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2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。<br /><br />この29回目の旅行記最終日は、ミュンヘンの美術館で絵画鑑賞の後、帰国です。<br /><br />全体の旅程の概略です。<br />★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。<br />★ 2月28日 バーミンガム泊。<br />★ 3月1~2日 リバプール泊。<br />★ 3月3日 チェスター泊。<br />★ 3月4~5日 ロンドン泊。<br />★ 3月6日    船中泊<br />★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊<br />★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊<br />★ 3月15~16日 ナポリ泊。<br />★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。<br />★ 3月20~22日 シエナ泊。<br />★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。<br />★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。<br />★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。

シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (29)最終日はミュンヘンの美術館です(3月27日)

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2019/02/26 - 2019/03/28

731位(同エリア2887件中)

さわ子さん

2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。

この29回目の旅行記最終日は、ミュンヘンの美術館で絵画鑑賞の後、帰国です。

全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日    船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 徒歩 飛行機
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 部屋の窓から東南の方向を眺めています。右の建物は空港第2ターミナル.ビルです。日本への便は、このターミナルから出発します。

    部屋の窓から東南の方向を眺めています。右の建物は空港第2ターミナル.ビルです。日本への便は、このターミナルから出発します。

  • ヒルトン.ホテルは、東西に二つの棟があり、その中間にこの屋根付きの広場があります。我々は東棟の部屋に泊まっていました。

    ヒルトン.ホテルは、東西に二つの棟があり、その中間にこの屋根付きの広場があります。我々は東棟の部屋に泊まっていました。

  • 階段を通して広場を見下ろしています。食堂は、向こうに見える西棟の1階にあります。

    階段を通して広場を見下ろしています。食堂は、向こうに見える西棟の1階にあります。

  • このホテルのビュッフェ朝食です。品数は多く、質も高いと思いました。

    このホテルのビュッフェ朝食です。品数は多く、質も高いと思いました。

  • 空港第2ターミナル.ビル正面です。9時半ですが、まるで地方空港のような静けさです。

    空港第2ターミナル.ビル正面です。9時半ですが、まるで地方空港のような静けさです。

  • こちらは空港ターミナル前の広場です。この広場の東側に第2ターミナル.ビル、西側に第1ターミナル.ビルがあります。この写真の右側に第1ターミナル.ビルがあります。

    こちらは空港ターミナル前の広場です。この広場の東側に第2ターミナル.ビル、西側に第1ターミナル.ビルがあります。この写真の右側に第1ターミナル.ビルがあります。

  • 空港第1ターミナル.ビルの地下にあるS-バーンの乗り場からミュンヘン市内に行きます。S 8路線の方がS 1路線より早く着きますが、残念ながら次の発車はS 1路線でした。前年と同じでミュンヘン市内の交通機関の利用も含むグループ利用の1日券24.30Euroを購入しました。

    空港第1ターミナル.ビルの地下にあるS-バーンの乗り場からミュンヘン市内に行きます。S 8路線の方がS 1路線より早く着きますが、残念ながら次の発車はS 1路線でした。前年と同じでミュンヘン市内の交通機関の利用も含むグループ利用の1日券24.30Euroを購入しました。

  • これは車内の案内画面です。S 1路線はミュンヘン中央駅経由で東駅へ行きますが、S 8路線は逆に東駅を経由して中央駅が終点となります。カールス.プラッツ駅は、中央駅と東駅の中間にあります。

    これは車内の案内画面です。S 1路線はミュンヘン中央駅経由で東駅へ行きますが、S 8路線は逆に東駅を経由して中央駅が終点となります。カールス.プラッツ駅は、中央駅と東駅の中間にあります。

  • 中央駅前から市電(16,18番線)に1駅乗り次のカールス.プラッツ停留所で下車して市電(27,28番線)に乗り換えます。ここは複数の路線が集まる停留所になっています。また歩行者天国のショッピング通りであるノイウハウザー通りの入り口です。停留所から北の方向を見ています。遠くに修復された歴史的建物、バイエルン州法務省の緑青になった屋根が見えます。

    中央駅前から市電(16,18番線)に1駅乗り次のカールス.プラッツ停留所で下車して市電(27,28番線)に乗り換えます。ここは複数の路線が集まる停留所になっています。また歩行者天国のショッピング通りであるノイウハウザー通りの入り口です。停留所から北の方向を見ています。遠くに修復された歴史的建物、バイエルン州法務省の緑青になった屋根が見えます。

  • こちらは南側です。このカールス.プラッツの地下にはU バーンやS バーンの駅があり、大きなショッピング街になっています。

    こちらは南側です。このカールス.プラッツの地下にはU バーンやS バーンの駅があり、大きなショッピング街になっています。

  • 地下1階(1.UG)のショッピング街と地下2階(2.UG)のSバーンとUバーン乗り場入り口の案内板です。

    地下1階(1.UG)のショッピング街と地下2階(2.UG)のSバーンとUバーン乗り場入り口の案内板です。

  • カールス.プラッツから北東の方向にバーラー通りを走って行きます。我々は車両の最後部から眺めています。途中のカロリーネン.プラッツを過ぎました。この広場の周りは、ナチス時代に使われていた多くの建物が残っています。

    カールス.プラッツから北東の方向にバーラー通りを走って行きます。我々は車両の最後部から眺めています。途中のカロリーネン.プラッツを過ぎました。この広場の周りは、ナチス時代に使われていた多くの建物が残っています。

  • 市電車内の様子です。この車両は旧型なので床も高く、車内の案内画面は文字だけです。この後ピナコテケン停留所で市電を降ります。

    市電車内の様子です。この車両は旧型なので床も高く、車内の案内画面は文字だけです。この後ピナコテケン停留所で市電を降ります。

  • ピナコテケン停留所降りると、左手にアルテ.ピナコテクと右手にノイエ.ピナコテクの両方の美術館が芝生の広場を挟んで並んでいます。こちらが中世から近世にかけての作品が展示してある左手のアルテ.ピナコテクの建物です。

    ピナコテケン停留所降りると、左手にアルテ.ピナコテクと右手にノイエ.ピナコテクの両方の美術館が芝生の広場を挟んで並んでいます。こちらが中世から近世にかけての作品が展示してある左手のアルテ.ピナコテクの建物です。

  • この写真は建物の北側ですが、その外壁2階の中程に空襲の被害を装飾なしで簡単に復旧した跡が見えます。

    この写真は建物の北側ですが、その外壁2階の中程に空襲の被害を装飾なしで簡単に復旧した跡が見えます。

  • 初期ネーデルラント絵画の展示室から絵画鑑賞を始めます。<br />初期フランドル派の画家ロヒール .ファン.デル.ウェイデン(1400 - 1464)の1455年頃の作品「サン.コルンバの祭壇画」です。この中央のパネルは、マギによる幼子の崇拝を示し、両翼は、受胎告知とキリストの神殿奉献を描いています。1814/15年にハイデルベルクで作品を見たゲーテは、輝く色、細部の微視的に正確な描写、そして人物が醸し出す深い真剣さに感銘を受けました。

    初期ネーデルラント絵画の展示室から絵画鑑賞を始めます。
    初期フランドル派の画家ロヒール .ファン.デル.ウェイデン(1400 - 1464)の1455年頃の作品「サン.コルンバの祭壇画」です。この中央のパネルは、マギによる幼子の崇拝を示し、両翼は、受胎告知とキリストの神殿奉献を描いています。1814/15年にハイデルベルクで作品を見たゲーテは、輝く色、細部の微視的に正確な描写、そして人物が醸し出す深い真剣さに感銘を受けました。

  • 「サン.コルンバの祭壇画」の左翼パネルの「受胎告知」です。

    「サン.コルンバの祭壇画」の左翼パネルの「受胎告知」です。

  • 「サン.コルンバの祭壇画」の右翼パネルで「キリストの神殿奉献」です。マリアの後ろのお付きの女性は2羽の鳩を持参しています。

    「サン.コルンバの祭壇画」の右翼パネルで「キリストの神殿奉献」です。マリアの後ろのお付きの女性は2羽の鳩を持参しています。

  • こちらは同じロヒール .ファン.デル.ウェイデンの1484年以降の作品で「幼子に授乳するマリアを描く聖ルカ」です。

    こちらは同じロヒール .ファン.デル.ウェイデンの1484年以降の作品で「幼子に授乳するマリアを描く聖ルカ」です。

  • 部屋の外では、城壁の回廊に二人の男女が入江を眺めています。<br />

    部屋の外では、城壁の回廊に二人の男女が入江を眺めています。

  • オランダのハールレムに生まれルーヴェンを中心に活躍した初期フランドル派の画家ディルク.ボウツ(1415/20頃 - 1475)作の「キリストの捕縛」です。

    オランダのハールレムに生まれルーヴェンを中心に活躍した初期フランドル派の画家ディルク.ボウツ(1415/20頃 - 1475)作の「キリストの捕縛」です。

  • 同じディルク.ボウツ作の「キリストの復活」です。

    同じディルク.ボウツ作の「キリストの復活」です。

  • これもディルク.ボウツ作の「ブラバントの真珠」と呼ばれる美しい小さな三連祭壇画の中央パネル「マギの崇拝」を示しています。 左翼は洗礼者ヨハネが描かれ、右翼は聖クリストフォロが描かれています。

    これもディルク.ボウツ作の「ブラバントの真珠」と呼ばれる美しい小さな三連祭壇画の中央パネル「マギの崇拝」を示しています。 左翼は洗礼者ヨハネが描かれ、右翼は聖クリストフォロが描かれています。

  • 初期フランドル派の画家であるハンス.メムリンク(1435/40頃 - 1494)の1470/80年代の作品「洗礼者ヨハネ」です。荒野で修行する洗礼者ヨハネを描いています。ハンス.メムリンクは、北方絵画を代表するヤン.ファン.エイクやロヒール.ファン.デル.ウェイデンに続く世代の一人です。ヨハネの象徴としての子羊が描かれています。<br />

    初期フランドル派の画家であるハンス.メムリンク(1435/40頃 - 1494)の1470/80年代の作品「洗礼者ヨハネ」です。荒野で修行する洗礼者ヨハネを描いています。ハンス.メムリンクは、北方絵画を代表するヤン.ファン.エイクやロヒール.ファン.デル.ウェイデンに続く世代の一人です。ヨハネの象徴としての子羊が描かれています。

  • この絵は、1480年にブルージュのフラウエン教会にあるタナーズ.ギルドの礼拝堂のために描かれました。絵の中では、キリストの生涯から25のエピソードを示しています。一部の人は、これを「聖母の七つの喜び」として解釈しています。特に中心的なシーンなしで1つの物語の構成に組み合わされています。羊飼いへの告知;キリスト 降誕; 幼児虐殺; 東方三博士の礼拝; 情熱; 復活; 昇天; 聖霊降臨; 生神女就寝と聖母被昇天などの場面が描かれています。

    この絵は、1480年にブルージュのフラウエン教会にあるタナーズ.ギルドの礼拝堂のために描かれました。絵の中では、キリストの生涯から25のエピソードを示しています。一部の人は、これを「聖母の七つの喜び」として解釈しています。特に中心的なシーンなしで1つの物語の構成に組み合わされています。羊飼いへの告知;キリスト 降誕; 幼児虐殺; 東方三博士の礼拝; 情熱; 復活; 昇天; 聖霊降臨; 生神女就寝と聖母被昇天などの場面が描かれています。

  • 画面の中央では、キリストの誕生に際し3賢王の礼拝が描かれています。

    画面の中央では、キリストの誕生に際し3賢王の礼拝が描かれています。

  • 絵画の左側の場面です。上に「受胎告知」、左中程には「天使が羊飼いにキリストの誕生を知らせ」ています。その右側では「嬰児虐殺」の場面です。下には「キリスト降誕」が描かれています。

    絵画の左側の場面です。上に「受胎告知」、左中程には「天使が羊飼いにキリストの誕生を知らせ」ています。その右側では「嬰児虐殺」の場面です。下には「キリスト降誕」が描かれています。

  • 右端の場面です。中央左上に「我に触るな」、中央右下に「キリストの復活」、そして右端は、「生神女就寝」が描かれています。

    右端の場面です。中央左上に「我に触るな」、中央右下に「キリストの復活」、そして右端は、「生神女就寝」が描かれています。

  • 初期フランドル派の画家ヘラルト.ダヴィト(1460頃 - 1523)作の「東方三拳王の礼拝」です。 パネルの右側半分の聖家族のみを撮影しています。

    初期フランドル派の画家ヘラルト.ダヴィト(1460頃 - 1523)作の「東方三拳王の礼拝」です。 パネルの右側半分の聖家族のみを撮影しています。

  • &quot;ヨセフ.シリーズの画家&quot;の作品で「ヨセフとポティファルの妻」です。聖書の物語で、ポティファルの妻が使用人のヨセフを誘惑しようとしています。そこへ夫の ポティファルが帰宅します。

    "ヨセフ.シリーズの画家"の作品で「ヨセフとポティファルの妻」です。聖書の物語で、ポティファルの妻が使用人のヨセフを誘惑しようとしています。そこへ夫の ポティファルが帰宅します。

  • ブリュージュ生まれのアードリアン.イーゼンブラント(1490 - 1551)の1535/40年頃の作品で「キリストの神殿奉献」です。マリアの左に立つメイドは籠に入った鳩を持参しています。

    ブリュージュ生まれのアードリアン.イーゼンブラント(1490 - 1551)の1535/40年頃の作品で「キリストの神殿奉献」です。マリアの左に立つメイドは籠に入った鳩を持参しています。

  • オランダのライデン生まれのコーネリス.エンゲルブレシェッツ(1462 - 1527)作の<br />「キリストへの哀悼」です。

    オランダのライデン生まれのコーネリス.エンゲルブレシェッツ(1462 - 1527)作の
    「キリストへの哀悼」です。

  • ルネサンス期のフランドル人画家ヤン. ホッサールト (1478 - 1532)作の「ダナエ」です。ギリシャ神話が題材で、ダナエがゼウスの黄金の雨を受けています。この後にダナエはペルセウスを身ごもります。

    ルネサンス期のフランドル人画家ヤン. ホッサールト (1478 - 1532)作の「ダナエ」です。ギリシャ神話が題材で、ダナエがゼウスの黄金の雨を受けています。この後にダナエはペルセウスを身ごもります。

  • ネーデルラントの画家ルーカス.ファン.レイデン(1494 - 1533)の作品で「聖女マグダラのマリアと寄進者を伴う聖母子」です。マグダラのマリアの目つきが印象的です。絵の説明によると、もともと二連祭壇画だったものを繋ぎ合わせました(継ぎ目が分かりませんが)。右手前の寄進者の像は、後年適当に象徴物の百合や大工道具を書き加えて聖ヨセフに書き換えられているそうです。聖ヨセフに百合は似合わないと思いますが。

    ネーデルラントの画家ルーカス.ファン.レイデン(1494 - 1533)の作品で「聖女マグダラのマリアと寄進者を伴う聖母子」です。マグダラのマリアの目つきが印象的です。絵の説明によると、もともと二連祭壇画だったものを繋ぎ合わせました(継ぎ目が分かりませんが)。右手前の寄進者の像は、後年適当に象徴物の百合や大工道具を書き加えて聖ヨセフに書き換えられているそうです。聖ヨセフに百合は似合わないと思いますが。

  • 聖母子を拡大しました。

    聖母子を拡大しました。

  • ここからはドイツ絵画の展示室です。<br />16世紀前半に活動したドイツの画家アルブレヒト.アルトドルファー(1482/85頃 - 1538)の1518年の作品「栄光の聖母マリアとキリスト」です。

    ここからはドイツ絵画の展示室です。
    16世紀前半に活動したドイツの画家アルブレヒト.アルトドルファー(1482/85頃 - 1538)の1518年の作品「栄光の聖母マリアとキリスト」です。

  • 同じアルブレヒト.アルトドルファーの1520/25年頃の作品「聖母マリアの誕生」です。通常、実家での誕生の様子を描いた絵がほとんどですが、この絵では聖堂のような建物内での出来事として描いています。絵の左側には天蓋を持つベッドに聖アンナが寝ています。産湯は済ませた後なのか、タライはなく、その代わりにクリブが置かれています。天井近くに大勢の天使が輪になって祝い、その中央に年上の天使がお香を広めています。

    同じアルブレヒト.アルトドルファーの1520/25年頃の作品「聖母マリアの誕生」です。通常、実家での誕生の様子を描いた絵がほとんどですが、この絵では聖堂のような建物内での出来事として描いています。絵の左側には天蓋を持つベッドに聖アンナが寝ています。産湯は済ませた後なのか、タライはなく、その代わりにクリブが置かれています。天井近くに大勢の天使が輪になって祝い、その中央に年上の天使がお香を広めています。

  • ベッドで休む聖アンナ、メイドに抱かれた幼子のキリストを拡大しました。

    ベッドで休む聖アンナ、メイドに抱かれた幼子のキリストを拡大しました。

  • こちらはアルブレヒト.アルトドルファー(1482/85 - 1538)の1529年の大作「アレクサンダー大王のイッソスの戦い」です。全景の写真を撮っていなかったので、この美術館のウェブ.サイトからの借画します。<br />この紀元前333年の戦いでは、ペルシャ帝国のダリウス3世に決定的な勝利を収めました。アルト.ドルファーは、アレクサンダー大王の兵に16世紀の鋼鉄の鎧を着せ、ダリウス3世の兵にトルコの戦闘服を着せる事で、マケドニア軍の戦闘と当時のヨーロッパとオスマン帝国の対立を意図的に類似させています。この絵画が制作された1529年に、スレイマン1世下のオスマン帝国軍はウィーンを包囲しました。ウィーンは神聖ローマ帝国の首都でもあり、スルタンによって「黄金の林檎」と呼ばれていました。兵数ははるかに少ないものの、ウィーンを守るために動員されたオーストリア、ドイツ、チェコ、スペインの兵士は、敵を後退させ、中央ヨーロッパでオスマン帝国の前進を阻止する事ができました。

    こちらはアルブレヒト.アルトドルファー(1482/85 - 1538)の1529年の大作「アレクサンダー大王のイッソスの戦い」です。全景の写真を撮っていなかったので、この美術館のウェブ.サイトからの借画します。
    この紀元前333年の戦いでは、ペルシャ帝国のダリウス3世に決定的な勝利を収めました。アルト.ドルファーは、アレクサンダー大王の兵に16世紀の鋼鉄の鎧を着せ、ダリウス3世の兵にトルコの戦闘服を着せる事で、マケドニア軍の戦闘と当時のヨーロッパとオスマン帝国の対立を意図的に類似させています。この絵画が制作された1529年に、スレイマン1世下のオスマン帝国軍はウィーンを包囲しました。ウィーンは神聖ローマ帝国の首都でもあり、スルタンによって「黄金の林檎」と呼ばれていました。兵数ははるかに少ないものの、ウィーンを守るために動員されたオーストリア、ドイツ、チェコ、スペインの兵士は、敵を後退させ、中央ヨーロッパでオスマン帝国の前進を阻止する事ができました。

  • 手前の戦闘場面を拡大しました。右下隅に乗馬姿のアレキサンダー大王がマケドニア軍を指揮しています。左側中程にはダリウス3世が3頭立ての戦車に乗って、マケドニア軍の攻勢に耐えられなくなったペルシャ軍を指揮しているのが見えます。

    手前の戦闘場面を拡大しました。右下隅に乗馬姿のアレキサンダー大王がマケドニア軍を指揮しています。左側中程にはダリウス3世が3頭立ての戦車に乗って、マケドニア軍の攻勢に耐えられなくなったペルシャ軍を指揮しているのが見えます。

  • 画面の右下隅に乗馬のアレクサンダー大王とマケドニア軍の騎兵を拡大しました。

    画面の右下隅に乗馬のアレクサンダー大王とマケドニア軍の騎兵を拡大しました。

  • 左側の3頭立ての戦車に乗ったダリウス3世とペルシャ軍側の兵士達を拡大しました。

    左側の3頭立ての戦車に乗ったダリウス3世とペルシャ軍側の兵士達を拡大しました。

  • ペルシャのダリウス3世軍に囲まれた大勢の女性がこの拡大画面の中央に見えます。中には乗馬の女性も見えます。ダリウス3世はこのイッソスの戦いに破れ1,000人未満の騎兵と供に逃げのびましたが、彼の母親、妻、子供たちは捕虜になりました。この女性達は、これらの人々でしょうか。

    ペルシャのダリウス3世軍に囲まれた大勢の女性がこの拡大画面の中央に見えます。中には乗馬の女性も見えます。ダリウス3世はこのイッソスの戦いに破れ1,000人未満の騎兵と供に逃げのびましたが、彼の母親、妻、子供たちは捕虜になりました。この女性達は、これらの人々でしょうか。

  • これもアルブレヒト.アルトドルファーの1526年の作品「水浴するスザンナ」です。バビロニアの2人の長老が金持ちのヨアキムの美しい妻スザンナの水浴シーンを覗く話ですが、幻想的な宮殿が大きく描かれ題材の場面がはっきりしません。

    これもアルブレヒト.アルトドルファーの1526年の作品「水浴するスザンナ」です。バビロニアの2人の長老が金持ちのヨアキムの美しい妻スザンナの水浴シーンを覗く話ですが、幻想的な宮殿が大きく描かれ題材の場面がはっきりしません。

  • 画面の左下でスザンナらしき女性がお付きに足を洗わせているよです。その左側に二人の男性が隠れて覗き見をしています。

    画面の左下でスザンナらしき女性がお付きに足を洗わせているよです。その左側に二人の男性が隠れて覗き見をしています。

  • 画面の右側の宮殿前のベランダでは、スザンナに関する事件が終わり、判決が出て二人が石打の刑を受けています。

    画面の右側の宮殿前のベランダでは、スザンナに関する事件が終わり、判決が出て二人が石打の刑を受けています。

  • ドイツのルネサンス期の画家アルブレヒト.デューラー(1471 - 1528)作の「パウムガルトナーの祭壇画」です。中央パネルに「キリストの降誕」、左翼にドラゴン退治の伝説でも有名な「サン.ジョルジョ」、右翼に猟師の守護聖人の「サンテウスタチオ」です。両翼二人の聖人の顔は、寄進者の特徴が反映されているそうです。

    ドイツのルネサンス期の画家アルブレヒト.デューラー(1471 - 1528)作の「パウムガルトナーの祭壇画」です。中央パネルに「キリストの降誕」、左翼にドラゴン退治の伝説でも有名な「サン.ジョルジョ」、右翼に猟師の守護聖人の「サンテウスタチオ」です。両翼二人の聖人の顔は、寄進者の特徴が反映されているそうです。

  • 中央パネルを拡大しました。小さな天使の群れに囲まれたキリストの小さな体は、構図の中でほとんど失われています。

    中央パネルを拡大しました。小さな天使の群れに囲まれたキリストの小さな体は、構図の中でほとんど失われています。

  • ルネサンス期のドイツの画家ハンス.ホルバイン(1497 - 1543)作の「サン.セバスティアーノの祭壇画」です。中央パネルに「セバスティアーノの殉教」、左翼に「サンタ.バルバラ」、右翼に「サンタ.エリザベータ」です。セバスティアーノは、ローマ帝国ディオクレティアヌス帝の親衛隊の長でしたが、帝がある事件でセバスティアーノがキリスト教徒である事を知り、矢での死刑を命じられました。

    ルネサンス期のドイツの画家ハンス.ホルバイン(1497 - 1543)作の「サン.セバスティアーノの祭壇画」です。中央パネルに「セバスティアーノの殉教」、左翼に「サンタ.バルバラ」、右翼に「サンタ.エリザベータ」です。セバスティアーノは、ローマ帝国ディオクレティアヌス帝の親衛隊の長でしたが、帝がある事件でセバスティアーノがキリスト教徒である事を知り、矢での死刑を命じられました。

  • &quot;聖女ヴェロニカの画家&quot;が1420年頃に描いた「聖顔布を持つ聖女ヴェロニカ」です。聖顔布を持つ女性の顔に比べキリストの顔は2倍位大きく描かれています。

    "聖女ヴェロニカの画家"が1420年頃に描いた「聖顔布を持つ聖女ヴェロニカ」です。聖顔布を持つ女性の顔に比べキリストの顔は2倍位大きく描かれています。

  • &quot;アーヘンの祭壇画の画家&quot;の1480年頃の作品「玉座の聖母子と奏楽の天使達」です。同じルネサンス期のイタリアの画家、例えばジョヴァンニ.ベッリーニ、と比べて構図が大きく異なっています。奏楽の天使達は、両隅に追いやられています。左側の天使達は楽譜を検討しているようです。右側ではパイプ.オルガンを奏でています。

    "アーヘンの祭壇画の画家"の1480年頃の作品「玉座の聖母子と奏楽の天使達」です。同じルネサンス期のイタリアの画家、例えばジョヴァンニ.ベッリーニ、と比べて構図が大きく異なっています。奏楽の天使達は、両隅に追いやられています。左側の天使達は楽譜を検討しているようです。右側ではパイプ.オルガンを奏でています。

  • ルネサンス期のドイツの画家ルーカス.クラナッハ(1472 - 1553)の1503年の作品「キリストの磔刑」です。ルーカス.クラナッハはエッチング画でも作品を残し、同時代人の宗教改革者マルティン.ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画を多く残しています。この磔刑の絵は、十字架の非対称の配置が珍しく、以前には例をみない形で、描かれた人達の苦悩を映す風景にマッチしています。悲しみを分かち合い、両手を握り合う聖母マリアとマグダラのマリアです。

    ルネサンス期のドイツの画家ルーカス.クラナッハ(1472 - 1553)の1503年の作品「キリストの磔刑」です。ルーカス.クラナッハはエッチング画でも作品を残し、同時代人の宗教改革者マルティン.ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画を多く残しています。この磔刑の絵は、十字架の非対称の配置が珍しく、以前には例をみない形で、描かれた人達の苦悩を映す風景にマッチしています。悲しみを分かち合い、両手を握り合う聖母マリアとマグダラのマリアです。

  • こちらはルーカス.クラナッハの1516年頃の作品「聖母子と聖アンナ」です。

    こちらはルーカス.クラナッハの1516年頃の作品「聖母子と聖アンナ」です。

  • これは、ルーカス.クラナッハの1515/20年頃の作品「二人の盗賊の間の十字架上のキリスト」です。

    これは、ルーカス.クラナッハの1515/20年頃の作品「二人の盗賊の間の十字架上のキリスト」です。

  • これは、ルーカス.クラナッハの1525年頃の作品「ぶどうを持つ聖母子」です。

    これは、ルーカス.クラナッハの1525年頃の作品「ぶどうを持つ聖母子」です。

  • 次はイタリア絵画の展示室に入ります。<br />これはイタリアの ゴシックとルネサンスの過渡期に活躍した画家マンゾリーノ(1383/84頃 - 1447)の1435年頃の作品「聖母子」です。慎ましやかな聖母マリアを表す&quot;謙譲の聖母&quot;の古い型です。特に幼子キリストにみられるしっかりとした肉体の描写は、この絵全般にまだ&quot;国際ゴシック&quot;的な穏やかな様式を感じさせます。

    次はイタリア絵画の展示室に入ります。
    これはイタリアの ゴシックとルネサンスの過渡期に活躍した画家マンゾリーノ(1383/84頃 - 1447)の1435年頃の作品「聖母子」です。慎ましやかな聖母マリアを表す"謙譲の聖母"の古い型です。特に幼子キリストにみられるしっかりとした肉体の描写は、この絵全般にまだ"国際ゴシック"的な穏やかな様式を感じさせます。

  • 以下4枚のパネルは、「サン.マルコ祭壇画」のプレデッラでした。この祭壇画は、フィレンツェのサン.マルコ修道院に属し、2人の医療聖人のコスマスとダミアンに捧げられた教会の祭壇画でした。17世紀に教会の改修中に取り外され、解体されました。 天使と聖人を伴った玉座の聖母子を表す中央パネルに加えて、9枚のプレデッラの絵がありました。正面に7枚、側面に2枚です。 修道院に残ったプレデッラの絵は2つだけで、他のすべての絵は現在、別の美術館(ワシントン、ミュンヘン、ダブリン、パリ)にあります。プレデッラの絵画は、8つの小さなパネルに聖コスマスと聖ダミアンの物語を描いています。中央の9つ目は、この写真の「埋葬(ピエタ)」です。

    以下4枚のパネルは、「サン.マルコ祭壇画」のプレデッラでした。この祭壇画は、フィレンツェのサン.マルコ修道院に属し、2人の医療聖人のコスマスとダミアンに捧げられた教会の祭壇画でした。17世紀に教会の改修中に取り外され、解体されました。 天使と聖人を伴った玉座の聖母子を表す中央パネルに加えて、9枚のプレデッラの絵がありました。正面に7枚、側面に2枚です。 修道院に残ったプレデッラの絵は2つだけで、他のすべての絵は現在、別の美術館(ワシントン、ミュンヘン、ダブリン、パリ)にあります。プレデッラの絵画は、8つの小さなパネルに聖コスマスと聖ダミアンの物語を描いています。中央の9つ目は、この写真の「埋葬(ピエタ)」です。

  • この美術館には、上掲の他に3枚のプレデッラが所蔵されています。この絵は「リシアス前領事の前でコスマスとダミアンとその兄弟の聴聞」です。<br />

    この美術館には、上掲の他に3枚のプレデッラが所蔵されています。この絵は「リシアス前領事の前でコスマスとダミアンとその兄弟の聴聞」です。

  • こちらは「海に投げ込まれたコスマスとダミアンとその兄弟は天使に救われ、リシアスは悪魔から解放されます」と説明されています。<br />

    こちらは「海に投げ込まれたコスマスとダミアンとその兄弟は天使に救われ、リシアスは悪魔から解放されます」と説明されています。

  • これは「コスマスとダミアンとその兄弟は十字架に架けられ、石で打たれ、矢で撃たれます」となっています。<br />

    これは「コスマスとダミアンとその兄弟は十字架に架けられ、石で打たれ、矢で撃たれます」となっています。

  • ルネサンス期のイタリアの画家フィリッポリッピの1443/45年頃の作品「受胎告知」です。受胎告知の場面は、ルネッサンス様式の建物内です。庭を囲む二重の壁が強調されています。これは「閉じた庭」を指し、百合のように、マリアの処女性を象徴しています。

    ルネサンス期のイタリアの画家フィリッポリッピの1443/45年頃の作品「受胎告知」です。受胎告知の場面は、ルネッサンス様式の建物内です。庭を囲む二重の壁が強調されています。これは「閉じた庭」を指し、百合のように、マリアの処女性を象徴しています。

  • 受胎を告げる天使を拡大しました。

    受胎を告げる天使を拡大しました。

  • こちらはフィリッポリッピの1460/65年頃の作品「聖母マリアと幼子のキリスト」です。

    こちらはフィリッポリッピの1460/65年頃の作品「聖母マリアと幼子のキリスト」です。

  • 主にイタリアのウルビーノで活躍したフラ.カーネベル(1420 - 1484)の1445年頃の作品「受胎告知」です。<br />

    主にイタリアのウルビーノで活躍したフラ.カーネベル(1420 - 1484)の1445年頃の作品「受胎告知」です。

  • ルネサンス期にフィレンツァで活躍したサンドロ.ボッティチェッリ(1445 - 1510)の1490/95年頃の作品「キリストの哀悼」です。メディチ家のために美しいマドンナや神話の傑作を製作してきたボッティチェッリは、ドミニコ会の懲罰的な説教者であるサヴォナローラの影響下で、彼の作品はターニングポイントを迎えました。死せるキリストは母親の膝の上に生気を失って横たわっていて、彼女はキリストのお気に入りの弟子であるヨハネの肩に向かって倒れこみました。二人のマリアは十字架に架けられたキリストの頭と足を優しく支えています。マグダラのマリアは、はりつけの釘を恐ろしげに、そして悲しげに見つめています。石を握るサン.ジロラモ、剣を持つサン.パオロ、天国の鍵を持つサン.ピエトロがシーンを見つめています。人物の熱烈な身振りと姿勢は、キリストの死に対する彼らの悲しみを表しています。

    ルネサンス期にフィレンツァで活躍したサンドロ.ボッティチェッリ(1445 - 1510)の1490/95年頃の作品「キリストの哀悼」です。メディチ家のために美しいマドンナや神話の傑作を製作してきたボッティチェッリは、ドミニコ会の懲罰的な説教者であるサヴォナローラの影響下で、彼の作品はターニングポイントを迎えました。死せるキリストは母親の膝の上に生気を失って横たわっていて、彼女はキリストのお気に入りの弟子であるヨハネの肩に向かって倒れこみました。二人のマリアは十字架に架けられたキリストの頭と足を優しく支えています。マグダラのマリアは、はりつけの釘を恐ろしげに、そして悲しげに見つめています。石を握るサン.ジロラモ、剣を持つサン.パオロ、天国の鍵を持つサン.ピエトロがシーンを見つめています。人物の熱烈な身振りと姿勢は、キリストの死に対する彼らの悲しみを表しています。

  • トスカーナ州の南にあるコルトーナ生まれのルカ.シニョレッリ(1445 - 1523)の1495/98年頃の作品「聖母と幼子」です。15世紀後半からのマドンナの多くの描写はトンドの形でなされました。ほとんどの場合、図は円形に対応しています。 しかし、シニョレッリは、垂直線と水平線によって決定される構成でそれに反対しました。マドンナの記念碑的な着席姿が視界を支配しています。彼女の側には、アンティークのプットを彷彿とさせるポーズの子供が立っています。右後ろの青春のモチーフも、古代の人物「刺抜き人」に由来しています。

    トスカーナ州の南にあるコルトーナ生まれのルカ.シニョレッリ(1445 - 1523)の1495/98年頃の作品「聖母と幼子」です。15世紀後半からのマドンナの多くの描写はトンドの形でなされました。ほとんどの場合、図は円形に対応しています。 しかし、シニョレッリは、垂直線と水平線によって決定される構成でそれに反対しました。マドンナの記念碑的な着席姿が視界を支配しています。彼女の側には、アンティークのプットを彷彿とさせるポーズの子供が立っています。右後ろの青春のモチーフも、古代の人物「刺抜き人」に由来しています。

  • 聖母マリアを拡大しました。

    聖母マリアを拡大しました。

  • ルネサンス期のイタリアの画家で、主にヴェローナで活躍していたリベラーレ.ダ.ヴェローナ(1445頃 - 1527/29頃)の1490年頃の作品「哀悼」です。

    ルネサンス期のイタリアの画家で、主にヴェローナで活躍していたリベラーレ.ダ.ヴェローナ(1445頃 - 1527/29頃)の1490年頃の作品「哀悼」です。

  • ルネサンス期にフィレンツェで活躍したドメニコ.ギルランダイオ(1448 - 1494)の1490/94年頃の作品で「サンタ.マリア.ノヴェッラ教会トルナブォーニ礼拝堂の祭壇画」です。元来6枚のサイド.パネルを持つ祭壇画は1816年に解体され、その内の2枚が中央パネルと共にこのミュンヘンの美術館の所有となりました。左のパネルにはシエナのサンタ.カテリーナが、右のパネルにはサン.ロレンツォが描かれています。

    ルネサンス期にフィレンツェで活躍したドメニコ.ギルランダイオ(1448 - 1494)の1490/94年頃の作品で「サンタ.マリア.ノヴェッラ教会トルナブォーニ礼拝堂の祭壇画」です。元来6枚のサイド.パネルを持つ祭壇画は1816年に解体され、その内の2枚が中央パネルと共にこのミュンヘンの美術館の所有となりました。左のパネルにはシエナのサンタ.カテリーナが、右のパネルにはサン.ロレンツォが描かれています。

  • トルナブオーニ礼拝堂祭壇画の中央パネルの中心部を拡大しました。サンタ.マリア.ノヴェッラ教会の守護聖人である聖母マリアは天使に囲まれ、左側には鎧をまとった大天使ミカエル、右側では森での修行時と同じ服装の洗礼者ヨハネが立っています。<br />

    トルナブオーニ礼拝堂祭壇画の中央パネルの中心部を拡大しました。サンタ.マリア.ノヴェッラ教会の守護聖人である聖母マリアは天使に囲まれ、左側には鎧をまとった大天使ミカエル、右側では森での修行時と同じ服装の洗礼者ヨハネが立っています。

  • イタリアのルネサンス期を代表する画家レオナルド.ダ.ヴィンチ(1452 - 1519)の20才台初めの作品「聖母子」です。この頃は、ダヴィンチが師のヴェロッキオの工房で修行中でした。衣装の豊かさ、紫と金色が空に消えていく広大な山の風景、水晶の花瓶の生き生きとした切り花、そして前兆となる幼子の肉の柔らかさは、ヴェロッキオ.スタイルからの距離を示す要素であり、代わりに成熟したレオナルド自身のものとなる形式的で色彩的な特徴を示しています。

    イタリアのルネサンス期を代表する画家レオナルド.ダ.ヴィンチ(1452 - 1519)の20才台初めの作品「聖母子」です。この頃は、ダヴィンチが師のヴェロッキオの工房で修行中でした。衣装の豊かさ、紫と金色が空に消えていく広大な山の風景、水晶の花瓶の生き生きとした切り花、そして前兆となる幼子の肉の柔らかさは、ヴェロッキオ.スタイルからの距離を示す要素であり、代わりに成熟したレオナルド自身のものとなる形式的で色彩的な特徴を示しています。

  • シエナで活躍したマニエリスム期のイタリアの画家ソドマ(1477 - 1549)の1510/13年頃の作品「聖家族」です。

    シエナで活躍したマニエリスム期のイタリアの画家ソドマ(1477 - 1549)の1510/13年頃の作品「聖家族」です。

  • ヴェネツィア出身のルネサンス期の画家ロレンツォ.ロット(1480頃 - 1556)の1505/08年頃の作品「サンタ.カテリーナの神秘な結婚」です。ロットは、ヴェネト州やロンバルディア州のみならずローマやマルケ州でも活躍しています。キプロスのコストス王の娘カテリーナが洗礼によってキリスト教に改宗した後、幼児キリストを連れた聖母マリアが夢に現れます。後にカテリーナはキリストと神秘的な結婚をする事になります。

    ヴェネツィア出身のルネサンス期の画家ロレンツォ.ロット(1480頃 - 1556)の1505/08年頃の作品「サンタ.カテリーナの神秘な結婚」です。ロットは、ヴェネト州やロンバルディア州のみならずローマやマルケ州でも活躍しています。キプロスのコストス王の娘カテリーナが洗礼によってキリスト教に改宗した後、幼児キリストを連れた聖母マリアが夢に現れます。後にカテリーナはキリストと神秘的な結婚をする事になります。

  • 盛期ルネサンスを代表するラファエロ.サンティ(1483 - 1520)作の「テントの聖母」です。中央に幼子のキリスト、その右に子供の洗礼者ヨハネです。画面のほぼ全体を占める人物にみられる円熟した様式は、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に匹敵します。

    盛期ルネサンスを代表するラファエロ.サンティ(1483 - 1520)作の「テントの聖母」です。中央に幼子のキリスト、その右に子供の洗礼者ヨハネです。画面のほぼ全体を占める人物にみられる円熟した様式は、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に匹敵します。

  • ルネサンスのマニエリスム期の画家ドメニコ.ベッカフーミ(1484 - 1551)作の「聖家族と子供の洗礼者ヨハネ」です。

    ルネサンスのマニエリスム期の画家ドメニコ.ベッカフーミ(1484 - 1551)作の「聖家族と子供の洗礼者ヨハネ」です。

  • 盛期ルネサンスでヴェネツィア派の最も重要な画家の一人であるティツィアーノ.ヴェチェッリオ(1485/90頃 - 1576)の1560年頃の作品「夕景の聖母子」です。ティツィアーノの晩年の様式は、見事なぼかしの技法を駆使した色彩に良く表れています。

    盛期ルネサンスでヴェネツィア派の最も重要な画家の一人であるティツィアーノ.ヴェチェッリオ(1485/90頃 - 1576)の1560年頃の作品「夕景の聖母子」です。ティツィアーノの晩年の様式は、見事なぼかしの技法を駆使した色彩に良く表れています。

  • 同じティツィアーノの1570年頃の作品「荊冠のキリスト」です。ティツィアーノは晩年にキリストの情熱に捧げられた一連の絵を描きました。完全に色で描き分ける事から出発して(実際、素描は制作されていません)、この絵はティツィアーノの豊かな画歴の集大成となった言えます。

    同じティツィアーノの1570年頃の作品「荊冠のキリスト」です。ティツィアーノは晩年にキリストの情熱に捧げられた一連の絵を描きました。完全に色で描き分ける事から出発して(実際、素描は制作されていません)、この絵はティツィアーノの豊かな画歴の集大成となった言えます。

  • ルネサンス期のフィレンツェで活躍したアンドレア.デル.サルト(1486 - 1530)の1514/15年頃の作品「聖家族(聖母マリアと幼子キリスト、子供の洗礼者ヨハネとその母聖エリザベッタ、そして二人の天使)」です。題名では二人の天使となっていますが、一人しか見えません。

    ルネサンス期のフィレンツェで活躍したアンドレア.デル.サルト(1486 - 1530)の1514/15年頃の作品「聖家族(聖母マリアと幼子キリスト、子供の洗礼者ヨハネとその母聖エリザベッタ、そして二人の天使)」です。題名では二人の天使となっていますが、一人しか見えません。

  • 調べてみると同じ頃の作品としてルーヴル美術館にこの絵がありました。ルーヴルのウェブ.サイトのこの絵の説明は次の通りです。<br />『聖エリザベッタと幼い聖ヨハネが聖母マリアとイエスを訪ねている様子を描いています。中心的なモチーフは、キリストの受難についての聖ヨハネの予知を象徴する、より高次の存在を示す聖ヨハネのジェスチャーです。それは二人の母親を物思いにふけさせますが、イエスと天使達を苦しめます。人物の巧みな連動とその表現の強さは、デルサルトの初期のフィレンツェ.マネリスト.スタイルの特徴です。』<br />こちらの絵ではマリアのひいだり上に二人の天使の顔が見えます。前掲の絵ではよく見ると、左端の天使の右にマリアの頭が影になっていますが、もう一人の天使の頭が微かに見えます。しかし、二つの絵の関係は調べられませんでした。

    調べてみると同じ頃の作品としてルーヴル美術館にこの絵がありました。ルーヴルのウェブ.サイトのこの絵の説明は次の通りです。
    『聖エリザベッタと幼い聖ヨハネが聖母マリアとイエスを訪ねている様子を描いています。中心的なモチーフは、キリストの受難についての聖ヨハネの予知を象徴する、より高次の存在を示す聖ヨハネのジェスチャーです。それは二人の母親を物思いにふけさせますが、イエスと天使達を苦しめます。人物の巧みな連動とその表現の強さは、デルサルトの初期のフィレンツェ.マネリスト.スタイルの特徴です。』
    こちらの絵ではマリアのひいだり上に二人の天使の顔が見えます。前掲の絵ではよく見ると、左端の天使の右にマリアの頭が影になっていますが、もう一人の天使の頭が微かに見えます。しかし、二つの絵の関係は調べられませんでした。

  • マニエリスム初期、ローマなどで活躍したイタリアの画家パルミジャニーノ(1503 - 1540)作の「聖母子と僧侶」です。パルミジャニーノは、優雅さ、理想的な美しさが特徴です。彼の芸術の特徴である肌の色調とローブの特に繊細なデザインは、鮮やかな表面効果を生み出します。背景に描かれている僧侶が示唆しているように、小さなフォーマットの写真は元々、僧侶の房でのカルトゥス会の信心深い人々のために役立ったものです。

    マニエリスム初期、ローマなどで活躍したイタリアの画家パルミジャニーノ(1503 - 1540)作の「聖母子と僧侶」です。パルミジャニーノは、優雅さ、理想的な美しさが特徴です。彼の芸術の特徴である肌の色調とローブの特に繊細なデザインは、鮮やかな表面効果を生み出します。背景に描かれている僧侶が示唆しているように、小さなフォーマットの写真は元々、僧侶の房でのカルトゥス会の信心深い人々のために役立ったものです。

  • ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家ティントレット(1519-1594)作の「マリアとマルタの家のキリスト」です。ルカ福音書によると、キリストがベサニーのマリアとマルタの家に客として訪れます。マルタはおもてなしの世話をし、妹のマリアはキリストの言葉に耳を傾けます。この場面は、古代と中世の両方の美徳の教義の一部である&quot;活動的で瞑想的な生活&quot;によく使用される例です。

    ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家ティントレット(1519-1594)作の「マリアとマルタの家のキリスト」です。ルカ福音書によると、キリストがベサニーのマリアとマルタの家に客として訪れます。マルタはおもてなしの世話をし、妹のマリアはキリストの言葉に耳を傾けます。この場面は、古代と中世の両方の美徳の教義の一部である"活動的で瞑想的な生活"によく使用される例です。

  • ルネサンス期のヴェネツィアで活動したイタリアの画家パオロ.ヴェロネーゼ(1528 - 1588)作の「聖母子と寄進者」です。

    ルネサンス期のヴェネツィアで活動したイタリアの画家パオロ.ヴェロネーゼ(1528 - 1588)作の「聖母子と寄進者」です。

  • イタリアのルネサンス後期の画家および版画家であるフェデリコ.バロッチ(1535 - 1612)作の「我に触るな」です。朝の最初の光の中で、起き上がったキリストは空の墓で嘆き悲しむ人々に話しかけます。最初、彼女は彼が庭師だと思っていました。彼が彼女の名前を言った時に、彼女は彼を認識できました。キリストは「ノリ.ミー.タンジェレ(我に触ルナ)]という言葉で、マグダラのマリアに変貌した状態を説明し、弟子たちにこの出会いについて話すように言います。

    イタリアのルネサンス後期の画家および版画家であるフェデリコ.バロッチ(1535 - 1612)作の「我に触るな」です。朝の最初の光の中で、起き上がったキリストは空の墓で嘆き悲しむ人々に話しかけます。最初、彼女は彼が庭師だと思っていました。彼が彼女の名前を言った時に、彼女は彼を認識できました。キリストは「ノリ.ミー.タンジェレ(我に触ルナ)]という言葉で、マグダラのマリアに変貌した状態を説明し、弟子たちにこの出会いについて話すように言います。

  • 主にナポリで活躍したイタリアの画家ベルナルド.カヴァッリ(1616 - 1656頃)作の「羊飼いの中のエルミニア」です。この絵と次掲の絵は、トルクァート.タッソの十字軍に関する壮大な叙事詩「エルサレム解放」(1581年)からの場面です。この叙事詩は、1099年の第1回十字軍によるエルサレム奪取に舞台を置き、キリスト教徒騎士とムスリムとの闘い、キリスト教徒間の不和や後退、そして最終的な勝利が語られています。アンティオキアの王女エルミニアは、恋敵のムスリム兵士のクロリンダの武具を付け、愛するキリスト教騎士タンクレードを探します。その際クロリンダと間違えられキリスト教兵士から攻撃を受けますが、森に逃げた彼女は羊飼いの一家に助けられます。

    主にナポリで活躍したイタリアの画家ベルナルド.カヴァッリ(1616 - 1656頃)作の「羊飼いの中のエルミニア」です。この絵と次掲の絵は、トルクァート.タッソの十字軍に関する壮大な叙事詩「エルサレム解放」(1581年)からの場面です。この叙事詩は、1099年の第1回十字軍によるエルサレム奪取に舞台を置き、キリスト教徒騎士とムスリムとの闘い、キリスト教徒間の不和や後退、そして最終的な勝利が語られています。アンティオキアの王女エルミニアは、恋敵のムスリム兵士のクロリンダの武具を付け、愛するキリスト教騎士タンクレードを探します。その際クロリンダと間違えられキリスト教兵士から攻撃を受けますが、森に逃げた彼女は羊飼いの一家に助けられます。

  • 「エルミニアと負傷したタンクレード」です。 エルサレム奪還後、タンクレードが宿敵との決鬪で大きな傷を負うと、エルミニアはそこに駆けつけ、自らの髪を切ってその傷を縛ります。この絵では、従者ヴァフリノがタンクレードを抱き上げています。

    「エルミニアと負傷したタンクレード」です。 エルサレム奪還後、タンクレードが宿敵との決鬪で大きな傷を負うと、エルミニアはそこに駆けつけ、自らの髪を切ってその傷を縛ります。この絵では、従者ヴァフリノがタンクレードを抱き上げています。

  • バロック最後期のイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロ(1696 - 1770)作の「王の崇拝」です。ティエポロはヴェネツィア共和国の美術絵画の伝統を締めくくる最後の巨匠でした。ティエポロはドイツ滞在中にこの祭壇画を描きました。

    バロック最後期のイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロ(1696 - 1770)作の「王の崇拝」です。ティエポロはヴェネツィア共和国の美術絵画の伝統を締めくくる最後の巨匠でした。ティエポロはドイツ滞在中にこの祭壇画を描きました。

  • ここからはヴェネツィアの景観画です。まずフランチェスコ.グアルディ(1712 - 1793)の作品4点です。<br />これは1760年頃の作品「サン.ジェレミア近くの大運河」です。

    ここからはヴェネツィアの景観画です。まずフランチェスコ.グアルディ(1712 - 1793)の作品4点です。
    これは1760年頃の作品「サン.ジェレミア近くの大運河」です。

  • こちらは前日の旅行記でクェリーニ.スタンパーリア美術館所蔵で、15才年上のカナレット(1697 - 1768)の1745/50年頃の作品です。同じ場所での描写になっていますが、右側の建物群が少々高目に描かれているように思えます。

    こちらは前日の旅行記でクェリーニ.スタンパーリア美術館所蔵で、15才年上のカナレット(1697 - 1768)の1745/50年頃の作品です。同じ場所での描写になっていますが、右側の建物群が少々高目に描かれているように思えます。

  • こちらはフランチェスコ.グアルディの1760年頃の作品「リアルト橋とカメリエンギ宮殿」です。カメリエンギ宮殿はリアルト橋の右手前の建物です。リアルト橋の左の建物は、フォンダコ.デイ.テデスキーで、現在は香港系資本の免税店になっています。

    こちらはフランチェスコ.グアルディの1760年頃の作品「リアルト橋とカメリエンギ宮殿」です。カメリエンギ宮殿はリアルト橋の右手前の建物です。リアルト橋の左の建物は、フォンダコ.デイ.テデスキーで、現在は香港系資本の免税店になっています。

  • リアルト橋とフォンダコ.デイ.テデスキーを拡大しました。この建物は、ドイツ人商館として1228年に建設されましたが、火災に遭い1508年に再建され現在の姿になりました。免税店の前は中央郵便局として長く使われていました。ちなみにリアルト橋は、1591年に石造りに再建されたものです。<br /><br />

    リアルト橋とフォンダコ.デイ.テデスキーを拡大しました。この建物は、ドイツ人商館として1228年に建設されましたが、火災に遭い1508年に再建され現在の姿になりました。免税店の前は中央郵便局として長く使われていました。ちなみにリアルト橋は、1591年に石造りに再建されたものです。

  • これは1775年頃の作品で「サン.マルコ広場の時計塔」です。右にサン.マルコ大聖堂が描かれています。

    これは1775年頃の作品で「サン.マルコ広場の時計塔」です。右にサン.マルコ大聖堂が描かれています。

  • 現在の時計塔です。殆ど同じ昔と変わらぬ外観です。

    現在の時計塔です。殆ど同じ昔と変わらぬ外観です。

  • こちらもグアルディの1790年頃の作品「サン.マルクオラ広場の火事」です。場所は1番のヴァポレットでフェッロヴィアから二つ目の乗下船場サン.マルクオラの近くのようです。前掲の絵画の場所の東の方向になります。建物が特定出来ませんが、大勢の人々が大運河対岸の火事を見ているようです。対岸の建物の屋根の上には、消火活動に従事している人々も見えます。左の建物の屋根では、手押しの消火ポンプらしきものも見えます。

    こちらもグアルディの1790年頃の作品「サン.マルクオラ広場の火事」です。場所は1番のヴァポレットでフェッロヴィアから二つ目の乗下船場サン.マルクオラの近くのようです。前掲の絵画の場所の東の方向になります。建物が特定出来ませんが、大勢の人々が大運河対岸の火事を見ているようです。対岸の建物の屋根の上には、消火活動に従事している人々も見えます。左の建物の屋根では、手押しの消火ポンプらしきものも見えます。

  • イタリアの画家および彫刻家のミケーレ.マリエスキ(1710 - 1743)の1734/35年頃の作品「サン.マルコ.ピアッツェッタの景色」です。彼は主にヴェネツィアの風景や街並みで知られています。サン.マルコ大聖堂の北側から広場を見通しています。左が大聖堂です。

    イタリアの画家および彫刻家のミケーレ.マリエスキ(1710 - 1743)の1734/35年頃の作品「サン.マルコ.ピアッツェッタの景色」です。彼は主にヴェネツィアの風景や街並みで知られています。サン.マルコ大聖堂の北側から広場を見通しています。左が大聖堂です。

  • 絵画の右側を拡大しました。中央の高い建物はサン.マルコ時計塔です。その頂上には、1497年に製作された二人のムーア人が鐘をつく彫像が見えます。一人は老人でもう一人は若者です。時の経過を表す二人だそうです。その右側でファサードの4本の半円柱と中央の円が目立つ建物は、アテネオ.ディ.サン.バッソと呼ばれ、現在サン.マルコ室内オーケストラの演奏会が主催されているそうです。

    絵画の右側を拡大しました。中央の高い建物はサン.マルコ時計塔です。その頂上には、1497年に製作された二人のムーア人が鐘をつく彫像が見えます。一人は老人でもう一人は若者です。時の経過を表す二人だそうです。その右側でファサードの4本の半円柱と中央の円が目立つ建物は、アテネオ.ディ.サン.バッソと呼ばれ、現在サン.マルコ室内オーケストラの演奏会が主催されているそうです。

  • 同じミケーレ.マリエスキの1734/35年頃の作品で(カ.ペーザロ付近の大運河」です。画面の左端に現在国際近代美術館になっているカ.ペーザロの建物が描かれています。

    同じミケーレ.マリエスキの1734/35年頃の作品で(カ.ペーザロ付近の大運河」です。画面の左端に現在国際近代美術館になっているカ.ペーザロの建物が描かれています。

  • 画面の右下を拡大しました。遠くに見える塔は、 サン.ジェレミア教会の鐘楼のようです。

    画面の右下を拡大しました。遠くに見える塔は、 サン.ジェレミア教会の鐘楼のようです。

  • これは現在の景観です。左側に17世紀半ばに建てられたパラッツォ.ベローニ.バッタジアです。屋根上には、対称的なオベリスクの形をした2つの尖塔があります。上掲の絵画でも、左岸の最奥に見えます。サン.ジェレミア教会のドームは上掲の絵画では、左岸のパラッツォ.ベローニ.バッタジアの影に隠れています。

    これは現在の景観です。左側に17世紀半ばに建てられたパラッツォ.ベローニ.バッタジアです。屋根上には、対称的なオベリスクの形をした2つの尖塔があります。上掲の絵画でも、左岸の最奥に見えます。サン.ジェレミア教会のドームは上掲の絵画では、左岸のパラッツォ.ベローニ.バッタジアの影に隠れています。

  • 以下2点は、カナレット(1697 - 1768)の1736/38年頃の作品です。大運河の南岸寄りから東の方向にスキアヴォーニ河岸を眺めています。右にはサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂が見えています。

    以下2点は、カナレット(1697 - 1768)の1736/38年頃の作品です。大運河の南岸寄りから東の方向にスキアヴォーニ河岸を眺めています。右にはサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂が見えています。

  • こちらは前日の旅行記でクェリーニ.スタンパーリア美術館所蔵のカナレットの1745/50年頃の作品です。<br />

    こちらは前日の旅行記でクェリーニ.スタンパーリア美術館所蔵のカナレットの1745/50年頃の作品です。

  • 拡大すると違いがよく分かります。こちらはこのアルテ.ピナコテク美術館の作品です。

    拡大すると違いがよく分かります。こちらはこのアルテ.ピナコテク美術館の作品です。

  • こちらはクェリーニ.スタンパーリア美術館の作品です。

    こちらはクェリーニ.スタンパーリア美術館の作品です。

  • これは対岸のサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂からサン.マルコ地区を眺めています。

    これは対岸のサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂からサン.マルコ地区を眺めています。

  • 絵画を拡大します。サン.マルコ小広場前にヴェネツィア共和国の総督(ドージェ)が乗る、多数の艪を持つ大きなガレー船のブチントロが見えます。

    絵画を拡大します。サン.マルコ小広場前にヴェネツィア共和国の総督(ドージェ)が乗る、多数の艪を持つ大きなガレー船のブチントロが見えます。

  • ドゥカーレ宮殿の前の光景です。

    ドゥカーレ宮殿の前の光景です。

  • ここからはオランダ絵画の展示室です。<br />オランダ南部のメッヘレンで生まれたオランダの黄金時代の画家ダヴィド.ヴィンケボーンス(1576 - 1632)の1611年の作品「十字架を背負ったキリスト(ゴルゴタへの道)」です。この全景写真はこの美術館のウェブ.サイトからの借画です。

    ここからはオランダ絵画の展示室です。
    オランダ南部のメッヘレンで生まれたオランダの黄金時代の画家ダヴィド.ヴィンケボーンス(1576 - 1632)の1611年の作品「十字架を背負ったキリスト(ゴルゴタへの道)」です。この全景写真はこの美術館のウェブ.サイトからの借画です。

  • これは右側の群衆を拡大しました。<br />

    これは右側の群衆を拡大しました。

  • こちらは中央部です。十字架を担いで歩く赤い服のキリストが見えます。その右横に水色の衣装の聖ヴェロニカが聖顔布になる布をキリストに差し出しています。<br />

    こちらは中央部です。十字架を担いで歩く赤い服のキリストが見えます。その右横に水色の衣装の聖ヴェロニカが聖顔布になる布をキリストに差し出しています。

  • これは左側です。キリストの前方に、同時に磔にされる裸の二人が歩いています。手前で悲しむ青い服の女性はマリアでしょうか。

    これは左側です。キリストの前方に、同時に磔にされる裸の二人が歩いています。手前で悲しむ青い服の女性はマリアでしょうか。

  • ライデン生まれの画家レンブラント.ファン.レイン(1606 - 1669)の作品を以下6点掲載します。<br />これは1632/33年頃の作品で「十字架からの降ろされるキリスト」です。構成は、1612年にピーター.ポール.ルーベンスが制作した有名なアントワープ祭壇画に基づいています。しかし、この盛期バロック様式では、絶望的で痛烈なシーンに変わり、執拗なリアリズムでキリストの死を描写しました。

    ライデン生まれの画家レンブラント.ファン.レイン(1606 - 1669)の作品を以下6点掲載します。
    これは1632/33年頃の作品で「十字架からの降ろされるキリスト」です。構成は、1612年にピーター.ポール.ルーベンスが制作した有名なアントワープ祭壇画に基づいています。しかし、この盛期バロック様式では、絶望的で痛烈なシーンに変わり、執拗なリアリズムでキリストの死を描写しました。

  • これは1633年の作品「十字架の昇架」です。キリストに十字架で受難と死を受けさせた一人の罪人としての自分の贖いのために、十字架を持ち上げた作業員の一人として、レンブラントは絵の中央にいる青いローブの男で自分自身を描写しました。

    これは1633年の作品「十字架の昇架」です。キリストに十字架で受難と死を受けさせた一人の罪人としての自分の贖いのために、十字架を持ち上げた作業員の一人として、レンブラントは絵の中央にいる青いローブの男で自分自身を描写しました。

  • これは1635/39年頃の作品で「キリストの復活」です。レンブラントは、キリストが死を克服して墓から昇るという絵の伝統を無視し、福音書の記載に頼ります。天使が降りてきて、墓から石を持ち上げています。墓の中で、キリストは死の眠りから目覚めたかのように立ち上がっています。

    これは1635/39年頃の作品で「キリストの復活」です。レンブラントは、キリストが死を克服して墓から昇るという絵の伝統を無視し、福音書の記載に頼ります。天使が降りてきて、墓から石を持ち上げています。墓の中で、キリストは死の眠りから目覚めたかのように立ち上がっています。

  • こちらは1636年の作品「キリストの昇天」です。レンブラントの一連の画像の背後にある基本的な考え方は、神の子の人間性を強調することです。レンブラントは、ティツィアーノの最も有名な作品の1つであるヴェネツィアのフラーリ教会の聖母被昇天に基づいた構図で、地球、空、天国のイメージを作成しました。

    こちらは1636年の作品「キリストの昇天」です。レンブラントの一連の画像の背後にある基本的な考え方は、神の子の人間性を強調することです。レンブラントは、ティツィアーノの最も有名な作品の1つであるヴェネツィアのフラーリ教会の聖母被昇天に基づいた構図で、地球、空、天国のイメージを作成しました。

  • これは1636年に制作された「羊飼いの崇拝」です。キリストは貧しい厩舎で生まれ、好奇心と畏怖の念を持って幼子に近づく無垢な羊飼いによって崇拝されています。レンブラントは、光の巧妙な導きを通して、キリストと共に光が厩舎と世界の深い暗闇に入るという事を強調しています。<br />

    これは1636年に制作された「羊飼いの崇拝」です。キリストは貧しい厩舎で生まれ、好奇心と畏怖の念を持って幼子に近づく無垢な羊飼いによって崇拝されています。レンブラントは、光の巧妙な導きを通して、キリストと共に光が厩舎と世界の深い暗闇に入るという事を強調しています。

  • これは1636年の作品で旧約聖書の記述から描かれた「イサクの生贄」です。アブラハムは彼の一人息子を神に生贄として捧げる事にしました。しかし、最後の瞬間天使が現れ、神から与えられた信仰の試練を中止させます。

    これは1636年の作品で旧約聖書の記述から描かれた「イサクの生贄」です。アブラハムは彼の一人息子を神に生贄として捧げる事にしました。しかし、最後の瞬間天使が現れ、神から与えられた信仰の試練を中止させます。

  • ヘラルト.テル.ボルフ(1617-1681)の1655/58年頃の作品「受取拒否された手紙」です。好色な手紙を書いたり、受け取ったり、読んだりする場面は、オランダのジャンルの絵画で人気のあるモチーフでした。

    ヘラルト.テル.ボルフ(1617-1681)の1655/58年頃の作品「受取拒否された手紙」です。好色な手紙を書いたり、受け取ったり、読んだりする場面は、オランダのジャンルの絵画で人気のあるモチーフでした。

  • 同じヘラルト.テル.ボルフの1655年頃の作品「犬の蚤をとる少年」です。学校の制服を着た少年は、側の教科書を気にかける事なく献身的に動物の手入れをしています。 彼の粘り強い活動は、室内の清潔さ維持を象徴していますが、同時に怠慢に対して警告もしています。

    同じヘラルト.テル.ボルフの1655年頃の作品「犬の蚤をとる少年」です。学校の制服を着た少年は、側の教科書を気にかける事なく献身的に動物の手入れをしています。 彼の粘り強い活動は、室内の清潔さ維持を象徴していますが、同時に怠慢に対して警告もしています。

  • 狩りの情景や風景画、戦闘場面を描いたオランダ絵画黄金時代の画家フィリップス.ワウウェルマン(1619 - 1668)作の「アイス.リンクがある冬の風景」です。ハールレムの画家フィリップス.ワウウェルマンは、彼の低地平線のイメージ.デザインを通して、老いも若きも、貧し人も豊かな人も、氷の上の人物と喧騒を凝縮しています。

    狩りの情景や風景画、戦闘場面を描いたオランダ絵画黄金時代の画家フィリップス.ワウウェルマン(1619 - 1668)作の「アイス.リンクがある冬の風景」です。ハールレムの画家フィリップス.ワウウェルマンは、彼の低地平線のイメージ.デザインを通して、老いも若きも、貧し人も豊かな人も、氷の上の人物と喧騒を凝縮しています。

  • 拡大しました。お金持ちは馬でソリを引っ張らせています。

    拡大しました。お金持ちは馬でソリを引っ張らせています。

  • 17世紀のバロック期に活躍したオランダ、ライデン生まれのヤン.ステーン(1626 - 1679)の作品です。若い女性の患者の手にあるメモには、場面の解釈を与えています。「それは愛の痛みであるため、薬は役に立ちません」と書かれています。

    17世紀のバロック期に活躍したオランダ、ライデン生まれのヤン.ステーン(1626 - 1679)の作品です。若い女性の患者の手にあるメモには、場面の解釈を与えています。「それは愛の痛みであるため、薬は役に立ちません」と書かれています。

  • 動物や風景を描いた作品で知られているオランダの画家アドリアーン.ファン.デ.ヴェルデ(1636 - 1672)の1677年の作品「渡し船が働く風景」です。ファン.デ.ヴェルデはイタリアに行った事はありませんでしたが、イタリア南部の風景の牧歌的なシーンで大成功を収めました。この牧歌的な風景は、オールの端、帆の先端、おびえたアヒル、そしてボートの縁の間で、三角形の構成で人物を結びつけます。

    動物や風景を描いた作品で知られているオランダの画家アドリアーン.ファン.デ.ヴェルデ(1636 - 1672)の1677年の作品「渡し船が働く風景」です。ファン.デ.ヴェルデはイタリアに行った事はありませんでしたが、イタリア南部の風景の牧歌的なシーンで大成功を収めました。この牧歌的な風景は、オールの端、帆の先端、おびえたアヒル、そしてボートの縁の間で、三角形の構成で人物を結びつけます。

  • 肖像画と信心深い神話のシーンの熟練したオランダの画家アドリアン.ファン.デル.ウェルフ(1659 - 1722)の「エジプトへの逃避中の休憩」です。 珍しい特徴は、左隅でマリアの背後にいるヨセフが持つさくらんぼの枝です。クリスチャンの教えでは、桜は天国を象徴し、権利の報酬です。

    肖像画と信心深い神話のシーンの熟練したオランダの画家アドリアン.ファン.デル.ウェルフ(1659 - 1722)の「エジプトへの逃避中の休憩」です。 珍しい特徴は、左隅でマリアの背後にいるヨセフが持つさくらんぼの枝です。クリスチャンの教えでは、桜は天国を象徴し、権利の報酬です。

  • ここからはフランドル絵画の展示室の展示作品です。 <br />アントワープ生まれのフランドルの画家ダフィット.テニールス (子)(1610 ‐ 1690)の作品2点です。この画家は、農民の野外での祭りや祝賀の様子、酒屋や台所の風景など大衆的な題材で有名です。この絵は「宿屋」の光景です。

    ここからはフランドル絵画の展示室の展示作品です。
    アントワープ生まれのフランドルの画家ダフィット.テニールス (子)(1610 ‐ 1690)の作品2点です。この画家は、農民の野外での祭りや祝賀の様子、酒屋や台所の風景など大衆的な題材で有名です。この絵は「宿屋」の光景です。

  • こちらは「農家」の光景です。題名はこうなっていますが、宿屋も農家も同じ部屋のように見えますが?

    こちらは「農家」の光景です。題名はこうなっていますが、宿屋も農家も同じ部屋のように見えますが?

  • フランドル出身のバロック期の画家アンソニー.ファン.ダイク(1599 - 1641)の作品を以下に4点掲載します。イタリアでも活動したファン.ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られます。ファン.ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍しました。<br />これは1616/17年頃の作品「キリストの埋葬」です。

    フランドル出身のバロック期の画家アンソニー.ファン.ダイク(1599 - 1641)の作品を以下に4点掲載します。イタリアでも活動したファン.ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られます。ファン.ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍しました。
    これは1616/17年頃の作品「キリストの埋葬」です。

  • これは1628/1630年頃の作品で「キリストの嘆き」です。

    これは1628/1630年頃の作品で「キリストの嘆き」です。

  • これは1630年頃の作品で「風景の中の聖家族」です。

    これは1630年頃の作品で「風景の中の聖家族」です。

  • こちらは1631/32年頃の作品「聖母マリアと幼子キリストと子供の洗礼者ヨハネ」です。

    こちらは1631/32年頃の作品「聖母マリアと幼子キリストと子供の洗礼者ヨハネ」です。

  • バロック期のフランドルの画家で外交官でもあったピーテル.パウル.ルーベンス(1577 ‐ 1640)の作品を以下に5点掲載します。<br />これは1613/14年頃の作品「サン.ロレンツォの殉教」です。ルーベンスは、その複雑な内容のために19世紀まで最も高い評価を受けていたジャンルである歴史絵画に主に集中しました。サン.ロレンツォは、鉄網の上で火あぶりの刑で殉教しています。

    バロック期のフランドルの画家で外交官でもあったピーテル.パウル.ルーベンス(1577 ‐ 1640)の作品を以下に5点掲載します。
    これは1613/14年頃の作品「サン.ロレンツォの殉教」です。ルーベンスは、その複雑な内容のために19世紀まで最も高い評価を受けていたジャンルである歴史絵画に主に集中しました。サン.ロレンツォは、鉄網の上で火あぶりの刑で殉教しています。

  • これは1615/16年頃の作品「十字架のキリスト」です。

    これは1615/16年頃の作品「十字架のキリスト」です。

  • これは1616年頃の作品「キリストの埋葬」です。

    これは1616年頃の作品「キリストの埋葬」です。

  • これは1618年頃の作品「牛が群れる風景」です。ルーベンスは、その複雑な内容のために19世紀まで最も高い評価を受けていたジャンルである歴史絵画に主に集中しました。それにもかかわらず、彼はまた、オランダの絵画の伝統に影響されたいくつかの風景を描いています。樹木が豊富な風景の中で草を食む牛のテーマは、ピーテル.ブリューゲルにまで遡ります。

    これは1618年頃の作品「牛が群れる風景」です。ルーベンスは、その複雑な内容のために19世紀まで最も高い評価を受けていたジャンルである歴史絵画に主に集中しました。それにもかかわらず、彼はまた、オランダの絵画の伝統に影響されたいくつかの風景を描いています。樹木が豊富な風景の中で草を食む牛のテーマは、ピーテル.ブリューゲルにまで遡ります。

  • この1638年頃に制作された絵はマタイ福音書からの残酷な虐殺のシーンで、ルーベンスの傑作作品の一つです。

    この1638年頃に制作された絵はマタイ福音書からの残酷な虐殺のシーンで、ルーベンスの傑作作品の一つです。

  • 絵画の右側を拡大しました。

    絵画の右側を拡大しました。

  • 17世紀のフランドルとオランダで活躍したフランドルの画家アドリアーン.ブラウエル(1605 - 1638)の作品3点です。彼の絵画は、17世紀に大成功を収めたオランダの風俗画の一端を紹介しています。ブラウエルは、アルコールの悪影響を指摘するために使用した居酒屋と酒飲みの主題をほぼ独占的に描いていました。彼の絵は居酒屋生活の卑劣な側面を示しており、過剰に飲んだり喫煙したりするグロテスクな人物でいっぱいです。彼自身がこの環境に住んでいて、耽溺の生活を送っていたようです。そして彼は32歳のペストで亡くなりました。<br />この絵は「農民のカルテット」です。

    17世紀のフランドルとオランダで活躍したフランドルの画家アドリアーン.ブラウエル(1605 - 1638)の作品3点です。彼の絵画は、17世紀に大成功を収めたオランダの風俗画の一端を紹介しています。ブラウエルは、アルコールの悪影響を指摘するために使用した居酒屋と酒飲みの主題をほぼ独占的に描いていました。彼の絵は居酒屋生活の卑劣な側面を示しており、過剰に飲んだり喫煙したりするグロテスクな人物でいっぱいです。彼自身がこの環境に住んでいて、耽溺の生活を送っていたようです。そして彼は32歳のペストで亡くなりました。
    この絵は「農民のカルテット」です。

  • これは「居酒屋で乱闘しているカード.プレーヤー」です。

    これは「居酒屋で乱闘しているカード.プレーヤー」です。

  • これは「手術」です。

    これは「手術」です。

  • これ以降はヤン.ブリューゲル(父)(1568 - 1625)の作品です。<br />これは1598年の作品で「港で説教するキリスト」です。画面中央の群衆がガリラヤ湖で船上から説教しているキリストの方を向いている間、前景は騒々しい魚市場で満たされています。商人や平民や物乞い者などの間を、平日より華麗な服に身を包んだ貴族がこの日曜日の散歩を楽しんでいます。 宗教的なテーマは人々の日常生活に組み込まれています。

    これ以降はヤン.ブリューゲル(父)(1568 - 1625)の作品です。
    これは1598年の作品で「港で説教するキリスト」です。画面中央の群衆がガリラヤ湖で船上から説教しているキリストの方を向いている間、前景は騒々しい魚市場で満たされています。商人や平民や物乞い者などの間を、平日より華麗な服に身を包んだ貴族がこの日曜日の散歩を楽しんでいます。 宗教的なテーマは人々の日常生活に組み込まれています。

  • 画面中央を拡大しました。極小さくしか描かれていませんが、後光を放つ説教中のキリストが船の上に見えます。そして大勢の人々が説教を聞いています。

    画面中央を拡大しました。極小さくしか描かれていませんが、後光を放つ説教中のキリストが船の上に見えます。そして大勢の人々が説教を聞いています。

  • こちらは画面の中央から左に掛けての情景です。キリストの説教を聞く群衆から離れて、手前では魚が仕分けられ売られています。それを上流社会の人々が見つめています。

    こちらは画面の中央から左に掛けての情景です。キリストの説教を聞く群衆から離れて、手前では魚が仕分けられ売られています。それを上流社会の人々が見つめています。

  • 右下隅の情景です。<br />

    右下隅の情景です。

  • こちらは1603年の作品「大きな魚市場」です。この画家が高い視点から描いたこの街は、フランダースの故郷と彼が旅行中にスケッチすることができた印象の複合体です。写真の真ん中にはナポリのカステル.デッローヴォ(卵城)、右側にはローマのサン.ピエトロ大聖堂が描かれています。ブリューゲルは1590年から1596年までイタリアに滞在しました。

    こちらは1603年の作品「大きな魚市場」です。この画家が高い視点から描いたこの街は、フランダースの故郷と彼が旅行中にスケッチすることができた印象の複合体です。写真の真ん中にはナポリのカステル.デッローヴォ(卵城)、右側にはローマのサン.ピエトロ大聖堂が描かれています。ブリューゲルは1590年から1596年までイタリアに滞在しました。

  • 細部にわたり細かく描かれた人々を拡大します。これは左側の情景です。<br />左下

    細部にわたり細かく描かれた人々を拡大します。これは左側の情景です。
    左下

  • こちらは中央の情景です。最前列でちゃんとした服装のグループは、この画家の家族ではないかと言われています。

    こちらは中央の情景です。最前列でちゃんとした服装のグループは、この画家の家族ではないかと言われています。

  • 右側の情景です。少し遠くにいる浜辺の群衆を描いています。

    右側の情景です。少し遠くにいる浜辺の群衆を描いています。

  • 旧約聖書からのエピソードです。神はユダヤ人の預言者ヨナにニネベの町に行って預言するように命じます。ヨナは「主の臨在」から逃れるために、代わりにヤッファに行き、そこから船でターシッシュに行く事にしました。航海中、巨大な嵐が発生し、船員たちはそれが普通の嵐ではないことに気づき、ヨナに責任がある事を発見します。ヨナはこれを認め、彼が船外に投げ出された場合、嵐は止まると言います。ヨナを船外に投げ出すと、嵐は落ち着きます。ヨナは大きな魚に飲み込まれて奇跡的に救われ、その腹の中で3日3夜を過ごします。魚の中にいる間、ヨナは苦しみの中で神に祈り、感謝を捧げ、彼が誓った事を実行すると約束します。神はそれから魚にヨナを吐き出すように命じます。

    旧約聖書からのエピソードです。神はユダヤ人の預言者ヨナにニネベの町に行って預言するように命じます。ヨナは「主の臨在」から逃れるために、代わりにヤッファに行き、そこから船でターシッシュに行く事にしました。航海中、巨大な嵐が発生し、船員たちはそれが普通の嵐ではないことに気づき、ヨナに責任がある事を発見します。ヨナはこれを認め、彼が船外に投げ出された場合、嵐は止まると言います。ヨナを船外に投げ出すと、嵐は落ち着きます。ヨナは大きな魚に飲み込まれて奇跡的に救われ、その腹の中で3日3夜を過ごします。魚の中にいる間、ヨナは苦しみの中で神に祈り、感謝を捧げ、彼が誓った事を実行すると約束します。神はそれから魚にヨナを吐き出すように命じます。

  • ここからスペイン絵画の展示室からバルトロメオ.エステバン.ムリーリョ(1618 - 1682)の作品5枚です。これは1645年の作品で「葡萄とメロンを食べる男の子達」です。イタリアではカラヴァッジョがすでにしていたように、ムリーリョはセヴィーリャで浮浪児の&quot;悪ガキぶり&quot;を探求し始めました。この美術館には、ムリーリョがたまにしか描かず、既に18世紀には珍しい主題になっていたこのような風俗画が5点集められています。

    ここからスペイン絵画の展示室からバルトロメオ.エステバン.ムリーリョ(1618 - 1682)の作品5枚です。これは1645年の作品で「葡萄とメロンを食べる男の子達」です。イタリアではカラヴァッジョがすでにしていたように、ムリーリョはセヴィーリャで浮浪児の"悪ガキぶり"を探求し始めました。この美術館には、ムリーリョがたまにしか描かず、既に18世紀には珍しい主題になっていたこのような風俗画が5点集められています。

  • こちらは1655/60年頃の作品で「家庭の化粧室」です。

    こちらは1655/60年頃の作品で「家庭の化粧室」です。

  • こちらは1670/75年頃の作品で「果物の小さな売り手」です。

    こちらは1670/75年頃の作品で「果物の小さな売り手」です。

  • これは1675/80年後の作品で「サイコロで遊ぶ男の子達」です。

    これは1675/80年後の作品で「サイコロで遊ぶ男の子達」です。

  • これは1675/82年頃の作品で「パイを食べる子供達」です。<br />世俗的な主題の中でムリーリョのお気に入りのテーマの1つは、セルバンテスの小説の中の「バスケットの少年」の描写です。そのような男の子達はセヴィーリャの街中を使いで走り周ったり、市場で食べ物を売ったり、市場から家まで買い物客のために食べ物を運んだりしました。服で示されているように、これらは貧しい少年達です。ムリーリョの子供たちの絵ではいつものように、彼らは貧しいですが悲しがってはいません、彼らは笑っています。

    これは1675/82年頃の作品で「パイを食べる子供達」です。
    世俗的な主題の中でムリーリョのお気に入りのテーマの1つは、セルバンテスの小説の中の「バスケットの少年」の描写です。そのような男の子達はセヴィーリャの街中を使いで走り周ったり、市場で食べ物を売ったり、市場から家まで買い物客のために食べ物を運んだりしました。服で示されているように、これらは貧しい少年達です。ムリーリョの子供たちの絵ではいつものように、彼らは貧しいですが悲しがってはいません、彼らは笑っています。

  • 最後はフランス絵画の展示室からの1点です。<br />この絵はロココを代表する画家フランソワ.プーシェ(1703 - 1770)作の1756年の作品「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」です。ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット.ポワソンは、ルイ15世の公妾でした。王が惹きつけられた彼女の知的能力により、彼女はすぐに宮廷で卓越した地位を獲得しました。公妾たるその立場を利用してフランスの政治に強く干渉し、七年戦争ではオーストリア、ロシアの2人の女帝と組んでプロイセンとイギリスに対抗しました。

    最後はフランス絵画の展示室からの1点です。
    この絵はロココを代表する画家フランソワ.プーシェ(1703 - 1770)作の1756年の作品「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」です。ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット.ポワソンは、ルイ15世の公妾でした。王が惹きつけられた彼女の知的能力により、彼女はすぐに宮廷で卓越した地位を獲得しました。公妾たるその立場を利用してフランスの政治に強く干渉し、七年戦争ではオーストリア、ロシアの2人の女帝と組んでプロイセンとイギリスに対抗しました。

  • 2時にアルテ.ピナコテク美術館を出ました。今日は水曜日なので反対側にあるノイエ.ピナコテクは残念ながら休館です。美術館の近くにあり、以前にも入ったレストランの Brasserie Tresznjewski に入りました。トリップ.アドバイザーの評価で、ミュンヘンのレストラン3,100軒中で637位です。<br />

    2時にアルテ.ピナコテク美術館を出ました。今日は水曜日なので反対側にあるノイエ.ピナコテクは残念ながら休館です。美術館の近くにあり、以前にも入ったレストランの Brasserie Tresznjewski に入りました。トリップ.アドバイザーの評価で、ミュンヘンのレストラン3,100軒中で637位です。

  • 先ずは飲み物ですが、ジジは水、ババはビールです。

    先ずは飲み物ですが、ジジは水、ババはビールです。

  • 暖かいスープを一人づつです。

    暖かいスープを一人づつです。

  • そして、ミュンヘンで有名な白ソーセージを二人で分けました。

    そして、ミュンヘンで有名な白ソーセージを二人で分けました。

  • 帰りは美術館前から市電に乗車し、カールス.プラッツで乗り換えて中央駅まで市電で行きました。これは中央駅で鉄道雑誌を買うためでした。S-バーンは、カールス.プラッツから乗車できます。

    帰りは美術館前から市電に乗車し、カールス.プラッツで乗り換えて中央駅まで市電で行きました。これは中央駅で鉄道雑誌を買うためでした。S-バーンは、カールス.プラッツから乗車できます。

  • 4時前10分になりました。S-バーンの中央駅地下ホームでは、階段近くで駆け込み客の規制のためと案内のためか駅員が特別に配置されていました。

    4時前10分になりました。S-バーンの中央駅地下ホームでは、階段近くで駆け込み客の規制のためと案内のためか駅員が特別に配置されていました。

  • 4時40分、ミュンヘン空港に戻ってきました。ホテルでスーツ.ケースを受け取り空港に入りました。フライトのチェック.インはウェブ.サイトで済んでいますが、スーツ.ケースを送り出す作業があります。荷物のタグを印刷させてスーツ.ケースに付け、ベルトコンベヤーに載せます。後はゆっくり土産物の買い物で時間を使いました。

    4時40分、ミュンヘン空港に戻ってきました。ホテルでスーツ.ケースを受け取り空港に入りました。フライトのチェック.インはウェブ.サイトで済んでいますが、スーツ.ケースを送り出す作業があります。荷物のタグを印刷させてスーツ.ケースに付け、ベルトコンベヤーに載せます。後はゆっくり土産物の買い物で時間を使いました。

  • 帰りのフライトは、ANAのNH218便で20時発、羽田に翌日の現地時間午後2時40分着になります。<br />

    帰りのフライトは、ANAのNH218便で20時発、羽田に翌日の現地時間午後2時40分着になります。

  • 20時15分動き始めました。夜のミュンヘン空港第2ターミナルです。

    20時15分動き始めました。夜のミュンヘン空港第2ターミナルです。

  • 今春の旅では、この帰り便はビジネス.クラスを利用しました。マイレージで取得した特別航空券です。<br />離陸後40分で夕食のサービスが始まりました。暫く振りの日本食です。

    今春の旅では、この帰り便はビジネス.クラスを利用しました。マイレージで取得した特別航空券です。
    離陸後40分で夕食のサービスが始まりました。暫く振りの日本食です。

  • 離陸から9時間弱で朝食です。

    離陸から9時間弱で朝食です。

  • 木更津市の陸上自衛隊 木更津駐屯地が見えています。

    木更津市の陸上自衛隊 木更津駐屯地が見えています。

  • 午後3時丁度、羽田空港に着陸しました。今回の欧州5カ国30日の旅にも特別な事件が発生しました。途中で計画変更を余儀なくされ、ブリュッセルとパリの宿泊がキャンセルされ、アントワープの再訪もできませんでした。しかし、傷も何とか克服し無事に帰国できました。これから次の旅の計画です。

    午後3時丁度、羽田空港に着陸しました。今回の欧州5カ国30日の旅にも特別な事件が発生しました。途中で計画変更を余儀なくされ、ブリュッセルとパリの宿泊がキャンセルされ、アントワープの再訪もできませんでした。しかし、傷も何とか克服し無事に帰国できました。これから次の旅の計画です。

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