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2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。<br /><br />この26回目の旅行記は、ヴェネツィアでゆっくりしました。ヴェネツィアには、1975年に新婚旅行で、1981年に家族旅行で、そしてジジの定年退職後7回目の旅行になります。<br /><br />全体の旅程の概略です。<br />★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。<br />★ 2月28日 バーミンガム泊。<br />★ 3月1~2日 リバプール泊。<br />★ 3月3日 チェスター泊。<br />★ 3月4~5日 ロンドン泊。<br />★ 3月6日    船中泊<br />★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊<br />★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊<br />★ 3月15~16日 ナポリ泊。<br />★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。<br />★ 3月20~22日 シエナ泊。<br />★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。<br />★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。<br />★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。

シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (26)晴天の下ヴェネツィアでのんびりです(3月24日)

22いいね!

2019/02/26 - 2019/03/29

830位(同エリア3932件中)

さわ子さん

2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。

この26回目の旅行記は、ヴェネツィアでゆっくりしました。ヴェネツィアには、1975年に新婚旅行で、1981年に家族旅行で、そしてジジの定年退職後7回目の旅行になります。

全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日    船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。

旅行の満足度
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 日の出前の午前6時半です。ホテルの部屋から外を眺めています。南東の方向は明るくなっています。水平線の左右に長くリド島が見えています。<br /><br /><br />

    日の出前の午前6時半です。ホテルの部屋から外を眺めています。南東の方向は明るくなっています。水平線の左右に長くリド島が見えています。


  • 南西の方向に、ライトに照らされたサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂が見えます。その左隣は、この島にあるヨット.ハーバーです。<br /><br />

    南西の方向に、ライトに照らされたサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂が見えます。その左隣は、この島にあるヨット.ハーバーです。

  • 西北西の方向です。左端のサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂は照明が消されているので闇の中です。サン.マルコ広場も夕方に比べると照明が少なくなっています。サン・マルコ大聖堂の鐘楼は、照明が全く当たっていませんが、写真の中央に微かに判別できます。<br />

    西北西の方向です。左端のサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂は照明が消されているので闇の中です。サン.マルコ広場も夕方に比べると照明が少なくなっています。サン・マルコ大聖堂の鐘楼は、照明が全く当たっていませんが、写真の中央に微かに判別できます。

  • 6時45分です。明るくなってきました。右手にアルセナーレ乗下船場が見えています。その前に照明をつけたヴァポレットが行き来しています。<br />

    6時45分です。明るくなってきました。右手にアルセナーレ乗下船場が見えています。その前に照明をつけたヴァポレットが行き来しています。

  • サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。照明は消されました。<br />

    サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。照明は消されました。

  • 7時10分になりました。北西の方向を広く眺めています。太陽が出たばかりで位置も低いので、ホテルの近くは東側のカステッロ地区の街並みに遮られ日陰のままです。<br />

    7時10分になりました。北西の方向を広く眺めています。太陽が出たばかりで位置も低いので、ホテルの近くは東側のカステッロ地区の街並みに遮られ日陰のままです。

  • 西南西の方向です。左にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、中央遠くに小さくサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂、右側にサン.マルコ広場の鐘楼が朝日に輝いています。

    西南西の方向です。左にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、中央遠くに小さくサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂、右側にサン.マルコ広場の鐘楼が朝日に輝いています。

  • サン.マルコ広場の鐘楼を中央に少し拡大しました。鐘楼の右側にサン.マルコ寺院の5本の尖塔が見えています。サン.マルコ寺院の鐘楼の左側遠くに高くサント.ステファーノ教会の鐘楼が、その左隣り手前にサン.モイゼ教会の鐘楼が見えています。

    サン.マルコ広場の鐘楼を中央に少し拡大しました。鐘楼の右側にサン.マルコ寺院の5本の尖塔が見えています。サン.マルコ寺院の鐘楼の左側遠くに高くサント.ステファーノ教会の鐘楼が、その左隣り手前にサン.モイゼ教会の鐘楼が見えています。

  • 朝日に輝くサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。左側奥に、木に囲まれたラ.グラツィア島、その更に奥に、光り輝く大きな建物が見えるサン.クレメンテ島です。この建物は、元修道院で現在は5星の高級ホテル、サン.クレメンテ.パレス.ケンピンスキー.ヴェニスです。その修道院の教会の鐘楼も見えています。

    朝日に輝くサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。左側奥に、木に囲まれたラ.グラツィア島、その更に奥に、光り輝く大きな建物が見えるサン.クレメンテ島です。この建物は、元修道院で現在は5星の高級ホテル、サン.クレメンテ.パレス.ケンピンスキー.ヴェニスです。その修道院の教会の鐘楼も見えています。

  • 本島の外側を走り、ムラーノ島と連絡するヴァポレット4.2番線です。4.2番線は時計回りに運航しています。4.1番線は反時計回りです。船はグラ.ンカナルを走る船と違い、少し小型で速度が出やすいスリムな船型です。

    本島の外側を走り、ムラーノ島と連絡するヴァポレット4.2番線です。4.2番線は時計回りに運航しています。4.1番線は反時計回りです。船はグラ.ンカナルを走る船と違い、少し小型で速度が出やすいスリムな船型です。

  • 7時20分になりだいぶ明るくなりました。東から西にカメラを振ります。

    7時20分になりだいぶ明るくなりました。東から西にカメラを振ります。

  • サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂を拡大しました。

    サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂を拡大しました。

  • こちらはサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。

    こちらはサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。

  • 右端にサン.マルコ寺院の鐘楼が、その鐘楼の左側遠くに高くサント.ステファーノ教会の鐘楼が、その左隣り手前にサン.モイゼ教会の鐘楼が見えています。

    右端にサン.マルコ寺院の鐘楼が、その鐘楼の左側遠くに高くサント.ステファーノ教会の鐘楼が、その左隣り手前にサン.モイゼ教会の鐘楼が見えています。

  • 9時半です。今日はグラン.カナルでアッカデミア橋とリアルト橋の間にあるカ.レッツォニコに行きます。せっかくヴァポレット3日券を持っているのでアルセナーレから一区間を4.2番線の船でサン.ザッカリアまで行き、グラン.カナルを走る1番の船に乗り換えます。

    9時半です。今日はグラン.カナルでアッカデミア橋とリアルト橋の間にあるカ.レッツォニコに行きます。せっかくヴァポレット3日券を持っているのでアルセナーレから一区間を4.2番線の船でサン.ザッカリアまで行き、グラン.カナルを走る1番の船に乗り換えます。

  • ヴァポレットの船着場のアルセナーレとホテルの間にある水路に架かる橋から奥にあるアルセナーレ海軍基地を望みます。<br />2007年にヴェネツィアを初めて3連泊して訪れた際に参考にした、1994年発行のとんぼの本「ヴェネツィア案内」によると、52番のヴァポレットがこの水路を当時運航していると書かれています。

    ヴァポレットの船着場のアルセナーレとホテルの間にある水路に架かる橋から奥にあるアルセナーレ海軍基地を望みます。
    2007年にヴェネツィアを初めて3連泊して訪れた際に参考にした、1994年発行のとんぼの本「ヴェネツィア案内」によると、52番のヴァポレットがこの水路を当時運航していると書かれています。

  • この後5枚の写真は2016年2月の旅で撮影した写真です。<br />これが宿泊するホテル.ブチントロです。我々が毎回泊まる部屋は矢印の5階の角部屋です。窓が下の階に比べて小さいですが、下の階の部屋だと手前の背が高い橋の上から部屋の中がよく見えるので避けて最上階を常部屋にしています。こちらの面の二つの窓からサン.マルコ方面がよく見えます。部屋の右面にも二つの窓があり、サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂やリド島方面が見えます。

    この後5枚の写真は2016年2月の旅で撮影した写真です。
    これが宿泊するホテル.ブチントロです。我々が毎回泊まる部屋は矢印の5階の角部屋です。窓が下の階に比べて小さいですが、下の階の部屋だと手前の背が高い橋の上から部屋の中がよく見えるので避けて最上階を常部屋にしています。こちらの面の二つの窓からサン.マルコ方面がよく見えます。部屋の右面にも二つの窓があり、サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂やリド島方面が見えます。

  • アーセナル海軍基地の入り口です。この基地は1104年に遡り、当時から造船所の機能を持つ基地でした。

    アーセナル海軍基地の入り口です。この基地は1104年に遡り、当時から造船所の機能を持つ基地でした。

  • 1460年に完成した、上にサン.マルコの象徴であるライオンの像がある凱旋門のような正門は、ヴェネツィアにおける最初のルネサンス建築と言われています。

    1460年に完成した、上にサン.マルコの象徴であるライオンの像がある凱旋門のような正門は、ヴェネツィアにおける最初のルネサンス建築と言われています。

  • 正門の前には、17世紀に戦利品としてギリシャから持ってこられた大きなライオンの石像がいくつも置かれ、門番の役目を果たしています。

    正門の前には、17世紀に戦利品としてギリシャから持ってこられた大きなライオンの石像がいくつも置かれ、門番の役目を果たしています。

  • 海軍基地への小船の出入り口です。手前の橋から基地の中を覗いていますが、奥にも橋が見えます。中に入ると水路は左側に幅広くなっています。

    海軍基地への小船の出入り口です。手前の橋から基地の中を覗いていますが、奥にも橋が見えます。中に入ると水路は左側に幅広くなっています。

  • アルセナーレから4.2番線の船に乗りました。一般にヴァポレットの船着き場には、二つの独立してポンツーン(浮舟)に載った待合室が設けてあります。船は、反対方向の船が船首を付き合わせるように着桟します。前方の待合室にマルコ.ポーロ空港行きの黄色の船がこちら向きに着桟しています。本船は離桟し前方の船を左に避けてサン.マルコ広場方向に前進します。

    アルセナーレから4.2番線の船に乗りました。一般にヴァポレットの船着き場には、二つの独立してポンツーン(浮舟)に載った待合室が設けてあります。船は、反対方向の船が船首を付き合わせるように着桟します。前方の待合室にマルコ.ポーロ空港行きの黄色の船がこちら向きに着桟しています。本船は離桟し前方の船を左に避けてサン.マルコ広場方向に前進します。

  • サン.ザッカリア船着場が見えてきました。この船着場の前には、茶色の高級ホテルのダニエッリがあります。

    サン.ザッカリア船着場が見えてきました。この船着場の前には、茶色の高級ホテルのダニエッリがあります。

  • 一旦サン.ザッカリアで下船し、大運河をいく1番のヴァポレットに乗り換えます。ここでは大勢の中国人団体の観光客がゴンドラへの乗船を待っていました。

    一旦サン.ザッカリアで下船し、大運河をいく1番のヴァポレットに乗り換えます。ここでは大勢の中国人団体の観光客がゴンドラへの乗船を待っていました。

  • ダニエッリの表示が、この3棟に描かれています。泊まった事がないのでわかりませんが、3棟共にホテル.ダニエッリなのでしょうか?どうせ泊まるなら中央の歴史ある建物が良いですね。でも眺めは今我々が泊まっているブチントロの方が断然良いと思います。そして周りは静かですし。

    ダニエッリの表示が、この3棟に描かれています。泊まった事がないのでわかりませんが、3棟共にホテル.ダニエッリなのでしょうか?どうせ泊まるなら中央の歴史ある建物が良いですね。でも眺めは今我々が泊まっているブチントロの方が断然良いと思います。そして周りは静かですし。

  • 中国人団体が乗るゴンドラの大船団が次々に出航します。

    中国人団体が乗るゴンドラの大船団が次々に出航します。

  • 1番の船はリアルト橋方向に走ります。グラン.カナルに入る手前左側にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂が見えます。その手前は、かつて税関だった三角形の建物を利用した美術館プンタ.デラ.ドガーナです。

    1番の船はリアルト橋方向に走ります。グラン.カナルに入る手前左側にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂が見えます。その手前は、かつて税関だった三角形の建物を利用した美術館プンタ.デラ.ドガーナです。

  • こちらはジュデッカ島のレデントーレ教会です。アンドレア.パッラディオ(1508 - 1580)が設計した教会です。パッラディオは、ローマで古代建築を勉強し北イタリアでパラッツォ、ヴィッラ、教会などの設計に携わり名声を得ました。ヴェネツィアでは、サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂に続いてこの教会の設計をしました。

    こちらはジュデッカ島のレデントーレ教会です。アンドレア.パッラディオ(1508 - 1580)が設計した教会です。パッラディオは、ローマで古代建築を勉強し北イタリアでパラッツォ、ヴィッラ、教会などの設計に携わり名声を得ました。ヴェネツィアでは、サン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂に続いてこの教会の設計をしました。

  • サン.ザッカリアを出航した中国人を乗せたゴンドラの船団は、グラン.カナルを右に曲がってサン.モイゼ水路に入っていきます。遠くに見える塔は、アッカデミア美術館の先にあるサンティ.ゲルヴァシオ.e.プロタシオ教会の鐘楼です。

    サン.ザッカリアを出航した中国人を乗せたゴンドラの船団は、グラン.カナルを右に曲がってサン.モイゼ水路に入っていきます。遠くに見える塔は、アッカデミア美術館の先にあるサンティ.ゲルヴァシオ.e.プロタシオ教会の鐘楼です。

  • グラン.カナルの左側にサルーテ船着場が見えます。ヴァポレットと共に、いろいろな商用車ならぬ商用船が行き交っています。ところで船舶は世界共通の右側通行です。

    グラン.カナルの左側にサルーテ船着場が見えます。ヴァポレットと共に、いろいろな商用車ならぬ商用船が行き交っています。ところで船舶は世界共通の右側通行です。

  • サンタ.マリア.デル.ジッリョ船着場の対岸にある1903年から1906年の間に建てられたサルヴィアティ宮殿です。当初ヴェネツィアン.グラス製作用の炉と作品の販売店として立てられたそうです。サルヴィアティは、ヴェネツィアン.グラス製作では著名なムラーノの一族でした。その後1924年に建物は大規模な改修がなされ、床が追加され、大きなモザイクのファサードに模様替えしました。この建物は第2次大戦中、ナチスの本部として占拠されていたそうです。

    サンタ.マリア.デル.ジッリョ船着場の対岸にある1903年から1906年の間に建てられたサルヴィアティ宮殿です。当初ヴェネツィアン.グラス製作用の炉と作品の販売店として立てられたそうです。サルヴィアティは、ヴェネツィアン.グラス製作では著名なムラーノの一族でした。その後1924年に建物は大規模な改修がなされ、床が追加され、大きなモザイクのファサードに模様替えしました。この建物は第2次大戦中、ナチスの本部として占拠されていたそうです。

  • モザイク画を拡大しました。右側の男性はモザイク画を製作していています。左側の女性はガラスの首飾りを作っているのでしょうか。モザイク画に使う彩色ガラス片もヴェネティアン.グラスの工房で製造されています。

    モザイク画を拡大しました。右側の男性はモザイク画を製作していています。左側の女性はガラスの首飾りを作っているのでしょうか。モザイク画に使う彩色ガラス片もヴェネティアン.グラスの工房で製造されています。

  • こちらでは、右側の男性はヴェネティアン.グラスの瓶を製作中で、左側の女性は完成した作品を見定めているのでしょうか。

    こちらでは、右側の男性はヴェネティアン.グラスの瓶を製作中で、左側の女性は完成した作品を見定めているのでしょうか。

  • このモザイク画では、中央の玉座の女性に、モザイク画や、ヴェネティアン.グラスの作品や、鏡を捧げているようです。

    このモザイク画では、中央の玉座の女性に、モザイク画や、ヴェネティアン.グラスの作品や、鏡を捧げているようです。

  • 前方に外観木造のアッカデミア橋が見えてきました。美術館はこの橋の左手先にあります。

    前方に外観木造のアッカデミア橋が見えてきました。美術館はこの橋の左手先にあります。

  • ヴァポレットの船着き場にはこのような表示があります。駐停車禁止ならぬ駐停船禁止の標識です。

    ヴァポレットの船着き場にはこのような表示があります。駐停車禁止ならぬ駐停船禁止の標識です。

  • カ.レッツォニコ船着場に着きました。逆光になりましたが、今航送してきた方向に振り返ります。アッカデミア橋が見えています。ヴァポレットを降りてカ.レッツォニコ宮殿と反対側の小道のカッレ.トラゲット.ヴェッキオを西に歩き、カンポ.サン.バルナーバ広場に出たら橋を渡り、右(東)の方向に水路沿いに宮殿に向かいます。

    カ.レッツォニコ船着場に着きました。逆光になりましたが、今航送してきた方向に振り返ります。アッカデミア橋が見えています。ヴァポレットを降りてカ.レッツォニコ宮殿と反対側の小道のカッレ.トラゲット.ヴェッキオを西に歩き、カンポ.サン.バルナーバ広場に出たら橋を渡り、右(東)の方向に水路沿いに宮殿に向かいます。

  • 宮殿に向かう水路沿いの道にあった、仮面を売る店のウィンドウ飾りです。

    宮殿に向かう水路沿いの道にあった、仮面を売る店のウィンドウ飾りです。

  • 水路沿いの道の奥に、カ.レッツォニコ宮殿の入り口が見えてきました。ここには過去3回訪れています。この宮殿は、18世紀のベネツィアのバロック様式とロココ様式の建築と室内装飾の特に注目すべき例であり、フランチェスコ.グアルディやジャン.バッティスタ.ティエポロ親子など、当時の主要なベネチアの画家による絵画が展示されています。

    水路沿いの道の奥に、カ.レッツォニコ宮殿の入り口が見えてきました。ここには過去3回訪れています。この宮殿は、18世紀のベネツィアのバロック様式とロココ様式の建築と室内装飾の特に注目すべき例であり、フランチェスコ.グアルディやジャン.バッティスタ.ティエポロ親子など、当時の主要なベネチアの画家による絵画が展示されています。

  • 宮殿の中心を貫く廊下の中程に、吹き抜けのコート.ヤードがあります。この宮殿は17世紀中頃にヴェネツィアの貴族ボン家が建設を始めましたが、途中でボン家の破産で建設が中断、その後ロンバルディアの銀行家兼織物商人であるレッツォニコ家に売却されました。設計者も代わって建設が再開され、18世紀中頃には内装も含めほぼ完成しました。その後も所有者は代わり続け、宮殿内の家具や芸術品は売られました。そして1935年にヴェネツィア市の所有となり18世紀以降のヴェネツィア美術を展示する博物館に変貌しました。

    宮殿の中心を貫く廊下の中程に、吹き抜けのコート.ヤードがあります。この宮殿は17世紀中頃にヴェネツィアの貴族ボン家が建設を始めましたが、途中でボン家の破産で建設が中断、その後ロンバルディアの銀行家兼織物商人であるレッツォニコ家に売却されました。設計者も代わって建設が再開され、18世紀中頃には内装も含めほぼ完成しました。その後も所有者は代わり続け、宮殿内の家具や芸術品は売られました。そして1935年にヴェネツィア市の所有となり18世紀以降のヴェネツィア美術を展示する博物館に変貌しました。

  • 2階に上がってグラン.カナルの反対側にある最初の部屋が舞踏の大広間です。<br />この大広間は、個人の館としてはヴェネツィアで最大の広間です。天井の中央にはジョバンニ.バティスタ.クロサト(1685 - 1758)によるフレスコ画が描かれ、周りの壁面をジロラモ.メンゴッツィ.コロンナ(1686 - 1774)がトロンプ.ルイユ(騙し絵)技法で装飾しています。18世紀半ばからの、木と金メッキの金属で作られた2つの巨大なシャンデリアは、元々の建物にあった数少ない備品の1つです。

    2階に上がってグラン.カナルの反対側にある最初の部屋が舞踏の大広間です。
    この大広間は、個人の館としてはヴェネツィアで最大の広間です。天井の中央にはジョバンニ.バティスタ.クロサト(1685 - 1758)によるフレスコ画が描かれ、周りの壁面をジロラモ.メンゴッツィ.コロンナ(1686 - 1774)がトロンプ.ルイユ(騙し絵)技法で装飾しています。18世紀半ばからの、木と金メッキの金属で作られた2つの巨大なシャンデリアは、元々の建物にあった数少ない備品の1つです。

  • 天井のフレスコ画は、太陽神アポロがヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカの間を馬車に乗って回る様を描いています。画家のジョバンニ.バティスタ.クロサトは、生地のヴェネツィアで修行し、主にトリノで活躍しています。

    天井のフレスコ画は、太陽神アポロがヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカの間を馬車に乗って回る様を描いています。画家のジョバンニ.バティスタ.クロサトは、生地のヴェネツィアで修行し、主にトリノで活躍しています。

  • ここの広間では、レッツォニコ家の栄光が、精巧なフレーミング装飾が施され、中央に双頭の鷲が描かれた巨大な紋章に委ねられています。これは広間に入った時、正面の壁の上部に最初に目にするものです。

    ここの広間では、レッツォニコ家の栄光が、精巧なフレーミング装飾が施され、中央に双頭の鷲が描かれた巨大な紋章に委ねられています。これは広間に入った時、正面の壁の上部に最初に目にするものです。

  • これから四隅の絵がどこの大陸か推定します。これはヨーロッパ大陸でしょうか?<br />

    これから四隅の絵がどこの大陸か推定します。これはヨーロッパ大陸でしょうか?

  • これはアジア大陸でしょうか?

    これはアジア大陸でしょうか?

  • これはアフリカ大陸でしょうか?

    これはアフリカ大陸でしょうか?

  • 最後にこちらは南北アメリカ大陸でしょうか?

    最後にこちらは南北アメリカ大陸でしょうか?

  • ジロラモ.メンゴッツィ.コロンナは北イタリアのフェッラーラに生まれ、エミリア.ロマーニャ地方の画家に師事しました。のちにヴェネツィアに移りティエポロ親子と共同で仕事をしています。これは壁面のレリーフに模した壁面のフレスコ画です。

    ジロラモ.メンゴッツィ.コロンナは北イタリアのフェッラーラに生まれ、エミリア.ロマーニャ地方の画家に師事しました。のちにヴェネツィアに移りティエポロ親子と共同で仕事をしています。これは壁面のレリーフに模した壁面のフレスコ画です。

  • こちらは立像を模した壁面のフレスコ画です。

    こちらは立像を模した壁面のフレスコ画です。

  • こちらもレリーフに模した壁面上部のフレスコ画です。

    こちらもレリーフに模した壁面上部のフレスコ画です。

  • 舞踏の大広間から、南側で1番目の広間である婚姻の寓話の広間です。<br />1757年の冬、教皇クレメンテ8世の甥のルドヴィコ.レッツォーニコとファウスティナ.サボルグナンの結婚式が行われました。この機会に花嫁を歓迎するためとして、サン.バルナバ水路沿いの四つの部屋の天井がフレスコ画で飾られました。<br />この広間の天井は、ジャンバッティスタ.ティエポロと彼の息子、ジャンドメニコ.ティエポロによる大きなフレスコ画があります。このフレスコ画にちなんで広間の名前が付けられています。

    舞踏の大広間から、南側で1番目の広間である婚姻の寓話の広間です。
    1757年の冬、教皇クレメンテ8世の甥のルドヴィコ.レッツォーニコとファウスティナ.サボルグナンの結婚式が行われました。この機会に花嫁を歓迎するためとして、サン.バルナバ水路沿いの四つの部屋の天井がフレスコ画で飾られました。
    この広間の天井は、ジャンバッティスタ.ティエポロと彼の息子、ジャンドメニコ.ティエポロによる大きなフレスコ画があります。このフレスコ画にちなんで広間の名前が付けられています。

  • 天井のフレスコ画は、4頭の馬が引く太陽神アポロの戦車で運ばれる花婿と花嫁を描いています。これは、ティエポロが1762年にマドリードに向けて出発する前に製作した、ヴェネツィアでの最後の作品の1つでした。ティエポロは、足場を使いわずか12日で製作を完了しました。ティエポロのフレスコ画は、舞踏の大広間の絵画と同様に、フレームを描いたジロラモ.メンゴッツィ.コロンナによる、偽の欄干を含む建築のトロンプルイユ(騙し絵)の絵画で囲まれています。寓話的な人物には、キューピッドの目隠し、プットと鳩の飛行、トランペットを持った人物が含まれます。雲上の3つの恵み、メリットを象徴する月桂樹の冠を持つ髭を生やした老人、ヴェネツィアのシンボルであるライオン、2つの家族の紋章も描かれています。光か難く太陽、色彩の素晴らしさ、そして人物のダイナミックな活力は、このフレスコ画をティエポロの最大の傑作の1つにしています。

    天井のフレスコ画は、4頭の馬が引く太陽神アポロの戦車で運ばれる花婿と花嫁を描いています。これは、ティエポロが1762年にマドリードに向けて出発する前に製作した、ヴェネツィアでの最後の作品の1つでした。ティエポロは、足場を使いわずか12日で製作を完了しました。ティエポロのフレスコ画は、舞踏の大広間の絵画と同様に、フレームを描いたジロラモ.メンゴッツィ.コロンナによる、偽の欄干を含む建築のトロンプルイユ(騙し絵)の絵画で囲まれています。寓話的な人物には、キューピッドの目隠し、プットと鳩の飛行、トランペットを持った人物が含まれます。雲上の3つの恵み、メリットを象徴する月桂樹の冠を持つ髭を生やした老人、ヴェネツィアのシンボルであるライオン、2つの家族の紋章も描かれています。光か難く太陽、色彩の素晴らしさ、そして人物のダイナミックな活力は、このフレスコ画をティエポロの最大の傑作の1つにしています。

  • 3人の女性で表す、雲上の3つの恵みの寓意像です。<br />

    3人の女性で表す、雲上の3つの恵みの寓意像です。

  • 花嫁と花婿を載せる太陽神アポロの戦車を引く4頭の馬です。

    花嫁と花婿を載せる太陽神アポロの戦車を引く4頭の馬です。

  • 実力を象徴する月桂樹の冠を持つ髭を生やした老人は、ヴェネツィアのシンボルであるライオンを横に侍らせ、2つの家族の紋章が合体して描かれた旗を持っています。

    実力を象徴する月桂樹の冠を持つ髭を生やした老人は、ヴェネツィアのシンボルであるライオンを横に侍らせ、2つの家族の紋章が合体して描かれた旗を持っています。

  • 婚姻の寓話の広間で、サン.バルナバ水路側に張り出して小さな礼拝堂が造られています。その礼拝堂の祭壇画は、ティエポロの弟子で助手でもあったフランチェスコ.ズグノ(1708 - 1787)が製作した「聖母子と聖人達」です。子羊を抱いた可愛い天使が描かれています。<br />

    婚姻の寓話の広間で、サン.バルナバ水路側に張り出して小さな礼拝堂が造られています。その礼拝堂の祭壇画は、ティエポロの弟子で助手でもあったフランチェスコ.ズグノ(1708 - 1787)が製作した「聖母子と聖人達」です。子羊を抱いた可愛い天使が描かれています。

  • 次の2番目のパステルの広間です。<br />もともとは謁見のための広間でした。その部屋で教皇特使は、前日に教皇に選出された事をレッツォーニコ枢機卿に知らせました。部屋の名前は、ロザルバ.カッリエラや他の著名なベネチアの芸術家によるパステル画に由来しています。それらには、カッリエラによるオペラ歌手ファウスティナ.ボルドーニの素晴らしいパステルの肖像画が含まれています。もう1つの注目すべきパステル画は、息子のロレンツォが描いた画家ティエポロの妻、セシリア.グアルディ.ティエポロの肖像画です。

    次の2番目のパステルの広間です。
    もともとは謁見のための広間でした。その部屋で教皇特使は、前日に教皇に選出された事をレッツォーニコ枢機卿に知らせました。部屋の名前は、ロザルバ.カッリエラや他の著名なベネチアの芸術家によるパステル画に由来しています。それらには、カッリエラによるオペラ歌手ファウスティナ.ボルドーニの素晴らしいパステルの肖像画が含まれています。もう1つの注目すべきパステル画は、息子のロレンツォが描いた画家ティエポロの妻、セシリア.グアルディ.ティエポロの肖像画です。

  • 天井は無知に対する芸術の勝利を描いたフレスコ画で、トロンプ.ルイユ(騙し絵)が描かれたフレームに縁取られ、寓話的なシーンが隅に描かれています。<br />ジャン.バッティスタ.ティエポロの他に、重要なヴェネツィアのフレスコ画家が結婚式のお祝いのためにサン.バルナバ水路沿いの部屋を装飾する計画に参加しました。この部屋は、この分野で最も活発な18世紀半ばの芸術家の1人であるガスパーレ.ディジアニ(1689 - 1767)によって装飾されました。この画家は、主にヴェネト州で活躍しましたが、ミュンヘンやドレズデンでも働きました。この広間の天井には、ヴェネツィアの貴族にとって特に大切なテーマ、無知に対する芸術の勝利を描いています。ディジアニは寓話的な人物の集団を描いています。それぞれが彼の特定の芸術の道具を持っており、彼の師であるセバスティアーノ.リッチから学んだ暖かく明るい色で描かれています。

    天井は無知に対する芸術の勝利を描いたフレスコ画で、トロンプ.ルイユ(騙し絵)が描かれたフレームに縁取られ、寓話的なシーンが隅に描かれています。
    ジャン.バッティスタ.ティエポロの他に、重要なヴェネツィアのフレスコ画家が結婚式のお祝いのためにサン.バルナバ水路沿いの部屋を装飾する計画に参加しました。この部屋は、この分野で最も活発な18世紀半ばの芸術家の1人であるガスパーレ.ディジアニ(1689 - 1767)によって装飾されました。この画家は、主にヴェネト州で活躍しましたが、ミュンヘンやドレズデンでも働きました。この広間の天井には、ヴェネツィアの貴族にとって特に大切なテーマ、無知に対する芸術の勝利を描いています。ディジアニは寓話的な人物の集団を描いています。それぞれが彼の特定の芸術の道具を持っており、彼の師であるセバスティアーノ.リッチから学んだ暖かく明るい色で描かれています。

  • 南側で3番目のタペストリーの広間です。<br />17世紀末の3つの大きなフランドルのタペストリーと当時の彫刻と金メッキの家具が見ものです。黄色いドアも注目に値します。 花のモチーフに囲まれた日傘をさした中国人男性の漆塗りの絵が描かれており、1760年にさかのぼります。

    南側で3番目のタペストリーの広間です。
    17世紀末の3つの大きなフランドルのタペストリーと当時の彫刻と金メッキの家具が見ものです。黄色いドアも注目に値します。 花のモチーフに囲まれた日傘をさした中国人男性の漆塗りの絵が描かれており、1760年にさかのぼります。

  • この部屋の天井には、1757/58年の冬に、ヴェネツィアの宮殿で最も多作なフレスコ画家の1人であるヤコポ.グアラーナ(1720 - 1808)が、この画家は、ティエポロがスペインに向けて出発した後もティエポロの作品を引き継ぎ、複雑な寓話画である美徳の勝利を描きました。この天井画は、修復中なのか左下隅のように、和紙で覆われている部分もあります。

    この部屋の天井には、1757/58年の冬に、ヴェネツィアの宮殿で最も多作なフレスコ画家の1人であるヤコポ.グアラーナ(1720 - 1808)が、この画家は、ティエポロがスペインに向けて出発した後もティエポロの作品を引き継ぎ、複雑な寓話画である美徳の勝利を描きました。この天井画は、修復中なのか左下隅のように、和紙で覆われている部分もあります。

  • 兜を被り槍と盾を持つ戦士で「不屈の精神」を表し、右の女性で「節制」を表しています。

    兜を被り槍と盾を持つ戦士で「不屈の精神」を表し、右の女性で「節制」を表しています。

  • 上掲の写真で、右端にあるシャンデリアに隠されている絵です。可愛い天使が鳥を操っています。

    上掲の写真で、右端にあるシャンデリアに隠されている絵です。可愛い天使が鳥を操っています。

  • 突き当りで、4番目の玉座の広間です。結婚式を祝って装飾された最後の広間になります。<br />この広間は、グラン.カナルとサン.バルナバ水路の両方が見渡せます。その名前は、1778年にローマからウィーンに向かう途中の教皇ピウス6世が滞在中に使用した精巧な金色の彫刻が施された木製の玉座に由来しています。また、ルドヴィコ.レッツォニコとファウスティーナ.サヴォルニャーノの結婚式場でもありました。部屋はまた、いくつかの素晴らしい中国の磁器の花瓶が飾られています。

    突き当りで、4番目の玉座の広間です。結婚式を祝って装飾された最後の広間になります。
    この広間は、グラン.カナルとサン.バルナバ水路の両方が見渡せます。その名前は、1778年にローマからウィーンに向かう途中の教皇ピウス6世が滞在中に使用した精巧な金色の彫刻が施された木製の玉座に由来しています。また、ルドヴィコ.レッツォニコとファウスティーナ.サヴォルニャーノの結婚式場でもありました。部屋はまた、いくつかの素晴らしい中国の磁器の花瓶が飾られています。

  • 上掲のグラン.カナルに面した壁面と反対側の壁面に玉座がおかれています。この写真は、&quot;Fondazione Musei Civici di Venezia&quot;のサイトからの借画です。

    上掲のグラン.カナルに面した壁面と反対側の壁面に玉座がおかれています。この写真は、"Fondazione Musei Civici di Venezia"のサイトからの借画です。

  • この広間の天井も、ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロがジロラモ.メンゴッツィ.コロンナの協力を得てフレスコ画を描いています。画面では、&quot;高貴&quot;(槍を持った翼のある女性)と&quot;美徳&quot;(老人の右側の身なりの良い女性)を伴って不滅の栄光の神殿に昇る月桂樹の冠をかぶり髭を生やした老人としての&quot;実力&quot;を描いています。他の寓話的な人物や天使が画面を飾っています。&quot;実力&quot;の下に、1687年以降のレッツォーニコ家を含むヴェネツィア貴族の家族の名前が登録された黄金の書を持っている天使がいます。

    この広間の天井も、ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロがジロラモ.メンゴッツィ.コロンナの協力を得てフレスコ画を描いています。画面では、"高貴"(槍を持った翼のある女性)と"美徳"(老人の右側の身なりの良い女性)を伴って不滅の栄光の神殿に昇る月桂樹の冠をかぶり髭を生やした老人としての"実力"を描いています。他の寓話的な人物や天使が画面を飾っています。"実力"の下に、1687年以降のレッツォーニコ家を含むヴェネツィア貴族の家族の名前が登録された黄金の書を持っている天使がいます。

  • &quot;高貴&quot;、&quot;実力&quot;、&quot;美徳&quot;の寓話の人物を拡大しました。

    "高貴"、"実力"、"美徳"の寓話の人物を拡大しました。

  • 天井の4隅には、このような寓意像が描かれています。

    天井の4隅には、このような寓意像が描かれています。

  • 北側の広間に移り、グラン.カナルに面したティエポロの広間です。<br />この広間は、天井画を描いた画家ジャンバッティスタ.ティエポロに由来します。広間には、ピエトロ.ロンギ、フランチェスコ.グアルディなどのベネチアの芸術家による絵画と、1715~16年のジャンバッティスタ.ティエポロによる楕円形のフレームの2つの初期の作品も展示されています。家具には、ゲーム.テーブルを含むベネチアのバロック様式の家具や、18世紀にドイツで作られた貴重品を保管するために使用された華やかな塗装のキャビネットもあります。

    北側の広間に移り、グラン.カナルに面したティエポロの広間です。
    この広間は、天井画を描いた画家ジャンバッティスタ.ティエポロに由来します。広間には、ピエトロ.ロンギ、フランチェスコ.グアルディなどのベネチアの芸術家による絵画と、1715~16年のジャンバッティスタ.ティエポロによる楕円形のフレームの2つの初期の作品も展示されています。家具には、ゲーム.テーブルを含むベネチアのバロック様式の家具や、18世紀にドイツで作られた貴重品を保管するために使用された華やかな塗装のキャビネットもあります。

  • これは、建物内の4つのティエポロ作の天井画の一つで、「不義を打ち負かす&quot;高貴&quot;と&quot;美徳&quot;」と呼ばれています。他のティエポロの天井画とは異なり、1744-45年に描かれたこの天井画は、カ.レッツォニコ宮殿のために作られたのではなく、ピエトロ.バルバリゴの家族のために作られました。これが1934年にヴェネツィア市によって購入され、この博物館に移されました。豊かなローブをまとった&quot;高貴&quot;と&quot;美徳&quot;の見事な姿は、明るい空を背景に際立っています。グレーの色調の衣服に身を包んだ&quot;不義&quot;の寓意像は、下に転がり落ち、その後にプットの弦に引っかかったコウモリが続いています。

    これは、建物内の4つのティエポロ作の天井画の一つで、「不義を打ち負かす"高貴"と"美徳"」と呼ばれています。他のティエポロの天井画とは異なり、1744-45年に描かれたこの天井画は、カ.レッツォニコ宮殿のために作られたのではなく、ピエトロ.バルバリゴの家族のために作られました。これが1934年にヴェネツィア市によって購入され、この博物館に移されました。豊かなローブをまとった"高貴"と"美徳"の見事な姿は、明るい空を背景に際立っています。グレーの色調の衣服に身を包んだ"不義"の寓意像は、下に転がり落ち、その後にプットの弦に引っかかったコウモリが続いています。

  • ラザリーニの広間です。<br />広間の名前は、ベネチアの画家グレゴリオ.ラザリーニ(1657 - 1730)にちなんで名付けられました。ラザリーニは、この広間の3枚の大きな神話の絵の1枚を描きました。同じく神話をテーマにした天井の5つの楕円形の絵は、ヴィチェンツァの画家フランチェスコ.マフェイ(1605 - 1660)の作品です。

    ラザリーニの広間です。
    広間の名前は、ベネチアの画家グレゴリオ.ラザリーニ(1657 - 1730)にちなんで名付けられました。ラザリーニは、この広間の3枚の大きな神話の絵の1枚を描きました。同じく神話をテーマにした天井の5つの楕円形の絵は、ヴィチェンツァの画家フランチェスコ.マフェイ(1605 - 1660)の作品です。

  • これが、神話.宗教.歴史の主題や肖像画の画家グレゴリオ.ラザリーニの作品「バッカンテスによって破れたオルフェウス」です。

    これが、神話.宗教.歴史の主題や肖像画の画家グレゴリオ.ラザリーニの作品「バッカンテスによって破れたオルフェウス」です。

  • こちらは、ヴェネツィアのバロック時代の画家アントニオ.モリナーリ(1655 - 1704の作品「ケンタウロスとラピテースの戦い」です。

    こちらは、ヴェネツィアのバロック時代の画家アントニオ.モリナーリ(1655 - 1704の作品「ケンタウロスとラピテースの戦い」です。

  • 天井は、紺色の背景から目立つ金色のフレーム内の5つの楕円で構成されています。この一連の天井画は、元々のカ.レッツォーニコの絵画ではありませんでしたが、1936年にカンナレージョ運河のパラッツォ.ナニから、現在はブラストロンの広間にあるシリーズとともに美術館に移されました。キャンバス画を楕円形の木製フレームにセットした天井の装飾は、17世紀後半の典型であり、次の世紀のフレスコ画の普及に先立ちます。中央には、「ミネルバから与えられた鏡を持ったプロメテウスと鷲」が見えます。その周りを、「ダイダロスとイカルス」、「ヘラクレスによって解放されたプロメテウス」、「アトラスがメデューサの頭を示しているペルセウス」、そして「岩に縛られているアンドロメダ」の四つの楕円に囲まれています。

    天井は、紺色の背景から目立つ金色のフレーム内の5つの楕円で構成されています。この一連の天井画は、元々のカ.レッツォーニコの絵画ではありませんでしたが、1936年にカンナレージョ運河のパラッツォ.ナニから、現在はブラストロンの広間にあるシリーズとともに美術館に移されました。キャンバス画を楕円形の木製フレームにセットした天井の装飾は、17世紀後半の典型であり、次の世紀のフレスコ画の普及に先立ちます。中央には、「ミネルバから与えられた鏡を持ったプロメテウスと鷲」が見えます。その周りを、「ダイダロスとイカルス」、「ヘラクレスによって解放されたプロメテウス」、「アトラスがメデューサの頭を示しているペルセウス」、そして「岩に縛られているアンドロメダ」の四つの楕円に囲まれています。

  • ライブラリーとも呼ばれるモルライターの広間です。<br />ここには多くのスタッコ作品がクルミの木で作られた本箱のような陳列棚に展示してあります。部屋の名前は、ロココまたはバロック時代後期の彫刻家で主に故郷のヴェネツィアで活躍していたジョヴァンニ.マリア.モルライター(1699 - 1781)に因んでいます。<br />この部屋の天井には、特別なスタッコ.フレームの形をしたキャンバスが天井に採用されています。絵画「実力の寓話」は、ヴェネツィア、ヴェネト、ロンバルディ、ピエモンテで活躍したフレスコ画家マティア.ボルトロニ(1696 - 1750)によるものです。

    ライブラリーとも呼ばれるモルライターの広間です。
    ここには多くのスタッコ作品がクルミの木で作られた本箱のような陳列棚に展示してあります。部屋の名前は、ロココまたはバロック時代後期の彫刻家で主に故郷のヴェネツィアで活躍していたジョヴァンニ.マリア.モルライター(1699 - 1781)に因んでいます。
    この部屋の天井には、特別なスタッコ.フレームの形をしたキャンバスが天井に採用されています。絵画「実力の寓話」は、ヴェネツィア、ヴェネト、ロンバルディ、ピエモンテで活躍したフレスコ画家マティア.ボルトロニ(1696 - 1750)によるものです。

  • ブルストロンの広間です。<br />この広間は、最も有名なベネチアのバロック様式の木の彫刻家であるアンドレア.ブルストロン(1662 - 1732)が製作した家具と彫刻された人物に捧げられています。 展示されている作品は、黒檀を含むさまざまな色の木材と、非常に華やかなバロック様式の曲線とひねりを使用しています。 この部屋には、18世紀半ばに作られたジュゼッペ.ブリアーニのムラノ.ガラス工房の花の形のマルチカラー.ガラスのシャンデリアもあります。

    ブルストロンの広間です。
    この広間は、最も有名なベネチアのバロック様式の木の彫刻家であるアンドレア.ブルストロン(1662 - 1732)が製作した家具と彫刻された人物に捧げられています。 展示されている作品は、黒檀を含むさまざまな色の木材と、非常に華やかなバロック様式の曲線とひねりを使用しています。 この部屋には、18世紀半ばに作られたジュゼッペ.ブリアーニのムラノ.ガラス工房の花の形のマルチカラー.ガラスのシャンデリアもあります。

  • これは、アンドレア.ブルストロンが製作した花瓶の飾り台です。下部には、ケルベロスが足元にいる、レルニアのヒドラの征服者であるヘラクレスが見えます。ケルベロスは、ギリシア神話に登場する犬の怪物です。ヘラクレスが自分の肩と大きな木の棒で支える板の上には、大きな花瓶を支えている黒檀で作られた鎖に繋がれた3人の黒人が見られます。両側には髭を生やした2人の老人が横たわり、それぞれが別の2つの花瓶を持っています。

    これは、アンドレア.ブルストロンが製作した花瓶の飾り台です。下部には、ケルベロスが足元にいる、レルニアのヒドラの征服者であるヘラクレスが見えます。ケルベロスは、ギリシア神話に登場する犬の怪物です。ヘラクレスが自分の肩と大きな木の棒で支える板の上には、大きな花瓶を支えている黒檀で作られた鎖に繋がれた3人の黒人が見られます。両側には髭を生やした2人の老人が横たわり、それぞれが別の2つの花瓶を持っています。

  • 天井の装飾は、カンナレージョ運河のパラッツォ.ナニから、前のラザリーニの広間にある5枚と共に移されました。さまざまな形とサイズの11枚のキャンバス画で構成されており、これもフランチェスコ.マッフェイの作品です。天井の隅にある4つの大陸を示す4枚のモノクロのトンド(円盤)は、別のアーティストによるものです。<br />4つの内の2枚を掲載します。

    天井の装飾は、カンナレージョ運河のパラッツォ.ナニから、前のラザリーニの広間にある5枚と共に移されました。さまざまな形とサイズの11枚のキャンバス画で構成されており、これもフランチェスコ.マッフェイの作品です。天井の隅にある4つの大陸を示す4枚のモノクロのトンド(円盤)は、別のアーティストによるものです。
    4つの内の2枚を掲載します。

  • 2階の中央にある大きな広間、ポルテゴです。<br />ヴェネツィアの宮殿の伝統的な構造では、ポルテゴ、または通過ラウンジは、多用途の利用を目的とした建物の中の最大の部屋でした。このスペースは今日、寓話的な肖像画や人物を表す18世紀の大理石の胸像で飾られ、壁は赤いヴェローナ大理石で覆われています。

    2階の中央にある大きな広間、ポルテゴです。
    ヴェネツィアの宮殿の伝統的な構造では、ポルテゴ、または通過ラウンジは、多用途の利用を目的とした建物の中の最大の部屋でした。このスペースは今日、寓話的な肖像画や人物を表す18世紀の大理石の胸像で飾られ、壁は赤いヴェローナ大理石で覆われています。

  • 3階のポルテゴ絵画ギャラリーです。この広間は2階のポルテゴの上にあります。<br />ここには、美術館で最も重要な絵画のいくつかが展示されています。これらは、18世紀のヴェネツィア芸術のさまざまな優れた風俗画の具体例を示します。更に最近購入されたカナレットの絵画2枚は、ヴェネツィアの公共コレクションの中で唯一の画家カナレットによる絵画です。 これらは、彼が景観画の描写に専念するために、それまで父親に従ってやってきた舞台美術を放棄する事を決めた後に描いた彼の若い時代、1720年代頃の作品です。

    3階のポルテゴ絵画ギャラリーです。この広間は2階のポルテゴの上にあります。
    ここには、美術館で最も重要な絵画のいくつかが展示されています。これらは、18世紀のヴェネツィア芸術のさまざまな優れた風俗画の具体例を示します。更に最近購入されたカナレットの絵画2枚は、ヴェネツィアの公共コレクションの中で唯一の画家カナレットによる絵画です。 これらは、彼が景観画の描写に専念するために、それまで父親に従ってやってきた舞台美術を放棄する事を決めた後に描いた彼の若い時代、1720年代頃の作品です。

  • この絵画は、ヴェネツィア本島の北側でサン.ミケーレ島の対面にあり、ヴァポレットン乗下船場のオスペダーレとフォンダメンテ.ヌオーヴェの中間から内陸に入る水路リオ.デイ.メンディカンティを眺めています。左手前には、現在も変わらぬ外観のサン.ラザーロ.デイ.メンディカンティ、更に水路の左側奥には、聖マルコ同信会館ファサードの上部装飾が見えます。サンティ.ジョヴァンニ.e.パオロ聖堂は、水路との間の広場の奥にあり見えません。

    この絵画は、ヴェネツィア本島の北側でサン.ミケーレ島の対面にあり、ヴァポレットン乗下船場のオスペダーレとフォンダメンテ.ヌオーヴェの中間から内陸に入る水路リオ.デイ.メンディカンティを眺めています。左手前には、現在も変わらぬ外観のサン.ラザーロ.デイ.メンディカンティ、更に水路の左側奥には、聖マルコ同信会館ファサードの上部装飾が見えます。サンティ.ジョヴァンニ.e.パオロ聖堂は、水路との間の広場の奥にあり見えません。

  • 拡大して見ました。生活感がある情景が良く描かれています。

    拡大して見ました。生活感がある情景が良く描かれています。

  • こちらもカナレット作で「パラッツォ.バルビからリアルト橋の方向を眺めた大運河」です。パラッツォ.バルビは、アッカデミア橋から北の方向に進みカ.レッツォニコ前を過ぎるとグラン.カナルはこのパラッツォ.バルビで東に大きく曲がりリアルト橋に向かいます。この絵の奥に、リアルト橋の右側が、微かに見えます。

    こちらもカナレット作で「パラッツォ.バルビからリアルト橋の方向を眺めた大運河」です。パラッツォ.バルビは、アッカデミア橋から北の方向に進みカ.レッツォニコ前を過ぎるとグラン.カナルはこのパラッツォ.バルビで東に大きく曲がりリアルト橋に向かいます。この絵の奥に、リアルト橋の右側が、微かに見えます。

  • この写真では、レッツォニコ前からグラン.カナルが右に曲がる角にある日が当たるパラッツォ.バルビを見ています。カナレットの絵は、バルビから右の方向にグラン.カナルを見ています。

    この写真では、レッツォニコ前からグラン.カナルが右に曲がる角にある日が当たるパラッツォ.バルビを見ています。カナレットの絵は、バルビから右の方向にグラン.カナルを見ています。

  • エミリア.ロマーニャ州のピアツェンツァに生まれ、パラッツォ等の装飾画家としてローマで活躍したジョバンニ.パオロ.パンニーニ(1691 - 1765)作の「ローマのサン.ピエトロ大聖堂の内部」です。

    エミリア.ロマーニャ州のピアツェンツァに生まれ、パラッツォ等の装飾画家としてローマで活躍したジョバンニ.パオロ.パンニーニ(1691 - 1765)作の「ローマのサン.ピエトロ大聖堂の内部」です。

  • 以前、写真に撮ったサン.ピエトロ大聖堂の内部です。有名なミケランジェロの大作、ピエタの彫刻は、右側廊の最初のベイにあります。

    以前、写真に撮ったサン.ピエトロ大聖堂の内部です。有名なミケランジェロの大作、ピエタの彫刻は、右側廊の最初のベイにあります。

  • ここにあるジャンドメニコ.ティエポロの作品は、ヴェネツィアのメストレ駅の北北西にある都市ミラーノ近郊の村ジアニーゴにあったティエポロ家の別荘にありました。この別荘は1687年に建設され、1757年にティエポロが購入しました。その室内をジャンドメニコ.ティエポロが1759年から1797年までのかなり長い期間にわたってフレスコ画で飾りました。その後所有者が移り代わり、新たなに家主となった古物商は、20世紀はじめに壁画を剥がしてフランスに売ろうとしました。しかしイタリア政府がそれを阻止し、国とヴェネツィア市が購入して1936年に現在のカ.レッツニコに移しました。これらのフレスコ画が、画家の家族の別荘のために、画家自身が自由な発想で描いている事が他に類がない作品にしています。

    ここにあるジャンドメニコ.ティエポロの作品は、ヴェネツィアのメストレ駅の北北西にある都市ミラーノ近郊の村ジアニーゴにあったティエポロ家の別荘にありました。この別荘は1687年に建設され、1757年にティエポロが購入しました。その室内をジャンドメニコ.ティエポロが1759年から1797年までのかなり長い期間にわたってフレスコ画で飾りました。その後所有者が移り代わり、新たなに家主となった古物商は、20世紀はじめに壁画を剥がしてフランスに売ろうとしました。しかしイタリア政府がそれを阻止し、国とヴェネツィア市が購入して1936年に現在のカ.レッツニコに移しました。これらのフレスコ画が、画家の家族の別荘のために、画家自身が自由な発想で描いている事が他に類がない作品にしています。

  • 前掲の写真で中央奥に見える騙し絵の「夏の寓意像ー豊饒の寓意像」です。<br />

    前掲の写真で中央奥に見える騙し絵の「夏の寓意像ー豊饒の寓意像」です。

  • 「ヴィラのミヌエット」です。これは彼らの別荘で休暇をとっている間の貴族の典型的な娯楽で、優雅な描写になっています。

    「ヴィラのミヌエット」です。これは彼らの別荘で休暇をとっている間の貴族の典型的な娯楽で、優雅な描写になっています。

  • こちらは、婦人が夫と腕を組み散歩しています。男性の使用人が抱くお気に入りのラップ.ドッグも同行します。意図的に後ろ姿で人物を描いています。

    こちらは、婦人が夫と腕を組み散歩しています。男性の使用人が抱くお気に入りのラップ.ドッグも同行します。意図的に後ろ姿で人物を描いています。

  • ジャンドメニコ.ティエポロの「逃げるスズメの群れに急降下する鷹」です。元々は天井を飾っていた絵画ですが、ここでは壁面に飾られています。<br />ヴェネト地区には素晴らしい壁画が描かれた多くのヴィッラ、別荘が存在しています。我々が訪れたヴィッラのなかに、ジャンドメニコ.ティエポロのフレスコ画があるヴァルマラーナ.アイ.ナーニ邸があります。このヴィッラは、ヴェローナとパドヴァの間にあるヴィチェンツァの南東の外れにあります。

    ジャンドメニコ.ティエポロの「逃げるスズメの群れに急降下する鷹」です。元々は天井を飾っていた絵画ですが、ここでは壁面に飾られています。
    ヴェネト地区には素晴らしい壁画が描かれた多くのヴィッラ、別荘が存在しています。我々が訪れたヴィッラのなかに、ジャンドメニコ.ティエポロのフレスコ画があるヴァルマラーナ.アイ.ナーニ邸があります。このヴィッラは、ヴェローナとパドヴァの間にあるヴィチェンツァの南東の外れにあります。

  • 「モンド.ノヴォ - 新世界」と名が付くこのフレスコ画は、ジアニゴ別荘の玄関ホールにありました。エキゾチックな世界の写真を見ることができる一種のパノプティコン(全周展望装置)であるモンド.ノヴォは、ヴェネツィアのカーニバルの一部でした。いくつかの例外を除いて、群衆の中の人物は、クラスと年齢に応じた衣装で、パノプティコンの前で互いに接近していて、鑑賞者に背を向けます。アトラクションに集中していない少数の人が横顔で描かれています。ジョヴァンニ.バティスタとジョヴァンニ.ドメニコティエポロとして識別されている右側の2人の男性、中央に白い服を着た少年と左端のプルチネッラです。

    「モンド.ノヴォ - 新世界」と名が付くこのフレスコ画は、ジアニゴ別荘の玄関ホールにありました。エキゾチックな世界の写真を見ることができる一種のパノプティコン(全周展望装置)であるモンド.ノヴォは、ヴェネツィアのカーニバルの一部でした。いくつかの例外を除いて、群衆の中の人物は、クラスと年齢に応じた衣装で、パノプティコンの前で互いに接近していて、鑑賞者に背を向けます。アトラクションに集中していない少数の人が横顔で描かれています。ジョヴァンニ.バティスタとジョヴァンニ.ドメニコティエポロとして識別されている右側の2人の男性、中央に白い服を着た少年と左端のプルチネッラです。

  • 左側を区大しました。踏み台の上で男性が持つ釣り棒の先に、パノプティコン(全周展望装置)があるのでしょうか?左隅にプルチネッラもいます。

    左側を区大しました。踏み台の上で男性が持つ釣り棒の先に、パノプティコン(全周展望装置)があるのでしょうか?左隅にプルチネッラもいます。

  • こちらは右側の拡大写真です。ジョヴァンニ.バティスタとジョヴァンニ.ドメニコティエポロとして識別されている右側の2人の男性がいます。

    こちらは右側の拡大写真です。ジョヴァンニ.バティスタとジョヴァンニ.ドメニコティエポロとして識別されている右側の2人の男性がいます。

  • 天井は、芸術の寓話のフレスコ画です。

    天井は、芸術の寓話のフレスコ画です。

  • 2012年4月にドライブで訪問した際に撮影した写真の一部を紹介します。ヴィチェンツァ駅前から2Kmの近さにあります。ヴィッラ.ヴァルマラーナ.アイ.ナーニの入り口です。前庭の後ろに本館が見えます。本館とは別に、この入り口の左に迎賓館があります。ジャンドメニコ.ティエポロが1757年に製作したフレスコ画は、両方の館にあります。

    2012年4月にドライブで訪問した際に撮影した写真の一部を紹介します。ヴィチェンツァ駅前から2Kmの近さにあります。ヴィッラ.ヴァルマラーナ.アイ.ナーニの入り口です。前庭の後ろに本館が見えます。本館とは別に、この入り口の左に迎賓館があります。ジャンドメニコ.ティエポロが1757年に製作したフレスコ画は、両方の館にあります。

  • 迎賓館にあるヴェネツィアのカーニバルの間のフレスコ画で、その題目から名付けられた広間です。<br />この絵は、ピエトロ.ロンギのお得意のテーマを取り上げています。それは、マスクに隠れて、ヴェネツィア社会のすべてのクラスの人々が参加した人気のあるイベントの光景です。 手品、曲芸、音楽の合間で大衆を楽しませた山師の演奏は、ヴェネツィアのカーニバルの一部でした。<br />

    迎賓館にあるヴェネツィアのカーニバルの間のフレスコ画で、その題目から名付けられた広間です。
    この絵は、ピエトロ.ロンギのお得意のテーマを取り上げています。それは、マスクに隠れて、ヴェネツィア社会のすべてのクラスの人々が参加した人気のあるイベントの光景です。 手品、曲芸、音楽の合間で大衆を楽しませた山師の演奏は、ヴェネツィアのカーニバルの一部でした。

  • こちらのフレスコ画は、34年後にティエポロ家のジアニーゴ別荘のフレスコ画「新世界」に進化させた元になっています。

    こちらのフレスコ画は、34年後にティエポロ家のジアニーゴ別荘のフレスコ画「新世界」に進化させた元になっています。

  • これらのカーニバルの絵は、このような騙し絵で描かれた壁面の一部となっています。

    これらのカーニバルの絵は、このような騙し絵で描かれた壁面の一部となっています。

  • プルチネッラの部屋では、絵画の主人公はプルチネッラです。ナポリの仮面をかぶった嘲けりの人物が部屋を支配しています。天井にはプルチネッラのブランコが描かれています。3つの大きな壁のシーンは、「プルチネッラの恋」、「プルチネッラと曲芸師」、および「プルチネッラの出発」を表しています。扉の上の4つのモノクローム.シーン(そのうちの2つは長方形のフォーマット)が、部屋の上部の装飾を完成させます。<br />この絵は、「プルチネッラの恋」です。

    プルチネッラの部屋では、絵画の主人公はプルチネッラです。ナポリの仮面をかぶった嘲けりの人物が部屋を支配しています。天井にはプルチネッラのブランコが描かれています。3つの大きな壁のシーンは、「プルチネッラの恋」、「プルチネッラと曲芸師」、および「プルチネッラの出発」を表しています。扉の上の4つのモノクローム.シーン(そのうちの2つは長方形のフォーマット)が、部屋の上部の装飾を完成させます。
    この絵は、「プルチネッラの恋」です。

  • 「プルチネッラの恋」を拡大しました。<br />プルチネッラは、17世紀のコメディア.デラルテに端を発し、ナポリの人形劇のストック.キャラクターとなった古典的なキャラクターです。

    「プルチネッラの恋」を拡大しました。
    プルチネッラは、17世紀のコメディア.デラルテに端を発し、ナポリの人形劇のストック.キャラクターとなった古典的なキャラクターです。

  • こちらは、「プルチネッラと曲芸師」です。

    こちらは、「プルチネッラと曲芸師」です。

  • 周りの人々を拡大しました。

    周りの人々を拡大しました。

  • これは、「プルチネッラの出発」です。

    これは、「プルチネッラの出発」です。

  • プルチネッラの部屋の天井で、「プルチネッラのブランコ」です。

    プルチネッラの部屋の天井で、「プルチネッラのブランコ」です。

  • ジアニゴ別荘の礼拝堂です。<br />礼拝堂の祭壇画は、サン.ジロラモ.エミリアーニとサン.ヤコブ使徒によって礼拝される聖母子の繊細なイメージを表現しています。この礼拝堂は、ジョヴァンニ.ドメニコの兄弟である司祭ジュゼッペ.マリアが所属していた、ソマスカン教団の創設者である聖ジェローム.エミリアーニに捧げられていました。

    ジアニゴ別荘の礼拝堂です。
    礼拝堂の祭壇画は、サン.ジロラモ.エミリアーニとサン.ヤコブ使徒によって礼拝される聖母子の繊細なイメージを表現しています。この礼拝堂は、ジョヴァンニ.ドメニコの兄弟である司祭ジュゼッペ.マリアが所属していた、ソマスカン教団の創設者である聖ジェローム.エミリアーニに捧げられていました。

  • 前掲の祭壇画の他に、旧約聖書の物語から製作された2枚と、サン.ジロラモ.エミリアーニの物語が描かれた2枚の単色のフレスコ画があります。まず旧約聖書の物語の「メルキゼデクの献上」です。セーラムの司祭で王であるメルキゼデクが、戦いの翌日の夜に、鎧を着て彼の前に跪くアブラハムにパンとワインで彼を祝福します。

    前掲の祭壇画の他に、旧約聖書の物語から製作された2枚と、サン.ジロラモ.エミリアーニの物語が描かれた2枚の単色のフレスコ画があります。まず旧約聖書の物語の「メルキゼデクの献上」です。セーラムの司祭で王であるメルキゼデクが、戦いの翌日の夜に、鎧を着て彼の前に跪くアブラハムにパンとワインで彼を祝福します。

  • 2枚目の絵は、モーセがシナイ山から持ち帰った十戒が書かれた石板を割る場面です。モーゼを待つ民は、モーゼの留守中に新たな神として黄金の子牛を崇拝していました。モーゼはその事を怒ったのです。<br />

    2枚目の絵は、モーセがシナイ山から持ち帰った十戒が書かれた石板を割る場面です。モーゼを待つ民は、モーゼの留守中に新たな神として黄金の子牛を崇拝していました。モーゼはその事を怒ったのです。

  • 次の2枚は、サン.ジロラモ.エミリアーニの物語です。<br />「岩から水を打つサン.ジロラモ.エミリアーニ」です。モーゼのように、岩から水を得た場面です。

    次の2枚は、サン.ジロラモ.エミリアーニの物語です。
    「岩から水を打つサン.ジロラモ.エミリアーニ」です。モーゼのように、岩から水を得た場面です。

  • これは、「ロザリオを暗唱するサン.ジロラモ.エミリアーニ」です。

    これは、「ロザリオを暗唱するサン.ジロラモ.エミリアーニ」です。

  • 3階のパラトリア(パーラー)の広間です。<br />広間の名前は、ここに展示してあるフランチェスコ.グアルディの絵画「サン.ザッカリーアの修道女のパーラー」に由来しています。「正義、慎重さ、気性、名声、豊かさの下で、美徳によって戴冠された夫婦の調和」と題された天井のフレスコ画は、ティエポロの晩年の弟子で、ヴェネツィアの画家のギルドのメンバーであり、ヴェネツィア美術アカデミーの教授であったコスタンティーノ.セディーニ(1741年 - 1811)の作品です。このフレスコ画は、もともとカンナレージョのナニ宮殿にありました。それは1930年代に現在の場所に移されました。フレスコ画を囲むフレームは1世紀以上前のもので、アントニオ.フェリーチェ.フェラーリ(1667-1720)によるものです。

    3階のパラトリア(パーラー)の広間です。
    広間の名前は、ここに展示してあるフランチェスコ.グアルディの絵画「サン.ザッカリーアの修道女のパーラー」に由来しています。「正義、慎重さ、気性、名声、豊かさの下で、美徳によって戴冠された夫婦の調和」と題された天井のフレスコ画は、ティエポロの晩年の弟子で、ヴェネツィアの画家のギルドのメンバーであり、ヴェネツィア美術アカデミーの教授であったコスタンティーノ.セディーニ(1741年 - 1811)の作品です。このフレスコ画は、もともとカンナレージョのナニ宮殿にありました。それは1930年代に現在の場所に移されました。フレスコ画を囲むフレームは1世紀以上前のもので、アントニオ.フェリーチェ.フェラーリ(1667-1720)によるものです。

  • この広間には、フランチェスコ.グアルディ(1712 - 1793)の最も有名な2つの絵画が展示してあります。 これは「サン.ザッカリーアの修道女のパーラー」です。 パーラーは、友人や親戚が修道女とおしゃべりできるサン.ザッカリーア修道院の訪問者の部屋です。お祝いの折には、子供達のために人形劇も行われました。

    この広間には、フランチェスコ.グアルディ(1712 - 1793)の最も有名な2つの絵画が展示してあります。 これは「サン.ザッカリーアの修道女のパーラー」です。 パーラーは、友人や親戚が修道女とおしゃべりできるサン.ザッカリーア修道院の訪問者の部屋です。お祝いの折には、子供達のために人形劇も行われました。

  • こちらは「サン.モワゼのパラッツォ.ダンドロのリドット」です。<br />リドットは、ベネチア州が直接管理する最初の賭場でした。1638年にサン.マルコ広場近くのサン.モワゼのパラッツォ.ダンドロに開設されました。それまでは、共和国によって禁止されていたにもかかわらず、広く行われていたギャンブルを一か所に纏める事と毎日ギャンブルがもたらす多額のお金を州の金庫に移す事を目的としていました。ここでも普通の賭場のように、多くの金貸しやイカガワシイ人々が群がっています。

    こちらは「サン.モワゼのパラッツォ.ダンドロのリドット」です。
    リドットは、ベネチア州が直接管理する最初の賭場でした。1638年にサン.マルコ広場近くのサン.モワゼのパラッツォ.ダンドロに開設されました。それまでは、共和国によって禁止されていたにもかかわらず、広く行われていたギャンブルを一か所に纏める事と毎日ギャンブルがもたらす多額のお金を州の金庫に移す事を目的としていました。ここでも普通の賭場のように、多くの金貸しやイカガワシイ人々が群がっています。

  • こちらは、18世紀後半のベネチアの画家が描いたサン.マルコ広場とサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂の遠望です。この絵のように遠望できる場所はスキアヴォーニ河岸では見つかりません。近い場所としては、次掲のホテル.ブチントロの前かアルセナーレ船着場の河岸でしょう。でも手前のような河岸の形にはなりません。

    こちらは、18世紀後半のベネチアの画家が描いたサン.マルコ広場とサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂の遠望です。この絵のように遠望できる場所はスキアヴォーニ河岸では見つかりません。近い場所としては、次掲のホテル.ブチントロの前かアルセナーレ船着場の河岸でしょう。でも手前のような河岸の形にはなりません。

  • この写真はホテル.ブチントロの前から撮影したものです。

    この写真はホテル.ブチントロの前から撮影したものです。

  • 3階のアルコーヴです。<br />この部屋には、18世紀の寝室が再現されており、更衣室、ワードローブ、私室が含まれてます。このアルコーブは、18世紀の後半まで遡るサン.スタエのパラッツォ.カルミナーティから移されました。

    3階のアルコーヴです。
    この部屋には、18世紀の寝室が再現されており、更衣室、ワードローブ、私室が含まれてます。このアルコーブは、18世紀の後半まで遡るサン.スタエのパラッツォ.カルミナーティから移されました。

  • ヴェローナで生まれたバロック後期のベネチアの画家ヤコポ.グアラナ(1720 - 1808)の天井画です。

    ヴェローナで生まれたバロック後期のベネチアの画家ヤコポ.グアラナ(1720 - 1808)の天井画です。

  • 3階のロンギの広間です。<br />この部屋には、多くの風俗画を手掛け、ヴェネツィアで活躍したピエトロ.ロンギ(1701 - 1785)の、ヴェネツィアの啓蒙である皮肉で批判的な精神を反映するジャンルの絵画が多数展示してあります。

    3階のロンギの広間です。
    この部屋には、多くの風俗画を手掛け、ヴェネツィアで活躍したピエトロ.ロンギ(1701 - 1785)の、ヴェネツィアの啓蒙である皮肉で批判的な精神を反映するジャンルの絵画が多数展示してあります。

  • 天井には、1730年代のティエポロのキャリア初期段階に属するカンバス画がカ.ペーザロから移されました。4つの風の1つであるゼファーと花の女神フローラが組み合わされている事は、春、ひいては子沢山を暗示しています。色は鮮やかで透明です。 筆致の名手技は、官能的な肌色を引き出し、色彩効果の心地よいコントラストを強調します。

    天井には、1730年代のティエポロのキャリア初期段階に属するカンバス画がカ.ペーザロから移されました。4つの風の1つであるゼファーと花の女神フローラが組み合わされている事は、春、ひいては子沢山を暗示しています。色は鮮やかで透明です。 筆致の名手技は、官能的な肌色を引き出し、色彩効果の心地よいコントラストを強調します。

  • ピエトロ.ロンギの作品2枚です。これは「占い師」です。

    ピエトロ.ロンギの作品2枚です。これは「占い師」です。

  • 「貴族パトリツィア家の家族」です。

    「貴族パトリツィア家の家族」です。

  • 4階に上がりました。ここにはエギディオ.マルティーニ画廊があります。ここにある質の高い264枚の絵画は、電気工学の学者であったエギディオ.マルティーニが、このカ.レッツォニコに寄贈したものです。<br />この絵は、エミリア派に属した初期イタリアル.ネサンスの画家ボッカチオ.ボッカチーノ(1466 - 1525) 作の「聖母マリアと小鳥を持った幼子キリスト」です。

    4階に上がりました。ここにはエギディオ.マルティーニ画廊があります。ここにある質の高い264枚の絵画は、電気工学の学者であったエギディオ.マルティーニが、このカ.レッツォニコに寄贈したものです。
    この絵は、エミリア派に属した初期イタリアル.ネサンスの画家ボッカチオ.ボッカチーノ(1466 - 1525) 作の「聖母マリアと小鳥を持った幼子キリスト」です。

  • ジャンドメニコ.ティエポロ作の「聖母マリアと小鳥を持った幼子キリスト」です。ジャンドメニコ.ティエポロは、上掲の画家の、2世紀半後の時代の画家になります。<br />

    ジャンドメニコ.ティエポロ作の「聖母マリアと小鳥を持った幼子キリスト」です。ジャンドメニコ.ティエポロは、上掲の画家の、2世紀半後の時代の画家になります。

  • イッポリト.カフィ(1809 - 1866)作の「カ.ペーザロ方向のグラン.カナル」です。リアルト橋から左に大きく曲がると、しばらくの間運河は真っ直ぐになります。右側端にカ.ドーロが見え、左側で最も右の運河に突き出した建物がカ.ペーザロのようです。運河の右側で最も遠くにある建物は、世界最古のカジノであるカ.ヴェンドラミン.カレルギのようです。

    イッポリト.カフィ(1809 - 1866)作の「カ.ペーザロ方向のグラン.カナル」です。リアルト橋から左に大きく曲がると、しばらくの間運河は真っ直ぐになります。右側端にカ.ドーロが見え、左側で最も右の運河に突き出した建物がカ.ペーザロのようです。運河の右側で最も遠くにある建物は、世界最古のカジノであるカ.ヴェンドラミン.カレルギのようです。

  • 今のように大きなヴァポレットやモーターボートが行き来していないので、風がなければこのように綺麗な凪になるのでしょうか。運河に浮かぶ船を拡大しました。

    今のように大きなヴァポレットやモーターボートが行き来していないので、風がなければこのように綺麗な凪になるのでしょうか。運河に浮かぶ船を拡大しました。

  • 運河の北岸の建物に当たる日の具合から推測すると午後3時頃の情景でしょうか。<br />カフィは、建築の主題や海の風景、都市の風景を得意としました。カナレットのほぼ1世紀後の画家です。<br />

    運河の北岸の建物に当たる日の具合から推測すると午後3時頃の情景でしょうか。
    カフィは、建築の主題や海の風景、都市の風景を得意としました。カナレットのほぼ1世紀後の画家です。

  • こちらも同じカフィの作品で「ローマのピンチョの丘からの眺め」です。ピンチョの丘は、ローマでヴィットリオ.エマヌエレ2世記念堂からほぼ北に伸びるコルソ大通りが行き着く先のポポロ広場の東側にある丘です。そこから西南西の方向にサン.ピエトロ大聖堂が見えます。この絵画では大聖堂の左にサンタンジェロ城も描かれています。ピンチョの丘の展望台の欄干とサン.ピエトロ大聖堂との間は、建物がなく川のように見えます。大聖堂の右下に見える槍のような塔は、ポポロ広場に立つオベリスクの頂部です。

    こちらも同じカフィの作品で「ローマのピンチョの丘からの眺め」です。ピンチョの丘は、ローマでヴィットリオ.エマヌエレ2世記念堂からほぼ北に伸びるコルソ大通りが行き着く先のポポロ広場の東側にある丘です。そこから西南西の方向にサン.ピエトロ大聖堂が見えます。この絵画では大聖堂の左にサンタンジェロ城も描かれています。ピンチョの丘の展望台の欄干とサン.ピエトロ大聖堂との間は、建物がなく川のように見えます。大聖堂の右下に見える槍のような塔は、ポポロ広場に立つオベリスクの頂部です。

  • この写真は、2011年2月にとずれた際に撮影したものです。この写真ではサンタンジェロ城が見つかりません。

    この写真は、2011年2月にとずれた際に撮影したものです。この写真ではサンタンジェロ城が見つかりません。

  • 4階のエギディオ.マルティーニ画廊から西の方を望みます。左手前はサン.バルナバ教会の鐘楼、右奥は サンタ.マリア.デイ.カルミニ教会の鐘楼です。最奥には、サン.セバスティアーノ教会の近くにある双子の鐘楼を持つサン.ラッファエレ.アル.カンゲロ教会が見えています。

    4階のエギディオ.マルティーニ画廊から西の方を望みます。左手前はサン.バルナバ教会の鐘楼、右奥は サンタ.マリア.デイ.カルミニ教会の鐘楼です。最奥には、サン.セバスティアーノ教会の近くにある双子の鐘楼を持つサン.ラッファエレ.アル.カンゲロ教会が見えています。

  • 4階の再現された薬局です。<br />この薬局は、1908年までヴェネツィアのカンポ.サンスティン広場のドナ通りの角にありました。その存在の最も初期の記録は17世紀の後半にさかのぼります。ここに展示されている陶器、鍋、最高級のムラーノ.ガラスの製品の殆どが18世紀半ばのものです。

    4階の再現された薬局です。
    この薬局は、1908年までヴェネツィアのカンポ.サンスティン広場のドナ通りの角にありました。その存在の最も初期の記録は17世紀の後半にさかのぼります。ここに展示されている陶器、鍋、最高級のムラーノ.ガラスの製品の殆どが18世紀半ばのものです。

  • カ.レッツォニコ宮殿の運河に面した玄関です。2時間ほどカ.レッツニコに滞在してジュデッカ島に向かい、そこで昼食にします。

    カ.レッツォニコ宮殿の運河に面した玄関です。2時間ほどカ.レッツニコに滞在してジュデッカ島に向かい、そこで昼食にします。

  • カ.レッツォニコ宮殿の真正面で対岸にあるサン.サムエレ乗下船場です。その向こうに同名の教会の鐘楼が見えます。正面は18世紀最後の大型宮殿であるパラッツォ.グラッシです。この建物設計者は当時有名であったジョルジョ.マッサーリで、後に対面にあるこのカ.レッツォニコの建設再開時の設計者です。

    カ.レッツォニコ宮殿の真正面で対岸にあるサン.サムエレ乗下船場です。その向こうに同名の教会の鐘楼が見えます。正面は18世紀最後の大型宮殿であるパラッツォ.グラッシです。この建物設計者は当時有名であったジョルジョ.マッサーリで、後に対面にあるこのカ.レッツォニコの建設再開時の設計者です。

  • カ.レッツォニコ宮殿真正面から北側を望みます。カ.レッツォニコの乗下船場先でグラン.カナルは右に大きく曲がってリアルト橋に向かいます。その曲がり角にあるパラッツォ.バルビが写真の左端に見えます。この宮殿から1807年にナポレオンがグラン.カナルで開催されたラガッタを観戦したそうです。運河の左右が見渡せる最適な場所にあります。

    カ.レッツォニコ宮殿真正面から北側を望みます。カ.レッツォニコの乗下船場先でグラン.カナルは右に大きく曲がってリアルト橋に向かいます。その曲がり角にあるパラッツォ.バルビが写真の左端に見えます。この宮殿から1807年にナポレオンがグラン.カナルで開催されたラガッタを観戦したそうです。運河の左右が見渡せる最適な場所にあります。

  • ヴァポレット乗下船場には、カレッツォニコ宮殿が南に接し西の方向に走るこの小さな運河を渡って行きます。運河の遠くで右岸にあるサンタ.マリア.デイ.カルミニ教会の鐘楼が見えます。この運河の名前はサン.バルナーバ川になっていました。<br />

    ヴァポレット乗下船場には、カレッツォニコ宮殿が南に接し西の方向に走るこの小さな運河を渡って行きます。運河の遠くで右岸にあるサンタ.マリア.デイ.カルミニ教会の鐘楼が見えます。この運河の名前はサン.バルナーバ川になっていました。

  • カ.レッツォニコの乗下船場からアッカデミア橋を望んでいます。同名の美術館は左端に写っています。

    カ.レッツォニコの乗下船場からアッカデミア橋を望んでいます。同名の美術館は左端に写っています。

  • 乗下船場の待合場所です。ヴェネツィアでは車は使えないので、老いも若きもヴァポレットを待ちます。

    乗下船場の待合場所です。ヴェネツィアでは車は使えないので、老いも若きもヴァポレットを待ちます。

  • グラン.カナルを運航する1番のヴァポレットをサン.マルコ(ヴァッラレッソ)で下船して、緑濃い「王の庭園」を通ってサン.ザッカリアに向かいます。今度はサン.ザッカリアから4.2番の船に乗り換えジュデッカ島に渡ります。

    グラン.カナルを運航する1番のヴァポレットをサン.マルコ(ヴァッラレッソ)で下船して、緑濃い「王の庭園」を通ってサン.ザッカリアに向かいます。今度はサン.ザッカリアから4.2番の船に乗り換えジュデッカ島に渡ります。

  • サン.マルコ小広場を通って運河沿いを歩きます。左手にドゥカーレ宮殿です。

    サン.マルコ小広場を通って運河沿いを歩きます。左手にドゥカーレ宮殿です。

  • 前もって調べておいたレストランがあるジュデッカ島のパランカ乗下船場に向かうヴァポレットに乗船しました。逆光で少しシルエットに近くなっていますが、左にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、中央右寄りにサンタ.マリア.デッラ.プレゼンタツィオーネ教会(レ.ジテッレ)が見えます。

    前もって調べておいたレストランがあるジュデッカ島のパランカ乗下船場に向かうヴァポレットに乗船しました。逆光で少しシルエットに近くなっていますが、左にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、中央右寄りにサンタ.マリア.デッラ.プレゼンタツィオーネ教会(レ.ジテッレ)が見えます。

  • ピントが汚れたガラス窓に合ってしまいましたが、4.1や4.2番の船はモトスカーフォと呼ばれ、イタリア語でスピード.ボートだそうですが、グラン.カナルを運航するヴァポレットよりスピードが出るので、このように大きな波が立ち、船も揺れます。

    ピントが汚れたガラス窓に合ってしまいましたが、4.1や4.2番の船はモトスカーフォと呼ばれ、イタリア語でスピード.ボートだそうですが、グラン.カナルを運航するヴァポレットよりスピードが出るので、このように大きな波が立ち、船も揺れます。

  • ジュデッカ運河に入り、右手遠くにサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、左に本島でグラン.カナルの南側にあるサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂が見えています。ホテルからこの辺りが見えたので、ここからホテルを探すと、ありました。聖堂の更に遠く写真の中央にホテル.ブチントロ(赤い矢印)が見えています。

    ジュデッカ運河に入り、右手遠くにサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、左に本島でグラン.カナルの南側にあるサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂が見えています。ホテルからこの辺りが見えたので、ここからホテルを探すと、ありました。聖堂の更に遠く写真の中央にホテル.ブチントロ(赤い矢印)が見えています。

  • 右に見えるレデントーレ教会前を過ぎて、下船するジュデッカ.パランカにもうすぐ着きます。<br />この乗下船場の近くにあるレストラン「ラ.パランカ」か「トラットリア.アイ.カッチアトーリ」のどちらかに入るつもりです。

    右に見えるレデントーレ教会前を過ぎて、下船するジュデッカ.パランカにもうすぐ着きます。
    この乗下船場の近くにあるレストラン「ラ.パランカ」か「トラットリア.アイ.カッチアトーリ」のどちらかに入るつもりです。

  • 「トラットリア.アイ.カッチアトーリ」を選んで外のテーブルに座りました。このレストランは、トリップアドバイザー評価でベネチアのレストラン1,320軒中107位です。

    「トラットリア.アイ.カッチアトーリ」を選んで外のテーブルに座りました。このレストランは、トリップアドバイザー評価でベネチアのレストラン1,320軒中107位です。

  • ここはジュデッカ島の北側なので、この時期、日が当たりませんが、晴天なので爽やかです。

    ここはジュデッカ島の北側なので、この時期、日が当たりませんが、晴天なので爽やかです。

  • 前菜にババはイカを。

    前菜にババはイカを。

  • ジジはツナのタルタルを。

    ジジはツナのタルタルを。

  • そして二人でお魚を分け合いました。

    そして二人でお魚を分け合いました。

  • そして最後はこのデザートとカプチーノです。

    そして最後はこのデザートとカプチーノです。

  • 雲ひとつない晴天の下の景観は最高です。前方はジュデッカ運河の対岸の本島南側の河岸です。この南側河岸の左手にサンタ.マリア.デ.ラ.ヴィジタツィオーネ教会、その右隣に少し大きいサンタ.マリア.デル.ロザリオ教会です。右側遠くにグラン.カナル北側にあるサン.ステファーノ教会の鐘楼が見えています。

    雲ひとつない晴天の下の景観は最高です。前方はジュデッカ運河の対岸の本島南側の河岸です。この南側河岸の左手にサンタ.マリア.デ.ラ.ヴィジタツィオーネ教会、その右隣に少し大きいサンタ.マリア.デル.ロザリオ教会です。右側遠くにグラン.カナル北側にあるサン.ステファーノ教会の鐘楼が見えています。

  • レストランから見たホテル.ブチントロ(赤い矢印)です。ホテルの左隣は海洋史博物館で、橋の向こうがアルセナーレ海軍基地です。海洋史博物館方向に向かう黄色の船は、マルコ.ポーロ空港とヴェネツィアを結んでいます。

    レストランから見たホテル.ブチントロ(赤い矢印)です。ホテルの左隣は海洋史博物館で、橋の向こうがアルセナーレ海軍基地です。海洋史博物館方向に向かう黄色の船は、マルコ.ポーロ空港とヴェネツィアを結んでいます。

  • サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂方向を望みます。同聖堂のドームの左にサン.マルコ聖堂の鐘楼も見えています。

    サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂方向を望みます。同聖堂のドームの左にサン.マルコ聖堂の鐘楼も見えています。

  • 左にサンタ.マリア.デ.ラ.ヴィジタツィオーネ教会、右には、ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロの絵画が、天井や祭壇画で鑑賞できるサンタ.マリア.デル.ロザリオ教会です。

    左にサンタ.マリア.デ.ラ.ヴィジタツィオーネ教会、右には、ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロの絵画が、天井や祭壇画で鑑賞できるサンタ.マリア.デル.ロザリオ教会です。

  • この船は本島とリド島とその東側に本土側から伸びてきたカヴァッリーノ半島を結ぶカー.フェリーです。本島の発着場所は、サンタ.ルチア駅の西にあるトロンケット.ターミナルです。少し高い船から、ジュデッカ運河を通ってサン.マルコ広場を含む本島南岸を眺めるために、一度乗船して見たいと思っています。

    この船は本島とリド島とその東側に本土側から伸びてきたカヴァッリーノ半島を結ぶカー.フェリーです。本島の発着場所は、サンタ.ルチア駅の西にあるトロンケット.ターミナルです。少し高い船から、ジュデッカ運河を通ってサン.マルコ広場を含む本島南岸を眺めるために、一度乗船して見たいと思っています。

  • レストランの中から外のテーブルを望みます。<br />1時間以上のんびり昼食をとり次の行動に移ります。折角4.1番の船でここに来たので、4.1番の逆コースの4.2番の船に乗ってムラーノ島に行く事にしました。

    レストランの中から外のテーブルを望みます。
    1時間以上のんびり昼食をとり次の行動に移ります。折角4.1番の船でここに来たので、4.1番の逆コースの4.2番の船に乗ってムラーノ島に行く事にしました。

  • レストランから東に歩き、一つ橋を渡ってレデントーレ乗下船場から4.1番の船に乗ります。この橋ですが、格好は悪いですが、弱者に優しい装置、エレベーターが設置してありました。反対側は、ジュデッカ運河の内側に設置してあります。

    レストランから東に歩き、一つ橋を渡ってレデントーレ乗下船場から4.1番の船に乗ります。この橋ですが、格好は悪いですが、弱者に優しい装置、エレベーターが設置してありました。反対側は、ジュデッカ運河の内側に設置してあります。

  • この水路は広いので、係船場になっているようです。

    この水路は広いので、係船場になっているようです。

  • レデントーレ乗下船場で船を待つ間、更に周りを見渡します。右手前に鐘楼を持つサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、その向こうは本島のスキアヴォーニ河岸の建物が見えています。ホテルはこれ(赤い矢印)です。

    レデントーレ乗下船場で船を待つ間、更に周りを見渡します。右手前に鐘楼を持つサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂、その向こうは本島のスキアヴォーニ河岸の建物が見えています。ホテルはこれ(赤い矢印)です。

  • こちらはジュデッカ運河対岸で、右のザッテレ乗下船場からサン.バシリオ乗下船場までの間が写っています。両船着場とも4.1と4.2番の船は立ち寄りません。ここで目立つ教会は、右から海岸沿いのサンタ.マリア.デル.ロザリオ教会とサンタ.マリア.デ.ラ.ヴィジタツィオーネ教会、中央で内陸にあるカルミニ教会とオニッサンティ教会の鐘楼、左端にサン.ラッファエレ.アルカンジェロ教会とサン.セバスティアーノ教会の鐘楼です。サン.ラッファエレ.アルカンジェロ教会は2本の鐘楼がありますが、もう1本はサン.セバスティアーノ教会の鐘楼の後ろに隠れています。

    こちらはジュデッカ運河対岸で、右のザッテレ乗下船場からサン.バシリオ乗下船場までの間が写っています。両船着場とも4.1と4.2番の船は立ち寄りません。ここで目立つ教会は、右から海岸沿いのサンタ.マリア.デル.ロザリオ教会とサンタ.マリア.デ.ラ.ヴィジタツィオーネ教会、中央で内陸にあるカルミニ教会とオニッサンティ教会の鐘楼、左端にサン.ラッファエレ.アルカンジェロ教会とサン.セバスティアーノ教会の鐘楼です。サン.ラッファエレ.アルカンジェロ教会は2本の鐘楼がありますが、もう1本はサン.セバスティアーノ教会の鐘楼の後ろに隠れています。

  • こちらは北東のサン.マルコ広場の方向です。左端にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂、中央にかって税関だったプンタ.デラ.ドガーナです。サン.マルコ寺院の鐘楼は、サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂の鐘楼、その後ろの小ドームの更に後ろに微かに見えます。右のほうには、本島北側にあるサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の高い鐘楼、右隣は内陸にあるサン.ジョルジオ.デイ.グレーチ聖堂の鐘楼、右端のサンタントニン教会の鐘楼です。

    こちらは北東のサン.マルコ広場の方向です。左端にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂、中央にかって税関だったプンタ.デラ.ドガーナです。サン.マルコ寺院の鐘楼は、サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂の鐘楼、その後ろの小ドームの更に後ろに微かに見えます。右のほうには、本島北側にあるサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の高い鐘楼、右隣は内陸にあるサン.ジョルジオ.デイ.グレーチ聖堂の鐘楼、右端のサンタントニン教会の鐘楼です。

  • レデントーレ乗下船場から4.1番の船に乗りムラーノ島を目指します。中央にスキアヴォーニ河岸のドゥカーレ宮殿、ホテル.ダニエッリが見えます。

    レデントーレ乗下船場から4.1番の船に乗りムラーノ島を目指します。中央にスキアヴォーニ河岸のドゥカーレ宮殿、ホテル.ダニエッリが見えます。

  • ドゥカーレ宮殿とサン.マルコの鐘楼を拡大しました。

    ドゥカーレ宮殿とサン.マルコの鐘楼を拡大しました。

  • こちらは2007年10月にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂の鐘楼に登りサン.マルコ広場を眺めた写真です。この写真を見ると、両鐘楼共に展望台は同じ高さに見えます。

    こちらは2007年10月にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂の鐘楼に登りサン.マルコ広場を眺めた写真です。この写真を見ると、両鐘楼共に展望台は同じ高さに見えます。

  • 当時も観光客でこんなに混雑していました。

    当時も観光客でこんなに混雑していました。

  • アルセナーレ乗下船場を出て4.1番の船は、ホテル前を通過して南東に走ります。ホテル.ブチントロの建物は、不思議な構造です。もともと11世紀に遡る寺院が立っていましたが、その後サン.ビアジョ.ヴェスコヴォ教会に改修されました。建物のファサードに、その面影が残っていますが、今でも海軍基地の牧師さんがお勤めしている現役の教会です。しかし建物の上階は、ホテルになっています。

    アルセナーレ乗下船場を出て4.1番の船は、ホテル前を通過して南東に走ります。ホテル.ブチントロの建物は、不思議な構造です。もともと11世紀に遡る寺院が立っていましたが、その後サン.ビアジョ.ヴェスコヴォ教会に改修されました。建物のファサードに、その面影が残っていますが、今でも海軍基地の牧師さんがお勤めしている現役の教会です。しかし建物の上階は、ホテルになっています。

  • 後ろを振り返ります。左側遠くにサン.ジョルジオ.デイ.グレーチ聖堂の鐘楼が見えます。

    後ろを振り返ります。左側遠くにサン.ジョルジオ.デイ.グレーチ聖堂の鐘楼が見えます。

  • 船は本島の東側のサン.ピエトロ.ディ.カステッロ乗下船場を過ぎました。アルセナーレ海軍基地の構内で北東にとび出た区画は、造船所になっています。東から西へ、大中小の乾ドックが造られています。写真中央には、サン.ピトロ.ディ.カサテッロ聖堂が見え、その右側半分が海軍基地の造船所です。

    船は本島の東側のサン.ピエトロ.ディ.カステッロ乗下船場を過ぎました。アルセナーレ海軍基地の構内で北東にとび出た区画は、造船所になっています。東から西へ、大中小の乾ドックが造られています。写真中央には、サン.ピトロ.ディ.カサテッロ聖堂が見え、その右側半分が海軍基地の造船所です。

  • この拡大写真では、小ドックが左側に見えます。中央は、基地内の大きな港の東水門です。その奥遠くは、度々出てくるサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の鐘楼です。

    この拡大写真では、小ドックが左側に見えます。中央は、基地内の大きな港の東水門です。その奥遠くは、度々出てくるサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の鐘楼です。

  • 船は本島の北側に廻って来ました。左側に写るサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の鐘楼は、この方向から見ると傾いているようです。右端に墓地の島、サン.ミケーレ島が少し見えます。

    船は本島の北側に廻って来ました。左側に写るサン.フランチェスコ.デッラ.ヴィーニャ教会の鐘楼は、この方向から見ると傾いているようです。右端に墓地の島、サン.ミケーレ島が少し見えます。

  • ムラーノ島の南側を遠くから眺めています。中央に乗下船場ファーロの隣にある白い灯台です。右の高い鐘楼はサンティ.マリア.e.ドナート大聖堂で、右端の細く高い鐘楼は、旧サン.マッテオ.ムラーノ教会です。中央左の鐘楼は、サン.ピエトロ.マルティーレ教会です。

    ムラーノ島の南側を遠くから眺めています。中央に乗下船場ファーロの隣にある白い灯台です。右の高い鐘楼はサンティ.マリア.e.ドナート大聖堂で、右端の細く高い鐘楼は、旧サン.マッテオ.ムラーノ教会です。中央左の鐘楼は、サン.ピエトロ.マルティーレ教会です。

  • 左に墓地の島のサン.ミケーレ.イン.イソラ教会が見えます。遠方は本島の北岸です。

    左に墓地の島のサン.ミケーレ.イン.イソラ教会が見えます。遠方は本島の北岸です。

  • 最初のヴァポレット船着場「ファーロ」が近づいています。この1934年建設の灯台が目印になります。

    最初のヴァポレット船着場「ファーロ」が近づいています。この1934年建設の灯台が目印になります。

  • ファーロを過ぎてムラーノ島のグラン.カナルに船は進んで行きます。次の乗下船場はムラーノ.ナヴァゲロが見えています。正面にはサンティ.マリア.エ.ドナート教会の鐘塔が見えています。

    ファーロを過ぎてムラーノ島のグラン.カナルに船は進んで行きます。次の乗下船場はムラーノ.ナヴァゲロが見えています。正面にはサンティ.マリア.エ.ドナート教会の鐘塔が見えています。

  • グラン.カナルが左に大きく曲がった先にある、次のムゼオで下船して西の方向にカナル北側の河岸を歩いて行きます。対岸に、これから行くサン.ピエトロ.マルティーレ教会の鐘塔が見えます。

    グラン.カナルが左に大きく曲がった先にある、次のムゼオで下船して西の方向にカナル北側の河岸を歩いて行きます。対岸に、これから行くサン.ピエトロ.マルティーレ教会の鐘塔が見えます。

  • 今日はゴミの収集日でしょうか?

    今日はゴミの収集日でしょうか?

  • カラスではなくカモメがゴミ荒らしをしています。

    カラスではなくカモメがゴミ荒らしをしています。

  • 右隅に半分見える太鼓橋でグラン.カナルを渡ります。ゴミを探してカモメが飛び回っています。

    右隅に半分見える太鼓橋でグラン.カナルを渡ります。ゴミを探してカモメが飛び回っています。

  • 太鼓橋の上でグランカナルの西側を眺めます。中央遠くにサンタ.マリア.デリ.アンジェリ教会が見えます。

    太鼓橋の上でグランカナルの西側を眺めます。中央遠くにサンタ.マリア.デリ.アンジェリ教会が見えます。

  • ムラーノ島の北北西の方向にあるマルコ.ポール空港に、南西から着陸しようとする飛行機が橋の上から見えました。

    ムラーノ島の北北西の方向にあるマルコ.ポール空港に、南西から着陸しようとする飛行機が橋の上から見えました。

  • 橋の上から東の方向に、今歩いて来た運河沿いの道を眺めます。

    橋の上から東の方向に、今歩いて来た運河沿いの道を眺めます。

  • 橋を渡り左に曲がり、グラン.カナルから南に向かう小さな水路沿いを歩いていきます。すると水路の対岸にカンポ.サンタ.ステファーノと名がつく小さな広場が現れました。サン.ピエトロ.マルティーリ教会は、この小広場の対岸にあります。

    橋を渡り左に曲がり、グラン.カナルから南に向かう小さな水路沿いを歩いていきます。すると水路の対岸にカンポ.サンタ.ステファーノと名がつく小さな広場が現れました。サン.ピエトロ.マルティーリ教会は、この小広場の対岸にあります。

  • サン.ピエトロ.マルティーリ教会は、14世紀に付属の修道院と共に建設され、洗礼者聖ヨハネに捧げられました。内部はバシリカ形式で中央の身廊の両側に列柱とアーチ壁に分けられた側廊を持つ平面形で翼廊はありません。壁面や柱は白色で、天井は屋根を支える木造トラスがむき出しになっています。

    サン.ピエトロ.マルティーリ教会は、14世紀に付属の修道院と共に建設され、洗礼者聖ヨハネに捧げられました。内部はバシリカ形式で中央の身廊の両側に列柱とアーチ壁に分けられた側廊を持つ平面形で翼廊はありません。壁面や柱は白色で、天井は屋根を支える木造トラスがむき出しになっています。

  • 身廊と側廊を隔てるアーチ状の壁に描かれた小さな絵です。セイント.トーマスでしょうか?

    身廊と側廊を隔てるアーチ状の壁に描かれた小さな絵です。セイント.トーマスでしょうか?

  • こちらは、シエナのサンタ.カテリーナでしょうか?どちらの聖人も片手に教会を捧げています。

    こちらは、シエナのサンタ.カテリーナでしょうか?どちらの聖人も片手に教会を捧げています。

  • 右側廊にあるジョヴァンニ.ベリーニの作品があります。玉座の聖母子、2人の奏楽の天使、サンタゴスティーノとサン.マルコがヴェネツィア総督を紹介するバルバリゴの祭壇画です。この作品は1488年にさかのぼり、サンタ.マリア.デッリ.アンジェリ教会からここに移されました。

    右側廊にあるジョヴァンニ.ベリーニの作品があります。玉座の聖母子、2人の奏楽の天使、サンタゴスティーノとサン.マルコがヴェネツィア総督を紹介するバルバリゴの祭壇画です。この作品は1488年にさかのぼり、サンタ.マリア.デッリ.アンジェリ教会からここに移されました。

  • 中央の玉座の聖母子を中心に拡大しました。

    中央の玉座の聖母子を中心に拡大しました。

  • こちらは聖母子とサンタゴスティーノです。

    こちらは聖母子とサンタゴスティーノです。

  • 左側廊にある祭壇画です。ルネサンス後期にヴェネツィアで活躍したジュゼッペ.ポルタ (1520 - 1575)の作品で「キリストの十字架降下」です。

    左側廊にある祭壇画です。ルネサンス後期にヴェネツィアで活躍したジュゼッペ.ポルタ (1520 - 1575)の作品で「キリストの十字架降下」です。

  • 気を失ったマリアと取り巻く人々を拡大しました。

    気を失ったマリアと取り巻く人々を拡大しました。

  • 左側廊の絵画です。パオロ.ヴェロネーゼ作の「牢屋の中のサンタガタ」です。

    左側廊の絵画です。パオロ.ヴェロネーゼ作の「牢屋の中のサンタガタ」です。

  • 右側廊の祭壇画です。ヤコポ.ティントレット作の「キリストの洗礼」です。

    右側廊の祭壇画です。ヤコポ.ティントレット作の「キリストの洗礼」です。

  • 先ほどの小広場カンポ.サンタ.ステファーノでゴミ収集作業が始まっていました。広場が面する水路に収集船が来て、船のクレーンで車付きステンレス製の収集篭を引き上げて、ゴミを船に移します。右側にあるカモメに荒らされたと思われる散らかったゴミは作業員が履いて集めていました。

    先ほどの小広場カンポ.サンタ.ステファーノでゴミ収集作業が始まっていました。広場が面する水路に収集船が来て、船のクレーンで車付きステンレス製の収集篭を引き上げて、ゴミを船に移します。右側にあるカモメに荒らされたと思われる散らかったゴミは作業員が履いて集めていました。

  • 各家庭から車付きステンレス製の収集篭で集めたゴミはこのように船の近くまで運ばれます。篭が山盛りになっていて、作業員も大変です。

    各家庭から車付きステンレス製の収集篭で集めたゴミはこのように船の近くまで運ばれます。篭が山盛りになっていて、作業員も大変です。

  • グラン.カナルの北岸をムゼオ方向に歩いてサンティ.マリア.e.ドナート大聖堂に来ました。このムラーノ島のドゥオーモは、その起源が7世紀半ばに遡り、ラグーン.ロマネスクの最も素晴らしい例の1つです。<br />頭が切れてしまいましたが、聖堂の右に離れて立つ鐘楼の前には1927年に設置された戦争記念碑が見えます。

    グラン.カナルの北岸をムゼオ方向に歩いてサンティ.マリア.e.ドナート大聖堂に来ました。このムラーノ島のドゥオーモは、その起源が7世紀半ばに遡り、ラグーン.ロマネスクの最も素晴らしい例の1つです。
    頭が切れてしまいましたが、聖堂の右に離れて立つ鐘楼の前には1927年に設置された戦争記念碑が見えます。

  • 聖堂の南面です。

    聖堂の南面です。

  • 内陣方向を望みます。聖堂の平面形はラテン十字で、ファサードが真西に面しています。

    内陣方向を望みます。聖堂の平面形はラテン十字で、ファサードが真西に面しています。

  • パドヴァで生まれ、ルネサンス期に主にヴェネツィアで活躍しラザロ.バスティアーニ(1429 - 1512)の1484年の作品「玉座の聖母子と聖人達」です。

    パドヴァで生まれ、ルネサンス期に主にヴェネツィアで活躍しラザロ.バスティアーニ(1429 - 1512)の1484年の作品「玉座の聖母子と聖人達」です。

  • 12世紀に、大理石とポリクロームのガラス.ペーストで構成された貴重な床のモザイクが完成しています。

    12世紀に、大理石とポリクロームのガラス.ペーストで構成された貴重な床のモザイクが完成しています。

  • アプスには、金色に輝く背景に、マリアが立っています。

    アプスには、金色に輝く背景に、マリアが立っています。

  • ドゥオーモ前の橋の上から、ユニークな後陣の外観を眺めています。

    ドゥオーモ前の橋の上から、ユニークな後陣の外観を眺めています。

  • 同じ橋の上から北の方向を眺めます。

    同じ橋の上から北の方向を眺めます。

  • こちらは橋の反対側で南西の方向を眺めます。前方はムラーノのグラン.カナルです。

    こちらは橋の反対側で南西の方向を眺めます。前方はムラーノのグラン.カナルです。

  • もうすぐグラン.カナルとの合流地点に来ます。前方にファーロ乗下船場近くの灯台が見えています。

    もうすぐグラン.カナルとの合流地点に来ます。前方にファーロ乗下船場近くの灯台が見えています。

  • グラン.カナルとの合流地点の北側から南の方向を望みます。グラン.カナルの出口遠方で左側には、本島東端にあるサン.ピエトロ.ディ.カステッロのドームと傾いた鐘楼がかすかに見えます。

    グラン.カナルとの合流地点の北側から南の方向を望みます。グラン.カナルの出口遠方で左側には、本島東端にあるサン.ピエトロ.ディ.カステッロのドームと傾いた鐘楼がかすかに見えます。

  • 往路で下船したムゼオで4.1番の船を待ちます。ここから西南西の方向に、グラン.カナルを超えて少し傾いたサン.ピエトロ.マルティーレ教会の鐘塔が見えています。その左横の低い塔は、先ほどゴミ収集をしていた小広場カンポ.サンタ.ステファーノの北に立っているオロロジョの塔です。

    往路で下船したムゼオで4.1番の船を待ちます。ここから西南西の方向に、グラン.カナルを超えて少し傾いたサン.ピエトロ.マルティーレ教会の鐘塔が見えています。その左横の低い塔は、先ほどゴミ収集をしていた小広場カンポ.サンタ.ステファーノの北に立っているオロロジョの塔です。

  • サン.ピエトロ.マルティーレ教会北の太鼓橋方向から、我々が乗船する4.2番線の船が近ずいてきました。

    サン.ピエトロ.マルティーレ教会北の太鼓橋方向から、我々が乗船する4.2番線の船が近ずいてきました。

  • 前方に本島の西側を眺めています。右側の鐘楼は、本島北側にあるマドンナ.デッロールト教会です。その左隣で、低い鐘楼とドームは、グラン.カナルの北岸に接し、サンタルチア駅の北東近くにあるサン.ジェレミア教会です。

    前方に本島の西側を眺めています。右側の鐘楼は、本島北側にあるマドンナ.デッロールト教会です。その左隣で、低い鐘楼とドームは、グラン.カナルの北岸に接し、サンタルチア駅の北東近くにあるサン.ジェレミア教会です。

  • サン.ミケーレ島の横を走っています。この13番のヴァポレットは、本土の東側から伸びてきたカヴァッリーノ半島のトレポルティとムラーノ島経由で本島北岸のフォンダメンテ.ノーヴォ間を結んでいます。本島のグラン.カナルを運行するヴァポレットと同型のようです。

    サン.ミケーレ島の横を走っています。この13番のヴァポレットは、本土の東側から伸びてきたカヴァッリーノ半島のトレポルティとムラーノ島経由で本島北岸のフォンダメンテ.ノーヴォ間を結んでいます。本島のグラン.カナルを運行するヴァポレットと同型のようです。

  • リド島北東端にある空港を左手に船は右に本島南東端を回り始めます。写真の左側にサン.ニコロ.アル.リド修道院が見えています。空港は沿岸から離れているので船からは見つけられません。右の方向に走っているこのモトスカフォは速度も早いので結構波がたちます。

    リド島北東端にある空港を左手に船は右に本島南東端を回り始めます。写真の左側にサン.ニコロ.アル.リド修道院が見えています。空港は沿岸から離れているので船からは見つけられません。右の方向に走っているこのモトスカフォは速度も早いので結構波がたちます。

  • 本島南東端を回って船は北東海岸沿いに進みます。丁度この観光船が並走してきました。

    本島南東端を回って船は北東海岸沿いに進みます。丁度この観光船が並走してきました。

  • 5時40分、ホテルに戻ってきました。部屋の窓から夕日に少し赤くなったサン.マルコ広場方向を眺めます。スキアヴォーニ河岸の中間にあるピエタ教会はファサードの修復中のようで、カバーが掛かっています。

    5時40分、ホテルに戻ってきました。部屋の窓から夕日に少し赤くなったサン.マルコ広場方向を眺めます。スキアヴォーニ河岸の中間にあるピエタ教会はファサードの修復中のようで、カバーが掛かっています。

  • アルセナーレ乗下船場から向こうに一つ橋を越えれば多数のレストランが河岸に並んでいます。まだ店は開く時刻ではない筈ですが、この人混みです。

    アルセナーレ乗下船場から向こうに一つ橋を越えれば多数のレストランが河岸に並んでいます。まだ店は開く時刻ではない筈ですが、この人混みです。

  • ホテル前の岸壁は、いろいろな船の係留場所になっています。この船は河川用のクルーズ船のようで、船名がミケランジェロとなっています。丁度&quot;MI&quot;の文字が係留索に付いたねずみ返しで隠れています。この近くだと、パドヴァとヴェネツィアを結ぶブレンタ川のクルーズに使われているのでしょうか?<br />対岸にはリド島が見えています。写真の左端に円筒形のヴォティヴォ.デッラ.パチェ寺院が写っています。

    ホテル前の岸壁は、いろいろな船の係留場所になっています。この船は河川用のクルーズ船のようで、船名がミケランジェロとなっています。丁度"MI"の文字が係留索に付いたねずみ返しで隠れています。この近くだと、パドヴァとヴェネツィアを結ぶブレンタ川のクルーズに使われているのでしょうか?
    対岸にはリド島が見えています。写真の左端に円筒形のヴォティヴォ.デッラ.パチェ寺院が写っています。

  • 5時50分外に出て近くを散策してみました。少しサン.マルコ広場と反対の方向に河岸を歩きます。今日は日曜日で天気も最高なので、多くの人が夕方の時間を楽しんでいます。

    5時50分外に出て近くを散策してみました。少しサン.マルコ広場と反対の方向に河岸を歩きます。今日は日曜日で天気も最高なので、多くの人が夕方の時間を楽しんでいます。

  • お揃いの白い帽子を被ったご婦人達が歓談していました。

    お揃いの白い帽子を被ったご婦人達が歓談していました。

  • 6時20分です。もうすぐ太陽はサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂の右側に沈んでいきます。

    6時20分です。もうすぐ太陽はサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂の右側に沈んでいきます。

  • 少し周りを眺めてみます。南西の方向にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。

    少し周りを眺めてみます。南西の方向にサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。

  • カメラを右に振りました。太陽の右側にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。

    カメラを右に振りました。太陽の右側にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。

  • サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂を拡大しました。

    サンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂を拡大しました。

  • 満員の乗客を乗せた4.2番線のモトスカフォが走っています。船の後部は、危険な沈下状態になっているように見えます。

    満員の乗客を乗せた4.2番線のモトスカフォが走っています。船の後部は、危険な沈下状態になっているように見えます。

  • ホテルの部屋に戻りました。綺麗な夕焼けです。河岸の街灯にも灯りがつき、聖堂にも照明がついています。

    ホテルの部屋に戻りました。綺麗な夕焼けです。河岸の街灯にも灯りがつき、聖堂にも照明がついています。

  • サン.マルコ広場方面は街灯や、ホテル.ダニエッリの屋上レストランの灯りが見えますが、ドゥカーレ宮殿や鐘楼には照明が当たっていません。

    サン.マルコ広場方面は街灯や、ホテル.ダニエッリの屋上レストランの灯りが見えますが、ドゥカーレ宮殿や鐘楼には照明が当たっていません。

  • 完全に夜になりました。照明に照らされたサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。

    完全に夜になりました。照明に照らされたサン.ジョルジョ.マッジョーレ聖堂です。

  • こちらはサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。

    こちらはサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂です。

  • スキアヴォーニ河岸の夜景です。

    スキアヴォーニ河岸の夜景です。

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