2018/09/27 - 2018/09/29
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道東の名所とチャシ跡巡りです。『桂ヶ丘チャシ跡』は、北海道網走市にある近世アイヌ文化期の遺跡で、国の史跡に指定されています。『桂ヶ岡砦跡』や『チャランケチャシ』とも呼ばれています。
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木々の間から顔を覗かせていた石碑の光景です。『野坂良吉翁之碑』の文字が刻まれていました。石碑の建立は、1927年(昭和2年)、野坂良吉氏は、『人情味のある親分的な存在で、政治家の顔、演芸館館主の顔、漁業協同組合理事としての顔があった。網走にこの人ありと言われたほどの功労者であるが、現在はあまり知られていない』とネットで紹介されていました。
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『桂ヶ岡チャシ跡』は、網走市の丘陵地の桂ヶ岡公園内にあります。近世アイヌ文化期の築造とされる内外二重の堀で囲まれたチャシの遺構です。隣接する場所に、先に見学した『網走市立郷土博物館』がありました。
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土塁の裾の部分と、その周りの空堀の光景です。空堀は、埋まってしまったのでしょうか、実用的な幅や深さには見えませんでした。発掘調査をした後で、埋め戻されたのかも知れません。
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イチオシ
同じ場所の反対側の部分の、土塁の裾とその周りの空堀の光景ですこちらは、より空堀らしい姿が残されていました。オホーツク海を臨む網走の小高い丘に築かれているアイヌの砦(チャシ)跡です。規模が大きく、保存状態もよい北海道の代表的なチャシ跡とされます。
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砦の別の呼び名でもある『チャランケ』は、『話し合いをした、談判や裁判をした』という意味とされます。丘陵に防御性を持った空堀を伴う大小二つのチャシが築かれていて、アイヌの先住民はその上に立って、向かい合いチャランケ(談判)したようです。
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堀で護られた、小山のような岡が幾つかありました。『チャシ』はアイヌ語で『柵』、『囲い』などを意味しますが、その本来の用途は今も明らかでないようです。『聖域』、『城砦』、『祭り』の場などとして使用されたと考えられています。
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『桂ヶ丘砦』の呼び名は、網走アイヌが斜里アイヌと戦った際の砦とも言われているためです。近付くのが躊躇されるほどの断崖の上にありました。北側になるらしい、その断崖近くの光景です。いつ頃の戦いかは、特定できませんでした。
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同じく、『桂ヶ丘砦』の自然の要害部分の崖近くの光景です。雑木林越しに、麓の光景がおぼろに見えていました。この光景も、概ねチャシの北側方面になるようです。
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自然の丘陵の地形を生かして造成されている、『桂ヶ丘チャシ』は、長径32.5メートル、短径8.4メートルの規模です。東西に長く、北は自然の断崖、他の三方は二重の堀を廻らせています。 アイヌ時代は、ニクル丘陵と呼ばれていたようです。『イシメシナイチャシ』、『チャランケチャシ』のほか、『ニクルチャシ』の呼び名もあります。
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資料は確認できませんでしたが、アイヌの呼び名が『ニクル丘陵』、和人の呼び名が『桂ヶ丘』だったようです。1935年(昭和10年)12月24日に国の史跡に指定された時の名称が、『桂ヶ丘砦』でしたから、ほかのチャシ跡のアイヌの呼び名と違ってしまったようです。
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チャシは、自然の地形を利用したものが多いため、地形を元にした次の5分類がよく使われます。①丘先式、②面崖式、③丘頂式、④孤島式と⑤平地式です。『桂ヶ丘チャシ』は、?の面崖式に分類されています。
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チャシの五つの分類を簡単に説明しておきます。
①丘先式:岬や丘陵の先端を弧状の壕で区切ったチャシコツで最も一般的なもの。
②面崖式:崖に面する台地上に半円形または四角形の壕をめぐらしたもので、ピラ チャシ(崖チャシ)とアイヌ語では呼ばれています。
③丘頂式:丘陵の頂上部に周壕をめぐらしたお供餅型のもの。 -
チャシの五つの分類の説明の続きです。
④孤島式:湖中や湿地中に孤立している丘や島をそのまま利用したもの。
⑤平地式:比高2メートル以下の低い立地のもの。
4分類は河野広道氏が提唱したもので、最後の平地式は宇田川洋氏がそれに加えて提唱したものです。この分類を組合わせた複合式も存在します。 -
チャシの上から眺めた、南側方面の光景になるようです。チャシの堀には、①直状、②弧状、③方形、④半円状、⑤円状、⑥馬蹄状などがあります。堀は、1~3条掘り込まれているものが多いとされます。
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イチオシ
城郭の縄張での呼び名を参考にすれば、『本丸』から見下ろした東側方面の『二の丸』、『三の丸』の光景になるようです。『砦』だけの機能ではないチャシとされますから、『城郭』の縄張に合わせた呼び方は、適当ではなかったようです。『面崖式』の『チャシ』と呼ぶことにとどめておきます。
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東側に向かって、少し下った場所の光景です。チャシが造られた年代は、発掘調査の際に検出される火山灰の降灰年代を基に推定されていルようです。その時期は、およそ16世紀から18世紀とされます。文献史料からも17世紀末中頃から18世紀末まで、チャシが実際に機能していたことが読み取られています。
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通路のようにも見えましたが、給料を取り巻く空堀跡かもしれません。寛政元年(1789年)には、アイヌと和人との『クナシリ・メナシの戦い』がありました。クナシリ・メナシ地方のアイヌたちは、チャシを築いて松前藩との戦いに備えていました。
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『桂ヶ丘チャシ跡』の東端方面の光景になるようです。1789年(寛政元年)に起きた『クナシリ・メナシの戦い』は、1669年(寛文9年)6月の『シャクシャインの戦い』でアイヌが敗北して以来、アイヌ民族に対する松前藩の支配が一段と強化されたことに遠因にあるとされます。アイヌ民族の立場は、和人との交易相手から漁場の下層労務者へと変質させられました。
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『クナシリメナシの戦い』は、『国後・目梨の戦』とも表記され、アイヌ民族の松前藩に対する近世最後の武力闘争となりました。1789年(寛政元年)5月、国後島と目梨(北海道根室振興局管内)のアイヌが、この地域の和人を襲い70人余を殺害した事件がきっかけでした。場所請負人の飛騨屋久兵衛の権利の元に置かれたこの地域では、過酷なアイヌ使役が行われていたようです。
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この後は、チャシの見学を終えて、南側に下山する時の、帰り道での光景です。アイヌ人への過酷な扱いは、『寛政蝦夷乱取調日記』等の文献によれば、『毒殺などの脅迫で魚肥製造に駆り立て、越冬食糧の準備の暇も与えないほどに使役し、報酬もきわめて少なく、アイヌの生活は飢餓に瀕していた。アイヌ女性に対する乱暴な行為も目だち』と記述されています。
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この窪みは、明らかに空堀跡のようです。アイヌが運上屋の酒食により毒殺されたとの風説が広まり、大きな蜂起となりました。松前藩の兵力の前に、蜂起したアイヌ側は恭順の態度で臨みましたが、37人死刑という過酷な処分が行われました。以後、この地域における和人側の支配体制が確立していきました。
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チャシの上から降りました。振り返って眺めた、北側の丘の光景です。北海道全体では、500基以上のチャシ跡が確認されています。概ね全道的な広がりを見せていますが、釧路、十勝、根室、日高支庁に特に集まっていて、この4支庁で全道の約3分の2を占めています。
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『桂ヶ丘チャシ跡』から眺めた、バス駐車場の光景です。網走市立郷土博物館の関連施設の駐車場を利用させて戴いたようです。チャシ跡の見学中、とめ置きになっていました。地図には、『網走市シルバー人材センター』と記されていました。地名の『網走』は、アイヌ語で『ア・パ・シリ:(我らの見つけた地)』、または『アパ・シリ:(入り口の地)が語源とされます。
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イチオシ
『史跡・桂ヶ丘砦址』の文字が刻まれていた石標と案内看板の光景です。『チャシ』の表現は使われていませんでした。アイヌの人々は、このチャシの上で相対し、交易や祭祀、チャランケ(談判)をしたとされており、『チャランケチャシ』という名称も伝わります。右側の説明看板も同じタイトル、同じ日付で、『チャランケチャシ』の名前にも触れていました。
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『史跡・桂ヶ丘砦址』に関する史跡のデータの紹介です。次の2点が史跡の指定基準に挙げられていました。(ウィキペディア)
その1:貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
その2:都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡 -
同じく、『史跡・桂ヶ丘砦址』に関する史跡のデータの紹介です。
①所在地:〒093-0041 北海道網走市桂町
?指定者:国(文部科学大臣)
③指定年月日:1935年(昭和10年)12月24日指定
④管理団体名: 網走市(1936年4月4日)
これで、『桂ヶ丘チャシ跡』の紹介はお終いです。 -
ここからは、桂ヶ丘チャシ跡の見学を終えて、次の見学地に向かう途中の光景です。摩周湖に近い場所にある、コバルトブルーの水の色で有名な『神の子池』に向かいました。その途中で立ち寄った休憩所の光景です。
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同じく、摩周湖に近い場所にある、コバルトブルーの水の色で有名な『神の子池』に向かう途中に立寄った休憩所の光景です。オホーツク海を展望できる場所にありましたが、海も空も鉛色一色でした。
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休憩所を出発し、更にオホーツク海沿いに走りました。そのバスの中からの光景です。斜里町からそのまま東に走りますと、知床半島に向かいますから、南に折れて、標津町方面に向かいました。その前に立寄るのが、摩周湖に近いコバルトブルーの水の色で有名な『神の子池』です。
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同じく、オホーツク海沿いに走るバスの中からの光景です。『神の子池』へのアクセスは、『清里町市街から北海道道1115号摩周湖斜里線を根室管内中標津町方面に進むと、途中に神の子池を示す看板がある。そこから約2キロほど林道に入ると神の子池に着く(ウィキペディア)』と説明されていました。摩周湖卯之北東に位置します。
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