行列の最中は、見知らぬ人どうしでも、目があえばにっこりと顔を見合って握手などをしながら、難所通過の健闘を称え合います。巡礼仲間としての一体感が最初に芽生えた瞬間です。 -
【初めての巡礼メシでも盛り上がる】
ロンセスバーエスの巡礼者専用アルベルゲは夕食朝食付きも選択可。実際は、アルベルゲの外にある近接のホテル2カ所に分散しての巡礼者用安価メニューの夕食でした。いわゆる menu de peregrino (メヌ・デ・ペレグリーノ)です。達成感いっぱいの高揚した気分になっていますので、にぎやかに食も進んで、わあー、とした感じのまま解散です。峠道で見かけた顔に出会えば、お互いにっこりと自己紹介。「旅は道連れ、世は情け」そのものの情景が展開しました。 -
【パンプローナまでは森林のハイキングコース】(66km)
ロンセスバーエスからパンプローナ(Pamplona / Iruna)までは、峠道や丘陵地の昇り降りが頻発するものの、気持ちの良い森のハイキングコースです。家族連れのハイカーや、この区間だけ歩く巡礼者もいて人出が多い区間。夏場はアルベルゲがすぐに満室となり、タクシーで遠くの民宿に行ったという事態が頻発するのも、このあたりです。 -
【ペルドン峠に寄ったバスツアー客の期待に応える】(80km)
パンプローナから3時間くらい歩いたところにペルドン峠(Alto de Perdon )があります。ここは、銅板でできた巡礼者像が並んでいることで有名です。私が汗をかきかき到着したときは、パンプローナ発の観光バスツアー客20数名も到着したので、大勢でわいわいがやがや。ツアーガイドさんから「あなた巡礼者ですよね」と確かめられてしまいました。向こうからすれば、見慣れない顔つきながらも、ホタテ貝をしっかりバックパックにぶら下げた巡礼者の実物を見られたことで満足だったようです。 -
【ペルドン峠から先の平原地帯が始まる】(80km)
ペルドン峠の西には、小さな起伏はあるものの、これまで見たこともなかった広々とした平野が横たわっていました。このあたりからレオンの先までの約400㎞は、ときどき丘陵地こそあるもののメセタと呼ばれる台地状の平原地帯を延々と歩きます。ピレネー越えとペルドン峠直下の砂利がゴロゴロした急な下り坂のせいで、私は足の裏が痛くなってきました。くるぶしや太ももが痛くなる人もいました。それでも、何とか歩くのが巡礼です。 -
【スペイン版『美しい村』もあれば逆もあり】
スペイン巡礼路は世界遺産に指定されているので、景観保護にも力を入れています。途中途中でスペイン版の「美しい村」を通ります。前半の区間でもプエンテ・デ・レイナ(90km)、ヴィアーナ(152km)、カストロヘリス(323km)などです。丘の上に、デザインも色合いも揃った数百年前の石造りの街並みが、教会の尖塔を取り囲むように並んでいる光景は歴史そのものを見ている気がします。
写真は、プエンテ・デ・レイナ(意味は「女王の橋」)の石橋です。こうして、ちょっと脇にそれて現代のコンクリート橋の上から眺めただけで、そのまま歩いているだけでは視野に入ってくることはない端正な姿を見ることができました。 -
写真は、ログローニョの手前の丘の上の集落ヴィアーナ(Viana)の遠景です。昔、敵襲をいち早く察知して防御を固めるには良かったのでしょうが、街に入る直前に急な上り坂があるのです。「バルまで、あと少し」と思って気が緩んでいるので、足は不用意に疲れ、汗も追加で吹き出しての到着になりました。
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【半分以上の街並みは「ボアリング」】
美しい村以外の街並みは、スペイン中にあるような造りで、写真のような雰囲気です。巡礼者の気持ちにも響かないようで、一様に「つまんない:boring」とか、「ありきたり:nothing special」とか言われていました。 -
【メセタ】
メセタ:Meseta(台地とか高原の意味)に差し掛かると、風景は単調そのもの。刈り入れを終えた麦畑や、茶色になった牧草地のなかの道を、ときには真っすぐに、ときには、うねうねしながら進みます。町や村が遠くに見えてきても、そこまでは1時間くらいかかることもざら。巡礼とはひたすら歩くことでした。 -
【ブルゴス大聖堂の威容が第1の節目】(282km)
サンジャン・ピエ・ドゥ・ポールから10日強でブルゴス:Burgos に着きました。世界遺産ブルゴス大聖堂は巡礼者と観光客でいっぱいです。ここで巡礼者の顔ぶれが大きく交替しました。いったん巡礼を打ち切る人や始める人、足休めに2泊する人などが大勢いました。単調だった日々も少し華やかになり、巡礼気分をリセットです。 -
【背中に御来光を受けつつ】
スペインの日の出と日没は、日本人の感覚プラス2時間です。西へ西へと進んでいるので、8時前だった日の出は、いつの間にか8時過ぎになっていました。周囲がオレンジ色に染まったタイミングで後ろを振り向くと、初々しい光彩を放つ太陽が一直線の地平線から昇ったばかり。暗いうちから外に出る巡礼者にとっては日課のような光景でした。 -
【飲める水は飲めるし、飲めない水にはバツ印】
巡礼路上には、ときどき水場があります。イラストを見れば飲用可否は一目瞭然です。「ヨーロッパの水は・・・・」という知識は、ここでは無縁。都市部の水道水ではなく、おそらく”ろ過”した湧水なので、よほどの人以外、ちゃんと飲めて腹も下しません。 -
【メセタ、メセタ、メセタ】
初秋のメセタの砂利道を、ひたすら前進します。遠くに見える次の村は3~4km先です。 -
少し起伏があると坂道になりますが、急な下りは、いつも用心して杖を突いて歩きます。まさに「転ばぬ先の杖」。
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【それでもカリヨン・デ・ロス・コンデスまで進んだ】(366㎞)
たまに大きめの集落があります。写真は、カリオン・デ・ロス・コンデス:Carrion de los Condes という町。 ここから、その次の集落まで17km以上、人家もない地帯なので、韓国人もニッポン人もアメリカ人も泊まる人が多い場所です。並行して走る国道を通るクルマは、あっという間にカリオンの街並みに消えていくのに、私は100mくらい前を歩く巡礼仲間にさえ追いつきません。 -
【再びメセタ】
周辺が明るくなり始めた午前7時半ごろから私は歩き始めます。今日も快晴、日の出前後の気温は10度を切るようになりました。 -
【まだまだメセタ】
道沿いに並木があれば、日中の陽射しが少しさえぎられます。秋口でも正午ごろの気温は17~18度、14時ごろになると20度を超えます。宿泊予定地に着くころには汗だくのうえに、さらに汗をかいています。盛夏に、こんなところを5時間も6時間も歩いたら、熱中症にならない方が不思議でしょうね。 -
【やっぱりメセタ】
画像をスクロールしている読者様もだんだん飽きてきた頃だと思います。けれども今日もメセタを進みます。
余談になりますが、私は1カ月で8㎏やせました。顔つきもほっそりしたようです。
奥さん:「せっかくスリムになったんだからリバウンド禁止よ!」
同僚:「久しぶりに見たら、一瞬、『このままやせ細って死ぬんじゃないか』と思ったあと、『そう言えば、歩き遍路とかするって言って休んでいたんだ』と気づいてほっとした」 -
【第2の節目、レオンに到着】(461㎞)
歩き始めて20日ほどでレオン:Leon に到着。779㎞のうち半分超が過ぎました。特別な感慨はありませんでした。レオン大聖堂に参拝するのは後回しで、巡礼仲間と街中の美味しいレストランに行きました。私は、敬意を持って接していますが教会にあんまり興味がありません。 -
【プエンテ・デ・”オ”ルビゴの長い石橋と騎士伝説】(492㎞)
レオンを出ると少しずつ山々が近づいてくる気配がしました。13世紀に造られたという「プエンテ・デ・"オ"ルビゴ(Puente de Orbigo )」の長い石橋を、横道にそれて、まじまじと鑑賞しました。
以下のサイトのように、恋人の気を惹こうとして、この橋で騎士が通行人に一騎打ちを挑み続けたのだとか。
https://www.spain.info/ja/meisho/kyuu-oburigo-kyou/
想定場面は異なりますが、橋の上で通行人を待伏せする発想は、京の五条の橋の上で通行人を待伏せしていた弁慶の物語と重なります。 -
【巡礼途上で天に召された方々に合掌】(500㎞)
巡礼路脇には、ところどころに十字架や慰霊碑が建っています。巡礼途上に天に召された信者たちの魂をなぐさめるためです。遍路道沿いのお地蔵様と同じです。いつも一礼や合掌を忘れずに通り過ぎました。暗い時分や、巡礼仲間と雑談中は忘れたかも知れません。ごめんなさい。 -
【第2の難所、イラゴ峠へ連なる山々】(522㎞)
アストルガ(Astorga)(510km) というチョコレート産地の都市を過ぎると、行く手に山々が、はっきりと立ちはだかりはじめます。単調な風景に変化が出てきたのは嬉しいのですが、アプリでチェックすると標高1500mの峠越えとの情報。登りもきついですが、急こう配の下り坂が長そうなので、いやな予感がしました。 -
【フォンセバドンは廃村から復活した巡礼者専用集落】(535㎞)
巡礼路は、ラバナル・デル・カミーノ(Rabanal del Camino)という村から急に登りとなり、1時間強かかって山の中腹のフォンセバドン(Foncebadon)に入ります。伝聞によると、いったん廃村になったものの、峠の前後の宿場間の距離が長すぎたので復活させた場所とか。家屋すべてがリニューアルされたような印象を受けたのは、そのためだったようです。過疎地における観光業の大切さを体現している集落でした。 -
【峠のサミットに立つクルス・デ・フェロ】(537㎞)
この十字架も各種巡礼記によく登場します。クルス・デ・フェロ(Cruz de Ferro)は、読んで字のごとく「鉄の十字架」。休息所でもあり、十字架の根元に置かれた巡礼者持ち寄りの石ころで有名な地点です。公園管理人みたいな方がいて、ゴミを片付けたり、巡礼者と話したりしていました。 -
【急傾斜の道をエル・アセボ村へ転がるように下る】(546㎞)
クルス・デ・フェロのちょっと先からエル・アセボ村(El Acebo)までは、浮石がごろごろした急傾斜の下り坂が絶え間なく続きました。雨で浸食され、えぐられたようになったままの場所も多く、ちょっと油断すれば転倒や捻挫しかねない道です。巡礼者にわざと試練を与えているのでしょうか。なぜ、重点的にメンテしないのか理解に苦しみました。巡礼者の安全第一こそ、観光業でも最優先事項のはずです。 -
【美しい村ふたたび、モリーナセカ】(554㎞)
エル・アセボから再び急こう配の下り坂を2時間ほど進むと、やっと道は平たんになり、モリーナセカ:Molinaseca という、やや大きめの村に着きました。ここも、「スペインの美しい村」のひとつのよう。きれいに整備された石橋と教会の塔、少し曲がった巡礼路沿いに隙間なくならんだ石造りの建物が旅情をさそいました。 -
【テンプル騎士団の城跡があるポンフェラーダ】(561㎞)
ポンフェラーダ:Ponferradaも、市街地直前が急坂の登りになっている中世以来の都市でした。テンプル騎士団(Los Templarios)の居城だったという城跡があったので入ってみました。眼下に新市街が拡がり、遠目にガリシア州境の山並みが見える絶景の城跡でした。
世界史を勉強した方は、「テンプル騎士団」の名前くらい覚えていませんでしょうか。サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼者の保護にも尽力したようです。宗教団体である一方、莫大な資産を銀行のごとく運用していたのですから、命がけで遠路はるばるやってきた巡礼者に宿や食事くらい提供しても、過度な営利活動の罪は帳消しできないと私は思っています。 -
【景色は初秋から中秋へ】(570㎞)
ポンフェラーダを通過するとガリシア州境の山並みがぐんぐん迫ってきました。ブドウの木の葉も色づき始めていました。天気も足の調子もよく、ひたすら歩くなかにも余裕が生まれてきたかと思い始めましたが、甘かったです。やっぱり、最後の1時間くらいは、ふうふう言いながら歩んでいました。 -
【メルヘンチックな街カカベロス】(577㎞)
このあたりまで来ると、仲良くなった巡礼者や、つかず離れず顔を合わせる巡礼者がいっぱいいるようになっています。カカベロス:Cacabelos で泊まったアルベルゲは窓辺の花もきれいなメルヘンチックな外観と、2段ベッドながら小部屋に分かれた造りが印象的でした。そのうえ、偶然ながら何人もの顔見りが同宿していました。 -
シャワーや洗濯を終えて、バルやアルベルゲ前の椅子で、ひまつぶしをしていると「やあ、あなたもここ泊まり?」、「あんた、いたの?」、「俺、今日はこいつといっしょに着いた」と、巡礼友達の輪が広がったお決まりのパターンが展開。示し合わせたわけでもないのに、赤い服のスペイン人おじさんとは、サンチアゴ・デ・コンポステーラからの帰りの特急列車の座席まで隣り合わせでした。
まさに「袖振り合うも他生の縁」。これがスペイン巡礼の楽しさのひとつなんだと強く記憶に刻まれました。 -
【最後の難所、オ・セブレイロとポイオ峠道に挑む】 (605㎞)
私は、峠道の登りが1日の歩き始めになるよう宿泊地を調整していました。当局推奨の巡礼日程表では、宿泊場所に着く前に登り坂があるパターンがありました。午後の疲れが出やすい時間帯は、できるだけ楽をして宿屋に着きたいなと思っていました。そのため、最後の難所オ・セレブレイロへの登りは、ふもとのラス・エレリアス(Las Hererrias)から始めました。村の背後に1000m以上の峰が見えていますが、こちらの斜面はあまり黄葉が進んでいないようでした。 -
【ガリシアの秋は色彩不足】(610㎞)
写真は黄葉のオ・セブレイロ: O Cebreiloからポイオ峠:Poio へ連なる山々です。広葉樹林なのに黄色と黄緑色が、適度にまざった色合いで、全然美しくありません。赤い葉っぱの樹木も、ぽつりぽつりと立っているだけです。
日本の紅葉は別格で美しいと、何度目かのニッポン再発見です。それにしても、ガリシア州の山の色彩は乏しすぎます。イタリア中部のトスカーナ州の黄葉は、もうちょっと富んだ色彩だった記憶があります。 -
【初めてのガリシア州風景】(614㎞)
オ・セブレイロの集落付近から、初めてガリシア州の風景を眺めました。山の東側も西側も黄葉しているのが目立たないくらいの地味な秋景色でした。
サンチアゴ・デ・コンポステーラまでは、もう150㎞くらいの地点です。ガリシア州のモホン(道標)には、残りの距離が152.467㎞のように細かく刻まれていましたが、そこまで刻む意味はあるのでしょうか? -
【森に囲まれた宿場町トリアカステラ】(635km)
トリアカステラ(Triacastela)は、モデルコースの宿泊地になっていますが、大きめの集落程度です。峠を下ってくると、かなり遠くからトリアカステラの家並みが見えてきます。森に囲まれた美しいたたずまいが巡礼者の足を急がせました。村の一本道沿いにアルベルゲやレストランが立ち並び、多くの巡礼者に混じって地域住民もクルマで来て評判のレストランに出入りしていました。 -
【短距離巡礼の出発地サリアは第3の節目】(652㎞:指南書ベース /665㎞:以降は証明書ベースの距離)
サリア:Sarria は、教会側が巡礼者に課す必要条件としている最低100㎞の道のりを歩く場合の代表的な出発地点です。サリア発の巡礼者は、年間巡礼者数52万人強のうち16万人にも達しています。普通の人でも無理なくスペイン巡礼の楽しさを体験できるきっかけになることは、とてもよいことです。サリアも、森と丘に囲まれた静かなたたずまいの小都市でした。 -
サリアの巡礼路も、そこだけ景観保存地区よろしく、急な登り坂沿いにアルベルゲや飲食店が並んだ場所を走っています。巡礼路以外は斜面に広がる普通のスペインの小都市風景。10月半ばになると人の気配もちらほらでしたが、シーズン真っ盛りの朝や昼過ぎには、たくさんの巡礼者が市街地や石畳の上を闊歩することでしょう。
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【サリア発巡礼開始直後の日の出は感動物】(669㎞)
10月半ばのサリアの日の出は8時半前後です。サリアを8時前に出ると、次の集落であるバルバデロ:Balbadelo 付近で御来光となりました。多くの巡礼者が東向きの斜面で足を止めて、オレンジに染まる空と、山の向こうから顔を出した太陽に歓声を上げていました。巡礼中は、夕焼けより朝焼けが身近かになります。 -
【大きな栗の木の下で】(680㎞)
ガリシア州に入ると、トゲトゲの栗の実が落ちている場所があちらこちらにありました。見上げると、日本ではあまり見ない栗の巨木が家の庭先や牧場の縁で枝を広げていました。童謡「大きな栗の木の下で・・・・」の情景にぴったりのイメージです。「・・・・、あなたとわたし、仲良く(歩きましょ)」
栗の木に混じってリンゴの木もたくさんあり、赤く熟れかかった実が目に入りました。日本のカキの木みたいです。小粒で酸っぱいのでしょう、誰も採りません。 -
【ポルトマリンに渡る橋は高くて怖い】(687㎞)
サリア発の巡礼者が初日に泊まることが多いのがポルトマリン:Portomarin。大洪水のあと、高台の急斜面に街ごと移転したので、碁盤の目の道沿いに並んだ白い家並みが美しい町でした。ポルトマリンに入る直前、深い谷間に架かった新しい橋を渡りますが、かなり高く、歩道も狭いので恐怖感がありました。ほとんど下を見ないようにして、そろそろと歩き、無事に対岸に着いたことは言うまでもありません。 -
【映画「The Way」にも登場したポルトマリンの階段】(687㎞)
いまやアメリカ人巡礼者数は地元スペイン人に次いで多いのですが、アメリカ人やオーストラリア人の巡礼ブームを引っ張っているのが、2010年に公開された「The Way」という、巡礼者を主人公にした映画。(日本では「星の旅人たち」)その中の巡礼路風景のひとつにも、ポルトマリンの市街地に上がっていく階段状の石橋があります。荷物を背負って階段を登りたくないのですが、選択肢が他にないので、ゆっくりとステップに足を掛けて進みました。 -
【相変わらず変化の少ない巡礼路】(695㎞)
サンチアゴ・デ・コンポステーラ100㎞圏に入ったからと言って、巡礼路が歩きやすくなったかと言えば、全然違いました。丘陵地帯に入った分、ちょこちょことアップダウンが連続して面倒くさい感じ。サリア発の巡礼初心者には試練、歩き慣れた長距離巡礼者にとっては「またか」程度でしょうか。 -
【Camino、お遍路友好記念碑って何だ】(712㎞)
サリアから2泊目の宿場であることが多いパラス・デ・レイ(Palas de Rei)という町の巡礼路上に、武部はる奈さんという方が建立した「CAMINO友好記念碑」がありました。裏面の碑文を読むと、何かの協定の証とか、姉妹都市提携記念とかではないようですが、やっぱりニッポン人の多くがスペイン巡礼とお遍路さんの共通点を感じるのですね。
なお、世界で2つのみの「道」の世界遺産である「スペイン巡礼路」と日本の「熊野古道」は姉妹道や観光交流協定を結んで観光客誘致を進めているようです。けれども、スペイン巡礼の信仰的な要素に近いのは、どちらかというと、お遍路さんの四国88カ所めぐりです。熊野古道に続いてお遍路さんが外国にも知れわたり、歩き遍路のインフラその他がスペイン巡礼並みに整備されればいいなと思っています。 -
【タコ料理で有名なメリデに入ってくる巡礼者たち】(726㎞)
メリデ:Melide は、巡礼者に名高いタコ料理店が2軒点在する宿場町です。未舗装の坂をゆっくりと上がってくる巡礼者は、街の大通り沿いのタコ料理店に入るのが定番。また歩き始める人もいれば、メリデ泊まりにする人もいます。 -
私はメリデで1泊しました。巡礼路沿いにアルベルゲやバルが並んだ光景は、もうすっかりお馴染みです。日没も19時過ぎに早まったので、22時の門限前をまたずとも20時すぎにはイルミネーションが風情を醸し出しているスペイン風の夜景が拡がっていました。
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【バランスをくずしたら落ちそうな石橋】(730㎞付近)
メリデを出ると、巡礼路が二股に分岐する場所があります。本線格の道は森の中に入ると自然石でできた石橋に差し掛かります。表面が平らでないのでバランスをとって、ささっと渡るのがコツ。何で、わざわざ、こんなスリリングなことをさせるのか理解に苦しみます。
「雨の日なんか、かなりの確率で、すべるぞ!」 -
【リバディソの急坂を登る巡礼者】(738㎞)
ガリシア州内は、村の出入口に急な登り下りがある場所が多いというイメージです。私もバルの他、リバディソ(Ribadiso)の急坂上の木陰に座っていた巡礼仲間の隣に腰掛けて雑談です。色とりどりの恰好をした老若男女が次々と眼の前を通って行きました。顔見知りには手を挙げて「ブエン・カミーノ」、顔見知りでなくともにっこり「ブエン・カミーノ」です。 -
【アルスーア遠望】(742㎞付近)
アルスーア(Arzua)は、サリア発3泊目の宿場になることが多い町です。私はバル休憩のみで通過しました。アルスーアを出て、国道をまたぐ急坂を「U」の字に登り詰めると、アルスーアの街並みが右手方向に現われました。
小都市では巡礼路沿いこそ古い建物が並んでいることが多いのですが、町全体ではコンクリートや茶色レンガ壁で覆われた現代建築のビルがいっぱいです。世界遺産となっているのは巡礼「路」ですが、巡礼「者」のいない道なんて、これっぽちも価値がないので、巡礼「者」も世界遺産に認定してほしいです。 -
【霧雨にむせぶガリシア路】 (760㎞付近)
私の巡礼は、最後の2日間だけ秋雨に降り込まれました。日々20㎞歩く程度にスケジュールを調整していたので、雨でげんなりすることもありません。霧雨にむせぶガリシア田園の秋の巡礼路も風情があるね、などと思いながら余裕たっぷりで進みました。 -
【ゴール前10㎞のラバコーヤで時間調整】 (769㎞)
最後の宿泊地は、ゴールまで10㎞のラバコーヤ:Labacolla のアルベルゲにしました。時間的には、歩き続ければ日没前にサンチアゴ・デ・コンポステーラまで到着できましたが、ゴールには午前着がいいなと思って、近接地での待機のような泊まりです。満室ではありませんでしたが、顔見知りを含むそれなりの巡礼者がいました。寒村なのに珍しく韓国人がいたのには驚きました。
ラバコーヤのアルベルゲは食事を出さないタイプだったので、知り合いと近くのバルで早めの夕食を取りました。他の方も含めてゴール前夜だからと言って、特別な感慨もありません。翌朝、韓国人巡礼者が6時前に起き出し、例のごとく早々に出ていったのにはびっくりです。
「あんなに早く行ったって巡礼事務所、開いてないよね」
「早寝早起きが習慣化しているので、体が勝手に動いちゃうんじゃない?」 -
【サンチアゴ・デ・コンポステーラ市街が見えてくるころ】(775㎞)
巡礼最終日、ラバコーヤから歩くこと2時間ほどで、サンチアゴ・デ・コンポステーラ市街が見える地点まで到達です。巡礼ガイドによると脇道にそれた「モンテ・デ・ゴソ:Monte de Gozo」という場所まで行くと大聖堂が遠目に見えるとのことですが、どうせ小1時間もすれば大聖堂に行くのですから、そのような寄り道はしません。 -
【サンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂到着】(779㎞)
サンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂前のオブラロイド広場(Praza das Obraroido)に到着しました。雨でしたので広場に寝転ぶわけには行きませんが、歓びと安堵感でいっぱいでした。長くもあり、あっという間にも感じた巡礼も終わりました。声を掛け合ってスマホで記念撮影、その後、巡礼事務所に行って巡礼証明書を入手しました。
大聖堂は、キリスト教3大巡礼地だけあって大きく立派です。しばらく、まじまじと眺めていました。大聖堂の見学やミサ参列は、正面向かって右の本堂裏から入ります。サンティアゴ デ コンポステーラ大聖堂 寺院・教会
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【今は、鎮座するサンチアゴ様の背中をさわるんです】
私も巡礼成就の翌日、大聖堂の巡礼者ミサに参列がてら、サンチアゴ様にお参りしてきました。
「無事、サンチアゴ・デ・コンポステーラに到着しました。ありがとうございました」
祭壇正面から遠目にみるご本尊のサンチアゴ様のお顔は、いたって普通でした。権威張っていないのでとても好感が持てました。
ご利益を得るため、あるいは巡礼成就の御礼のため、ミサの時間帯以外は、像の下の地下に安置されているサンチアゴ様のお棺を見学し、そのあと、像の背後に上がってきて直接、サンチアゴ様の像の背面を触ります。みんなで行列して地下の通路を進む有様は、長野の善光寺の戒壇めぐりみたいな感じでした。
コロナ前は像の背中にキスしていたそうですから、インドのガンジス河の沐浴さながらの衛生観だったようです。ほんと、宗教の力は時に恐ろしいほど人間の理性に影響を与えます。サンティアゴ デ コンポステーラ大聖堂 寺院・教会
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【ミサ後の香炉スイングもあって、終わりよければ全てよし】
私がミサに参列した日は、不定期で行われる「ボタフメイロ(botafumeiro)」という追加儀式もありました。香炉を振り子のようにスイングさせて、お香を堂内に漂わせる儀式です。お香係りが来て香炉を床に下げ始めると(写真)参列者は、いっせいにどよめき、宗教儀式撮影禁止の注意事項など忘れてスマホをかざしました。ある人、曰く「あれはミサ後のサービスみたいなもんだから『儀式』ではない。撮影していいんだ」
観光情報では「不定期」と記載され、ボタフメイロ体験は運次第のような紹介のされ方ですが、Wikipediaなどによると250ユーロ寄付すればやってくれるようです。「金5万円にて氏名入りお札付きの護摩供養申し受けます」と同じ。ホントだとしたら意外と安いんですね。寄付者は最前列の信者席に座らせてくれるので、事前に知っていれば巡礼仲間数人でお金を出し合ってボタフメイロをお願いしていたかも。結果論として体験できたので不満は全くありません。
「終わりよければ、すべて良し」(All’s well that ends well :シェークスピア)。今回の巡礼は、厳しかったけれども、めったに味わえない楽しい、楽しいスペイン体験でした。 了サンティアゴ デ コンポステーラ大聖堂 寺院・教会
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン) の旅行記
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