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短い記録である。<br />令和3年3月に広島市に滞在したとき、以前から気になっていた「二葉山平和塔」を訪れた。その時の記録が『広島駅北口から見える銀色の仏塔・二葉山平和塔へ行ってみた。』である。<br />JR広島駅の北にある「二葉の里歴史の散歩道」として整備された一帯には魅力的な寺社が数多く存在している。<br />令和3年5月末に広島市に滞在した機会に、ごく短い時間ではあるがまだ訪れたことのない寺社を訪問してみることにした。<br />(2021.06.05作成開始)

広島駅の北にある二葉の里をちょっこし歩く。

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2021/05/30 - 2021/05/30

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さっとん姉

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この旅行記のスケジュール

2021/05/30

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短い記録である。
令和3年3月に広島市に滞在したとき、以前から気になっていた「二葉山平和塔」を訪れた。その時の記録が『広島駅北口から見える銀色の仏塔・二葉山平和塔へ行ってみた。』である。
JR広島駅の北にある「二葉の里歴史の散歩道」として整備された一帯には魅力的な寺社が数多く存在している。
令和3年5月末に広島市に滞在した機会に、ごく短い時間ではあるがまだ訪れたことのない寺社を訪問してみることにした。
(2021.06.05作成開始)

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  • 令和3年5月末、広島市に滞在する機会があった。

    令和3年5月末、広島市に滞在する機会があった。

    広島駅 (JR)

  • 広島駅北口(新幹線口)から見える「二葉山平和塔」。<br />今年3月に麓の広島東照宮から二葉山に登って平和塔を見たあと、東側(写真の右側)のいくつかの寺社を訪れた。<br />今回は山の麓の西側を歩くことにする。

    広島駅北口(新幹線口)から見える「二葉山平和塔」。
    今年3月に麓の広島東照宮から二葉山に登って平和塔を見たあと、東側(写真の右側)のいくつかの寺社を訪れた。
    今回は山の麓の西側を歩くことにする。

  • 広島駅構内で入手した「二葉の里歴史の散歩道」の散策マップには16箇所の寺院や神社が記されている。そのうち前回訪れていない寺社を目指してのんびり歩き出す。<br /><br />しばらく歩き「二葉あき子歌碑」の前に着いた。

    広島駅構内で入手した「二葉の里歴史の散歩道」の散策マップには16箇所の寺院や神社が記されている。そのうち前回訪れていない寺社を目指してのんびり歩き出す。

    しばらく歩き「二葉あき子歌碑」の前に着いた。

  • 解説板。二葉あき子の活躍した年代と日本コロ厶ビア所属ということで、令和2年度前半のNHK朝ドラ『エール』のモデル古関裕而を連想した。<br /><br />ネットで調べると、解説板に記されている『フランチェスカの鐘』(1948年)は二葉あき子が歌って大ヒット。二葉の代表的なヒット曲となった。作詞は菊田一夫、作曲は古関裕而である。<br />昨年『エール』ゆかりの福島市や長崎市を訪れたが、こんなところでも繋がりがあった。<br />ちなみに二葉あき子(本名は加藤芳江)は広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元から取ったとのこと。

    解説板。二葉あき子の活躍した年代と日本コロ厶ビア所属ということで、令和2年度前半のNHK朝ドラ『エール』のモデル古関裕而を連想した。

    ネットで調べると、解説板に記されている『フランチェスカの鐘』(1948年)は二葉あき子が歌って大ヒット。二葉の代表的なヒット曲となった。作詞は菊田一夫、作曲は古関裕而である。
    昨年『エール』ゆかりの福島市や長崎市を訪れたが、こんなところでも繋がりがあった。
    ちなみに二葉あき子(本名は加藤芳江)は広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元から取ったとのこと。

  • 最初に訪れたのは鶴羽根神社。<br />約800年前の鎌倉時代創建の椎木八幡宮が前身と伝えられる。広島東部の総氏神として崇敬厚く、明治5(1872)年鶴羽根神社と改名。社殿等は原爆ですべて倒壊。その後再建。

    最初に訪れたのは鶴羽根神社。
    約800年前の鎌倉時代創建の椎木八幡宮が前身と伝えられる。広島東部の総氏神として崇敬厚く、明治5(1872)年鶴羽根神社と改名。社殿等は原爆ですべて倒壊。その後再建。

  • 原爆による倒壊を免れた手水舎。

    原爆による倒壊を免れた手水舎。

  • 広島市中心部の観光スポットにはこうした表示板が各地に設置されているようだ。

    広島市中心部の観光スポットにはこうした表示板が各地に設置されているようだ。

  • 鶴羽根神社の社殿。

    鶴羽根神社の社殿。

  • 日本初の民間飛行士・山縣豊太郎の像。<br />日本民間航空界の草分けで、大正8(1919)年愛機鶴羽根号を操縦して民間人初の宙返りを敢行。翌9年には日本初の東京・大阪間の往復無着陸飛行大会に優勝した。その偉業を讃え、彼の氏神社であるこの境内に銅像が建てられたが、太平洋戦争時に金属回収で撤去された。平成13(2001)年豊太郎の命日の8月29日、銅像は遺族により60年ぶりに石造で再建された。

    日本初の民間飛行士・山縣豊太郎の像。
    日本民間航空界の草分けで、大正8(1919)年愛機鶴羽根号を操縦して民間人初の宙返りを敢行。翌9年には日本初の東京・大阪間の往復無着陸飛行大会に優勝した。その偉業を讃え、彼の氏神社であるこの境内に銅像が建てられたが、太平洋戦争時に金属回収で撤去された。平成13(2001)年豊太郎の命日の8月29日、銅像は遺族により60年ぶりに石造で再建された。

  • 明星(みょうじょう)院(写真は仁王門)。毛利輝元の生母・明寿院の菩提寺であったが、毛利家の長州への移封後、福島正則が明星院と改めた。

    明星(みょうじょう)院(写真は仁王門)。毛利輝元の生母・明寿院の菩提寺であったが、毛利家の長州への移封後、福島正則が明星院と改めた。

    月光山 明星院 寺・神社・教会

  • 歴代の広島城主の保護も厚く、領内鎮護の祈祷寺とされた。

    歴代の広島城主の保護も厚く、領内鎮護の祈祷寺とされた。

  • 堂宇は原爆ですべて焼失。その後再建。<br />解説板の復元図を見ると江戸後期の大伽藍だったときの様子がうかがわれる。

    堂宇は原爆ですべて焼失。その後再建。
    解説板の復元図を見ると江戸後期の大伽藍だったときの様子がうかがわれる。

  • 中門。奥が本堂である。

    中門。奥が本堂である。

  • 本堂の中も自由に見学できる。本堂内陣には原爆の被害から焼失を免れた赤穂義士の木像が安置されている。<br />木像は吉良邸の討ち入りを再現し、右側・大石良雄以下二十三名の表門隊(上の写真)、左側・大石良金以下二十四名の裏門隊にわけられて祀られている。<br />これらの木像は、明治時代に表門隊と裏門隊それぞれ別の人物によって造られた。

    本堂の中も自由に見学できる。本堂内陣には原爆の被害から焼失を免れた赤穂義士の木像が安置されている。
    木像は吉良邸の討ち入りを再現し、右側・大石良雄以下二十三名の表門隊(上の写真)、左側・大石良金以下二十四名の裏門隊にわけられて祀られている。
    これらの木像は、明治時代に表門隊と裏門隊それぞれ別の人物によって造られた。

  • 大石良雄の木像(写真)。迫力がある。<br />これらの像は楠の一本造り(像高約85cm)で、現存する義士像としては国内最大級のもの。<br />

    大石良雄の木像(写真)。迫力がある。
    これらの像は楠の一本造り(像高約85cm)で、現存する義士像としては国内最大級のもの。

  • 境内に建つ松田多朗(昭和2年生れ)の句碑。<br /><br />義士像の 面輪(おもわ)きびしや 雪催(ゆきもよい)

    境内に建つ松田多朗(昭和2年生れ)の句碑。

    義士像の 面輪(おもわ)きびしや 雪催(ゆきもよい)

  • 最後に饒津(にぎつ)神社を参拝する。

    最後に饒津(にぎつ)神社を参拝する。

    饒津神社 寺・神社・教会

  • 天保6(1835)年、浅野9代藩主斉粛(なりたか)が藩祖長政を祀るため、広島城の鬼門(東北)の方向に明星院境内の西半分を割いて造営した。<br />原爆で社殿等はすべて焼失したが、昭和59(1984)年に再建。

    天保6(1835)年、浅野9代藩主斉粛(なりたか)が藩祖長政を祀るため、広島城の鬼門(東北)の方向に明星院境内の西半分を割いて造営した。
    原爆で社殿等はすべて焼失したが、昭和59(1984)年に再建。

  • 参道の脇に残る被爆松の切り株と覆屋。<br />饒津神社の参道には創建時に植栽した黒松が林立し、原爆投下前には二十数本の大木が立ち並んでいた。<br />参道の松並木も原爆による損傷と倒木の被害を受けたが、十数本は残った。しかし、松喰虫や大気汚染によって次第に枯れ、最後の1本も平成15年1月に枯死した。

    参道の脇に残る被爆松の切り株と覆屋。
    饒津神社の参道には創建時に植栽した黒松が林立し、原爆投下前には二十数本の大木が立ち並んでいた。
    参道の松並木も原爆による損傷と倒木の被害を受けたが、十数本は残った。しかし、松喰虫や大気汚染によって次第に枯れ、最後の1本も平成15年1月に枯死した。

  • 最後に枯死した松の切り株は神社の伝統や原爆の鎮魂の証として保存されることとなった。年輪から見た樹齢は約170年と推定され、神社の創建年代と一致する。

    最後に枯死した松の切り株は神社の伝統や原爆の鎮魂の証として保存されることとなった。年輪から見た樹齢は約170年と推定され、神社の創建年代と一致する。

  • 境内に立つ解説板の写真(向唐門のあった場所)。原爆投下直後の様子が分かる。

    境内に立つ解説板の写真(向唐門のあった場所)。原爆投下直後の様子が分かる。

  • 平成12年に復元された向唐門(むかいからもん)。全国で有数の大きさ。

    平成12年に復元された向唐門(むかいからもん)。全国で有数の大きさ。

  • 龍の彫刻も細部まで忠実に復元されている。

    龍の彫刻も細部まで忠実に復元されている。

  • 本殿を参拝してこの日の観光スポット巡りを終えた。<br />【了】

    本殿を参拝してこの日の観光スポット巡りを終えた。
    【了】

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