2020/05/23 - 2020/05/23
111位(同エリア241件中)
ちふゆさん
飯岡(いのおか)丘陵の咋岡(くいおか)神社に先日寄った話で書いたが、この丘陵では多くの古墳が発見されている。
https://4travel.jp/travelogue/11623732
先日来た時に神社の向かいの竹やぶが古墳みたいと思っていたのだが、あとで調べてみたらやはり古墳だった。トヅカ古墳と云う直径22m、高さ3mの円墳。「神魂丘旧蹟」の石標が建つ墳頂部には、竪穴式石室に使われていた石材の一部が露出しているそうだが、登ってないと云うか登れない。明治7年に調査され、銅鏡3面、刀剣、馬具、管玉などが出土し、現在京都国立博物館に保管されている。
咋岡神社から飯岡丘陵の南東端を下ると、丘陵の南東斜面に花崗岩の地山をくりぬいて作られた飯岡横穴。かつては2基あったと云う。1978年の発掘調査で、古墳時代後期の須恵器が見つかった。平安時代に再利用されたこと、室町時代に内部が荒らされていたことも判明し、そのために作られた当時の状態は不明。道から高いところにあり、横穴まで行こうとすると草むらを上がるしかないので、行ってない(下の写真1)。
丘陵の中央部の丘の上にあるのが薬師山古墳。5世紀に建てられた直径40m、高さ6mの円墳で、桜井古墳の石標があり(下の写真2)、第29代欽明天皇の第六皇子、桜井皇子の墓とされているが根拠はない。墳頂部に江戸時代の石仏を安置した薬師堂がある。
その東、まっすぐ進んだところ、丘陵の一番高いところになるのが、ゴロゴロ山古墳で、茶臼塚、釈迦山古墳とも呼ばれる。古墳時代中期のもので、直径は60m、高さは9m、墳丘頂部は直径20mの平坦地になっている南山城地方を代表する大きな円墳(前方後円墳とする説もある)。盗掘により遺物は何も残ってないが、伝承では、第26代継体天皇の皇子、椀子皇子(まろこのみこ)の墓と云われ、椀子王古墳の石碑が建つ(下の写真3)。古墳の墳丘の表面に敷きつめた葺石(ふきいし)も見つかっており、北東部には濠がめぐっていた跡もある。
さらに西側に降りて行くと飯岡車塚古墳。長さ81m、後円部直径60m、前方部幅は45m、高さ4.5mの前方後円墳で京田辺市内で最大の大きさ。古墳の表面は葺石で覆われていたが、現在前方部は茶畑となっている。登ってないが、後円部に上殖葉王古墳と記した石標が建つそうで、第28代宣化天皇の皇子、上殖葉皇子(かみえはのみこ)の墓とされるが、宣化天皇は5世紀から6世紀に掛けての天皇で、この古墳は竪穴式石室の大きさから4世紀後半の築と考えられ、時代が合わない。明治時代の発掘調査で多くの遺物が出土し、現在は東京国立博物館に所蔵されている。
この他、ゴロゴロ山古墳の北側に直径は25m、高さは4mの弥陀山古墳もあるそうだが、古墳の上への道が分からなかったので行ってない。石塚古墳、地蔵山古墳とも云われ、古墳時代中期のものらしい。山頂に江戸期の石仏と朱大王古墳の石碑が建つそうで、薬師山古墳の桜井皇子の子の朱大王(あけのおおきみ)の墓とされるが、これも疑わしい。また、飯岡東原古墳と云う古墳時代後期の古墳もあるらしいが、場所も詳細も不明。
あと、古墳ではないが、車塚古墳の南下の共同墓地には穴山梅雪の墓がある。草内の咋岡神社に行った話の時に書いたが、徳川家康一行の伊賀越えの際に草内で亡くなった穴山梅雪の墓で、土地の者が草内の渡しの西岸付近の墓地に建てたのを木津川の氾濫から守るためにここへ移したと案内板にある(下の写真4)。なお、殺されたのは一揆に巻き込まれたとも、家康に間違えられたとか、従者が普賢寺谷で道案内人を殺したことへの報復など諸説あり、また自刃したとも云われる。
https://4travel.jp/travelogue/11623735
車塚古墳の北側には西方寺と云う立派なお寺がある。山号を袋中山と云い、山城善光寺とも呼ばれる。浄土宗、金戒光明寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来(下の写真5)。1637年に袋中上人が開山したお寺で、その2年後に上人はこの寺で88歳で入寂した。本堂は入母屋造、単層、瓦葺で、ご本尊の坐像の他、観音・勢至菩薩像、厨子内の金銅製弥陀三尊仏(蓮池如来)立像や袋中上人坐像がある。また、袋中上人関係の資料が数多く残り、山門左には上人の墓塔もある。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4039284376141556&type=1&l=223fe1adec
袋中上人は磐城国の生まれ。浄土宗の学僧として名をなし、50歳を過ぎ明への渡航を試みるが、豊臣秀吉の対明政策の煽りから入国を拒否され、1603年に琉球国に漂着。琉球に3年間滞在した後、帰国し、京都、奈良で20余の寺を再興、建築した。上人の業績は布教活動だけでなく、日本と琉球国との親交を深めたことや今の沖縄の舞踏・エイサーの成立に大きな影響を与えた念仏踊り(ニンブチマーイ)を普及させたことも挙げられる。
以上
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