2019/11/10 - 2019/11/10
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しにあの旅人さん
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旅に出たならば、帰らねばなりません。
東征のあとの、ヤマトタケルの家路を辿ります。
古代足柄山越え東海道は、足柄道、足柄路と呼ばれておりました。足柄路当時の駅である坂本駅、その後の関本宿から足柄峠まで、足柄路の一部が足柄古道として残っております。
この道をヤマトタケル、Mlle.菅原も歩きました。
古道の足柄神社から矢倉沢関所あとまで歩いてみました。
この旅行記グループは19年11月の旅行の記録です。ドライブは20年4月2日ですが、旅行記を順番に並べたいので、旅行日を11月10日とします。
今回の旅行記で引用、参照した資料は、
ヤマトタケルの家路1 足柄の坂
に列挙してあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
足柄神社
-
境内に車をとめて歩き始めます。
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桜の花びらが敷きつめられでおりました。
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この道路は、古道といっても、今も使われている生活道路なのです。
神社近くには人家もあります。 -
沿線には果樹園や、畑があります。
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分岐が何カ所かありますが、
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案内標識が完備しています。
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矢倉岳や、
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金時山が常に左右に見えます。
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背後には遠くかすかに相模湾。
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やがて古道は杉林を登ります。
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現在は近年植林された杉林です。
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しかし足柄路のころは、鬱蒼たる大木の原生林を切り開いた路であったでしょう。
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等高線をうまくまいているので、勾配はそれほどではありません。
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舗装されているのが古代らしくないのはやむを得ません。今も使われている生活道路なのです。
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しかしそれゆえに、舗装以外古代の面影を残しています。路面は整備され、6メートルくらいの幅が維持されています。
私は、古代律令時代の官道は獣道に毛の生えたようなものだと思っていました。大違いで、ローマ帝国の街道にも負けないような、立派なものでした。北海道以外の全国に張り巡らされ、総延長は約6300キロに達しました。昭和30年台、初期の日本の高速道路が6400キロです。
主要官道である駅路は、道路幅12メートルと定められていました。馬による情報伝達が第一目的の道路でした。疾走する馬がすれ違うにはこの道路幅が必要なのでしょう。しかし峠越えの難所では12メートルの道幅は確保できません。駅路でも難所中の難所東山道神坂(みさか)峠では5メートルくらいの駅路が発掘されています。
この区間の足柄古道の道幅は大体こんなものです。5~6メートルあります。 -
県道78号は所々で足柄古道を横切ります。
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そのほとんどが、現在は道路としては使われておりません。
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道祖神に見守られた、
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廃道なのです。よくいえばハイキングコース。道路は生活のために使われていないと、死ぬのです。
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こんなものもありました。
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ヤマトタケルのころも出たでしょうな。しかし一行には専属料理人、七掬脛(ななつかはぎ)が同行しています。Welcomeであったでしょう。
このメッセージ。なんか嬉しくなっちゃいませんか?誰もいない山道を歩いてきてこれに出会ったとき、この土地の人と話したような、心配してもらったような、なんと表現していいか分かりませんが、すごーくいい気持ちになりました。はい!って大きな声で返事しちゃいました。
イノシシねえ。
私たちが歩いてきた道の両わきのどこかに、じっとひそんで見てたのかもしれません。うさぎ、きつね、たぬきもいることでしょう。
あー、まったく金太郎ちゃんの世界だわ。
By妻 -
Mlle.菅原の一行も、この道路を通った。彼女はスミレの花にキャアキャアいうような、かわいい女の子であったと思います。
「山のなからばかりの、木の下のわづかなる、葵のただ三筋ばかりあるを、『世ばなれてかかる山中にしも生ひけむよ』と、人々あはれがる」
「山の中腹辺りの、木の下のほんのちょっとした所に、葵がたった三本ほど生えているのを、『人里離れてこんな山の中にもよくもまあ生えたものだなあ』と、人々はいとおしがる」
人々とは、Mlle.菅原自身と、姉、継母でしょうか。父孝標は、「そんなものいいから、早く行こう」と言ったとか言わないとか。 -
古道の片側には畑が続いております。柑橘類とお茶でした。
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お茶は美しく整えられていて、この地方の豊かさを現していました。
イタリアでも南に行くとオリーブ畑が延々と続いて、ため息が出る美しさですが、日本だって負けないんです。こういう整えられた農地の美しさというのは、人間に安らぎを与えます。
By妻 -
やがて矢倉岳を正面に見て、矢倉沢関跡に下りて行きます。
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県道に出るとバス停があり、こんな張り紙がありました。熊が出たそうです。金太郎の友達の子孫であります。
ほうら! やっぱりキンタロウ・ワールド。
By妻 -
江戸時代は、東海道の脇街道である矢倉沢往還が通り、関所がありました。関所は夜は閉まるため、矢倉沢宿が栄えました。
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関所跡が残っています。今は民家のお庭です。
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当時はここに「立花屋」という旅籠がありました。今は立派な民家です。
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プチ馬籠宿という感じの、昔をしのばせるたたずまいの集落でした。ゴミ一つ落ちていません。イベントとか祭りとかなにかあったからか、それともいつもこうなのか。雑草もはえていません。よく手入れされていました。
猪がでるとかの山道を歩いてきて林を抜けきったところの集落を、日の光がやわらかく包んでいました。
このブログには毎回人がいないと書きますが、今回も人がいませんでした。昔の旅籠のお宅の前で写真を撮ったりしても、思えば無礼なことですが、どなたも、ちらりとも出ておいでになりませんでした。それでいて静まりかえっているわけでなく、川のせせらぎの音、小鳥の声がやさしく聞こえ、やわらかい光とで、体中の無駄なりきみがゆっくりほどけるようでした。私はここに住み着きたかったです。
正直に申しますと、馬籠宿はあまりに整備されすぎ、観光客を意識しすぎの造りだったと思えます。町の政策は成功して、外国人がたくさん歩いていて、もはや世界の観光地になっていました。世界の人に「日本の美」を見てもらうのに文句のつけようのない、ほこれる町でした。そのスキのない分、こっちも緊張するのかなあ。
ここ矢倉沢宿は、かっぽう着のおかあさんのような懐かしいところで、「ただいまー」って言いたいような。
By妻 -
12メートルはありませんが、6メートル以上の道幅があります。おそらく古代駅路を踏襲したものでしょう。足柄路には坂本-足柄峠間に駅はありませんでした。駅の間隔は16キロと定められておりました。坂本駅からは5キロ程度ですから、近すぎます。
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駅は、周囲に田を与えられ、その田から得られる米を収入源とする独立採算制でした。矢倉沢は平地が少ないので、駅を経営できなかったのでしょう。
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狩川のほとりでも桜が満開でした。
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道祖神に見守られて、旅人は行き来したのであります。
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足柄神社の境内から山道に入って矢倉沢宿まで行き、帰りは下のバス道に沿った散歩道。それが終わったらバス道を歩いて、石の仏様など拝みながら、神社に戻ってきました。ゆるい上り坂と下り坂で、沿道のお宅の庭の花を楽しみながらいい散歩でした。
戻ってきたのは足柄神社前というバス停。停留所から神社へは首をぎゅーっと、さらにぎゅーっとそらさないと見えない高さの階段。
ギョッと思いましたが、主人が「登ろう」と平然と申しましたので、同い年の私としてはへーきな顔をして石段をよちよち登りました。
さんざん歩いた後の石段は全然へーきじゃなかったけど、「体力ないなあ」とバカにされたら悔しいでしょ。 -
階段を上りきったら、この景色、金時山、矢倉沢集落、矢倉沢岳がみわたせます。季節もよく、美しい景色を見て、楽しいハイキングでした。
By妻
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この旅行記へのコメント (5)
-
- 前日光さん 2020/04/21 23:57:37
- まだまだ体力がおありのようで。。。
- 羨ましい限りです(-_-)
こんばんは、しにあの旅人さん。
足柄神社や金時山、矢倉沢集落等々、自分の足で歩かないと土地の記憶に直接触れたことにはならないのだろうと拝読しながら思いました。
精神軟弱&腰痛持ちの私と違って、お二人は強靱な精神&肉体も持ち合わせておられますね。
本当の意味でのトラベラーというのは、まず歩けなくてはダメだと思います。
昔の人は、目的地に到達するためには歩くしかなかったですからね。
イノシシもクマも出没したと思われる足柄古道、Mlle.菅原もこの道を辿り、葵の花に感動し義母や姉と談笑しながら京へと向かったのでしょうか?
枲の垂衣姿で杖など手にして。
妄想がふくらみます。
私もずいぶん昔に馬込宿を歩いたことがありますが、その頃でも整備されすぎた観光地というのは、快適ではあっても、真実味が足りないと思いました。
足柄古道は、古道の神髄を今に残していますね。
5,6年前「竹内街道」というのを歩いたことがありますが(時間の都合で東大阪から奈良に至る道を半分ほど)、やはり思った以上に整備されていました。
司馬遼太郎氏が書いていた1970年代のこの街道は、どんなに田舎道だったのだろうと思いました。
3月に奈良旅を予定していましたが、実は「暗峠(くらがりとうげ)」というのを、車で走ってみようと思っていたのです。
いちおう国道ですが、別名「酷道」と呼ばれているカーブ&急角度&狭いと言われている道です。
コロナ騒ぎが終息しないとどこにも行けませんが、それはいったいいつになるのでしょう?
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/04/22 06:44:32
- Re: まだまだ体力がおありのようで。。。
- おはようございます。
足柄古道はまだこの先があるようです。ハイキングコースのようです。車なもんで、車を取りに戻ってこないといけないので、このくらいが限度。古代官道の面影を追うのが目的なので、ハイキングコースは実は困るのです。
Mlle.菅原の銅像が内房線五井駅の駅前にあります。写真で見ると旅装束に杖、まさにおっしゃるようないでたちです。写真を撮りに行こうかと思ったのですが、なぜが全身銀色なのです。あまり可愛くない。それでやめました。
今年はMlle.菅原旅立ち1000年ということで、市原市は市長を先頭にコスプレ大会など張り切っておりますが、このコロナ騒ぎでだめでしょうね。彼女も1000年ぶりの出番だったのですが、さぞがっかりしていることでしょう。「いと、おそろし」とかなんとか言ったりして。
私たちも4月に奈良を予定しておりました。1週間キッチン付きのホテルを根拠地に奈良を巡る予定でしたが、泣く泣くキャンセルでした。お上が私たちに20万円くれるそうです。もらったら、奈良にいきます。
いつもみたいに4Traで一番安いホテルを探したりしません。スーパーの惣菜で夕食などやめて、観光地にしっかりお金を落としてこようと思っています。
そのころ、コロナちゃんが収まってくれるといいのですが。
-
- ももであさん 2020/04/20 20:01:26
- 道祖神
- たびとさま
以前奈良の山の辺の道を歩いた時にも思いましたが、古代
律令時代の道って、本当に立派だったのですね。
車が走る訳でもなく馬がすれ違えればいいわけで、ましてや
猫には十二分です。
この頃の東海道って箱根北側を通るルートだったのですか?
うちのすぐ近所も獣害が激しくて、猪・鹿・蝶・猿が頻繁に
出没します。電気柵を設けているのですが、その総延長
たるや、もうどんだけ~! てな感じです。
丹精込めて育てた農作物が一晩で食い荒らされるのだから、
長閑な田舎...では済まない、死活問題だそうです。
実際近所を散歩していると、獣たちを度々見かけます。
だから秋になると農家の人達と一緒に、振る舞い酒に
あずかりながら、新鮮な猪・鹿を食べさせていただき、
微力ながら駆除に貢献しています!?
地蔵菩薩を見かけるとホッとしますね。
うちの近所には5,000体もの道祖神さんがそこかしこに
鎮座されていて、散歩してても飽きないです。
全国屈指の道祖神三密地帯です。
村の外からやってくる疫病を防ぐとされた道祖神。
アベノマスクより、一家に2体ずつ配送して欲しかった!?
- しにあの旅人さん からの返信 2020/04/20 20:27:39
- Re: 道祖神
- 古代官道は、わたしも驚いています。発案者は天智天皇、実行は天武天皇らしい。みやこと地方拠点を直線で結ぶというのは、昭和30年代の日本の高速道路と同じ発想。つまり田中角栄の日本列島改造論です。天智天武が古代の田中角栄か、田中角栄が昭和の天智天武か、まあいろいろと議論の余地はありますが、いずれにしても国家の文字通り大動脈をどうするか、考えた政治家であります。
古代東海道が足柄山越えであったことは間違いありません。箱根越えになったのは早くて中世だそうです。
我が家は九十九里平野のど真ん中、いまのところ獣害はありません。しかし近くでキョンの被害は出つつあるようです。キョンというのは、数十年前行川アイランドという遊園地に飼われていた小型の鹿です。こいつが脱走して、房総に繁殖して大変な被害をもたらしております。つまり大元は人災であります。
アベのマスクは布がふんだんに使ってあるので、バラすと2枚になるそうです。つまり2枚で4枚分。なるほどそういう深謀遠慮かと、とくに関心はしておりません。世田谷の親戚には着きました。我が家はまだ。妻は手製のマスクのテスト製作をはじめました。
もうしばらくの辛抱です、か?
お互い、生き延びましょう。
- ももであさん からの返信 2020/04/20 21:36:33
- Re: 道祖神
- なるほど。天智天皇さんが発案者でしたか。
昔、うちのすぐご近所さんに住んでた方です。
そんな影響もあって道祖神三密地帯なのかも知れません。
うちの裏山(比叡山とも呼ばれてます)は猿だらけですが、
神様らしくて、やりたい放題です。
近所の小川(鴨川とも呼ばれてます)は、ヌートリアだらけで
これまた、やりたい放題です。巨大ドブネズミ?
アベノマスクの解体設計図が既に出回ってますね。
裁縫上手が増えることでしょう♪
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