2019/11/10 - 2019/11/10
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しにあの旅人さん
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旅に出たならば、帰らねばなりません。
東征のあとの、ヤマトタケルの家路を辿ります。
前回の文末、
古代の旅人、その1人が古事記のヤマトタケルですが、こうして足柄山を越え、北に方向を変え、甲斐国酒折の宮に向かいます。
BSの通販宣伝のイントネーションで、
「ちょっと待って下さい!」
足柄峠から浦賀水道らしきものが見えているのは分かりました。でも、どこが見えているのか。
ここは人差し指を立てて、杉下右京の感じで、
「細かいことが気になるたちでしてね~」
このドライブは2020年5月7日に行ってきましたが、「ヤマトタケルの家路5」として順番に並べたいので、旅行日付は2019年11月10日とします。
今回の旅行記で引用、参照した資料は、
ヤマトタケルの家路1 足柄の坂
に列挙してあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
足柄峠の万葉公園から東、大貫港まで、江ノ島を挟んで一直線。
ということは、逆に大貫港から西を見れば、富士山の手前に足柄山が見える、はず。 -
まず高台に行ってみよう!
ということで、東京湾観音を目指します。
撮影は2016年1月。
By妻によれば、ぼんやりした山の写真ばっかりでおもしろくない。と、非協力的。今回はBy妻の出演はありません。残念。 -
東京湾観音は、大貫港から南東直線1.78kmです。足柄山背後の富士山もほぼ同じ位置に見える、はず。
ところが、 -
数日前に電話したら、開館していると言っていたのに!
観音様の内部を登るのは、場合によっては3密でしょうが、東京湾展望台はいいと思うのですが。コロナ騒ぎの余波です。 -
富津海水浴場から、東京湾観音。後ろをむいて、ぷいっ!!と、ふられました。
-
次は大貫港より北西直線7.3kmの富津崎展望台を狙ったのですが、ここもコロナ騒ぎで閉鎖。なんであんな吹きさらしの展望台が閉鎖なんでしょう。3密の正反対なのですが。
ぶーたれながら、大貫港すぐ北の大貫中央海水浴場にやって来ました。浜辺には入れませんが、路肩に車を止めて撮影します。 -
大貫港はすぐ近くです。
さて肝心の足柄山は、 -
なんじゃ、こりゃ!
ほんと、こういうふうに見えました。
東京湾って、案外広いんだ。対岸の三浦半島の最も近い横須賀でさえ、11キロある。
気を取り直して目印を探します。 -
富士山、めっけ!
手前の自転車は散歩のおじさんのです。おいてどっかに行っちゃいました。
足柄山は富士山の左のはず -
望遠をきかせて、これかな?あれかな?
直線で約76キロありますが、さすがに遠い。どのくらい遠いかというと、戦艦大和の主砲の最大射程距離が42キロですから、それでも届かない。この距離だと司令塔のてっぺんから見ても標的は水平線の向こうにやっとマストが見えるくらいだそうです。つまり標高769メートルの足柄峠が、もしこの浜辺と同じ海抜0メートルなら、水平線の遙か向こうでまったく見えません。 -
足柄山は箱根連山のはじっこで、富士山側にもう高い山がないはず。ないですね!
-
これでしょう!
-
足柄山の麓で見た金時山と、
-
矢倉岳。
-
どうやら目標が分かったので、これからは場所を移動しながら、もうちょっとましな足柄山の写真を狙います。
富津海水浴場と弁天山古墳。 -
弁天山古墳が少し高台で、最もいい撮影場所でした。富士山もばっちり。
-
富士山の裾野が一部入っています。
この日、非常にいい天気で、明るすぎてデジカメのファインダーの映像がほとんど見えません。目視して、大体の方向を決めて、あとは勘でシャッターを押します。 -
中央左の高い建物を目印に、多分この辺だろう。写っていました。
-
左の金時山は、明神ケ岳や明星ケ岳と重なっているでしょうが、稜線の区別ができません。
右の△山は矢倉岳と取手山と重なっているかもしれません。 -
望遠限界です。これは富津海水浴場から。
私の安デジカメでは、山だか、空だか、はっきりしません。かろうじてシルエットで稜線が分かる程度。
三脚を使っています。
二つの山の間のどこかが足柄峠ということです。 -
足柄峠からの、江ノ島と三浦半島。三浦半島と房総半島の間にぼやーっと雲のように見えているのが東京湾です。江ノ島の展望台の先、ちょうどこのあたりが大貫港、弁天山古墳ということになります。富津海水浴場はちょい左。
-
富津海水浴場から。
結論。
足柄峠から見えていたのは、この辺りの海でした。 -
弁天山古墳。
大貫港の北西直線約780メートルにあります。5世紀後半に造られた前方後円墳。この地域の有力豪族の墓でありましょう。
律令制以前の古代には、この地域一帯は須恵国(すえのくに)とよばれました。
「先代公事本紀」(現代語訳)によれば、
「須恵国造(すえのくにのみやつこ)
志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に茨城国造の先祖の建許呂命の子の大布日意彌尊(おおぬのひおみのみこと)を国造に定められた」
となっています。
この近くには千葉県最大の内裏塚古墳もあり、須恵の国の中心であった思われます。それから約200年、ヤマトの支配下に入ってからも繁栄したのでありましょう。
古代東海道の大前駅もまたこの地域にあったと考えてもいいでしょう。 -
富津海水浴場から富津崎。
房総半島の現在の上総湊から富津崎にかけての一帯はのっぺりした海岸線で、港にふさわしい入り江はありません。岩瀬川や小久保川の河口辺りがなんとか舟を泊められる地形です。現在も大貫港は小久保川の河口に造られました。
古代の天羽駅、天羽の湊もこのあたりであったでしょう。 -
大貫中央海水浴場には、この方がおられました。
-
弟橘姫。
平成8年に建てられたものです。 -
ふっくらとした美人でした。
-
対岸の三浦半島には観音埼灯台が見えます。
-
この日はおだやかな走水でした。
-
その右のどこかが走水港。かつての古代東海道走水駅。
-
走水港です。
撮影は2018年10月。 -
ヤマトタアケルの舟は、走水駅から現在の大貫港の近くの大前(あまさい)駅にむかいました。
日本書紀によれば、
「ところが海中に至って暴風が起こり、御船は漂流して進まなかった。そのとき皇子につき従っていた妾(おみな)があり、名は乙橘媛という。穂積氏忍山宿禰(ほづみのうじおしやまのすくね)の女(むすめ)である。皇子に申されるに、『いま風が起こり、波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賤しい私めが皇子の身代わりに、海に入りましょう』と。そして言い終わるとすぐ波を押しわけ海にお入りになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。ときの人はその海を名づけて馳水(はしるみず)という。」 -
乙橘姫は、この海のどこかに入水して、ヤマトタケルを救ったのであります。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- ryujiさん 2024/05/04 16:03:53
- 富津市の旅行記を見せてもらいました♡
- こんにちは、しにあの旅人さん。 永らく書き込みコメントをご無沙汰しておりました。 お元気でご活躍の事と存じます。
タイトルの旅行記を拝見で~す。 小生が最も印象深く感じたのは「弟橘媛の像」です。 美しい素敵な像です!、でもどうしてこの千葉県の富津市(ふっつし)にこの像が?。
小生が10代の頃(60年以上前)、日本誕生と云う映画を見ました。(三船敏郎主演)少年心に司葉子さんの美しさを感じました、その司葉子こそが「弟橘媛」なのです。
しにあの旅人がご承知の通り、海神の怒りを収める為に入水された弟橘媛。 この場所は「走水の海」(現在の浦賀水道)、神奈川県横須賀市であることは昔より承知しておりました。 ごく最近の事ですが、「ふっつし」の名前の由来が判りました 弟橘媛の着物流れ着いた地(布流津)、が訛って「富津」となった。 これで小生は納得いました。
歳を取って、又ひとつ知識を得ました。 ありがとうございます、しにあの旅人。これからもよろしくお願いします。
ryuji
- しにあの旅人さん からの返信 2024/05/13 21:13:58
- Re: 富津市の旅行記を見せてもらいました♡
- 富津市の語源が「布流津」だとは知りませんでした。
ヤマトタケルと乙橘姫は東京湾沿岸だけではなく、中部から関東各地にいっぱい伝説を残しております。私はファンです。
その伝説が本当に古いものから現代の観光伝説まで、いろいろあります。今書いている空白の旅路もそれの紹介を狙ったものです。
まだまだ二人の追っかけをやります。例によって期待しないでお待ち下さい。
- ryujiさん からの返信 2024/05/14 07:39:11
- RE: RE 大変失礼いたしました!
おはようございます、しにあの旅人さん。
前回のコメントにて、失礼な言葉遣いをお許しを願います。 貴方様のお名前を呼び捨にした事を、お気を悪くされたこと思います。
改めてお詫び申し上げます。
ryuji
-
- 前日光さん 2020/05/12 23:31:50
- 確かに「by妻」があると。。。
- 妄想&想像が無限大に広がり、読み手はその荒唐無稽(爆)とも言える説に血湧き肉躍るのですが。。。
こんばんは、しにあの旅人さん。
本当に「by妻」がありませんでした!
足柄峠から走水が見えるか、またその逆はいかがなものか?を突き詰めていくとこうなるのですね!
ぼんやりした山と海の写真!
なるほどねぇ、奥様の気持ちがよく分かります。
実証主義のご主人と浪漫主義の奥様との視点の違い?でしょうか?
弟橘媛の像があるのですね!
走水神社には、美しい弟橘媛のレリーフがありました。
どちらもなかなか良いお顔をされていると思います。
観音崎から海を眺めたことはありますが、そこに行ったのが真夏の狂気のような暑さの中だったので、海から観音崎は見る気力も時間もありませんでした!
それにしても、このヤマトタケルシリーズは、一考察としてまとめられる内容ではありませんか?(箸休めにさらしなちゃんを持ってきて、読み物としても面白いと思います)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/05/13 04:56:56
- Re: 確かに「by妻」があると。。。
- おはようございます。トシをとると早寝早起きです。
コメントありがとうございます。
足柄山に長くこだわりましたが、次回からはいよいよ甲斐路です。By妻が大活躍ですので、御期待ください。トンデモ説が躍動します。あまりのトンデモぶりに抑えにかかっているくらいですが、前日光さんという理解者が現れましたので、このまま爆走してもらいます。
ひごろ、「事実関係はオレが書くから、アンタはなにか面白いことを書け」と言っております。
なるほど、「実証主義と浪漫主義」我が夫婦の関係そのもであります。
私は出典が明記できないことは書かないつもり(例外多し)ですが、By妻は堂々と「出典は私」
この旅のブログは、5歳の孫娘が高校生くらいになったとき、「おじいちゃんとおばあちゃんは、こういうのを書いていたんだ」と言ってくれるようなものにしたいと思っております。
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