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飯岡(いのおか)の咋岡(くいおか)神社のことを書いたが、京田辺にはもう一つ同じ名前の神社がある。こちらは飯岡地区とは普賢寺川を挟んで北西側にある草内地区にある。近鉄京都線興戸駅の北東に広がる集落の南東の端、草内小学校の東隣の鎮守の森内、飯岡の咋岡神社の北西約1kmに鎮座する。<br /><br />草内は今は「くさうち」と読むが、元々は「くさじ」とか「くさち」で、草路とも書かれていた。草内の咋岡神社の近くの、国の重文に指定されている1278年建立の十三重石塔(下の写真1)が建つ法泉寺の説明板に拠ると、ある時、草むらの中から大きさ5、6寸(16~20cm)の十一面観音の金像が現れたことから草内の地名が付いたとのこと。法泉寺は平安時代、9世紀前半の干ばつの時にその観音様に祈願したところ泉が湧き出したことに感謝して建てられたもので、現在のご本尊も十一面観音立像だが、この見つかった観音像は明治維新の頃になくなったそうで、別のもの。<br /><br />飯岡の咋岡神社の近くに飯岡の渡しがあったが、その下流約2㎞の山城大橋の少し上流には草内の渡しもあった(下の写真2)。この渡しは徳川家康一行が本能寺の変の直後の伊賀越えで利用した渡しだが、家康一行に少し遅れて続いていた元武田家家臣で家康の家臣となっていた穴山梅雪一行が、この渡しを通る前に落ち武者狩りの襲撃を受け亡くなったと伝えられている。<br /><br />神社がある鎮守の森には室町時代には草路城があった。1478年の応仁の乱の終結後も各地で守護大名同士の小競り合いは続き、南山城でも畠山義就と畠山政長の跡目争いが続いたが、1485年に南山城の国人衆や農民らが両畠山氏の影響を排除し、南山城の自治を行うことを決め、立て籠もった城。これは山城一揆と呼ばれ、8年間自治は続いた。土塁や堀が残っている(下の写真3)。<br /><br />神社は社伝によれば鎌倉後期の創建で、室町時代に兵火で焼失、1534年に再建され、江戸時代には天神社と呼ばれ、明治26年(1893年)に現在の名前に改めらえたと云う。参道に並ぶ灯篭の中には天満宮と彫られたものが残る(下の写真4)。鎌倉時代の創建と云うことは、平安時代に作られた延喜式神名帳にある式内咋岡神社でないことは明確だが、普賢寺川と木津川の合流部にあった咋岡神社は草内村と飯岡村の氏神となっていたため、木津川の氾濫により飯岡へ遷座した際に、草内村の氏神として分霊されたのではないかと云われている。飯岡の咋岡神社と同じく宇賀乃御魂神(うかのみたまのかみ)を主神とし、菅原道真を配神としている。<br /><br />草内小学校の正門前の道路の突き当りに北向きに石造りの一の鳥居が建つ。鳥居の手前には草内老人会が広島の原爆病院を慰問したことから贈られた遺品を収めた草内平和塔(下の写真5)や忠魂碑(表紙の写真)が並ぶ。石燈籠が並ぶ参道の突きあたり左に朱塗りの二の鳥居が立ち、境内に入る。境内正面は、ここも中を抜けられる入母屋造で瓦葺の割拝殿。ここにも米寿を記念して奉納された一升桝(一生益)が多く掲げられている。<br /><br />割拝殿を通り抜けるともう一つの拝殿。こちらは銅板葺、妻入入母屋造で向拝の付いたもの。その奥に春日造・檜皮葺の本殿。春日造の形式は、中世に奈良興福寺の領地であった場合が多い。正面に軒唐破風(のきからはふ)を付け、各所に蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)絵様を配して配色するなど装飾が多く、その細部様式からすると、江戸時代中期の建立と思われ、京都府の登録文化財に指定されている。2002年に修復されている。<br /><br />社殿左手の末社、若宮八幡宮は江戸時代初期に建てられたもの、さらにその左に祈雨社・八幡宮・天照皇太宮・春日社・住吉社の末社合祀殿がある。二の鳥居の反対側にはお稲荷さんもある。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4013923272011000&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京田辺 草内 咋岡神社(Kuioka Shrine, Kusauchi, Kyotanabe, Kyoto, JP)

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2020/05/17 - 2020/05/17

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ちふゆ

ちふゆさん

飯岡(いのおか)の咋岡(くいおか)神社のことを書いたが、京田辺にはもう一つ同じ名前の神社がある。こちらは飯岡地区とは普賢寺川を挟んで北西側にある草内地区にある。近鉄京都線興戸駅の北東に広がる集落の南東の端、草内小学校の東隣の鎮守の森内、飯岡の咋岡神社の北西約1kmに鎮座する。

草内は今は「くさうち」と読むが、元々は「くさじ」とか「くさち」で、草路とも書かれていた。草内の咋岡神社の近くの、国の重文に指定されている1278年建立の十三重石塔(下の写真1)が建つ法泉寺の説明板に拠ると、ある時、草むらの中から大きさ5、6寸(16~20cm)の十一面観音の金像が現れたことから草内の地名が付いたとのこと。法泉寺は平安時代、9世紀前半の干ばつの時にその観音様に祈願したところ泉が湧き出したことに感謝して建てられたもので、現在のご本尊も十一面観音立像だが、この見つかった観音像は明治維新の頃になくなったそうで、別のもの。

飯岡の咋岡神社の近くに飯岡の渡しがあったが、その下流約2㎞の山城大橋の少し上流には草内の渡しもあった(下の写真2)。この渡しは徳川家康一行が本能寺の変の直後の伊賀越えで利用した渡しだが、家康一行に少し遅れて続いていた元武田家家臣で家康の家臣となっていた穴山梅雪一行が、この渡しを通る前に落ち武者狩りの襲撃を受け亡くなったと伝えられている。

神社がある鎮守の森には室町時代には草路城があった。1478年の応仁の乱の終結後も各地で守護大名同士の小競り合いは続き、南山城でも畠山義就と畠山政長の跡目争いが続いたが、1485年に南山城の国人衆や農民らが両畠山氏の影響を排除し、南山城の自治を行うことを決め、立て籠もった城。これは山城一揆と呼ばれ、8年間自治は続いた。土塁や堀が残っている(下の写真3)。

神社は社伝によれば鎌倉後期の創建で、室町時代に兵火で焼失、1534年に再建され、江戸時代には天神社と呼ばれ、明治26年(1893年)に現在の名前に改めらえたと云う。参道に並ぶ灯篭の中には天満宮と彫られたものが残る(下の写真4)。鎌倉時代の創建と云うことは、平安時代に作られた延喜式神名帳にある式内咋岡神社でないことは明確だが、普賢寺川と木津川の合流部にあった咋岡神社は草内村と飯岡村の氏神となっていたため、木津川の氾濫により飯岡へ遷座した際に、草内村の氏神として分霊されたのではないかと云われている。飯岡の咋岡神社と同じく宇賀乃御魂神(うかのみたまのかみ)を主神とし、菅原道真を配神としている。

草内小学校の正門前の道路の突き当りに北向きに石造りの一の鳥居が建つ。鳥居の手前には草内老人会が広島の原爆病院を慰問したことから贈られた遺品を収めた草内平和塔(下の写真5)や忠魂碑(表紙の写真)が並ぶ。石燈籠が並ぶ参道の突きあたり左に朱塗りの二の鳥居が立ち、境内に入る。境内正面は、ここも中を抜けられる入母屋造で瓦葺の割拝殿。ここにも米寿を記念して奉納された一升桝(一生益)が多く掲げられている。

割拝殿を通り抜けるともう一つの拝殿。こちらは銅板葺、妻入入母屋造で向拝の付いたもの。その奥に春日造・檜皮葺の本殿。春日造の形式は、中世に奈良興福寺の領地であった場合が多い。正面に軒唐破風(のきからはふ)を付け、各所に蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)絵様を配して配色するなど装飾が多く、その細部様式からすると、江戸時代中期の建立と思われ、京都府の登録文化財に指定されている。2002年に修復されている。

社殿左手の末社、若宮八幡宮は江戸時代初期に建てられたもの、さらにその左に祈雨社・八幡宮・天照皇太宮・春日社・住吉社の末社合祀殿がある。二の鳥居の反対側にはお稲荷さんもある。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4013923272011000&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 写真1 法泉寺十三重石塔

    写真1 法泉寺十三重石塔

  • 写真2 草内の渡し

    写真2 草内の渡し

  • 写真3 草路城堀跡

    写真3 草路城堀跡

  • 写真4 天満宮の灯篭

    写真4 天満宮の灯篭

  • 写真5 草内平和塔

    写真5 草内平和塔

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