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JR広島駅の北口(新幹線口)を出ると、JRのビルの奥にある山の頂きに銀色に輝く塔が見える。何やら私がミャンマー(ビルマ)の各地を旅してたびたび目にしてきた仏塔の形によく似ている。<br />Google Mapで調べると「二葉山平和塔」と言う。駅からもさほど遠くない。<br />令和3年3月の初め、広島市へ行く機会があったので長いこと気になっていた山の上へ行ってみることにした。<br />(2021.03.07作成開始)

広島駅北口から見える銀色の仏塔・二葉山平和塔へ行ってみた。

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2021/03/03 - 2021/03/03

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さっとん姉

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JR広島駅の北口(新幹線口)を出ると、JRのビルの奥にある山の頂きに銀色に輝く塔が見える。何やら私がミャンマー(ビルマ)の各地を旅してたびたび目にしてきた仏塔の形によく似ている。
Google Mapで調べると「二葉山平和塔」と言う。駅からもさほど遠くない。
令和3年3月の初め、広島市へ行く機会があったので長いこと気になっていた山の上へ行ってみることにした。
(2021.03.07作成開始)

  • 令和3年3月初めの平日。四国から高速バスで移動し14時頃広島駅に到着した。(写真は広島駅北口の高速バス乗り場)

    令和3年3月初めの平日。四国から高速バスで移動し14時頃広島駅に到着した。(写真は広島駅北口の高速バス乗り場)

    広島駅 (JR)

  • ホテルに大きな荷物を預けて外出した。天気は良く、この時期にしてはかなり暖かい。<br />この日の目当ては、広島駅北口(新幹線口)から山の上に見えている銀色の仏塔である。<br />おおよその在り処は Google Map で確認してあった。のんびり山の麓へ向かって歩いて行く。

    ホテルに大きな荷物を預けて外出した。天気は良く、この時期にしてはかなり暖かい。
    この日の目当ては、広島駅北口(新幹線口)から山の上に見えている銀色の仏塔である。
    おおよその在り処は Google Map で確認してあった。のんびり山の麓へ向かって歩いて行く。

  • JR広島病院の敷地の先(山側)に観光案内板が立っている。<br />この後私が訪れようとしている場所は「二葉の里歴史の散歩道」を構成している観光スポットであるとのこと。

    JR広島病院の敷地の先(山側)に観光案内板が立っている。
    この後私が訪れようとしている場所は「二葉の里歴史の散歩道」を構成している観光スポットであるとのこと。

  • 広島市のwebサイトに説明と解説のイラストが載っている。<br />https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/higashiku/18986.html<br />「東区には本市唯一の国宝である不動院金堂をはじめ、数多くの文化遺産が今も残っています。<br />その中で、牛田新町~矢賀一里塚までの間に点在する、由緒ある神社・仏閣・史跡などを結んだコースが『二葉の里歴史の散歩道』です。」

    広島市のwebサイトに説明と解説のイラストが載っている。
    https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/higashiku/18986.html
    「東区には本市唯一の国宝である不動院金堂をはじめ、数多くの文化遺産が今も残っています。
    その中で、牛田新町~矢賀一里塚までの間に点在する、由緒ある神社・仏閣・史跡などを結んだコースが『二葉の里歴史の散歩道』です。」

  • 最初に訪れたのは広島東照宮。広島駅北口からゆっくり歩いても10分とはかからない。<br />web上の口コミでは、東照宮の裏を登って行けば私の目当ての二葉山平和塔に至るとのこと。

    最初に訪れたのは広島東照宮。広島駅北口からゆっくり歩いても10分とはかからない。
    web上の口コミでは、東照宮の裏を登って行けば私の目当ての二葉山平和塔に至るとのこと。

    広島東照宮 寺・神社・教会

  • 広島東照宮は徳川家康を祭神に祀った神社。慶安元年(1648年)当時の広島藩主・浅野光晟(浅野家第四代)によって広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営された。<br />浅野光晟の生母は、徳川家康の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康の遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀った。

    広島東照宮は徳川家康を祭神に祀った神社。慶安元年(1648年)当時の広島藩主・浅野光晟(浅野家第四代)によって広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営された。
    浅野光晟の生母は、徳川家康の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康の遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀った。

  • 石段の上にある唐門と両側の翼廊。広島市重要有形文化財。<br />社殿の前に翼廊をからませた唐門を配置するのは栃木県の日光東照宮に見られる形式で、広島の東照宮もそれに倣ったものらしい。<br /><br />広島東照宮は原爆によって本殿、拝殿を焼失したが唐門・翼廊は残った。

    石段の上にある唐門と両側の翼廊。広島市重要有形文化財。
    社殿の前に翼廊をからませた唐門を配置するのは栃木県の日光東照宮に見られる形式で、広島の東照宮もそれに倣ったものらしい。

    広島東照宮は原爆によって本殿、拝殿を焼失したが唐門・翼廊は残った。

    広島東照宮 寺・神社・教会

  • 階段の手前左側に詩人・原民喜の言葉を刻んだ碑が建っている。<br /><br />https://www.library.city.hiroshima.jp/haratamiki/08spot/spot03.htmlに以下の解説がある。<br />「被爆した人々は僅かの木陰を求め、市中から二葉山の麓にある、ここ東照宮下の空き地に避難したという。<br />原民喜も被爆の翌日、ここで多くの被災者とともに一夜を過ごし、その惨状を書き綴った手帳を基に、代表作『夏の花』を書き上げた。 その手帳に記された『コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ』という言葉を刻んだ『原爆65周年追憶碑』が平成22年8月6日東照宮内に建立された。」

    階段の手前左側に詩人・原民喜の言葉を刻んだ碑が建っている。

    https://www.library.city.hiroshima.jp/haratamiki/08spot/spot03.htmlに以下の解説がある。
    「被爆した人々は僅かの木陰を求め、市中から二葉山の麓にある、ここ東照宮下の空き地に避難したという。
    原民喜も被爆の翌日、ここで多くの被災者とともに一夜を過ごし、その惨状を書き綴った手帳を基に、代表作『夏の花』を書き上げた。 その手帳に記された『コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ』という言葉を刻んだ『原爆65周年追憶碑』が平成22年8月6日東照宮内に建立された。」

  • 拝殿。平日ということもあるのか参拝者は多くない。

    拝殿。平日ということもあるのか参拝者は多くない。

  • 東照宮の北側(山側)に位置する金光稲荷神社。目指す仏塔まで山道を登り始める。

    東照宮の北側(山側)に位置する金光稲荷神社。目指す仏塔まで山道を登り始める。

    金光稲荷神社 寺・神社・教会

  • 最初に見えて来た社。階段はやや急だが整備されていて登りやすい。

    最初に見えて来た社。階段はやや急だが整備されていて登りやすい。

  • さらに奥へと参道が続いているので覚悟を決めて登る。

    さらに奥へと参道が続いているので覚悟を決めて登る。

  • 徳川家康の遺訓を記したプレートがところどころに立っている。<br />だんだん足元の階段の状態が悪くなる。

    徳川家康の遺訓を記したプレートがところどころに立っている。
    だんだん足元の階段の状態が悪くなる。

  • 参道の途中にある小さな祠。

    参道の途中にある小さな祠。

  • 山頂に近づくと整備された階段は無くなり足元がかなり悪くなった。<br /><br />この日二葉山の中の道を歩いていると、上から若い女性が一人で下りてきた。<br />私がまごついていると明るく「こんにちはー!」と声をかけてくれたので、私も「こんにちは」と返した。

    山頂に近づくと整備された階段は無くなり足元がかなり悪くなった。

    この日二葉山の中の道を歩いていると、上から若い女性が一人で下りてきた。
    私がまごついていると明るく「こんにちはー!」と声をかけてくれたので、私も「こんにちは」と返した。

  • 山頂の少し下にある平らな場所。鳥居の奥に小さな祠がある。<br />Google Mapで金光稲荷神社奥宮と表記されているのはこの場所のようである。

    山頂の少し下にある平らな場所。鳥居の奥に小さな祠がある。
    Google Mapで金光稲荷神社奥宮と表記されているのはこの場所のようである。

  • 山頂にある大きな岩。この岩の裏側まで道がついている。

    山頂にある大きな岩。この岩の裏側まで道がついている。

  • 岩の正面の裾の辺り。ごく小さな祠になっているようだ。

    岩の正面の裾の辺り。ごく小さな祠になっているようだ。

  • 山頂からは広島湾や呉市の方角を見渡せる。

    山頂からは広島湾や呉市の方角を見渡せる。

  • 山頂の巨石の上部からさらに奥へと道が続いている。藪の奥にもう一つの山頂があった。戦争遺構である。

    山頂の巨石の上部からさらに奥へと道が続いている。藪の奥にもう一つの山頂があった。戦争遺構である。

  • 人工的に穿たれた穴。高射機銃の陣地跡である。

    人工的に穿たれた穴。高射機銃の陣地跡である。

  • 陣地跡から続くなだらかな尾根筋が見えている。ぬかるんではいないので、歩きやすい。

    陣地跡から続くなだらかな尾根筋が見えている。ぬかるんではいないので、歩きやすい。

  • 少し先でようやくお目当ての仏塔が見えて来た。

    少し先でようやくお目当ての仏塔が見えて来た。

  • ゴツゴツした岩の上に建つ銀色の仏塔。二葉山平和塔である。

    ゴツゴツした岩の上に建つ銀色の仏塔。二葉山平和塔である。

    二葉山平和塔 名所・史跡

  • 反対側はこんな感じである。

    反対側はこんな感じである。

  • 塔の真ん中に穿たれた窪みに金色の仏像が安置されている。

    塔の真ん中に穿たれた窪みに金色の仏像が安置されている。

  • 詳しい解説のプレートが設置されている。<br /><br />『ひろしま観光ナビ』の解説<br />https://www.hiroshima-kankou.com/spot/3849<br />「仏舎利塔は、世界の恒久の平和を念願し、原爆の犠牲者の冥福を祈り、平和の聖人釈迦尊の御真骨を奉祀しています。インドのネール元首相や、スリランカ、モンゴル仏教徒より贈られた仏舎利が奉安されており、広く県市民の平和の願いをこめた祈念石が数万個収納されています。」

    詳しい解説のプレートが設置されている。

    『ひろしま観光ナビ』の解説
    https://www.hiroshima-kankou.com/spot/3849
    「仏舎利塔は、世界の恒久の平和を念願し、原爆の犠牲者の冥福を祈り、平和の聖人釈迦尊の御真骨を奉祀しています。インドのネール元首相や、スリランカ、モンゴル仏教徒より贈られた仏舎利が奉安されており、広く県市民の平和の願いをこめた祈念石が数万個収納されています。」

  • こちらの案内板は比較的新しい。<br /><br />残念ながらミャンマーとの関わりはないようである。<br />先程訪れた高射機銃の陣地跡にあった解説板やwebの記事によると、この場所の地下には戦時中は高射砲陣地が築かれていた。それを思うと感慨深い。

    こちらの案内板は比較的新しい。

    残念ながらミャンマーとの関わりはないようである。
    先程訪れた高射機銃の陣地跡にあった解説板やwebの記事によると、この場所の地下には戦時中は高射砲陣地が築かれていた。それを思うと感慨深い。

  • 二葉山平和塔の建っている山頂からの眺望もなかなか良い。

    二葉山平和塔の建っている山頂からの眺望もなかなか良い。

  • 二葉山平和塔のすぐ近くまで車が通行できる道がついている。帰りはその道を下ることにした。

    二葉山平和塔のすぐ近くまで車が通行できる道がついている。帰りはその道を下ることにした。

  • 二葉山平和塔の片側の斜面は大きな霊園となっている。

    二葉山平和塔の片側の斜面は大きな霊園となっている。

  • 平和塔の下の方にある正広寺という寺院が霊園を管理しているようだ。

    平和塔の下の方にある正広寺という寺院が霊園を管理しているようだ。

  • 平和塔のある二葉山のほぼ麓まで下りて駅と反対側の方へ行くと尾長天満宮が見えて来た。

    平和塔のある二葉山のほぼ麓まで下りて駅と反対側の方へ行くと尾長天満宮が見えて来た。

    尾長天満宮 寺・神社・教会

  • 九州の太宰府へ下る途中菅原道真がこの地に立ち寄ったと伝えられている。

    九州の太宰府へ下る途中菅原道真がこの地に立ち寄ったと伝えられている。

  • 随身門。寛永17(1640)年に建立された。

    随身門。寛永17(1640)年に建立された。

  • 撫で牛。菅原道真公が丑の日に生まれたことに由来する。<br />各地の天満宮などでもよく見かける。

    撫で牛。菅原道真公が丑の日に生まれたことに由来する。
    各地の天満宮などでもよく見かける。

  • 合格の木。葉は枯れているようだが「落ちない」。

    合格の木。葉は枯れているようだが「落ちない」。

  • 江戸末期(19世紀)の年号が記された石灯籠。

    江戸末期(19世紀)の年号が記された石灯籠。

  • 麓まで下りてきた。最後に國前寺を訪れた。日蓮宗の古刹である。<br />二葉山の頂上から立派な山門がくっきりと見えた。

    麓まで下りてきた。最後に國前寺を訪れた。日蓮宗の古刹である。
    二葉山の頂上から立派な山門がくっきりと見えた。

    國前寺 寺・神社・教会

  • 山門は天保11(1840)年の建築である。

    山門は天保11(1840)年の建築である。

  • 國前寺の本堂。<br /><br />この寺は1340(暦応3)年「暁忍寺」として開山した。<br />1656(明暦2)年、広島藩浅野家2代藩主浅野光晟正室の満姫(加賀藩主前田利常の三女)の帰依により浅野家の菩堤寺となり、現名の「國前寺」に改名した。

    國前寺の本堂。

    この寺は1340(暦応3)年「暁忍寺」として開山した。
    1656(明暦2)年、広島藩浅野家2代藩主浅野光晟正室の満姫(加賀藩主前田利常の三女)の帰依により浅野家の菩堤寺となり、現名の「國前寺」に改名した。

  • 上の写真は國前寺からホテルへ戻る途中で撮影。<br /><br />ホテルを出てから約2時間歩いた。暖かいこともあって上半身を中心にかなり汗をかいていた。<br />短時間の散策だったが、広島駅のすぐ近くに歴史の古い神社仏閣がたくさん残っていることを知って嬉しくなった。<br />【了】

    上の写真は國前寺からホテルへ戻る途中で撮影。

    ホテルを出てから約2時間歩いた。暖かいこともあって上半身を中心にかなり汗をかいていた。
    短時間の散策だったが、広島駅のすぐ近くに歴史の古い神社仏閣がたくさん残っていることを知って嬉しくなった。
    【了】

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