2019/02/26 - 2019/03/29
695位(同エリア3873件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回も絵画鑑賞が主な目的です。
この20回目の旅行記は、フィレンツェと近くのプラートの美術館や教会で絵画を鑑賞した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝、カーテンを開けると北側の窓からサンタ.マリア.ノヴェッラ教会のファサードが正面に現れました。これが好きで、このホテルが我々の常宿になりました。教会の向こうに隠れて鉄道駅があります。
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西側の窓からは、同じ名前の広場の向こうにグランド.ホテル.ミネルヴァが見えます。
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西側の窓から身を乗り出して南側を望みます。ここに2014年に開館した20世紀博物館が見えます。我々には現代芸術は理解不能だし、興味がないので訪れていません。この博物館の通りの右の方向に、化粧品で有名なサンタ.マリア.ノヴェッラ薬局があります。屋内のフレスコ画は一見の価値があります。
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8時40分出掛けます。今日はフィレンツェから北西20Km、鉄道で20分程で行ける毛織物の町プラートです。3回目の訪問になります。今回は、2013年末に修復、改装を終えて市立美術館になっているパラッツォ.プレトリオの入館が主目的です。
フィレンツェ駅前から南南東の方向、ウニータ.イタリアーナ広場を望みます。この広場に市電の停留所が造られています。フィレンツェの市電は1958年に全廃されましたが、新しい市電が2010年に運行し始めました。 -
近代的な駅舎を持つフィレンツェ.サンタ.マリア.ノヴェッラ駅の正面です。
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乗車券の自動販売機です。初期画面に、スリを含め、駅での治安に関する注意事項が表示されています。良いアイディアと思います。特にこの販売機を操作中のスリの注意は重要です。
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構内の駅舎側の様子です。色々なお店が並んでいます。
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こちらはホーム側の様子です。実質的な改札口になっていますが、検札よりホーム内の安保のため、乗車券不所持者の締め出しが目的のようです。ローマやミラノやフィレンツェのような大きな駅に設置してありました。ナポリやヴェネツィアの駅ではまだ設置されていません。昔はよくロマらしい連中が到着した列車にまで乗り込み、荷物の運搬を手伝うと言って勝手に荷物を人質に取ってチップを要求していました。
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プラートにはローカル列車で行くので駅の西側の端のホームから乗車します。線路にはプッシュ.プル列車で、右側には電気機関車、左側には遠隔操作の運転装置が付いた客車が見えます。
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プラートでは、プラート中央駅の一駅先のプラート.ポルタ.セッランリオ駅で下車します。こちらの駅の方が、街中に近いからです。
朝の道路掃除です。ゴミ拾いは、後方のブラシ付き収集車が自動吸引で行います。この清掃員は、収集車が走行予定の経路にゴミを寄せる役です。道路掃除が行われる事がわかっているので、その直前にゴミを捨てる人を時々見かけます。 -
美術館に向かって静かな通りを歩いて行きます。
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チェントロ(街中)にあるパラッツォ.プレトリオ前に着きました。建物の北東側を見上げています。開館時刻の10時半まで40分弱あります。
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パラッツォの前、南東側には、中央に噴水がある小さな広場ピアッツァ.デル.コミューネがあります。
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美術館の開館を待つ先生に引率された小学生でしょうか。
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ババがカメラの魚眼レンズで写した写真を見せながら子供達と楽しく遊んでいます。
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開館まで周りを散策します。博物館の南にあるサン.フランチェスコ教会に入ります。
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側廊がない身廊だけの教会です。
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側壁に掲げられていた祭壇画2枚です。近世の作品のようです。幼子を抱き昇天しているような聖人の足元に、プラート大聖堂の鐘楼が描かれているようです。
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額縁の下に「ora pro nobis sancta mater teresia:聖母テレサのために祈る」と書かれています。
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サン.フランチェスコ教会の東にある皇帝の城です。13世紀に神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世によって建てられた城塞跡だそうです。城塞の外郭だけが残っていて、中は空っぽです。
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皇帝の城の北側に隣接してギリシャ十字形のサンタ.マリア.デッレ.カルチェリ教会があります。この教会と皇帝の城、サン.フランチェスコ教会の間は、サンタ.マリア.デッレ.カルチェリ広場になっています。
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こちらはサンタ.マリア.デッレ.カルチェリ広場の西側にあるサン.フランチェスコ教会の背面です。
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パラッツォ.プレトリオの美術館に戻ってきました。過去2回のプラート訪問では、この美術館は修復中で、サン.ドメニコ教会に隣接するフレスコ美術館が仮の美術作品の展示場所でした。
パラッツォ.プレトリオの起源は、1284年まで遡ります。その後の改造でこのような複雑な外観、構造になっています。 -
昔のプラート城壁内の主だった教会や宮殿の案内図です。
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フィレンツェで活躍した後期マニエリスム様式のイタリア人画家ジョヴァンニ.バッティスタ.ナルディニ(1535 - 1591)作の「聖家族と聖ドメニコ、シエナの聖カテリーナ」です。ナルディニは、アンドレア.デル.サルト(1486 - 1531)に師事したポントルモ(1494 - 1557)の工房で絵の修行を始めました。
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聖家族を拡大しました。
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愛称がポッピである後期マニエリスム様式のイタリアの画家フランチェスコ.モランディーニ(1544 - 1597)作の「大天使ラファエレと若いトビオロ(トビアス)」です。彼はヴァザリーに師事し、前出のナルディニと似た系列の画家です。
題材は旧約聖書のトビト記です。眼病に罹り死を覚悟したトビトは、貸した金の回収に息子トビアスをメディアの地に旅立たせます。途中ティグリス川で密かに同行していた大天使ラファエレがトビアスを呑み込まんとした魚を捕まえます。"小さな"魚を持つ右の男の子がトビアスです。 -
展示室の様子です。祭壇画を中心とした大きな絵画を真近に鑑賞できます。館内はガラガラです。
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美術館の窓から南東の方向にサンタ.マリア.デッレ.カルチェリ教会が見えます。
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後から出てくるプラート大聖堂ヴィナチェッシ礼拝堂のフレスコ画「旧約聖書の物語」を描いたアレサンドロ.フランキ(1838 - 1914)の作品で、シエナのミゼリコルディア墓地のラッフォ礼拝堂に描かれるフレスコ画の下絵で「キリスト降誕」です。
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彫刻の展示室です。大部分は胸像です。
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タッデオ.ガッディ(1290 - 1366)の息子で、父子共にジョットの弟子であったアーニョロ.ガッディ(1350頃 - 1396)のフレスコ画の作品「聖母子」です。彼はフィレンツェに生まれ、この生地やプラートで活躍しました。
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シエナで生まれフィレンツェで活躍したロレンツォ.モナコ(1370 - 1424)作の「聖母子と4人の聖人たち」です。モナコは、ジョットの影響を受けた後期ゴシック、前期ルネサンス期の画家です。この写真は三連祭壇画の中央のパネルです。
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ここからリッピ父子の絵を紹介します。ローマのサンタ.マリア.ソープラ.ミネルヴァ教会のカラファ礼拝堂に、フィリピーノ.リッピがフレスコ画「聖トマス.アクィナスの勝利」を1488/1493年頃に描いています。その右壁面の隅に、故フィリッポ(1406 - 1469)とフィリピーノ(1457 - 1504)父子の肖像を描き込んでいます。右側の赤い帽子と黒服の男性が父のフィリッポで、その左で二人目の赤い帽子の若い男性が息子のフィリピーノです。
フィリピーノは、プラートで当時カルメル会の僧侶であった父のフィリッポと修道女のルクレツィア.ブティとの間に生まれました。この不道徳な行為もフィリッポの才を高く評価していたメディチ家の当主コジモの取り成しにより教皇ピウス2世の赦しを得る事ができました。 -
フィリッポ.リッピと工房の1460-1465年頃の作品で「聖ジュリアーノの前での受胎告知」です。左側の聖ジュリアーノの頭の上に、父なる神の手と聖霊の鳩から光が発せられています。この絵をオリジナルとして、多数の模作を工房が製作しています。
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フィリッポ.リッピ(1406 - 1469)がフラ.ディアマンテ(1430 - 1498頃)を助手として描いた「腰帯の聖母」です。二人の天使によって天国に導かれるマリアは腰帯をサン.トマッソ(トマソ)に渡しています。その左隣りに、サン.グレゴリオとサンタ.マルゲリータ、その横でひざまずくサンタ.マルゲリータ修道院の院長であったバルトロメア.デ.ボバッキエージが描かれています。右側は、サンタゴスティーノと天使に手を取られたトビオロです。トビオロは例の魚を持っています。サンタ.マルゲリータ修道院は、フィリッポ.リッピが彼の妻となる修道女ルクレツィア.ブティが修行していた修道院です。
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少し拡大しました。
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この祭壇画は、1456-1460年頃に製作されたようで、既に修道女のルクレツィア.ブティと知り合いになっていた頃で、左端のサンタ.マルゲリータは、ルクレツィア.ブティがモデルと見られています。
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この絵もフラ.ディアマンテを助手としてフィリッポ.リッピが1455-1466年頃のプラート滞在中に描いた「サン.ヴィンツェンツォ.フェレールの礼拝」です。ヴィンツェンツォ.フェレールが属するサンドメニコ教会のために制作されました。プラート生まれで、フィリッポ.リッピより24才若いフラ.ディアマンテは、フィリッポ.リッピの描画における助手であり、友人であり、息子のフィリッピーノの指導もしていました。
左にサン.ジョルジョ(セント.ジョージ)、右にサン.ヴィチェンツォ.フェレールの幻影、背後には二人の羊飼いと天使達です。 サン.ヴィンチェンツォ.フェレールは1455年に聖人化されました。 -
聖家族の3人だけを拡大しました。この聖母マリアもルクレツィア.ブティがモデルのようです。
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聖母子のみを拡大しました。
子供の崇拝の主題は、画家の成熟期に非常に頻繁に描かれ、彼の多数のバリエーションはすべてプラート時代(1452-1466)にまでさかのぼります。 -
これもフィリッポ.リッピがプラートに滞在中の1453年に描いた「マドンナ.デル.チェッポ」です。チェッポとは、プラートの偉大な商人であるフランチェスコ.ダティーニによって設立された慈善団体「チェッポ.デイ.ポヴェリ」を指しています。
この作品では金色の背景に、サント.ステファーノとジョバンニ.バッティスタ(洗礼者ヨハネ)を左右に配置し、玉座のマドンナと幼子が中央にいます。その足元には、寄進者としての赤い服のフランチェスコ.ダティーニが描かれています。 -
フィリッピーノ.リッピが製作したメルカタレの幕屋は、その近くに家を所有していたプラートの名家であるティエリ家の注文で、彼の両親が出会ったサンタ.マルゲリータ修道院の前に1498年に製作されました。高さ170cmの幕屋です。
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しかし1944年3月のプラートに対する空襲で粉々に破壊されました。戦後、有名なプラートの復元家レオネット.ティントリによって修復が行われ、今の姿に戻りました。空襲で破壊された当時のフレスコ画は、不適切な加筆、修復がなされ、汚れた状態でした。製作された当時の状態に近づけるために、適切な修復も兼ねた復元になったので大変だったようです。
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幕屋正面の聖母子像です。
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幕屋右側面には、サント.ステファノとアレッサンドリアのサンタ.カテリーナの聖人像です。ステファノは、投石で殉教したので、頭に石が当たった瞬間で描かれています。
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アレッサンドリアのサンタ.カテリーナ像を拡大しました。粉々になっていたカケラを、ジグソウ.パズルのように完成するのは大変だったでしょう。
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幕屋左側面には、サン.アントニオ.アバーテとマルゲリータの聖人像です。
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マルゲリータの像を拡大しました。
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聖母マリアの顔を拡大しました。
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サンタ.カテリーナの顔を拡大しました。
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マルゲリータの顔を拡大しました。
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こちらもフィリピーノ.リッピの作品で、ローマとフィレンツェで大成功を収めたキャリアの頂点にあった1502年に、プラートの市庁舎の評議会の間を飾る祭壇画として注文され1503年に完成しました。
左に頭に石が当たったサン.ステファーノ、右に十字架を持ったサン.ジョヴァンニ.バッティスタ(洗礼者ヨハネ)です。 -
聖母子を拡大しました。聖母の顔は、一眼でフィリピーノ.リッピの作品だと分かります。
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この写真は、2013年春にサン.ドメニコ教会に隣接するフレスコ美術館に臨時に展示してあった当時の様子です。
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1時間15分ほど美術館に滞在して大聖堂に向かいます。途中のサン.フランチェスコ広場前です。
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ドゥーモの鐘塔が見えてきました。
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まず大聖堂の隣りにあるドゥオーモ付属博物舘に入ります。
サン.ステファーノ礼拝堂です。ゴシック様式でフィレンツェとプラートで活躍したイタリアの画家ピエトロ.ディ.ミニアート(1366頃-1430-46頃)と、おそらくその息子であるアントニオ.ディ.ミニアート.ディ.ピエロとの合作のフレスコ画「聖母子とサン.ステファーノとサン.ロレンツォ」です。このフレスコ画の前にテーブルに載った腰帯のような物が展示してありますが、これは、大聖堂の聖遺物ではないと思います。 -
市立美術館にもその作品が展示してあったアレサンドロ.フランキ(1838 - 1914)の1864年の作品で「サン.ステファーノの遺骸の移動」です。
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こちらはフィリッポ.リッピの1460-1465年頃の作品「サン.ジロラモの葬式」です。
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サン.ジロラモを悼んで囲んでいる僧侶達を拡大しました。
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似たようなシーンで、ジョットがフィリッポ.リッピの100年以上前に描いたフレスコ画で、「サン.フランチェスコの死」です。ジョットは動きが無いゴシック様式の絵画から人の動きを取り入れた絵を描き始めた画家です。この絵は、フィレンツェのサンタ.クローチェ教会のバルディ礼拝堂のフレスコ画です。
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15世紀半ばに活躍した、カステッロのキリスト降誕のマスターと呼ばれる未特定の画家の1449年頃の作品です。この画家は、おそらくプラートの工房でも働いたリッピの信奉者だと思われています。
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両者ともルネサンス初期のフィレンツェ生まれの芸術家であるドナテッロ(1386 - 1466)とミケロッツォ(1396 - 1472)によって製作された大聖堂ファサードの右側にある説教壇欄干のオリジナルです。
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ドゥオーモに入ります。これは大聖堂と隣接する司教宮殿の案内図です。
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内陣には、中央礼拝堂の左右に二つづつの礼拝堂があります。中央礼拝堂の右隣りはアッスンタ礼拝堂で、パオロ.ウチェッロとアンドレア.ディ.ジュスト.マンジーニによる「聖母と聖ステファーノの物語」のフレスコ画があります。右端はヴィナチェッシ礼拝堂で、アレサンドロ.フランキによる「旧約聖書の物語」があります。中央礼拝堂の左隣りは、マナッセイ礼拝堂で、アニョロ.ガッディ作の「聖ジャコモと聖マルゲリータの物語」のフレスコ画があります。
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中央礼拝堂の壁面を飾るフレスコ画「洗礼者聖ヨハネの物語」と「サント.ステファーノの物語」は、フィリッポ.リッピが1452年から1465年の14年間をかけて製作しました。この間リッピの不祥事問題が発覚し、教皇の判決で解決されましたが描画活動は大きく制約されました。また同時期に、フラ.ディアマンテの助けを受けながら他の絵画製作にも活躍していました。
礼拝堂の右壁面は「洗礼者聖ヨハネの物語」です。上段のルネッテにはヨハネの誕生と命名、中段には、右からヨハネの別れと砂漠のヨハネとヨハネの説教が左に向かって描かれています。 -
中段の右側、ヨハネが家族と別れる場面を拡大しました。左上には砂漠で祈るヨハネが描かれています。
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中段の左側は、砂漠での修行を終えて説教をしている場面です。
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そして下段はヨハネの殉教となるヘロデ王の饗宴の場面です。絵画の中央部で、左にサロメの踊り、右にヨハネの首をヘロディアに差し出すサロメです。
サロメは、古代イスラエルの領主であるヘロデ.アンティパス王とその妃ヘロディアとの間に生まれました。伝説によると、ヘロデ王は自分の誕生日に祝宴を催し有力者たちを招きました。その宴の席でサロメが踊りを披露し、客たちを喜ばせたので、ヘロデ王はサロメに望むものを何でも褒美として与えようと言いました。サロメは母のもとに行き、何を願うべきか意見を聞けば、母のヘロディアは「洗礼者ヨハネの首と言いなさい」と娘に告げました。当時ヘロデ王は実兄の妻であったヘロディアを娶ったため、ヨハネから厳しく批判されていました。サロメは父のもとに行き、母の言葉に従って「洗礼者ヨハネの首を所望します」と答えます。そこでヘロデ王は兵に命じて獄中のヨハネの首を取って来させました。 -
絵画の左側で、サロメがヨハネの首をお皿に受け取っています。
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絵画の右側では、サロメがヘロディアにヨハネの首をヘロディアに差し出しています。周りの人々が驚いています。
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ヘロデ王の前で踊るサロメです。これもフィリッピーノ.リッピの母親のルクレツィア.ブティをモデルにしているのでしょう。
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恐れおののく侍女と冷徹な顔つきのヘロディアです。
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正面と右側面を繋ぎ合わせて描かれた、ヨハネの首を受け取るサロメです。
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中央礼拝堂の天井ヴォールトの4面には福音書記者が描かれています。これはルカです。画家だったと言われ、画家の守護人となっています。ルカの象徴は牡牛ですが、右側に微かに牡牛の頭が見えています。
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これはマッテオ(マタイ)です。マッテオの象徴は天使ですが右側にいるのでしょうか?
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この中央礼拝堂の左壁面を飾るフレスコ画「サント.ステファーノの物語」も、フィリッポ.リッピが製作しました。プラートの大聖堂は、サント.ステファーノ.カテドラルとも呼ばれ、このプラートの守護聖人を祀る聖堂です。
上段のルネッテには、サント.ステファーノの誕生とジュリアーノ司教との出会いが描かれています。中段には、ジュリアーノ司教との別れ、シナゴーグでの論争などが描かれています。 -
左壁面下段は、「サント.ステファーノの葬儀」が描かれています。サント.ステファーノは、キリスト教における最初の殉教者になりました。
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「サント.ステファーノの葬儀」の絵の右側です。写真中央の赤いローブの堂々とした人物は教皇ピウス2世で、右端にフィリッポ.リッピが自画像を描いています。教皇ピウス2世は、フィリッポ.リッピの不道徳を帳消しにしてくれた恩義のある方です。
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正面の壁面にあるサント.ステファーノの石打ちの場面です。これも部分的に続きの左側壁面に突き出して、奇妙な3次元効果を演出しています。
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アレサンドロ.フランキ(1838 - 1914)は、1872-76年にヴィナチェッシ礼拝堂のフレスコ画「旧約聖書の物語」を描きました。アレサンドロ.フランキはプラートに生まれ、プラート、シエナ、リグリア(ジェノヴァを首都とするイタリア北西の州)で活躍しました。特にシエナ大聖堂の床の大理石モザイクの修復、置き換えに貢献しています。
左側の壁面の上段のルネッテには「アダムとイーヴの楽園追放」、中段は「ヨセフの物語」です。ヨセフの物語は:ヤコブの11男であったヨセフが父に最も可愛がられている事を妬んだ異母兄達が、ヤコブをミデヤン人の隊商に売ってしまいます。この場面を描いています。 -
下段は「生贄の羊」です。旧約聖書の出エジプト記に記された過越における生贄の子羊の血は、イスラエルの民を護り、救うものでした。
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羊を生贄にする儀式を見守る左側の人々を拡大しました。
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右側の壁面の上段のルネッテには「イサクの犠牲」と、中段の「青銅の蛇」の話が描かれています。
イサクの犠牲は:不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというエピソードです。しかし生贄にされる前に天使がそれを止めます。
青銅の蛇は:エジプトを離れたイスラエルの民が葦の海の途中までやってきたときに、苦しみに耐えかねて不平を言いました。そこで神は炎の蛇(毒蛇)を送ったので、かまれた人々の中から死者が出ました。民がモーゼに許しを請うと、モーゼは神の言葉に従って青銅で蛇を作り旗ざおの先に掲げました。この蛇を見たものは炎の蛇にかまれても命を永らえたそうです。 -
下段です。「ユダヤ人の過越祭」が描かれています。過越祭は、ユダヤ教の宗教的記念行事で、家族が食卓につきマッツァー(酵母の入らないクラッカー状のパン)やセーデル(骨付きの脛肉の焼き物)等の儀式的なメニューの食事をとって祝うそうです。
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マッツァーと思われる物を受けとる女性を拡大しました。
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ヴィナチェッシ礼拝堂の天井ヴォールトのフレスコ画です。ダビデ、イザヤ、エレミヤ、ダニエルの4人の預言者が描かれています。
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中央礼拝堂の右隣りはアッスンタ礼拝堂と右端のヴィナチェッシ礼拝堂を望みます。
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大聖堂の入り口左にあるサクラ.チントラの礼拝堂です。アニョロ.ガッティと工房により1391年から1395年に「聖母マリアとサクラ.チントラの物語」のフレスコ画が描かれました。
サクラ.チントラは、ベルトとして使用されるガードル、または結び目のあるテキスタイル.コードの形のキリスト教の遺物「腰帯」です。中世の伝説によれば、 マリアが天国に昇天する時に、マリアによって空から使徒聖トマスにチントラが落とされました。トマスは、キリストの復活をその傷を確認するまで信じませんでした。聖母マリアの昇天も、マリアはトマスが信じないのではないかと思い、サクラ.チントラを直接トマスに落としました。サクラ.チントラ崇拝は妊娠中の女性にとって特に役立つと見なされています。 -
前掲の写真で分かるように、背の高い鉄柵で囲まれているので、背の低いジジは撮影に苦慮しています。その柵と一緒に祭壇の後ろの壁面を撮影しました。聖母マリアが昇天し、キリストから冠を授けられている聖母戴冠のシーンです。
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今度は大きく背伸びして撮影しました。今度はキリストと聖母マリアの頭が、天蓋で隠れてしましましたが、祝福する大勢の人と奏楽の天使が見えます。
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祭壇には、ピサ生まれのジョヴァンニ.ピサーノ(1248頃 - 1315頃)作の「聖母子」の彫刻像が載っています。ジョヴァンニ.ピサーノはニコラ.ピサーノを父とし、父子が製作したピサ大聖堂やその洗礼堂の説教壇、シエナ大聖堂の説教壇やペルージャのフォンターナ.マッジョーレの大噴水等が有名です。
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丸窓の下には、天使に囲まれ、大勢の人々に祝福されるチントラを持った聖母が描かれています。
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この礼拝堂の左壁面にはマリアの生涯の物語が描かれています。その壁面で写真撮影可能な左端の縦列3段のフレスコ画です。
上段は、マリアの両親のヨアキムとアンナの金門の出会いの場面です。神が二人に子を授ける事を天使から告げられ、二人が喜んで抱き合う場面です。 -
中段はマリアの神殿奉献の場面です。
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下段は受胎告知の場面です。
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この説教壇は、15世紀に彫刻家のミノ.ダ.フィエーゾレとアントニオ・ロッセリーノにより製作されました。先輩でありフィレンツェで活躍したドナテッロを彷彿する作品です。
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大聖堂を1時半ごろに出て調べておいたレストランを、途中で会った警察官に教えて貰いながら探します。やっと見つけた "Gucci Doc RistoBistro" です。トリップアドバイザーの評価は、プラートのレストラン436軒中5位です。
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ジジが選んだパスタです。
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こちらはババが選んだパスタです。
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そしてサラダです。食事の時には、ジジはアルコールがダメなのアクア.ナチュラーレ、ババはヴィーノ.ビアンコです。
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昼食後、午後3時半頃に駅に戻ってきました。
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フィレンツェに帰りました。駅前で見つけた2010年に運行を再開した市電です。この車両は、イタリアの会社アンサルド.ブレダが製造した低床型路面電車「シリオ」です。この会社は2015年に日立製作所に買収され社名が「ヒタチ.レール.イタリア」になりました。その広報のためでしょうか、車両の扉/窓の上に新しい製造会社の社名が書かれています。普通は製造会社の名前は車内に小さい銘板が貼られています。本社がプラートの東、二つ隣の町ピストイアにあるそうです。ピストイアも芸術作品が豊富な街です。
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サンタ.マリア.ノヴェラ駅から歩いて捨て子養育院付属美術館に向かいます。左手に洗礼堂の北面です。ドゥオーモは後ろになります。今日もフィレンツェはこの人出です。洗礼堂に入場する人々の長い列です。
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後ろを振り返ります。右には洗礼堂です。正面の味のある古建築はムゼオ.デッラ.ミゼリコルディア(慈悲の博物館)です。
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こちらはドゥオーモ、サンタ.マリア.デル.フィオーレ聖堂のファサードです。壁面が洗浄されていて綺麗です。
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ドゥオーモの北の壁面です。壁面の洗浄工事前のようで、汚れています。この行列は、ドゥオーモ入場を待つ正面から続く人々の列です。
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ドゥオーモの左翼楼が張り出しているので、近くの建物が円形に引っ込んだ形になっています。古い建物を何回も改造したような跡が見えます。
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ドゥオーモのドームから北東にセルヴィ通りを真っ直ぐにサンティッシマ.アンヌンツィアータ教会に向かって歩いていきます。この写真はドゥオーモ方向に振り返ったものです。
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サンティッシマ.アンヌンツィアータ広場の南東にある捨て子養育院付属美術館に入りました。3回目の訪問となります。新しい入り口が養育院の右側にできていました。
このフレスコ画は、フィレンツェとその近傍で1369-1415年間に活躍したイタリアのゴシック画家チェンニ.ディ.フランチェスコ作の「授乳の聖母」です。 -
フィレンツェ生まれの画家ジョヴァンニ.ディ.フランチェスコ(1372 - 1430)作の「聖母子」です。彼はアンドレア.デル.カスターニョの弟子でフラ.フィリッポ.リッピと共同で絵画制作に従事した事もありました。
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フィレンツェ生まれでルネサンス期イタリアの彫刻家ベネデット.ダ.マイアーノ(1442 - 1497)作の「聖母子」です。
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フィレンツェ出身の有名なイタリアの彫刻家ルカ.デッラ.ロッビア(1400 - 1482)の作品です。彼は、光沢テラコッタの分野でフィレンツェのルネサンス様式を創作した一人です。ルカ.デッ.ラ.ロッビアや、その甥であるアンドレア.デッ.ラ.ロッビア、その子のジョヴァンニ.デッラ.ロッビアの作品は、あらゆる所で見かける事ができます。
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サンドロ.ボッティチェッリ(1445 - 1510)作の「聖母子と天使」です。これは、師であるフィリッポ.リッピの作品に触発されて描かれた、20才頃の作品です。
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イタリアのマニエリスム画家で、ローマとフィレンツェの両方で活躍したジャコピーノ.デル.コンテ(1510 - 1598)作の「無辜の幼児の聖母」です。デル.コンテは、フィレンツェに生まれ、アンドレア.デル.サルト(1486 - 1530)に弟子入りしました。この聖母の顔は、師の作品を思い出させます。
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ルネサンス期のイタリアの大画家ドメニコ.ギルランダイオ(1449 - 1494)作の「聖母子」です。この画家は、ヴェッロッキオやボッティチェッリ等と共に、いわゆる第3世代のフィレンツェ、ルネサンスの一人として知られ、若き日のミケランジェロが最初に師事した画家としても知られています。彼は、兄弟や息子のリドルフォ.ギルランダイオが参加した大きな工房を運営しました。
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聖母子を拡大しました。
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ドミニコ.ギルダンダイオがサンタ.マリア.デッリ.イノセンティ教会のために1485-1488年に描いた作品「マギの礼拝」の祭壇画です。左隅に、怪我をして血を流している少年を案内する洗礼者ヨハネ、右隅に同じような状態の少年を案内する伝道者ヨハネがいます。
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聖母子を中心に拡大しました。左端にマギの一人、右端にはヨセフです。手前の二人もマギです。
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立派なコリント式柱頭で支えられた茅葺き屋根の建屋の天井でキリスト降誕を祝う天使達です。
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マリアの右側の背景です。港が遠くに見えています。右上の山では、羊飼いが上空からキリストの降誕を知らせる天使を見つめています。
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マリアの左側の背景です。左後ろに嬰児虐殺のシーンが描かれています。その背景で城壁に囲まれた街は、ローマの象徴的な建物が描かれています。コロッセオ、トラヤヌスの柱、ミリツィエの塔、ケスティウスのピラミッドが認められます。
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怪我をして血を流している少年を拡大しました。
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左側の少年は顔を怪我しています。
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これは2011年2月に訪れた際に撮影した写真です。可愛い子供達が美術館の学芸員の話を聞いています。
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これも同時期の写真です。
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イタリア、ルネサンス期のフィレンツェで活躍した画家ピエロ.ディ.コジモ(1462 - 1522)作の「幼子を抱いた玉座の聖母と聖人達」です。聖母子の左に、サン.ピエトロとハンガリーのエリザベータ、右にアレッサンドリアのカテリーナと伝道者ヨハネです。この画家は、宗教画のほか、古代の神話などに想を得た幻想的な作品を多数残しています。
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フィレンツェ生まれの画家フィリッポ.ラティーニ(1604 - 1660)作の「受胎告知」です。
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修道僧(男)の中庭と回廊です。別に修道女のための中庭と回廊があります。
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フィレンツェ出身でフラ.アンジェリコの作風を受け継いだドメニコ.ディ.ミケリーノ作(1417 - 1491)作の「慈悲の聖母」です。
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慈悲の聖母のマントの下で、お包みを着た幼児から少し大きくなった子供までが庇護されています。
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お包み服の模型です。
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お包み服の赤子や幼児の彫像です。
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捨て子養育院のアーケードの各支柱の上にお包み服の幼児のテラコッタが飾られたいます。これらの飾りはアンドレア.デッラ.ロッビア(1435 - 1525)が製作しています。アンドレア.デッラ.ロッビアは、ルカ・デッラ・ロッビア(1400 - 1482)の弟マルコの子供です。
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もう一つの作品です。作品のオリジナルは、この美術館で展示され、外のアーケードに取り付けられているのはレプリカのようです。
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サンティッシマ.アンヌンツィアータ広場の南西にある捨て子養育院のアーケードです。このアーケードは、サンタ.マリア.デル.フィオーレ大聖堂を設計したブルネレスキー(1377 - 1446)が設計しました。付属美術館の入り口は、このアーケードの右端にあります。右隅に広場のタッカの泉が見えています。もう1個が広場の反対側にあります。
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タッカの泉を拡大しました。この泉は1626年に製作され1641年にこの場所に設置されました。泉のデザインは、伝統的な海洋がテーマで海の各種の生物が取り入れられています。
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アーケードから養育院に入る4箇所の入り口のルネッテとヴォールト天井にフレスコ画が描かれています。このルネッテには子供達に慈悲を与えるキリストが描かれています。
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アーケードの天井のフレスコ画です。
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同名の広場の北東にあるサンティッシマ.アンヌンツィアータ教会です。入り口を入ると小さな広場の「誓いの回廊」があります。このロッジアになっている回廊の壁面にフレスコ画が描かれています。
マニエリスム期のイタリアの画家ポントルモ(1494 - 1557)が20才たらずで描いた「聖母マリアのエリザベツ訪問」です。シーンは:受胎告知を受けた直後マリアは、従姉妹のエリザベツを訪問します。エリザベツは、そのお腹に洗礼者ヨハネが宿っていました。 -
ルネサンス期のイタリアの画家アンドレア.デル.サルト(1486 - 1531)作の「マリアの誕生」です。この画家は、ミケランジェロやラファエロらがローマで華々しく活躍していたのと同じ頃、フィレンツェの美術の伝統を守っていました。デル.サルトの弟子からはポントルモ、ロッソ.フィオレンティーノなど、次世代のマニエリスム絵画を担う画家が出ています。
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ロッソ.フィオレンティーノ(1495 - 1540)作の「聖母被昇天」です。この画家は、ルネサンス(マニエリスム)の美術をフランスに伝える役割を果たしました。3日後に訪れるヴォルテッラの美術館に有名な「十字架降下」の絵画があります。
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イタリアの初期ルネサンスの画家アレッソ.バルドヴィネッティ(1425 - 1499)作の「羊飼いの礼拝」です。この画家の作品でロンドンのナショナル.ギャラリーにある横向きの顔の「黄色の服の女性の肖像」が有名です。
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アンドレア.デル.サルト作の「三王の到着」です。イエス.キリストの降誕を知り駆けつけた三賢王です。
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コジモ.ロッセリ(1439 - 1507)作の「サン.フィリッポ.ベニッツィの召命と修道会入会」です。この画家は、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂の壁画12面の内3面、「十戒の石板を授けられるモーゼ」、キリスト伝「山上の垂訓とライ病人の癒し」と「最後の晩餐」を描いています。
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アンドレア.デル.サルト作の「悪魔から女性を解放するサン.フィリッポ.ベニッツィ」です。
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アンドレア.デル.サルト作「冒涜のギャンブラーを罰するサン.フィリッポ.ベニッツィ」です。
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アンドレア.デル.サルト作の「サン.フィリッポ.ベニッツィの死と子供の復活」です。
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これもアンドレア.デル.サルト作の「サン.フィリッポ.ベニッツィの遺物による奇跡的な治療」です。
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「誓いの回廊」がある小さな広場から堂内に入ります。右側廊のルイジ.ガラヴァリアの墓碑でロレンツォ.ネンチーニ(1806 - 1854)の1835年の作品です。彼は著名なカノーヴァ(1757 - 1822)の古典様式を踏襲しました。
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結構暗い堂内です。内陣を背にファサード裏側を眺めています。従って写真右側が左側廊になります。ファサード裏側に接して左側廊から身廊に飛び出しているのが受胎告知の聖母の礼拝堂です。
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左側廊の受胎告知の聖母の礼拝堂です。祭壇画はジョットの追随者で未特定の画家の1350年頃の作品「受胎告知」です。この礼拝堂は、教会の最も古い部分にあり、数世紀に亘り改装が繰り返されているそうです。
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左側廊の被昇天の礼拝堂です。
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被昇天の礼拝堂の祭壇画は、ペルジーノ(1448頃 - 1523)作の「聖母マリアの被昇天」です。元は3連祭壇画で主礼拝堂に飾られていました。ペルジーノは、ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家で、ラファエロの師でした。
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被昇天の礼拝堂の左右の壁面には、ルイージ.アデモロ(1764 - 1849)作のフレスコ画が描かれています。こちらは左壁面の「ダヴィデとゴリアテ」です。
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こちらは右壁面の「聖なる箱」です。旧約聖書の出エジプト記によると、聖なる箱は10戒が書かれた2枚の石板が入っている金で覆われた蓋付きの木製の箱だそうです。
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左側廊のモンタウティ礼拝堂の祭壇画「聖三位一体とサン.ジロラモ、その左右にサンタ.パオラとサンテウストキア」です。作者のアンドレア.デル.カスターニョ(1423 - 1457)は、ベアト.アンジェリコ、フィリッポ.リッピ、ドメニコ.ヴェネツィアーノ、パオロ.ウチェッロ等の画家と同時代にフィレンツェで活躍しました。
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同じ礼拝堂の天井画です。どこかを思い出しませんか?ヴァチカンのシステナ礼拝堂の天井画、ミケランジェロ作の天地創造を手本に描かれているようです。画家は、フィレンツェ生まれアーニョロ.ブロンズィーノに師事したアレッサンドロ.アローリ(1535 - 1607)です。彼は肖像画を主に描きました。
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6時10分前です。サンティッシマ.アンヌンツィアータ教会を出ました。教会前の広場の南西方向にドゥオーモのキューポラが見えます。また、広場の中央には、向こう向きですが、フェルディナンド1世の騎馬像が立っています。
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のブルネレスキーのクーポラの南横から西の方向にジョットの鐘楼を望みます。鐘楼に夕日が遮られています。
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6時半にホテルに戻りました。部屋から南西の方向を眺めます。明日も絵画鑑賞で美術館や教会の訪問ですから、天候には特に注意は払いません。
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