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2020年4月14日(火)、京田辺市のほぼ中央にある酒屋神社へ。近鉄京都線の興戸駅から西へ約1km余り、防賀川沿いを上流に遡って、山の手幹線をくぐってすぐにある。<br /><br />創建年月など不詳だが、社伝によれば3世紀初頭、神功皇后が新羅、百済、高句麗の三韓遠征の際、この神社背後の山に酒壺を3個安置して出立、帰国後その霊験に感謝して社殿を創建したとある。ただし、神功皇后や御祭神になっている応神天皇は古事記や日本書紀に登場しているが、実在したかどうかは怪しく、この話は創作されたものと見る人もいる。<br /><br />神功皇后の伝承は瀬戸内海沿岸や九州などには多いが、山城では珍しく、これはこの辺りに応神天皇の子孫と云われる息長氏(おきながうじ)と云う豪族が住んでいたためではないかとも云われる。これは酒屋神社の南にある観音寺の山号が「息長山」であり、さらに南西の山奥にある朱智神社が息長氏の祖を祀っていることから来ている。<br /><br />また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)の一族が往来し、酒造りを伝え、祖神を祭ったと云われているが、これは応神天皇とともにこの神社の御祭神になっている津速魂神(つはやむすびのかみ)が中臣氏の祖神とされる天児屋根命(あめのこやねのみこと)の曽祖父にあたる神と云うことからも事実に基づいた話と考えられないことはない。<br /><br />ここから南東、約2㎞に佐牙神社があり、ここには酒造の神が祀られており、それに対して酒屋神社は酒造を司った氏族の祖神を祀るという役割分担があったと云う人もおり、いずれにせよこの辺りで酒造りが盛んに行われたことは間違いがないようだ。ただ、中世になると京都の松尾大社や梅宮大社が酒造の神として台頭し崇敬を集めるようになり、酒屋神社は興戸地区の氏神として祀られてきた。<br /><br />この話とは別に、古事記に応神天皇の時代に、百済から酒造りの一族がやってきて、きれいな水が出るこの地に住み着いて酒造りを始めたとあるそうで、この人たちが酒人(さこうど)と呼ばれていたそうだ。で、のちにそれが「さこうど」から「こうど」に代わり、いつしかこの辺りの地名「興戸」 になったと云う。<br /><br />神社は北・西は山を背にし、この時にはまだ桜が咲いており、ミツバツツジも綺麗だった。南には防賀川が流れ、興戸の大池があり、初夏の青葉、秋の紅葉が美しい(下の写真1)。<br /><br />神社の南東部が入口で、鳥居はなく灯籠から石畳の敷かれた参道が西方へ伸びる。参道は突き当りで右に折れ、そこで享保6年(1722年)の銘の鳥居が南向きに建つ。鳥居を抜けると正面に南向きの拝殿(表紙写真)。瓦葺・平入入母屋造の通り抜け可能な割拝殿で、通路がやや右側に寄っている。山城南部にはこのような割拝殿が多い。ちなみに山城北部では別の日に行った棚倉孫神社のような舞殿風拝殿が主流。<br />https://4travel.jp/travelogue/11622710<br /><br />拝殿の奥、石垣で囲まれて一段高くなったところに本殿が中門と透塀に囲まれて建つ。本殿は1876年の再建で一間社流造、屋根に特徴があり、千鳥破風と軒唐破風を配した姿は山城地域では宇治の県神社本殿など限られたところにしかない。本殿の左手(西)には七社が相殿となった境内社。七社は事比羅神社、市杵島神社(厳島宮)、火産霊神社、三神社(天照大神、応神天皇、武甕槌神)、壷神社(植山毘売神)、豊受姫神社と伊邪那美神社の相殿、錦津姫神社と佐多彦名神社の相殿(下の写真2)。<br /><br />本殿を北東側に降りるとグランドとなっているが、ここにも多くの境内社が鎮座している。鳥居があるのが若宮春日神社(下の写真3)。その右手に天満宮神社(下の写真4)。その右手から奥に進むと龍王神社があるようだが、行ってない。入口の右手には多賀神社。また、多賀神社の前には明治天皇遥拝所の碑が建っている。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3886220131447982&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />社務所もない小さな神社だが、長い歴史があるものだと感心。<br /><br />あと、神社の南側を流れる防賀川だが、この神社の辺りが起点となっており、天井川となり、近鉄興戸駅辺りで北に流れを変え、神矢樋門で木津川に合流しているが、元々は神矢樋門の手前で西に流れを変え、10㎞以上流れて八幡で木津川の支流の大谷川に流れ込んでいた。戦中から戦後に掛けて、食糧増産計画に沿って整備された川で、その時に防賀川と名付けられたらしいが、由来は不明。<br /><br />現在は神矢樋門の南から馬坂川の合流点までは、以前と逆向きに流れており、通常は八幡方向の下流方向への水門は閉じられ、馬坂側の流れがそのまま防賀川の流れとなり、本流に合流して樋門に流れている。また、天井川は全区間に渡って切り下げ工事が完了しており、府道22号線のトンネル、近鉄興戸駅の上を越えていた高架川は撤去され、JR片町線のマンボのみ残っている。307号線バイパスの北の防賀川公園辺りからの桜並木は春には美しい(下の写真5)。<br /><br /><br />以上

京田辺 酒屋神社(Sakaya Shrine, Kyotanabe, Kyoto, JP)

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2020/04/14 - 2020/04/14

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旅行記グループ 京田辺

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年4月14日(火)、京田辺市のほぼ中央にある酒屋神社へ。近鉄京都線の興戸駅から西へ約1km余り、防賀川沿いを上流に遡って、山の手幹線をくぐってすぐにある。

創建年月など不詳だが、社伝によれば3世紀初頭、神功皇后が新羅、百済、高句麗の三韓遠征の際、この神社背後の山に酒壺を3個安置して出立、帰国後その霊験に感謝して社殿を創建したとある。ただし、神功皇后や御祭神になっている応神天皇は古事記や日本書紀に登場しているが、実在したかどうかは怪しく、この話は創作されたものと見る人もいる。

神功皇后の伝承は瀬戸内海沿岸や九州などには多いが、山城では珍しく、これはこの辺りに応神天皇の子孫と云われる息長氏(おきながうじ)と云う豪族が住んでいたためではないかとも云われる。これは酒屋神社の南にある観音寺の山号が「息長山」であり、さらに南西の山奥にある朱智神社が息長氏の祖を祀っていることから来ている。

また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)の一族が往来し、酒造りを伝え、祖神を祭ったと云われているが、これは応神天皇とともにこの神社の御祭神になっている津速魂神(つはやむすびのかみ)が中臣氏の祖神とされる天児屋根命(あめのこやねのみこと)の曽祖父にあたる神と云うことからも事実に基づいた話と考えられないことはない。

ここから南東、約2㎞に佐牙神社があり、ここには酒造の神が祀られており、それに対して酒屋神社は酒造を司った氏族の祖神を祀るという役割分担があったと云う人もおり、いずれにせよこの辺りで酒造りが盛んに行われたことは間違いがないようだ。ただ、中世になると京都の松尾大社や梅宮大社が酒造の神として台頭し崇敬を集めるようになり、酒屋神社は興戸地区の氏神として祀られてきた。

この話とは別に、古事記に応神天皇の時代に、百済から酒造りの一族がやってきて、きれいな水が出るこの地に住み着いて酒造りを始めたとあるそうで、この人たちが酒人(さこうど)と呼ばれていたそうだ。で、のちにそれが「さこうど」から「こうど」に代わり、いつしかこの辺りの地名「興戸」 になったと云う。

神社は北・西は山を背にし、この時にはまだ桜が咲いており、ミツバツツジも綺麗だった。南には防賀川が流れ、興戸の大池があり、初夏の青葉、秋の紅葉が美しい(下の写真1)。

神社の南東部が入口で、鳥居はなく灯籠から石畳の敷かれた参道が西方へ伸びる。参道は突き当りで右に折れ、そこで享保6年(1722年)の銘の鳥居が南向きに建つ。鳥居を抜けると正面に南向きの拝殿(表紙写真)。瓦葺・平入入母屋造の通り抜け可能な割拝殿で、通路がやや右側に寄っている。山城南部にはこのような割拝殿が多い。ちなみに山城北部では別の日に行った棚倉孫神社のような舞殿風拝殿が主流。
https://4travel.jp/travelogue/11622710

拝殿の奥、石垣で囲まれて一段高くなったところに本殿が中門と透塀に囲まれて建つ。本殿は1876年の再建で一間社流造、屋根に特徴があり、千鳥破風と軒唐破風を配した姿は山城地域では宇治の県神社本殿など限られたところにしかない。本殿の左手(西)には七社が相殿となった境内社。七社は事比羅神社、市杵島神社(厳島宮)、火産霊神社、三神社(天照大神、応神天皇、武甕槌神)、壷神社(植山毘売神)、豊受姫神社と伊邪那美神社の相殿、錦津姫神社と佐多彦名神社の相殿(下の写真2)。

本殿を北東側に降りるとグランドとなっているが、ここにも多くの境内社が鎮座している。鳥居があるのが若宮春日神社(下の写真3)。その右手に天満宮神社(下の写真4)。その右手から奥に進むと龍王神社があるようだが、行ってない。入口の右手には多賀神社。また、多賀神社の前には明治天皇遥拝所の碑が建っている。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3886220131447982&type=1&l=223fe1adec

社務所もない小さな神社だが、長い歴史があるものだと感心。

あと、神社の南側を流れる防賀川だが、この神社の辺りが起点となっており、天井川となり、近鉄興戸駅辺りで北に流れを変え、神矢樋門で木津川に合流しているが、元々は神矢樋門の手前で西に流れを変え、10㎞以上流れて八幡で木津川の支流の大谷川に流れ込んでいた。戦中から戦後に掛けて、食糧増産計画に沿って整備された川で、その時に防賀川と名付けられたらしいが、由来は不明。

現在は神矢樋門の南から馬坂川の合流点までは、以前と逆向きに流れており、通常は八幡方向の下流方向への水門は閉じられ、馬坂側の流れがそのまま防賀川の流れとなり、本流に合流して樋門に流れている。また、天井川は全区間に渡って切り下げ工事が完了しており、府道22号線のトンネル、近鉄興戸駅の上を越えていた高架川は撤去され、JR片町線のマンボのみ残っている。307号線バイパスの北の防賀川公園辺りからの桜並木は春には美しい(下の写真5)。


以上

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  • 写真1 興戸の大池

    写真1 興戸の大池

  • 写真2 七社境内社

    写真2 七社境内社

  • 写真3 若宮春日神社

    写真3 若宮春日神社

  • 写真4 天満宮神社

    写真4 天満宮神社

  • 写真5 防賀川桜並木

    写真5 防賀川桜並木

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