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桜が咲く中、鹿児島県の北西端に位置する薩摩川内市を訪れた。<br />今から約420年前、豊臣秀吉が天下統一を前に九州征伐に赴いた際、この地で島津義弘と和睦を結んだ(上の写真の銅像、左が秀吉)。古くは薩摩国の国府が置かれ、奈良時代には国分寺と国分尼寺が建てられた。<br />早春の暖かい日差しの下、この町をぶらぶらしてみた。<br />(2021.04.02作成開始)

歴史の町・薩摩川内市の中心部をぶらぶら~桜の季節に~

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2021/03/27 - 2021/03/28

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旅行記グループ 令和3年の国内逍遥記

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桜が咲く中、鹿児島県の北西端に位置する薩摩川内市を訪れた。
今から約420年前、豊臣秀吉が天下統一を前に九州征伐に赴いた際、この地で島津義弘と和睦を結んだ(上の写真の銅像、左が秀吉)。古くは薩摩国の国府が置かれ、奈良時代には国分寺と国分尼寺が建てられた。
早春の暖かい日差しの下、この町をぶらぶらしてみた。
(2021.04.02作成開始)

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  • 令和3年3月末、宮崎県の都城市から鹿児島市へ移動。写真は日豊本線の車窓の景色。<br />桜島がわずかに噴煙を上げているようだ。

    令和3年3月末、宮崎県の都城市から鹿児島市へ移動。写真は日豊本線の車窓の景色。
    桜島がわずかに噴煙を上げているようだ。

  • 【一日目】<br />翌日の午前中、鹿児島中央駅から乗った普通列車で県北西部に位置する川内(せんだい)駅へ向かう。50分ほどで到着。<br />(写真は市街地側に面した川内駅西口)<br />市の名称は薩摩川内市であるが駅名は川内。少しややこしい。

    【一日目】
    翌日の午前中、鹿児島中央駅から乗った普通列車で県北西部に位置する川内(せんだい)駅へ向かう。50分ほどで到着。
    (写真は市街地側に面した川内駅西口)
    市の名称は薩摩川内市であるが駅名は川内。少しややこしい。

    川内駅 (鹿児島県)

  • 川内駅の東口。まもなく正午。タクシープールには1台も停まっていない。

    川内駅の東口。まもなく正午。タクシープールには1台も停まっていない。

  • 東口前の広場にて。桜が満開である。

    東口前の広場にて。桜が満開である。

  • 大きな駅舎の中の二階。改札の外に大綱引に使われる綱のサンプルが置かれている。

    大きな駅舎の中の二階。改札の外に大綱引に使われる綱のサンプルが置かれている。

  • 川内大綱引をモチーフにして最近映画も制作されている。毎年9月に行われるが昨年は中止になった。

    川内大綱引をモチーフにして最近映画も制作されている。毎年9月に行われるが昨年は中止になった。

  • 川内駅西口広場の隅に建つ大伴家持(おおとものやかもち)像。<br />万葉の歌人としてあまりにも有名。天平宝字8(764)年1月、薩摩守(さつまのかみ)に任命され、天平神護元(765)年2月、薩摩守を解任された。<br />ここ現在の薩摩川内市には当時薩摩の国府が置かれていた。家持が実際に薩摩に赴任したのか否かネットの情報では確認出来なかった。

    川内駅西口広場の隅に建つ大伴家持(おおとものやかもち)像。
    万葉の歌人としてあまりにも有名。天平宝字8(764)年1月、薩摩守(さつまのかみ)に任命され、天平神護元(765)年2月、薩摩守を解任された。
    ここ現在の薩摩川内市には当時薩摩の国府が置かれていた。家持が実際に薩摩に赴任したのか否かネットの情報では確認出来なかった。

  • 同じ西口広場の目立つ場所に建つ銅像。<br />ここ川内は室町時代に作られた能「鳥追舟(とりおいぶね)」の舞台とのこと。<br />

    同じ西口広場の目立つ場所に建つ銅像。
    ここ川内は室町時代に作られた能「鳥追舟(とりおいぶね)」の舞台とのこと。

  • 以下は https://washimo-web.jp/Trip/Torioibune/torioibune.htm による。<br /><br />能「鳥追舟」は川内の「日暮長者伝説」をもとに作られたもので、現在演じられる能の中で薩摩国が舞台となっているのはこの「鳥追舟」のみである。

    以下は https://washimo-web.jp/Trip/Torioibune/torioibune.htm による。

    能「鳥追舟」は川内の「日暮長者伝説」をもとに作られたもので、現在演じられる能の中で薩摩国が舞台となっているのはこの「鳥追舟」のみである。

  • 西口広場の道路を挟んだ先に橋を型どったモニュメントがある。

    西口広場の道路を挟んだ先に橋を型どったモニュメントがある。

  • 大正3(1914)年に架けられた石橋の欄干を保存しているようだ。

    大正3(1914)年に架けられた石橋の欄干を保存しているようだ。

  • 駅側から見たもの。欄干らしきものが立っている。100年以上前に作られたと思うと味わい深い。

    駅側から見たもの。欄干らしきものが立っている。100年以上前に作られたと思うと味わい深い。

  • このあと駅前を離れて観光スポットへ向かった。<br />途中で偶然小さな公園のような場所の近くを通った。

    このあと駅前を離れて観光スポットへ向かった。
    途中で偶然小さな公園のような場所の近くを通った。

  • 鳥追(とりおい)の杜という。<br />川内駅西口広場の銅像の解説板に記されていた能(謡曲)の題材となった物語の舞台がここ川内なのである。<br />幼い二人の子どもが残酷な義母とその元情夫から長年にわたって虐待される。それに耐えかねて二人は平佐川に身を投げて亡くなる。<br />二人を哀れんだ村人たちが塚を建てて霊を弔ったのがこの場所だという。

    鳥追(とりおい)の杜という。
    川内駅西口広場の銅像の解説板に記されていた能(謡曲)の題材となった物語の舞台がここ川内なのである。
    幼い二人の子どもが残酷な義母とその元情夫から長年にわたって虐待される。それに耐えかねて二人は平佐川に身を投げて亡くなる。
    二人を哀れんだ村人たちが塚を建てて霊を弔ったのがこの場所だという。

  • それを承知した上で奥を見ると供養塔と仏様?の像らしきものがある。

    それを承知した上で奥を見ると供養塔と仏様?の像らしきものがある。

  • 川内川に架かる太平橋。明治8(1875)年に架けられた。この後訪れる泰平寺(太平寺)にあやかって名付けられた。<br />この写真の手前側が川内駅の方向。現在の薩摩川内市中心部の市街地はこの川内川の両側にまたがっている。

    川内川に架かる太平橋。明治8(1875)年に架けられた。この後訪れる泰平寺(太平寺)にあやかって名付けられた。
    この写真の手前側が川内駅の方向。現在の薩摩川内市中心部の市街地はこの川内川の両側にまたがっている。

  • 太平橋から川内川の上流を眺める。<br />一番手前に肥薩おれんじ鉄道の鉄橋が見える。

    太平橋から川内川の上流を眺める。
    一番手前に肥薩おれんじ鉄道の鉄橋が見える。

  • 太平橋を渡った先の目立つ場所に人物像が建っている。<br />薩摩川内市出身の山本實彦(やまもとさねひこ、1885 - 1952年)の像である。戦前を中心に活躍したジャーナリスト。改造社社長。

    太平橋を渡った先の目立つ場所に人物像が建っている。
    薩摩川内市出身の山本實彦(やまもとさねひこ、1885 - 1952年)の像である。戦前を中心に活躍したジャーナリスト。改造社社長。

  • 道路沿いにある泰平寺公園に到着した。<br />公園の入口近くに銅像が置かれている。上の写真の右手奥が泰平寺である。

    道路沿いにある泰平寺公園に到着した。
    公園の入口近くに銅像が置かれている。上の写真の右手奥が泰平寺である。

  • 上の写真は表紙のものと同一。<br />台座に解説板が嵌めこまれている。

    上の写真は表紙のものと同一。
    台座に解説板が嵌めこまれている。

  • 豊臣秀吉が天下統一を前に九州征伐に赴いた際、この地にある泰平寺で島津義弘と和睦を結んだ。

    豊臣秀吉が天下統一を前に九州征伐に赴いた際、この地にある泰平寺で島津義弘と和睦を結んだ。

  • 秀吉の九州平定軍は二手に別れて島津領へ向けて南下した。この地に至ったのは秀吉が率いる本隊である。<br />(写真は令和3年5月大分県中津市の黒田官兵衛資料館で撮影。)

    秀吉の九州平定軍は二手に別れて島津領へ向けて南下した。この地に至ったのは秀吉が率いる本隊である。
    (写真は令和3年5月大分県中津市の黒田官兵衛資料館で撮影。)

  • 公園の奥には和睦石と解説板に記された一角がある。<br />和睦が結ばれた当時泰平寺の境内にあった石を記念に並べたものとのことである。<br />

    公園の奥には和睦石と解説板に記された一角がある。
    和睦が結ばれた当時泰平寺の境内にあった石を記念に並べたものとのことである。

  • 泰平寺の本堂。勅令により708年に創建されたと伝えられている古刹。真言宗。<br />この寺にまつわる「塩大黒天の昔話」はアニメ番組の題材にもなったという。

    泰平寺の本堂。勅令により708年に創建されたと伝えられている古刹。真言宗。
    この寺にまつわる「塩大黒天の昔話」はアニメ番組の題材にもなったという。

    泰平寺 寺・神社

  • 境内の墓地の端にある宥印法印の墓。豊臣秀吉と島津義弘の和議を斡旋した当時の住職である。

    境内の墓地の端にある宥印法印の墓。豊臣秀吉と島津義弘の和議を斡旋した当時の住職である。

  • 昼時を過ぎていた。しばらく歩いた先に事前にチェックしたラーメン店があった。<br />入店待ちの列が出来ている。人気店なのだろう。期待が高まる。

    昼時を過ぎていた。しばらく歩いた先に事前にチェックしたラーメン店があった。
    入店待ちの列が出来ている。人気店なのだろう。期待が高まる。

    麺屋めじろ グルメ・レストラン

  • 店入り口のウェイティングボードに「高柳」と自分の名前を記入して待つこと約20分。ようやく席へ案内された。<br />煮卵のトッピングを付けてとんこつラーメンを食べた。鹿児島や熊本のとんこつラーメンは嫌いではない。<br />麺は中太に近く鹿児島のとんこつラーメンと変わらない。スープに溶け込んだニンニクが少しくどいと感じた。全体的に私にとってはやや胃にもたれる印象である。リピートしたくなるほどのレベルではないと思う。<br />5段階評価であれば☆を3つにするか4つにするか迷うところ。3.5くらいだろうか。

    店入り口のウェイティングボードに「高柳」と自分の名前を記入して待つこと約20分。ようやく席へ案内された。
    煮卵のトッピングを付けてとんこつラーメンを食べた。鹿児島や熊本のとんこつラーメンは嫌いではない。
    麺は中太に近く鹿児島のとんこつラーメンと変わらない。スープに溶け込んだニンニクが少しくどいと感じた。全体的に私にとってはやや胃にもたれる印象である。リピートしたくなるほどのレベルではないと思う。
    5段階評価であれば☆を3つにするか4つにするか迷うところ。3.5くらいだろうか。

  • 次に訪れたのは薩摩国分寺跡。現在は薩摩国分寺跡史跡公園として整備されている。<br />入口の桜は満開を過ぎてわずかに葉が出ている。

    次に訪れたのは薩摩国分寺跡。現在は薩摩国分寺跡史跡公園として整備されている。
    入口の桜は満開を過ぎてわずかに葉が出ている。

    薩摩国分寺跡 名所・史跡

  • 川内駅で貰った観光案内のパンフレットでは地図に場所が示されているものの、説明は載っていない。<br />この日も土曜日なのに訪れる人はごくわずかである。

    川内駅で貰った観光案内のパンフレットでは地図に場所が示されているものの、説明は載っていない。
    この日も土曜日なのに訪れる人はごくわずかである。

  • 塔跡。かつてこの場所に七重の塔が建てられていた。昭和19(1944)年この塔跡が国の史跡に指定された。

    塔跡。かつてこの場所に七重の塔が建てられていた。昭和19(1944)年この塔跡が国の史跡に指定された。

  • 国分寺跡の史跡公園としては九州で初めてのもので、総面積は16,449平方メートルある。14個の礎石を使った塔跡のほか、講堂跡、金堂跡、北門跡など当時の様子をそのまま復元している。<br />昭和43(1968)年から発掘調査が行われた。昭和60(1985)年4月、国指定史跡薩摩国分寺跡史跡公園として開園した。

    国分寺跡の史跡公園としては九州で初めてのもので、総面積は16,449平方メートルある。14個の礎石を使った塔跡のほか、講堂跡、金堂跡、北門跡など当時の様子をそのまま復元している。
    昭和43(1968)年から発掘調査が行われた。昭和60(1985)年4月、国指定史跡薩摩国分寺跡史跡公園として開園した。

  • ごく一部であるが築地塀が復元されている。

    ごく一部であるが築地塀が復元されている。

  • 国分寺跡からほぼ隣接する場所に薩摩川内市立川内歴史資料館が建っている。

    国分寺跡からほぼ隣接する場所に薩摩川内市立川内歴史資料館が建っている。

    川内歴史資料館 美術館・博物館

  • 昭和59(1984)年2月開館。入館料は大人200円。<br />二階が展示室。

    昭和59(1984)年2月開館。入館料は大人200円。
    二階が展示室。

  • 展示室内は撮影禁止である。上の写真は一階ロビーに展示されている航空写真。<br />先程見てきた国分寺跡の様子がよく分かる。<br /><br />一階の受付にいた職員さんに訪ねたところ、少なくとも明治維新までは国分寺跡の所在は全く知られていなかったとのこと。<br />ちなみに奈良時代に国分寺とセットで全国で造営された国分尼寺の跡に関しては、ここ薩摩川内では今も所在が明らかになっていない。<br />また、国府(国衙という政庁があった)の所在地も推定されているものの、遺跡は見つかっていない。

    展示室内は撮影禁止である。上の写真は一階ロビーに展示されている航空写真。
    先程見てきた国分寺跡の様子がよく分かる。

    一階の受付にいた職員さんに訪ねたところ、少なくとも明治維新までは国分寺跡の所在は全く知られていなかったとのこと。
    ちなみに奈良時代に国分寺とセットで全国で造営された国分尼寺の跡に関しては、ここ薩摩川内では今も所在が明らかになっていない。
    また、国府(国衙という政庁があった)の所在地も推定されているものの、遺跡は見つかっていない。

  • 資料館は川内駅から2km以上離れている。ここまで駅から歩き通しで疲れていた。<br />川内駅への帰路は薩摩川内市の中心部を巡回している「くるくるバス」を利用した。駅が終点でどこから乗り降りしても大人150円である。

    資料館は川内駅から2km以上離れている。ここまで駅から歩き通しで疲れていた。
    川内駅への帰路は薩摩川内市の中心部を巡回している「くるくるバス」を利用した。駅が終点でどこから乗り降りしても大人150円である。

  • 夕食の買い物に行ったスーパーマーケット近くの桜。

    夕食の買い物に行ったスーパーマーケット近くの桜。

  • 私はどちらかというと芋焼酎が苦手であった。<br />しかし、せっかく鹿児島県に来たのだから地元の芋焼酎を試して見ることにした。<br />スーパーの芋焼酎の棚には地元薩摩川内市内の蔵で作られた芋焼酎が並んでいる。「蔵の神」を買って試してみた。芯のしっかりした美味しい酒である。芋焼酎に対する見方が変わったようだ。<br />※ちなみにプレミア価格で取引されている「村尾」(私は飲んだことがない)もここ薩摩川内市で醸造されている。

    私はどちらかというと芋焼酎が苦手であった。
    しかし、せっかく鹿児島県に来たのだから地元の芋焼酎を試して見ることにした。
    スーパーの芋焼酎の棚には地元薩摩川内市内の蔵で作られた芋焼酎が並んでいる。「蔵の神」を買って試してみた。芯のしっかりした美味しい酒である。芋焼酎に対する見方が変わったようだ。
    ※ちなみにプレミア価格で取引されている「村尾」(私は飲んだことがない)もここ薩摩川内市で醸造されている。

  • 【二日目】<br />翌日も歩きと循環バス利用で短時間ながら観光スポットを訪れることにした。<br />川内駅の東側に島津氏が築いた「平佐城址」があるはずだが、現在は小学校が建っていて敷地の外に碑や解説板の類は見当たらない。<br />写真は駅からその小学校へ行く途中の民家の前で咲いていた藤。見事なので写真を撮った。

    【二日目】
    翌日も歩きと循環バス利用で短時間ながら観光スポットを訪れることにした。
    川内駅の東側に島津氏が築いた「平佐城址」があるはずだが、現在は小学校が建っていて敷地の外に碑や解説板の類は見当たらない。
    写真は駅からその小学校へ行く途中の民家の前で咲いていた藤。見事なので写真を撮った。

  • この日の目的地は新田神社。薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残している。<br />川内駅から前日も利用した「くるくるバス」に乗り二の鳥居(上の写真)前のバス停で下車した。<br />

    この日の目的地は新田神社。薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残している。
    川内駅から前日も利用した「くるくるバス」に乗り二の鳥居(上の写真)前のバス停で下車した。

    新田神社(鹿児島県薩摩川内市) 寺・神社

  • 二の鳥居の先に石造りの立派な太鼓橋が架かっている。<br />降来橋(こうらいばし)といい、薩摩川市指定文化財である。

    二の鳥居の先に石造りの立派な太鼓橋が架かっている。
    降来橋(こうらいばし)といい、薩摩川市指定文化財である。

  • 現在の橋は明治25(1892)年に架けかえられたもので長さ8メートル、幅5メートル。

    現在の橋は明治25(1892)年に架けかえられたもので長さ8メートル、幅5メートル。

  • 降来橋の先からまっすぐ延びる石段を上がる。<br />新田神社の本殿は標高70mの神亀山(しんきさん)の山頂にある。

    降来橋の先からまっすぐ延びる石段を上がる。
    新田神社の本殿は標高70mの神亀山(しんきさん)の山頂にある。

  • 途中で参道の左右にやや広い平地が開けている場所がある。かつてはこの小さな鳥居が建っているあたりに本殿が置かれていた。

    途中で参道の左右にやや広い平地が開けている場所がある。かつてはこの小さな鳥居が建っているあたりに本殿が置かれていた。

  • 小さな社と反対側に可愛いカッパの像が置かれている。<br />ここ薩摩川内市ではカッパを「がらっぱ」と呼び独自の言い伝えがある。(カッパとがらっぱとは別物との説もある。)

    小さな社と反対側に可愛いカッパの像が置かれている。
    ここ薩摩川内市ではカッパを「がらっぱ」と呼び独自の言い伝えがある。(カッパとがらっぱとは別物との説もある。)

  • ようやく山頂近くの拝殿に着いた。この奥にある本殿は拝むことができない。<br />新田神社はニニギノミコト(瓊瓊杵尊)を祀っている。<br />ニニギノミコトは日本神話に登場する神。天照大神(アマテラスオオミカミ)の命により、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するため高天原(たかまがはら)から地上に降りたとされている(天孫降臨)。

    ようやく山頂近くの拝殿に着いた。この奥にある本殿は拝むことができない。
    新田神社はニニギノミコト(瓊瓊杵尊)を祀っている。
    ニニギノミコトは日本神話に登場する神。天照大神(アマテラスオオミカミ)の命により、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するため高天原(たかまがはら)から地上に降りたとされている(天孫降臨)。

  • 拝殿の脇から奥へ行くと山頂に可愛山稜(えのさんりょう)がある。<br />明治初期にニニギノミコトの墳墓と指定され、現在も宮内庁直轄で管理されている。

    拝殿の脇から奥へ行くと山頂に可愛山稜(えのさんりょう)がある。
    明治初期にニニギノミコトの墳墓と指定され、現在も宮内庁直轄で管理されている。

    可愛山陵 名所・史跡

  • 二の鳥居前から川内川岸の一の鳥居に向かって八丁馬場と呼ばれる参道がまっすぐ延びている。両側に植えられた桜が満開の盛りを過ぎて美しい。

    二の鳥居前から川内川岸の一の鳥居に向かって八丁馬場と呼ばれる参道がまっすぐ延びている。両側に植えられた桜が満開の盛りを過ぎて美しい。

  • この場所で行われる桜まつりは、今年は中止された。奥にテキ屋さんが何軒か出ていたが。

    この場所で行われる桜まつりは、今年は中止された。奥にテキ屋さんが何軒か出ていたが。

  • 新田神社から「くるくるバス」で川内駅に戻る。駅前に12時25分到着。<br />駅近くにあるラーメン店に入る。昼時なので地元客で賑わっている。<br />大盛ラーメンを注文した。細いモヤシがたくさん入っている。

    新田神社から「くるくるバス」で川内駅に戻る。駅前に12時25分到着。
    駅近くにあるラーメン店に入る。昼時なので地元客で賑わっている。
    大盛ラーメンを注文した。細いモヤシがたくさん入っている。

    石走ラーメン グルメ・レストラン

  • 小さ目のチャーシューはあまり存在感がない。鹿児島ラーメンらしくないあっさりしたとんこつスープである。鶏の油が隠し味なのかな?<br />付け合せの大根の沢庵がほんのり甘くて美味しい。会計の際店の人に尋ねると自家製ではないとのこと。<br />麺はやや柔らかい。もう少し腰がほしいかな。熊本市や宮崎市で提供されるとんこつラーメンの中太麺くらいが理想的だろうか。<br />それでもリピートしたくなる優しい味は悪くないと思う。評価の厳し目な私の判断は総合で星4.5相当である。<br />【了】

    小さ目のチャーシューはあまり存在感がない。鹿児島ラーメンらしくないあっさりしたとんこつスープである。鶏の油が隠し味なのかな?
    付け合せの大根の沢庵がほんのり甘くて美味しい。会計の際店の人に尋ねると自家製ではないとのこと。
    麺はやや柔らかい。もう少し腰がほしいかな。熊本市や宮崎市で提供されるとんこつラーメンの中太麺くらいが理想的だろうか。
    それでもリピートしたくなる優しい味は悪くないと思う。評価の厳し目な私の判断は総合で星4.5相当である。
    【了】

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