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メキシコ観光の最終日、午後の3時過ぎ。市内で見たいと思ったものの観光は終了し、あとはラテンアメリカタワー(Torre Latino)に日暮れ頃に登って夜景を見て、展望レストランで夕食を取りたいと思っているが、まだ時間がかなり早い。どうしようかと考えて思いついたのが、2階建て観光バス、トリュブス(Tribus)のダウンタウンコースはほとんど乗ったが、他にも3つのコースがあり、同じチケットで乗れるので、それで時間潰しをしよう。独立記念塔(El Angel de la Independencia)からだと近いところにマドリード広場(Plaza Villa de Madrid)から南回りコースが出ているので、それに乗ればちょうどいい時間潰しになるんじゃないか、と考えた。その時は、まさかそれが予想外の事態を生むとは思っても見なかった。<br /><br />歩いて750mほど離れたマドリード広場に移動。ここはシベリウス広場(Plaza Cibeles)とも呼ばれるように広場の中央にシベリウスの噴水(Fuente de Cibeles)がある。スペインのマドリード(Madrid)のシベリウス広場(Plaza de Cibeles)にある1777年から92の間に造られた噴水のレプリカで、1980年にメキシコのスペイン人コミュニティから両国の友好を深めるための寄付で設置された。<br /><br />タイミングが悪かったようでかなり待たされて4時にバスは出発。しかし、出発したとたんに自分の認識の甘さに気付いた。渋滞。全然進まない。2時間くらいで1周出来るのではと思ったけど、これじゃ3時間は掛かりそうな感じ(実はその見通しもまだ甘かったのだが)。まずは約4㎞ほど先の世界貿易センターメキシコシティ(World Trade Center Ciudad de Mexico)まで30分近く掛かる。ここは1972年完成で50階建て、アンテナ尖塔の高さが207mでレフォルマ通り(Reforma)のチャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)前に建つ4つの高層ビルが出来る前はメキシコシティ(Ciudad de Mexico)で一番高かった。チャプルテペック城(Castillo de Chapultepec)の上や飛行機から見えていたとこ。ここはホテルデメキシコ(Hotel de Mexico)として68年のメキシコオリンピック(Games of the XIX Olympiad)の観光客を狙って66年に建設が始まったが、完成が間に合わず、建物は72年に完成したが、ホテルとしては稼働せず、92年になってようやくWTCとしてオープンした。WTCの一部を成すシケイロス文化ポリフォルム(Polyforum Cultural Siqueiros)は500席の劇場やギャラリーを持つイベント施設だが、メキシコ壁画運動の担い手であったシケイロス(David Alfaro Siqueiros)晩年の大作。<br /><br />WTCを出るとますます渋滞は酷くなる。そう云えば、写真は撮れなかったが、途中でトロリーバスを見掛けた。メキシコシティではトロレーブス(Trolebus)と呼ばれ、8路線走っているそうだ。日本では今は立山黒部アルペンルートでしか走ってないが、昔は京都の四条通の西に走ってた。その頃は私は広島に住んでいたが、小さい頃に京都の祖父母の家に行った時に見たことがあり、乗ってみたいと思ってた。残念ながら乗る機会がないまま昭和44年(1969年)に廃止された。その後京都に住むようになってトロリーバスの走ってたところはよく通ったが、跡形もない。<br /><br />WTCから直線距離では5㎞余りしかないのにほぼ1時間掛けて南に進むとラ・ボンビージャ公園(Parque de la Bombilla)の横を通る。ここは1928年に当時の大統領だったアルバロ・オブレゴン(Alvaro Obregon Salido)が当時ここにあったレストランで過激派の学生に射殺されたところで、35年にオブレゴン大統領への記念碑が建てられ公園となった。<br /><br />そのすぐ先にあるしゃれた石畳の道路がデラパス通り(Avenida de la Paz)。かつては上流階級の閑静な家が立ち並んでいたところだが、現在はおしゃれな店が並んでいる。その先には1615年にカルメル会(Carmelites)の修道院として建てられ、今はメキシコの宗教美術の膨大なコレクションを収めるエルカルメン博物館(Museo de El Carmen)、同じ頃貯水用の施設として建てられたものを1996年に20世紀のメキシコの詩人の名を抱いて文化センターとしてオープンしたハイメ・サビネスカルチャーハウス(Casa de Cultura Jaime Sabines)、08年に描かれたアリオスト・レイエス(Ariosto Otero Reyes)の壁画が美しいサンアンヘル市場(Mercado San Angel)と続く。<br /><br />そして、出発から2時間、6時にやっとエスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ(Estadio Olimpico Universitario)に到着。1968年のオリンピックのメイン競技場として使用され、開閉会式・サッカー・陸上競技が行われた。また、86年のサッカーワールドカップ(FIFA World Cup)の会場ともなり、1次リーグのマラドーナ(Diego Maradona)率いるアルゼンチン(Argentina)の2試合や、決勝トーナメント1回戦でフランス(France)がプラティニ(Michel Platini)のゴールなどでイタリア(Italy)を2-0で下した試合などが行われた。中に入りたかったなあ・・・<br /><br />競技場を出て、オリンピック村(Villa Olimpica)でようやく折り返す。もちろん68年のオリンピックの選手村だったところ。競技場の向かいに戻ってくるとメキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico; UNAM)のメイン地域。アステカ文明の神などが大胆に表現されたフアン・オゴルマン(Juan O&#39;Gorman)のモザイク壁画で飾られた中央図書館(Biblioteca Central)は有名。奥に見える16階建ての建物は1952年完成の人文科学第2校舎(Torre II de Humanidades)で、70年間メキシコシティで一番高いコンクリート製の建物だった。UNAMは1551年に王立メキシコ大学(Real y Pontificia Universidad de Mexico)として創立したアメリカ大陸で2番目に古い大学。ラテンアメリカで最大規模を誇る大学であり、3人のノーベル受賞者を輩出している。このキャンパスは世界遺産。ここで陽が落ちる。<br /><br />6時45分頃、南に行く時にも通ったがコヨアカン(Coyoacan)地区に戻ってくる。ナワトル語(Nahuatl)で「コヨーテの地」という意味のこの地区はコロニアルスタイルの高級住宅街や博物館が立ち並ぶ文化地区で、民芸品店、骨董品店、工芸品店、あるいは瀟洒な飲食店などが軒を連ねる観光スポットとなっている。バスは1910年に独立100周年を記念して造られたセンテナリオガーデン(Jardin Centenario)と16世紀半ばに設立されたサンフアンバウティスタ教会(Parroquia San Juan Bautista)、現在の建物は1804年に建てられたもの、の間で長いこと停まる。<br /><br />15分以上止まって7時過ぎに出発。もうすっかり日が暮れた。フリーダ・カーロ博物館(Museo Frida Kahlo)がすぐ近く。彼女はメキシコの現代絵画を代表する画家で、壁画が有名な画家ディエゴ・リベラ(Diego Rivera)と結婚もしていた。この博物館は1904年に両親が建てたフリーダの生家で、「青い家(Casa Azul)」として知られている。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2763163047087035&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />この先も渋滞は続き、出発点のマドリード広場に戻ったのは8時を過ぎていた。なんと4時間も掛かってしまったが、乗ってしまったらどうしようもない。完全な想定外だった。こうなるとラテンアメリカタワーどころの話ではなく、月、火と泊ってたポランコ地区(Polanco)のホテルに行くのにトリュブスの市内観光線を利用する積もりにしていたし、バスは9時までなので、マドリード広場から独立記念塔に歩いて戻り、慌てて乗り換え。この時間になるとガイドも9時で終わるけどいいかと聞いてきた。だよね。まあもう観光で乗ったんじゃないし、いいんだけどね。<br /><br />1952年に建てられ、68年のオリンピックの体操競技の会場でもあったナショナルオーディトリアム(Auditorio Nacional)でバスを降りる。アマンド・パロマス(Armando Palomas)と云う人のコンサートがあったようで賑わってた。メキシコのコンサートって9時開始で終わりは0時半予定ってすごい。<br /><br />9時過ぎホテル前に到着。1階にあるイタリア料理のノンソロ(Nonsolo)と云うレストランで食事。最後メキシコ料理を食べたかったけど、隣りもイタリアンで諦めた。ビール2本とペンネでチップ込みで200ペソ(約1200円)で安くて、美味しかった。久々にまともなパスタを食べたような気がする。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2763168723753134&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />以上で、無事今回のメキシコ観光は終了。ホテルにチェックインし預けてたキャリーバックも無事回収できた。翌朝の空港への移動も、一度ホテルにカメラを忘れるチョンボをやったが、ウーバー(Uber)に乗ってすぐに気付き、戻ってもらって事無きを得た。帰りのフライトもジェットブルー(JetBlue Airways)。フォートローダーデール(Fort Lauderdale)での乗継便の遅れて、40分ほど遅くなったが夕方6時半過ぎには無事ジャマイカ(Jamaica)、キングストン(Kingston)に戻った。<br /><br /><br />メキシコ旅行完了。

メキシコシティ南部観光(Mexico City South Area, Turibus, Mexico City)

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2019/03/01 - 2019/03/01

905位(同エリア979件中)

旅行記グループ メキシコ

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ちふゆ

ちふゆさん

メキシコ観光の最終日、午後の3時過ぎ。市内で見たいと思ったものの観光は終了し、あとはラテンアメリカタワー(Torre Latino)に日暮れ頃に登って夜景を見て、展望レストランで夕食を取りたいと思っているが、まだ時間がかなり早い。どうしようかと考えて思いついたのが、2階建て観光バス、トリュブス(Tribus)のダウンタウンコースはほとんど乗ったが、他にも3つのコースがあり、同じチケットで乗れるので、それで時間潰しをしよう。独立記念塔(El Angel de la Independencia)からだと近いところにマドリード広場(Plaza Villa de Madrid)から南回りコースが出ているので、それに乗ればちょうどいい時間潰しになるんじゃないか、と考えた。その時は、まさかそれが予想外の事態を生むとは思っても見なかった。

歩いて750mほど離れたマドリード広場に移動。ここはシベリウス広場(Plaza Cibeles)とも呼ばれるように広場の中央にシベリウスの噴水(Fuente de Cibeles)がある。スペインのマドリード(Madrid)のシベリウス広場(Plaza de Cibeles)にある1777年から92の間に造られた噴水のレプリカで、1980年にメキシコのスペイン人コミュニティから両国の友好を深めるための寄付で設置された。

タイミングが悪かったようでかなり待たされて4時にバスは出発。しかし、出発したとたんに自分の認識の甘さに気付いた。渋滞。全然進まない。2時間くらいで1周出来るのではと思ったけど、これじゃ3時間は掛かりそうな感じ(実はその見通しもまだ甘かったのだが)。まずは約4㎞ほど先の世界貿易センターメキシコシティ(World Trade Center Ciudad de Mexico)まで30分近く掛かる。ここは1972年完成で50階建て、アンテナ尖塔の高さが207mでレフォルマ通り(Reforma)のチャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)前に建つ4つの高層ビルが出来る前はメキシコシティ(Ciudad de Mexico)で一番高かった。チャプルテペック城(Castillo de Chapultepec)の上や飛行機から見えていたとこ。ここはホテルデメキシコ(Hotel de Mexico)として68年のメキシコオリンピック(Games of the XIX Olympiad)の観光客を狙って66年に建設が始まったが、完成が間に合わず、建物は72年に完成したが、ホテルとしては稼働せず、92年になってようやくWTCとしてオープンした。WTCの一部を成すシケイロス文化ポリフォルム(Polyforum Cultural Siqueiros)は500席の劇場やギャラリーを持つイベント施設だが、メキシコ壁画運動の担い手であったシケイロス(David Alfaro Siqueiros)晩年の大作。

WTCを出るとますます渋滞は酷くなる。そう云えば、写真は撮れなかったが、途中でトロリーバスを見掛けた。メキシコシティではトロレーブス(Trolebus)と呼ばれ、8路線走っているそうだ。日本では今は立山黒部アルペンルートでしか走ってないが、昔は京都の四条通の西に走ってた。その頃は私は広島に住んでいたが、小さい頃に京都の祖父母の家に行った時に見たことがあり、乗ってみたいと思ってた。残念ながら乗る機会がないまま昭和44年(1969年)に廃止された。その後京都に住むようになってトロリーバスの走ってたところはよく通ったが、跡形もない。

WTCから直線距離では5㎞余りしかないのにほぼ1時間掛けて南に進むとラ・ボンビージャ公園(Parque de la Bombilla)の横を通る。ここは1928年に当時の大統領だったアルバロ・オブレゴン(Alvaro Obregon Salido)が当時ここにあったレストランで過激派の学生に射殺されたところで、35年にオブレゴン大統領への記念碑が建てられ公園となった。

そのすぐ先にあるしゃれた石畳の道路がデラパス通り(Avenida de la Paz)。かつては上流階級の閑静な家が立ち並んでいたところだが、現在はおしゃれな店が並んでいる。その先には1615年にカルメル会(Carmelites)の修道院として建てられ、今はメキシコの宗教美術の膨大なコレクションを収めるエルカルメン博物館(Museo de El Carmen)、同じ頃貯水用の施設として建てられたものを1996年に20世紀のメキシコの詩人の名を抱いて文化センターとしてオープンしたハイメ・サビネスカルチャーハウス(Casa de Cultura Jaime Sabines)、08年に描かれたアリオスト・レイエス(Ariosto Otero Reyes)の壁画が美しいサンアンヘル市場(Mercado San Angel)と続く。

そして、出発から2時間、6時にやっとエスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ(Estadio Olimpico Universitario)に到着。1968年のオリンピックのメイン競技場として使用され、開閉会式・サッカー・陸上競技が行われた。また、86年のサッカーワールドカップ(FIFA World Cup)の会場ともなり、1次リーグのマラドーナ(Diego Maradona)率いるアルゼンチン(Argentina)の2試合や、決勝トーナメント1回戦でフランス(France)がプラティニ(Michel Platini)のゴールなどでイタリア(Italy)を2-0で下した試合などが行われた。中に入りたかったなあ・・・

競技場を出て、オリンピック村(Villa Olimpica)でようやく折り返す。もちろん68年のオリンピックの選手村だったところ。競技場の向かいに戻ってくるとメキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico; UNAM)のメイン地域。アステカ文明の神などが大胆に表現されたフアン・オゴルマン(Juan O'Gorman)のモザイク壁画で飾られた中央図書館(Biblioteca Central)は有名。奥に見える16階建ての建物は1952年完成の人文科学第2校舎(Torre II de Humanidades)で、70年間メキシコシティで一番高いコンクリート製の建物だった。UNAMは1551年に王立メキシコ大学(Real y Pontificia Universidad de Mexico)として創立したアメリカ大陸で2番目に古い大学。ラテンアメリカで最大規模を誇る大学であり、3人のノーベル受賞者を輩出している。このキャンパスは世界遺産。ここで陽が落ちる。

6時45分頃、南に行く時にも通ったがコヨアカン(Coyoacan)地区に戻ってくる。ナワトル語(Nahuatl)で「コヨーテの地」という意味のこの地区はコロニアルスタイルの高級住宅街や博物館が立ち並ぶ文化地区で、民芸品店、骨董品店、工芸品店、あるいは瀟洒な飲食店などが軒を連ねる観光スポットとなっている。バスは1910年に独立100周年を記念して造られたセンテナリオガーデン(Jardin Centenario)と16世紀半ばに設立されたサンフアンバウティスタ教会(Parroquia San Juan Bautista)、現在の建物は1804年に建てられたもの、の間で長いこと停まる。

15分以上止まって7時過ぎに出発。もうすっかり日が暮れた。フリーダ・カーロ博物館(Museo Frida Kahlo)がすぐ近く。彼女はメキシコの現代絵画を代表する画家で、壁画が有名な画家ディエゴ・リベラ(Diego Rivera)と結婚もしていた。この博物館は1904年に両親が建てたフリーダの生家で、「青い家(Casa Azul)」として知られている。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2763163047087035&type=1&l=8a89379cb0

この先も渋滞は続き、出発点のマドリード広場に戻ったのは8時を過ぎていた。なんと4時間も掛かってしまったが、乗ってしまったらどうしようもない。完全な想定外だった。こうなるとラテンアメリカタワーどころの話ではなく、月、火と泊ってたポランコ地区(Polanco)のホテルに行くのにトリュブスの市内観光線を利用する積もりにしていたし、バスは9時までなので、マドリード広場から独立記念塔に歩いて戻り、慌てて乗り換え。この時間になるとガイドも9時で終わるけどいいかと聞いてきた。だよね。まあもう観光で乗ったんじゃないし、いいんだけどね。

1952年に建てられ、68年のオリンピックの体操競技の会場でもあったナショナルオーディトリアム(Auditorio Nacional)でバスを降りる。アマンド・パロマス(Armando Palomas)と云う人のコンサートがあったようで賑わってた。メキシコのコンサートって9時開始で終わりは0時半予定ってすごい。

9時過ぎホテル前に到着。1階にあるイタリア料理のノンソロ(Nonsolo)と云うレストランで食事。最後メキシコ料理を食べたかったけど、隣りもイタリアンで諦めた。ビール2本とペンネでチップ込みで200ペソ(約1200円)で安くて、美味しかった。久々にまともなパスタを食べたような気がする。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2763168723753134&type=1&l=8a89379cb0

以上で、無事今回のメキシコ観光は終了。ホテルにチェックインし預けてたキャリーバックも無事回収できた。翌朝の空港への移動も、一度ホテルにカメラを忘れるチョンボをやったが、ウーバー(Uber)に乗ってすぐに気付き、戻ってもらって事無きを得た。帰りのフライトもジェットブルー(JetBlue Airways)。フォートローダーデール(Fort Lauderdale)での乗継便の遅れて、40分ほど遅くなったが夕方6時半過ぎには無事ジャマイカ(Jamaica)、キングストン(Kingston)に戻った。


メキシコ旅行完了。

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