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1時過ぎに大統領官邸(Los Pinos)の見学を終え、チャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)を今度は東に横切る。ロスピノスの北側から真っすぐ東に続くデル・レイ通り(del Ray)をひたすら歩く。広い。列車型トロッコバスが走ってたが、どこを走ってるのか、どうやって乗るのかが分からない。ので、ひたすら歩く。1㎞ほどでようやく岩山の裾に至る。しかし、登り口は山の北東にあるのでぐるっとそこからさらに500mちょっと回り込まなければならない。岩山の南東に差し掛かると山裾に石造りの立派な記念碑がある。第2次大戦中にフィリピンで日本軍と戦った201飛行中隊Aguilas Caidas(舞い降りた鷲の意味)の記念碑(Tribuna Monumental/Monumento a las Aguilas Caidas/Monumento a los Heroes del Escuadron 201)。そこから北に向かうとチャプルテペックの戦い記念碑(Obelisco a los Ninos Heroes)が今度は右手に。こちらは1847年の米墨戦争(Mexican-American War)でアメリカ軍に敗れたが、最後まで戦いメキシコ国旗を守った士官候補生の少年たちを称えた記念碑。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684583828278291&amp;type=1&amp;l=d9e2c2c832<br /><br />25分ほど掛かってようやくチャプルテペック城(Castillo de Chapultepec)の入口に到着。この城は高さ45mほどの岩山の上にあるが、この岩山が元々チャプルテペック(Chapultepec)と呼ばれており、城や公園の名前の由来となった。チャプルテペックとはかつてメキシコで広く話されていた言語であるナワトル語(nahuatl)で「バッタの丘」を意味する。<br /><br />この城は、スペイン植民地時代の1785年にスペイン総督の夏の別荘として建築が始まったが完成まで至らなかった。19世紀に入りメキシコ革命後に陸軍士官学校として使われ、米墨戦争のチャプルテペックの戦いの舞台となった。城としての完成は1863年とされ、翌年からメキシコ第二帝政(Imperio Mexicano)皇帝のマクシミリアーノ1世(Maximiliano I)の居城として3年間使われたが、帝国の崩壊、皇帝の処刑と共に再び廃墟となった。10年後の1876年、天文台として復活したが、5年しか使われず、1882年からは大統領官邸として使われた。その後、ロスピノスの話で書いたが、1934年にカルデナス(Lazaro Cardenas del Rio)大統領が就任し、大統領官邸はロスピノスに移り、この城は公式のゲストハウスや外国の高官たちの住居として使われたが、1939年に国立歴史博物館(Museo Nacional de Historia)として使用する法律が制定され、1944年にオープンした。<br /><br />スペイン植民地時代からメキシコ独立運動までの歴史を時系列に展示している。また、1996年公開のレオナルド・ディカプリオ(Leonardo DiCaprio)主演のアメリカ映画、「ロミオ+ジュリエット(Romeo + Juliet)」の撮影場所でもある、晴れた日には、メキシコシティの街を一望できる眺めのよい場所。月曜以外の朝9時から夕方5時までオープンで、入場料は75ペソ(約430円)だが、日曜は全員、それ以外の曜日も教員、学生(身分証明書の提示が必要)、高齢者、13歳未満の子供は無料。外国人旅行者にも適用され、私も60以上かと聞かれ、タダだった。一応ジャマイカの運転免許証を見せた。<br /><br />チケット売場を抜けると登山開始。岩山の北東角から北側の山裾を緩やかな坂道で登っていき、西側をぐるりと回って、南側に回り込んでいく。10分ほどの登り道なのだが、朝からずっと歩き続けの身には堪える。ネット情報ではこの部分も列車型トロッコバスが走ってると云うようなこともあったのだが、実際にはなかった。西端に近い部分には池のある小さな庭があったり、19世紀初頭のメキシコ独立革命(Independencia de Mexico)の英雄でスペイン軍に処刑されたホセ・マリア・モレーロス(Jose Maria Morelos)の銅像、カラコル博物館(Museo del Caracol)などがある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696597620410245&amp;type=1&amp;l=3a934a7d77<br /><br />城は大きく分けると東端のアルカサル部と手前のヒストリア部に分かれる。まずはアルカサル部。ヒストリア部の奥の入口を入るとまずはSalon de carruajes(馬車のサロン)でマクシミリアーノ皇帝夫妻やファレス(Benito Pablo Juarez Garcia)大統領が使った馬車とアントニオ・ゴンザレス・オロスコ(Antonio Gonzalez Orozco)の2枚の壁画が迎えてくれる。壁画はいずれもファレス大統領を描いたもの。Sala introductoria(紹介室)を抜けると北側から東側のテラス部分から各部屋を見ることが出来る。Salon de Juegosと名付けられたゲーム室の壁にかかるいろいろなスポーツや遊びの絵のタペストリーはフランスで作られ、マクシミリアーノ1世の誕生日にナポレオン三世(Napoleon III)から送られたもの。その隣のFumadorは喫煙室。これらの部屋の外のテラスからはポランコ(Polanco)地区の高層ビル群がチャプルテペック公園の緑の向こうに見える。<br /><br />東北角のComedorは食堂。右手の暖炉は19世紀終わりから20世紀にかけて君臨し、独裁者とも云われるポルフィリオ・ディアス(Porfirio Diaz)大統領が特注で作らせたもの。東側に回り込むとSalon de Gobelinosはゴブリン織りのサロン。1865年に描かれたマクシミリアーノ1世夫妻の肖像画や君主であったナポレオン三世夫妻の肖像画が掛かる。Recamara de Carlotaはマクシミリアーノ1世の妻であったカルロータ(Carlota)の寝室だが展示されているスタイルはディアス大統領の腹心の部下だったマヌエル・ゴンサレスが大統領時代に造らせたものらしい。Gabinete de aseoは浴室で、マクシミリアーノ1世は上水道を整備した。Sala de estarはリビングルーム。<br /><br />これらの部屋の外のテラスからはレフォルマ通り(Reforma)をまっすぐに見下ろすことが出来る。高層ビルの間から独立記念塔(Monumento a la Independencia)が見える。高層ビルの手前の6本の柱はラパトリア祭壇(Altar a la Patria)。<br /><br />南側に戻ってくるとSalon de Acuerdosが大統領執務室で、Antesala de acuerdosがその待合室。ディアス大統領時代のもの。この南側がアルカサルの正面で外には噴水と6人の英雄少年の像がある。噴水はチャプルテペックの名前の由来にしたがってバッタ。その後ろにはメキシコシティ南東部の街並みが広がる。正面奥のタワーは207mの世界貿易センター(World Trade Center Ciudad de Mexico)。<br /><br />6人の英雄少年の話はチャプルテペックの戦い(Batalla de Chapultepec)の出来事だが、これは1846年4月から48年2月まで行われた米墨戦争の中の戦い。米墨戦争は現在はアメリカのテキサス(Texas)のアメリカ併合を切っ掛けにして勃発した戦争で、アメリカ軍の勝利で幕を閉じ、アメリカがテキサスだけでなく、カリフォルニア州(California)、ネバダ(Nevada)、ユタ(Utah)など当時のメキシコ領の1/3を手に収めることとなった。チャプルテペックの戦いは47年9月12日から13日に行われたもので、メキシコシティ占領を目指したアメリカ軍がメキシコシティの西を守るこの城を攻めたもの。この時、城は陸軍士官学校として使われており、守備隊には多くの少年の士官候補生が含まれていた。戦いはアメリカ軍の勝利で、元大統領のニコラス・ブラボ(Nicolas Bravo Rueda)将軍は撤退を指示したが、13歳から19歳の5人の士官候補生と引率の中尉は退却せずアメリカ軍と戦い戦死した。その最後の一人がメキシコ国旗がアメリカ軍の手に渡るのを防ぐために。国旗を身に纏い、城から飛び降りて亡くなったと云う話。なお、この直後の15日にアメリカ軍はメキシコシティを占領し、ほぼ戦争の決着を付けた。アメリカとメキシコって戦争したんだって、近代世界史に疎い私・・・<br /><br />2階へ上がる階段、Escalera de los leones(ライオンの階段)も立派。天文台として使われていた1878年に新たに作られたものをディアス、カランサ(Venustiano Carranza)、両大統領の時代に改造され、1階にはライオンの彫刻が並び、2階は美しいステンドグラスで飾られている。<br /><br />2階、階段から右手に進むとRecamara de Porfirio Diazはディアス大統領の寝室、そして妻のカルメン・ロメロ・ルビオ(Carmen Romero Rubio)の寝室が続く。共にフランスから取り寄せたもの。東端の廊下部分は5人の女神のステンドグラスで飾られたGaleria de emplomados(エンプロマドスギャラリー)。とても美しい。バロック様式と新古典主義の要素を取り入れたフランス風の装飾にルイ16世スタイルの家具とカーペットのSalon de embajadoresは各国の大使などを歓待したホール。そしてホールを抜けると広々とした庭が広がり、中央部に一時期は天文台として使われた塔、Caballero Altoが建つ。色とりどりの花が植えられてここも本当に美しかった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696613783741962&amp;type=1&amp;l=18c01005bd<br /><br />30ほど掛けてアルカサル部分の見学を終わり、今度はヒストリア部分。この部分は陸軍士官学校として使われていたところ。2階部分はあまり多くの展示はない。Salon de las Malaquitas(マラキタスサロン)には植民地時代から19世紀の宝石や贅沢品が展示されている。1階は迫力のある壁画がたくさん。まずはメイン階段左手のシケイロスルーム(Sala Siqueiros)。シケイロス(David Alfaro Siqueiros)の「ポルフィリオ時代から革命へ(Del Porfiriato a la Revolucion)」。約10年掛けて1966年に完成した作品で左から右に歪曲した壁を繋いでディアス大統領の独裁政治からメキシコ革命(Revolucion Mexicana)を描いている。<br /><br />メイン階段、シケイロスルームの反対側のルーム1からシケイロスルームの西隣のルーム12まではぐるりと回って時代を追って様々なものが展示されている。ルーム2のホルヘ・ゴンザレス・カマレナ(Jorge Gonzalez Camarena)の1960年の壁画「La Fusion de dos Culturas(二つの文化の融合)」はスペイン人の征服による先住民文化とヨーロッパ文化の融合を表している。ルーム6のファン・オゴルマン(Juan. O&#39;Gorman)の「Retablo de la Independencia(独立の祭壇画)」も60年の作品で、植民地からの独立を描いたもの。ルーム8のオロスコ(Jose Clemente Orozco)の「La Reforma y la caida del Imperio(改革と帝国の崩壊)」は48年の作品。ファレス大統領が大きく描かれ、メキシコ第二帝政の崩壊を描いている。さらに回ってルーム11。再びファン・オゴルマンの「Retablo de la Revolucion (Sufragio efectivo no reeleccion)(革命の祭壇画(再選挙ではない有効選挙))」は68年の作品で20世紀のメキシコ革命を描いている。いずれも大作で大迫力。<br /><br />最後、西側の庭。ここは広々として奥からはポランコ地区が見通せる。噴水が涼しい。1時間ほど掛ったが、前半のアルカサル部分は本当に豪華。この前に行ったロスピノスが贅沢過ぎると現大統領が官邸辞退したが、その比じゃなかった。また、ヒストリア部分の壁画の数々はすごい。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696597620410245&amp;type=1&amp;l=3a934a7d77<br /><br />2時頃、坂道を下って降りてきて、城の上から見えてたラパトリア祭壇へ。ここにはチャプルテペックの戦いの6人の英雄少年と指揮官だったフェリペ・サンティアゴ・シコテンカトル(Felipe Santiago Xicotencatl)将軍が祀られており、大きな6本の柱が英雄少年を意味している。52年築。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684583828278291&amp;type=1&amp;l=d9e2c2c832<br /><br /><br />ようやくチャプルテペック公園での観光は終了。

メキシコシティ チャプルテペック城/国立歴史博物館(Castillo De Chapultepec/Museo Nacional de Historia, Mexico City)

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2019/02/26 - 2019/02/26

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ちふゆ

ちふゆさん

1時過ぎに大統領官邸(Los Pinos)の見学を終え、チャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)を今度は東に横切る。ロスピノスの北側から真っすぐ東に続くデル・レイ通り(del Ray)をひたすら歩く。広い。列車型トロッコバスが走ってたが、どこを走ってるのか、どうやって乗るのかが分からない。ので、ひたすら歩く。1㎞ほどでようやく岩山の裾に至る。しかし、登り口は山の北東にあるのでぐるっとそこからさらに500mちょっと回り込まなければならない。岩山の南東に差し掛かると山裾に石造りの立派な記念碑がある。第2次大戦中にフィリピンで日本軍と戦った201飛行中隊Aguilas Caidas(舞い降りた鷲の意味)の記念碑(Tribuna Monumental/Monumento a las Aguilas Caidas/Monumento a los Heroes del Escuadron 201)。そこから北に向かうとチャプルテペックの戦い記念碑(Obelisco a los Ninos Heroes)が今度は右手に。こちらは1847年の米墨戦争(Mexican-American War)でアメリカ軍に敗れたが、最後まで戦いメキシコ国旗を守った士官候補生の少年たちを称えた記念碑。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684583828278291&type=1&l=d9e2c2c832

25分ほど掛かってようやくチャプルテペック城(Castillo de Chapultepec)の入口に到着。この城は高さ45mほどの岩山の上にあるが、この岩山が元々チャプルテペック(Chapultepec)と呼ばれており、城や公園の名前の由来となった。チャプルテペックとはかつてメキシコで広く話されていた言語であるナワトル語(nahuatl)で「バッタの丘」を意味する。

この城は、スペイン植民地時代の1785年にスペイン総督の夏の別荘として建築が始まったが完成まで至らなかった。19世紀に入りメキシコ革命後に陸軍士官学校として使われ、米墨戦争のチャプルテペックの戦いの舞台となった。城としての完成は1863年とされ、翌年からメキシコ第二帝政(Imperio Mexicano)皇帝のマクシミリアーノ1世(Maximiliano I)の居城として3年間使われたが、帝国の崩壊、皇帝の処刑と共に再び廃墟となった。10年後の1876年、天文台として復活したが、5年しか使われず、1882年からは大統領官邸として使われた。その後、ロスピノスの話で書いたが、1934年にカルデナス(Lazaro Cardenas del Rio)大統領が就任し、大統領官邸はロスピノスに移り、この城は公式のゲストハウスや外国の高官たちの住居として使われたが、1939年に国立歴史博物館(Museo Nacional de Historia)として使用する法律が制定され、1944年にオープンした。

スペイン植民地時代からメキシコ独立運動までの歴史を時系列に展示している。また、1996年公開のレオナルド・ディカプリオ(Leonardo DiCaprio)主演のアメリカ映画、「ロミオ+ジュリエット(Romeo + Juliet)」の撮影場所でもある、晴れた日には、メキシコシティの街を一望できる眺めのよい場所。月曜以外の朝9時から夕方5時までオープンで、入場料は75ペソ(約430円)だが、日曜は全員、それ以外の曜日も教員、学生(身分証明書の提示が必要)、高齢者、13歳未満の子供は無料。外国人旅行者にも適用され、私も60以上かと聞かれ、タダだった。一応ジャマイカの運転免許証を見せた。

チケット売場を抜けると登山開始。岩山の北東角から北側の山裾を緩やかな坂道で登っていき、西側をぐるりと回って、南側に回り込んでいく。10分ほどの登り道なのだが、朝からずっと歩き続けの身には堪える。ネット情報ではこの部分も列車型トロッコバスが走ってると云うようなこともあったのだが、実際にはなかった。西端に近い部分には池のある小さな庭があったり、19世紀初頭のメキシコ独立革命(Independencia de Mexico)の英雄でスペイン軍に処刑されたホセ・マリア・モレーロス(Jose Maria Morelos)の銅像、カラコル博物館(Museo del Caracol)などがある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696597620410245&type=1&l=3a934a7d77

城は大きく分けると東端のアルカサル部と手前のヒストリア部に分かれる。まずはアルカサル部。ヒストリア部の奥の入口を入るとまずはSalon de carruajes(馬車のサロン)でマクシミリアーノ皇帝夫妻やファレス(Benito Pablo Juarez Garcia)大統領が使った馬車とアントニオ・ゴンザレス・オロスコ(Antonio Gonzalez Orozco)の2枚の壁画が迎えてくれる。壁画はいずれもファレス大統領を描いたもの。Sala introductoria(紹介室)を抜けると北側から東側のテラス部分から各部屋を見ることが出来る。Salon de Juegosと名付けられたゲーム室の壁にかかるいろいろなスポーツや遊びの絵のタペストリーはフランスで作られ、マクシミリアーノ1世の誕生日にナポレオン三世(Napoleon III)から送られたもの。その隣のFumadorは喫煙室。これらの部屋の外のテラスからはポランコ(Polanco)地区の高層ビル群がチャプルテペック公園の緑の向こうに見える。

東北角のComedorは食堂。右手の暖炉は19世紀終わりから20世紀にかけて君臨し、独裁者とも云われるポルフィリオ・ディアス(Porfirio Diaz)大統領が特注で作らせたもの。東側に回り込むとSalon de Gobelinosはゴブリン織りのサロン。1865年に描かれたマクシミリアーノ1世夫妻の肖像画や君主であったナポレオン三世夫妻の肖像画が掛かる。Recamara de Carlotaはマクシミリアーノ1世の妻であったカルロータ(Carlota)の寝室だが展示されているスタイルはディアス大統領の腹心の部下だったマヌエル・ゴンサレスが大統領時代に造らせたものらしい。Gabinete de aseoは浴室で、マクシミリアーノ1世は上水道を整備した。Sala de estarはリビングルーム。

これらの部屋の外のテラスからはレフォルマ通り(Reforma)をまっすぐに見下ろすことが出来る。高層ビルの間から独立記念塔(Monumento a la Independencia)が見える。高層ビルの手前の6本の柱はラパトリア祭壇(Altar a la Patria)。

南側に戻ってくるとSalon de Acuerdosが大統領執務室で、Antesala de acuerdosがその待合室。ディアス大統領時代のもの。この南側がアルカサルの正面で外には噴水と6人の英雄少年の像がある。噴水はチャプルテペックの名前の由来にしたがってバッタ。その後ろにはメキシコシティ南東部の街並みが広がる。正面奥のタワーは207mの世界貿易センター(World Trade Center Ciudad de Mexico)。

6人の英雄少年の話はチャプルテペックの戦い(Batalla de Chapultepec)の出来事だが、これは1846年4月から48年2月まで行われた米墨戦争の中の戦い。米墨戦争は現在はアメリカのテキサス(Texas)のアメリカ併合を切っ掛けにして勃発した戦争で、アメリカ軍の勝利で幕を閉じ、アメリカがテキサスだけでなく、カリフォルニア州(California)、ネバダ(Nevada)、ユタ(Utah)など当時のメキシコ領の1/3を手に収めることとなった。チャプルテペックの戦いは47年9月12日から13日に行われたもので、メキシコシティ占領を目指したアメリカ軍がメキシコシティの西を守るこの城を攻めたもの。この時、城は陸軍士官学校として使われており、守備隊には多くの少年の士官候補生が含まれていた。戦いはアメリカ軍の勝利で、元大統領のニコラス・ブラボ(Nicolas Bravo Rueda)将軍は撤退を指示したが、13歳から19歳の5人の士官候補生と引率の中尉は退却せずアメリカ軍と戦い戦死した。その最後の一人がメキシコ国旗がアメリカ軍の手に渡るのを防ぐために。国旗を身に纏い、城から飛び降りて亡くなったと云う話。なお、この直後の15日にアメリカ軍はメキシコシティを占領し、ほぼ戦争の決着を付けた。アメリカとメキシコって戦争したんだって、近代世界史に疎い私・・・

2階へ上がる階段、Escalera de los leones(ライオンの階段)も立派。天文台として使われていた1878年に新たに作られたものをディアス、カランサ(Venustiano Carranza)、両大統領の時代に改造され、1階にはライオンの彫刻が並び、2階は美しいステンドグラスで飾られている。

2階、階段から右手に進むとRecamara de Porfirio Diazはディアス大統領の寝室、そして妻のカルメン・ロメロ・ルビオ(Carmen Romero Rubio)の寝室が続く。共にフランスから取り寄せたもの。東端の廊下部分は5人の女神のステンドグラスで飾られたGaleria de emplomados(エンプロマドスギャラリー)。とても美しい。バロック様式と新古典主義の要素を取り入れたフランス風の装飾にルイ16世スタイルの家具とカーペットのSalon de embajadoresは各国の大使などを歓待したホール。そしてホールを抜けると広々とした庭が広がり、中央部に一時期は天文台として使われた塔、Caballero Altoが建つ。色とりどりの花が植えられてここも本当に美しかった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696613783741962&type=1&l=18c01005bd

30ほど掛けてアルカサル部分の見学を終わり、今度はヒストリア部分。この部分は陸軍士官学校として使われていたところ。2階部分はあまり多くの展示はない。Salon de las Malaquitas(マラキタスサロン)には植民地時代から19世紀の宝石や贅沢品が展示されている。1階は迫力のある壁画がたくさん。まずはメイン階段左手のシケイロスルーム(Sala Siqueiros)。シケイロス(David Alfaro Siqueiros)の「ポルフィリオ時代から革命へ(Del Porfiriato a la Revolucion)」。約10年掛けて1966年に完成した作品で左から右に歪曲した壁を繋いでディアス大統領の独裁政治からメキシコ革命(Revolucion Mexicana)を描いている。

メイン階段、シケイロスルームの反対側のルーム1からシケイロスルームの西隣のルーム12まではぐるりと回って時代を追って様々なものが展示されている。ルーム2のホルヘ・ゴンザレス・カマレナ(Jorge Gonzalez Camarena)の1960年の壁画「La Fusion de dos Culturas(二つの文化の融合)」はスペイン人の征服による先住民文化とヨーロッパ文化の融合を表している。ルーム6のファン・オゴルマン(Juan. O'Gorman)の「Retablo de la Independencia(独立の祭壇画)」も60年の作品で、植民地からの独立を描いたもの。ルーム8のオロスコ(Jose Clemente Orozco)の「La Reforma y la caida del Imperio(改革と帝国の崩壊)」は48年の作品。ファレス大統領が大きく描かれ、メキシコ第二帝政の崩壊を描いている。さらに回ってルーム11。再びファン・オゴルマンの「Retablo de la Revolucion (Sufragio efectivo no reeleccion)(革命の祭壇画(再選挙ではない有効選挙))」は68年の作品で20世紀のメキシコ革命を描いている。いずれも大作で大迫力。

最後、西側の庭。ここは広々として奥からはポランコ地区が見通せる。噴水が涼しい。1時間ほど掛ったが、前半のアルカサル部分は本当に豪華。この前に行ったロスピノスが贅沢過ぎると現大統領が官邸辞退したが、その比じゃなかった。また、ヒストリア部分の壁画の数々はすごい。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2696597620410245&type=1&l=3a934a7d77

2時頃、坂道を下って降りてきて、城の上から見えてたラパトリア祭壇へ。ここにはチャプルテペックの戦いの6人の英雄少年と指揮官だったフェリペ・サンティアゴ・シコテンカトル(Felipe Santiago Xicotencatl)将軍が祀られており、大きな6本の柱が英雄少年を意味している。52年築。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684583828278291&type=1&l=d9e2c2c832


ようやくチャプルテペック公園での観光は終了。

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