2019/02/26 - 2019/03/29
974位(同エリア4052件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。
この28回目の旅行記は、ヴェネツィアで、美術館や教会を巡り美術鑑賞の後、ミュンヘンに出立です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ヴェネツィア最後の日になりました。この部屋からの景色も見納めです。いつもこのようにカーテンを開けて寝ていました。窓は小さいですが、窓からの眺めは最高でした。
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朝7時半です。余り天気が良くありません。今朝は少し遅い朝食にしました。
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朝食後の9時です。天気が良くなりました。今日の午後はミュンヘンへ出発です。今回の旅のヴェネツィア最後の朝の景色です。カメラを北西の方向から左周りに南東の方向に180度振ります。
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ホテル前の河岸では、朝の体操と太極拳をしている人達がいます。
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たまたま4.2番のヴァポレットがホテル近くのアルセナーレ船乗り場に着いたので、1区間のサン.ザッカリア乗り場まで乗船しました。今日は午前中を有効に使って美術館や教会巡りをします。まず近くのサン.ザッカリア教会に向かいます。
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ヴァポレットのアルセナーレとサン.ザッカリアの船着場の中間は各種船舶用の桟橋が並んでいます。
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船を下りてサン.ザッカリア教会を目指します。案内表示を見つけました。ここから真っ直ぐに北の方向に歩いて教会前の広場に向かいます。
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サン.ザッカリア教会のファサードです。基本通りに真西に向いています。ビザンチン皇帝レオ5世からヴェネツィアに寄贈されたサン.ジョバンニ.バッティスタ(洗礼者ヨハネ)の父であるサン.ザッカリアの神聖な遺物を収める事を目的として9世紀に建設されました。その後1458年に、建物はこのルネッサンス.スタイルに刷新され、教会は「真珠の箱」のような特徴的な外観になりました。
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ファサード下段の両側にあるレリーフが目に留まりました。その1枚です。
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教会に入ります。教会内部は、両側にアーチ柱に仕切られた側廊を持つ3身廊型です。
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内陣アプスのフレスコ画です。17世紀の画家ゼロラモ.ペッレグリーニ作の「サン.ザッカリアの栄光」です。
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早速左側廊2番ベイに足を運びます。この教会の著名な「サン.ザッカリアの祭壇画」です。ジョヴァンニ.ベッリーニ(1430 - 1516)の75才の時の作品です。祭壇画には照明が当てられているので、この写真では周りより明るく写っています。
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祭壇画の中に描かれた柱は、実物の大理石の柱を完全に再現し調和しています。聖人達は聖母の玉座の両側に対称的に配置されています。左側にペトロとカテリーナ、右側にジロラモとルチアです。玉座の前には奏楽の天使が弦楽器を奏でています。
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中央部を拡大しました。側の聖人達は、各々が思いのままの容姿、向きで描かれています。
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聖母子と左のカテリーナ、右のルチアです。
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更に聖母子を拡大しました。
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こちらは奏楽の天使です。
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サンタ.ルチアとサン.ジロラモです。
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サン.ペトロとサンタ.カテリーナです。
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左側廊1-2-3番ベイの全景です。この教会のほぼ全ての壁面は、このように絵画で埋められています。
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左側廊2-3番ベイです。
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左側廊2-3番ベイを跨ぐ下段の絵画です。ギリシャ生まれでヴェネツィアやヴェネト州で活躍した画家アリエンセ(1556 - 1629)の作品で「マリアの神殿奉献」です。
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こちらは右側廊1-2-3番ベイの全景です。
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右側廊1番ベイ下段です。中央の祭壇画は、 ヤコポ.パルマ.イル.ジョヴァーネ(1550 - 1628)作の「聖母子と、サン.ベネデットと聖人達」です。
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右側廊下段で1-2番ベイに跨るルネサンス後期からバロック初期にかけて活躍したニッコロ.バンビーニ(1651 - 1736)の1717年の作品「マギの礼拝」です。
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中央部を拡大しました。
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同じ右側廊下段で2-3番ベイに跨る作品です。ロココ時代の画家アントニオ.バレストラ(1666 - 1740)の1704-08年頃の作品「羊飼いの礼拝」です。
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これも中央部を拡大しました。
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堂内右側にあるサン.タラージョ礼拝堂に入ります。
この絵は、ヤコポ.パルマ.イル.ヴェッキオ(1480 - 1528)作の「聖母子と聖人達」です。 -
これはティントレット(1518 - 1594)の1563年頃の作品「洗礼者ヨハネの誕生」です。ヨハネの父親はザッカリアで母親はエリザベートです。
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こちらは、ジャン.バッティスタ.ティエポロ(1696 - 1770)作の「聖家族のエジプトへの逃避」です。マタイによる福音書によれば、キリスト降誕後父ヨセフは夢に天使の告知を受け、ヘロデ王の嬰児虐殺のたくらみを避けルためマリアと共にエジプトに逃れ、しばらく止まった後ナザレに帰りました。
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ルネサンス後期ゴシック時代の画家アントニオ.ヴィヴァリーニ(1440頃 - 1480)作の「サンタ.サビーナの多翼祭壇画」です。ヴィヴァリーニ家では、バルトロメオが弟で、アルヴィーゼが息子です。
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こちらは同じアントニオ.ヴィヴァリーニ作の「キリスト昇天の多翼祭壇画」です。
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アントニオ.ヴィヴァリーニ(1440頃 - 1480)と義弟のジョヴァンニ.ダレマーニャ(1411 - 1450)が1444年頃に製作した「聖母マリアの多翼祭壇画」です。
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「聖母マリアの多翼祭壇画」が置かれた半ドームの天井画は主にフィレンツェで活躍したアンドレア.デル.カスターニョ(1423 - 1457)が描いたものです。
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教会地下のクリプトです。常時海水に浸かっています。
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サン.ザッカリア教会を出てサンタ.マリア.フォルモーザ教会の南側にあるクェリーニ.スタンパリア美術館に向かいます。細い道を行くので途中人に尋ねながら進んで行きました。これは街角のATMです。鉄製の頑丈そうなシャッターに小さな穴を開けています。結構狭そうでしたが、太った大きな腕や手は入るのでしょうか?また、下にカードやお金を落としてしまうと、大変なようです。
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サン.ザッカリア教会の北西にあるクェリーニ.スタンパリア美術館を目指して歩いています。道が細く混みいっているので見つけ難いです。ここはサン.ザニロヴォと名が付く小さな水路に架かる橋の上から南東の方向を眺めています。目的地の反対方向になります。
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やっとサンタ.マリア.フォルモーザ教会の南側に着きました。正面赤い煉瓦の建物が宮殿を利用した美術館で水路を渡る橋はありますが、こちらからは入れません。
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反対側に周ります。美術館前の水路はサンタ.マリア.フォルモーザ教会と同じ名前が付いています。
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ここが入り口です。美術館は隣りの白い建物も取り込んでいます。
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教会の周りには小さな広場があり、この水路にもゴンドラの乗り場がありました。
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クェリーニ.スタンパリア美術館に入ります。現在美術館になっているクェリーニ.スタンパリア宮殿は16世紀初期に建てられました。この美術館は、18世紀の貴族の住居を思い起こさせるように、家具、磁器、彫刻、布地、シャンデリア、地球儀、絵画など、家族のすべてのコレクションが展示されています。
この絵は、カナレット(1697 - 1768)の1745-1750年ごろの作品「サン.ジェレミア教会、パラッツォ.ラビア、ポンテ.デッレ.ググリーがあるカンナレージョ方向の大運河」です。この絵は、カナル.グランデ北岸で、ヴァポレットの船着場フェッロビアとサン.マルクオーラの中間の場所で、4.1と4.2番線の船も通るカンナレージョ運河の入り口を北の方向に望んでいます。 -
中央部を拡大しました。カンナレージョ運河に架かるグーリエ橋は今も変わらぬ姿です。現在この橋の右側は幅広で本島の主要道路になっています。このグーリエ橋の両端に2本づつ細い三角錐形の塔が建っています。
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この写真は、2012年に訪れた際に、たまたま当時の42番線の船から撮影した写真です。
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こちらも同じカナレット作の「サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂前の大運河」です。聖堂前の広場から東北東の方向にスキアヴォーニ河岸を望んでいます。左端に赤みがかったドゥカーレ宮殿が見えます。
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スキアヴォーニ河岸の後方遠くに見える教会の鐘塔は、高さが実際より高く描かれているようです。
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カナレットらしく、聖堂前の人々も良く描かれています。
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こちらの画家は特定できませんでしたが、スキアヴォーニ河岸の光景です。右端に14世紀に建てられたパラッツオ.ダンドーロ、現在のホテル.ダニエッリが見えます。左側奥には、プンタ.デッラ.ドガーナとサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂も見えます。
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河岸には観光客は見かけませんが、住民の日常生活が生き生きと描かれています。
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建物、船なども良く描かれていると思います。
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こちらの絵は、サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂から眺めたドゥカーレ宮殿です。
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こちらは二日前に船から撮影した写真です。
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左側の建物は、グラン.カナルでサンタ.ルチア鉄道駅前のフェッロヴィアからヴァポレットでサン.マルコに向かう3番目と4番目の乗下船場の間で、カナルの北側にあるパラッツォ.ヴェンドラミン.カレルギのようです。ドイツの作曲家リヒャルト.ワーグナーが最後に息を引き取った館で、現在は、カジノとなっています。
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2日前の旅行記でカ.レッツォニコ美術館に展示してあったイッポリト.カフィ(1809 - 1866)作の絵画「カ.ペーザロ方向のグラン.カナル」で、運河の右側にあり最奥の黒い色の建物と同じで、世界最古のカジノであるカ.ヴェンドラミン.カレルギです。
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夜のピアッツェッタ.サン.マルコの絵です。左にドゥカーレ宮殿、右にはサン.マルコの柱が描かれています。
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3階の『ポルテゴ』です。ポルテゴは、ヴェネツィアの市民建築の特徴的な構成要素です。ポルテゴはレセプション.ホールであったり、部屋と部屋を繋ぐ通過ホールであったりします。今回の旅行記では、カ.レッツォニコ宮殿でも説明しました。向こうの4枚の大きなガラス窓は北側で、サンタ.マリア.フォルモーザ教会に面しています。
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こちらは『ポルテゴ』の反対側です。
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『ポルテゴ』の天井でフレスコ画の中央に、ムラーノ.ガラスのシャンデリアがぶら下がっています。天井の中央には、ヤコポ.グアラーナ(1720 - 1808)の作品で「オーロラの寓話」が描かれています。このフレスコ画は、 クェリーニ家とその新婚夫婦にとって幸せな未来のメッセージを表しています。
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こちらは天井隅の装飾画です。
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『神話の部屋』です。この部屋の壁面の一つにバロック後期のヴェネツィア派の画家セバスティアーノ.リッチ(1659 - 1734)の作品が展示してあります。リッチは、同じくヴェネツィアで活躍したピアッツェッタやティエポロの先輩になります。この3枚のキャンバスは、もともと宮殿のキャメロン.デッラ.ガレリアの天井画でした。1702年のクェリーニ家の結婚を記念して依頼されたもののようでしょう。主題は、暗闇の悪魔に対する日光の精神の間の闘争に触発されています。
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こちらは左側の「夜明けの寓話」です。
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中央には「正午の寓話」です。
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そして、これは右側の「夕方の寓話」です。
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『ジョヴァンニ.ベッリーニの部屋』です。この部屋には唯一この絵画「キリストの神殿奉献」が展示してあります。この作品については、両画家の特徴を比べるため、「スイスゆっくり旅行30日」編の10月12日記でイタリア.ベルガモのアッカデミア.カッラーラ美術館の作品で紹介しましたがもう一度掲載し説明します。
この案内板のように、よく似た絵画が2枚あります。左はこのクェリーニ.スタンパリア美術館所蔵のジョヴァンニ.ベッリーニ(1430 - 1516)の作品で、右はベルリンの美術館所蔵でアンドレア.マンテーニャ(1431 - 1506))の作品です。マンテーニャは、ベッリーニの妹と結婚しているので両者は義兄弟になります。 -
これはベルリン美術館にあるマンテーニャの「キリストの神殿奉献」の作品で1454-1455年頃の作品とされています。登場人物が左右で一人づつ少なくなっています。
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こちらはクェリーニ.スタンパリア美術館のジョヴァンニ.ベッリーニの作品で、1469年頃の製作だと推定されています。ベッリーニは、1才年上の義兄の作品で、人物の半身像を並べた斬新な構図をヴェネツィア画風に描く事を考えたようです。赤い色合いが豊富なパレット、強いコントラストの鮮やかで強烈な色の使用、そして上下から同時に到着する光源は、この画家のヴェネツィアのルーツを明らかにしています。
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左側を拡大しました。人物は左端に画家の母親、アンナ.ベッリーニと妹でマンテーニャの妻のニコロシア.ベッリーニと推測されています。
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右側には、ジョバンニ.ベッリーニとアンドレア.マンテーニャです。中央後方の聖ヨセフか中央手前の大祭司は、ジョヴァンニの父親のヤーコポ.ベッリーニの顔ではないかと推測されています。
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『パネル絵画の部屋』です。この部屋には、この美術館の最も古い作品が展示してあります。この絵は、パルマ.イル.ヴェッキオ(1480 - 1528)作の「聖母子と、二人の女性聖人、サン.フランチェスコ、サン.ピエトロ」です。ジョルジョーネの流れを引くパルマ.イル.ヴェッキオは、クェリーニ家と密接な関係を持っていました。
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こちらはパルマ.イル.ヴェッキオの工房の作品で「聖母子とサンタ.カテリーナ、サン.フランチェスコ、洗礼者ヨハネ、サン.ニコラ」です。上掲のキャンバスと共に、このような構図の宗教画は一般的に聖会話と呼ばれています。
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こちらは、ポリドーロ.ダ.ランチアーノ(1510/15 - 1565)作の「聖会話」です。この絵は、トスカーナとローマのマニエリスム様式の優雅さと形を、鮮やかな色彩、独特のヴェネツィア風で表現しています。
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こちらは同じ画家の工房の作品で「聖母子と子供の洗礼者ヨハネ」です。右端に和紙で修復している白い帯が見えます。
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『音楽の広間』に移動しました。別名「ロンギの間」です。この美術館には、18世紀のベネチア社会の偉大な表現者であるジャンル画家のピエトロ.ロンギによる30枚のキャンバスが保存されています。あらゆる階層の人物が巨大なステージの俳優になる日常生活のシーンで埋め尽くされる彼の絵画は、ベネチア文化の中心的なエピソードの1つを表しています。以下9枚の絵は、全てロンギの作品です。
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これは「ラグーンでの鴨狩り」です。ロンギで最も有名なキャンバスの1つで、冬のラグーンの魔法のような雰囲気を完璧に捉えています。船首に立つエレガントな赤いジャケットを着た貴族は弓を持ち、矢とは異なる小さな土器の球で鴨を打ちます。
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「フルナラの踊り」です。若い女性と船頭が地元の女性のタンバリンの音楽に合わせてフルラナを踊ります。
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「イル.リドット」です。イル.リドット(イタリア語でリドットはプライベート.ルーム)は、サン.モイズ教会近くのパラッツォ.ダンドロの離れでした。1638年に、ヴェネツィアの市の指導者の要請により、政府所有の賭博場に改装されました。イル.リドットは、西ヨーロッパで最初の公的で合法的な商業カジノの場所でした。
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別の「リドット」のキャンバスです。
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「ザグレドの家族」です。ロンギはユーモアと皮肉な気持ちで3人の淑女と大人に扮した小さな3人の子供達を描いています。
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「地理の学習」です。ロンギのパトロンで、教養があり知的な貴族がサンタ.マリア.フォルモサ宮殿を学習、会合、真面目な娯楽の場に変えました。
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「ミケーレの家族」です。家族の肖像画は、ロンギの作品の特徴的なテーマです。 もう1つのスタイル要素は、壁に肖像画を含めることです。ここでは右上にあります。
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「糸を紡ぐ女性」です。
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「眠り込む田舎の少女」です。
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『ジュゼッペヤッペッリの応接室』です。この部屋は、ヴェネツィアの新古典主義様式の最高の建築家兼エンジニアのジュゼッペ.ヤペッリ(1783 - 1852)に因んでいます。彼は、クェリーニの友人でもありました。
この絵のシーンは、サン.マルコから金色の彫像で飾られた勝利のギャレー船ブチントロに乗り総督が出発する情景です。これは毎年ヴェネツィで行われていた最も重要な儀式の一つである「アドリア海の婚礼」の日の情景です。 -
画面の中央部を拡大しました。
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こちらは右側で、スキアヴォーニ河岸を拡大しました。
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こちらは美術館内の『通路』に展示してある絵画です。「イースターにサン.ザッカリア教会を訪れるヴェネツィア総督」です。古代の伝統に従い、イースターの日に総督はサン.ザッカリーア尼僧院に行列を組んで訪れ、そこで修道院長に迎えられ、ミサを聞くために主祭壇に案内されました。
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こちらも美術館の『通路』の展示作品で「サンロッコ教会を訪れる総督」です。疫病から街を守っている守護聖人ロッコは、1576年の恐ろしい疫病以来、毎年8月16日に総督から敬意を表されました。その際総督は、遺物が置かれているサン.ロッコ大信者会も訪れました。正面がサン.ロッコ教会で、左が有名なティントレットの絵画があるサン.ロッコ大信者会です。
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教会前の人々を拡大しました。
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これも美術館の『通路』の展示作品で「1708年の凍ったフォンダメンタ.ヌオーヴェのラグーン」です。ラグーンの凍結はごく稀で、100年に1回程だそうですが、1700年代には5回以上凍結があったそうです。氷上の人々もスケート靴やソリ等の氷と遊ぶ装具は身につけていません。
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『ヴェネツィア人の生活の光景の部屋』です。この部屋にはバロック期の画家ガブリエル.ベッラ(1730 - 1799)の作品67枚が展示してあります。
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この絵は「サン.マルコ小広場でのカーニバルの木曜日の縁日」です。中央には、大きな仮設建築物または「マッキナ」があります。ここから、行事を締めくくった花火が打ち上げられました。 手前には、商売人、着飾った人々、そして芸能人がいます。
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「サンタ.マリア.フォルモザでの2月2日の祝祭」です。ヴェネツィアの祝祭フェスタ.デッレ.マリエの最終日の光景を描いたものです。左端にクェリーニ.スタンパリア宮殿が見えその右側にはサンタ.マリア.フォルモザ教会が描かれています。
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カンポ.サンタ.マリア.フォルモザでサンタ.マリア.フォルモザ教会の後陣側を写しています。上掲の絵画と比べてみて下さい。
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「サンティ.ジョヴァンニ.e.パオロ教会での総督の葬儀」です。壮大な儀式となった葬儀が終わりに近づいている光景を描いています。
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「サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂での結婚式」の光景です。
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『ステゥディオーロ』即ち『書斎』です。
ミラノ生まれでヴェネツィアで活躍したフェデリコ.チェルヴェッリ(1625 - 1700)作の神話の主題の絵画2枚です。アルカディア風味の神話の寓話は、心地よい世俗的な物語の優雅さで語られます。
これは「オルフェウスとエウリディツェ」です。ギリシャの神話では、音楽家のエウリディツェはオルフェウスの最愛の妻であり、オルフェウスは魅惑的な音楽でエウリディツェを死から蘇らせようとしました。 -
こちらは「パンとシリンジ」です。古典的なギリシャの神話では、シリンジはニンフであり、純潔で知られるアルテミスの信奉者でした。好色な神パンに追われて、彼女は川の端に走り、川のニンフに助けを求めました。答えとして、彼女は中空の水葦に変身し、神の欲求不満の息が水葦を横切るたびに、幽霊のような音を立てました。パンは水葦をカットして、パン.パイプの最初のセットを作りました。
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『ベッド.ルーム』です。部屋には18世紀のクェリーニ家の寝室用家具が備わっています。
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ベッド.ルームの天井装飾は、ヤコポ.グアラーナ作の「西風のゼフィーロと花の精フローラ」です。装飾のテーマは、結婚式のカップルへの豊饒のメッセージです。 長い冬の眠りの後に命を吹き込む西風のゼファーは、天使の羽を持った甘美な青春として表され、青春と婚姻の神であるフローラは花で飾られた少女で表されています。
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この部屋には、カトリック教会の七つの秘蹟を描いたロンギのキャンバスが飾られています。これらの絵画でロンギは、神聖なテーマを中流階級の登場人物でベネチア.スタイルに翻訳しています。 洗礼、堅信、懺悔、結婚はフランスの芸術に影響を受けた淡い色合いですが、聖体拝領、塗油、叙階は少し暗く、 レンブラントのスタイルです。以下この部屋に掲げられているキャンバス7枚です。
まず「洗礼の秘蹟」です。 -
「堅信の秘蹟」です。堅信とは、"カトリック教会で洗礼を受けた者が、さらに信仰を強め霊の恵みを得るために、按手と聖香油を受ける儀式"だそうです。
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「許しの秘蹟」です。"洗礼以後に犯した罪のゆるしを与える秘跡の事"だそうです。
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「聖体拝領(ミサ)」です。"聖体とは、ミサや聖体礼儀で食するために特殊なパンを聖別し、キリストの体の実体として信じられ食べられるもの"だそうです。
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「婚姻の秘蹟」です。
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「病者への塗油」です。"病人の癒しのために聖なる油を塗り、病人のために祈るという儀式"だそうです。
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「叙階の秘蹟」です。"聖職者を任命する儀式"だそうです。
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『緑の応接室』です。ほぼ完全に保存されたこの部屋は、家具を備えた18世紀ヴェネツィアのプライベートな応接室の一例です。
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緑の応接室の天井画です。バロック後期のベネチアの画家ヤコポ.グアラーナ(1720 - 1808)作の「婚姻の寓話」です。
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天井の外周ルネットの装飾です。彩色テラコッタになっています。
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緑の応接室にある、硬貨のデザインで有名な金属彫刻家ルイジ.マンフレディーニ(1771 - 1840)作の卓上時計です。大理石の台座に金メッキと彫刻が施されたブロンズ製の作品です。時計の文字盤は、ダイアナの戦車の白い車輪上にあります。
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ここは『食卓の間』です。部屋は2つの18世紀スタイルのムラーノ製シャンデリアで照らされています。フレスコ画と18世紀の装飾が施されたこの部屋には、1795年から1797年にかけてヴェネツィア共和国の在フランス最終大使であるアルヴィーゼ.マリア.クェリーニが1795-96年にパリで購入した貴重なセーヴル磁器の一部244個が壁に飾ってあります。
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天井中央には、ヤコポ.グァラーナ作の「アウローラ」の装飾画です。
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壁に飾られた244個の磁器の1例です。
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クェリーニ.スタンパリア美術館を出て側のサンタ.マリア.フォルモーザ教会を訪れます。この教会の起源は7世紀に遡り、16世紀に現在の建物になりました。平面はラテン十字型(赤十字と同じ形)で左右に側廊があります。この教会で面白いのは、ラテン十字型を活用して、側廊の外側に大きく張り出して作られている礼拝所です。そして礼拝所の間を仕切る壁に大きな窓が空いている事です。普通は左右の壁面にも絵が描かれていますが、この教会にはありません。正面の祭壇画だけです。第一次世界大戦中の1916年にオーストリア軍の爆撃で大被害を受けたそうです。そういえば、壁面やヴォルト天井、ドームが肌色で何にも装飾がありません。
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主祭壇画は、ヴェネツィアで活躍したロココ期の女性画家ジュリア.ラーマ(1681 - 1747)の1710年頃の作品の「聖母子と聖人マルコとマーニョ」です。 祭壇画の前に大きな彫刻の祭壇飾りが設置してあるので非常に見辛い状況です。
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左側の隙間から覗きました。
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今度は右側の隙間から覗きました。
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これはヴェネツイァの特定の教会が参加する団体「コーラス」のサイトから借画しました。これが祭壇画の全景です。
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左側廊2番目の礼拝所です。祭壇画は、アントニオ.エルモラオ.パオレッティ(1834 - 1912)作の「キリストの神殿奉献」です。この画家は主にヴェネツイァの一般の生活場面を描いています。
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祭壇画を拡大しました。左側のヨセフは2羽の鳩を持っています。
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右側廊1番目の受胎の礼拝所です。ここにはバルトロメオ.ヴィヴァリーニの1473年の作品「慈悲の聖母の三連祭壇画」があります。マンテーニャの画風を取り入れ、ベッリーニの色合いからはほど遠い、ヴィヴァリーニは明るく半透明の色を使用することで人物の彫刻効果を高めました。
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中央の慈悲の聖母です。
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左側のパネルは「ヨアキムとアンナの金門での出会い」です。ヨアキムとアンナは聖母マリアの両親で、このシーンは受胎を喜び合う夫婦を描いています。
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右側のパネルは「マリアの誕生」です。
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右側廊3番目の礼拝所です。盛期ルネサンス期のヴェネツィア派の画家パルマ.イル.ヴェッキオ(1480 - 1528)の1523年頃の作品「サンタ.バルバラの三連祭壇画」です。
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中央パネルの「サンタ.バルバラ」です。
バルバラはキリスト教が禁じられていた3世紀、富裕な家庭に生まれました。求婚者たちから美しい娘を遠ざけようとした非キリスト教徒の父によって、バルバラは塔の中で生活させられ、その幽閉生活の中で彼女はキリスト教への信仰に目覚めました。ある日、2つの窓のある浴室が塔内に建設されることになった際、バルバラは窓を3つに増やさせました。その理由を三位一体を表すためとした事から、娘がキリスト教徒であることを知った父は激昂し、手にかけようとします。 -
「サンタ.バルバラ」の物語の絵画の2例です。これはヴァチカン美術館のボルジアのアパートメントの天井ルネットに、ピントリッキオが描いた装飾画です。幽閉されていた塔から逃げ出したバルバラと彼女を捜す父親です。
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こちらは、ベルガモの近くトレスコア.バルネアリオの別荘内にあるスアルディ礼拝堂にロレンツォ.ロットが描いたフレスコ画です。左側の塔に閉じ込められる場面から、途中経過を示す中程に、右端で剣を持った父親に追いかけられるバルバラを描いています。
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左側のパネルには、サン.セバスティアンが描かれています。
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同名の教会の北側にあるカンポ.サンタ.マリア.フォルモザです。左側の白い建物は4星のルッツィーニ.パレス.ホテルです。裏側の水路でタクシー.ボートからも入館できるようです。
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スキアヴォーニ河岸に戻り、ドゥカーレ宮殿前を通ってサン.マルコ広場方向に歩いて行きます。ドゥカーレ宮殿東南角1階アーケードの柱の装飾です。旧約聖書からの場面で、泥酔して裸で眠るノアに二人の息子の一人が父親の腰に布を掛けています。
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ドゥカーレ宮殿の南面の中央バルコニーを下から見上げます。
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サン.マルコ大聖堂の鐘楼とドゥッカーレ宮殿1階アーケード南西角です。この鐘楼は、その起源が10世紀に遡り、当初は監視塔として建設され、1514年に今の形と高さの鐘楼になりました。その後、19世紀末から鐘楼の基礎の問題が指摘され始めましたが、特に根本的な対策工事は行われませんでした。そして1902年に突然倒壊してしまいました。現在の鐘楼は1912年に再建されたものです。高さ98.6mで、ヴェネチァで1番高い建物です。
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1階アーケードの南西角にある彫像は「アダムとイーヴ」です。
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「アダムとイーヴ」の上で、2階ロッジア角柱の「大天使ミカエル」の彫像です。
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サン.マルコ大聖堂の南面で、ドゥカーレ宮殿の影になっていない部分です。左端奥にサン.マルコ時計塔が見えています。
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上掲の写真の左側の壁面アーチです。
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左のサン.マルコ大聖堂の南面と右のドゥカーレ宮殿との間にあるドゥカーレ宮殿の布告門(ポルタ.デッラ.カルタ)です。右はドゥカーレ宮殿の北西角になります。
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上掲の写真で、ドゥカーレ宮殿の北西角1階アーケード柱の彫像「ソロモンの審判」です。この物語は、イスラエルのソロモン王が、両方とも子供の母親であると主張する2人の女性を裁くヘブライ語聖書から取られています。ソロモンは、赤ちゃんを2つに切り、各女性が半分を受け取るように提案することで、子供との本当の気持ちを明らかにしました。
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1枚上の写真で、サン.マルコ大聖堂の南壁面西の端にある黒い石の彫像は4世紀製作の「テトラルキ」です。ローマ帝国末期の東西正副4皇帝の共同統治を記念したものだそうです。
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鐘楼の東側下にあるサン.ソヴィーノのロゲッタです。1546年に、その前の木造の建物を石造りで刷新しました。この建物は公共の活動の場として利用されました。
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サン.マルコ広場で西端にあるコッレール博物館前から大聖堂と鐘楼を眺めています。
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1975年に新婚旅行で訪れて6年後、3才と4才の娘を連れ家族でヴェネツィアを訪れました。当時は鳩の餌も売っていて、餌を与える事は何の問題はありませんでした。娘たちは鳩と戯れていました。
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サン.マルコ広場を抜けて5分、サン.モイゼ教会に着きました。教会の西に向いたファサードと右隣の鐘塔です。
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ファサード裏側です。中央上部入り口の上のオルガン、左右に絵画です。
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ファサード裏側で右の絵画は、18世紀にヴェネツィアで活躍した画家ジロラモ.ブルサフェッロ作の「十字架の昇立」です。
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こちらはファサード裏側の左の絵画で、サンテ.ピアッティ(1687 - 1747)作の「サント.ステファノへの投石」です。ステファーノは投石によって殉教しています。ゴシック時代の絵画では、頭に石を貼り付けたような容姿で描かれています。
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内部はほぼ正方形ですが、この内陣の中央、左右の三つの礼拝所が正方形から飛び出している形になっています。
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中央礼拝所の「エンリコ.メレンゴの祭壇」です。祭壇は、エンリコ.メレンゴによる彫刻で飾られ、天使の絵の背景はベネチアの画家ミケランジェロ.モルライターによるものです。
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左壁面1番目の礼拝所です。バロック期の画家アントニオ.モリナーリ(1655 - 1704)作の「聖母子と聖人達」です。
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右側壁2番目の礼拝所です。バロック期の画家ピエトロ.リベリ(1605 - 1687)作の「十字架を見つけるサンタ.エレナ」です。場面は、聖十字架の伝説から取られています。コンスタンティヌス1世の母エレナ(聖ヘレナ)が326年にエルサレムを訪れ、当時はウェヌス神殿となっていた地をゴルゴタと特定しました。これを取り壊し、建てられたのが現在の聖墳墓教会だそうです。このとき十字架の断片3つと聖釘などの聖遺物が発見されました。
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サン.モイゼ教会から更に3月22日通りを西に歩いてサンタ.マリア.デル.ジリオ教会に着きました。この教会の起源は9世紀に遡りますが、現在の建物は1680年頃にアントニオ.バルバロ提督の為にヴェネツィア.バロック様式で刷新されました。この教会の東に向いたファサードです。ファサード前が狭いので真正面を撮影しようとすると、このようになってしまいます。ファサードには一切のキリスト教を示す装飾はありません。中央の彫像は、アントニオ.バルバロ提督です。その真上にバルバロ家の紋章が飾られています。提督の像の下段には帆船のレリーフが飾られています。
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ファサード最下段には、アントニオ.バルバロ提督が務めた地がレリーフ状の地図として表されています。6枚のレリーフがあり、左端から右に紹介します。
これは「ザーラ」の表記ですが、クロアチアのザダールです。この地は13世紀初頭から18世紀末までヴェネチァの支配下にありました。 -
「カンディア」と表記されていますが、ギリシャのクレタ島です。13盛期初頭から18世紀初頭までヴェネツィアの支配下にありました。この要塞は、島の北岸にあるレティムノではないかと推察します。
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「パドア」と表記してありますが、ヴェネト語でパドヴァを指すそうです。イタリア北部の都市パドヴァです。
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これは「ローマ」と表記してあります。右にコロッセオ、左にサンタンジェロ城やサン.ピエトロ大聖堂等が見えます。
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「コルフ」と表記してありますが、イオニア海北東部に位置するギリシャの島ケルキラで、その中央東側に突き出たヴェネツィアが建設した要塞です。この島は、長靴の形のイタリア半島の踵の南東方向にあります。ケルキラ島は14世紀末から18世紀末までヴェネチァの支配下にありました。
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これはヴァティカン美術館の地図のギャラリーに描かれた1580-1581年の『コルフ島』、現在のケルキラ島の古図です。ヴェネツィアが建設した要塞が略画で表示してあります。島の右側はヨーロッパ大陸で、丁度現在のアルバニアとギリシャの国境近くになります。
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「スパラート」と表記してありますが、現在のクロアチアのスプリトです。15世紀初頭から18世紀末までヴェネツィアの支配下にありました。要塞内の四角の部分は、元ディオクレティオヌス宮殿を示しているのでしょうか。
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教会に入りました。教会の平面はほぼ正方形です。ファサード裏側を眺めています。最上部のルネットには、作者不明の「忠実な聖体拝領の秘蹟」です。その下にはヴェローナ出身でヴェネツィアで活躍したジュリオ.アンゴロ.デル.モロ(1555 - 1618)作の「最後の晩餐」があります。
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こちらは内陣の方向です。主祭壇の上部後方にパイプ.オルガンが見えます。
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右側廊に繋がったモーリン礼拝堂の祭壇画で、ヴェネツィアに保存されているピーター.ポール.ルーベンスによる唯一の絵画である「聖母子と子供の洗礼者ヨハネ」です。
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これは同じモーリン礼拝堂にあるアントーニオ・ペッレグリーニ(1675 - 1741)作の「ナイムの未亡人の息子の復活」です。この画家のスタイルは、パオロ.ヴェロネーゼのルネサンス.スタイルとピエトロ.ダ.コルトーナやルカ.ジョルダーノのバロックを融合させたものです。
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内陣の壁面に掲げられたルネサンス後期の画家イル.サルヴィアティ(1520 - 1575)作の「受胎告知」です。
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この絵と次掲の絵は、旧パイプ.オルガンの扉でした。ティントレット作の「福音書記者のルカとマッテオ」です。
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こちらは同じティントレット作の「福音書記者のマルコとジョヴァンニ(ヨハネ)」です。
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サンタ.マリア.デル.ジッリョ教会を出て、ヴァポレットのサンタ.マリア.デル.ジッリョ乗り場へ向かいます。結構狭い道路です。
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サンタ.マリア.デル.ジッリョ乗り場の対岸には、二日目の旅行記で説明したサルヴィアティ宮です。
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同じ対岸で水路を挟んで右にある建物列で、右端にあるのがパラッツォ.ダーリオです。多色大理石を用いたヴェネツィア.ルネサンス様式の建物です。中央はパラッツォ.バルバロ.ウォルコフです。
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同じ対岸の東の方向です。左奥から旧税関の建物のプンタ.デラ.ドガーナ、サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂、そして1892年にヴェネツィア.ゴシックで建設されたパラッツォ.ジェノヴェーゼです。この建物は、2009年に改装され5星ホテルのシーナ.センチュリオン.パレスになりました。
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ホテルブチントロの更に南西側のセッテ.マルティリ河岸に接岸しているイタリア海軍の強襲揚陸艦サン.マルコ号も望遠レンズで見えます。
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まだヴァポレットが来ません。アッカデミア橋方向を望みます。
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上掲写真の左側には、中央右にパラッツォバルバリゴ、左隣にパラッツォ.ダ.ムラ.モロシーニが見えます。左端にペギー.グッゲンハイム.コレクションの一部が写っています。
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船が来ないので船着場ポンツーンの待合室で二人の記念写真撮影です。これはガラスに映った像です。
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15分位待ってようやく乗船できました。船首の席に座ります。
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船首の席の注意事項です。絵とその色と四ヶ国語の単語で表示しています。
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サン.マルコ船着場に着きました。前方には通過する船着場無しで、グラン.カナルを走る1番線のヴァポレットです。こちらは少し停船する船着場を間引いて走る2番線のヴァポレットです。
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次はサン.ザッカリアですが、ゴンドラやタクシー.ボート等でサン.マルコ小広場前は混雑するので、船は一旦河岸沿いを離れて円弧状に航行します。
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サン.マルコ小広場沖を走っています。
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左にドゥカーレ宮殿と溜息の橋で繋がるパラッツォ.デッレ.プリジオーニ(牢獄宮殿)です。
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まだ円弧状に迂回して走っています。東の方向にセッテ.マルティーリ河岸を眺めています。
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下船するサン.ザッカリアにもうすぐ着桟します。
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前方に着桟している1番線のヴァポレットには、旧型なのか操舵室も幅広で船首に座席はなさそうです。ここで少し時間があったので、チーマ.ダ.コネリヤーノの絵を見に近くのサン.ジョヴァンニ.イン.ブラゴーラ教会に行く事にしました。
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サン.ジョヴァンニ.イン.ブラゴーラ教会に行ったのですがシエスタか閉まっていました。ここはこの教会の南で、スキアヴォーニ河岸の北側にある静かなカンピエッロ.デル.ピオヴァンです。
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ホテル前で暫く海を眺めています。逆光の中のサン.ジョルジョ.マッジョーレ島の方向です。写真の船は、本島をぐるっと廻ってミラーノ島に行く4.2番線です。
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これは回送中でしょうか、グラン.カナルを走るヴァポレットのようです。
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アルセナーレ13時44分発の4.1番線の船に乗船しました。ムラーノ島のコロンナまで行き、17分の待ち時間で空港行きの船に乗り換えます。イタリア海軍の強襲揚陸艦サン.マルコ号の横を航送していきます。
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スキャヴォーニ河岸やその左に続くセッテ.マルティーリ河岸が遠くになっていきます。
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本島の東南端を廻っていきます。これでサン.マルコ方面やサン.ジョルジョ.マッジョーレ島は見えなくなります。
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今日は天気が良いので、遠く北北東の方向に残雪のアルプスが見えます。手前は本島東端にある造船所です。
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本島の東側にあるラ.チェルトーザ島のチェルトーザ船着場にもうすぐ着きます。この島は森の公園とヨット.ハーバーがあります。
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ラ.チェルトーザ島から北西に本島のサン.ピエトロ.ディ.カステッロ船着場に向かいます。正面右に同じ名前の教会の建物と左に少し離れて鐘楼が見えます。更に左の塔はサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の鐘楼です。
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本島の北東端を回るとムラーノ島が見えてきます。写真の中央左の教会は、ベッリーニの祭壇画があるサン.ピエトロ.マルティーレ教会です。中央右手前には、白いムラーノ灯台が見えます。ここはムラーノ島の南東側で、この灯台の前にはヴァポレットのファーロ船着場があります。
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ムラーノ島の東端で、旧サン.マッテオ.ムラーノ教会の鐘塔が見えます。遠くには残雪のアルプスが見えています。
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船は本島の北側に出て、チェレスティアからオスペラーデ(イタリア語で病院)船着場に向かっています。ここにはサンティ.ジョヴァンニ.e.パオロ病院があります。この病院にはもっぱら船で来院するのでしょうが、病院の屋根の上に円形のヘリポートも設けられています。中央に見える白い建物の屋上の右端にヘリポートの一部が見えています。
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病院の専用船着場です。黄色の救急車ならぬ救急船が着桟しています。ここで患者は降ろされ連絡通路から左奥にある救急治療室に運ばれます。
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船着場のこちら側には、青と白に塗られた警察パトロール船も右端に着桟しています。
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丁度救急船がサイレンを鳴らしながら走っていました。
もしも今回の旅行中のデルフトで起こした事故のような怪我を、本島の街角で起こした場合はどうなっていたかを考えると寒々しい気持ちになります。まずは通行人から連絡を受けた救急病院が救急船を手配し、船は水路を通って現場近くまで急行します。そして狭い道を人混みを避けて人力で車付きの担架を押し現場に行き(サイレンはなしか?)、暫定的な手当てをして船に運び込み、救急病院に搬送されるのでしょう。 -
ついでに警察関係のボートの写真を挙げます。これはパトロール.ボートのようです。
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こちらは、逮捕者や受刑者等の管理する機関のボートです。窓が目隠しになっています。車両と異なり、ガラス窓に鉄製の防護枠はありません。
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ムラーノ島南端のコロンナで空港行きの船に乗り換えます。ホテル近くのアルセナーレからも乗り換え無しで直接乗船できますが、時間があったので前回と同じようにのんびりと乗り継ぎを選びました。
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ヴァポレットの乗降場所に掲示してあるヴェネツィアでの禁止行為です。良くわかる絵で示しています。
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更に、個別にコミック.スタイルで禁止事項や案内事項が掲示してあります。ここに今まで見つけた7つの看板を掲載します。1枚を除いて、掲示板記載の日本語の表記そのままです。
"公共交通
水上バスをご利用の際には、他の乗客に迷惑を及ぼすことのないよう心がけて下さい:リュックは床に置き、出入り口を塞ぐことのないよう、またスーツケースはバス乗務員の指示する場所に置いてください。水上バスは旅行者と市民のための唯一の交通手段です。ヴェネツィアが誰にとっても暮らしやすい町であるよう、ご協力ください。(市警条例50条 罰金:最高500ユーロ)" -
"グラフィティと張り紙
歴史的モニュメントを汚したり、勝手に張り紙をする人は町を損ねています。
張り紙は市が認可した場所だけに。ヴェネツィアは芸術の町です。
(歴史的モニュメントが汚損された場合、刑事責任が発生することが予想されます。違法な張り紙の場合:最高412ユーロの罰金)" -
これだけはイタリア語表記を意訳したものです。
高潮
高潮の場合は、特別の仮設歩行路があります。立ち止まる事なく仮設歩行路の右側を通行してください。高潮時でもヴェネツィアの魅力をお楽しみください。 -
"服装
ヴェネツィア市内を水着や裸で歩き回る、運河に飛び込んだり運河の水に浸ることは認められていません。良識ある行いで町を守りましょう。ビーチならリドにあります。" -
"ゴミ
清潔な町に暮らしたいですね、あなたも町を汚さないようにご協力ください!小さなゴミはお近くのゴミ箱へ捨て、紙くず、たばこの吸殻やガムを道や運河に捨てないで下さい。一緒に清潔なヴェネツィアを守って行きましょう。" -
"違法商行為
違法販売者から商品を買うことは、あなたの健康を危険にさらすだけでなく、違法行為です。これらの商品は、完全に法規外商品です。この商品を買うことはあなたや製造業者に害を及ぼし、社会的弱者の搾取に加担することになります。" -
"公共静寂の侵害
ヴェネツィアは他の町と違うわけではありません:23時以降は市民の安眠をまもり、騒音を立てないようにしましょう。あなたの楽しみは他の人の安眠の妨害になってはなりません。" -
ここから空港までの写真は前年に乗船した際のものです。
空港行きの船の客室です。この船は操縦室が中央にあり、客室が前と後ろに別れています。 -
この船は結構スピードが出ます。ムラーノ島から狭い航路を高速で走りますが、対向船が発する並みの影響で大きく揺れます。対向船が小さなモーターボートの場合は、大きく減速し相手への影響を少なくして走ります。
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もうすぐ空港のターミナルです。減速し揺れが少なくなりました。
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空港ターミナルの立派な船着場です。まるでドイツが第2次大戦中に建設した潜水艦の防空壕、ブンカーのようです。このようなドックが7箇所並んでいます。
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この写真は、ドイツ海軍が占領したフランスの大西洋岸サン=ナゼールに建設した潜水艦ブンカーです。こちらは相当厚い鉄筋コンクリートの屋根で、ちょっとした空爆では破壊できませんでした。
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我々が乗船してきた船が回送のため出て行きます。
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下船すると左側に歩いて空港への連絡通路に向かいます。この写真で、左側が桟橋です。
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こちらは反対側の写真です。
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まずエスカレーターで上がります。
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その後は、400m近くの長い、長い動く道路で空港ターミナルに向かいます。
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ようやく動く道路の終点です。後ろを振り返ります。
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空港2階の出発ロビーです。
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飛行機に搭乗しました。右の窓側の席です。
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飛行機は南西の方向から北東に離陸します。我々の席は右側なので、写真では右から左へ走っています。斜め後方遠くにヴェネツィア本島が見えています。
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北西からの眺めです。本島は後方に去り、左にブラーノ島、中央にマッツオルボ島、1番奥には本土から西南西に伸びた半島が見えています。サン.マルティーノ聖堂の鐘楼が目立ちます。南西の方向からの着陸であれば右手に本島を眺められるのですが、我々にとってヴェネツィアは、いつもイタリア最後の場所になっているので上空からの本島を見た事は殆どありません。
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ブラーノ島の北側にあるトルチェッロ島です。ここではサンタ.マリア.アッスンタ聖堂の鐘楼が目立ちます。
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ブラーノ島を北北東側から大きく眺めています。右下にはトルチェッロ島の南端が舌のように伸びています。
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2016年の旅で、唯一この写真が比較的近くの本島を写したものです。中央から右下方に本島、サン.ミケーレ島、ムラーノ島、少し離れてブラーノ島の西にあるマッツオルボ島が右下に写っています。余り記憶に有りませんが、この時は午前中離陸で、いつもとは逆に北東から南西の方向に離陸したようです。我々は左側の座席に座っていました。
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ここで少しヴェネツイァの古地図2枚を眺めたいと思います。
これはヴァティカン美術館の地図のギャラリーに描かれた1580-1581年の古図です。木造らしいリアルト橋が描かれていますが、この橋は、1524年に崩落後1591年の石橋ができるまで存在していなかったはずですが。 -
こちらは前日の旅行記に掲載しましたコッレール博物館に展示してある1500年に描かれた古図です。ヴァティカン美術館の古図は80年後の作品ですが、このヤコポ.デ.バルバリ(1450 - 1516)の作品を参考にしているのでしょうか。
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本島の東端です。現在4.1と4.2番船の船がぐるりと廻っていきます。中央にアルセナーレの海軍基地、右端の小島はサン.ピエトロ島です。
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こちらは本島の北側で、ムラーノ島が中央に見えます。
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ミュンヘンにはほぼ北の方向にアルプスを越えて飛んで行きます。今オーストリアのアルプスが見えているようです。
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6時5分ミュンヘン空港に着陸します。ヴェネツイァから50分の飛行です。
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午後8時に出発するANAのジェット機が出発の準備をしています。明日我々は、この便に乗機します。
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空港ターミナル側のヒルトン.ホテルに1泊します。前年の旅では発着ともこのミュンヘン空港だったので、帰りにお土産を詰めるために使う小さなスーツ.ケースを到着時にこのホテルに預けました。
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部屋は東翼の5階で、充分な広さがあります。
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フランクフルト空港のヒルトンホテルにも泊まりましたが、水回りはこちらの方が少し古い感じがします。でも特に問題があった訳ではありません。
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明日は、ミュンヘンの美術館を訪れて夕方には帰国便に乗ります30日の旅を終えます。
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