2019/02/26 - 2019/03/29
81位(同エリア412件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。
この25回目の旅行記は、シエナで半日ゆっくりし、午後にヴェネツィアへ移動した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今朝もホテルの部屋のベランダからドゥオーモを望みます。昨日に比べて雲が多いようです。
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ホテル裏のサッカー場で、その左奥に今から訪れるサン.ドメニコ教会が見えます。
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サン.ドメニコ教会はホテルから歩いて5分未満です。北側から教会を眺めています。右端が通常ではファサード側ですが、バラ窓を除いてそれらしきデザインにはなっていません。入口もありません。教会は、柱列で仕切られた側廊がない単廊式で、ラテン十字の変形で十字の頭が円形であるエジプト十字と呼ばれる平面形です。鐘楼の向こう側は左翼廊です。教会への入り口は右端の窪みにあります。翼廊の屋根は身廊の屋根より高くなっています。教会は1226年から建設が始まり1465年に完成しました。
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これがこの教会の平面図です。エジプト十字にしては丸い頭の部分が殆どありません。左の赤い矢印で入り口を示しています。数字の1がヴォルテ礼拝堂です。7がシエナのサンタ.カテリーナの礼拝堂です。
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左手にある入り口から単廊式の教会に入り、内陣の方向を望みます。天井は屋根を支える木組みトラスをそのまま見せています。各祭壇や礼拝堂にはコントラーダの旗が掲げてあります。
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内陣から後方を望みます。普通の教会だと出入り口があるファサードの裏側の筈ですが、この教会は左側の半分以上を張り出させて床が上がったヴォールテ礼拝堂を設けています。
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ヴォールテ礼拝堂の正面には3枚の絵画が飾られています。その左と中央の絵画です。左はクレッシェンツィオ・ガンバレッリ、中央はデイフェボ.ブルバリーニの作品「墓地で働くサンタ.ロサ.ダ.リマへの聖カテリーナの出現」です。
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左側の絵画は、主にシエナで活動した後期マニエリスム、初期バロックの画家クレッシェンツィオ.ガンバレッリ作の「キリストと一緒に教会の祈りを唱える聖カテリーナ」です。
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キリストとカテリーナを拡大しました。
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右側の絵画は、クレッシェンツィオ.ガンバレッリ作の「聖カテリーナの死」です。天空では、聖母マリアと共に三位一体の父なる神、神の子キリストそして精霊の鳩が描かれています。
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死せるカテリーナを中心に拡大しました。
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ヴォールテ礼拝堂の右壁面にある絵画です。ナポリ公国に生まれ、イタリアとマルタで活動したバロック芸術家マッティア.プレティ(1613 - 1699)作の「シエナのカテリーナの聖人化」です。彼は、ナポリで「カラヴァッジョ派」のジョヴァンニ.バッティスタ.カラッチョロを師としました。その後、主にローマで活躍してナポリに戻り、さらにマルタに渡り人生をそこで終えました。
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マッティア.プレティの絵画の右側にあるクレッシェンツィオ.ガンバレッリ作の「貧しい巡礼者のように見えるイエスに衣服を与える聖カテリーナ」です。
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左側の絵もクレッシェンツィオ.ガンバレッリ作で「聖カテリーナに巡礼者として彼女が受け取った十字架を戻すイエス」です。
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ヴォールテ礼拝堂の左壁面にある祭壇画です。14世紀の最後の四半期に描かれたシエナのカテリーナと信者を描いたフレスコ画です。この作者である初期ルネサンス期のシエナの画家アンドレア.ヴァンニ(1332 - 1414)は確かに何度か彼女に会う機会があった聖人の弟子であったため、これは聖人の真の肖像と見なされています。
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身廊の右壁面を写しています。右手前にアレッサンドロ・カソラーニの絵画、その向こうで、両側に茶色模様の大きな柱が立つシエナのカテリーナの礼拝堂が見えます。
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右壁面1番目の祭壇画は、バロック初期にシエナで活躍した芸術家ステファノ.ヴォルピ(1585 - 1642)による「祝福されたアンドレア.ガレラーニの前に現れた聖母マリア」です。
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右壁面2番目の祭壇画は、ルネサンス後期にシエナで活躍した画家アレッサンドロ.カソラーニ(1552 - 1606)作の「聖母マリアの誕生」です。
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身廊の右側にあるシエナのカテリーナの礼拝堂です。礼拝堂のフレスコ画の壁画は、正面と左側はソドマ(1477 - 1549)により、右側の壁面はフランチェスコ.ヴァンニの作品です。
これは礼拝堂の正面で、ジョヴァンニディステファーノが1466年に製作した大理石の祭壇があります。中央で照明に照らされた場所に聖遺物になったカテリーナの頭部が、外から見られるように収められています。両側のフレスコ画はソドマの作品です。 -
祭壇の左側の「神聖な失神」とよばれる絵で、両側を尼僧に支えられるカテリーナが描かれています。手の平に聖痕が見えます。北イタリアに生まれたソドマは、そこで絵の修行の後シエナに移りました。彼は画家としての人生の大部分をシエナで過ごし、ローマでも2回程滞在しています。ピントゥリッキオと並んで、ソドマはシエナで16世紀初頭のローマの盛期ルネサンス様式を地方のシエナ派の伝統に重ね合わせた方法で最初に実践した人の1人でした。彼の最初の重要な作品は、シエナからローマへの道にあるベネディクト修道院のモンテ.オリヴェート.マッジョーレのフレスコ画で、ルカ.シニョレッリが1498年に始めたシリーズの続きである聖ベネディクトの物語です。そしてソドマは1502年に全てを完成させました。ジジババもソドマを知ったのはこの聖ベネディクトの物語を2008年に鑑賞してからです。
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2008年5月と2011年9月に訪れたモンテ.オリヴェート.マッジョーレ修道院の大回廊の壁面38区画にソドマ(28区画)とルカ.シニョレッリ(9区画)、ネローニ(1区画)によりサン.ベネデット(ベネディクト)の物語が描かれています。これは1番目の区画のシーンで「両親と妹に別れを告げ、留学のためローマに出発するベネデット」です。
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カテリーナの礼拝堂の祭壇右側は「聖人のエクスタシー」とよばれる絵画です。
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これは礼拝堂の左側壁面です。死刑を宣告されニコロ.ディ.トゥルドの斬首です。1377年、ペルージャ出身の紳士であるニコロ.ディ.トゥルドは、スパイ行為の容疑でシエネの治安判事から不当にも死刑を宣告されました。彼は、処刑の数時間前にカテリーナに祝福されてキリスト教に改宗しました。このフレスコ画は1526年にソドマによって描かれました。
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上空には、ニコロ.ディ.トゥルドを天国に導く天使達が飛んでいます。
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鎧兜の兵士の左側に、処刑されたニコロ.ディ.トゥルド前にカテリーナが跪き、彼が天国に行くように祈っています。
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左側壁面の左端の可愛い天使の絵はフランチェスコ.ヴァンニの作品です。
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こちらは礼拝堂の右側壁面で、フランチェスコ.ヴァンニがフレスコ画ではなく油彩画で描きました。カテリーナが悪魔に取り憑かれた女性を解放する様子を描いています。聖人のメッセージの普遍的な特性を強調するかのように、場面は貴族、宗教者、乞食、庶民など異質な群衆の驚きの中で起こった事を描いています。
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場面を少し拡大しました。
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画面の中央で奇跡を起こすカテリーナです。
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右側壁面の右端の天使の絵です。これもフランチェスコ.ヴァンニの作品です。
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アーチに隠れた場所に描かれているソドマの絵です。
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カテリーナの礼拝堂の隣に聖具室があります。これはソドマ作のフレスコ画です。随分損傷していますが、天使に囲まれて昇天する聖母を描いているのでしょうか。
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聖具室の天井にはフレスコ画の断片が残っています。
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右壁面最奥にある祭壇画です。
初期ルネサンスの彫刻家、画家、建築家のフランチェスコ.ディ.ジョルジョ.マルティーニ (1439 - 1502)が描いた「キリスト降誕」を中央に、マッテオ.ディ.ジョヴァンニの「ピエタを見守るサン.ミケーレとマッダレーナ」のルネッタ、そしてベルナルディーノ.フンガイが描くプレデッラの5つのシーンが組み合わせられています。 -
キリスト降誕の場面が、厩ではなく崩壊した建物になっています。しかし雄牛やロバ(?)はいます。右に羊飼い、左に二人の天使が礼拝に参加しています。
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中央部を拡大しました。
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マッテオ.ディ.ジョヴァンニ作の「ピエタ」が描かれたルネッタです。大天使ミケーレと香油の瓶を持つマッダレーナに挟まれ、天使に支えられたキリストが立っています。
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身廊の中央から右翼廊を望みます。左に写った中央礼拝堂の向こうに三つの礼拝堂があります。
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右翼廊奥にある祝福されたアンブロージォ.サンセドーニに捧げられたバロック様式の祭壇です。この祭壇の中央には、シエナで活躍したフランチェスコ.ルスティチ(1592 - 1625)による祭壇画があります。祭壇の両側には、この写真には写っていませんがサントッマソ.ダクイーノとベアト.ヤコポ.ダ.メヴァニアの大理石像があります。
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フランチェスコ.ルスティチの祭壇画を拡大しました。正面から移すと光が反射して白くなるので、どうしても斜め撮りになります。
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内陣の中央礼拝堂から右1番目の礼拝堂です。
右の壁面に、マッテオ.ディ.ジョヴァンニによるサン.ジロラモ(ヒエロニムス)とジョヴァンニ.バッティスタ(洗礼者ヨハネ)を両翼に置いた玉座の聖母子の祭壇画と断片的な14世紀のフレスコ画があります。 -
まさに戴冠する玉座の聖母マリアと幼子キリストが天使に囲まれています。
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中央礼拝堂の祭壇画です。シエナで活躍したルネサンス期の画家アルカンジェロ.サリンベニ(1536 - 1579)による「ヴェローナのサン.ピエトロの殉教」です。この画家は、ドメニコ.ベッカフミやソドマの追従者でした。
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中央礼拝堂から左1番目の礼拝堂です。
ヤコポ.デッラ.クエルチャの弟子であるフランチェスコ.ディ.ヴァルダンブリノ(1375 - 1435)によって彫られた木製のサンタントニオ.アバーテの立像です。彼はシエナで生まれ、トスカーナで活躍した木材彫刻家でした。 -
この木造彫像の裏側に廻ると、立像の背中から足先に向けて空洞になっていました。
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礼拝堂の左側の壁には、「洗礼者聖ヨハネと跪く騎士を前にした聖母子」の1325年頃のフレスコ画の断片が残っています。
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中央礼拝堂から左2番目の礼拝堂です。
中央には、13世紀にビザンチン様式で絵を描いたシエナの画家グイド.ダ.シエナの祭壇画「サン.ドメニコのマエスタ」があります。両側壁には他に2つの貴重なキャンバスがあります。左側にはベンヴェヌート.ディ.ジョバンニによる「聖人グレゴリオ、ジャコモ、ジロラモ、セバスティアーノの間の聖母子」、右側にはマッテオ.ディ.ジョヴァンニによる「アレッサンドリアのカテリーナとマリア.マッダレーナの間のサンタ.バーバラ」が描かれています。 -
祭壇画「サン.ドメニコのマエスタ」を取り出しました。この祭壇画は1270年頃の作品のようですが、後の14世紀前半にドゥッチョ派の画家によって聖母と幼子の顔が塗り直されているそうです。
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この礼拝堂の左壁面のベンヴェヌート.ディ.ジョバンニ(1436 - 1509)作の祭壇画です。玉座の聖母子の左側に聖人グレゴリオとジャコモ、右側にジロラモ、セバスティアーノを侍らせています。ベンヴェヌート.ディ.ジョバンニとマッテオ.ディジョヴァンニは、同時代にシエナで活躍した画家ですが、このように人の顔の描き方が異なります。
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上部のルネットにはピエタです。
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玉座の聖母子のを拡大しました。マッテオ.ディジョヴァンニに比べると、目付きが優しい感じです。
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同じ礼拝堂の右壁面の祭壇画です。
マッテオ.ディ.ジョヴァンニの傑作である左のアレッサンドリアのカテリーナと右のマリア.マッダレーナに挟まれたサンタ.バーバラが描かれています。 -
上部のルネッタには東方三博士の礼拝が描かれています。
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サンタ.バーバラは、父に幽閉生活を強いられた塔を左手に持っています。カテリーナは、知恵の象徴である本と、殉教者の象徴である棕櫚の葉を持っています。右のマリア.マッダレーナは、香油の瓶を持っています。
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二人の天使を背後に置いた玉座のサンタ.バーバラを拡大しました。
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身廊の中央から左翼廊を望みます。右に写った中央礼拝堂の向こうに三つの礼拝堂があります。左翼廊奥にはサン.ドメニコに捧げられた祭壇があり、中央にはドメニコ会の画家によって描かれた祭壇画あります。左右の2つの大理石像は、それぞれサンタ.マリア.マッダレーナとサンタ.カテリーナ.ダレッサンドリアです。
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左側壁中程にあるルネサンス後期にシエナで活躍した画家セバスティアーノ.フォッリ(1568 - 1621)作の「アレクサンドリアの聖カタリーナの神秘的な結婚」です。
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左側壁1番目の祭壇画は、フランチェスコ.ヴァンニ作の「ポーランドのサン.ジャシントが聖母の像と祝福された聖餐を火災から救う」です。
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身廊の左端にある入り口上部の彫刻です。近代の作品のようです。
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サン.ドメニコ教会の横から南東にあるプッブリコ宮殿のマンジャの塔を望見します。
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これからカンポレッジョ通りを下って行きます。ドゥオーモが見えますが、未完の新ドゥオーモのファサードは隠れて見えません。これから一度丘を下り、坂を上がってドゥオーモに向かいます。
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振り返ってサン.ドメニコ教会を見ます。鐘楼の左は左翼廊で左端が後陣になります。
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コスタ.サンタントーニ小道を下って行きます。右手にサンタ.カテリーナの聖地が見えます。
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後ろを振り返るとサン.ドメニコ教会の上部、手前にサンタ.カテリーナの聖地の入り口が見えます。
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これは2008年5月に訪れた際の写真で、今回と異なるルート、フォンテブランダ通りを上って行きます。後を振り返るとこのようにサン.ドメニコ教会の後陣が見えました。この先にブランダの泉があります。
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フォンテブランダ通りの前方は、こんな急坂でした。前方の日陰になった所に、後で通るディアッチェート通りでこのフォンテブランダ通りの上に架かる橋が見えています。
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こちらは、コスタ.サンタントーニ通りを下り終わると更に狭い上りのガッルッツァ通りになります。これも急坂です。
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地区対抗パリオの祭りを描いた彩色タイルのようです。パリオは年2回、7月2日(プロヴェンツァーノのマドンナの奇跡の記念日)と8月16日(聖母昇天祭)に行われます。この競技に、シエナを区分する17の地区(コントラーダ)が、各々伝統的衣装に身を包み、地区の紋章を掲げて参加します。この地区のものと思われるタイルの左端に描かれた旗は、森のコントラーダの紋章で、緑色の葉のついたオークの木の下に犀がおり、その上に青地にUのイニシャルが付いた太陽があしらわれています。
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通りはどんどん細くなり、両側の建物がアーチ状の小壁で繋がっています。
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振り返ると、上がってきたのはこんな感じの小道でした。
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これは屋根付きの連絡通路でしょうか。この繋がった建物はディアッチェート通り沿い建っています。
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ディアッチェート通りをドゥオーモの方向に歩いて行きます。道路の先に見えるのが、フォンテブランダ通りの上に架かる橋です。遠くの丘の上にあるドゥオーモの洗礼堂の頂部が見ています。
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これは2010年6月の写真ですが、ディアッチェート通りでフォンテブランダ通りの上に架かる橋から北西の方向にサン.ドメニコ教会を望みます。こちらが後陣側ですが、エジプト十字型と呼ばれるように、後陣は少ししか翼廊からとび出ていません。
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街の通りを照らす街灯です。パリオで競うコントラーダ(地区)毎に異なっているのでしょうか。
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ドゥオーモの南東側を廻って未完の新ドゥオーモのファサード前に出ました。新ドゥオーモの右側の壁は、このシエナ県庁舎の外壁として組み込まれているのが分かります。今見える壁面は、もともと新ドゥオーモの内側だったもので、今は外側になっているところが面白いですね。
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青空の下で輝くドゥオーモを再度撮影しました。ファサード上部の裏側を拡大しました。
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正面のドゥオーモ右翼廊と繋げた新ドゥオーモの左側壁が右端に見えます。
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マンジャの塔の東の方向近くにあるサン.マルティーノ教会に入ります。8世紀まで遡るこの教会は、概ね1537年に後期ルネサンス建築で現在の姿になりました。平面形はラテン十字で、シエナの多くの教会と同様の側廊がない身廊だけの単廊式です。内部は繊細な装飾が施された大理石の祭壇で壁面に変化が添えられています。ファサード裏側から内陣を望みます。
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主祭壇の彫像群です。
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ファサードの裏側にある祭壇画です。16世紀前半に活躍したジョバンニ.ディ.ロレンツォ.チーニによる「カモリアの戦い中にシエナを守護する無原罪御宿りのマリア」の絵です。カモリアの戦いは、1526年7月25日、シエナ共和国軍とフィレンツェ共和国および教皇国の連合軍との間で、シエナの城壁の北西に位置するポルタ.カモリアで戦われました。
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左側壁1番目の祭壇画です。バロック期の画家ラファエロ.ヴァンニ(1587 - 1657)の作品です。雲の間の空に向かって、腕を広げるサンティヴォーネの栄光を描いたアーチ型のキャンバス上の油絵です。サンティヴォーネの下に三人の天使が彼に教会の象徴を捧げています。 左にはサン.セバスティアーノと右にはサンタグネーゼが側にいます。雲の中には父なる神と神の子イエスがいます。
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サンティヴォーネとサンタグネーゼを拡大しました。
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左側壁3番目の祭壇画です。シエナで活躍した、ルネサンス、マニエリスム期の画家ドメニコ.ベッカーフミ(1486 - 1551)作の「キリストの誕生」です。ベッカーフミの、ぼかしたような顔の描き方が独特です。
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右壁面に移り1番目の祭壇画は、クレッシェンツィオ.ガンバレッリの 17世紀前半の作品「神と聖人の栄光」です。
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マドンナと子供を描いたナッド.チェッカレッリの小さな絵(14世紀後半)が前掲の大きな祭壇画の中にが入っています。
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右壁面2番目の祭壇には、キリストの割礼を描いたグイド.レニの1636年の作品があります。グイド.レニ(1575 - 1642)は、バロック期に活躍した画家です。アンニーバレ.カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色としました。
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儀式に参加する二人の天使を拡大しました。
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アンニバレ.マッツオーリ(1658 - 1743)が描いたドームのフレスコ画です。キリストと聖母マリアが認められます。
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サン.マルティーノ教会を出た後、カンポ広場の北側を周り、パンキディソプラ通りの途中から北東にロッシ通りを歩いてサン.フランチェスコ教会に来ました。
サン.フランチェスコ教会は、13世紀にロマネスク様式で建てられ、その後2世紀にわたって、巨大なゴシック構造に拡大されました。 -
中世のゴシック様式の教会には、シエナ大聖堂の外側壁のスタイルの白と緑の大理石の帯で覆われたファサード、フランチェスコ.ディ.ジョルジョ.マルティーニによる15世紀の出入り口とバラの窓がありました。その後火災で一時廃墟になりましたが、19世紀の終わりに行われた修復作業により、廃墟となっているこのファサードが、レンガで作られた非常に地味なネオゴシック様式の現在のファサードに置き換えられました。
この絵は前日の旅行記で紹介したサノ.ディ.ピエトロの1445年の作品「サン.フランチェスコ教会前での説教」ですが、このファサードの姿が創建時のもののようです。 -
建物は、サン.ドメニコ教会と同じようなエジプト十字型であり、1つの広い身廊がトラス屋根で覆われ、礼拝所が外に突き出ていません。翼廊もトラスで覆われ、両側に多くのアーチ型の礼拝堂があります 。エジプト十字型には、内陣と聖歌隊席がないため、翼廊の他の礼拝堂よりサイズが大きくなった中央礼拝堂に置き換えられています。木造トラス構造の屋根は、サン.ドミニコ教会とは異なり、身廊の屋根の方が翼廊の屋根より高くなっています。すべての内壁は、シエナの大聖堂の例に従って、白と緑の大理石の帯で特徴付けられています。
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これがサンフランチェスコ教会の平面図です。幅広い翼廊の両側に礼拝堂が造られています。
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ファサード中央にある入り口から教会に入ります。入り口近くで身廊の右壁壁にあるルネットの中に、15世紀初頭のシエネの画家による「ご訪問と聖人達」があります。
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次の右側壁のニッチにあるアンドレア.ヴァンニ作のフレスコ画です。上部の絵画は大きく損傷しています。
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正面の両側の聖人像は比較的損傷がないようです。左側に、棘が出た車輪を持つサンタ.カテリーナ.ダレッサンドリアです。
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右側は、十字架を持つコルトーナのサンタ.マルゲリータです。
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右側壁次の祭壇画は、バロック時代にローマとトスカーナで活躍したジュゼッペ.ニコラ.ナシーニ(1657 - 1736)作の「聖ヤコブの説教」です。
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左下で説教を聞く母子を拡大しました。
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こちらは右側で説教を聞く人々です。
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さらに右側壁には、バロック時代にシエナで活躍した画家であり、彫刻家であり、司祭であったジョヴァン.バティスタ.ラマッチョッティ(1628 - 1671)作の「聖母マリアの誕生」があります。
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手前の女性は、お包みに使われる布を取り出そうとしているようです。
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これも右側壁の祭壇画で、アレッサンドロ.カソラーニ(1552-1607)とヴィンチェンツォ.ルスティカーニ(1557 - 1632)共作の「ラザロの復活」です。
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キリストの右側の女性達は、ラザロの姉妹のマリヤとマルタでしょうか。
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右翼廊にあるマルティノッツィ礼拝堂の祭壇画はリッポ.ヴァンニの1370年頃の作品「玉座の聖母子と聖人達」です。
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中央礼拝堂の背面にあるこの教会で最大の美しいステンド.グラスの窓です。場面は、「教皇ホノリウスIIIによるフランチェスコ会ルールの承認」を表しており、1889年にミュンヘンで製作された作品ですが、戦災で破壊され、1952年に同じガラス工場によって再び制作されました。
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翼廊で中央礼拝堂から左に3番目の礼拝堂です。この礼拝堂には、修道院のチャプター.ハウスから剥がされた1335- 1340年頃に遡るアンブロージョ.ロレンツェッティによる2つのフレスコ画があります。それらは、左側面の「5人のフランシスコ会のブラザー達の殉教」と右側面の「教皇ボニファス8世にお暇乞いするトローザのサン.ルドヴィコ」です。トローザのサン.ルドヴィーコはナポリのアンジュー家の王子でしたが、フランチェスコ会に入信し後に聖人に列聖されまいした。
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こちらは左側面の「5人のフランシスコ会のブラザー達の殉教」です。
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左側で斬首を恐怖で見守る人達と兵士を拡大しました。
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右側では斬首された僧侶達を見つめる女性達と怖そうな執行人です。
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左翼廊で中央礼拝堂から4番目にある礼拝堂の祭壇画です。1396年以前にヤコポ.ディ.ミーノ.デル.ペッリッチャニオによって描かれた「荘厳の聖母子」です。このフレスコ画は、修道院の回廊から切り離されました。
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翼廊で中央礼拝堂からから左に1番目の礼拝堂にあるピエトロ.ロレンツェッティの1336年頃のフレスコ画である「磔刑」です。
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左下で悲しむ聖母マリアと彼女を支える聖人達です。
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右下の人々は兵士達でしょうか。
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左側壁の祭壇画で、アレッサンドロ.カソラーニ(1552-1607)とイラリオ.カソラーニ(1558-1661)作の「受胎告知」です。
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告知を受け入れるマリアを拡大しました。
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左側壁の祭壇画で、トスカーナ州コルトーナに生まれ、盛期バロック期に主にローマで活躍した画家ピエトロ.ダ.コルトーナ(1596 - 1669)作の「サンタ.マルティナの殉教」です。
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天を仰ぐサンタマルティーナを拡大しました。
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更に左側壁の祭壇画で、バロック期の画家ディオニシオ.モントルセリ作の「サン.ベルナルディーノの説教」です。この画家は、ローマの北東の山の中にあるラクイラに生まれ、主にシエナで活動しましたが、32才の頃ローマに旅し、そこでピエトロ.ダ.コルトーナとグイド.レーニの信奉者になりました。
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サン.フランチェスコ教会の回廊です。この回廊の壁面にあったフレスコ画のいくつかは、剥がされて教会内に移されています。
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今日は午後にヴェネツィアに出発します。最後のシエナを晴天のカンポ広場でゆっくり過ごします。広場の北側に座ってプッブリコ宮殿を眺めています。
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広場の西南側の建物です。その上にドゥオーモの鐘楼が頭を出しています。
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場所を変えて、広場の南西端から北側の建物を眺めています。
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同じ場所からの写真ですが、カメラを左に振っています。建物の前のガイアの噴水も見えます。
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更にカメラを左に降りました。
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撮影場所を少し北の方向に移動してプッブリコ宮殿とマンジャの塔を撮影しました。マンジャの塔の頂部が切れていまいました。
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ホテルで預けていたスーツケースを受け取り、シエナ駅に向かいます。予約している高速列車に乗車するフィレンツェにはホテル前からの直通バスにするか、既に購入しているローカル線の鉄道で行くか迷ったのですが、当初の計画通りに鉄道にする事にしました。バスは途中の道路で事故に合えば遅れてしまいますが、鉄道はその点安心だと思ったからです。これが結果的に大失敗になりました。
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シエナ駅にはバスやタクシーも利用できますが、せっかく交通に便利なNHホテルに泊まっていたので、スーツケースを引っ張りながら駅前に接続しているエスカレーター乗り場まで1Kmを歩きました。以前にも逆コースでホテルに行った事があります。ここが入り口です。ここからエスカレーターとエレベーターで駅前まで下りて行きます。
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この緑色の部分がエスカレーター建屋の屋根です。エスカレーターは途中から地下に潜ります。
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エスカレーターの他にエレベーターも組み入れています。
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駅前広場にある商業施設や駐車場になっている建物まで降りてきました。
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余りにものんびり歩いて来たので駅に着いたのは発車までの余裕がわずか10分しか残っていませんでした。それでホームのエレベーターは使わず力仕事で階段を上り下りしてスーツケースを運びました。
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間一髪間に合って定時の13時18分の出発となりました。これからエンポリ経由で14時50分にフィレンツェに着き、40分の待ち合わせで15時30分発の高速列車フレッチャ.ロッサに乗り換えボローニャ経由で17時35分にヴェネツィアに着く予定です。列車の遅れも考えてフィレンツェでの待ち時間を充分にとったつもりでした。
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車内が暑くなったので車掌が窓を開けて行きます。この鍵がないと窓は開きません。
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シエナからエンポリまでの区間で半分を過ぎた途中カステルフィオレンティーノ駅で突然に車両故障となり動かなくなりました。30分弱待っても動かず、後続の各駅停車の列車に乗り換えるように案内がありました。ホームが代わったのでまた力仕事で階段の上り下りをする事になりました。次の列車もローカル列車だったので混んではいませんでしたが、乗り換えが必要です。
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これは、2013年2月に訪れたカステルフィオレンティーノです。
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目的はこのゴッツォリ美術館訪問でした。ベノッツォ.ゴッツォリは、フラ.アンジェリコの弟子兼助手でした。フィレンツェのサン.マルコ修道院にあるいくつかの作品は、アンジェリコのデザインをゴッツォリが仕上げたものです。ゴッツォリの最も知られている作品は、メディチ.リカルディ宮殿にある「東方3博士の礼拝」の連作壁画です。
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乗り換え駅のエンポリに14時52分に到着しました。問題がなければフィレンツェに到着している時刻です。
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エンポリで15時04分発、フィレンツェ到着15時32分 のローカル列車に乗り換えます。ここでもホームが変わり、また力仕事で階段の上り下りをする事になりました。
この列車は、15時32分の定時に サンタ.マリア.ノヴェッラ駅に到着し、結局15時30分 発のフレッチャ.ロッサに乗車できませんでした。 -
2013年2月に訪れたエンポリのファリナータ.デリ.ウベルティ広場です。ここも絵画の鑑賞が目的でした。
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ドゥオーモに隣接した美術博物館です。この3連祭壇画は、アントニオ.ロッセリーノ(1427 - 1479)が中央のサン.セバスティアーノの立像を製作し、フランチェスコ.ボッティチーニ(1446 - 1498)が両側の天使を描きました。
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サンタ.マリア.ノヴェッラ駅で1時間後のフレッチャ.ロッサに変更して貰いましたが、前売りの割引キップだったので2等車への変更しかしてくれませんでした。故障した列車の理由でこういう事態になったと抗議をすると、「乗車する列車の車掌と交渉したら」との答えでした。
列車に乗り込み車掌と交渉してガラガラの1等車の席に座りました。要するに黙認するという事のようでした。 -
ボローニャを出発すると、新たに交代して乗車してきた車掌との再交渉になりましたが、そのまま座っている事が出来ました。
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フィレンツェ、ボローニャ間は山越えがありますが、ボローニャからは平野を北東にヴェネツィアに向かって走ります。
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所々に村落を見かけますが、基本的には広がる畑だけです。途中の大きな都市は、フェッラーラ、ロヴィーゴ、パドヴァで、過去に訪れた事があります。
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車内のディスプレーです。EUでは最も親中国のイタリアです。中国語の表示も出てきます。
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乗車している車両は静粛にする車両のようで、窓ガラスにこのお願いの表示です。特にイタリアでは、大きな声を出してスマホで長々と会話をしている光景に良く遭遇します。
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ヴェネツィア.メストレ駅を出発し海を渡ります。車窓左側の眺めです。
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6時半です。日が落ちました。写真右下には、車内のテーブルが写り込んでいます。
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日も落ちた西側の写真です。もうすぐ駅に着きます。
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6時27分、3分ほど早く到着しました。それでもシエナ、エンポリ間の事故さえなければ1時間早く着いていました。
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ヴェネツィア.サンタ.ルチア駅前で、ネットで購入したヴァポレット3日券を自動発券機で発券させ、フェッロビア乗り場Cからルート4.1のヴァポレットに乗船しアルセナーレまで行きます。ヴァポレットは20分毎に走っていて、所用30分です。
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アルセナーレ駅から橋を一つ渡ってホテルブチントロにチェック.インしました。ここもジジババのヴェネツィアでの定宿で4回目の滞在になります。部屋は4階のジュニア.スイート.デラックス.ラグーン.ヴューです。2方向に窓がある角部屋で、素晴らしい景観が楽しめます。今回は室内の写真と夕方の写真がなかったので、2013年2月に初めて泊まった時の写真で代えさせて頂きます。
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ベッド.ルームもバス.ルームも狭いですが、何よりも窓からの眺めです。
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バスルームのお風呂です。
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バスルームの反対側のトイレ、ビデと洗面台です。結構狭いです。
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これはその2月26日午後6時頃部屋から眺めたサン.マルコ広場方向の夕焼けです。中央にサン.マルコ聖堂の鐘楼で、左側にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。
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少しカメラを左に振りました。中央にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。
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今度は、左にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、中央にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂、そして右にサン.マルコ聖堂の鐘楼です。
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10分後の景色です。
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完全に日が落ちました。
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