2019/02/26 - 2019/03/29
615位(同エリア3873件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回も絵画鑑賞が主な目的です。
この21回目の旅行記は、フィレンツェのオーニッサンティ教会、ピッティ宮殿内パラティーナ美術館、ピッティ宮殿内近代美術館、ストロッツィ宮殿、サンタマリアノヴェッラ教会を訪問した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日もパッとしない天気です。
サンタ.マリア.ノヴェッラ広場からホテルの北面の2階以上を撮影しました。我々の部屋は4階で右端の窓からいつもサンタ.マリア.ノヴェッラ教会を眺めます。 -
今日の1番目の訪問場所は、アルノ川にオニサンティ広場を通して隣接するサン.サルヴァトーレ.イン.オニッサンティ教会です。この教会は、月、火、土曜日の午前中のみ入る事ができます。
ファサード裏側から内陣を望みます。教会は、左右の翼廊がない身廊のみの構成になっています。教会の創建は13世紀中頃だそうです。メディチ家と連携していた貴族ヴェスプッチ家がこの教会の大パトロンになりました。アメリカ大陸を最初に発見したと言われ、"アメリカ"の語源になった探検家アメリゴ.ヴェスプッチもこの一族から輩出しています。 -
身廊の右側壁面にあるサンドロ.ボッテイチェッリが1480年頃に製作したフレスコ画の「書斎のサンタゴスティーノ(聖アウグスティヌス)」です。ボッテイチェッリは、フレスコ画の描き方の基本をフィリッポ.リッピから学びました。そしてボッテイチェッリはこの教会に葬られました。
-
身廊の左側壁面にあるドミニコ.ギルランダイオ作「書斎のサン.ジロラモ(聖ヒエロニムス)」です。前掲のボッテイチェッリ作品の対面にあります。こちらも1480年頃の作品ですが、ボッテイチェッリの作品より少し後に製作されているそうです。
-
身廊の左側にあるトリニティ礼拝堂です。その祭壇画はドミニコ.ギルランダイオの息子リドルフォ.ギルランダイオ(1483 - 1561)の作品「聖母戴冠」です。
-
こちらは身廊の右側2番目にあり、教会の大パトロンであるヴェスプッチ家の礼拝堂です。ここには、ドメニコ.ギルランダイオの最も古い既知の作品の1つであるフレスコ画があります。1878年に上塗りされていた下から見つかり復元されました。
-
画題は「十字架降下」です。
-
こちらは前掲の「十字架降下」の上部ルネッテにある「慈悲の聖母」のフレスコ画です。聖母のマントの下にはヴェスプッチ家の人々が聖職者と共に描かれています。マリアは腕を伸ばし、体をわずかに傾け、高いベルトで妊娠しているように見せています。
-
教会の天井には、ジュゼッペ.ベヌッチが1769年頃に製作したフレスコ画が描かれています。このフレスコ画は、恰も天井の下に回廊があるように見せている騙し絵になっています。バルコニーには二人の天使が階下を見下ろしています。
-
1770年にジュゼッペ.ロミー(1714-1785)は、天井中央に「サン.フランチェスコの栄光」のフレスコ画を描きました。真ん中左にサン.フランチェスコ、右側には聖母が描かれています。その上には聖三位一体、父なる神、キリストと聖霊がフランチェスコを祝福しています。
-
ファサード側のこちらにもペアーの天使が騙し絵のバルコニーにいます。
-
ジョットの1315年頃の作品とされる「オニサンティの十字架」です。2005年から慎重に修復され、ジョットの署名が発見されました。十字架の下の部分は失われているように見えます。
-
次の訪問先のウッフィッツィ美術館に10時少し前に着きましたが、当日券売り場はこの混雑です。諦めてピッティ宮殿に変更しました。
-
ピッティ宮殿前にあった近辺の立体地図です。右寄り上方で3本の道路が合体する所にポルタ.ロマーナがあります。中央のピッティ宮殿からアルノ川をポンテ.ヴェッキオで渡った左にウッフィッツィ美術館があります。皆んなが触っているので光っていて良く分かります。ピッティ宮殿で翌日のウッフィッツィ美術館の入館予約券も購入しました。これで明日の入館は、少し楽になります。
-
先ず2階のパラティーナ.ギャラリーから始めます。今回は6回目の入館になり、写真撮影がOKになってから3回目です。
-
サンドロ.ボッティチェッリ作「聖母子と洗礼者ヨハネ」です。この絵をじっと見て思い出しました。今回の旅行で2月28日に訪れたバーミンガム大学の中にあるバーバー美術館で同じような絵を見ました。次掲の絵がそうです。一見裏絵に見えます。
-
説明によると、ボッティチェッリの工房は、この構図で多くの絵を製作していたそうです。下絵を裏返して描かれているようですが、良く見ると僅かに違いがあります。意図的なのか、間違ったのかわかりませんが。この2枚を比べて直ぐに見つけられる違いは、衣を引き上げるマリアの指先です。バーバー美術館の説明によると、こちらの絵の方が出来が良く、ボッティチェッリの手が多く入っていると言っています。
-
フィリッポ.リッピ作の「マリアと幼子、と聖アンナのエピソード」です。トンドと言われる円形の画面の中央に聖母子を据え、左後方にマリアの誕生、右後方にアンナと夫のヨアキムとの金門の出会いが描かれています。このトンドは、フィレンツェの名家サリンベーニが、その邸宅を飾るために注文しました。
-
聖母子を拡大しました。この絵は1452-1453年頃に製作されたとされているので、多分画家がプラートで修道女のルクレツィア.ブティと会う前であると思われます。したがってこのマリアのモデルは、ルクレツィア.ブティではないようです。
-
トスカーナ州コルトーナ生まれのルカ.シニョレッリ(1445 - 1523)作の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」です。この画家の作品で直ぐに思い出せるのは、オルヴィエートのドゥオーモにあるサン.ブリツィオのマドンナ礼拝堂の大作壁画です。
-
フィレンツェで活躍し、主に宗教画を多く描いたイタリアの初期ルネサンスの画家フランチェスコ.ボッティチーニ(1446 - 1498)作の「サン.ジョバンニーノ(子供の洗礼者ヨハネ)と、5人の天使と共に幼子をを礼拝する聖母」です。彼はネリ.ディ.ベッチ、コジモ.ロッセリ、アンドレア.デル.ヴェロッキオの工房で絵画を学びました。最近まで彼のオリジナルの絵画は少ないと思われていました。
-
ラッファエッロの師でルネサンス期イタリアのウンブリア派を代表する画家ペルジーノ(1446 - 1523)の1495年の作品「死んだキリストを悼む」です。まだ動きが少ない構図になっています。フィレンツェのサンタ.キアラ修道院のために描かれたそうです。
-
マルケ州ウルビーノに生まれた盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家ラッファエッロ.サンティ(1483 - 1520)の1504年の作品「聖母子」です。マリアの顔には、まだ少し師のペルジーノの影響が残っています。
-
ラッファエッロの1513-1514年の作品「マドンナと幼子、と子供の洗礼者ヨハネと二人の聖人」です。また「イムパンナータのマドンナ」とも呼ばれています。"イムパンナータ"とは、絵画の右上後方に見える覆いが付いたパネル窓の事です。登場人物は、マリアと幼子のキリストを中央に、右下に子供のヨハネ、左側には年老いたヨハネの母であるエリザベツと若いアレッサンドリアのカテリーナです。
-
聖母子、聖エリザベツ、聖カテリーナを拡大しました。良く見ても聖エリザベツの頭上に聖人を表す金環が見えません。
-
ラッファエッロが1514年にトンド形式で描いた、余りにも有名な作品「聖母子と子供のヨハネ」です。
-
この1516年に描かれた絵は、昔から「ラ.フォルナリーナ」と特定され、ラッファエッロが晩年に愛した女性であるとされていました。そして、その顔が彼の絵画(例えばシスティーナのマドンナ:ドレズデン美術館)と彼の追随者の両方に度々現れた女性であると言います。しかし、女性は確実に特定された事はなく、彼女は現時点でラファエルの美の理想を代表している女性という事です。
-
専らヴェネツィアで活躍したイタリアのルネサンス期の画家ヤコポ.ティントレット(1518 - 1594)作の「聖母子」です。ティントレットは、師匠のティツィアーノ、そしてヴェロネーゼと共にルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家でした。画面の半分をマリアのスカートに使っている印象深い絵です。マリアの足先が画面の右下に見えます。座っている姿なので、相当脚長の大きな人物として描かれています。
-
フィレンツェで活躍したバロック期の宗教画家カルロ.ドルチ(1616 - 1686)の1646年の作品「十字架に架けられるサン.アンドレア.アヴァンティ」です。ドルチの娘、アニェーゼも画家になり父親の作品の模作を描いています。黄金伝説によると、この聖人は、手足を"X"形の十字架に釘打ちではなく、縄で縛られて固定されました。ドルチは主に小サイズの絵を描いています。
-
クリストファーノ.アローリ(1577 - 1621)の作品「ホロフェルネスの首を持つユディト」です。この絵は、メディチ家のコジモ2世のために1610-1612年頃に製作されました。
-
ウィンザー城に展示してある1613年製作の絵画です。ユディトのモデルは画家の愛人だそうで、ホロフェルネの顔は画家の自画像だそうです。
-
ピッティ宮殿の北東端にあるストーブの間です。元々開放されたロッジアでしたが17世紀に閉じられ、ローマ時代の浴場のような方法で加熱された個人的なバスルームに改造されました。そして1638-1641年に大公フェルディナンド2世のために、ピエトロ.ダ.コルトーナは、彫刻家ミケランジェロの孫である詩人が寓話で創作した人類の四時代、即ち「黄金時代」、「銀器時代」、「青銅器時代」、「鉄器時代」を主題とするフレスコ画を描きました。
これは「黄金時代」です。メディチ家のフェルディナンド2世の幸せな治世と彼のヴィットリア.デッラ.ローヴェレとの出会いを暗示しています。 -
これは「銀器時代」の寓話です。
-
こちらは「青銅器時代」の寓話です。だんだんと不穏な状況になりつつあるのでしょうか。
-
最後に「鉄器時代」です。遂に殺し合いが始まったようです。
-
イタリア.バロック期のカラヴァッジオ派の女性画家であるアルテミジア.ロミ.ジェンティレスキ(1593 - 1653)作の「ユディトとホロフェルネスの頭を持つメイドのアブラ」です。1613年頃の作品と言われています。彼女は、オラツィオ.ジェンティレスキ (1563 - 1639) の第一子としてローマで生まれ、父親の技法を継承して、ローマ、フィレンツェ、ナポリ等で活躍しました。
-
イタリア.ルネサンス後期の画家および版画家であるフェデリコ.バロッチ(1535-1612)が著名なコレッジョの絵を模作したものです。バロッチは主にマルケ州のウルビーノ公国で活動しました。
-
これがオリジナルのコレッジョの作品です。2016年2月に訪れたパルマの国立美術館で撮影したものです。コレッジョは、1489年頃に北イタリアのモデナに生まれ、近くのパルマを中心に活躍しました。この作品「サン.ジロラモ(聖ヒエロニムス)とマドンナ」は1525-28年頃に製作されました。画面の左端にサン.ジロラモ、右端にマッダレーナ(マグダラのマリア)、そして天使に囲まれた聖母子が描かれています。この絵で印象的な部分は、ジロラモとマリアの間に描かれている天使です。
-
バロック期のスペインの画家バルトロメ.エステバン.ペレス.ムリーリョ(1618 - 1682)の1650年頃の作品「ロザリオの聖母」です。ムリーリョは、17世紀のスペイン美術の黄金時代を代表する画家であり、甘美な聖母像や愛らしい子供の絵を数多く手がけました。
-
このパラティーナ美術館にはアンドレア.デル.サルト(1486 - 1531)の多くの作品が展示されています。フィレンツェに生まれたデル.サルトはルネサンス期の画家で、ミケランジェロやラッファエッロらがローマで華々しく活躍していたのと同じ頃、フィレンツェの美術の伝統を守っていた画家でした。デル.サルトの弟子からはポントルモ、ロッソ.フィオレンティーノ等、次世代のマニエリスム絵画を担う画家が出ています。
ここに良く似た構図の2枚の大きな祭壇画を掲載します。これは1522-23年頃に製作された「聖母被昇天」です。フランスの政治家パンチャティチが注文したので「パンチャティチの聖母被昇天」とも呼ばれます。雲の上に座り祈りを捧げる姿のマリアの顔はデル.サルトの妻の特徴が見えるそうです。 -
昇天中の聖母マリアを拡大しました。
-
こちらは、地上で空になった墓のそばに集まった聖人や人々を拡大しました。
-
こちらは1526年頃に製作された「聖母被昇天」です。マルゲリータ.パッセリーニがコルトーナの教会のために注文しました。このため、この祭壇画の別名は「パッセリーニの聖母被昇天」です。この祭壇画は、前掲の「パンチャティチの聖母被昇天」を参考にして描かれたそうです。
-
こちらは合掌し白いヴェールを被った聖母マリアです。
-
比較のために地上の墓の周りの聖人と人々を拡大しました。
-
こちらは1523年頃に描かれたデル.サルトの作品で「洗礼者聖ヨハネ」です。まだ荒野で修行中の身でしょうか少し痩せ気味で、毛皮の腰着を付けた若者の姿です。
-
これはデル.サルトが1529年頃に描いた「聖母子と聖エリザベツと聖ヨハネ母子」です。この絵は、フィレンツェの共和政時代とコジモ1世の時代の両方で、政治的および文化的生活の中心人物であったオッタヴィアーノ.デ.メディチのために描いたものです。フィレンツェの混乱の中でオッタヴィアーノは投獄されますが、デル.サルトは契約をキチンと守り、オッタヴィアーノ復帰までに完成させ引き渡しました。それで別名「メディチの聖家族」とも呼ばれているようです。
-
フランスにルネサンスの美術を伝えたロッソ.フィオレンティーノ(1495 - 1540)が1522年にサント.スプリト教会のために描いた「玉座の聖母と幼子と10人の聖人」です。フィレンツェに生まれ、ポントルモと同じアンドレア.デル.サルトの工房で修業しました。その後ローマ、ヴェネツィアを経てフランスに招かれ、その地でなくなりました。ロッソの影響で、フランスにフォンテーヌブロー派と呼ばれる画家のグループが生まれフランスの宮廷で活躍しました。この絵の中の聖人で明確に識別できるのは、右端のサン.セバスティアーノと左に跪くサンタ.カテリーナです。
-
ストーブの間を描いたピエトロ.ダ.コルトーナは、更にユピテルの間(1642-1644)、マルスの間(1644-1646)、ヴィーナスの間(1641-1642)の天井にもフレスコ画を描きました。ここにヴィーナスの間の天井のフレスコ画を並べました。
これは天井の中央に描かれた「ミネルヴァが思春期の大公を、喜びの象徴であるヴィーナスの手から引き離し、美徳の象徴であるヘラクレスに導く」です。 -
以降の4枚は、天井のルネッテに描かれた美しい女性の前で男性の輝かしい善行をテーマにした古代の物語が描かれたフレスコ画でです。
-
-
-
-
3階の近代美術館に入ります。
イタリアの歴史を題材に描いたロマン派の画家フランチェスコ.サヴェリオ.アルタムーラ(1822 - 1897)作の「若い女性の肖像」です。 -
ミラノの北北東にあるモンツァに生まれミラノで活躍したモーゼ.ビアンキ(1840 - 1904)作の「女性画家」です。ビアンキは、主に風俗画や肖像画を手掛け、晩年にはトリノやヴェローナの美術学校長にもなりました。
-
オドアルド.ボラーニ(1833 - 1905)作の「ベルニーニによるアビラの聖テレサのエクスタシー」です。ローマのサンタ.マリア.デッラ.ヴィットーリア教会のコルナロ礼拝堂を描いています。この礼拝堂には、ナポリ生まれの彫刻家ジャン.ロレンツォ.ベルニーニ(1598 - 1680)作の「サンタ.テレザのエクスタシー」があります。この彫刻家の作品では、ローマのギャラリー.ボルゲーゼに展示してある3作品、プロセルピナの略奪、ダヴィッド、アポロとダフネの彫像を思い出します。
-
2011年2月にローマのサンタ.マリア.デッラ.ヴィットーリア教会を訪れた時のコルナロ礼拝堂の写真です。
「ある日、今まで見たこともない美しい天使が現れました。私は彼の手に、先端に火が付いた長い槍を見つけました。槍は私の心臓を何度か打ったようでした。痛みがあまりにも大きかったので、何度か大声でうめきましたが、それはあまりにも甘いので、解放されたくありませんでした。地上の喜びはそのような満足感を与えることはできません。天使が槍を引いたとき、私は神への大きな愛を与えられました。」とアビラの聖テレサ伝に書かれています。 -
エンリコ.ファンファーニ(1824 - 1885)作の「1859年4月27日の朝」です。ロレーヌ王朝のトスカーナ大公国が無血でトスカーナの暫定政府に施政権を渡し、その後のイタリア統一国家への参入の道筋を作った記念すべき日でした。ロッジア.ディ.ランツィの内部からシニョリーア広場での民衆の歓喜の瞬間を捉えているそうです。ファンファーニは、古典的な服装の女性画も多く描いています。
-
これもエンリコ.ファンファーニの作品で「シニョリーア広場に着いたヴィットリオ.エマヌエル2世」です。ヴィットリオ.エマヌエル2世は、トリノのサヴォイア家の1族に生まれ、統一イタリア王国の初代国王になりました。この絵は1861年に描かれたとされているので、パラッツォ.ヴェッキオ前のダヴィデ像はオリジナルのようです。この像は1873年に現在の場所、アッカデミア美術館にに移設されたそうです。
-
フィレンツェの北西でプラートの更に先にあるピストイアに生まれフィレンツェで活躍したジュゼッペ.チャランフィ(1838 - 1902)作の「首飾りの施し」です。この絵を見ると、サン.マルティーノが寒さに震える貧しい人にマントを与えるエピソードを思い出します。
-
作者は特定できませんでしたが、懐かしいナポリの風景を描いた絵です。絵の中央に卵城、左隣にコンチェツィオーネ・アル・キアタモネ教会、その右奥高台にカゼルマ.ニーノ.ビキシオ兵舎の大きな白い建物、左側遠く西北西の山の上にサン.マルティーノ修道院が見えます。卵城の右奥にヌオーヴォ城、そして右端遠くにヴェスビオ火山です。
-
ボーボリ庭園を望みます。中央の遊歩道の先にネプチューンの噴水があります。この右側にボーボリ庭園が大きく広がっています。ピッティ宮殿には何度か訪れていますが、この庭園を散歩した事は残念ながらありません。
-
フィレンツェで活躍したルイジ.スカッファイ(1837 - 1899)作の「小さな喫煙者」です。庶民の生活感溢れる絵を多く手掛けているようです。
-
主にジャンルの作品を手がけるレッジョ.エミリア生まれのイタリアの画家ガエターノ.キエリチ(1838 - 1920)作の「お母さんの喜び」です。レッジョ.エミリアは、イタリア.チーズの有名ブランドの「パルミジャーノ.レッジャーノ」の生産地であるパルマとレッジョの内のレッジョに由来します。
-
フィレンツェで活躍したエンリコ.ペステリーニ(1838 - 1916)作の「姉」です。良くある姉妹間の小さなトラブルを描いたものでしょうか。
-
ミラノで活躍したイタリアの画家で、主にジャンルや歴史的シーンを描いたドメニコ.インドゥーノ(1815 - 1878)作の「古物商」です。
-
主にジャンルや風景画を描いたクリスティアーノ.バンティ(1824 - 1904)作の「田園風景」です。バンティは、シエナで絵画を学び始め、後にフィレンツェに移ります。更にパリやロンドンでも研鑽を重ねた画家です。
-
フィレンツェで活躍したシルヴェストロ.レーガ(1826 - 1895)作の「乳母を訪問」です。レーガは風景画や風俗画を多く描いています。
-
スイス系イタリア人の画家で、宗教画や肖像画を多く描いたアントニオ.チゼーリ(1821 - 1891)作の「エッケ.ホモ(この人を見よ)」です。チゼーリの最後の作品となりました。
ユダヤの大祭祀カヤバが裁決した死刑に疑問を持っているローマ総督ピラトは、民衆にキリストを見せ本当に死刑にするべきか否かを問います。ユダヤの祭祀達に扇動された民衆は「キリストを十字架に」と叫ぶとピラトは渋々これを認めます。 -
右端の女性二人を拡大しました。民衆の反応や判断を心配そうに聞いています。
-
ジェノヴァに生まれフィレンツェで活躍したイタリア人画家ガブリエレ.カスタニョーラ(1828 - 1883)の作品で「フィリッポ.リッピと尼僧ブティのエピソード」です。カスタニョーラの絵画は、しばしば感傷的で、愛とロマンスのテーマに焦点を当てています。特にこの絵の表題であるフィリッポ.リッピと尼僧ブティのエピソードで構図を変えて何枚もの絵を描いています。
-
フィレンツェで活躍したイタリアの統一に関するシーンの絵画で有名な画家カルロ.アデモロ(1824 - 1911)作の「アルノ川から子供を救う犬」です。アデモナは、犬を主体にした動物画も得意でした。
-
ルイジ.ジョリ(1854 - 1947) 作の「ピサ地方の2輪馬車」です。ジョリは、主にトスカーナの田園地帯から引き出された農村生活を描きました。後、パリに旅してからは都市生活と乗馬の主題から取った新しいテーマで自分のレパートリーを拡大しました。
-
フィレンツェやピサの南の街リヴォルノで活躍したアドルフォ.ベリンバウ(1845 - 1938)作の「休息の瞬間」です。この画家は、女性を描いた絵を多く残しています。
-
肖像画家で知られるヴィットリオ.コルコス(1859 - 1933)作の「ジャック.ラ.ボリーナの娘の肖像」です。彼のジャンルの作品の多くは、安らぎとレクリエーションの瞬間に、美しく着飾った若い男性と女性を描いています。こちらも裕福な女性の姿です。
-
室内の絵画鑑賞を終えて、窓の外を眺めます。北西の方向にサント.スプリト教会が見えます。この教会には、フィリピーノ.リッピを始め、アレッサンドロ.アローリ(1535-1607)、ネリ.ディ.ビッチ(1419-1492)、コジモ.ロッセッリ(1439-1507)、リドルフ.ギルランダイオ(1483-1561)などの有名画家の祭壇画あります。
-
3階から下りて行きます。ピッティ宮殿内でも、この近代画美術館には観覧者は多くありません。イタリア絵画では、どうしてもルネサンス絵画に人気が集中しているようです。
-
階段室の吹き抜け天井です。
-
1階に下りて、宮殿北東翼にある銀器博物館に入ります。目的は銀器の鑑賞ではなく、銀器博物館の区画にあるジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニの間の見学です。この部屋に1635-1636年間にフレスコ画を描いた画家の名前を採った部屋です。このフレスコ画は、フェルディナンド2世大公(1610-70)とヴィットーリア.デッラ.ローヴェレ(1622-94)の結婚を記念して描かれました。大公と大公妃夫妻のスイートをつなぐこの広間は、接見室の前室として機能し、特別な機会には披露宴や宴会に利用されました。1636年のジョヴァンニの死後、フレスコ画は、チェッコ.ブラヴォー、オッタヴィオ.ヴァンニーニ、フランチェスコ.フューリーニ等によって引き継がれ 1642年に完成しました。バロック初期のイタリアの画家ジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニ(1578 - 1650)は、この東壁面と天井を描きました。
-
東壁面左端です。「時間はすべてを台無しにする」とのテーマで描かれている寓話だそうです。老人(時間)がサテュロス(野蛮人)の支援を受けて古代ギリシャの作家の本を食い尽くし、空中のモハメット2世は破壊の仕事を完了します。
-
東壁面中央です。サテュロスがパルナッソス山から文明を追い払います 。サフォはバイオリンを持って逃げ、 ダンテはプラトン、ホーマー、アリストテレスとともに文明のそばにいます。
-
東壁面右端です。「追放者とトスカーナ人の出会い」のテーマで描かれています。
パルナッソス山から追放された詩人や哲学者のトスカーナへの到着を、1453年にコンスタンティノープルがトルコ人の手に落ちた後、この東の首都を逃れたギリシャの学者達をフィレンツェに受け入れると表明したロレンツォの話を援用しています。認識できるのは、アリストテレスとプラトンだけでなく、本の紛失を嘆く、座っているエンペドクレスの姿です。 ムニフィシェンスの後ろに立っているトスカーナの半裸の寓像は、天使によって推薦されている逃れて来た人々を受け入れます。 -
ジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニの間の北壁面です。フランチェスコ.フューリーニ(1600 - 1640)の作品です。フューリーニは、フィレンツェ出身のイタリア.バロックの画家で、世俗的絵画および宗教的絵画の両方で名を残しました。
-
北壁面右のフレスコ画です。「ロレンツォの死」の寓話がテーマだそうです。
-
北壁面左のフレスコ画です。「カレッジ邸のプラトニック.アカデミー」です。プラトニック.アカデミーとは、ルネサンス期にフィレンツェのメディチ家の周囲に集まった人文主義者らによる私的なサークルだそうです。カレッジ邸はフィレンツェの北の郊外にあり、この絵の背景に描かれています。
-
ジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニが描いた天井です。
-
天井の中央に、ジョヴァンニは大公の結婚の寓話を描きました。女神の結婚と愛であるジュノーとヴィーナスは、王冠の付いたメディチ家の紋章の近くにいます。絵画の右半分では、運命が活動しています。クロソとラケシスが生命の糸を紡ぎ、測っています。アトロポスがハサミで、すでに枯れているオークの木の枝を切断しています。キューピッドはまだ緑色の葉を摘み取り、メディチ家の紋章に織り込んでいます。
-
ジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニの間の西壁面は、主にフィレンツェで活動したバロック時代のイタリア人芸術家オッタビオ.ヴァンニーニ(1585 - 1643)が描きました。
-
天井と壁面の間の装飾画です。
-
ジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニの間の西壁面中央のフレスコ画です。
中央にメディチ家のロレンツォ、右端には若きミケランジェロ、左端にはポッジョ.ア.カイアーノの別荘のモデルを持つジュリアーノ.ダ.サンガッロが描かれています。 -
西壁面の中央画左隣の絵です。
-
チェッコ.ブラヴォー(1601 - 1661)が描いたジョヴァンニ.ダ.サン.ジョヴァンニの間の南壁面です。チェッコ.ブラヴォーは。フィレンツェとその近くの町で活躍しました。人生最後の2年間を招聘されたインスブルックで過ごしています。
壁画はロレンツォ.デ.メディチの支配下で復活した黄金時代を描いています。チェッコ.ブラヴォーのフレスコ画では、ロレンツォは15世紀のコスチュームで常に描かれ、ミューズとアポロの保護者として、そして平和の主導者として表現されます。 -
南壁面左のフレスコ画の下半分です。「ロレンツォがミューズの宮廷に挨拶」との表題がつけられています。ロレンツォは、美徳、名声、アポロ、ミューズで構成されるグループを接受します。 プッティは王子の紋章を持っています。
-
南壁面左で、ロレンツォと対面している女性を拡大しました。
-
南壁面右の絵画です。
ロレンツォは、プルデンスと話しています。 -
1時半にピッティ宮殿を出て、アルノ川に架かるサンタ.トリニータ橋を渡ります。
-
アルノ川の川沿いには、1966年の洪水を経験した後に、このような高い堤防が築かれています。
-
橋を渡ってサンタ.トリニータ広場に来ました。右端にサンタ.トリニータ教会が写っていますが、この教会に入ろうと思っていたのにシエスタで閉まっていました。この教会にはドメニコ.ギルランダイオの素晴らしい祭壇画があります。
-
ここで軽い昼食にします。ファットリア.ロッシ(Fattoria Rossi)に入ります。トリップ.アドバイザー評価は、2,211軒中15位でした。
ハムやソーセージの盛り合わせと、 -
サラダです。
-
最後はこの可愛いセットのカプチーニです。
-
サンタ.トリニータ教会の北側にあるパラッツォ.ストロッツィで特別展「レオナルドの師匠ヴェロッキオ」が開かれたいました。パラッツォ.ストロッツィは、メディチ家に対抗するフィリッポ.ストロッツィの命により1489年に建設が始まりました。パラッツォ.メディチ.リッカルディ完成後間も無くの時期です。両建物とも重厚な外観を持っています。現在文化的、芸術的イベント等の国際博覧会に使用されています。
-
アンドレア.デル.ヴェロッキオ(1435 - 1488)は、イタリアのルネサンス期の芸術家で、もともと彫刻を得意とし絵画、建築、鋳造、金細加工の分野でも能力を発揮しました。 これはヴェロッキオとの師弟関係のあった芸術家を示しています。最も有名なのはダヴィンチとの関係でしょうか。
-
彫刻家としてのヴェロッキオが高く評価された作品で国立バルジェッロ美術館が所蔵する「勝利のダヴィッド」です。 1468-1470年頃の作品です。
-
画家としてのヴェロッキオの作品でベルリンの国立絵画館が所蔵する「聖母子」です。1470年または1475年頃に描かれました。
-
こちらもベルリンの国立絵画館が所蔵する「聖母子」で1470年頃に描かれました。
-
こちらもヴェロッキオの作品でロンドンのナショナル.ギャラリーが所蔵する「聖母子と二人の天使」です。 1471-1472年頃の作品です。
-
こちらはサンドロ.ボッテチェッリ作でナポリのカポディモンテ美術館が所蔵する「聖母子と二人の天使」です。1468年頃の作品です。
-
ルネサンス期イタリアのウンブリア派を代表する画家ピエトロ.ペルジーノ(1446 - 1523)の1470-1471年頃の作品でパリのジャックマール=アンドレ美術館所蔵の「聖母子」です。
-
同じくルネサンス期のウンブリア派の画家で良くペルジーノと比較されるピントリッキオ(1456 - 1513)の1475年頃の作品の「聖母子」です。ロンドンのナショナル.ギャラリーの所蔵です。ウンブリア派の画家には、ラッファエッロの師であるペルジーノやロ.スパーニャなどが活躍しています。ピントリッキオは、ウンブリア州の他にローマ、ヴァチカン、シエナなどで素晴らしい作品を残しています。
-
ドメニコ.ギルランダイオ(1448 - 1494)の1470年頃の作品で、エディンバラのスコットランド美術館の所蔵です。
-
これもドメニコ.ギルランダイオの1470-1475年頃の作品で、ワシントンの国立美術館の所蔵です。
-
ペルージャで活躍したウンブリア派のイタリア人画家フィオレンツォ.ディ.ロレンツォ(1440頃 - 1523)作の「聖母子とサン.ジロラモ」です。この作品は、1475-1480年頃に製作され、ボストン美術館に所蔵されています。
-
ヴェロッキオ作の「トビオロと天使ラファエル」です。この絵の製作にもダヴィンチが一部関わっているそうです。特にトビオロが持つ魚と天使ラファエルの足下の犬がそうだと言われています。
-
トビオロと天使の顔を比べると、トビオロ全体がダヴィンチの作のように見えますが。
-
バルトロメオ.デッラ.ガッタ(1448 - 1502)の1473年頃の作品でコルトーナの司教区博物館所蔵の「聖トーマスに腰帯を与える聖母マリア」です。デッラ.ガッタは、特にトスカーナ東部のアレッツォ、サンセポルクロ、コルトーナ、カスティリオン.フィオレンティーノ等で活躍しました。
-
昇天する聖母マリアの周りの奏楽の天使を拡大しました。とても可愛い子供の天使ですね。
-
こちらは左側の天使たちです。
-
2008年5月にコルトーナを訪れて司教区博物館で撮影した時の写真です。絵画の下部では聖母マリアの昇天を驚く人々が描かれています。
-
ローマで活躍したルネサンス期のイタリアの画家アントニアッツォ.ロマーノ(1430 - 1508)作の「キリスト降誕」です。この画家は多くの聖母子像の絵画を残しています。
-
この絵は、2011年2月に訪れたローマのサンタ.マリア.ソプラ.ミネルヴァ教会の 受胎告知の礼拝堂にあったアントニアッツォ.ロマーノの作品です。
-
ホテル前にあり、優れた芸術作品の宝庫であるサンタ.マリア.ノヴェッラ教会に入りました。2007年秋を初回として5回目の訪問です。自由に写真撮影が可能になってから2回目になります。
ファサードの裏側から内陣を望みます。堂内への入り口は、右翼廊側にあります。 -
身廊正面の内陣には、中央礼拝堂にドメニコ.ギルランダイオが主体になって製作した「聖母マリアの物語」と「洗礼者ヨハネの物語」のフレスコ画があります。
-
内陣で中央礼拝堂の右隣はストロッツィ礼拝堂で、フィリッピーノ.リッピが1502年に完成したフレスコ画「聖フィリッポ使徒と聖ヨハネ福音書記者の物語」があります。この写真でその礼拝堂の右壁面が見えています。
-
右壁面は、黄金伝説からのエピソード「ヒエラポリスの寺院からドラゴンを追い払う聖フィリッポ」です。聖フィリッポは、異教徒のマルス神殿に生贄を捧げる事を強制されます。中央で神殿の司祭が火を準備している時に、銅製の竜が彫像の土台から現れ、有毒な息で司祭の息子を殺します。左側で聖フィリッポが、異教の悪魔を追い払い、祝福のしぐさで若者を復活させます。
特に重要なのは、想像力豊かな古典建築物の中で繰り広げられるキリスト教と異教の文化の衝突がフレスコ画の中心的なシーンであり、異教狩りを行ったサヴォナローラ政権時代の話題がテーマとなっている事です。 -
祭壇の土台から出現した竜が毒を吐き、司祭の息子を害した場面を拡大しました。
-
左に祝福のしぐさで若者を復活させる聖フィリッポと、右に害され倒れた息子に驚く司祭を拡大しました。
-
周りの人に支えられる害された息子です。
-
右壁面のルネッテには「聖フィリッポの磔刑」が描かれています。
-
左側壁面は、「ドルシアナを復活させる聖ヨハネ福音書記者」です。ドルシアナの復活のシーンも黄金の伝説から取られました。ドミティアヌスの死後エフェソスに戻った聖ヨハネが敬虔なドルシアナの葬儀に遭遇します。ドルシアナは長い間聖ヨハネに会うことを望んでいました。フィリッピーノ.リッピは、聖ヨハネがドルシアナを復活させた瞬間を描いています。
-
ドルシアナに蘇生の祝福をする聖ヨハネとそれを見守る右側の人々を拡大しました。
-
左側では蘇生に驚いている人々です。
-
左壁面のルネッテには「聖ヨハネの拷問」が描かれています。左側には皇帝が拷問を命じています。右側には聖ヨハネが沸騰した油で満たされた大釜に浸っています。しかし奇跡的に無傷で釜から出られたそうです。
-
礼拝堂の中央には、ベネデット.ダ.マイアーノ(1491-1495)によって彫刻されたフィリッポ.ストロッツィの墓碑があります。
-
礼拝堂のヴォールト天井には、旧約聖書に登場する家長が描かれています。これは楽園を追放されたアダムです。
-
アダムから数えて10代目のノアです。神が起こした洪水から逃れる事ができました。
-
ノアの長子セムの流れをくむアブラハムです。
-
アブラハムの子イサク、更にその子のヤコブです。イサクは生き贄にされる所を救われました。
-
トルナブオーニ礼拝堂とも呼ばれる中央礼拝堂のフレスコ画は、ドメニコ.ギルランダイオ作で、左壁面は「聖母マリアの物語」、右壁面は「洗礼者ヨハネの物語」です。先ずは左壁面の「聖母マリアの物語」を鑑賞します。最上部のルネッタには「聖母被昇天」、その下、上段左側は「マギの礼拝」、上段右側には「嬰児虐殺」です。
-
更に中段右側には「マリアの結婚」が描かれています。
-
中段左側には「マリアの神殿奉献」です。
-
写真中央でこちらを向いているのがマリアです。その後方にマリアの両親、ヨアキムとアンナが見えます。
-
下段右側には「マリアの誕生」です。左上には、ヨアキムとアンナの金門の出会いが描かれています。右隅にはベッドに横たわるアンナがいます。
-
赤子のマリアとその母アンナを拡大しました。
-
こちらは出産のお祝いに参上した女性たちです。
-
下段左側には「神殿から追放されるヨアキム」です。長い間ヨアキムとアンナには子供が恵まれませんでした。そこでヨアキムは生贄を持って神殿を訪れますが、追い返されます。ユダヤの慣習では、子供ができない夫婦は神からの祝福を受けていないので恥ずべきであり、神殿で生贄を捧げる資格がないと見なされていました。子供がいない年老いたヨアキムは、子羊を連れていましたが、司祭に追い出されました。左奥では、司祭が生贄を受け取っています。右側の4人の男性群の中で右端から2番目の人物が作者のギルランダイオです。
-
中央礼拝堂の右壁面は「洗礼者聖ヨハネの物語」のフレスコ画です。
最上段のルネッタには「ヘロデ王の宴会とサロメのダンス」、その下の上段左側には「キリストへの洗礼」、上段右側には「荒れ野での洗礼者ヨハネの説教」です。 -
中段右側は「洗礼者ヨハネの誕生」です。この場面は、反対側の壁面の「マリアの誕生」と対をなしています。部屋はマリアのシーンよりも豪華ではありませんが、おそらく裕福なフィレンツェの商人の家に実際に存在していたであろう内部装飾の豊かさを反映しています。ここでもお祝いをしに女性がお供を従えて訪れています。
-
赤子のヨハネとその母エリザベツを拡大しました。
-
お供を連れた淑女はこの礼拝堂のスポンサーであるトルナブオーニの家族だそうです。
-
中段左側は「息子の名前を書き留めるザッカリア」です。赤子は母親のエリザベツに抱かれています。口がきけなくなっていたザッカリアは、息子の名をヨハネと書きとめた瞬間に再び口がきけるようになりました。
-
赤子とエリザベツの後ろにも二人の女性が見守っています。
-
下段左側は「ご訪問」です。マリアはお告げを受けた後、ユダの街に住み長い間子宝に恵まれなかった従姉妹エリザベツを訪問します。エリザベツは、この時ヨハネを身ごもって6ヶ月でした。
-
エリザベツとその後方の女性群を拡大しました。右側で、その真横の顔を見せる淑女は、ロレンツォ.トルナブオーニの花嫁となった女性です。
-
画面左側を拡大しました。
-
下段右側は「ザッカリアへの天使の告知」です。ルカの福音書によると、ザッカリヤがエルサレム神殿の司祭として奉仕中に大天使ガブリエルの告知を受けました。その告知はザッカリアが子供を授かるという事でした。その告知を信じられなかったザッカリアが反論したので天使は、彼の口がきけなくします。
この絵で描かれている人物は全て当時のフィレンツェの著名人の壮大な肖像画だそうです。 -
絵の中央部分を拡大しました。
-
中央礼拝堂正面上部のフレスコ画は「聖母戴冠」です。
-
中央礼拝堂正面の左側中段は「受胎告知」です。
-
中央礼拝堂正面の右側中段は「荒野のヨハネ」です。
-
中央礼拝堂の祭壇です。
-
今日も絵画鑑賞の1日でした。夕方になり雲が無くなり始めました。明日は晴天になるでしょうか。
-
夕闇の中のサンタ.マリア.ノヴェッラ教会のファサードです、
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツ30日間
-
前の旅行記
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (20)プラートとフィレンツェの美術館や教会で絵画を鑑賞しました(...
2019/02/26~
フィレンツェ
-
次の旅行記
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (22)ウフィツィ美術館で絵画を鑑賞した後にシエナに移動しました(...
2019/02/26~
フィレンツェ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (1)オックスフォードへ日帰り旅行です(2月27日)
2019/02/26~
オックスフォード
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (2)バーミンガムに移動です(2月28日)
2019/02/26~
バーミンガム
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (3)バーミンガムからリヴァプールへ移動します(3月1日)
2019/02/26~
リバプール
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (4)リヴァプールからマンチェスターへ日帰り旅行です(3月2日)
2019/02/26~
マンチェスター
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (5)リヴァプールからチェスターへ移動です(3月3日)
2019/02/26~
リバプール
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (6)チェスターからロンドンへ移動です(3月4日)
2019/02/26~
チェスター
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (7)ロンドンで美術館をハシゴしました(3月5日)
2019/02/26~
ロンドン
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (8)ロンドンでまたまた美術館のハシゴです(3月6日)
2019/02/26~
ロンドン
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (9)ロンドンからデン.ハーグに船、鉄道で移動し、デルフトを散策し...
2019/02/26~
デルフト
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (10)デルフトで再治療の後、デン.ハーグで休養です(3月8日)
2019/02/26~
ハーグ (デン・ハーグ)
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (11)ブリュッセルへ日帰りです(3月9日)
2019/02/26~
ブリュッセル
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (12)デン.ハーグでマウリッツハイス美術館とエッシャー美術館を訪...
2019/02/26~
ハーグ (デン・ハーグ)
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (13)アムステルダムの国立博物館にデン.ハーグから日帰りで訪れま...
2019/02/26~
アムステルダム
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (14)デン.ハーグから日帰りでライデンを訪れました(3月12日)
2019/02/26~
ライデン
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (15)デルフトで最後の治療を終えました(3月13日)
2019/02/26~
デルフト
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (16)デルフトからロッテルダムに寄りパリのシャルル.ド.ゴール空...
2019/02/26~
ロッテルダム
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (17)パリのシャルル.ド.ゴール空港からナポリに移動しました(3...
2019/02/26~
ナポリ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (18)ナポリでカポディモンテ美術館とサン.マルティーノ博物館を訪...
2019/02/26~
ナポリ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (19)ナポリでセヴァロス.スティリアーノ宮美術館を訪問し、町歩き...
2019/02/26~
ナポリ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (20)プラートとフィレンツェの美術館や教会で絵画を鑑賞しました(...
2019/02/26~
フィレンツェ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (21)フィレンツェの美術館や教会で絵画を鑑賞しました(3月19日...
2019/02/26~
フィレンツェ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (22)ウフィツィ美術館で絵画を鑑賞した後にシエナに移動しました(...
2019/02/26~
フィレンツェ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (23)シエナからヴォルテッラにデイ.トリップしました(3月21日...
2019/02/26~
ヴォルテッラ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (25)シエナから午後にヴェネツィアへ移動します(3月23日)
2019/02/26~
シエナ
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (26)晴天の下ヴェネツィアでのんびりです(3月24日)
2019/02/26~
ベネチア
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (27)晴天の下ヴェネツィアで美術館.教会巡りです(3月25日)
2019/02/26~
ベネチア
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (28)ヴェネツィアで美術館.教会巡りの後ミュンヘンに出立です(3...
2019/02/26~
ベネチア
-
シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (29)最終日はミュンヘンの美術館です(3月27日)
2019/02/26~
ミュンヘン
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
フィレンツェ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツ30日間
0
163