2020/05/27 - 2020/05/27
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ちふゆさん
水分(みくまり)神社は近鉄京都線の新田辺駅の東北東約700m、府立田辺高校正門前から旧河内街道に進み、防賀川を越えたところにある。元々は江戸時代後期の文政年間(1818年から30年)に龍五社として鎮座され、治水の神として在住の信仰を受けていた。当時のこの辺りは木津川の氾濫域で、その氾濫防止と周囲の田畑への水の供給を願って水神を祀ったものではとも云われる。
明治28年(1895年)に八幡社と天満宮を合祀し、水分(みくまり)神を主祭神とする水分神社に改称された。水分とは流水の分配を司る神で、分(くまり)は「配り」を意味し、水を貯留する山中や、その水の平野への出口である山麓に祀られることが多い。なお水分神は、後世になるとミクマリ→ミコマリ→ミコモリと変化し、子供の守護神(御子守神)として祀られることが多い。
東側の道から朱塗りの鳥居を抜けて境内に入ると、左手に手水舎があり(下の写真1)、正面に千鳥破風向拝を有する拝殿。ここも南山城に多い中を通り抜ける割拝殿で、米寿を記念して奉納された一升桝(一生益)が多く掲げられている。拝殿の奥には弊殿を介して唐塀に囲まれた本殿域があり、中に流造・瓦葺きの本殿が東面して鎮座している。唐塀にも多くの一升桝が掲げられている。1970年に本殿は改築されており、その際に拝殿が新築された。
本殿域の右外に、朱塗りの鳥居をもつ金比羅宮の小祠が東面して鎮座する。その東に三十七八年戦役記念碑が建つ(下の写真2)が、「明治三十七八年戦役」って日露戦争のこと。初めて知った。境内の北東角には道路に向けて「古川専八郎翁偉功永彰碑」とも読める石碑も建つ(下の写真3)が、古川翁ってどんな方かはさっぱり分からん。拝殿に掲げられた大東亜戦争(第2次世界大戦)の戦争病死者の遺影に古川さんが多かったので、この辺りの方なんでしょうなあ・・・
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4054395261297134&type=1&l=223fe1adec
天満宮社は水分神社より西、府立田辺高校の正門のすぐ西を南から北に流れる馬坂川の西岸を少し南に行ったところにある。由緒は調べたけど、全く分からなかった。西側の道に面して立派な石の鳥居が建つ。2016年再建なのでかなり新しい。右手に手水舎があり、正面に割拝殿。通り抜けると弊殿となり、朱塗りの本殿を囲む本殿域につながる。本殿域右手には御神牛(下の写真4)。角の折れた2体の撫で牛も弊殿右手にある。弊殿の外には2つの摂社があり、ひとつはお狐さんの置物が置かれていたのでお稲荷さんのようだが、これも由緒は全く不明(下の写真5)。さらにその奥には遥拝所の碑も建つ。これも裏書きも説明もないのでさっぱり分からん。南向きなので神武天皇陵を拝むためと云う説あり。
境内の外になるが、北東の角に伽和羅(かわら)古戦場跡の碑が建つ。説明板に拠ると日本書紀に、第8代孝元天皇皇子の武埴安彦(たけには・やすひこ)が第10代崇神天皇への反乱を起こすが、輪韓河(わからがわ=木津川)の戦いで敗れ、その時に軍兵が甲を脱ぎすてて逃げたところを「伽和羅」と称したとあるそうで、それがこの辺りと云うことらしい。確かにこの辺りは昔は河原村で、今も区名として残る。
この戦い、武埴安彦は戦死し、軍兵の半分以上が首を切られたが、屍が多く溢(はふ)れたところが羽振苑(はふりその)と呼ばれるようになり、それが精華町にある祝園(ほうその)の名前の由来と云われる。また、怯えて屎(くそ)が褌(はかま)から漏れたところを屎褌(くそはかま)と呼び、それが今は高級住宅街として知られる樟葉(くすは)になったとも。
伽和羅に関しては、古事記に第15代の応神天皇崩御後に後継者争いで敗れた大山守皇子(おおやまもりのみこ)が菟道川(うじがわ)渡河中に船を転覆させられ、水死させられたが、その遺体が流されたところがここで、遺体を探していた鈎が鎧に掛かりカランカランと鳴ったので「かわらのさき」と呼ばれるようになった云われていたが、1988年から行われた八幡市の正法寺文書の調査により現在の八幡市八幡付近がその甲作郷(かわらづくりごう)であると判明した。まあ、宇治川で溺れたのなら、木津川に流れ着くのは無理だよな・・・
余談だが大山守皇子を殺したのは応神天皇に皇太子として認められていた弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)だったが、結局は即位せずに異母兄の大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)に皇位の譲り(第16代仁徳天皇となる)自害した。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4054428181293842&type=1&l=223fe1adec
以上
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