2019/11/13 - 2019/11/14
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しにあの旅人さん
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旅に出たならば、帰らねばなりません。
東征のあとの、ヤマトタケルの家路を辿ります。
「やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」
倭は 国のもっとも秀でたところ
重なり合っている山々の 青い垣
山々に囲まれた 倭は すばらしい
古事記ヤマトタケル東征の最後、能褒野で歌われる国思歌(くにしのびうた)です。
「青垣、青垣山」の枕詞「たたなづく」とは「畳なづく」幾重にも重なっている、記紀の時代の畳は、現在の座布団のようなもので、それが幾重にも重なるということでしょう。
「たたなづく青がき」とはどういうものか、それを見たいと思って奈良にやってきました。
参考、引用資料については
「ヤマトタケル紀行・家路1」
に列挙してあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
纏向日代宮(まきむく・ひしろの・みや)跡です。
ここは初めて来たと思っていましたが、なんとなく懐かしい感じがしました。妻と2人でボーッと景色を眺めていたら、思い出しました。
10年前、外国での生活を切り上げて日本に帰ってきて、最初の長い旅行が奈良でした。日本のルーツを辿ってみよう。
三輪駅の近くに車をとめて、JR桜井線で天理まで行き、石上神宮から大神神社まで山辺の道を歩きました。途中ちょっと笠置山地に入って、ここまで来たのでした。
どうして忘れていたのか。途中崇神天皇陵や景行天皇陵などの巨大な古墳があって、そちらの記憶だけが残ったのでしょうか。
石上神宮で、黒衣装の女性が、長いこと一心に祈っていたのは覚えていました。あれは明らかに誰かを呪っていました。山辺の道というと、すぐにあの女性を思い出します。あの情景が印象的でした。
いっぱい思い出に残る場所がありました。当時ヤマトタケルなんて興味なかったので、覚えていなかったのでしょう。
二回目のヤマトはもちろん、初めてヤマトに行ったときも、私は懐かしいと強く思いました。初めての景色だから何もかも珍しく思う一方、なぜかよく知った所に来たという気がしたのです。生き別れた肉親に再会したような。
そしてこの旅行の後、色々出かけたのですが、出雲でも高千穂でも「似ている」景色にであいました。古代から人間が棲みつくには、必要条件というものがあるのだろうから、それで似ているのかもしれません。
もっとも、低い山に囲まれて、田んぼが広がっているというだけですから、日本中どこにもある景色なのでしょうけれど。それでも私には、ここヤマトが原画で、そのコピーが拡散したように思えるのです。
そして、そういう濃い日本の景色には、原液そのままの日本人が、原液そのままの文化を持ち続けているのですね。
一言主さんのお社にお百度参りをしている女の人の張りつめた空気。
ヨーロッパの教会に行くと、ときどき周囲を忘れて祈りに没頭している女性に出会います。なぜかいつも女性で、男性には出会ったことはありませんでした。
そんなに必死で祈らねばならないことも幸いなことになく、また、そうやってすがりつく神か仏か、そういうものを持っていない私には、逃避にも思えたし、また、それで心の安静を得られることがうらやましく思えもしました。
そして、そういう人間は日本には絶滅していると、考えていたのです。
が、ここヤマトの地で、巡り会いました。
恋敵を呪う祈りか愛する人の病気回復を祈っているのか、通りすがりの私たちには想像もできないことです。ただ、この祈る女人が、まるで虫眼鏡で太陽光線を集めて火をつけるかのように、ただ一点に魂を集めていることだけは、理解できました。
それで、他の通行人と同じように、息を潜め足音をしのばせて、そっと通り過ぎたのです。
By妻 -
谷間越しに大和盆地が見渡せます。
纏向日代宮(まきむく・ひしろの・みや)は、景行天皇の宮と言われております。ヤマトタケルの父です。記紀ではヤマトタケルはここを出発し、ここに帰ってくることになっておりました。 -
今は笠置山地の、なにもない田園です。
-
標高500から600メートルのなだらかな丘の連なりです。
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右端の三角形の山が龍王山だと思いますが、586メートルです。優しい丘です。
なるほど、「畳なづく青垣」を近くでみるとこれかと思いました。 -
「青垣」の向こうの大和盆地。
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宮跡から少し坂を上り、相撲神社前からは奈良盆地と生駒山地が見渡せます。
-
主峰生駒山、642メートルです。手前の丘が矢田丘陵、南の麓近くに法隆寺があります。
二つの丘陵の間の谷間が平群(へぐり)です。
能褒野でのもう一つの国思歌、
「命の またけむ人は たたみこも 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子」
命の 無事であった人は
(薦を編んで幾重にも重ねたような)平群の山の
大きな白檮(かし)の葉を
かんざしとして挿しなさい おまえたち
二つに折れる脚が三重に折れるまで傷つき病んだ体で、息も絶え絶えに詠んだ歌です。
私は死んでゆく。お前達も疲れ弱っているだろうが、どうぞ無事で命永らえて故郷に帰還してくれ。故郷では一族郎党友人達が歓声を上げて迎えてくれるだろう。お前達が歩く周りを沢山の人たちが群がり、褒め称えることだろう。死なずに故郷にたどり着いたお前達は、夢に見たふるさとの、あの熊白檮の葉を、髮にさして身を整えて、皆の歓呼に応え、堂々と凱旋するのだ。おまえたち、わが親愛なる部下達よ。
という絶唱だと気がついたのは、この旅を終えてからでした。
いつもこの歌を習うときは、「たたみこも」の説明で終わって、取り立てて感動的な歌だとは思いもしませんでした。
私がドンくさかったのでしょうが。
今、命絶えようとしているタケルは、もしも自分が元気であったならば凱旋の先頭で得意になって歩いただろう。だが...と苦しい息で語るのです。
聞いているのは、長い苦しい旅の間、片時も離れなかった家来たちです。七掬脛は、少しでも元気にしたくて、タケルの好物を作り、食べさせようとしたでしょう。けれど、タケルは首を振って「入らない。もう食べられない。」と言って、この歌をつぶやいたのです。
大伴武日連は、「熊樫の葉を髪に挿すのは、オシャレですな。女の子がキャアキャアいいましょう。だからタケルさま元気出して、みんな一緒に凱旋しましょう。」なんて力づけたりします。タケルはちょっと笑って、「おまえはモテるもんなあ。」なんて冗談を返したかもしれません。
けれど、タケルの顔色はどんどん沈んでゆき、「おまえたち!お前達は無事に帰るんだぞ。愛する部下達よ。」と。
ね。長々と解釈を書くと、それしか考えられないよねって歌で、ものすごく哀しい歌なのに。なんでわからなかったんだろう?
初めから言ってるんですけどね。国思歌って。
タケルの旅を追いかけてここまで来て初めて、「命の全けむ人」の含む意味が理解でき、「平群の山の熊白檮が葉」に込められた望郷の思い、あと少し、あとちょっとで手に取れるのにという悔しい気持ちが、ようやっと分かったのです。
そして、この歌は、歌だから、民衆が歌ったのですよ。タケルの物語の時はもちろん、旅人も歌ったのかもしれませんね。すると、合いの手が入ります。その合いの手、またはバックコーラスは、きっと、「かえりたい。かえりたい。」そして「やまとへ。やまとへ。」だったことでしょう。ここまで書くと、タケルの魂が白鳥になって飛んで行くというのも、自然です。あんなに帰りたがっていたんだもの、せめて心だけは帰らせてあげたい。
帰りたい、帰りたい。ヤマトへヤマトへ。
心は、心だけは飛翔していったのです。
By妻 -
「平群の山」が生駒山です。ここでも「たたみこも 平群の山」
「たたみこも」「畳薦」は「平群」の枕詞です。敷物の「薦(こも)」を幾重にも重ねたような。畳や座布団を積み上げてから見たらこうなる。 -
景行天皇陵
この日は能褒野から一気に奈良に入りました。纏向日代宮(まきむく・ひしろの・みや)跡をまわって景行天皇陵に着いたときは、もう午後4時です。影が長く引いております。それでも伊那谷に比べたらまだ日が差しています。伊那谷の4時では、もう夕日は中央アルプスの稜線の向こうです。 -
ヤマトタケルの父景行天皇の陵ということになっています。
実際の被葬者は不明だそうです。 -
古事記景行天皇の段の最後に「御陵は山の辺の道の上に在り」
日本書紀では成務天皇紀に、景行天皇を「山辺道上陵(やまのへの・みちのえの・みささぎ)に葬った」とあるのが根拠です。
北500メートルに大きな古墳があります。崇神天皇陵とされています。
崇神天皇陵もまた山辺の道に面して造られたという記事が記紀にあります。記紀の記録が正しければ、どちらかということになります。 -
300メートルを超える前方後円墳で、4世紀半ばから後半の築造。全国8位、奈良県では2位の大きな古墳です。初期大和王権の大王の墓であることは間違いないようです。
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堂々たる墳丘と壕。
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いくら引いても全体を撮影することはできませんでした。
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翌14日、県道51号を通りました。笠置山地です。大神神社-石上神宮の間。
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この山のふもとが山辺の道。
日本最古の道だそうです。最初の奈良旅行で、石上神宮から大神神社までのハイキングコースを歩きました。伸びやかな奈良盆地にゆったりとした時間が流れ、忘れられないすてきな散歩でした。素朴な田舎風景だけれど手入れされていて、さすが観光地でした。そのわりには、飲食店とか少ないし観光で食べて行く気はないみたい。そのせいか、道ですれ違う人々も、なにやら冷たい。
私たちは外国に暮らしたもので、挨拶とは「相手に、私はあなたに害意、敵意はありませんよ。」を示すことだと考えています。相手を「気持ちよく」するためとか「人間関係円滑に」とかは、どうでもいい。相手に、私はあんたの敵じゃないから撃たないでね。って意味なんです。だから外国人は、すごくよく挨拶するでしょ。ハロー。とか、黙っててもニッコリするとか。
日本の学校みたいに、今週の生活目標「挨拶をする」とかは、ないと思いますよ。だって、外国では挨拶しないと撃たれちゃうんだからね。言われなくてもしますって。
(うそです。調子こきました。でも気分は、そんなところです。)
で、奈良、山辺道で出会った人達で、挨拶を返す人は、間違いなく旅行者。ここにお住まいの方々には、百パーセント無視されました。耳がとおいのかな。お仕事の邪魔しちゃったかな。すみません。とか思ってたんですが、最近分かりました。
京都人って、みやこびとの自負心が強くて、京都以外みな野蛮人に見えるらしいですね。
それで、京都で湯豆腐食べるのも気を使うそうで。
それなら、もっと古い都の奈良県民は、「どっから来はったの?関東、ほんならアズマエビスどすなあ。うちら長いこと天皇さんとは、ご近所づきあいさしてもろてます。うちの裏手に天皇さんの御陵ありますし。ま、引っ越しされましたけど、ご実家はこっちどすわなあ。」
とか言いそう。だとしたら、九州生まれ東京育ちの私なんか、隼人と夷ってことで、ハイブリッドの蛮族。野良犬並みか。返事がないわけだ。
そういえば思い出しました。
大阪人でしたけど、その人が東京に来て、お店で、おうどんを注文したら、うどんの汁がまっくろだったって。濃い口醤油ですからね。関東は。
「わびしゅうて、かなん。」だそう。
まるで伊勢物語の「これなん都鳥」みたいな話でした。
By妻 -
「青垣」というのでしょう。曇り空で残念。昨日のような夕日をバックに写真を撮りたかった。
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甘樫丘(あまかしのおか)にやって来ました。
香具山 -
耳成山
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畝傍山
最初の奈良旅行の前、私たちは大和三山というのは、富士山は当然無理としても、筑波山くらいの独立峰が奈良盆地に聳えているというイメージを持っていました。
ところが実物は、あまりに小さいのでびっくりしました。考えてみれば当たり前で、筑波山は東西南北それぞれ7kmくらい、大和盆地はせいぜい東西15km南北30kmくらいですから、そんなものを三つ入れたら、それだけで大和盆地が埋まってしまいます。大和盆地は想像していたよりはるかに小さい。
「香具山は 畝火ををしと 耳成と 相(あひ)争ひき」
中大兄皇子とされる歌が万葉集にあります。香具山と耳成が男で、畝傍を妻にしたいと争ったという意味だそうですが、こんなちっこいものを争うかね、と妻と意見が一致しました。
残念ながら甘樫丘からは、三山を同時に撮影できるスポットはありません。木立が邪魔で二つ同時もだめ。 -
これは大神(おおみわ)神社の展望台から。畝傍と耳成は入ります。香具山は三輪山に近すぎて見えません。
しかし甘樫丘からは、南以外の大和盆地を囲む丘陵がすべて見えます。 -
畝傍の彼方は、
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二上山です。
-
ということは、左に連なるのは金剛山地。
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どれだかわかりませんが、葛城山959メートル、
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金剛山1125メートルがあります。大和盆地を見下ろす山らしい山です。
たたなづく青垣です。 -
畝傍と、木立に隠れている耳成の間に見えるのは、生駒山地です。
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テレビ塔が建っているのが生駒山。
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笠置山地の三輪山です。
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甘樫丘の南側、飛鳥です。
大和盆地を囲む「たたなづく青がき」です。
「やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」
古事記の作者が、ヤマトを目の前にして死んでいった旅人の絶唱として、この歌を持ってきた意味が分かりました。
甲斐、信濃の峨々たる山岳に対比しているのです。 -
八ヶ岳
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赤石山脈
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木曽山脈
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赤石山脈北岳
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神坂峠の深い谷
3000メートル級の山岳に押しつぶされるように東国から帰ってきた旅人が、故郷の山々を見て、ほっとした安堵の気持ちがこの歌の神髄だと思います。
「山ごもれる 大和しうるはし」
穏やかな山々に護られたヤマトは美しい、心からそう思ったでしょう。
ヤマトタケルの家路は終わりました。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- 前日光さん 2020/10/01 15:51:43
- 穏やかな山々に護られた大和。。。
- こんにちは しにあの旅人さん。
実はこの旅行記をうっかり見落としておりまして、ヤマトタケル最終編、いつなのかなぁ、もうすぐアップみたいなこと言ってたのに…なんて。
他のトラベラーさんにも時々そんなことがあります(^^;)
1974年のイギリス旅がアップされてしまって、やっと気づきました<(_ _)>
さてタケルくんへの思いが伝わってくる最終編、信州の峨々たる山並みの後に、穏やかな丘陵を眺めた古代大和人の気持ち。。。納得しました!
生粋の関東人である私などには想像も及ばない、穏やかな気持ちになるのだろうなと思いました。
山辺の道は1980年(昭和55年)8月に、レンタサイクルで石上神宮から橿原神宮まで回りましたが、すれ違う人もけっこういて、みなさん反対方向から歩いて来られる方が多かったです。自転車でこのコースを回ることができたのです。
ところが、2014年に柳本から崇神天皇陵を出発し大神神社まで歩いたのですが、とても自転車で走れる状態ではありませんでした。
真夏だったので暑いし草は生い茂り、途中間違えて龍王山に迷い込んでしまいました。
道の土が減ってしまい、石が表面に出て来てしまったのか、檜原神社から玄寶庵辺りが特にひどかったです。
もっと涼しいときにまた歩いてみたいです。
景行天皇陵も、もちろん通りました。
もっとじっくり眺めてくればよかったのに、暑さ故そそくさと通過してしまいました(>_<)
大和、出雲、高千穂には共通したオーラが流れているとのことですが、確かにそう思います。
私が出雲に行ったときにも、初めてという気がしませんでした。
どこかで見たことのある風景、そういったものを感じたのです。
出雲の佐太神社というところで、何かに憑かれたように一心不乱に祈る男女を目撃したことがあります。
黄泉比良坂では、周囲を憚ることもない読経三昧の男女を見ました。
なぜか私の場合は、祈り続ける男女なのですが。
それにしてもタケルくんにとっての「まほろば」は、「穏やかな山々に護られた大和」だったのですねぇ。
タケルくんと同じ道筋を辿ってきたからこそ実感できたことと思います。
※それから生駒山と葛城山には行ったのですが、金剛山だけは未踏です。
生駒山の鉄塔の元には、平和な遊園地があります。麓からケーブルカーで登ります。
頂上からは大和盆地も大阪の町も、よく見えます。
また葛城山もやっと念願叶って頂上まで行けました。
金剛山も行きたいのですが、ちょっと体力に自信がありません。
でも麓の「風の森神社」には行っているので、近いうちにぜひ!と思っています。
長い長いヤマトタケルの家路、楽しませていただきました。
by妻さんのノリノリの文章も楽しかったです!
これからも期待しております<(_ _)>(^^)/~~~
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/01 17:40:48
- Re: 穏やかな山々に護られた大和。。。
- 待ちに待った前日光さんのコメント、嬉しかったです。
長い家路に付き合っていただいて、タケルになりかわりまして、ありがとうございます。タケルシリーズはひとまずこれで終わり。
ひとまずというのは、記紀には詳細が書かれていない空白の旅路がいくつかあります。碓氷峠に至る前の北関東を巡る謎の旅など、将来それをやってみたいと思っています。いつになるかわかりませんが。
前日光さんと私たちの行先は重なります。山辺の道、佐太神社、黄泉の平坂、加えて祈る男女に遭遇するなど。旅に同じものを求めているからでしょうね。
特にBy妻と心象風景が共通するようです。前日光さんにはバッチリ言わんとすることが伝わったと言っております。
10月9日から再度飛鳥奈良に自家用車で行ってきます。今度は折り畳み自転車を2台持っていって、ここぞというところは自転車で走ります。飛鳥宮跡、藤原京あと、平城京あとは、歩くには広すぎます。
「飛鳥の姉弟・大来皇女大津皇子」をやるつもりなのです。前回の旅で彼ら2人の生涯のアウトラインはつかめましたが、詳細はまだこれからです。
- 前日光さん からの返信 2020/10/01 23:05:11
- Re: 穏やかな山々に護られた大和。。。
- なんと!
もうすぐ奈良ではありませんかぁ~
いいですねぇ、「まほろば」の大和、
私たちは今月末に北海道旅をチョイスしてしまったので、奈良は今年は無理かなぁ、梵ちゃんさえなんとかなれば出かけるのですが。
なにせ生き物、生ものなので、放って置くと腐ることもあるかと( ・∀・)
ところで大伯皇女と大津皇子をやるとか。。。(*^o^*)
有間皇子と共に、万葉集の中でもとりわけ気になるこの二人。
持統天皇や天智天皇、大田皇女、草壁皇子、石川郎女等々、絶頂期の万葉時代を飾る豪華キャスト入り乱れてのお話ですねぇ。
大津が伊勢の斎宮となっていた大伯の元に向かった夜、何を話したのか、クーデター計画を打ち明けたのか、血湧き肉躍るこのストーリー、しにあの旅人さんが、どのように斜めにこの話を眺めるのか(^_-)楽しみにしております。
何はともあれ、秋の大和路、満喫されてくださいね(^^)/
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/02 08:15:19
- Re: 穏やかな山々に護られた大和。。。
- オールキャストでやります。主役は大来大津ですが、バイプレイヤーは天武持統夫婦、山辺皇女、高市皇子、家持まで顔を出してもらう予定。その他書紀では名前だけのエキストラを準主役で抜擢できないかなと思っています。大田皇女は瞼の母で出演依頼中。持統さんは今回悪役なので、あまり乗り気でないみたい。
今回は六国史のうち、書紀、続日本紀、日本後紀のお世話になります。万葉集は主役、懐風藻も大事。
これら内容をちょっと前提を変えると、とんでもない結論が出てきます。その前提をまたこれらの文献の片言隻句から紡ぎ出すわけで、思考実験というか、パズルみたいなものです。
早ければ11月くらいからUP始めます。
GoTo下飛鳥奈良は、帰ってきたらすぐ、また緊急報告でUP
するつもりです。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/02 08:25:48
- Re: 穏やかな山々に護られた大和。。。
- 足柄山で更科ちゃんと金太郎の出会いを目論んで評判が良かった。それに味をしめて、柿本人麻呂と大来皇女の邂逅を演出できないか。年代的には可能なのです。どういうシチュエーションにしたら可能か、目下楽しんでいるところです。
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