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チャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)から市内観光バスのトゥリブス(Turibus)で移動中。レフォルマ通り(Reforma)からファレス(Benito Juarez)大統領の名を戴くファレス通り(Av. Juarez)に入る。1940年代から高級ショップやホテルが並ぶ街の象徴的な大通りのひとつで、85年の大地震で大きな被害を受け、現在も修復が続いている。<br /><br />少し進むと(本当に少しずつしか進まなかったが)、左手にあるのがアラメダ公園(Alameda Central)。「街に美しい散歩のできる公園を」と云うことで造られたのは1592年で、アメリカ大陸で一番古い。それ以前はアステカ時代から主に市場として使われていた。舗装された小道や装飾的な噴水や彫像がある緑豊かな庭園で、現在のレイアウトの大部分は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて流行した噴水と中央の東屋の周りを散歩する放射状のパターンになっている。名前は最初に植えられたポプラをスペイン語で意味するAlamoから来ている。この公園が出来て以降、この名はメキシコの公園の象徴になり、国内の多くの公園に同じ名前が付けられている。元々は東側の半分以下が公園で、西側は異端審問(Inquisitors)によって有罪判決を受けた魔女やその他の人々が、さらされて火あぶりにされた広場だったが、1770年に拡大された。1846年にアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(Antonio Lopez de Santa Anna)大統領がメキシコシティに入城した時には、この公園の全ての噴水をお酒で満たすように命じた。12年に修復工事が行われた。この時点では金曜にメキシコシティに戻って来た時に、公園の中を歩こうと思っていたが、予定が変わって結局前から見ただけに終わった。<br /><br />公園の中央部、ファレス通りに面してあるのがベニート・フアレス記念碑(Hemiciclo a Juarez)。1910年完成の、これもディアス大統領時代に建てられたもの。ベニート・フアレス(Benito Juarez)大統領を称えたもので、彼の座像が正面上部に置かれ、祖国と法を表す2つの寓意的な女性像が彼の後ろにある。なかなか立派。<br /><br />記念碑の向かいにある立派な建物は元コーパスクリスティ教会(Templo de Corpus Christi)だった建物。1724年に先住民の女性のために建てられた修道院だが、1867年のレフォルマ法(Guerra de Reforma)により閉鎖された。以降は私邸、ワイナリーや博物館や事務所として使われていたが、1985年の大地震で破壊され、その後長い間放置されていた。02年に歴史公証公文書館(Acervo historico de notarias de la Ciudad de Mexico)の建築が発表され、05年にファザード部分がこの建物の一部として復旧された。ガイドブックにも特に載っていなかったが、年期の入った建物で思わず見とれてしまった。<br /><br />歩いたほうがよっぽど早いファレス通りをバスはそろりそろりと進み、アラメダ公園の前を抜けるとベジャス・アルテス宮殿(Palacio de Bellas Artes)。宮殿と呼ばれているがオペラハウスで、国立芸術院(Instituto Nacional de Bellas Artes:INBA)などとも表記される。1901年にディアス大統領の指示でイタリアの建築家が設計し、04年に08年竣工予定で建築が開始されたが、土壌の柔らかさで工事が遅れるうちにメキシコ革命(Revolucion Mexicana)が勃発、工事は中断された。メキシコの建築家の指揮により再開され完成したのは34年、さらに宮殿前の広場の完成はその60年後の94年。なお、未だに毎年数㎝沈下を続けている。<br /><br />壮麗なアールヌーヴォ様式(Art Nouveau)の外観で、リベラ(Diego Rivera)やシケイロス(David Alfaro Siqueiros)といった壁画運動で知られたメキシコ芸術界の巨匠の手による内部壁画も有名。リベラの「宇宙を支配している男(El hombre controlador del universo)」は元々33年に、アメリカのロックフェラーセンター(Rockefeller Center)で「十字路の人物(Man at the Crossroads)」として書かれ始めたが、レーニン(Vladimir Ilich Ulianov)を描いたことで完成前に破壊され、翌34年にこの宮殿内部に描き直したもの。<br /><br />宮殿内には国立民族舞踊団(Ballet Folklorico de Mexico)の公演の他、クラシック音楽、オペラ、ダンスなど多目的で使用される劇場の他に宮殿博物館(Museo Palacio de Bellas Artes)と建築博物館(Museo Nacional de Arquitectura)が併設されており、1階にはレストランもある。劇場内装は壮観なアールデコ様式(Art Deco)で、緞帳はニューヨークのティファニー(Tiffany)が手掛けた100万個近くのガラスをちりばめたステンドグラス製で、メキシコ盆地とイスタクシワトル(Iztaccihuatl)とポポカテペトル(Popocatepetl)の2つの火山が描かれている。とまるで見て来たかのように書いているが、バスの上から建物と広場を見ただけ。確かに劇場と云うより宮殿やわ。<br /><br />ベジャス・アルテス宮殿を過ぎるとファレス通りは終わり、バスは左折するが、逆方向の右に少しずれてソカロ(Zocalo)に続く歩行者専用の、ディアス独裁政権を倒した大統領の名を戴いたマデロ通り(Av Francisco I. Madero)がある。その角に建つのがラテンアメリカタワー(Mirador Torre Latino)で、ファレス通りに入った時からずっと見えている。1956年に当時はラテンアメリカで一番高い建物として建てられたもので、44階建てでアンテナ先端までの高さは181.33m。72年まではメキシコシティで一番高かった。建てられた当時はガラス張りの外観の最初で最大の建物で、エレベータは世界最速だった。世界で6番目の高さであったが、標高2240mのメキシコシティに位置するので、世界1高いとメキシコ人は誇っていた。標高を考えるなら、3,640mあるボリビア(Bolivia)のラパス(La Paz)のビルの方がよっぽど高いが・・・<br /><br />世界の将来の建物建設の例となるべく、地震帯にある世界最初の超高層ビルとして建てられ、実際に翌年や85年の大地震にも問題なく耐えている。最上階の44階は屋外展望台となっており、43階、42階がガラス張りの屋内展望室。41階がラウンジバー・レストランで、38階と36階が博物館、その間の37階に土産物屋で、9階にもカフェがあり、あとはオフィスフロアだそうだが、登ってないので間違ってるかも。ここも金曜に登ろうとは思っていたのだが・・・<br /><br />ファレス通りを曲がるとすぐに1本ずれて東向き一方通行の続く5月5日通り(Avenida Cinco de Mayo)に。1862年に当時世界最強と見なされていたフランス軍を破った日の名前が付いている。それ以前の1846年から拡張が始まり、1905年まで続いて、今の形になった。<br /><br />通りに入るとすぐ右手にタイルの家(Casa de los Azulejos)がある。美しい青いタイルで外壁が覆われた家で、オリサバ公爵(Condado del Valle de Orizaba)の家だった。諸説あるらしいが、1737年に侯爵夫人が夫の死後にこの家に戻り、このように改造したと云う説が最も有力。現在はレストランが中にある。その少し先の左手のヌエボレオン州政府庁舎(Oficina de Representacion del Gobierno del Estado de Nuevo Leon)の建物もなかなか立派。そして道の突き当りにようやくメトロポリタン大聖堂(Catedral Metropolitana de la Ciudad de Mexico)が見えてきて、ソカロ(Zocalo)にようやく到着。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696625400407467&amp;type=1&amp;l=3578e3efb4<br /><br /><br />市内観光バスの旅、これで終了。

メキシコシティ 市内観光バス ファレス通りからソカロ (Av. Juarez/Zocalo, Turibus, Mexico City)

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2019/02/26 - 2019/02/26

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ちふゆ

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チャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)から市内観光バスのトゥリブス(Turibus)で移動中。レフォルマ通り(Reforma)からファレス(Benito Juarez)大統領の名を戴くファレス通り(Av. Juarez)に入る。1940年代から高級ショップやホテルが並ぶ街の象徴的な大通りのひとつで、85年の大地震で大きな被害を受け、現在も修復が続いている。

少し進むと(本当に少しずつしか進まなかったが)、左手にあるのがアラメダ公園(Alameda Central)。「街に美しい散歩のできる公園を」と云うことで造られたのは1592年で、アメリカ大陸で一番古い。それ以前はアステカ時代から主に市場として使われていた。舗装された小道や装飾的な噴水や彫像がある緑豊かな庭園で、現在のレイアウトの大部分は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて流行した噴水と中央の東屋の周りを散歩する放射状のパターンになっている。名前は最初に植えられたポプラをスペイン語で意味するAlamoから来ている。この公園が出来て以降、この名はメキシコの公園の象徴になり、国内の多くの公園に同じ名前が付けられている。元々は東側の半分以下が公園で、西側は異端審問(Inquisitors)によって有罪判決を受けた魔女やその他の人々が、さらされて火あぶりにされた広場だったが、1770年に拡大された。1846年にアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(Antonio Lopez de Santa Anna)大統領がメキシコシティに入城した時には、この公園の全ての噴水をお酒で満たすように命じた。12年に修復工事が行われた。この時点では金曜にメキシコシティに戻って来た時に、公園の中を歩こうと思っていたが、予定が変わって結局前から見ただけに終わった。

公園の中央部、ファレス通りに面してあるのがベニート・フアレス記念碑(Hemiciclo a Juarez)。1910年完成の、これもディアス大統領時代に建てられたもの。ベニート・フアレス(Benito Juarez)大統領を称えたもので、彼の座像が正面上部に置かれ、祖国と法を表す2つの寓意的な女性像が彼の後ろにある。なかなか立派。

記念碑の向かいにある立派な建物は元コーパスクリスティ教会(Templo de Corpus Christi)だった建物。1724年に先住民の女性のために建てられた修道院だが、1867年のレフォルマ法(Guerra de Reforma)により閉鎖された。以降は私邸、ワイナリーや博物館や事務所として使われていたが、1985年の大地震で破壊され、その後長い間放置されていた。02年に歴史公証公文書館(Acervo historico de notarias de la Ciudad de Mexico)の建築が発表され、05年にファザード部分がこの建物の一部として復旧された。ガイドブックにも特に載っていなかったが、年期の入った建物で思わず見とれてしまった。

歩いたほうがよっぽど早いファレス通りをバスはそろりそろりと進み、アラメダ公園の前を抜けるとベジャス・アルテス宮殿(Palacio de Bellas Artes)。宮殿と呼ばれているがオペラハウスで、国立芸術院(Instituto Nacional de Bellas Artes:INBA)などとも表記される。1901年にディアス大統領の指示でイタリアの建築家が設計し、04年に08年竣工予定で建築が開始されたが、土壌の柔らかさで工事が遅れるうちにメキシコ革命(Revolucion Mexicana)が勃発、工事は中断された。メキシコの建築家の指揮により再開され完成したのは34年、さらに宮殿前の広場の完成はその60年後の94年。なお、未だに毎年数㎝沈下を続けている。

壮麗なアールヌーヴォ様式(Art Nouveau)の外観で、リベラ(Diego Rivera)やシケイロス(David Alfaro Siqueiros)といった壁画運動で知られたメキシコ芸術界の巨匠の手による内部壁画も有名。リベラの「宇宙を支配している男(El hombre controlador del universo)」は元々33年に、アメリカのロックフェラーセンター(Rockefeller Center)で「十字路の人物(Man at the Crossroads)」として書かれ始めたが、レーニン(Vladimir Ilich Ulianov)を描いたことで完成前に破壊され、翌34年にこの宮殿内部に描き直したもの。

宮殿内には国立民族舞踊団(Ballet Folklorico de Mexico)の公演の他、クラシック音楽、オペラ、ダンスなど多目的で使用される劇場の他に宮殿博物館(Museo Palacio de Bellas Artes)と建築博物館(Museo Nacional de Arquitectura)が併設されており、1階にはレストランもある。劇場内装は壮観なアールデコ様式(Art Deco)で、緞帳はニューヨークのティファニー(Tiffany)が手掛けた100万個近くのガラスをちりばめたステンドグラス製で、メキシコ盆地とイスタクシワトル(Iztaccihuatl)とポポカテペトル(Popocatepetl)の2つの火山が描かれている。とまるで見て来たかのように書いているが、バスの上から建物と広場を見ただけ。確かに劇場と云うより宮殿やわ。

ベジャス・アルテス宮殿を過ぎるとファレス通りは終わり、バスは左折するが、逆方向の右に少しずれてソカロ(Zocalo)に続く歩行者専用の、ディアス独裁政権を倒した大統領の名を戴いたマデロ通り(Av Francisco I. Madero)がある。その角に建つのがラテンアメリカタワー(Mirador Torre Latino)で、ファレス通りに入った時からずっと見えている。1956年に当時はラテンアメリカで一番高い建物として建てられたもので、44階建てでアンテナ先端までの高さは181.33m。72年まではメキシコシティで一番高かった。建てられた当時はガラス張りの外観の最初で最大の建物で、エレベータは世界最速だった。世界で6番目の高さであったが、標高2240mのメキシコシティに位置するので、世界1高いとメキシコ人は誇っていた。標高を考えるなら、3,640mあるボリビア(Bolivia)のラパス(La Paz)のビルの方がよっぽど高いが・・・

世界の将来の建物建設の例となるべく、地震帯にある世界最初の超高層ビルとして建てられ、実際に翌年や85年の大地震にも問題なく耐えている。最上階の44階は屋外展望台となっており、43階、42階がガラス張りの屋内展望室。41階がラウンジバー・レストランで、38階と36階が博物館、その間の37階に土産物屋で、9階にもカフェがあり、あとはオフィスフロアだそうだが、登ってないので間違ってるかも。ここも金曜に登ろうとは思っていたのだが・・・

ファレス通りを曲がるとすぐに1本ずれて東向き一方通行の続く5月5日通り(Avenida Cinco de Mayo)に。1862年に当時世界最強と見なされていたフランス軍を破った日の名前が付いている。それ以前の1846年から拡張が始まり、1905年まで続いて、今の形になった。

通りに入るとすぐ右手にタイルの家(Casa de los Azulejos)がある。美しい青いタイルで外壁が覆われた家で、オリサバ公爵(Condado del Valle de Orizaba)の家だった。諸説あるらしいが、1737年に侯爵夫人が夫の死後にこの家に戻り、このように改造したと云う説が最も有力。現在はレストランが中にある。その少し先の左手のヌエボレオン州政府庁舎(Oficina de Representacion del Gobierno del Estado de Nuevo Leon)の建物もなかなか立派。そして道の突き当りにようやくメトロポリタン大聖堂(Catedral Metropolitana de la Ciudad de Mexico)が見えてきて、ソカロ(Zocalo)にようやく到着。
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市内観光バスの旅、これで終了。

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