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2020年3月末に日本に帰国して以来、コロナ禍が続きどこにも出掛けることが出来ず、運動不足になるので近所の散歩が日課になっているが、時々田辺公園に出掛ける。特に桜の季節にはソメイヨシノだけでなくサトザクラも多く咲いており、長い間楽しめた。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3857155231021139&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />田辺公園は大阪府枚方市から京都府城陽市まで京田辺市の中央部を東西に横断する国道307号線のほぼ真ん中辺りに位置し、近鉄京都線の新田辺駅やJR片町線の京田辺駅から歩くと20分ほどの京田辺市の中心とも云える田辺地区の西にある。<br /><br />この田辺地区は、市名の元となったところで元々は田辺村だった。明治7年(1874年)に田辺新田村を合併、さらに明治22年(1899年)に興戸村、薪村、河原村を合併したのち、明治39年(1906年)に町制施行し田辺町が誕生。その後、昭和26年(1951年)に大住村、草内村、三山木村、普賢寺村の4村を編入合併し、現在の地域となり、1997年に京都府で八幡市以来20年振り12番目の市として市制移行した。市名は一般公募から選考されたもので、和歌山県田辺市との重複を避けるため、京都府の「京」を冠して京田辺市となった。<br /><br />田辺の名前の由来は、室町時代に在地はえ抜きの土豪である国人衆の田辺氏が居城をこの辺りに置いたことから来ていると云われ、田辺公園の東隣りにある市役所の前の道路際(西端)に田辺地名発祥之地の碑があるが、実際の田辺城はそこから300mほど西の小山に建てられていたようで、現在(2020年5月)も発掘調査が続いている。なお、この田辺氏の名前の由来は不明だが、古代日本で文筆や記録の職務にあたった渡来人系の官人組織の史(ふひと)の一つに田辺史(たなべのふひと)があり、その系統かしら?<br /><br />ついでに市制移行するまでの田辺町は綴喜(つづき)郡だったが、この郡名は古くからこの辺りの地名の「つつき(筒城と書かれることが多い)」から来ている。この名は、最も古くは、世界遺産になった大阪堺の大仙陵古墳で有名な4世紀末から5世紀前半の第16代の仁徳天皇の皇后磐之媛(いわのひめ)が、夫が次々と側妻を宮中に入れたことに怒り、大阪難波宮を出て籠ったのが筒城宮(つつきのみや)と日本書紀に出てくる。<br /><br />また、これも日本書紀の記述だが、実在が間違いないとされる最古の天皇である第26代継体天皇が507年に大阪枚方の樟葉宮で即位した後、511年に遷宮したのがその筒城宮で、518年に現在の長岡京市今里の弟国宮(おとくにのみや)に遷宮するまで7年間都であった。<br /><br />実際の筒城宮の場所は現在の同志社大学京田辺キャンパス辺りと云われ、大学構内に筒城宮址碑があるが、正確な場所は分かっていない。この碑、現在はコロナ禍で大学構内に入れないので見に行けないが、キャンパスがまたオープン出来たら見に行ってみよう。<br /><br />なお、田辺町の前に同じく綴喜郡だった八幡町が市制移行しており、現在の綴喜郡は井手町と宇治田原町の2町のみとなっている。<br /><br />さて、本題の田辺公園だが、国道307号線と山手幹線の交差点の東にある。国道307号線は大阪府枚方市の国道1号線と滋賀県彦根市の国道8号線を宇治田原、甲賀経由で結ぶ総延長約115㎞の国道。京田辺市を走る部分は田辺バイパスと呼ばれ、1994年に全線開通。ただし、田辺公園のある東側、京奈道路の田辺西ICから府道八幡木津線までの間は1988年の京都国体に合わせて先に開通した。<br /><br />山手幹線は八幡市の国道1号線とけいはんな学研都市を結ぶ全長約16㎞のバイパスで、学研都市の精華大通りの南400mのみが未開通(工事未着手)。田辺公園の部分は北側が2000年に、南側が2001年に開通した。<br /><br />公園の一番北東が花見山と呼ばれる一番高いところ。2004年オープンで、公園の中では一番新しい部分。山頂部分のベンチから京田辺の市街地を見下ろすことが出来る。ここに座ってしばらく景色を眺めて、折り返すのがパターン。山頂を囲んで、ロープでできたリングトンネルやローラーすべり台がある子ども広場、傾斜を利用した野外ステージ、20基の健康器具が配された健康広場がある。健康広場の下には全国でも珍しいスケートパークがあり、無料でハーフパイプなどのスケボーの練習が出来、普段は多くの若者で混み合っているが、現在(2020年5月)はコロナ禍で閉鎖中。<br /><br />スケートパークの下には1987年オープンの田辺中央体育館。1988年の京都国体のハンドボール競技会場となり、以後毎年全国小学生ハンドボール大会が開催されている。この大会ではないが、日本リーグの試合をここで何回か見たことがある。京田辺はハンドボールが盛んで、全国小学生ハンドボール大会では男子が5回、女子も2回、さらに全国中学校ハンドボール大会でも男子が1回、全国優勝している。日本代表に選ばれているトヨタ車体所属の1994年生まれの杉岡尚樹選手は市内の中学校出身。体育館にはジムもあり、隠居したら通おうかと思っていたのだが、コロナ禍で閉鎖中。<br /><br />体育館の下(南)には多目的グラウンドがあり、その奥には1991年オープンの田辺公園プール。屋内の温水プールの他、屋外の流水プールがある。屋内プールには昔は何回も泳ぎに行ってたし、屋外プールも子供たちが小さかった頃に行ってた。水泳も復活しようと思ってたのに、プールが再開できるのはいつになるやら・・・<br /><br />多目的グランドから国道307号線を挟んだ南側は1978年にオープンした野球場があり、東にテニスコートが並ぶ(下の写真1)。また、テニスコートの北東の公園は飛行機型の遊具が置かれておりヒコーキランドと呼ばれる(下の写真2)。その上には市制移行を記念したメモリアルの森もあり、ここの桜も美しい。<br /><br />ヒコーキランドの東には京田辺市立中央公民館があり、国道を挟んだ北側には京田辺市消防本部とその奥に京田辺市保健センターがあり、その西側、プール下のグランドの間に京田辺市役所と京田辺市コミュニティホールと公共施設が並ぶ。市役所は1986年に田辺町役場として建てられたもの。建物の前の道路際には地名発祥の碑の他、平和都市や非核平和都市宣言の碑もある。<br /><br />さらに市役所とグラウンドの間には人口7万人記念碑もある。市の人口は1965年以降急激に増加し、現在も右肩上がりが続いている。20年前には6万を切っていたのが、2019年6月に7万を越えた。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4023408294395831&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />体育館の北側から東側には竹ノ脇池と云う大きなため池があり、そこから西に川が流れており、まるでこの池から流れ出したように見えるのだが、実はこの川は野球場やテニスコートの南側の丸山を起点としている(下の写真3)全長約4㎞の馬坂川で、しばらくは天井川で府道、JR、近鉄、市道田辺高架線を跨いだ後に北に流れを変え、府営田辺団地の北で防賀川に合流している。ただ、1984年に木津川の神矢樋門が設置され、防賀川が直接樋門を通じて木津川に流れるようになったため、以前は八幡方向に向かっていた流れが、この部分で左右に分断されたため、実際には防賀川に合流ではなく、2つの流れの防賀川に分流している(通常は八幡方面への水門は閉ざされている)。府営田辺団地の横には50年前に植えられた桜並木が続き、春には信じられないほど美しい。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3847218115348184&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京田辺 田辺公園(Tanabe Park, Kyotanabe, Kyoto, JP)

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2020/05/19 - 2020/05/19

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旅行記グループ 京田辺

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年3月末に日本に帰国して以来、コロナ禍が続きどこにも出掛けることが出来ず、運動不足になるので近所の散歩が日課になっているが、時々田辺公園に出掛ける。特に桜の季節にはソメイヨシノだけでなくサトザクラも多く咲いており、長い間楽しめた。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3857155231021139&type=1&l=223fe1adec

田辺公園は大阪府枚方市から京都府城陽市まで京田辺市の中央部を東西に横断する国道307号線のほぼ真ん中辺りに位置し、近鉄京都線の新田辺駅やJR片町線の京田辺駅から歩くと20分ほどの京田辺市の中心とも云える田辺地区の西にある。

この田辺地区は、市名の元となったところで元々は田辺村だった。明治7年(1874年)に田辺新田村を合併、さらに明治22年(1899年)に興戸村、薪村、河原村を合併したのち、明治39年(1906年)に町制施行し田辺町が誕生。その後、昭和26年(1951年)に大住村、草内村、三山木村、普賢寺村の4村を編入合併し、現在の地域となり、1997年に京都府で八幡市以来20年振り12番目の市として市制移行した。市名は一般公募から選考されたもので、和歌山県田辺市との重複を避けるため、京都府の「京」を冠して京田辺市となった。

田辺の名前の由来は、室町時代に在地はえ抜きの土豪である国人衆の田辺氏が居城をこの辺りに置いたことから来ていると云われ、田辺公園の東隣りにある市役所の前の道路際(西端)に田辺地名発祥之地の碑があるが、実際の田辺城はそこから300mほど西の小山に建てられていたようで、現在(2020年5月)も発掘調査が続いている。なお、この田辺氏の名前の由来は不明だが、古代日本で文筆や記録の職務にあたった渡来人系の官人組織の史(ふひと)の一つに田辺史(たなべのふひと)があり、その系統かしら?

ついでに市制移行するまでの田辺町は綴喜(つづき)郡だったが、この郡名は古くからこの辺りの地名の「つつき(筒城と書かれることが多い)」から来ている。この名は、最も古くは、世界遺産になった大阪堺の大仙陵古墳で有名な4世紀末から5世紀前半の第16代の仁徳天皇の皇后磐之媛(いわのひめ)が、夫が次々と側妻を宮中に入れたことに怒り、大阪難波宮を出て籠ったのが筒城宮(つつきのみや)と日本書紀に出てくる。

また、これも日本書紀の記述だが、実在が間違いないとされる最古の天皇である第26代継体天皇が507年に大阪枚方の樟葉宮で即位した後、511年に遷宮したのがその筒城宮で、518年に現在の長岡京市今里の弟国宮(おとくにのみや)に遷宮するまで7年間都であった。

実際の筒城宮の場所は現在の同志社大学京田辺キャンパス辺りと云われ、大学構内に筒城宮址碑があるが、正確な場所は分かっていない。この碑、現在はコロナ禍で大学構内に入れないので見に行けないが、キャンパスがまたオープン出来たら見に行ってみよう。

なお、田辺町の前に同じく綴喜郡だった八幡町が市制移行しており、現在の綴喜郡は井手町と宇治田原町の2町のみとなっている。

さて、本題の田辺公園だが、国道307号線と山手幹線の交差点の東にある。国道307号線は大阪府枚方市の国道1号線と滋賀県彦根市の国道8号線を宇治田原、甲賀経由で結ぶ総延長約115㎞の国道。京田辺市を走る部分は田辺バイパスと呼ばれ、1994年に全線開通。ただし、田辺公園のある東側、京奈道路の田辺西ICから府道八幡木津線までの間は1988年の京都国体に合わせて先に開通した。

山手幹線は八幡市の国道1号線とけいはんな学研都市を結ぶ全長約16㎞のバイパスで、学研都市の精華大通りの南400mのみが未開通(工事未着手)。田辺公園の部分は北側が2000年に、南側が2001年に開通した。

公園の一番北東が花見山と呼ばれる一番高いところ。2004年オープンで、公園の中では一番新しい部分。山頂部分のベンチから京田辺の市街地を見下ろすことが出来る。ここに座ってしばらく景色を眺めて、折り返すのがパターン。山頂を囲んで、ロープでできたリングトンネルやローラーすべり台がある子ども広場、傾斜を利用した野外ステージ、20基の健康器具が配された健康広場がある。健康広場の下には全国でも珍しいスケートパークがあり、無料でハーフパイプなどのスケボーの練習が出来、普段は多くの若者で混み合っているが、現在(2020年5月)はコロナ禍で閉鎖中。

スケートパークの下には1987年オープンの田辺中央体育館。1988年の京都国体のハンドボール競技会場となり、以後毎年全国小学生ハンドボール大会が開催されている。この大会ではないが、日本リーグの試合をここで何回か見たことがある。京田辺はハンドボールが盛んで、全国小学生ハンドボール大会では男子が5回、女子も2回、さらに全国中学校ハンドボール大会でも男子が1回、全国優勝している。日本代表に選ばれているトヨタ車体所属の1994年生まれの杉岡尚樹選手は市内の中学校出身。体育館にはジムもあり、隠居したら通おうかと思っていたのだが、コロナ禍で閉鎖中。

体育館の下(南)には多目的グラウンドがあり、その奥には1991年オープンの田辺公園プール。屋内の温水プールの他、屋外の流水プールがある。屋内プールには昔は何回も泳ぎに行ってたし、屋外プールも子供たちが小さかった頃に行ってた。水泳も復活しようと思ってたのに、プールが再開できるのはいつになるやら・・・

多目的グランドから国道307号線を挟んだ南側は1978年にオープンした野球場があり、東にテニスコートが並ぶ(下の写真1)。また、テニスコートの北東の公園は飛行機型の遊具が置かれておりヒコーキランドと呼ばれる(下の写真2)。その上には市制移行を記念したメモリアルの森もあり、ここの桜も美しい。

ヒコーキランドの東には京田辺市立中央公民館があり、国道を挟んだ北側には京田辺市消防本部とその奥に京田辺市保健センターがあり、その西側、プール下のグランドの間に京田辺市役所と京田辺市コミュニティホールと公共施設が並ぶ。市役所は1986年に田辺町役場として建てられたもの。建物の前の道路際には地名発祥の碑の他、平和都市や非核平和都市宣言の碑もある。

さらに市役所とグラウンドの間には人口7万人記念碑もある。市の人口は1965年以降急激に増加し、現在も右肩上がりが続いている。20年前には6万を切っていたのが、2019年6月に7万を越えた。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4023408294395831&type=1&l=223fe1adec

体育館の北側から東側には竹ノ脇池と云う大きなため池があり、そこから西に川が流れており、まるでこの池から流れ出したように見えるのだが、実はこの川は野球場やテニスコートの南側の丸山を起点としている(下の写真3)全長約4㎞の馬坂川で、しばらくは天井川で府道、JR、近鉄、市道田辺高架線を跨いだ後に北に流れを変え、府営田辺団地の北で防賀川に合流している。ただ、1984年に木津川の神矢樋門が設置され、防賀川が直接樋門を通じて木津川に流れるようになったため、以前は八幡方向に向かっていた流れが、この部分で左右に分断されたため、実際には防賀川に合流ではなく、2つの流れの防賀川に分流している(通常は八幡方面への水門は閉ざされている)。府営田辺団地の横には50年前に植えられた桜並木が続き、春には信じられないほど美しい。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3847218115348184&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 写真1 テニスコートの桜

    写真1 テニスコートの桜

  • 写真2 ヒコーキランド

    写真2 ヒコーキランド

  • 写真3 馬坂川上流

    写真3 馬坂川上流

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