2019/02/26 - 2019/03/29
48位(同エリア172件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回も絵画鑑賞が主な目的です。
この9回目の旅行記は、ロンドンの東海岸のハリッジからフェリーでオランダ、フク.ファン.ホラント経由でデン.ハーグに移動し、デルフトを散策した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 船
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヨーロッパ大陸時刻朝6時半です。フク.ファン.ホラント到着まで1時間半になりました。朝食に行きます。デッキ10の客室通路です。本船は客室はデッキ10と11で、レストランなどのサービス施設はデッキ9、デッキ1から8までの広いスペースが車両格納スペースです。
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デッキ10の階段室です。
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「テイスト」との名のレストランで、前もって予約していたビュッフェ朝食です。
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5時半から開いているそうですが、ガラガラです。車もあまり積まれていないのでしょうか。
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ビュッフェの食品の種類は多くありません。
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後ろに何人か食事をしています。この分だと入国手続きもスムーズに済ませられるでしょう。
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7時33分、ロッテルダムに通ずる水路に侵入しました。フク.ファン.ホラントはこの水路の入り口にあります。
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水路の北側、本船の左舷側に接岸する岸壁が見えてきました。
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接岸15分前です。飛行場よりは長い可動式の乗降通路です。
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2015年春に、オランダのアムステルダムからイギリスのニュー.カッスルまで乗船したフェリーの船社、デンマークのシー.ウェイズ社のフェリーが航行しています。"DFDS"の表示と青地に白十字のファンネル.マークが目印です。
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定時の8時に着桟しました。下船もスムーズでした。桟橋の通路からの見た船尾の方向です。
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こちらは船首の方向です。
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この閑散とした旅客乗下船施設ですが、夏場は混雑するのでしょう。
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この超大型フェリー、よく見ると車両が上下2段の可動通路で同時に降ろされています。更にその上の屋上にもトラックが積載されているのが見えます。この屋上にも同じように陸上から可動通路が接続されるのでしょう。いや船内で下のデッキに下りるようです。
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このスーパー.フェリーの断面図です。デッキ1から8までが車収容場所です。その場所に立ち入ってはいませんが、この図から推察すると車は船内でデッキ間で下りたり上がったりして移動が出来るようです。そして車の積み込みや卸しは、上の写真のように2階建ての可動通路で行われるのでしょう。
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本来は、ここから鉄道で出発できるのですが、近代化工事中のようで、バスでの代行輸送になっていました。
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20分ほど待ってバスに乗りました。このバスは、ロッテルダムのスキーダム.セントラムまで走ります。道路の脇には、ずーと大きな温室が並んでいます。同じバスに乗っていた、先ほどのフェリーで勤務していた人に聞くとチューリップを育ているそうです。
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バスはロッテルダム近くになり自動車専用道路を下ります。
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スキーダム.セントラムで鉄道に乗り換えました。9時17分発でデン.ハーグ.HS駅に15分で着きます。
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懐かしのデン.ハーグ.HS駅に着きました。デン.ハーグには2015年春に2泊しました。
ところで、今回のロンドンからの移動ですが、ロンドンのリヴァプールストリート駅からハリッジまでの鉄道料金とフク.ファン.ホラントからアムステルダムまでの鉄道料金もフェリーの料金に含まれていました。但し、我々はデン.ハーグで途中下車したので以遠は無効になりました。 -
この駅前から国会議事堂や総理府などがあるビネンホフの方向に走る1番の市電に乗車します。この路線の電車は、床が高い旧型電車なのでスーツケースを持ち上げて乗り込むのが大変でした。
市電やバスの乗車券は、1回券が4ユーロ、1日券が7.10ユーロです。今日はデルフトに行く予定なので1日券を買いました。 -
早とちりで、一駅手前のデン.ハーグ.セントラムで下車したので余計に歩くことになリました。この辺りはビネンホフの手前で繁華街になります。
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10時にホテルに着きました。当然部屋の準備ができていないという事で、スーツ.ケースを預けデルフトに向かいます。1番の市電は長距離になるデルフトにも行きます。この停留所はホテルに最も近くビネンホフにも近いデン.ハーグ.クナイターダイクです。
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停留所の屋根はガラス製で、磨りガラスに何か模様が描いてあります。
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市電に乗ってすぐ左に、ビネンホフの北側にあるホフフェイファの池が見えます。写真の右手がビネンホフの建物群です。
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25分ほどでデルフトにつきました。デルフト鉄道駅の一つ手前のプリンセンホフで市電を下車しました。このフーニクス通りの北の方向にデ.ロース風車が見えています。このフーニクス通りは、古図によると旧市街を守る西側の掘を埋めたようです。
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これは観光案内図で掘割に囲まれていた旧市街を案内しています。我々は,、Aのプリンセンホフから旧市街に入り、近くの旧教会を訪れBのマルクト広場でゆっくりします。そしてCの東門に歩いて行きます。
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デルフト.プリンセンホフ博物館に向かって旧市街に入って行きます。大きな木の枝の隙間に旧教会の尖塔が見えます。
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この街灯の柱はデルフト焼きの磁器製の筒で覆われています。左手の建物がデルフト.プリンセンホフ博物館です。15世紀に建てられた女子修道院で、後ウィレム1世の館になったそうです。
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プリンセンホフ博物館の左横を歩いて行きます。左の自転車が無いと素敵な写真になりそうですが。
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反対方向の写真です。
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アウデ.デルフト運河に出ました。運河を東側に渡り旧教会前から南に運河沿いを少し歩きます。右側が運河の西側になります。"アウデ"は、オランダ語で"古い"という意味だそうです。
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運河の西側の味のある家並みです。早春で木々の葉が無い状態なので見通しが良いです。
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こちらは真正面に木が3本もあり、枝だけでも邪魔になります。せっかくの興味ある家屋なのに。
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旧教会前に戻って来ました。
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2016年秋に北欧、バルト諸国を旅した時にオスロの国立美術館で撮影した絵画です。オランダのバロック時代の画家ヤン.ファン.デル.ヘイデン(1637-1712)の1675年の作品です。こちらはアウド.デルフト運河の反対側から旧教会の南面を見ています。
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旧教会(Oude Kerk)に入りました。この教会は1246年に聖バルトロメオ教会として完成しました。ゴシック.プロテスタント教会と説明されているようですが、内部はゴシックではなくロマネスク様式に見えます。ファサード側から内陣の方向に望んでいます。
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1857年製のパイプ.オルガンです。ファサードの背面に設置されています。
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簡素な主祭壇です。この教会は左右対称に建設されてなくて、左側廊は左翼廊を超えて前方まで付属していますが、右側廊は敷地の関係か幅も狭く、途中までになっています。それで内陣も、何かぎこちない形になっています。
主祭壇後ろのステンド.グラスの場面は、上から、「良き羊飼い」、「パリサイ人と公民」、「奇跡の魚の捕獲」、「ぶどう畑の労働者」だそうです。 -
現在のステンド.グラスの窓は、20世紀前半にマスターのガラス職人ジョープ.ニコラ(Joep Nicolas)によって製作されたものだそうです。
このステンドグラスの絵は、「聖堂の再建」だそうです。興味深い建設現場のシーンす。 -
左翼廊のステンドグラスです。"Water Board window"と説明されている窓です。場面は、モーゼのエジプト脱出で葦の海の奇跡の後、イスラエルの民は荒野の旅で苦労します。水や食料が無かったのです。そこでモーゼの新たな奇跡です。モーゼが杖で岩を打つと水がほとばしり出て、民は喉を潤しました。
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左側廊の西端、ファサード裏側にあるステンドグラスです。説明だと英語で"William the Silent window"。すなわち「無口なウィレム」の窓です。
「無口なウィレム」とは、オランダのウィレム1世、オラニエ家の王子(1533-1584)の事で、スペインのハプスブルク家に対する反乱となる80年戦争、またはオランダ独立戦争(1568-1648)を開始した主要な指導者でした。そして1581年に統一州の正式な独立をもたらしました。彼は1544年にオラニエ家の王子になり、オランダの君主制の祖となりました。オランダでは、彼は祖国の父としても知られています。 -
教会内に展示してあった海戦の絵画です。この絵はコピーのようで、オリジナルは、アムステルダムの国立博物館にあるオランダの海洋景観を主に、一般風景画家のヤン.アブラハムシュ.ビアストラーテン(1622-1666?)作の「テルハイドの戦い」です。
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こちらが、2015年4月に訪れた際に撮影したヤン.アブラハムシュ.ビアストラーテンの作品です。画家は実際の海戦の現場で小船に乗り観戦していたそうです。
1652年から1674年の間に、イギリスとの戦争、いわゆるアングロ.オランダ戦争が起こりました。 この絵は、1653年8月10日のテルハイドの戦いを表しています。絵の中央では、マーテン.ハーペルツ.トロンプ提督が指揮するオランダ艦隊で最大の艦ブレデローデがイギリス艦に砲撃しています。 オランダ共和国は戦いに勝利しましたが、致命傷を負った指揮官トロンプを失いました。 -
旧教会を出ました。アウデ.デルフト運河西側の建物です。赤いレンガに白色の石の横線、大きな白色の窓枠、小さなガラスに小分けされた窓ガラスなどオランダらしい外観の家屋です。
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これから旧市街の中心地であるマルクト広場に向かいます。旧教会を振り返ります。この写真のように、旧教会の塔は少し傾いています。建設中から傾き始めたそうで、建設の最後になる搭上の中央も含め5本の尖塔は真っ直ぐに建てられたそうです。ピサの斜塔も建設中から傾き始めたので、上に建設が進むに連れ少しづつ水平面の習性が行われています。
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運河沿いの道を左に曲がってニーウ通りに入ると正面に新教会の塔が見え始めました。
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アウデ.デルフト運河の内側にある運河を渡ります。運河の左側に旧教会の後部が見えています。
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ニーウ通りの途中、左側に"VISBANKEN"という名の海鮮レストランがあり、その横に鮮魚店がありました。
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"VISBANKEN"の対面で通りの角にある建物です。アンティーク.ショップのようです。
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市庁舎の建物の北面です。
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マルクト広場で、右に写っている市庁舎と反対側の東の端にある新教会です。
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市庁舎の南面です。良い天気ですが、雲はあり、日が陰る事があり、写真撮影に注意が必要です。赤い窓の覆い扉が印象的です。
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広場南側の家並みです。中央の建物は、デルフト焼きの磁器のお店で、右隣りの白い建物はチーズ屋さんです。後で買い物に戻るつもりです。
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新教会前から市庁舎の方向を望みます。マルクト広場は、その名の通りオープンマーケットが開かれています。
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市庁舎の建物の上部です。建物は1536年の大規模な都市火災を生き延びましたが、1618年に焼失しました。その後、1618~1620年にオランダのルネサンス様式で再建されました。中央に聳える塔は、1300年頃に建てられたものが火災にも生き延びた部分だそうです。
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新教会に入りました。この教会は、14世紀に聖ウルスラ教会とし建てられました。教会内部には、オラニエ家代々の人々が葬られています。教会は、側廊から飛び出た翼廊は無く交差廊部分のみで、身廊と左右の側廊が長く続いています。ファサード側から内陣を望んでいます。
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内陣を拡大しました。非常に簡素に造られています。
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内陣の中央には、オラニエ家のウィレム1世の豪華な霊廟が造られています。
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教会の天井は、このように半円筒状の木造になっています。
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拡大してみました。円筒状に貼られた板には抽象的な模様が描かれ、板を支える木材は僅かな加工のみです。
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ステンド.グラスの1例です。
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ウィレム5世の末っ子のウィレム.ジョージ.フレデリック(1774-1799)の墓碑です。彼はイタリアのパドヴァで奉仕中に熱病で亡くなりました。当初パドヴァに埋葬されましたが、死後97年にこの新教会に遺体が移されました。この墓碑は、1807年にイタリアの著名な彫刻家アントニオ.カノーヴァ(1757-1822)に制作注文したもので、遺体と一緒に移されました。
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内陣前からファサード方向を望みます。ファサードの背面に設置されたパイプ.オルガンは1837年に完成し、3千本のパイプで構成されています。
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17世紀前半のオランダの画家で、レンブラントのもっとも才能ある弟子の一人と言われたカレル.ファブリティウス(1622-1654)が1652年に制作した作品で、「デルフトの風景」と題されています。この絵はロンドンのナショナル.ギャラリーに展示してあります。新教会を後方から眺めていて、前方遠くに、マルクト広場を超えて市庁舎が小さく描かれています。
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新教会を出てマルクト広場の運河を挟んで北側にあるフェルメール.センターに入りました。ここは、彼も所属したデルフトの画家ギルドがあった場所です。ここでは、実物の絵画の展示はなく、写真のコピーで全作品が詳細に説明されていました。
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内部の様子です。
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マルクト広場の北側にも運河があります。
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今日は風が大変強く吹いていて、このように自転車も倒されていました。
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飛んできたポリ袋も街灯に引っかかっています。
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広場に戻ってきました。広場の南側を望みます。尖塔が見える建物は、マリア.ファン.イェッセ教会です。
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新教会の鐘塔を見上げます。この鐘塔は、高さ109mで379段の階段を登れば、眺望が最高との事でしたが、高齢者の我々には無理と考え諦めました。今思えば、せっかく天気が良かったのに残念です。
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お土産にオランダのチーズを買いました。まだ3週間近く旅が続くのに、荷物になりますが、いつも食べるイタリアのチーズ、パルミジャーノ.レッジャーノと比べます。
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親切に説明してくれた民族衣装の店員さんです。
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牛、ゴート、羊の乳から作られた熟成チーズです。
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4種の味のマスタードです。
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市庁舎にちょっと入ってみました。この市庁舎では結婚式も行われるそうです。
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市庁舎の窓から見た新教会の鐘塔です。
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外に出ました。市庁舎の前から新教会の方向を広角レンズで撮りました。右にマリア.ファン.イェッセ教会が見えます。
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少しカメラを左に振りました。
これからオーストエインデ運河に沿って東門に向かいます。東門付近の風景が、有名なフェルメールの絵画「デルフトの眺望」に面影が似ているという事で訪れます。 -
運河沿いの道路は車庫として使われています。道路そのものが細いので、このように運河すれすれに停めています。この車は左ハンドルですので、車から降りる余裕を持たせて停めているようです。
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こちらは後輪が落下しそうです。これでは助手席側から降りるほかないですね。
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反対側の道路も同じです。この人は丁度降りるところでした。前後がこのように街路樹に挟まれた狭い場所にうまく停めています。車の運転手側を運河に接して停めるようにしているのは、運河側がミラーではなくて直接目で確かめられるからでしょう。
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東門(Oostpoort)が見えてきました。
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東門はデルフトで唯一残っている城門だそうです。門は1400年頃に建てられ、塔は16世紀に追加されました。
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門の外に出ました。手前の白い跳ね橋、オーストポールトブルグは1514年に建てられ、門と同様に国の記念碑でもあります。この跳ね橋は、行き止まりになっている運河を跨いでいます。長崎のハウステンボスのテーマパークには、まだ行ったことはありませんが、オーストポールトとこの跳ね橋のレプリカがあるそうです。
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東門を出るとオーストエインデ運河はより大きなラインシー運河に繋がります。ロッテルダムから河川バージも遡って来るようです。野鳥の親子を見つけました。可愛い!
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東門の南東の方角にラインシー運河を跨ぐ新オーストポールトブルグが見えました。"オースト"、"ポールト"、"ブルグ"は、オランダ語でそれぞれ"東"、"門"、"橋"だそうです。オランダ語もドイツ語のように、いくつかの単語を繋げて長い単語にしています。
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ジジは一人新オーストポールトブルグを渡りました。橋の南側になります。この橋は回転橋のようで、その運転室が左側に写っています。
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大きなバージが近ずいてきました。回転橋が回転を始めます。
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この2枚の写真はネットから見つけてきました。
対岸に移る手前、橋の南側からの撮影で、橋の通行ができる通常の状態です。橋の右に運転室が見えます。橋は、運転室寄りにある支点を中心に回転します。橋の両側には、鉄道の踏切のように遮断機が設置してあります。 -
こちらは船の航行のために橋を手前に回転させて、対岸に畳み込んだ状態です。
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橋が畳み込まれ船が通過していきます。この直前に事故が発生しました。対岸に渡っていたジジが通過する船も写真を撮るために、遮断機の内側にいました。突然大声で外に出るように言われ、大急ぎで下がり始めた遮断機を潜ろうとしましたが、足が追いつけず前方に転び、額から地面に激突しました。その時、右手はカメラを支え、左手に本を持っていました。すぐに運転室から人が出てきて助け出してくれました。ババは、橋を渡っていなかったので、対岸で何が起こったのか案じながら橋がもと通りになるのを待っていました。直ぐに救急車を呼んでくれてババと一緒に病院に運んでくれました。
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額に大きな裂傷を負い、出血もありましたが、幸い意識には問題なく、手足も動くので救急車では担架ではなく座席に座りました。車内では人物情報の収集が行われました。住所や姓名などもローマ字で欠かされました。これは意識や体に異常がない事の確認でもあります。
こちらが、事故現場と運び込まれた救急病院のライニール.デ.フラーフ病院の位置です。欧州の救急車は、大きな警報音で高速で走りますが、ジジの場合は、そう緊急性がないと判断したのか、それほど急いでいた記憶はありません。 -
事故は午後2時半でした。これから4時間あまり救急治療を受けました。先ず医療助手による事情聴取です。そして専門分野ごとの医者による診察と治療です。頭に異常が発生していなかを調べるCT検査、地面に激突しているので破傷風予防の注射、そして額の縫合です。
こちらは、救急治療棟の待合室で4時間近く待たされたババです。当日は救急で運び込まれた人は少なく、それも重傷者はいなかったようです。 -
この若い女性のお医者さんが、ジジの額を14針縫ってくれました。とても優しく親切な女医さんでした。抜糸は6日後と言われ、次の病院での治療のために治療詳細の書類を作成してくれました。6日後というと計画ではパリ滞在中です。
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午後7時前5分です。いつの間にか日が暮れていました。治療費は後日精算という事で取りあえず請求された250ユーロをクレジット.カードで支払いました。デルフト駅まで、そう待つ事なく市バスで行けると教えられバス停を探します。この写真は普通の診療希望者向けの入り口です。左側に救急治療室の入り口があり、バス停は右側の道路沿いにあります。
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"Spoedpost"の表示が救急入り口です。
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ライニール.デ.フラーフ ゲストハウスのバス停です。3方向からバスがデルフト駅に行くようです。そしてほどなくバスがきました。デン.ハーグで買った1日券は市電には有効ですが、デルフトのバスは別運賃でした。
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デルフト駅で市電に乗り換えホテル近くまで乗車しました。ジジは縫合した左側の額の痛みはありませんでしたが、左目の周りは青く腫れ上がり開き難い状態でした。
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無事にホテル.インディゴ.デン.ハーグに戻ってきました。受付の女性は、朝の女性とは別人でしたが、ジジの顔を見て大変驚いていました。
部屋は1階で天井が非常に高く広めのベッド.ルームでした。建物はもともと銀行として建てられたそうです。 -
大きめのバスタブもありました。
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とても小さい洗面台を超えて、バスタブと反対側にシャワー.ルームもありました。
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適切な硬さのダブル.ベッドです。ベッドの右側には金庫のような物入れがありました。銀行時代の遺物でしょうか。
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左に部屋の扉、右にテーブルです。
早速持参の食料でお腹を満たし今後の事を考えました。予定では、デン・ハーグに2泊、ブリュッセル3泊、パリ2泊でした。とりあえずブリュッセルの3泊をキャンセルしデン・ハーグをその分延長する事にしました。次第によってはパリもキャンセルするつもりです。幸いな事に、ブリュッセル3泊、パリ2泊共に違約金なしのキャンセルが可能でした。 -
この事故でジジの被害の他は、カメラはボデーへの激突の切削傷とレンズ.フィルターの枠の変形だけで済み、以後の撮影には支障はありませんでした。画面の歪みたボケ等も、拡大しても問題は発見されませんでした。今も特に検査、修理には出していません。
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眼鏡も、左側に微かな擦り傷ができた位で、歪みもありませんでした。
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