2019/02/26 - 2019/03/29
615位(同エリア3873件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。
この22回目の旅行記は、フィレンツェのウフィツィ美術館で絵画を鑑賞した後、バスでシエナに移動した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6時40分です。日の出はまだですが、今朝はこのように雲一つない空です。今日は、ウッフィツィ美術館を訪れ、その後シエナに移動します。
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7時50分、朝食を済ませました。太陽が出てきました。南側にある2014年に開館した20世紀博物館です。
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サンタ.マリア.ノヴェッラ広場を超えて西側にあるグランド.ホテル.ミネルヴァが太陽に輝いています。これからチェック.アウトし、荷物を預けてウフィッツィ美術館に向かいます。
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靴屋さんのショー.ウィンドウです。3足とも同じ靴に見えます。
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ホテルの東側の小道、ベッレ.ドンネ通り、スパーダ通りを南に歩き、昨日訪れたパラッツォ.ストロッツィ前に来ました。この交差点の南の方向にサンタ.トリニータ広場が見えます。ここから東にストロッツィ通りを歩いて行きます。
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入場券所有者が入館するための列です。我々は予約入場券を持っていましたが、正式な入場券と交換する必要があるのではないかと勝手に思い込み、ネットでの予約者が入場券と交換するための列に並んでしまい無駄な10分を費やしました。そのまま昨日ピッティ宮殿で購入した予約入場券で入れたのです。
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シモーネ.マルティーニがその義弟であるリッポ.メンミの助けを受けて1333年に製作した「受胎告知」です。背景に二人の聖人、シエナの守護聖人の一人である聖アンサーノと聖マッシーマ(アンサーの母、聖マルゲリータとも推定されています)が左右に描かれています。画面中央の上部には、天使に囲まれた精霊の鳩、更にその上の4個の円には預言者が描かれています。シエナ大聖堂の聖アンサーノ礼拝堂の祭壇画として製作されました。
シモーネ.マルティーニ(1284頃 - 1344)はシエナ出身の国際ゴシックの先駆けとなった画家です。世代的には、フィレンツェのチマブーエや、シエナのドゥッチョ.ディ.ブオニンセーニャの後継者にあたります。 -
これは、フィレンツェの東南東のアレッツォの更に東北近くにある町サンセポルクロに生まれたピエロ.デッラ.フランチェスカが1415年頃に描いた作品で、ウルビーノ大公フェデリゴ.ダ.モンテフェルトと公爵夫人バッティスタ.スフォルツァを描いたパネルの裏側の絵画です。2枚に描かれた「公爵夫婦の勝利の馬車」です。
こちらは清純を象徴する白色の2頭の一角獣に引かれる大公フェデリゴ.ダ.モンテフェルトの勝利の馬車です。天使が手綱をとる馬車には、枢要徳である賢明、節制、豪鬼、正義を象徴する女性達が前方に乗車しています。鎧を纏ったフェデリゴの背後に天使の姿の勝利が控え、彼に冠を捧げています。 -
こちらは貞節を象徴する栗色の2頭の一角獣に引かれる公爵夫人バッティスタ.スフォルツァの勝利の馬車です。天使が手綱をとる馬車には、神学的徳である信仰、慈悲、希望、謙遜を象徴する女性達が乗車しています。
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こちらが表の大公夫婦の肖像画です。領地の風景を背景に描かれています。大公のフェデリゴ.ダ.モンテフェルトは百戦錬磨の傭兵隊長でしたが、教養もあり芸術作品の収集に力を注ぎ、首都であるマルケ州のウルビーノの宮殿に集めました。ラッファエッロはこのウルビーノに生まれています。モンテフェルトは、戦闘で右目を失った為にこのような左横顔の肖像画になっています。しかし戦闘で欠けてしまった鼻の上部ははっきりと描かれています。公爵夫人バッティスタ.スフォルツァは、13才で嫁ぎ26才に亡くなるまで1男8女を出産したそうです。彼女も教養豊かな人物でした。
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ルネサンス期の画家ドメニコ.ギルランダイオ(1449 - 1494)が1483年頃にサン.ジュスト教会のために製作した「玉座の聖母子と天使と聖人達」です。聖母マリアと幼子キリストを数人の聖人と共に描いた祭壇画は、ギルランダイオの時代には一般的であり、イタリアのルネサンスでは、非常に人気がありました。「聖なる会話」と呼ばれた構図では、個々の寄贈者や寄贈される教会の希望に従って、様々な聖人を組み合わせることが可能でした。この絵画では、中央の聖母子の両側に二人ずつの天使が付き添い、左端には鎧を纏った聖ミカエル、右端に聖ラファエルの大天使達が構えています。
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画面の手前では、二人の聖人達が礼拝しています。右に跪くのは、フィレンツェの守護聖人であるサン.サノビーオ(聖サノビウス)です。ギルランダイオの初期の聖なる会話の絵画では、参加する聖人達は全て立ち姿でしたが、この絵では前景に跪いた聖人を描く構図に変えています。これは、画面を有効に利用すると同時に、構図を跪く聖人とマリアによって形成されるピラミッド型にする事により、人物のより興味深い配置を実現します。また玉座まで続く階段の絨毯や花瓶などの装飾品が飾られており、これらは確かにフランダースの作品の影響を受けています。
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ドメニコ.ギルランダイオの1486年頃の作品「天使と聖人に囲まれた玉座の聖母子」です。画面の手前右では、教皇クレメントが跪いています。 彼は自身の前に教皇ティアラ(冠)を置き、鑑賞者にマリアに対する礼拝に参加するように促しているようです。彼の左隣りには、ドミニコ会の創設者である聖ドミニコが跪いています。マリアの右側には教会の聖トマス.アクィナス神父が貴重な本を差し出しています。左側にはアレオパジャイトのディオニシウスです。彼は1世紀に住んでいたアテネのアレオパガス裁判所の裁判官で、キリスト教への改宗者であり複数の宗派から聖人として崇拝されています。
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教皇ティアラを脱いで前に置き跪いた、豪華な装束の教皇クレメントを拡大しました。
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1487年にトルナブオーニ家のためにドメニコ.ギルランダイオは、円形のトンドに「マギの礼拝」を描きました。キリストが生まれた厩舎がある古代の建物の遺跡を背景に、新しく生まれた救世主へのマギの礼拝が行われています。これはキリスト教の誕生と異教の宗教の退廃を仄めかしているのです。この拡大写真には、トンドの中心に描かれた玉座の聖母マリアと幼子のイエス、左に少し離れてヨセフが写っています。
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左側にはヘルメットと槍を持った4人の兵士のグループが描かれ、彼らは様々な方向を向いています。兵士達の後には、これも別の方向を向いている馬がいます。マリアの左後ろには、イエスが生まれた厩舎の牛とロバもいます。厩舎の遠くには港町がしっかりと描かれています。
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右側にも多くの参列者の後ろに兵士達が描かれています。
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フィリッポ.リッピと協力者により1441-47年に製作された 「聖母戴冠」です。リッピの2番目に有名なこの聖アンブロージョ教会の主祭壇画は、ルーヴル美術館にある「バルバドーリ祭壇画」の10年後に描かれました。教会の守護聖人である聖アンブロージョと、フィレンツェの守護聖人である洗礼者聖ヨハネが、祭壇画の両端に配置されています。描かれている人物は、「バルバドーリ祭壇画」と比べて劇的に増えていています。画面中央下方の多数の人々は両側の聖人に比べて小さく描かれています。
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中央上部の戴冠のシーンを拡大しました。マリアは、キリストではなく父なる神によって戴冠されています。側の二人の天使には翼は描かれていません。
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中央下部も拡大しました。祭壇画の右側に配置されている聖なる家族は、ローマの騎兵隊長エウスタキオ、彼の妻テオフィスタ、および2人の子供達だそうです。注目すべき事に、人が密集したこの絵画では、聖テオフィスタが他のどの人物よりも鑑賞者の注意を引きます。
ラベルで「彼が作品を完成させた」と書かれた右端にいる人物がこの祭壇画の寄贈者だそうです。 -
祭壇画の左翼の下の方に聖アンブロージョの前で屈んでいる二人が描かれていますが、右で頰杖をつき、こちらを見ている男性はフィリッポ.リッピです。
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こちらが2015年3月にルーヴル美術館で撮影した「バルバドーリ祭壇画」です。
サント.スピリト教会にあるバルバドーリ礼拝堂の祭壇画として注文されました。この祭壇画でリッピは、人物の大きさを遠近法に依らずに決めています。最も手前に位置するサン.フレディアーノとサンタゴスティーノは、聖母子に比べてかなり小さく描かれています。 -
フィリッポ.リッピの1445年頃の作品「玉座の聖母と幼子と聖人たち」です。この祭壇画は、リッピのパトロンであったメディチ家の老コジモがフィレンツェのサンタ.クローチェ教会にあるメディチェア.デル.ノヴィツィアート礼拝堂のために注文しました。
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これは1455年頃に製作された「マリアの幼子礼拝」です。
フィリッポ.リッピは、スウェーデンの聖ブリディットの夢物語とトスカーナの初期ルネサンス様式を維持しながら、キリスト降誕時の聖母子の表現を進化させました。聖ブリディットの夢物語では、地面に横たわり光を放つ赤子のキリストをブロンドの髪のマリアが礼拝したそうです。そのため、暗い森のような背景で赤子が放つ強い光がマリアを照らします。
フィリッポ.リッピのこのタイプの最初のバージョンは、フィレンツェのベネディクト会のアナレーナ修道院のために作られたこの祭壇画でした。この構成では、聖ヨセフは聖母子の横に座り、ロバと牛は飼い葉桶の中で穏やかに横たわっています。羊飼い達が見つめ、天使たちは「天のいと高きところの神に栄光あれ」と書かれた碑文を掲げます。周りの聖人達は、、左にサン.ジロラモ、その下にサンティラリオ、右端にサンタ.マッダレーナです。 -
生まれたばかりのキリストを礼拝する聖母マリアを拡大しました。その背後には、サンタ.マッダレーナが描かれています。サンタ.マッダレーナは、マルタの妹としてキリストの足に香油を注いだり、ラザロの蘇生に立ち会ったり、復活したキリストに遭遇し「我に触るな」と言われたりと多くの場面に登場します。
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「天のいと高きところの神に栄光あれ」と書かれた碑文を掲げる天使達です。この絵ではまだ、聖三位一体の降誕祝福は含まれていません。
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この絵は「降誕したキリストをマリアが礼拝」、別名「カマルドーリのキリスト降誕」と呼ばれ、前掲の1445年頃の作品に続いて描かれました。精霊の鳩が発する父なる神は、手だけで表されています。画面の右には子供の洗礼者聖ヨハネが、その下にはサン.ロムアルドが描かれています。この絵は、カマルドーリの庵として、ピエロ.デ.メディチの妻であるルクレツィア.トルナブオーニによって注文されました。
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聖母マリアと降誕したばかりの赤子のキリスト、そして精霊の鳩を拡大しました。
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こちらは1460年頃に製作された作品です。2013年10月にベルリンの国立美術館で撮影しました。この絵は、ベノッツォ.ゴッツォーリによって装飾されたメディチ.リッカルディ宮殿の礼拝堂のために注文されました。 赤子のキリストの礼拝を表すだけでなく、聖三位一体も示しています。 父なる神、聖霊、そしてキリストは、この絵の上で一致し、西洋教会が保持する聖三位一体の概念を表しています。聖霊は父と子から発せられます。これは、聖霊が父なる神のみから発せられる正教会の見方とは対照的です。
現在メディチ.リッカルディ宮殿の礼拝堂には、コピー作品が置いてあります。 -
フィリッポ.リッピが1465年に製作した「聖母マリアと幼子キリストと天使達」です。岩の多い風景が望まれる窓の側の玉座に座って、聖母マリアは幼子キリストをじっと見つめ、手を合わせながら祈っています。マリアの表情は、まるで息子に待ち受けている痛みを伴う運命を予見しているかのように、穏やかで甘く見えますが、憂鬱な表情もしています。お包みだけで覆われた幼子キリストは、2人の天使に支えられ、両腕をマリアに差し伸べて見つめています。前景の天使は、鑑賞者をシーンに引き込むかのように、笑顔でこちらを見ています。マリアは、15世紀後半のフィレンツェの貴婦人と同じように、真珠とベールの冠を髪に織り込んだ、最もエレガントな装束です。
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聖母と幼子を拡大しました。聖母の顔が、リッピの妻となったプラト出身の尼僧、ルクレツィア.ブティの顔であるとの考えを確認するものはまだないとの事です。製作年の1465年が、リッピがルクレツィア.ブティと出会ったと言われる年の後であっても未確定だそうです。
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こちらはサンドロ.ボッティチェッリ(1445 - 1510)の22才の頃の作品で「ロッジアのマドンナ」の別名を持つ聖母子の絵画です。この構図は、イコンの一つのパターンである聖母に頬を擦り寄せる幼子を採用し、15世紀にフィレンツェの芸術家の間で新たな成功を収めました。母親の子供に対する自然な気持ちを表現し、優しい親密感を醸し出しています。この絵の構図は、フィリッポ.リッピが1460年頃にパラッツォ.メディチ.リッカルディのために描いた「マドンナと幼子」と良く比較されます。一方ボッティチェッリは、フランダースの絵画からも構図を引き出し、細部まで描かれた田園風景に続くロッジアの前に人物が配置しました。
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この絵は、2016年1月に訪れたパラッツォ.メディチ.リッカルディに展示してあったコジモ.ディ.メディチが注文したフィリッポ.リッピ(1406 - 1469)の作品「聖母子」です。背景は、伝統的な壁龕になっています。
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これはボッティチェッリが1469-70年頃に描いた「玉座の聖母子」、別名で「セラフィムと栄光のマドンナ」です。中世のキリスト教神学では、セラフィムは天使階層の最高位にいて、ヴィザンチン起源の三対六枚の翼を持つ熾天使、燃える天使です。彼らは神の御座の世話人であり、継続的に「聖なる、聖なる、聖なる」と歌うそうです。この拡大写真では分かり難くなっていますが、聖母子の後方に集まる天使達です。マリアはセラフィムの栄光の中で雲の中に鎮座しています。 幼子のキリストは、こちらに目を向け、祝福の手を上げています。
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こちらも1469-70年頃に描いた「玉座の聖母子」、別名「バラの庭園のマドンナ」です。物思いに沈んだ様子の聖母マリアは、ロジアの下で幼子のキリストを膝に抱えています。 背景にはピンクのバラの茂みがはっきりと見えます。バラはマリアの称号の一つ「神秘的なバラ」を象徴しています。マリアが手に持ち幼子が触るザクロは、豊潤、忠実、そして赤い色でイエスの受難の血を表しています。この絵には、フィリッポ.リッピの工房での修行の後、指導を受けたヴェロッキオの影響が見られます。
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サンドロ.ボッティチェッリの1470年の作品「剛毅」です。もともと商事裁判所が美徳を表す7つのパネルをピエロ.デル.ポライオーロに注文しました。しかし製作の遅れでもあったのでしょうか、その中の1枚、「剛毅」が若いボッテチェッリに製作依頼されました。その完成度に満足した注文主は更に1枚をボッテチェッリに任せようとしましたが、ポライオーロ工房の抵抗で叶いませんでした。
この「剛毅」の擬人は、ヴェロッキオに遡れる精巧な彫刻が施された肘掛けが付いた玉座に鎮座しています。鎧の金属感の表現も、金細工師の技術を持っていたヴェロッキオの影響が見られます。鎧を纏った少女の顔やポーズで表現された強さは、ボッティチェリのオリジナルです。 -
1470年頃に描かれた若いボッティチェリの傑作である「聖母子と6人の聖人達」です。この絵は、サンタンブロージョ修道院の祭壇画として製作されたので、これが別名になっています。このタイプの祭壇画は聖会話と呼ばれ、聖人に囲まれた玉座のマドンナを表しています。 左側には、香油を持ったマグダラのマリアと毛皮をまとった洗礼者聖ヨハネです。右側には、アッシジのサン.フランチェスコと拷問に使われた車輪を持つアレクサンドリアのサン.カテリーナです。 マリアの前でひざまずく2人の聖人は、サン.コズマとサン.ダミアーノです。彼らはアラブ人の双子の兄弟で医師と薬剤師の両方の守護聖人でした。彼らの名をとったサンティ.コズマ.エ.サンダミアーノ聖堂がローマのフォロ.ロマーノにあります。
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聖母子を拡大しました。
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左側の香油を持ったマグダラのマリアと毛皮をまとった洗礼者聖ヨハネを拡大しました。
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こちらは右側のサン.フランチェスコとアレクサンドリアのサンタ.カテリーナを拡大しました。
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1472年頃に製作された二連画の一つ「ユディットの帰還」です。
ユディットは、暴君の殺害を誰の助けもなく勇気を持って実行したので、これが女性の力の原点と見なされました。ユディットのベスリアへの帰還では、ボッティチェリはユディットと彼女のメイドであるアブラが意気揚々と一緒に帰って来るところを見せてくれます。アブラはホロフェルネスの切断された頭を自分の頭に乗せていますが、ユディットは平和の象徴としてのオリーブの枝を手に持っています。 -
こちらは二連画のもう一つである「ホロフェルネスの遺骸の発見」です。
兵士たちは、指揮官ホロフェルネスの頭のない体が横たわっているベッドの周りに落胆して立っています。 彼らは、ホロフェルネスをユディットの腕の中に見つける事を期待していましたが、彼女はすでに家に急いでいます。 前掲の絵画ではホロフェルネスの切り取られた頭には、年老いたひげを生やした男の特徴がありますが、この絵の体は若々しく見えます。 -
1475年頃に描かれた「東方3博士の礼拝」です。
メディチ家も参加する銀行家組合の仲介人グアスパッレ.ディ.ザノビ.デル.ラマがサンタ.マリア.ノヴェッラ教会内の礼拝堂に寄贈するために注文しました。特にデル.ラマが、ロレンツォ.デ.メディチやその家族と深い関係があると印象付ける為に、ボッテチェッリにこの一族の肖像も取り入れるように頼みました。この作品には、ボッティチェッリ自身も描かれています。この絵画は彼の名声を確立し、当然のことながら彼の初期の芸術作品の最高点と考えられています。
この写真で中央部分を拡大しました。聖母と幼子のキリストの前に跪く最年長の王が、1430年代にメディチ家によるフィレンツェ共和国の統治を確立した老コジモです。ヨセフは、いつものように肘をついて頭を支えています。 -
祭壇画の右側を拡大しました。ほぼ真ん中でこちらを見ている白髪で水色のローブを着た老人が寄贈者のデル.ラマで、ボッティチェッリが右端でこちらを見ています。デル.ラマの左前に立つ黒髪で赤い線が入った黒いマントを着た若者はロレンツォ.デ.メディチだそうです。
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祭壇画の左側を拡大しました。左端にジュリアーノ.デ.メディチと彼にもたれ掛かる詩人ポリツィアーノ、その右に哲学者ピーコ.デッラ.ミランドラが描かれています。
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これからもサンドロ.ボッティチェッリの作品が続きます。
凸状の鏡に反射されたように、トンドに描かれた「マニフィカトの聖母」です。1483年頃の作品です。アリアは玉座に座り二人の天使によって戴冠されています。マリアは幼子の手引きを受けて、聖歌 "私の魂は主を拡大します" と書いています。マニフィカトは、ラテン語の"拡大する"を意味します。幼子は母親の膝の上でザクロに触れています。ザクロの赤い粒は、人類の救いのためにイエスが流した血を思い起こさせます。周りの天使たちは、ボッティチェッリのさまざまな絵画のように翼が描かれていません。 -
マリアと幼子を中心に拡大しました。
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左側にいる天使達です。
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1487年頃にトンドに描かれた「ざくろのマドンナ」です。前掲の「マニフィカトの聖母」は、この絵の前に描かれていますが、この絵ではマリアを中央に配し両側に3人ずつの天使を描いています。祝福の手を上げた幼子のキリストは、マリアの腕の中にしっかりと抱かれていますが、母と子の顔の悲しげで憂鬱な表情は、神の子が後に苦しむ事を思い出させるためのものです。
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マリアに抱かれるキリストを拡大しました。
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こちらは右側の天使と聖母子です。
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こちらは左側の天使と聖母子です。
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この1481年に製作された「受胎告知」のフレスコ画は、もともとペストに襲われた人々のための病院であるサン.マルティーノ.デッラ.スカラの入り口に描かれていました。1478年以来フィレンツェで猛威を振るっていたペストの発生が終わったため、おそらく感謝の気持ちで捧げられたのでしょう。碑文によると、1479年には病院の墓地にペストの犠牲者20,000人が埋葬されたそうです。
この受胎告知のシーンは、庭を見下ろすルネッサンス様式の宮殿内です。告知を受けるポルティコはマリアの豪華な寝室に続きます。大天使ガブリエルと告知を受けるマリアとの間隔は、通常描かれている間隔より大きくなっています。 -
告知を受けるマリアを拡大しました。
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こちらは大天使ガブリエルです。
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この「チェステッロの受胎告知」は、1489年にフィレンツェのチェステッロ修道院にある家族用礼拝堂のために、フィレンツェの両替商が注文しました。絵画の中で、本の架台の他に家具類がない部屋、弱められた色彩と色調、強調されたやや演劇的なジェスチャー等は、ドミニコ会修道士ジロラモ.サヴォナローラが進める宗教改革が求めた単純化と宗教性の探求を反映しているそうです。前掲の1481年の作品と比較すると、その簡略化が顕著です。
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これは1488年頃に製作された「サン.バルナバの祭壇画」です。フィレンツェで最も裕福な医師と薬剤師ギルドから注文され、彼らの守護聖人であるサン.バルナバに捧げらました。背の高い玉座の両側にいる天使たちは、いばらの冠と十字架の釘を持っています。これらのシンボルは、キリストの情熱を表しています。しかしこの絵には、1482年にサン.マルコ修道院の院長になり宗教改革を唱え政治的にも力を増したサヴォナローラの影響がボッティチェッリの絵にも現れ始めます。
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聖母子を拡大しました。
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右側には二人の天使の手前に、洗礼者ヨハネ、拷問で取り出された自分の心臓を持つアンティオキアの聖イグナチオ司教、そして鎧姿の戦士の大天使ミカエルです。
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左側には、棘が付いた車輪で拷問を受けたアレクサンドリアの聖カタリーナ、ローマ帝国時代のキリスト教の神学者聖アウグスティヌス、オリーブの枝を持つ聖バルナバが描かれています。
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1494-95年頃に描かれた「アペレスの誹謗.中傷」です。この絵画は、紀元前4世紀にギリシャの画家アペレスが描いた絵画『誹謗.中傷』を、ボッティチェリが復元したものです。ボッティチェッリはアッシリア人の風刺作家ルキアノスの叙述に合わせた人物の構成と風光明媚な構図を用い、豪華に装飾された建築の背景を取り入れました。テーマは悪と徳の擬人化、または王と犠牲者の場合、権力と無力の擬人化です。
罪のない男は、玉座の前に、"陰謀"と"欺瞞"に付き添われた"誹謗.中傷"の女擬人によって引きずられて来ます。その左には、"悔恨"の擬人が老婆の姿で、更に左にいる裸の女性"真実"の擬人を振り返って見ています。裸の女性の"真実"の擬人は、罪のない青年との関連も示しています。 -
大きな耳を持ったミダス王が、離れた"誹謗.中傷"に手を伸ばしています。王の側には女の擬人で向こうの"無知"と手前の"疑惑"が彼に入れ知恵しています。王は手を”誹謗.中傷"の擬人に向いてますが、目を下に向けているため、相手を見ることができません。
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画面の中央です。とても美しいが悪性の情熱と興奮に満ちた女の擬人"誹謗.中傷"は、左手に火がついたトーチを持ち、右手で髪を掴み怒りを表しなが裸の青年を引きずっています。青年は天に向かい手を合わせて神々に自分が無実である事を呼びかけます。"誹謗.中傷"の擬人の後ろには"欺瞞"の擬人である女が"誹謗.中傷"の擬人の髪を整えています。"誹謗.中傷"の擬人の左手には"陰謀"の擬人が手伝っています。髭を生やしフードを被った黒装束の男は"羨望"の擬人で、その手を王の目に向けその視界を遮ります。
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左側にはボロボロになった黒い喪服を着た老婆"悔恨"です。全ての光景に対し涙を浮かべて目を反らし、ゆっくりと近づいている裸の女性の"真実"の擬人に、恥ずかしさを秘めた視線を投げかけています。"真実"の擬人は手の指を天に向け、天の判決を求めています。"真実"の擬人が裸なのは、何物も隠していない事を表しています。
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サンドロ.ボッティチェッリが1480年頃に製作した「春の寓意」です。"春"という通称で知られるこの絵には、オレンジと月桂樹の木立の中で、花の咲く草原を歩く神話に登場する9人の人物が描かれています。
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これは、絵画の中央でわずかに後退して描かれ、優雅な服を着た愛と美の女神ヴィーナスです。ヴィーナスの頭の上には目隠ししたキューピッドが愛の矢を放っています。
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ヴィーナスの右側では、風の精ゼフュロスが妖精クロリスを捕まえ妻にし、クロリスに花を芽生えさせる能力を授けます。それでクロリスの口から花々が吹き出しています。クロリスの左に立つ花の衣装をまとい微笑んでいる姿は、クロリスが変容した古代ローマの春の女神フローラです。
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ヴィーナスと妖精クロリスが変容した春の女神フローラを拡大しました。
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こちらは、口から花を吹き出している妖精クロリスを拡大しました。
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ヴィーナスの左側では、自由を象徴する3美神が手を取り合い、輪になって踊っています。
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サンドロ.ボッティチェッリがメディチ家の注文により1485年頃に製作した「ヴィーナスの誕生」です。海の泡から生まれ、風のゼフィルスと、おそらくオーラによって流されてキプロス島へ到着した愛と美の女神を描写しています。木板に描かれた「春」とは異なり、「ヴィーナスの誕生」はキャンバスに描かれています。ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」は、彼の芸術人生の中で最も平穏で調和に満ちた時期の代表作です。
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画面の左側に描かれている風のゼフィルスとオーラ、そしてヴィーナスを拡大しました。
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ヴィーナスの右には、若い女性が彼女を歓迎します。彼女は、美神の一人、または春の季節と同一視され、花をまき散らしたマントをヴィーナスに手渡しています。
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貝殻の上に立つヴィーナスを拡大しました。
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こちらはヴィーナスにマントを渡す美神を拡大しました。
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この写真は、2011年2月に訪れたローマで、ファサードを修復工事中のサント.アンドレア.デッラ.ヴァッレ教会に掲げられた工事を覆う幕です。ケーキに立てられたローソクの火を消そうとするゼフィルスとオーラです。絵の左上に「芸術はあなたの健康を願っています」と書かれています。
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1482年頃の作品「パラスとケンタウロス」です。
好奇心旺盛な人間と馬の半獣であるケンタウロスが禁じられた領域に侵入しました。領域は、鉾と盾で武装した女神パラス.アテナによって守られており、女神はケンタウロスの髪を掴んでいます。 女神パラス.アテナはまた、ヴァージルのアエネイスの貞淑なヒロインであるアマゾン.カミラの両方としても認識されています。絵画の道徳的内容は、美徳が官能性に対して勝利すると言う事だそうです。
この絵は、メディチ統治時代の終わりを告げるものになり、この時点からボッティチェリの絵の主題は変化し、ますます宗教的になります。 -
フィリッポ.リッピの子フィリッピーノ.リッピ(1457 - 1504)の1483年頃の作品です。遠くの山が見通せる木々に囲まれたテラスで、マリアは芝生の上に広げられた衣に横たわる赤子の前に跪き礼拝しています。マリアの姿は非常に優雅で、綺麗に整えられたブロンドの髪は透明なベールで纏められています。マリアは長い濃紺のマントと典型的な赤いローブを着ています。赤子は膨よかな顔をして母を見ています。芝生の豊かなハーブは、ボッティチェリとレオナルドによっても取り入れられたフィレンツェ芸術では決して消えなかった後期ゴシック様式の遺産です。
この絵はフィリッピーノ.リッピの初期の作品で、ボッティチェリの影響を強く受けています。実際、その構成はピアチェンツァのボッティチェリのトンドと比較されます。しかし、フィリッピーノは、線形性とはあまり関係なく、より柔らかく、より活気のある特性でボッティチェリとの違いを出します。テラスの高い視点から眺めた景色は、フランドル絵画へのフィリッピーノの関心を示しています。 -
これが前掲のフィリピーノ.リッピの作品と対比されているトンドです。
ミラノの南東でクレモナの西にあり、エミリア街道沿いのピアチェンツァを2011年2月に訪問した際に、ファルネーゼ宮殿にある美術館で撮影したボッテチェッリの「ピアチェンツァのトンド」です。1475-80年頃の作品です。 -
フィリピーノ.リッピの1486年の作品「玉座の聖母子と天使と聖人達」です。作品はヴェッキオ宮殿のオットー.ディ.プラティカ礼拝堂のために描かれました。この場面は、いわゆる聖会話です。マリアは、ホタテ貝模様のドーム内のニッチに設置された玉座に座り(新しいヴィーナスとしてのマリアを暗示)、幼子を抱いて本を一緒に開いています。貝殻のモチーフは、王座の基部にあるフリーズにも描かれています。両側に並ぶ4人は、フィレンツェの守護聖人です。左から洗礼者ヨハネ、ヴィットーレ、ベルナルド.ディ.キアラヴァッレ、ザノビです。この写真では幼子の左に立つヴィトーレとマリアの右に立つベルナルド.ディ.キアラヴァッレが写っています。ヴィットーレは、金、真珠、宝石で装飾された司教の帽子を被っています。この帽子の表現は、フランダース絵画の影響を示しています。
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玉座の上方には、2人の天使がバラの花輪(マリアンの花)を持ち、そこからマリアの冠が垂れ下がっています。最上部には、フィレンツェ自治国の紋章の1つであるクローチェ.デル.ポポロの紋章が描いてあります。
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玉座に座るマリアの右に立つ白衣の聖人はベルナルド.ディ.キアラヴァッレです。彼は、自身が書いた聖母への宗教的な談話の本を開いて持っています。ベルナルドの更に右には、真珠と金色の刺繍で飾られた豪華な服装をしてフィレンツェ司教区の守護聖人であるザノビが立っています。彼は胸に街の紋章である赤い百合が付いた宝石を留めています。
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フィリピーノ.リッピ(1457 - 1504)の1496年の作品「マギの礼拝」です。
幼子は、母親のマリアの膝の上に座わり、父親のヨセフの思慮深い視線の下で、最年長のマギから贈られた贈り物を持っています。マギのお供の中で私たちの注意は、画面の左端で豪華な毛皮の裏地が付いた黄色のローブを身に着け、マギの占星術の知識を暗示するアストロラーベ(天体観測用の機器)を右手に抱えている男性に注意が行きます。この人物はピア.フランチェスコ.デ.メディチ(1430-1476)であると考えられています。ピア.フランチェスコの息子であるロレンツォ(1463-1503)は、赤い衣装で冠を捧げられている黒髪の男性で、ジョヴァンニ(1467-1498)は、その左で花瓶を持った金髪の若者であると認識されています。田園の風景の中に設定された馬小屋の上には、王を導いた星が輝いています。背景には、星に導かれたマギの旅のシーンが描いてあります。 -
中央に描かれ、綺麗に縦に並んだ主賓、ヨセフ、マリア、幼子を拡大しました。右下は、壮年の姿の賢者で、乳香(神性の象徴)を送るバルタザールのようです。
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ウフィッツィ美術館の天井です。美術館の創設者であるフランチェスコ1世が1500年代末期に整備させたグロテスク模様の天井画は、アレッサンドロ.アッローリを筆頭とする画家のグループによって描かれました。
ローマ時代に皇帝の宮殿を飾っていたフリーズから着想を得た特色ある幻想に富んだグロテスク装飾は、ネロ帝のドムス.アウレアのグロッタ(洞窟)からその名を採られています。すでに1400年代の末からフィリッポ.リッピやピントリッキオやルカ.シニョレッリの作品にこのグロテスク装飾が登場し始めています。 -
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シエナの画家としてイタリアのルネサンス期に活躍したマッテオ.ディ.ジョヴァンニ(1428頃 - 1495)の1460年代の作品「聖母子と聖人と天使」です。マッテオ.ディ.ジョヴァンニは、トスカーナ州のアレッツォの北東にあるサンセポルクロで生まれました。宗教画の中でも多くの聖母子像を残しています。
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北イタリアでヴェローナの南西にあるマントヴァの領主であるルドヴィーコ3世.ゴンザーガの注文でアンドレア.マンテーニャ(1431 - 1606)が1460年頃に描きました。この3枚の絵画は、マントヴァのドゥカーレ宮殿にあるサン.ジョルジョ城のゴンザーガ家の礼拝堂のために描かれています。
この絵は「マギの礼拝」の三連画という事ですが、お互いに関連が認められない3枚のパネルを、1827年に勝手に繋ぎ合わせて三連画にしたもので「ウフィツィの三連画」と別名が付いています。少し高さが低い「マギの礼拝」を中央のパネルとして、両側に幅は狭いけど高さが高い2枚のパネル「キリストの昇天」と「キリストの割礼」をくっ付けました。
この中央のパネル「マギの礼拝」は、他の同名のテーマの絵画とは違った構図になっています。マギ達は岩を削って作られた道を通って洞窟の中に座る聖母に抱かれた幼子を礼拝します。聖母はビザンティン風に、輪になった天使(マンドルラ)の後背に守られています。聖母の右にはヨハネが立っています。いつもの牛とロバも洞窟の入り口の左側にいます。 -
画面の左側のマギのお供を含む行列を拡大しました。これは一般的ですが、行列には東洋のターバン、ビザンチンの帽子、黒人達、モンゴルの射手等、多数のエキゾチックな人物や動物によってアニメーション化されています。
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こちらは、幼子キリストを礼拝する最年長のマギと聖母子とヨハネを拡大しました。
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こちらは3連画の左翼として組み込まれた「キリストの昇天」です。空になった聖墳墓の周りで皆んなが天を仰ぎ昇天するキリストを見守っています。マリアは、一段と高い場所に立ちこちらを向いています。昇天するキリストは、左手に十字軍の勝利の旗を握りながら天使の輪(マンドルラ)に囲まれています。
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地上で驚く人々を拡大しました。
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こちらは3連画の右翼として組み込まれた「キリストの割礼」です。この絵の主題は、生後8日、つまり元日のキリストの割礼です。モーセの法則で規定されているように、中世末期以来、元日は40日後に行われる神殿奉献の行事と結び付けられていました。ヨセフは鳩の生贄を籠に入れて運んでいます。神殿内部は豪華に装飾されています。ルネットには、旧約聖書の2つの関連シーンが描かれています。左はアブラハムの犠牲、右は十戒が書かれた石板を持つモーゼです。マンテーニャは、神殿の古典的なインテリアを完全に再現しています。このテーマの他の作品には見られないエレガントな装飾が豊富にあります。
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キリストを抱くマリアと後で見守る女性と子供を拡大しました。この子供は割礼をすでに済ませているのでしょうか。
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アンドレア.マンテーニャの1488-90年頃の作品「石切場のマドンナ」です。ここでも珍しく緑が殆どない岩だらけの場所で聖母が幼子キリストを抱いて座っています。
イタリア北部のパドヴァに生まれたマンテーニャは、ルネサンス期のパドヴァ派の画家です。彼は、1460年以降はマントヴァ侯ゴンザーガ家の宮廷画家として活躍しました。
マンテーニャは、ヴェネツィアの画家ヤコポ.ベリーニの娘と結婚しており、有名な画家兄弟のジェンティーレ.ベリーニおよびジョヴァンニ.ベリーニは義兄弟にあたります。 -
展示室の天井に描かれていた2枚の風景画です。こちらはシニョリーア広場で左にヴェッキオ宮殿、右にロッジア.ディ.ランツィを望んでいます。
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こちらはサンタ.マリア.ノヴェッラ広場で右端に同名の教会、正面には現在グランド.ホテル.ミネルヴァがある広場の西側です。
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東廊下に接した第23室は、元々武器庫の一部を成していて、天井にはルドヴィコ.ブーティ作のグロテスク装飾が5枚の絵画と共に描かれています。
これは剣や槍を製造する工房のようです。 -
これは大砲を製造する工房です。
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天井の中央に描かれていた、鎧の製造工房でしょうか。
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これは火薬を製造する工房のようです。
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これは要塞の設計、建設を管理する工房に見えます。
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ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家ピエトロ.ペルジーノ(1448頃 - 1523)の1483-1493年頃の作品「ピエタ」です。当時はサヴォナローラの宗教改革の真っ只中で、宗教色の強い絵画が賞賛されていました。この頃のペルジーノは、ポルティコの下でのシーンをよく描いています。
マリアが膝にキリストの硬直して土色になった身体を支え持ちます。左側には跪いてキリストの顔に自分の顔を擦り寄せている伝道者ヨハネと、右側には祈りを捧げるマグダラのマリアの二人もキリストの身体を支えています。両脇にはさらに聖人がおり、左手に若いニコデモが胸に両手を合わせ立ち、右手に老人ジュゼッペ.ダリマテアが見下ろしています。ウンブリア地方出身のペルジーノは、1472年にフィレンツェの画家の同業者組合に」登録しており、その頃には既に当地で名声を得ていました。 -
キリストの足を自分の膝で支え、祈りを捧げるマグダラのマリアを拡大しました。
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こちらは1493年に描かれた祭壇画「洗礼者ヨハネとサン.セバスチャンの間の聖母子」です。中央の聖母子のみ拡大しました。ペルジーノは15世紀の最後の10年間、特にこのような宗教的な祭壇画の注文がありました。彼は親しみやすく、若々しく、甘いタイプのマドンナに特化しました。
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南廊下の窓から南東の方向にアルノ川を越えてミケランジェロ広場を望みます。向こうに見える橋は、ポンテ.アッレ.グラツィエで、訳せば "感謝の橋" です。正面の丘の上にサン.ミニアート.アル.モンテ教会の特徴あるファサードが見えています。広場のダヴィデ像のコピーは小さくて判別し難いですが、左側でクレーンの腕の下に小さく白く写っています。
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天井画3枚を掲載します。
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マルケ州のウルビーノに生まれ、画家人生の初期にペルジーノを師としたラファエッロ.サンツィオ(1483 - 1520)の1506年の作品「ヒワの聖母」です。この絵は、ラファエッロの友人の結婚を祝って描かれました。その後、災害などで大きく損傷しましたが、ギルランダイオの工房で修復されました。
聖母は本を手にして座っており、その膝の間に立つ幼子のキリストは、これも子供の洗礼者ヨハネが与えたばかりのヒワ鳥(ゴールド.フィンチ)を愛情を込めて撫でています。情熱のシンボルであるヒワは、このように組み合わされと、単に遊んでいる子供達として見ることができます。 -
イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家で詩人でもあったミケランジェロ.ブオナローティ(1475 - 1564)の1506年頃の作品で、別名「トンド.ドーニ」を持つ「聖家族」です。フィレンツェの商人アニョロ.ドーニの結婚を記念して製作を依頼されたので、この別名が付いています。この絵は、現存しているわずか3枚のミケランジェロのパネル絵の中の1枚です。
中央には、幼子キリストを高く揚げるマリアがもっとも目立つように大きく描かれ、ヨセフは家長としてマリアに比べて高い位置で描かれています。マリアはヨセフの足の間に座っており、これはヨセフがマリアを守っているかのように見えます。 -
またアニョロ.ドーニは、ラファエッロ.サンツィオに夫婦の肖像画を注文しました。
これがアニョロ.ドーニの肖像画です。次掲の肖像画と共に、ラファエッロがレオナルド.ダ.ヴィンチの作風を研究していた時の作品です。例えばレオナルドの有名なモナ.リザのような手の置き方です。ただレオナルドと違って、背景の景色で水平線を低くして人物を引き立てています。 -
こちらが花嫁のマッダレーナ.ストロッツィの肖像画です。前日の旅行記に書いたように、ストロッツィ家はメディチ家に対抗できる程の富裕な名家でしたが1434年に政治的にメディチに破れシエナに移りました。その後和解してフィレンツェに戻り、パラッツォ.ストロッツィを建設しました。
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ルネサンス期の画家であり彫刻家であったロレンツォ.ディ.クレディ(1459頃 - 1537)の1480-1485年頃の作品「受胎告知」です。
フィレンツェに生まれたクレディは、アンドレア.デル.ヴェロッキオの工房で仕事を始め、ヴェロッキオの死後その工房を引き継ぎました。クレディより年上であったレオナルド.ダ.ヴィンチもヴェロッキオの工房で学び、互いに影響し合いました。 -
告知を驚いて聞くマリアです。場面は伝統的な室内になっていますが、窓や開いた扉から広大な風景が見えます。
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こちらは大天使の一人、告知をするガブリエルです。
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ルネサンス期のイタリアの画家ルカ.シニョレッリ(1450頃 - 1523)の1488年頃の作品「聖家族」です。シニョレッリは、アレッツォの南南東にあり、ウンブリア州との境界の近くの町コルトーナ出身です。ボッティチェリ、ペルジーノ等と共に、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画装飾に携わっており、当代一流の画家とみなされていた事がわかります。
このトンド形式の絵画は、聖家族を風景の中に描いた初期の作品の1つであり、ミケランジェロの「トンド.ローニ」からラファエッロやアンドレア.デル.サルトまで、全世代の芸術家のモデルとなりました。このトンドでは、真珠のような肌と赤い衣装を着けた聖母は熱心に本を読んでいて、キリストは聖ヨセフに視線を向けています。3人は自然な体勢で綺麗にトンドに収まっています。聖家族の絵画は、シニョレッリのキャリアの頂点の1つであり、彼の芸術的成熟の達成度を示しています。 -
1490-92年頃の作品「聖母子」です。聖母は若いアスリート達を背景に花の牧草地に座っているシーンとして描かれています。これは恐らく禁欲的な美徳の寓話と解釈されます。この絵は、シニョレッリからメディチのロレンツォ.イル.マニーフィコに捧げられました。
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シニョレッリの1496-98年頃の作品「磔刑とマッダレーナ」です。
雲に覆われた白い海の前に岩山があり、幻想的な風景を背景に、十字架は際立っています。手前の小さな花は、フランダースの芸術とレオナルド.ダ.ヴィンチの科学的自然主義に敬意を表しています。左の背景には、崖の端にあるサンタンジェロ城を含む古典的なモニュメントや遺跡がたくさんある街を、右の背景には十字架降下を描いています。 -
マッダレーナを中心に拡大した写真です。磔にされたキリストの足下で、跪いたマグダラのマリアは、彼女の顔が穏やかに見えても、絶望のジェスチャーで腕を広げます。ゴルゴダの丘の磔刑のシーンに必ず現れるマグダラのマリアのこのような姿は、非常に稀なものであり、印象に大きく残ります。
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ここからは、レオナルド.ダ.ヴィンチ(1452 - 1519)の作品です。レオナルドは、フィレンツェの西20Km程離れた小さな村ヴィンチに生まれ、フランスで亡くなりました。彼が14才の時にヴェロッキオに弟子入りし絵画の修行を始めます。この写真は、彼が21-26才の頃にヴェロッキオの作品「キリストの洗礼」の作画に参加した部分です。左の天使をレオナルドが描いたと言われています。右の天使も全体の絵画から際立っており、ボッティチェッリの作だとの説もあります。
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こちらは有名な「受胎告知」ですが、前掲の絵への部分的な参加の2-3年後の作品と言われています。レオナルドは、マリアが告知を受ける場所を伝統的なマリアの寝室やロッジアではなく寝室の外のテラスに設定しています。大天使ガブリエルは"閉じられた園"と言われる囲いのある草地に降り立ちます。大天使は、堂々とした横顔を見せて跪き、マリアへ右手を上げ、彼女の神聖な妊娠を告げています。聖母は読書を中断し、受胎告知に対して深い敬意の表れを左手の身振りで反応します。遠近法の規則から外れ、彼女の右腕は僅かに長く描かれています。これは、この絵が設置される場所を前以て考慮に入れて描いたものです。例えば、礼拝堂の右壁面に飾られた絵を眺める事を考えたのでしょう。手前の草地の植物は繊細に描かれ、背景の描写には、レオナルドが得意の空気遠近法が取り入れられています。
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告知を受けるマリアを拡大しました。書見台を置いた小机は、レオナルドの師であったヴェロッキオが製作したある墓碑のレリーフ模様にそっくりだそうです。この拡大写真を見ても、よく言われる以上に長い右手や短い脚には見えません。
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大天使ガブリエルを拡大しました。天使の翼は、伝統的には孔雀の翼ですが、レオナルドは、猛禽類の翼で描きました。しかし元のレオナルドの翼が小さかったため、後に誰かが大きく描き直しているそうです。
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更にグロテスク天井画3枚です。
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西廊下の北端からランツィの開廊のテラスに出ました。快晴の下皆さんが気持ち良く休んでします。テラスの東側にはヴェッキオ宮殿が望めます。
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最初にウフィッツィ美術館を訪れたのは1975年です。当時はこの写真のようにテラスの欄干の所まで近ずけました。
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こちらは2007年9月に訪れた時の写真です。もう鉢植えを並べ、ロープで塞いでいます。
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フラ.アンジェリコ(1395 - 1455) の晩年の作品である 「ポンタシエーヴェの聖母」は、元々は三連祭壇画の中央パネルと考えられています。この絵の由来を示すポンタシエーヴェはフィレンツェの東にある近郊の村です。
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マザッチォ(1401 - 1428)作で「擽ぐるマドンナ」の別名を持つ「カシーニのマドンナ」です。シエナ出身の枢機卿カシーニが私的な礼拝のために所持していたものです。聖母は、お包みの幼子を抱き、右手の2本の指を上げることで彼を祝福しますが、このジェスチャーはより身近なもので、おそらく擽りに変わり、母親の手首を小さな手でつかむ息子を笑わせます。しかし、マリアの深刻な顔つきは、彼女の息子の悲劇的な運命を暗示させるために必要でした。画家のマザッチォはフィレンツェのルネサンス芸術の創始者の1人であり、当時の支配的なスタイルであった国際ゴシック様式の過剰な装飾と人工性を拒否し、新しい厳密なビジョンに従い絵画を刷新しました。
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更にグロテスク様式の天井画2枚です。
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ベルナルド.ツェナーレ(1477 - 1526)は北部イタリアに生まれミラノのスフォルツァ城の絵画による装飾を依頼されています。この絵は、1490年頃に製作された祭壇画「サンターナの多翼祭壇画」で大天使ミカエルを描いた翼パネルの1枚です。聖ミカエルは、2つの魂の重さを計る天秤を左手に持ち、彼の足下の悪魔を倒した長い剣を右手に持っています。これは北欧の版画を元祖としたグロテスクな構図になっています。
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ピッティ宮殿内のパラティーナ.ギャラリーに沢山の作品が展示してあるアンドレア.デル.サルト(1486 - 1531)の1517年の作品「アルピエのマドンナ」です。この絵は、おそらくサン.フランチェスコ.デイ.マッチ女子修道会の注文で描かれた祭壇画です。幼子を抱き、二人の天使に支えられ玉座に屹立する聖母マリアです。左にはサン.フランチェスコ、右に福音書記者の聖ヨハネを従えています。玉座の四角の台座にはアルピエ(ハルピュイア:ギリシア神話に登場する女面鳥身の伝説の怪物)が張り付いています。非常に印象的ですが、マリアとヨハネの両名共、書籍を保持するために左手を力強く伸ばしています。
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幼子を抱き、荘厳な姿で立つ玉座のマリアを拡大しました。
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こちらは福音書記者の聖ヨハネです。
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ルネサンスの美術をフランスに伝える役割を果たしたフィレンツェ生まれの画家ロッソ.フィオレンティーノ(1495 - 1540)の1518年の作品「聖母子と聖人達」、別名「スペダリンゴの聖母」です。
この画家は、アンドレア.デル.サルトの工房で1才年上のポントルモと共に修行しました。髪が赤かった(ロッソ)のでロッソ.フィオレンティーノの愛称で呼ばれていました。彼はフィレンツェでの初期の作品から、反古典的エネルギーを発して独自のスタイルを貫きました。それはバランスのとれたルネサンスの枠組みから脱却し、強力で劇的な魅力を持つ革新的な様式を創り出した事です。オニサンティ教会に置かれる事になっていた祭壇画は、聖人である洗礼者ヨハネ、ベネデット、レオナルド、ジロラモの間で聖母子を描いたものでした。しかし注文者はこの絵に満足しませんでした。それで最終的に絵の書き換えが行われ、他の教会に収められました。書き換えは、ヨハネの右奥のベネデットがサンタントニオ.アバテに、ジロラモの左奥のレオナルドが頭に石が当たったステファーノに変わっています。 -
中央の聖母子とその左奥のサンタントニオ.アバテを拡大しました。画家の特徴のある目の表現が分かります。
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聖母が座る玉座の前の階段に座り、聖典に夢中になっている2人の甘い天使が、構成の厳粛さを和らげています。
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ロッソ.フィオレンティーノの1521年の作品「奏楽のプット」です。プットは、翼の生えた裸の幼児の図像です。
このリュートの弦を弾くプットを描いた絵は、大きな板絵の一部を切り取ったものであると推定されています。誇張して大きく見えるリュートを習得するのに苦労している小さな天使、プットが描かれた非常に優しいイメージのこの絵画は、伝統的なテーマをロッソ.フィオレンティーノが独自性を発揮して描いたものになっています。 -
マニエリスム期の画家ヤコポ.ダ.ポントルモ(1494 - 1557)の1528年頃に描かれた未完の作品「子供の洗礼者ヨハネと聖母子」です。
フィレンツェの西でダヴィンチが生まれたヴィンチの南にあるエンポリ近くの出身で、ロッソ.フィオレンティーノと共にアンドレア.デル.サルトの工房で修行しました。この絵は当初「慈悲の聖母」と言われてきました。この絵の特徴は、ポントルモがいわゆるレオナルド様式に微妙ですが意図的に戻った事です。即ち、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画から着想を得た体の形を描く技法を採用した事です。前に屈んだ姿のマドンナはミケランジェロ風で印象的です。赤子のキリストと子供のヨハネがマリアの膝に座っています。ヨハネのねじれた体と感動的な表情、そしてキリストの伸ばした脚は、同じ時期にミケランジェロによって製作されたされた彫像の「メディチのマドンナ」等の作品を連想させます。 -
更にグロテスク様式の天井画2枚です。
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マニエリスム期のアーニョロ.ブロンズィーノ(1503 - 1572)の1540年頃の作品「ルクレツィア.パンチァティキ」です。ブロンズィーノは、メディチ家の宮廷画家として多くの肖像画を描いています。
ルクレツィアは1528年に結婚しました。この肖像画はおそらく1540年頃に描かれています。ブロンズィーノは彼女の美しいドレスを描写し、貴族の品格と優雅さを高めています。彼の芸術の典型で、女性は暖かいピンクのサテンとダーク.ベルベットの衣装で豪華に身を包んでいます。彼女の貴族らしい手と厳格で純粋な顔つきは、自然主義的な美しさが全くありません。 画家は、洗練されたフィレンツェ社会のこの女性を、貞潔な美しさ(繊細であるが、綺麗に集められた髪にも注目)と高い精神性を持つ理想的なシンボルとして描いています。 -
こちらは1545年頃に描かれた「息子のジョヴァンニ.デ.メディチとエレオノーラ.ディ.トレドのの肖像」です。エレオノーラ(1522-1562)は、スペイン人のナポリ総督ドン.ペドロ.ディ.トレドの娘で、1539年にメディチのコジモ1世と結婚しました。彼女は優秀な実業家で夫の政治活動やピッティ宮殿のような重要な建物の建設に資金を提供しました。夫婦には11人の子供が生まれました。
この絵の中のジョヴァンニ(1543-1562)はエレオノーラの次男で後にピサの司教と枢機卿になったそうです。この絵はマニエリスムの肖像画の傑出した例の1つと見なされています。エレオノーラが息子の肩に手を置いて座っているところが描かれていますが、この仕草と彼女のドレスのザクロのモチーフは、彼女の母親の役割を表しています。エレオノーラは又、スペイン風の黒のアラベスク模様の濃い錦織のドレスを着ています。このポーズで彼女はルネサンスの理想的な女性として描かれています。この絵画は、国が注文した統治者の後継者を含む肖像画の最初のものだそうです。コジモは、肖像画に子供を含める事で、彼の統治が公国に安定をもたらす事を仄めかしたいと考えました。 -
1542年頃の作品「ビア.ディ.メディチの肖像」です。この肖像画は、父親がビアの生前の肖像画をブロンジーノに発注したとされています。彼は前掲の絵画と同じようなポーズで少女を描きました。こちらを真っ直ぐ見つめる無感情な顔は、青色の背景で照らされて強調されています。ビアは額の真ん中で髪を分けて、青い袖の膨らんでいる豪華なドレスを着ています。耳には真珠のイヤリング、胸には金の鎖で吊られた父親の横顔が掘られたペンダントまたはメダリオンを付け、父親との絆を強調しています。
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マニエリスム初期にローマ等で活躍した画家パルミジャニーノ(1503 - 1540)の1530-1533年頃の作品「サン.ザッカリアのマドンナ」です。
彼はフィレンツェ、ローマ、ボローニャ、そして彼の故郷のパルマで活躍しました。彼の作品は、洗練された官能性と多くの場合、人物の形態の伸長を特徴としています。ナポリのカポディモンテ美術館で紹介した「アンテア」のような見事な絵画があります。
この作品は、パルミジャニーノが3年に渡るローマ滞在を終えボローニャで描いたものです。果樹園に囲まれた廃墟を背景に、型破りの聖なる会話が行われています。中央では、マドンナが幼子のキリストを膝に座わらせています。キリストは恥ずかしそうに聖ヨハネのキスを受けています。右の手前には預言者ザッカリアが位置し、マグダラのマリアが、左端で香油の壺(彼女の伝統的な属性物)を持って描かれています。 -
登場する4人を拡大しました。
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こちらは1534-1540年頃の作品「首の長いマドンナ」です。画家の友人がパルマのサンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会の礼拝堂のために注文しました。
捲り上げられた赤いカーテンの前に、長く曲がった首を持つ細身のマリアは、優雅なプリンセスのように微笑んでいます。将来のピエタを暗示するかのように、マリアはやや不安定な姿勢で眠る幼子を広げた腕で支え膝に寝かせています。構図においては伝統的な対称性を採らず、画面の左にキリストを見つめる6人の天使を集めています。6番目の天使は未完成でマリアの肘の真下に顔が見えています。左端の天使はマリアに十字架が描かれた銀の花瓶を捧げます。マリアとキリストの構図はミケランジェロの彫刻「ピエタ」に似ていますが、キリストは左に頭をおいています。マリアは彫刻と同じように肩からベルトを着用しています。この画家の他の作品と同じように、青いベールは肩に掛け、真珠の髪飾りをつけた複雑な髪型を見せています。 -
6人の天使をの顔を拡大しました。マリアの肘の真下に未完の顔があります。
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ローマ、ナポリ、マルタ、シチリア等で活躍したバロック期のイタリア人画家カラヴァッジオ(1571 - 1610)の1603年の作品「イサクの生贄」です。カラヴァッジョは、将来ローマ教皇ウルバン8世になるバルベリーニ枢機卿のために描きました。
神の言い付けに従って、息子イサクを生贄に捧げようとする年老いたアブラハムは、彼の子イサクの首を搔き切る行為を、突然現れた天使によって妨げられます。天使は右手でアブラハムの刃物を持つ右手を掴み、左手で神から送られた代わりの生贄になる雄羊を指さします。光は、天使の肩と左手、アブラハムのいぶかしげな顔、イサクの右肩と恐ろしい顔、そして最後には従順な雄羊を見つけて、左から右にシーンをスキャンするように動きます。この絵は、恐怖のシーンと牧歌的な美しさの両者を兼ね備えています。右奥遠くには、カラヴァッジョには珍しい風景が描いてあり、おそらくローマ周辺のアルバンの丘を垣間見るようです。 -
首に刃物を突きつけられ叫ぶイサクを拡大しました。
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カラヴァッジョの1597年の作品「メデューサの頭の盾」です。イタリアの外交官フランチェスコ.マリア.デル.モンテからトスカーナ大公への贈り物として注文されました。
メデューサがペルセウスによって処刑された正にその瞬間を描いています。画家はメデューサの顔を自分の顔に置き換える事で、彼女の恐ろしい視線に対する彼の免疫力の証としています。 その奇妙で複雑なデザインのため、絵は暴力とリアリズムによるカラヴァッジョのユニークな魅力を補完すると言われています。 -
ウッフィツィ美術館とヴェッキオ宮殿との間にあったサン.ピア.シェラッジョ教会の説明です。この教会は、1068年にロマネスク様式で建てられました。当時は宗教的な目的だけでなく、市議会などの他の公的な目的にも使われていました。1298年に今のヴェッキオ宮殿の建設のため教会の左側廊が壊されました。更に1560年にはウッフィツィ宮殿がヴァザーリによって建てられた時に大部分が破壊され、一部はこの宮殿内に取り込まれました。現在ヴェッキオ宮殿とウッフィツィ美術館の間の細いニンナ通りで、ウッフィツィ美術館側の壁面に、この教会の身廊と右側廊を仕切る列柱とアーチが埋め込まれているのが見えます。
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4時間近く美術館に滞在してホテルに戻ります。ここはシニョリーナ広場で、左にヴェッキオ宮殿、右にロッジア.ディ.ランツィです。
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サンタ.マリア.デル.フィオーレ大聖堂前に来ました。天気が良く、最近洗浄されて綺麗になったファサードを写してみました。原則的にキリスト教会は、西に面してファサードが造られます。この教会は正しく西に面しています。ファサードには3箇所の扉があります。但しファサードに隣接して洗礼堂が建っているので、ファサードの全景の撮影は困難です。まず南側の扉がある区画です。右隅にはジョットの鐘塔が写っています。
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扉の上の装飾画です。
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ファサード中央部です。
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中央扉の上の装飾画です。
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その更に上の装飾です。
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北側の扉がある区画です。
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扉の上の装飾画です。
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ファサードの4箇所にある壁龕内彫像を拡大しました。
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このように聖堂のファサードを洗礼堂が塞いでいます。
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デ.チェッレタニ通り、パンツァーニ通りを歩いてホテルに戻って行きます。パンツァーニ通りの奥にサンタ.マリア.ノヴェッラ教会が見えてきました。
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この教会のファサードは、珍しくも西向きではなく南向きになっています。
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ホテルで荷物を受け取り、鉄道駅の駅舎の西にあるバス.ターミナルからシエナ行きのバスに乗ります。バスが入線してきました。シエナ行きの急行バス、"ラピド"です。
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バスの乗降ルールが掲げてあります。
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バスの一番前の座席に座りました。安全面では後ろの席の方が良いのですが、やはり見晴らしを優先したい気持ちになります。乗り場にはフィレンツェの南東にある"ザ.モール"と呼ばれる高級品アウトレットの案内板がありました。ジジババには関係のない場所です。
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午後2時10分、定時にバスターミナルを発車しました。
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暫く市内を走って行きます。水曜日の午後ですが特に渋滞はありませんでした。
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アルノ川を渡り、シエナ方面への自動車専用道路に入りました。思い出せば、2011年9月から10月にかけて25日間、ボローニャでレンタカーを借り出し、トスカーナ、ウンブリア、マルケ州をドライブしました。その時この道路を走ってコッレ.ディ.ヴァル.デルサまで走りました。ドライブ旅行では、フィレンツェのような大都会で長居する場合には通過します。
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2級で古い自動車道なので、このように2車線道路ですが両側に余裕が無く、大きなトレーラー.トラック等と並走する様な状況になると少し怖くなります。
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塔の町、サン.ジミニャーノに行く場合は、ここポッジボンシで自動車道を出ます。
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この辺りでは狭いですが路肩があります。でも緊急停車する場合は、直線で見通しは良いですが、命がけでしょう。
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次は、ヴォルテッラ方面に分かれる分岐点のコッレ.ディ.ヴァル.デルサへの出口です。2011年秋のイタリア2回目のドライブ旅行では、この町で2泊してヴォルテッラにも訪れました。
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"シエナ.北" で自動車道を出ました。
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大きな環状交差点、ラウンドアバウトを過ぎて市内に分岐する少し小さな変則ラウンドアバウトに来ました。白い看板の指示に従いシエナの街の中心 "チェントロ" に向かいます。
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前方の道路右側にディアヴォリ宮殿が見えて来ました。朝夕には渋滞しそうな道路です。
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カミッロ.ベンソ.ディ.カヴール通りを走り、正面にシエナ城郭のカモリーア門の更に外にある門が見えてきました。この近くで道路右側に、2014年秋に4回目のドライブ旅行をした際に2泊したホテル.イタリアがあります。そのホテルの駐車場に出入りするのに大変だった事を思い出します。
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正面に見えるサン.ドメニコ教会の前を左に曲がれば、終点のバスターミナルは直ぐです。
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1時間15分ほどでアントニオ.グランシ広場のバス.ターミナルに到着しました。今日から3泊するNHホテルはこのバス.ターミナルの直前にあります。
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部屋は4階にあるスペリオール.ルーム308号室です。この部屋はバスターミナルの反対側にあるのでとても静かです。このホテルには過去2回滞在しています。シエナ観光には、とても良い場所に位置しています。
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ベッドの反対側にはデスクやミニバー、テレビがあります。
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窓からシエナ大聖堂が見えます。
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バスルームです。この部屋にはバスタブはありませんでした。
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洗面台です。いつものNHホテル標準の設備機器です。
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この部屋にはベランダが付いているので眺めは非常に良いです。左手遠くに大聖堂、右にサン.ドメニコ教会が見えます。手前にはサッカー競技場があります。
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大聖堂の左奥には、拡張される筈だったドゥオーモの新しいファサードが、未完の状態で残されている姿が見えます。
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4時を過ぎました。天気も良いし、少し散歩に出ました。大聖堂の北東側のサン.ジョヴァンニ広場から長い階段を上がって大聖堂に向かいます。デルフトのように転んだりすると大変な事になります。
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ドゥオーモです。南西に向いたファサードに夕日が当たっています。右に見えるアーチは、拡張計画で新身廊になる筈だった部分で、現在はドゥオーモ付属美術館の一部として取り込まれています。
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ホテルの部屋から眺めた未完の新ファサードです。左側がドゥオーモ付属美術館になっている部分です。このファサードの頂上は、展望台として活用されています。
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市庁舎であるプッブリコ宮殿です。南東の空に月が見えます。
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