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木津川サイクリングロード(CR)を上流に自転車で走り、山城大橋を出発してから約35分で開橋を過ぎて数分走ると、CRは河川敷から堤防上に戻るが、堤防に上がる手前に祝園(ほうその)樋門がある(下の写真1)。1988年に完成したもの。河川敷を通ったので見えなかったが、堤防の内側には1992年に完成した祝園ポンプ場があり、木津川増水時には、樋門は閉められ、ポンプで排水している。河川敷から堤防上に戻ったところにも川西合同排水樋門がある(下の写真2)。<br /><br />この辺りの堤防下は祝園の住宅地となっているが、住宅地の先の山際にはけいはんな学研都市の住宅街やビルを望むことが出来る。精華町はけいはんな学研都市の中心となる町で、国立国会図書館関西館や国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の他、NTT、パナソニック、京セラ、島津製作所、サントリーなどの研究所が置かれている。国会図書館行ったことあるし、ATRのグランドでは昔サッカーした。サントリーの研究所は見学させて戴いたことがある。<br /><br />ここで堀池川を渡る。堀池川はけいはんな学研都市の精華台の東側に向かいにある五味山辺りから流れる1㎞余りの川で、やはり下流は天井川となっており、木津川に合流する直前の山田川に流れ込む。この辺りから木津川の西側河川敷に山田川が並行して流れている。堀池川に2本並んで架かる古里橋・堀池川橋を渡るとすぐに菅井悪水樋門。1998年に完成した古里川の樋門。<br /><br />その少し南、堤防下からの道を横切ると、精華町から木津川市に入る。木津川市は京都府の市としては最南端に位置し、南は奈良県奈良市に接している。2007年に木津町、山城町、加茂町の3町が合併して誕生した京都府で一番新しい市。合併協議時には山城市、京山城市、南京都市、恭仁京市とする案もあったが、市の中央部を流れる木津川から命名された。<br /><br />市の面積約85平方㎞は南山城では一番広い。人口は2020年4月現在で7万7千人足らずで、わずかに福知山市を上回り、府内で6番目に多い。木津川台、兜台、相楽台、梅美台、州見台、城山台、南加茂台などのニュータウン開発が続き、全国でも有数の人口増加率となっている。<br /><br />サイクリングロードがある木津川左岸は旧相楽郡木津町。木津は木の港を意味し、かつて木津川の木材陸揚げ港として栄えていたことに由来する。古くは木津川の水運と京都・奈良間の陸路が交わる交通の要地として栄え、奈良時代は平城京の外港として、木津へと外国の文物が運ばれた。現在もJR関西本線・奈良線・片町線と近鉄京都線、また国道24号・国道163号が通じる交通の要地。合併以前から人口増加が著しく、合併前に4万人を越えており、木津川市の中心となっている。<br /><br />1889年(明治22年)に町村制施行により相楽郡木津村が置かれ、1893年に町制施行した。1995年に田辺町(現在の京田辺市)、精華町と合併して10万人規模の関西文化学術研究都市となる住民投票が行われる方向で話が進んでいたが、木津町と精華町の両町長の反対で断念された。合併するとたぶん田辺町長が市長に選ばれるので、2人とも失職するのが嫌だったからと云う見方もある。同様の理由で議員数がたぶん減る町議会も反対したとか。<br /><br />その後、笠置町、和束町、精華町、南山城村を加えた7町村での合併が検討されたが、2002年に木津町だけが法定協議会設置を否決して話は潰れた。2003年には山城町だけとの合併話が持ち上がったが、木津町は山城町の編入を主張して破談に。その後7町村の将来的な合併も視野に3町での合併話が進み、2007年に木津川市が成立した。この経緯を見ると、木津町としてはイニシアティブが取れる形の合併、市制移行じゃなきゃ嫌だったのねって感じ。<br /><br />特産品はなす、きゅうり、いちじく、柿、九条ねぎ、みず菜、筍、茶、ぶどう、えびいも、大根、ごぼうなどの野菜。また、サントリー緑茶「伊右衛門」で知られるお茶の福寿園は木津川市山城町に本社を置いており、研究センターが相楽台にある。その他、梅美台には国の量子科学技術研究開発機構(QST)の研究所が、木津川台には公益法人の国際高等研究所(IIAS)や地球環境産業技術研究機構(RITE)もある。さらに、一般企業のオムロン(木津川台)やロート製薬(州見台)、積水ハウス(相楽台)の研究所もある。<br /><br />現AKB48の前グループ総監督の横山由依(1992年生まれ)は相楽台の高の原小学校、木津第二中学の出身。その後、西宇治高校(現城南菱創高校)に進んだ。2005年から主にスワローズで活躍した田中浩康内野手は木津第二中学の10年先輩で、香川県の尽誠学園高校に進んだ。<br /><br />木津川市に入るとすぐに取水口がある。南南西の木津川台の麓にある京都府営水道の木津浄水場の取水口。木津浄水場は1977年に給水を開始し木津川市、精華町、京田辺市、八幡市に給水している。この辺りには三川合流から22㎞の標石があり、堤防下の先には近鉄京都線の木津川台駅が望める。1994年に開業した京都線では一番新しい駅。その木津川台駅の少し西を起点に山田川に流れ込む天井川の藤木川に架かる柳橋はそのすぐ南。<br /><br />柳橋を渡り、2002年に造られた長田排水樋門を過ぎると浜橋で山田川を渡る。山田川は奈良県生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)の南の峠辺りを源流とし、東流して浜橋の南で北に流れを変え、しばらく木津川に並行して流れた後に合流する16㎞を越える川。浜橋の上流には一段低いところに欄干がない橋が並んで架かっている。増水時には川に沈む沈下橋(下の写真3)。<br /><br />浜橋を渡ると木津川に並走する山田川の右岸堤防を走るが、すぐに井関川との合流点になる。メインの山田川が右(西)から北に流れを変えるところに旧木津町の東南端、梅谷地区南部の山中を起点とする全長6㎞足らずの井関川が流れ込む。支流の井関川に架かる下河原橋を渡ると合流点の間が河川敷公園となっており山田川河川改修事業竣工の碑が建つ。碑の説明だと、山田川水系のほとんどの川は天井川で、中流部から下流部に掛けては何度も浸水被害に見舞われていたが、1970年から河川改修事業が開始され、山田川約6㎞、井関川約500m、井関川支流の鹿川2.8㎞、さらにその支流の山松川1.2㎞を改修して、1988年に完成したとのこと。<br /><br />下河原橋からはしばらく井関川の堤防を進むが、木津門樋の休憩所で井関川が離れていくと、木津合同樋門がある。1998年に造られた排水樋門。内側には排水ポンプも設置されている(下の写真4)。この樋門を過ぎると左手先に泉大橋が見えてきて、サイクリングロードの終点に到着する。<br /><br />写真を撮るのに何度も途中停車しながら山城大橋から1時間余りで、泉大橋南詰の木津川CRの終点に到着。大阪湾の淀川河口から61㎞に架かるこの橋は1951年に開通した長さ383.6mのカンチレバー式トラス橋。1974年に下流側に側道橋(歩道)が竣工している。奈良時代の740年もしくは741年に東大寺造立の実質上の責任者であった日本初の大僧正行基によって最初の橋が架けられたが、平安時代の876年に流失し、以後明治時代まで渡し舟が運航していた。1893年(明治26年)にようやく両岸をつなぐ橋が架けられ、以後3回架け直されて現在の橋となった。橋の名前は、木津川の旧称である泉川から。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4127971283939531&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />戻り道、開橋の少し手前(上流)で、山城町の山から生駒山地に伸びている鉄塔列に改めて気づく。調べてみると、多分だが福井の原発から山田川の源流の少し東にある奈良県生駒市の新生駒変電所に電気を送っている関電の送電線のようだ。新生駒変電所には複数のルートで送られているようで、我々の散歩範囲だが玉水橋の下流の京田辺の飯岡を横切っている送電線も、やはり新生駒変電所に繋がっているようだ(下の写真5の上が祝園で、下が飯岡)。送電線は山城大橋より下流にも2ルート、京田辺を横切っているが、これも新生駒変電所に繋がってるようだが、原発恐るべし。ここまで作ってたら、止められないよなあ・・・<br /><br /><br />以上

木津 木津川CR 泉大橋まで(Kizugawa Cycling Road, Kizu, Kyoto, JP)

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2020/06/04 - 2020/06/04

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旅行記グループ 京田辺

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ちふゆ

ちふゆさん

木津川サイクリングロード(CR)を上流に自転車で走り、山城大橋を出発してから約35分で開橋を過ぎて数分走ると、CRは河川敷から堤防上に戻るが、堤防に上がる手前に祝園(ほうその)樋門がある(下の写真1)。1988年に完成したもの。河川敷を通ったので見えなかったが、堤防の内側には1992年に完成した祝園ポンプ場があり、木津川増水時には、樋門は閉められ、ポンプで排水している。河川敷から堤防上に戻ったところにも川西合同排水樋門がある(下の写真2)。

この辺りの堤防下は祝園の住宅地となっているが、住宅地の先の山際にはけいはんな学研都市の住宅街やビルを望むことが出来る。精華町はけいはんな学研都市の中心となる町で、国立国会図書館関西館や国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の他、NTT、パナソニック、京セラ、島津製作所、サントリーなどの研究所が置かれている。国会図書館行ったことあるし、ATRのグランドでは昔サッカーした。サントリーの研究所は見学させて戴いたことがある。

ここで堀池川を渡る。堀池川はけいはんな学研都市の精華台の東側に向かいにある五味山辺りから流れる1㎞余りの川で、やはり下流は天井川となっており、木津川に合流する直前の山田川に流れ込む。この辺りから木津川の西側河川敷に山田川が並行して流れている。堀池川に2本並んで架かる古里橋・堀池川橋を渡るとすぐに菅井悪水樋門。1998年に完成した古里川の樋門。

その少し南、堤防下からの道を横切ると、精華町から木津川市に入る。木津川市は京都府の市としては最南端に位置し、南は奈良県奈良市に接している。2007年に木津町、山城町、加茂町の3町が合併して誕生した京都府で一番新しい市。合併協議時には山城市、京山城市、南京都市、恭仁京市とする案もあったが、市の中央部を流れる木津川から命名された。

市の面積約85平方㎞は南山城では一番広い。人口は2020年4月現在で7万7千人足らずで、わずかに福知山市を上回り、府内で6番目に多い。木津川台、兜台、相楽台、梅美台、州見台、城山台、南加茂台などのニュータウン開発が続き、全国でも有数の人口増加率となっている。

サイクリングロードがある木津川左岸は旧相楽郡木津町。木津は木の港を意味し、かつて木津川の木材陸揚げ港として栄えていたことに由来する。古くは木津川の水運と京都・奈良間の陸路が交わる交通の要地として栄え、奈良時代は平城京の外港として、木津へと外国の文物が運ばれた。現在もJR関西本線・奈良線・片町線と近鉄京都線、また国道24号・国道163号が通じる交通の要地。合併以前から人口増加が著しく、合併前に4万人を越えており、木津川市の中心となっている。

1889年(明治22年)に町村制施行により相楽郡木津村が置かれ、1893年に町制施行した。1995年に田辺町(現在の京田辺市)、精華町と合併して10万人規模の関西文化学術研究都市となる住民投票が行われる方向で話が進んでいたが、木津町と精華町の両町長の反対で断念された。合併するとたぶん田辺町長が市長に選ばれるので、2人とも失職するのが嫌だったからと云う見方もある。同様の理由で議員数がたぶん減る町議会も反対したとか。

その後、笠置町、和束町、精華町、南山城村を加えた7町村での合併が検討されたが、2002年に木津町だけが法定協議会設置を否決して話は潰れた。2003年には山城町だけとの合併話が持ち上がったが、木津町は山城町の編入を主張して破談に。その後7町村の将来的な合併も視野に3町での合併話が進み、2007年に木津川市が成立した。この経緯を見ると、木津町としてはイニシアティブが取れる形の合併、市制移行じゃなきゃ嫌だったのねって感じ。

特産品はなす、きゅうり、いちじく、柿、九条ねぎ、みず菜、筍、茶、ぶどう、えびいも、大根、ごぼうなどの野菜。また、サントリー緑茶「伊右衛門」で知られるお茶の福寿園は木津川市山城町に本社を置いており、研究センターが相楽台にある。その他、梅美台には国の量子科学技術研究開発機構(QST)の研究所が、木津川台には公益法人の国際高等研究所(IIAS)や地球環境産業技術研究機構(RITE)もある。さらに、一般企業のオムロン(木津川台)やロート製薬(州見台)、積水ハウス(相楽台)の研究所もある。

現AKB48の前グループ総監督の横山由依(1992年生まれ)は相楽台の高の原小学校、木津第二中学の出身。その後、西宇治高校(現城南菱創高校)に進んだ。2005年から主にスワローズで活躍した田中浩康内野手は木津第二中学の10年先輩で、香川県の尽誠学園高校に進んだ。

木津川市に入るとすぐに取水口がある。南南西の木津川台の麓にある京都府営水道の木津浄水場の取水口。木津浄水場は1977年に給水を開始し木津川市、精華町、京田辺市、八幡市に給水している。この辺りには三川合流から22㎞の標石があり、堤防下の先には近鉄京都線の木津川台駅が望める。1994年に開業した京都線では一番新しい駅。その木津川台駅の少し西を起点に山田川に流れ込む天井川の藤木川に架かる柳橋はそのすぐ南。

柳橋を渡り、2002年に造られた長田排水樋門を過ぎると浜橋で山田川を渡る。山田川は奈良県生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)の南の峠辺りを源流とし、東流して浜橋の南で北に流れを変え、しばらく木津川に並行して流れた後に合流する16㎞を越える川。浜橋の上流には一段低いところに欄干がない橋が並んで架かっている。増水時には川に沈む沈下橋(下の写真3)。

浜橋を渡ると木津川に並走する山田川の右岸堤防を走るが、すぐに井関川との合流点になる。メインの山田川が右(西)から北に流れを変えるところに旧木津町の東南端、梅谷地区南部の山中を起点とする全長6㎞足らずの井関川が流れ込む。支流の井関川に架かる下河原橋を渡ると合流点の間が河川敷公園となっており山田川河川改修事業竣工の碑が建つ。碑の説明だと、山田川水系のほとんどの川は天井川で、中流部から下流部に掛けては何度も浸水被害に見舞われていたが、1970年から河川改修事業が開始され、山田川約6㎞、井関川約500m、井関川支流の鹿川2.8㎞、さらにその支流の山松川1.2㎞を改修して、1988年に完成したとのこと。

下河原橋からはしばらく井関川の堤防を進むが、木津門樋の休憩所で井関川が離れていくと、木津合同樋門がある。1998年に造られた排水樋門。内側には排水ポンプも設置されている(下の写真4)。この樋門を過ぎると左手先に泉大橋が見えてきて、サイクリングロードの終点に到着する。

写真を撮るのに何度も途中停車しながら山城大橋から1時間余りで、泉大橋南詰の木津川CRの終点に到着。大阪湾の淀川河口から61㎞に架かるこの橋は1951年に開通した長さ383.6mのカンチレバー式トラス橋。1974年に下流側に側道橋(歩道)が竣工している。奈良時代の740年もしくは741年に東大寺造立の実質上の責任者であった日本初の大僧正行基によって最初の橋が架けられたが、平安時代の876年に流失し、以後明治時代まで渡し舟が運航していた。1893年(明治26年)にようやく両岸をつなぐ橋が架けられ、以後3回架け直されて現在の橋となった。橋の名前は、木津川の旧称である泉川から。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4127971283939531&type=1&l=223fe1adec

戻り道、開橋の少し手前(上流)で、山城町の山から生駒山地に伸びている鉄塔列に改めて気づく。調べてみると、多分だが福井の原発から山田川の源流の少し東にある奈良県生駒市の新生駒変電所に電気を送っている関電の送電線のようだ。新生駒変電所には複数のルートで送られているようで、我々の散歩範囲だが玉水橋の下流の京田辺の飯岡を横切っている送電線も、やはり新生駒変電所に繋がっているようだ(下の写真5の上が祝園で、下が飯岡)。送電線は山城大橋より下流にも2ルート、京田辺を横切っているが、これも新生駒変電所に繋がってるようだが、原発恐るべし。ここまで作ってたら、止められないよなあ・・・


以上

  • 写真1 祝園樋門

    写真1 祝園樋門

  • 写真2 川西合同排水樋門

    写真2 川西合同排水樋門

  • 写真3 山田川沈下橋

    写真3 山田川沈下橋

  • 写真4 木津合同樋門排水機場

    写真4 木津合同樋門排水機場

  • 写真5 関電送電線

    写真5 関電送電線

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