2019/09/18 - 2019/10/03
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jijidarumaさん
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<ミンデンの命名伝説:ザクセン公ヴィドゥキントとカール大帝の人形劇>
ノルトライン・ヴェストファーレン州、ミンデナーラント地方の中心地である人口82千人のミンデンはビーレフェルトの北東40 km、ハノーファーの西55 km、オスナブリュックの東60 kmに位置している。
写真はザクセン公ヴィドゥキント(左)とカール大帝の人形劇:Haus Schmiedingシュミーディング邸(Markt 20 )
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ミンデンのマルクト広場に鋭角な屋根が目立つHaus Schmiedingシュミーディング邸(Markt 20 )がある。
写真はMindens-Geschichteミンデンの歴史画 -
ここでは1日に4回(9:30、12:30、15:30、19:30)、ザクセン公ヴィドゥキントとカール大帝がミンデンの地名の由来とされる "diese Burg soll nun min und din sein「この城は今や、”小さな砦”とするべきでしょう」" という誓約を持って現れる人形劇が行われている。
写真はザクセン公ヴィドゥキント(左)とカール大帝の人形劇:Haus Schmiedingシュミーディング邸(Markt 20 ) -
ミンデンのマルクト広場には正面の鋭角な屋根が目立つHaus Schmiedingシュミーディング邸(Markt 20 )が立っている。
人形は中央建物のファサード4階小屋根下の扉から出て来る。
写真はマルクト広場に立つHaus Schmiedingシュミーディング邸(Markt 20 ) -
8世紀、伝統的な神々への信仰を守っていた異教徒であったドイツ・ザクセン人はフランク王Karl der Grosseカール大帝の侵攻とキリスト教化と戦っていました。
そして、ついに、Wiehengebirgeヴィーヘンゲビルゲ(ニーダーザクセン州の南西)でSachsenherzog Widukindサクソン公ウィドゥキントは春の奇跡(イエス・キリストの復活をお祝いする復活祭=イースター)の機会にキリスト教に改宗しました。
写真は785年にパーダーボルンでヴィドゥキントの降伏を受け入れるカール大帝(アリ・シェフェール画、ヴェルサイユ宮殿) -
ヴェーザー川沿いにある城に両者は平和の協定を締結するためにやって来た。
この時、*「Diese Burg soll nun min und din seinこの城は今や、”小さな砦”とするべきでしょう」と、ウィドゥキンドは大帝に申し出た。
これに対してカール大帝は「So trage sie auch den Namen Min-dinだから、この城はミンディンという名前を持っています」と答えたそうです。
これは西暦798年に初めて言及されたミンデン市の「die Sage ueber die Namensgebung命名の伝説」です。
*ケルト語:ロンドンという名称はラテン語のロンディニウムに由来しますが、どちらの語もケルト語のリンとディンという語から派生したと云われており、
リンとディンを合わせると,「湖上の町(または砦)」という意味なのだとか。
実は「min und din」の意味が全く分からず、苦戦したのですが、たまたま前述の事に行き当たり、不十分の訳ですが、勝手ながら意訳した次第です。
写真はKarl der Grosseカール大帝 -
*Sachsenkriegeザクセン戦争は、772年にはじまり804年に終結したカール大帝率いるフランク王国とザクセン人との間の30年以上にわたる戦争である。フランク王国の勝利、ザクセン人のキリスト教化となり、異教を守って最後まで抵抗をつづけたザクセン人の国家もフランク王国の版図の一部となった。
写真はSachsenherzog Widukindサクソン公ウィドゥキント -
また、先日の「帝国の鷲」の紋章につき書きましたが、ここでも紋章の伝承がありました。
その伝承によれば、ザクセン公ヴィドゥキントはキリスト教に改宗する洗礼前には黒い馬に乗ってやって来たそうです。
写真は紋章:ミンデンの南に接するKreis Herfordヘルフォルト郡
銀地に黒い跳ねる馬:彼の棺は郡内のエンガーの参事会教会にあり、遺骸もそこにあると推測されている。 -
カール大帝はキリスト教徒に改宗したヴィッテキントに白馬を贈ったとされていて、帰途にはヴィドゥキントは贈られた白い馬に乗って帰ったとされている。
写真は紋章:ニーダーザクセン州
赤地の盾、跳ねる白馬である。この白馬は中世初期のザクセン大公ヴィドゥキントの伝説の白馬であり、この地域を支配した貴族が好んで用いた。 -
この伝承は現代まで影響を与え、ミンデンの南に接するKreis Herfordヘルフォルト郡の紋章はヴィドゥキントの黒い馬に由来し、
ノルトライン・ヴェストファーレン州、ニーダーザクセン州の州紋章はヴィドゥキントの白い馬に由来している。
・・・・・・・・・・・・
(2019年11月9日意訳・編集・加筆)
写真は紋章:ノルトライン・ヴェストファーレン州
緑地に白いライン川が描かれ、右の白馬は中世初期のザクセン大公ヴィドゥキントの伝説の白馬であり、ヴェストファーレンのシンボルとして、赤地に跳躍する白馬が描かれる。下側にはリッペ(公国)のシンボルとして、赤いバラが描かれる。 -
おまけ:
<2019年11月秋、2色刷りの不思議なハイビスカスが咲いた。>
1週間前、庭先にもう最後と思われるハイビスカスが咲きました。
黄色、赤の2本が昨冬を越え、今年も咲いてくれたのですが、この2色刷りを見るのは初めてです。
この花は黄色のハイビスカスの木から花咲いたのです。隣に赤のハイビスカスの木があり、何やらの隣同士の鉢植えが影響を与えたのか!?
面白いですし、不思議です。
普段、花は1、2日で落ちてしまうのですが、1週間経っても、こちらは少し肌がしおれた感があるものの、まだ太陽に向けて咲いています。
ドイツ語ではChinesische Rose中国の薔薇とか、 Zimmer-Hibiskus室内のハイビスカス と言うらしい。
それはともかく、写真と同じものを見つけてみようと検索したが、似たようなものが見つからなかった。
「朱に交まじわれば赤くなる」・・・少し違うかもしれませんが、こんな諺を思い出しました(笑)。
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この旅行記へのコメント (2)
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- rinnmamaさん 2019/11/11 16:07:35
- 源平ハイビスカス?
- jijidarumaさん、こんにちは
初めにハイビスカスの件・・
我が家には「源平しもつけ」という花木がありました。
過去形なのは木に虫が入り込んで枯れてしまったのです。
ただ、他に挿し木をしたので「単色のしもつけ」の花は咲きますが・・
源平というのは白とピンク色の両方が1本の木に咲くので、敵味方に分かれる意味で使われるようですよ。
白の花の方が強いようで、其処にピンク色を混ぜて植えていると混ざって行くとか・・
ハイビスカスもそんな感じで源平ハイビスカスになったのでしょうか?
それにしても珍しいですよね!来年も咲いて欲しいですよね~^^
jijidarumaさんならではの各地の伝説の旅行記を楽しませて頂いております。
各地の事を知っていないとこのような伝説も読み解けないと思いますし、常々の奥深い知識に敬服致します。
全てに理解が及びませんが、又、何時か訪問時には読み返させて頂いて、見上げて見たいと思いました。
季節も進み寒さも増して参ります時期ですので、ご自愛下さいませ。
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2019/11/11 17:36:52
- Re: 源平ハイビスカス?
- rinnmamaさん、
今晩は。
いつもありがとうございます。
「源平しもつけ」を検索してみました。なるほど白とピンクが
源平と言うわけですね。これも面白いですね。
先ほど孫娘が15歳の誕生日を迎えたので、源平ハイビスカス?の
画像を高校受験の応援に送っておきました。「吉兆」だよとね!
来年も別の孫娘が大学受験なので、是非来年も「吉兆」の
源平ハイビスカス?を見せてあげたいものです。
もう、ドイツの旅は一ヶ月以上前のことですけど、いまだに旅行記を
書いていて、漸く6日目(16日間の内)が終わりそうです。
写真も多いのですが、木組みの家だらけで、その特定に困りました。
6日目はMindenミンデン、Rintelnリンテルン、Lemgoレムゴー、
なのですが、このミンデンの命名伝説:ザクセン公ヴィドゥキントと
カール大帝の人形劇・・・の伝説を写真で見つけ、そちらに熱中しました。
人形劇で言われた話は短いけれども、意訳するのに大苦戦でした(笑)。
そんなことで、旅行記を今年中に終わらせられるか、微妙です。
この旅で纏めた伝説・民話、歴史関係も30を超え、新たに出てきそうな話も
数件かかえているのですよ^^。
ともあれ、出来上がった所から旅行記も掲載し始めないと、後が大変
ですよね。
そうそう、この旅でたくさん歩いてきたので腰痛が治ってしまいました。
これも前倒しの御利益かな・・・。
急に寒くなりましたね。ほんと健康第一!それではまた。
jijidaruma
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