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木津川サイクリングロード(CR)を山城大橋の650mほど下流進んだ河川敷に一本桜がある。残念ながら桜が咲いていた時期に通った時に写した写真はないが、市の広報で「意外と知られていない 映え桜スポット」して紹介されており、芸術家には知られた桜で、写真や絵画などの作品のテーマとしてよく取り上げられているそうだ。この辺りに藤木の浜の渡しがあったらしいが、残念ながら場所を示す碑は見当たらないので、明確な場所は分からない。<br /><br />この辺りの河川敷には、センダンの木はあまりないが、その他の木や竹などがけっこう繁っており、ウグイスの鳴き声を頻繁に聞くことが出来る。茶畑はこの辺りでは河川敷でなく、堤防で守られた平野部の方にあり、抹茶の原料を造るJAやましろの碾茶工場もある(下の写真1)。また、川の北側遠くには京都市内を囲む山々を望むことが出来る。北東方向の正面は西山連峰の北の端で、その右手で一番高い山が北山連峰の愛宕山(下の写真2)。<br /><br />木津川が北西方向から西に流れを変えて少ししたところにあるのが神矢樋門。1984年に造られたもので、放水路を通して防賀川の流れを木津川に導いている。これにより昭和20年前後に木津川と並行して八幡へ流れるように整備された防賀川は、もともとそうであったように早々と木津川に合流するようになった。神矢樋門は通常は開門され、木津川に流れているが、増水時には逆流を防ぐために閉門され、放水路の水は機械排水される。この設備は1987年に追加された。<br /><br />この樋門の内側は川を挟んで公園となっているが、毎年8月16日に行われていた京田辺の花火大会が2000年代の前半には今は田辺記念病院がある辺りで打ち上げられており、この公園に家族で見に来ていた。花火大会、その後打ち上げ場所が何回か変更されて続いていたが、ここ数年は行われていない。今年(2020年)も復活はないだろうなあ・・・<br /><br />さらに下流に進むと、山城大橋から約2㎞に鉄橋がある。1928年に完成し、奈良電気鉄道として開通した現在の近鉄京都線の木津川橋梁。シンプルな鉄道用プレートガーダー橋で493.17mある。この橋梁を挟んだ河川敷は田辺木津川運動公園となっており、野球場(一面)、ソフトボール場(二面)、テニスコート(四面)があり、ソフトボール場二面を使えば、サッカー競技場や陸上競技場としても使用できる。1974年に開設された。ここも草内木津川運動公園同様、この10年間で5回冠水している。息子が高校時代にここでサッカーの試合をしてたのを応援に来てたし、テニスコートで家族テニスをしたこともあった。この辺りは昔は対岸の富野とを結ぶ渡し場があり、テニスコートの上の堤防内側に富野の渡し場跡の碑が建つ。<br /><br />鉄橋を潜るとつつみ公園。正式には田辺木津川つつみ緑地。1994年に整備された、遊具も多くある広い公園。梅の木と桜の木が並ぶ花見スポットで、近鉄電車から眺めることもできる。今はホソバハルシャギクの黄色い花がたくさん咲いていた。<br /><br />公園の先の反対側の河川敷には広い茶畑が広がる。多くは玉露畑で、この時期収穫が進んでいる。玉露は茶摘みの20日前ぐらい、新芽が出る頃から日除けで覆い、直射日光を遮ぎる覆下栽培で育てられる。光を遮ることにより、お茶の旨味成分であるアミノ酸が豊富になり、更に渋みの元であるタンニンを少なくするため、豊かな香りとまろやかな甘味のある玉露ならではの上品な味わいになり、最高級の日本茶となる。二葉摘み(一芯二葉)あるいは三葉摘み(一芯三葉)と云う新芽の先端から二枚(三枚)の葉のついた部分のみを手摘みで取ったものが使われる(下の写真3)。玉露摘みが終わると日除けは開けられる。<br /><br />広い茶畑を右手に見下ろしながら進むと天井川の天津神川(あまつがみがわ)を越えるが、その手前に1959年に木津川増水時の排水用に造られた西浜(田辺)排水機場があり、その上の堤防に田辺の浜船着場の碑がある。明治時代には各村に近い木津川岸に浜の問屋があり、これに荷物を頼んでおけば、定額運賃で船に積んで目的地に届けてくれた。鉄道開通までは伏見・大阪方面への唯一の物資輸送路で、帆掛け船が定期的に上り下りし、盛況であった。天津神川は2㎞ほど南の棚倉孫神社の先から流れてきている天井川で、このサイクリングロードの堤防下に並行して流れる防賀川はトンネルでこの川の下を潜っている(下の写真4)。<br /><br />天津神川の約400m先(西)には手原川が木津川に合流しているが、その手前には名松川と防賀川の放水路の木津川への排出路の名松樋門がある。1995年に完成したもの。名松川は1.3kmの短い川。手原川は甘南備山に源を発する全長4.2㎞の川で、最下流部は天井川となっており、ここでも防賀川が下を潜っている(下の写真5)。手原川を渡った先の左手の堤防の内側には、木津川に全部で16ヶ所あったという渡しのうち京田辺市にある7ヶ所の一番下流にある水主(みずし)の渡し跡の碑がある。手原川から対岸の城陽の水主地区を結んでいた。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4046813838721943&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京田辺 木津川CR山城大橋下流(Kizugawa Cycling Road Kyotanabe Lower Part, Kyoto, JP)

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2020/05/25 - 2020/05/25

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ちふゆ

ちふゆさん

木津川サイクリングロード(CR)を山城大橋の650mほど下流進んだ河川敷に一本桜がある。残念ながら桜が咲いていた時期に通った時に写した写真はないが、市の広報で「意外と知られていない 映え桜スポット」して紹介されており、芸術家には知られた桜で、写真や絵画などの作品のテーマとしてよく取り上げられているそうだ。この辺りに藤木の浜の渡しがあったらしいが、残念ながら場所を示す碑は見当たらないので、明確な場所は分からない。

この辺りの河川敷には、センダンの木はあまりないが、その他の木や竹などがけっこう繁っており、ウグイスの鳴き声を頻繁に聞くことが出来る。茶畑はこの辺りでは河川敷でなく、堤防で守られた平野部の方にあり、抹茶の原料を造るJAやましろの碾茶工場もある(下の写真1)。また、川の北側遠くには京都市内を囲む山々を望むことが出来る。北東方向の正面は西山連峰の北の端で、その右手で一番高い山が北山連峰の愛宕山(下の写真2)。

木津川が北西方向から西に流れを変えて少ししたところにあるのが神矢樋門。1984年に造られたもので、放水路を通して防賀川の流れを木津川に導いている。これにより昭和20年前後に木津川と並行して八幡へ流れるように整備された防賀川は、もともとそうであったように早々と木津川に合流するようになった。神矢樋門は通常は開門され、木津川に流れているが、増水時には逆流を防ぐために閉門され、放水路の水は機械排水される。この設備は1987年に追加された。

この樋門の内側は川を挟んで公園となっているが、毎年8月16日に行われていた京田辺の花火大会が2000年代の前半には今は田辺記念病院がある辺りで打ち上げられており、この公園に家族で見に来ていた。花火大会、その後打ち上げ場所が何回か変更されて続いていたが、ここ数年は行われていない。今年(2020年)も復活はないだろうなあ・・・

さらに下流に進むと、山城大橋から約2㎞に鉄橋がある。1928年に完成し、奈良電気鉄道として開通した現在の近鉄京都線の木津川橋梁。シンプルな鉄道用プレートガーダー橋で493.17mある。この橋梁を挟んだ河川敷は田辺木津川運動公園となっており、野球場(一面)、ソフトボール場(二面)、テニスコート(四面)があり、ソフトボール場二面を使えば、サッカー競技場や陸上競技場としても使用できる。1974年に開設された。ここも草内木津川運動公園同様、この10年間で5回冠水している。息子が高校時代にここでサッカーの試合をしてたのを応援に来てたし、テニスコートで家族テニスをしたこともあった。この辺りは昔は対岸の富野とを結ぶ渡し場があり、テニスコートの上の堤防内側に富野の渡し場跡の碑が建つ。

鉄橋を潜るとつつみ公園。正式には田辺木津川つつみ緑地。1994年に整備された、遊具も多くある広い公園。梅の木と桜の木が並ぶ花見スポットで、近鉄電車から眺めることもできる。今はホソバハルシャギクの黄色い花がたくさん咲いていた。

公園の先の反対側の河川敷には広い茶畑が広がる。多くは玉露畑で、この時期収穫が進んでいる。玉露は茶摘みの20日前ぐらい、新芽が出る頃から日除けで覆い、直射日光を遮ぎる覆下栽培で育てられる。光を遮ることにより、お茶の旨味成分であるアミノ酸が豊富になり、更に渋みの元であるタンニンを少なくするため、豊かな香りとまろやかな甘味のある玉露ならではの上品な味わいになり、最高級の日本茶となる。二葉摘み(一芯二葉)あるいは三葉摘み(一芯三葉)と云う新芽の先端から二枚(三枚)の葉のついた部分のみを手摘みで取ったものが使われる(下の写真3)。玉露摘みが終わると日除けは開けられる。

広い茶畑を右手に見下ろしながら進むと天井川の天津神川(あまつがみがわ)を越えるが、その手前に1959年に木津川増水時の排水用に造られた西浜(田辺)排水機場があり、その上の堤防に田辺の浜船着場の碑がある。明治時代には各村に近い木津川岸に浜の問屋があり、これに荷物を頼んでおけば、定額運賃で船に積んで目的地に届けてくれた。鉄道開通までは伏見・大阪方面への唯一の物資輸送路で、帆掛け船が定期的に上り下りし、盛況であった。天津神川は2㎞ほど南の棚倉孫神社の先から流れてきている天井川で、このサイクリングロードの堤防下に並行して流れる防賀川はトンネルでこの川の下を潜っている(下の写真4)。

天津神川の約400m先(西)には手原川が木津川に合流しているが、その手前には名松川と防賀川の放水路の木津川への排出路の名松樋門がある。1995年に完成したもの。名松川は1.3kmの短い川。手原川は甘南備山に源を発する全長4.2㎞の川で、最下流部は天井川となっており、ここでも防賀川が下を潜っている(下の写真5)。手原川を渡った先の左手の堤防の内側には、木津川に全部で16ヶ所あったという渡しのうち京田辺市にある7ヶ所の一番下流にある水主(みずし)の渡し跡の碑がある。手原川から対岸の城陽の水主地区を結んでいた。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4046813838721943&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 写真1 玉露畑と碾茶工場

    写真1 玉露畑と碾茶工場

  • 写真2 西山から愛宕山

    写真2 西山から愛宕山

  • 写真3 玉露が摘まれた後

    写真3 玉露が摘まれた後

  • 写真4 天津神川の下を潜る防賀川

    写真4 天津神川の下を潜る防賀川

  • 写真5 手原川の下を潜る防賀川

    写真5 手原川の下を潜る防賀川

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