2019/11/11 - 2019/11/11
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しにあの旅人さん
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今回はヤマトタケルと直接関係はありません。大変地味なお話です。写真は4Travelの写真コンテストなら最下位間違いありません。ただの道路と変電所です。
ただし古代道路ファンにとっては、ここにかつての古代東山道が眠っている、かもしれない、夢の場所なのです。
4トラヴェラーの中に、まかり間違って同様の変人がいたら、喜んでいただけるのではないか。
By妻は黙ってここまでつきあってくれて、ひたすら感謝です。
この旅は2020年7月1日飛鳥奈良旅行の帰りでした。しかし「ヤマトタケルの家路」の一環として順番に並べたいので、2019年11月11日とします。
参考、引用資料については
「ヤマトタケル紀行・家路1」
に列挙してあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
古代東山道は伊那谷を縦断します。ヤマトタケルはヤマトへ帰るので南下します。
「日本古代の道と駅」によれば、
古代筑摩群覚志(かくし)駅は対応郷名、遺称地がありません。この北に信濃国府があったそうです。深澤駅は現箕輪町深沢川近く、宮田(みやだ)駅は現宮田村のどこか、賢錐(かたわり、かたきり)駅は現上伊那郡中川村片桐、育良(ゆくら)駅は飯田市育良町、阿知駅は阿智村安布知神社近く、美濃国坂本駅は神坂峠を越えて現岐阜県中津川市にあったそうです。駅の位置は大まかです。駅の間を結ぶ線も便宜上直線で結んだだけで、実際の経路ではありません。
伊那谷の東山道の遺構は、まだほとんど発見されておりません。唯一箕輪町の中部電力松島変電所の北に、その可能性がある遺構が発見されました。推定深澤駅の南になります。 -
長野県道88号という道路です。起点は伊那市荒井、終点は箕輪町中箕輪。
春日街道といわれています。 -
このあたりには、もう1本春日街道といわれる道路があります。正確には旧春日街道。起点は伊那市西春近小出、終点は飯田線沢駅近くの現国道153号線、高橋神社の近くだそうです。1608年に飯田城主小笠原秀政が家臣春日淡路守に命じて造らせた軍用道路です。施行責任者春日淡路守にちなんで春日街道とよばれていました。伊那市西春近から中部電力松島変電所辺りまではほぼ現在の県道88号線と同じ道筋のようです。
古代東山道はこのコースを通り、それを改修して春日街道を造ったという説があります。
「日本古代道路辞典」によれば、
「1995年に箕輪町教育委員会により、発掘調査が実施された。その結果、春日街道と称される舗装道路の西側にほぼ平行する形で溝状遺構が検出された」とあります。これを東山道の側溝として、ここに東山道が通っていたという説が提起された、となっています。
これを見逃すわけにはいきません。飛鳥奈良旅行の帰りを中央高速経由にして、行ってきました。 -
ホテルルートインコート伊奈を出て、県道88号に入ります。小雨でした。
-
地図で見るとおり直線道路が多かった。春日街道は軍用道路だそうで、とにかくまっすぐ通すというのが原則。地形も途中の村々の便宜も考えていませんので、もはや軍用道路の必要性もない江戸時代初期ですから、徐々に使われなくなり、50年ほどで廃道になったそうです。
これは古代官道も同じです。都と地方国司間の情報の伝達が第一の目的でした。馬が疾走したまますれ違える幅12メートルの道を、ただひたすらまっすぐ造る。12メートルの道路というと、歩道や路肩を含めると大体こんなものではないでしょうか。
11世紀になり、中央集権の古代律令制のタガが緩んでくると、使われなくなっていったのです。
2度にわたって廃道の憂き目に遭うとは、この道路もかわいそうなものです。 -
発掘現場は、現在は中部電力松島変電所の中にあります。赤四角です。赤線が旧春日街道。分岐まで現春日街道と同じ道筋です。青線が現春日街道、県道88号です。旧春日街道は変電所の先でまた一直線に続きます。北ノ沢川は舟で渡ったらしい。
-
新旧街道の分岐近くから変電所方向の旧春日街道。88号からは直接旧街道に入れませんでした。現在の旧春日街道は地元の生活道路です。
だんだん雲行きが怪しくなります。 -
88号から細い道に右折し、変電所前にやって来ました。フェンスの奥が、正に発掘現場でした。
-
ここからは大道上(おおみちうえ)遺跡の調査報告書のお世話になります。
PDFですのでURLを貼れません。「大道上遺跡 調査報告書」でググって下さい。 -
上記報告書からお借りしました。発掘現場です。舗装道路右に側溝の遺跡が見えます。
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発掘現場全体図と、
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詳細です。
中央が舗装道路、その左が、東山道の側溝の可能性がある溝です。
この時の調査では縄文から平安に至る遺構、遺物が多く発見されました。また木下良(日本古代交通研究会会長)などの専門家より、「これを東山道としての認定を示唆する見解」が示されました。
1997年に第2次調査が行われ、旧道路の舗装をはがして調査されました。しかし水道管埋設工事、道路の舗装施設工事により、遺跡の破壊が著しく、第1次調査以上の発見はなかったそうです。 -
現在は、
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何もありません。
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残念。
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変電所から北の旧春日街道。
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行き止まりは北ノ沢川。川の渡河点に下りる切り通しがあるそうです。行ってみたかったのですが、雲行きがどんどんおかしくなってきました。
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晴れていれば、中央アルプスが見えるはず。
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方向からすると経ケ岳かな。
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南アルプス方向です。
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全然見えません。
ちょうど伊那盆地の中間で、二つの山脈を左右に眺めることが可能な位置なのです。
しかたありません。東山道の遺跡は何もなし。
山も見えない。
でもなにか石碑のようなものがある。
行ってみると、 -
「春日街道跡碑」とあります。「是より西方一二メートルの地点」
これは今回唯一のまともな旅のブログらしい写真でした。
ヤマトタケル一行は、ここをテクテク歩いた、と一応「ヤマトタケルの家路」の体裁を整えます。
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この旅行記へのコメント (9)
-
- 旅人けいさん 2025/02/03 10:01:55
- 行ってみようとおもいます
- ありがとうございます。現地に行ってみようと思い検索したところ、詳細なご報告を拝見できました。参考にさせていただきいってみたいと思います。
- しにあの旅人さん からの返信 2025/02/03 10:50:30
- Re: 行ってみようとおもいます
- おいでいただきまして有り難うございます。
私たちのブログは文字ばかりの退屈なシロモノで、常連さん以外あまりおいでになりません。
そのなかでももっとも地味なのがこの「春日街道」です。
古代道路に興味を持たれる方がおいでになるというのは、さすが万をもって数える4トラベラーです。おどろきました。
また心強いかぎりです。これからも張り切って古代道路にチャレンジします。
古代道路では、このシリーズ3足柄峠2で足柄古道、10で東山道信濃坂を取り上げています。ご用とお急ぎでなければ、のぞいてみてください。
春日街道においでになったら、変電所の北、北ノ沢川の渡河点切り通しを、ぜひブログにしてご報告お願いします。私たちは天候が急変してあきらめました。
車ではおそらく行けないと思いますので、ご注意ください。
- しにあの旅人さん からの返信 2025/02/03 10:57:43
- Re: 行ってみようとおもいます
- 間違えました。信濃坂は13でした。
-
- ねんきん老人さん 2023/11/03 09:55:54
- 詳細なご考察、刺激を受けました。
- しにあの旅人さん、おはようございます。
しばらくコメントもせずにこっそり拝読だけしており、失礼とは思っておりましたが、それは各ご旅行記が浅学非才の私の頭では云々できるレベルを超えているためで、毎回ご旅行記と別のネット資料を2台のモニターに表示して悪戦苦闘しているおのが姿を恥じる余りのことです。 お許しください。
にも拘わらず今回コメント欄を開きましたのは、拝読していて、ふとある疑問が浮かんだからです。
「軍用道路は直線」という件です。 確かに洋の東西を問わず軍用道路は直線が多く、しかも幅を広くとっているようで、大部隊の進軍を可能にしているのだと思います。 とくに現代の戦争では地上進行に際して膨大な兵站を擁することから、戦車・輸送車両などの便に供するということが大きな要素になっていると思われます。
ただ、古代・近代ではわずかですがその逆もあり、その理由は進軍に便利な道路は相手にとっても攻撃や反撃に便利だということですね。
有名な例では、桶狭間の合戦で寡兵の織田郡が桁違いの大部隊である今川軍に勝利できたのは道が狭くて曲がりくねっていたことが大きな要素として伝えられています。
何万という軍勢でも、槍を持った歩兵二人が並んで歩くのがやっとという道を進むのでは軍勢そのものが何キロにも及ぶ細い列になってしまうわけで、これでは大部隊の進軍には適さず、実際の戦闘の場では優劣が逆になり得るということになり、もし相手が大軍だったら、道路は狭い方が有利ということにもなります。
無論、道路を作る方は自軍の規模が相手に勝ることを信じて作るのでしょうが、戦局というのはいつも一定ではありませんので、直線の広い道路が逆に自軍の不利に働くということもあり得ると思うのです。
道路とは違いますが、戦国時代の城や館があえて域内の道路を曲がりくねらせたのも、反撃のしずらさよりも敵軍にとっての不便を優先させたからだと思われます。
さて、そんな子供じみた疑問はさておき、その軍用道路が実際にその工事を担当した者の名前から「春日街道」と呼ばれているというお話にも興味が湧きました。
金閣寺を作ったのは誰か? 足利義政である。 ブブー、正解は「大工」です。 というのはお馴染みのジョークですが、古今東西、為政者は部下の手柄を自分のものとして誇るのが常で、工事担当者がどんなに優れていようとも、その担当者が誉めそやされることをよしとはしないものだと思います。 地域の民百姓が春日淡路守を讃えることを咎めなかった小笠原秀政の度量ということもあるのでしょうか?
などと、思い付きを並べました。 これだから不勉強の輩は困ると眉をひそめられるしにあの旅人さんのお顔が想像されます。 文化の日にすることもない暇な老人のたわごとですので、どうかご放念ください。
最後に、馬2頭が疾走したまますれ違えるのが12mだという基準は初めて知り、膝を打つ思いがいたしました。 ありがとうございました。
ねんきん老人
- しにあの旅人さん からの返信 2023/11/03 12:14:51
- Re: 詳細なご考察、刺激を受けました。
- 数あるわがブログでも最も地味なやつにコメントいただいて、嬉しいのなんの。
ローマの軍用道路は直線で、しかも大きな敷石で舗装されていました。20万程度の少ない常備軍で、広大な帝国全部をカバーするためだそうです。塩野七生の受け売りです。
整備された道路の情報網で、一朝ことあるとすぐ知らせが入る。常備軍ですから即応可能です。そこに迅速に常備軍を送る。そのほうが各地に駐屯軍を置くより安くつくのだそうです。
逆にそれを使って敵が攻めてくるということは考えなかったらしい。すごい自信です。
日本の古代国家は中央に巨大な常備軍を置くというのはないので、ちょっと違いますね。
やはり情報の伝達網でしょうか。馬の最高巡行速度は時速16キロくらい、1時間が限度だそうです。駅はほぼ16キロごとにあって、馬を乗り換えます。人間も休憩か交代。
現在の高速道路のSAや出口も平均すると16キロごとにあるのだそうです。運転している人間は16キロの倍数くらいで休みたくなるからでしょうか。
ロングドライブの名人、年金老人さんの感触はいかがですか。
古代国家のタガが緩んで、中央集権がうまくいかなくなると、そんなメンテナンスに金のかかる官道など不要になって、廃道になった、ということらしい。
古代の官道は7世紀から8世紀に整備されたと言われています。
現在北関東に凝っているのですが、埼玉、群馬あたりの古代は中央との行き来が結構あって、もっとずーと前から道路網が整備されていたんじゃないかと思い始めました。
いずれそういう旅行記も書いてみたいと思っています。
-
- 前日光さん 2020/07/21 23:12:54
- 軍用道路は直線ですね!
- こんばんは、しにあの旅人さん。
道路に関しては、私も詳しくはありません。
そういえば、英国で何ヶ所か見かけたローマンロードというのは、確かに真っ直ぐに傍若無人にどこまでも伸びていました。
旧春日街道は第二次調査の甲斐もなく、何もない変電所跡が虚しいですね。
しかし限りなく、ヤマトタケルの歩いた道に近づいたのではありませんか?
そう思うことにしましょう(^◇^;)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/07/22 07:37:26
- Re: 軍用道路は直線ですね!
- コメント、ありがとうございます。
物が物だけに、反応はないだろうろと思っていたので、ひときわ嬉しい。
ローマの街道もまっすぐです。現ローマ郊外のアッピア街道もまっすぐ。しばらくすると国道7号になりますが、これは旧アッピア街道を拡大して舗装しただけ。
古代官道も現在の高速道路とよく似た道筋で、駅と現代のインターチェンジも大体16キロ間隔で、同じような位置にあるそうです。人間の移動を合理的に段取りすると、1300年前も今も同じ結論になるということです。
同じような体格と体力の人間が移動していたわけで、考えてみると当たり前です。歩いたって、車を運転したって、疲れる時は疲れる。
奈良も島根も現代と根っこは同じと思うと、楽しくありませんか。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/07/22 12:09:13
- Re: 軍用道路は直線ですね!
- アッピア街道について駄感想をでっち上げております。もしお暇があれば。
「イタリア2019春-5 アッピア街道、ブリンディッジからローマ」
- しにあの旅人さん からの返信 2020/07/22 12:14:07
- Re: 軍用道路は直線ですね!
- https://4travel.jp/travelogue/11503143
URL貼り忘れました。
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