2019/09/18 - 2019/10/03
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jijidarumaさん
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≪ゲルマンの英雄へルマンの記念碑:トイトブルグの森≫
2005.4.21~5.05.北ドイツ周遊:4.28.
ドイツ人の心の故郷というべき“Teutoburger Waldトイトブルグの森”は、東ヴェストファーレンの緑の背骨にあたり、デュッセルドルフを州都とするノルトライン・ヴェストファーレン州の北部にあたる。北のミンデンと南のザウアーランド、西のミュンスターラントと東のヴェーザー川の間に位置していて、景色、文化、歴史の点で魅力ある地域です。
https://4travel.jp/travelogue/10844858
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・Hermannsschlachtへルマン(中央馬上)の戦い
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この項は上記の続編になるものです。
2019年今秋の旅で新たに確定された「トイトブルグの森の戦いの地」を予定しているので、事前に調べてみて纏めたものです。
写真はKarte_Naturpark_Teutoburger_Wald-Eggegebirgeオストヴェストファーレン・リッペ地方Detmoldデトモルト近辺のトイトブルグの森自然公園図 -
<「Schlacht im Teutoburger Waldトイトブルクの森の戦い (Varusschlachtウァルスの戦い)」 のKalkrieseカルクリーゼ遺跡と、Hermannsdenkmal ヘルマン記念碑>
西暦9年、ローマ帝国軍とゲルマン(ドイツ)人がこの地で激突し、ゲルマン側が大勝利した。
この戦いでローマ軍はほぼ全滅したが、この戦い以降ローマ帝国の領土はライン・ドナウ線より南に後退した。
ドイツ語では戦闘の名はローマ帝国軍の総司令官 Varusウァルスの名をとり、「ウァルスの戦い」と呼んでいるが、私共は「トイトブルクの森の戦い」の名前で知っている。
写真はWappen von Detmoldデトモルトの紋章(450年の間、リッペ侯国の宮廷都市であった。現在は大学都市) -
<ヘルマン記念碑>
「トイトブルクの森」の場所に関する唯一の情報源は長らくローマの歴史家タキトゥスの著作『ゲルマニア』にある「Teutoburgiensisテウトブルギエンシスの隘路で」という記述のみであった。
1871年にドイツ帝国が成立し、当時のドイツ民族主義のシンボルとして、有志から集められた莫大な資金を投じて、ゲルマン(ドイツ)の英雄・指揮官 Hermannヘルマン(=Arminiusアルミニウスとも呼ぶ)のHermannsdenkmalヘルマン記念碑が1875年に建てられた。
当時は長い間、何処で両軍の戦闘が行われたのかは不明だったので、トイトブルクの森の場所が確定されず、ヘルマンの出身ゲルマン部族のケルスキ族の本拠があったとされる、オストヴェストファーレン・リッペ地方Detmoldデトモルト(450年の間、リッペ侯国の宮廷都市であった。現在は大学都市)郊外に、ゲルマンの勝利を記念した、巨大な記念像が設置された経緯がある。
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・絵葉書Hermannsdenkmalヘルマン記念碑1875年 -
【ゲルマンの英雄へルマンの記念碑:Hermannsdenkmalヘルマンデンクマル】
紀元後9年、ゲルマン民族の存亡をかけた戦いはウァルスの戦い(Varusschlacht)と称され、ローマの3軍団を全滅させたゲルマンの英雄は、ヘルマンと言い、まだ30代の若さでした。この戦いの勝利はライン川右側のローマ人による支配を終わらせました。
へルマンの記念碑は高さ30mの釣鐘形をした台座の上に、青銅のヘルマン像(20mの身長)が立っている。下から見上げると、威風堂々とした姿で、トイトブルグの森を睥睨しています。台座の上部は展望台になっていて、二人で螺旋階段を登ってみました。
そこからは、春の訪れを見せている眼下一帯の田園風景やトイトブルグの森が美しい広がりを見せている。
この像は1838~1875年にドイツ人の建築家バンデルにより作られ、私財をつぎ込んで完成させたものと言われている。
1840年代からドイツに吹き荒れたナショナリズムが如何に勢いのあったものだったか、想像できます。
ナポレオン戦争に勝ち、1871年皇帝ヴィルヘルム1世によるドイツ帝国(ドイツ国民の神聖ローマ帝国を第一帝国とすると、これは第二帝国となる。そして、よく言われるヒトラーの第三帝国に繋がります)が成立して、ドイツが統一された事へのドイツ民族の思い入れを、この像に見ることが出来る。
ヘルマンの像は翼のついた兜をかぶり、左手に盾、右に7mの剣を持って、その剣を天に高々とかかげている。
剣には【“Deutsche Einigkeit、meine Staerke;meine Staerke、Deutschlands Macht:ドイツの統一は我が強さ、我が強さはドイツの力”】と刻まれている。
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写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・Hermannsdenkmalヘルマン記念碑像_2016年 -
≪Bramsche‐Kalkrieseブラームシェ・カルクリーゼ:トイトブルクの森の戦い≫
Bramsche‐Kalkrieseブラームシェ・カルクリーゼはニーダーザクセン州のオスナブリュックの北約 15 km、オスナブリュッカー地方のDie Haseハーゼ川(長さ170km、北海に注ぐEmsエムス川の支流)沿いに位置し、Mittellandkanalミッテルラント運河(全長325km)に直接面している。
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・オスナブリュッカー地方のアウトバーンにある案内板(ここでは「ウァルスの戦い」となっている) -
<カルクリーゼ遺跡>
1987年、Bramsche-Kalkrieseブラームシェ・カルクリーゼで、イギリスのアマチュア考古学者Tony Clunnトニー・クランにより偶然にローマ銀貨160枚が発掘された。
写真はBramsche‐Kalkriese・Teutoburg カルクリーゼ遺跡:トイトブルクの森の戦い(ここでは「ウァルスの戦い」となっている)の地図 -
写真はWappen von Bramscheブラームシェの紋章
-
これをきっかけに考古学的発掘調査が始まり、カルクリーゼが両軍の戦闘の場所であったことが判明した。カルクリーゼの発掘地は数km に及んでいる。
写真はBramsche‐Kalkriese-ブラームシェ・カルクリーゼとPorta_Westfalicaポルタ・ヴェストファーリカ間、ミッテルラント運河に沿ったヘルマン(=アルミニウス)の道100kmの行程図・・・赤丸印は発掘場所
尚、2008年にポルタ・ヴェストファーリカのバルクハウゼン区からローマ時代の石臼、硬貨、鉛鑞(はんだ)、衣服のバックルの一部が発掘された。
これらは紀元1世紀のものとされた。
この事から、ポルタ・ヴェストファーリカのローマ陣地は、ローマ軍団の指揮官ウァルスがトイトブルクの戦いに向かった夏の陣地であったと推定されている。 -
「カルクリーゼ」とは地質学的には露出した大きな石灰岩を指す。
このカルクリーゼやカルクリーザー・ベルクに因んで名付けられた地区はブラームシェで最も有名な地区になった。
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・Kalkriese_Turmblickカルクリーゼの展望塔からの眺め:トイトブルクの戦いの古戦場 -
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・カルクリーゼの古戦場に再構築された土塁
-
発掘の出土品やそのレプリカがカルクリーゼ博物館・公園に展示されている。
尚、現在はトイトブルクの森の場所はデトモルトから約50km西に離れたカルクリーゼと確定している。
地図を見ても、両方の地にTeutoburger Waldの文字が見える。
VARUSSCHLACHT im Osnabruecker Land gGmbH ?
Museum und Park Kalkrieseカルクリーゼ博物館・公園
D-49565 Bramsche-Kalkriese 、Venner Strasse 69
Tel. 49 (0) 54 68 / 92 04 0
http://www.kalkriese-varusschlacht.de/
開館時間は火~日の10時から17時、ガイド付きは土14時半、日・祭日の11時、14時半。駐車場は博物館前にある。
写真はカルクリーゼ博物館・公園マップ -
<Teutoburg トイトブルクの森の戦い>
紀元9年、ローマ軍が分け入った「トイトブルクの森」は、道も細く、辺りは沼沢地であった。
さらに、天候は激しい嵐となっており、行軍するローマ軍の隊形は乱れ、組織的な行動ができなくなっていた。ヘルマンはローマ軍との正面衝突を避けて、軍を森の中に兵を潜めると共にローマ軍へのゲリラ戦を仕掛けた。
このような待ち伏せ攻撃は連日、繰り返し行われた。それでもローマ軍は一歩も引かなかったが、雨とともに続く襲撃によって一方的に殺戮され、およそ2万人のローマ軍兵士が死亡、敵将ウァルスは自決した。
この敗北を聞いた皇帝アウグストゥスは、「ウァルスよ、我が軍団を返せ!」と叫んだといわれている。
当時のローマ軍は国境線防衛に必要な数以上の常備軍を備えておらず、ウァルスの敗北はライン方面の軍団が消滅したことを意味した。このためウァルスの軍団の後背地にあたるガリアはゲルマン人侵攻の恐怖に包まれたといわれ、アウグストゥスは暴動が起こらないように戒厳令を実施した上で、各属州総督の任期を延長した。
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い(ここでは「ウァルスの戦い」となっている)・双方の配置・侵攻図 -
ゲルマンの勝利の影響:
この結果、アウグストゥスの構想であったエルベ川をリーメス(Limesはローマ帝国時代の防砦(軍団を置いた)システムであり、ローマ帝国領の境界線を示すものでもあった。現在もこのリーメス遺跡はドイツに残り、世界遺産になっている)とする計画は頓挫した。
ライン川をリーメスとし、それ以東のゲルマニアへと領土を拡大しようとする意図も失われた。
尚、この境界はロマンス語とゲルマン語の分岐点となり、後にはフランスとドイツの国境ともなった。
この戦いにおけるゲルマン民族の勝利は、19世紀にドイツ民族主義の誇りとして象徴的に使われた。 (Wikから抜粋・加筆)
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・Otto_Albert_Koch作_1909年 -
2009年、戦闘2000周年!!!を迎えたドイツでは戦場跡で記念式典が行われたそうです。
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・トイトブルク森の戦いで奮戦するヘルマン(=アルミニウス、中央馬上の赤いマントの男) -
写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・カルクリーゼで発掘された鉄仮面(カルクリーゼ博物館)
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写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・1987年に発見された銀貨(カルクリーゼ博物館)
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写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・カルクリーゼで発掘されたRoemische_Schleuderbleieローマ軍団が使用したと思われるスリングショット用の投石弾
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写真はTeutoburg トイトブルクの森の戦い・ローマ軍団の武具と思われるが、馬たちの馬飾り(脛当て、前頭(額)の防具)かもしれない。
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イチオシ
以下の二枚はおまけの参考写真:
ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊
2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間
04.29 (火) 小雨 時に激しく 9℃、 163km
ローマ軍団の地・ Straubingシュトラウビングは古きバイエルンの中心とも言うべき町である。周辺はドナウ川が作った肥沃な土地に恵まれ、鳥獣や木の実の豊富なバイエルンの森の入口に位置している。
8000年の歴史を持ち、紀元前40年頃から、ローマ軍団の活動がみられ、75年にはローマ軍の砦、ドナウ川に港、物資の集積場が出来ていたと云われる。
参考写真はゴイボーデン博物館・古代ローマ人のマスク -
1950年に行われた発掘で、驚くべきものが発見された。
それらは金色に輝く、見事な古代ローマ人のマスクやローマ軍団の馬たちの馬飾りなどである。
ゴイボーデン博物館の一角にこれらの品が展示されていた。
アレキサンダー(アレキサンダー大王は大帝国を築いた:在位は紀元前336~323年)タイプと称するギリシャ人的なマスクや小彫像、ローマ軍団の馬たちの馬飾り(脛当て、前頭(額)の防具)などが完全な形で展示されていた。
人面マスクはギリシャ人に似ていて、前頭(額)の防具には軍神マースやゼウスの双生児が彫られていた。
最初は皆な戦いの防具かと思い、馬用の防具もローマの兵士の胸当てかと思ったが、館の学芸員に聞いてみると、いずれも祭祀用のもので、兵士の胸当てではなく、馬用だと言う。
参考写真はゴイボーデン博物館・ローマ軍団の馬たちの馬飾り
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