メキシコシティ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
実質的なメキシコシティ初日。この日は9時にならないと行こうと思ってるところがオープンしないので、7時半頃から朝食。振り返ると、この旅で唯一朝ゆっくりした日だった。8時前くらいから宿の方がいろいろ作ってくれる。マサ(masa)と呼ばれるトウモロコシの粉で作ったトルティーヤ(tortilla)に半熟の目玉焼き、サルサを乗せたウエボスランチェロス(Huevos Rancheros)とか、確かタマレス(tamales)と云ったと思うんだけど、トウモロコシの粉を蒸し上げた生地の中に、サルサと和えた柔らかい鶏肉を入れたメキシコ版のちまきにクレマ(crema)と云うサワークリームを掛けて煮豆のフリホーレス(frijoles)を添えたものとか。あと白いパンは牛乳に浸しながら食べるんだとも教えてくれた。朝から食べきれないほどで満腹。<br /><br />あと、翌日が8時のフライトで移動なので、朝の空港への移動を相談したら、ウーバー(Uber)で予約すればいいと、私の代わりにスマホ操作して5時45分から6時の間で予約してくれた。助かる。また、2日したらまた戻ってくるので、キャリーバックを預かって欲しいと頼んだら、ここに置いて行けと教えてくれた。翌朝はたぶん誰も起きてないので、確認出来て一安心。8時半前に出掛けようとすると、ここで3泊したが、唯一他の宿泊者に会った。ネパールから来た若い男性で、JICAのこと知ってたのに驚いた。そんなに有名なの、ネパールでは? 外に出て、B&amp;Bのある建物を明るい中で再度見るが、やはり何もサインはない。どうやって皆さん、見つけるのか不思議・・・<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684577101612297&amp;type=1&amp;l=57adb8448e<br /><br />この日は、終日メキシコシティ市内観光。ここはラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。メキシコの首都であり最大の都市で、近郊を含む都市圏人口は2000万人を越えている。かつての正式名称は連邦区(Distrito Federal、D.F.)だったが、2016年にシウダ・デ・メヒコ(Ciudad de Mexico)が正式名称に変更された。日本では英語名のメキシコシティ(Mexico City)の他、メキシコ市と呼ばれる場合もある。<br /><br />ここは元々はテスココ湖(Lago de Texcoco)だった。13世紀末にメキシコ盆地にやってきたアステカ(Azteca)人が1325年に人工島を造り上げ、町を作った。それがアステカ王国の首都テノチティトラン(Tenochtitlan)。高い塔、神殿、建物などが水中にそそり立つ、最盛期には人口30万人の湖上の大都市だった。しかし、16世紀にスペイン人が現れ、街は破壊され、その上にヨーロッパ(スペイン)風の都市が築かれた。それがメキシコシティ。テスココ湖も干拓され、ほとんどが姿を消した。以後、メキシコシティはヌエバ・エスパーニャ副王領(Virreinato de Nueva Espana)の首都ともなり成長を続けた。<br /><br />1821年の独立と共に首都となったが、メキシコは外国の干渉をたびたび受け、この町もアメリカやフランスのメキシコ出兵で占領されることもあった。20世紀に入ると政情も落ち着いてきて、この町は発展を続けた。68年の夏季オリンピックはその4年前の東京オリンピックはあまり覚えてない私にとって、それなりに記憶に残る最初のオリンピック。まあ、覚えてるのは3位になったサッカーだが。85年9月には250以上の高層ビルなどが倒壊し、地下鉄の一部も崩壊し7000人以上が死亡したメキシコ地震(Terremoto de Mexico de 1985)があった。湖を埋め立てて造られた町なので地盤が弱く、液状化現象を起こし、被害が大きくなった。<br /><br />標高2240mの高地にあるが緯度が低いため、一年中温暖な気候に恵まれている。ただし、日格差は大きい。夏の雨季と冬の乾季に分かれる。お世話になったSさんの話では12月から1月は冬物がいるそうだ。私が行ったのは2月の末で、乾季なのだが、この前の日、到着した日には雨、ひどくはないが降っていた。<br /><br />市内には高層ビルやホテルが林立し、道路はいつも車で埋め尽くされており、排気ガス規制の緩さと、盆地、高地と云う条件から世界最悪の大気汚染都市とも云われる。<br /><br />宿を出るとすぐ南側には東西にリンカーン公園(Parque Lincoln)(下の写真)が続く。アメリカの元大統領エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)から名付けられている。彼は大統領になる前に起こった米墨戦争(Mexican-American War)に反対したことからメキシコでは人気があるそうだ。公園のほぼ中央に彼の銅像があるが、その向かいにはキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の銅像(表紙写真)もある。93年に彼の非暴力的な闘いを記念して建てられたもの。公園沿いを東に歩くが、歩いてる人の中には冬物の人もいるわ、半袖の人もいるわで季節感バラバラ。確かにこの時間(朝8時半過ぎ)だと半袖では寒かった(私はTシャツに長袖シャツだった)。日中は暑くなるが朝は冷え込むと云う高地気候を実感。<br /><br />リンカーン公園を通り抜け、どでかいインターコンチネンタル・プレジデンテ・メキシコシティ(Presidente InterContinental Polanco)の前へ。この近くにはハイアットリージェンシー(Hyatt Regency)やマリオット(Marriott)などの国際チェーンホテルの高層ホテルが並んでいる。そして、宿から15分ほどでチャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)。この公園は総面積686ヘクタールを越えるラテンアメリカで2番目に大きな都市公園。1番はチリのメトロポリタノ・デ・サンティアゴ公園(Santiago Metropolitan Park)と云うことで、サン・クリストバルの丘(Cerro San Cristobal)があるところ。約1年半前に行ったわ。<br /><br />チャプルテペックとは先住民のナワトル語(Nahuatl)でバッタの丘という意味で、3つのセクションに分かれる公園の最初の(一番市街地に近いブロック)にある岩山の名前。ここは、アステカ王国時代には堤道で中心部テノチティトランと結ばれた王様の保養地で、公園内にはアステカ王国の王モクテマス(Moctezuma)が沐浴したと伝えられる浴場の跡もあるそうだ(見てない)。植民地時代に岩山の上に城が建てられ、それはやがて国家元首の公邸となり、さらに公園内に大統領官邸も建てられた。この最初のセクションは20世紀に入って徐々に整備され、博物館や美術館、動物園などもあり多くの人が訪れるところになっている。ちなみに私は行ってないが、第2セクション、最初のセクションの西に1964年に追加されたところにも遊園地や多くの博物館がある。さらにその西にある第3セクションは1974年に追加されたが、あまり開発は進んでなく、保護自然地域となっている。<br /><br />ポランコ(Polanco)地区から地下鉄のアウディトリオ(Auditorio)駅の近くで公園エリアに入ったが、チトー(Josip Broz Tito)元ユーゴ(Yugoslavia)大統領の銅像があった。深い事情は分からないが、彼はメキシコを2度公式訪問しており、両国の関係は深かったようだ。しかし、今やユーゴスラビアって国は世界地図から消えてるだよなあ。現在は7つの国に分かれており、ユーゴスラビアの名前も消え、セルビア(Srbija)が継承国となっている(19年2月までマケドニア旧ユーゴスラビア共和国(Former Yugoslav Republic of Macedonia)があったが、北マケドニア共和国(North Macedonia)に変わりユーゴスラビアの名前もなくなった)。我々の世代はユーゴスラビアで習って覚えたんだけどなあ・・・<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684583828278291&amp;type=1&amp;l=d9e2c2c832<br /><br /><br />国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropologia)で観光開始するが、続く。

メキシコシティ チャプルテペック公園 (Bosque de Chapultepec, Mexico City)

0いいね!

2019/02/26 - 2019/02/26

905位(同エリア979件中)

旅行記グループ メキシコ

0

1

ちふゆ

ちふゆさん

実質的なメキシコシティ初日。この日は9時にならないと行こうと思ってるところがオープンしないので、7時半頃から朝食。振り返ると、この旅で唯一朝ゆっくりした日だった。8時前くらいから宿の方がいろいろ作ってくれる。マサ(masa)と呼ばれるトウモロコシの粉で作ったトルティーヤ(tortilla)に半熟の目玉焼き、サルサを乗せたウエボスランチェロス(Huevos Rancheros)とか、確かタマレス(tamales)と云ったと思うんだけど、トウモロコシの粉を蒸し上げた生地の中に、サルサと和えた柔らかい鶏肉を入れたメキシコ版のちまきにクレマ(crema)と云うサワークリームを掛けて煮豆のフリホーレス(frijoles)を添えたものとか。あと白いパンは牛乳に浸しながら食べるんだとも教えてくれた。朝から食べきれないほどで満腹。

あと、翌日が8時のフライトで移動なので、朝の空港への移動を相談したら、ウーバー(Uber)で予約すればいいと、私の代わりにスマホ操作して5時45分から6時の間で予約してくれた。助かる。また、2日したらまた戻ってくるので、キャリーバックを預かって欲しいと頼んだら、ここに置いて行けと教えてくれた。翌朝はたぶん誰も起きてないので、確認出来て一安心。8時半前に出掛けようとすると、ここで3泊したが、唯一他の宿泊者に会った。ネパールから来た若い男性で、JICAのこと知ってたのに驚いた。そんなに有名なの、ネパールでは? 外に出て、B&Bのある建物を明るい中で再度見るが、やはり何もサインはない。どうやって皆さん、見つけるのか不思議・・・
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684577101612297&type=1&l=57adb8448e

この日は、終日メキシコシティ市内観光。ここはラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。メキシコの首都であり最大の都市で、近郊を含む都市圏人口は2000万人を越えている。かつての正式名称は連邦区(Distrito Federal、D.F.)だったが、2016年にシウダ・デ・メヒコ(Ciudad de Mexico)が正式名称に変更された。日本では英語名のメキシコシティ(Mexico City)の他、メキシコ市と呼ばれる場合もある。

ここは元々はテスココ湖(Lago de Texcoco)だった。13世紀末にメキシコ盆地にやってきたアステカ(Azteca)人が1325年に人工島を造り上げ、町を作った。それがアステカ王国の首都テノチティトラン(Tenochtitlan)。高い塔、神殿、建物などが水中にそそり立つ、最盛期には人口30万人の湖上の大都市だった。しかし、16世紀にスペイン人が現れ、街は破壊され、その上にヨーロッパ(スペイン)風の都市が築かれた。それがメキシコシティ。テスココ湖も干拓され、ほとんどが姿を消した。以後、メキシコシティはヌエバ・エスパーニャ副王領(Virreinato de Nueva Espana)の首都ともなり成長を続けた。

1821年の独立と共に首都となったが、メキシコは外国の干渉をたびたび受け、この町もアメリカやフランスのメキシコ出兵で占領されることもあった。20世紀に入ると政情も落ち着いてきて、この町は発展を続けた。68年の夏季オリンピックはその4年前の東京オリンピックはあまり覚えてない私にとって、それなりに記憶に残る最初のオリンピック。まあ、覚えてるのは3位になったサッカーだが。85年9月には250以上の高層ビルなどが倒壊し、地下鉄の一部も崩壊し7000人以上が死亡したメキシコ地震(Terremoto de Mexico de 1985)があった。湖を埋め立てて造られた町なので地盤が弱く、液状化現象を起こし、被害が大きくなった。

標高2240mの高地にあるが緯度が低いため、一年中温暖な気候に恵まれている。ただし、日格差は大きい。夏の雨季と冬の乾季に分かれる。お世話になったSさんの話では12月から1月は冬物がいるそうだ。私が行ったのは2月の末で、乾季なのだが、この前の日、到着した日には雨、ひどくはないが降っていた。

市内には高層ビルやホテルが林立し、道路はいつも車で埋め尽くされており、排気ガス規制の緩さと、盆地、高地と云う条件から世界最悪の大気汚染都市とも云われる。

宿を出るとすぐ南側には東西にリンカーン公園(Parque Lincoln)(下の写真)が続く。アメリカの元大統領エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)から名付けられている。彼は大統領になる前に起こった米墨戦争(Mexican-American War)に反対したことからメキシコでは人気があるそうだ。公園のほぼ中央に彼の銅像があるが、その向かいにはキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の銅像(表紙写真)もある。93年に彼の非暴力的な闘いを記念して建てられたもの。公園沿いを東に歩くが、歩いてる人の中には冬物の人もいるわ、半袖の人もいるわで季節感バラバラ。確かにこの時間(朝8時半過ぎ)だと半袖では寒かった(私はTシャツに長袖シャツだった)。日中は暑くなるが朝は冷え込むと云う高地気候を実感。

リンカーン公園を通り抜け、どでかいインターコンチネンタル・プレジデンテ・メキシコシティ(Presidente InterContinental Polanco)の前へ。この近くにはハイアットリージェンシー(Hyatt Regency)やマリオット(Marriott)などの国際チェーンホテルの高層ホテルが並んでいる。そして、宿から15分ほどでチャプルテペック公園(Bosque de Chapultepec)。この公園は総面積686ヘクタールを越えるラテンアメリカで2番目に大きな都市公園。1番はチリのメトロポリタノ・デ・サンティアゴ公園(Santiago Metropolitan Park)と云うことで、サン・クリストバルの丘(Cerro San Cristobal)があるところ。約1年半前に行ったわ。

チャプルテペックとは先住民のナワトル語(Nahuatl)でバッタの丘という意味で、3つのセクションに分かれる公園の最初の(一番市街地に近いブロック)にある岩山の名前。ここは、アステカ王国時代には堤道で中心部テノチティトランと結ばれた王様の保養地で、公園内にはアステカ王国の王モクテマス(Moctezuma)が沐浴したと伝えられる浴場の跡もあるそうだ(見てない)。植民地時代に岩山の上に城が建てられ、それはやがて国家元首の公邸となり、さらに公園内に大統領官邸も建てられた。この最初のセクションは20世紀に入って徐々に整備され、博物館や美術館、動物園などもあり多くの人が訪れるところになっている。ちなみに私は行ってないが、第2セクション、最初のセクションの西に1964年に追加されたところにも遊園地や多くの博物館がある。さらにその西にある第3セクションは1974年に追加されたが、あまり開発は進んでなく、保護自然地域となっている。

ポランコ(Polanco)地区から地下鉄のアウディトリオ(Auditorio)駅の近くで公園エリアに入ったが、チトー(Josip Broz Tito)元ユーゴ(Yugoslavia)大統領の銅像があった。深い事情は分からないが、彼はメキシコを2度公式訪問しており、両国の関係は深かったようだ。しかし、今やユーゴスラビアって国は世界地図から消えてるだよなあ。現在は7つの国に分かれており、ユーゴスラビアの名前も消え、セルビア(Srbija)が継承国となっている(19年2月までマケドニア旧ユーゴスラビア共和国(Former Yugoslav Republic of Macedonia)があったが、北マケドニア共和国(North Macedonia)に変わりユーゴスラビアの名前もなくなった)。我々の世代はユーゴスラビアで習って覚えたんだけどなあ・・・
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2684583828278291&type=1&l=d9e2c2c832


国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropologia)で観光開始するが、続く。

  • リンカーン公園

    リンカーン公園

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

メキシコ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

メキシコで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
メキシコ最安 120円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

メキシコの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP