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 表題の通りテレビマスコミでは盛んに今年の連続猛暑を熱波災害とよび、命に関わる危険が迫っていると報道しています。熱波とは関係無く既に生命の危険エリアに突入している同輩偐家持氏と愚僧。久しぶりのバイク行を表題の通り京都東山南部から宇治川までの古道沿いを、社寺仏閣・御陵等を見学しつつ往還し生還してきましたのでそのご報告といたします。<br /> 大阪平野部では各々の庵から出発何れかに於いて合流してバイク行、生駒山系を越える場合は適当な場所まで車で移動してバイク行というのが我々の行動パターンです。今回は後者に該当するので、偐家持氏を彼馴染みの喫茶店でピックアップして起点の京都横大路運動広場まで移動する。ざっくりとした表現をすると、淀競馬場の北直ぐにある清掃工場に隣接する巨大な運動広場です。ここでの車の置き場については、流石に偐家持氏という彼独特の深読みが見事にヒットするが、それは無事帰り着いてから説明いたしましょう。<br /> 今回のバイク行を何故伏見街道往還としたかは、我らが所属している読書会の次のテーマが大いに関係する。「南北朝」林屋辰三郎著(朝日新書)を次回のテーマと選んだのが同人の槇麻呂氏です。南北朝とは、後醍醐天皇をキーパーソンに楠木正成や足利尊氏等、南朝方と北朝方が半世紀にわたり日本で内乱状態であった時期です。そこでこの時代に登場する、後伏見、伏見、後光厳天皇などを葬ったという深草北陵(十二陵、以後深草十二陵とします)が道中にあること。他に仁明天皇陵・恒武天皇陵等が点在していてこれらを結ぶ点を線で繋ごうという目論見であります。随分前置きが長くなりました、では淀のゲートから出発することにしましょう。<br /><br />*街道名について。東山山麓を南北に走る街道名として今回「伏見街道」としましたが、精確な名称と順路は必ずしも一致しておりません。幾つかある街道名より今回の趣旨に沿ったものとして伏見街道とさせていただいた。

熱波災害の京都「伏見街道往還」の銀輪行 深草十二陵他を巡る

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2018/07/23 - 2018/07/23

999位(同エリア1758件中)

旅行記グループ 愉快な銀輪行

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

 表題の通りテレビマスコミでは盛んに今年の連続猛暑を熱波災害とよび、命に関わる危険が迫っていると報道しています。熱波とは関係無く既に生命の危険エリアに突入している同輩偐家持氏と愚僧。久しぶりのバイク行を表題の通り京都東山南部から宇治川までの古道沿いを、社寺仏閣・御陵等を見学しつつ往還し生還してきましたのでそのご報告といたします。
 大阪平野部では各々の庵から出発何れかに於いて合流してバイク行、生駒山系を越える場合は適当な場所まで車で移動してバイク行というのが我々の行動パターンです。今回は後者に該当するので、偐家持氏を彼馴染みの喫茶店でピックアップして起点の京都横大路運動広場まで移動する。ざっくりとした表現をすると、淀競馬場の北直ぐにある清掃工場に隣接する巨大な運動広場です。ここでの車の置き場については、流石に偐家持氏という彼独特の深読みが見事にヒットするが、それは無事帰り着いてから説明いたしましょう。
 今回のバイク行を何故伏見街道往還としたかは、我らが所属している読書会の次のテーマが大いに関係する。「南北朝」林屋辰三郎著(朝日新書)を次回のテーマと選んだのが同人の槇麻呂氏です。南北朝とは、後醍醐天皇をキーパーソンに楠木正成や足利尊氏等、南朝方と北朝方が半世紀にわたり日本で内乱状態であった時期です。そこでこの時代に登場する、後伏見、伏見、後光厳天皇などを葬ったという深草北陵(十二陵、以後深草十二陵とします)が道中にあること。他に仁明天皇陵・恒武天皇陵等が点在していてこれらを結ぶ点を線で繋ごうという目論見であります。随分前置きが長くなりました、では淀のゲートから出発することにしましょう。

*街道名について。東山山麓を南北に走る街道名として今回「伏見街道」としましたが、精確な名称と順路は必ずしも一致しておりません。幾つかある街道名より今回の趣旨に沿ったものとして伏見街道とさせていただいた。

旅行の満足度
5.0
同行者
友人
交通手段
自家用車 徒歩 バイク
旅行の手配内容
個別手配
  •  災害クラスという暑さは、我々が車から降りた十時過ぎで既に30度近いのではないでしょうか。ゲートから、私が知っている範囲で一番古い国道1号に出て北上します。京都外環状線という山科まで結ぶ幹線道路を利用して新しい国道1号(京阪国道)に出ます。更に適当な地点で油小路と東へずれながら北上します。偐家持氏の目論見では、伏見の街区内を見学しつつ北上し伏見稲荷辺りで折り返す予定だったことが出発前に渡されたルート図から読み取れる。出だしで両者かみ合わず伏見の街区を過ぎた辺りで、偐家持氏の思惑通りとなり藤森神社に到着です。<br /><br /> 今回の旅のゲートと云える運動広場の植栽、真っ青な空が見事に二つに分かれています。

     災害クラスという暑さは、我々が車から降りた十時過ぎで既に30度近いのではないでしょうか。ゲートから、私が知っている範囲で一番古い国道1号に出て北上します。京都外環状線という山科まで結ぶ幹線道路を利用して新しい国道1号(京阪国道)に出ます。更に適当な地点で油小路と東へずれながら北上します。偐家持氏の目論見では、伏見の街区内を見学しつつ北上し伏見稲荷辺りで折り返す予定だったことが出発前に渡されたルート図から読み取れる。出だしで両者かみ合わず伏見の街区を過ぎた辺りで、偐家持氏の思惑通りとなり藤森神社に到着です。

     今回の旅のゲートと云える運動広場の植栽、真っ青な空が見事に二つに分かれています。

  •  インクラインが綺麗です。既に、伏見の街区は過ぎていたようですが。

     インクラインが綺麗です。既に、伏見の街区は過ぎていたようですが。

  •  藤森神社は競馬の神さんと云うことで有名で、紫陽花も綺麗です。我ら競馬にも縁がなく、紫陽花も既に過ぎた神社は閑散としている。特に閑散と見えたのは、またしても神社の裏口から入った為でもあるようで、南門や西門からは参拝の人が多い。日本書紀編纂にたずさわった舎人親王も祀られていて、学問の神様としても信仰を集めています。なるほど沿線沿いには北から龍谷大・立命館高。聖母大そして京都教育大と藤森神社にあやかって出来たわけでもないだろうが学校が多い。

     藤森神社は競馬の神さんと云うことで有名で、紫陽花も綺麗です。我ら競馬にも縁がなく、紫陽花も既に過ぎた神社は閑散としている。特に閑散と見えたのは、またしても神社の裏口から入った為でもあるようで、南門や西門からは参拝の人が多い。日本書紀編纂にたずさわった舎人親王も祀られていて、学問の神様としても信仰を集めています。なるほど沿線沿いには北から龍谷大・立命館高。聖母大そして京都教育大と藤森神社にあやかって出来たわけでもないだろうが学校が多い。

  •  舎人親王の碑

     舎人親王の碑

  •  この参道で流鏑馬もするらしい

     この参道で流鏑馬もするらしい

  •  藤森神社を見学後は伏見街道を暫し北上、名神高速が東西に見えるころ更に東へと分け入ると仁明天皇深草陵へとすんなりと到着予定だったがここで転ける。ゴルフで云うとラフに入るというか、クラブの根っこで打って何処へ行ったか分からないシャンクです。この辺りはかなりの傾斜地であり、高温と高齢というハンディを背負ったプレイヤーには非常に厳しい神の試練です。でも、流石に仁明天皇は心お優しき方、民家の隙間から「おいで、おいで」と手招きして下さっている。さあ、次なる目標は名神高速を越えて北側にある深草十二陵です。<br /><br /> この民家の隙間から手招きされた。

     藤森神社を見学後は伏見街道を暫し北上、名神高速が東西に見えるころ更に東へと分け入ると仁明天皇深草陵へとすんなりと到着予定だったがここで転ける。ゴルフで云うとラフに入るというか、クラブの根っこで打って何処へ行ったか分からないシャンクです。この辺りはかなりの傾斜地であり、高温と高齢というハンディを背負ったプレイヤーには非常に厳しい神の試練です。でも、流石に仁明天皇は心お優しき方、民家の隙間から「おいで、おいで」と手招きして下さっている。さあ、次なる目標は名神高速を越えて北側にある深草十二陵です。

     この民家の隙間から手招きされた。

  •  仁明天皇陵表示板、これは統一規格でもあるのか何処も同じです。

     仁明天皇陵表示板、これは統一規格でもあるのか何処も同じです。

  •  仁明天皇陵です

     仁明天皇陵です

  •  辺りは東山山系が南へと続く緩傾斜面で、古くから神社仏閣が建ち並んでいたのでしょうが、現在ではその隙間を民家が密集している。密集と行っても適当な間隔はあるが、都市計画法や建築基準法の許容の範囲内で迫っていることには違いない。その為いわゆる古墳といえども民家の屋根や植え込みに隠されていて、大和や河内での大王陵を探すのとはちと勝手が違う。深草十二陵も近くの嘉祥寺という寺の塀越しに発見した。神社仏閣若しくは私立某医大なら裏口入門も可能であるが、流石に宮内庁は裏口は認めず、民家との狭い境界上をふらつきながら表に出る。墳墓の西側を旧国鉄に剔られた御陵の正面に出ると、近鉄橿原線の大和郡山駅や桜井線の箸墓周辺を思い出す。近鉄線は大和郡山城を寸断している、桜井線は纒向遺跡辺りから墳墓にお構い無しに直線に進んでいる。文明開化という名の元なら何でも許された時代というか、お題目が正しいと思えば節操なく進むという我が民族性を現しているのでしょうか。<br /><br /> 嘉祥寺の塀越しに発見

     辺りは東山山系が南へと続く緩傾斜面で、古くから神社仏閣が建ち並んでいたのでしょうが、現在ではその隙間を民家が密集している。密集と行っても適当な間隔はあるが、都市計画法や建築基準法の許容の範囲内で迫っていることには違いない。その為いわゆる古墳といえども民家の屋根や植え込みに隠されていて、大和や河内での大王陵を探すのとはちと勝手が違う。深草十二陵も近くの嘉祥寺という寺の塀越しに発見した。神社仏閣若しくは私立某医大なら裏口入門も可能であるが、流石に宮内庁は裏口は認めず、民家との狭い境界上をふらつきながら表に出る。墳墓の西側を旧国鉄に剔られた御陵の正面に出ると、近鉄橿原線の大和郡山駅や桜井線の箸墓周辺を思い出す。近鉄線は大和郡山城を寸断している、桜井線は纒向遺跡辺りから墳墓にお構い無しに直線に進んでいる。文明開化という名の元なら何でも許された時代というか、お題目が正しいと思えば節操なく進むという我が民族性を現しているのでしょうか。

     嘉祥寺の塀越しに発見

  •  十二人も並ぶと規格サイズでは収まらないのかな

     十二人も並ぶと規格サイズでは収まらないのかな

  •  話が脇に逸れましたフェアーウエイに戻りましょう。深草十二陵について調べみますと「第89代後深草天皇を皮切りに、92代伏見天皇、93代後伏見天皇、北朝の第4代後光厳天皇、同じく北朝5代後円融天皇、北朝6代で100代目の後小松天皇、101代称光天皇、103代後土御門天皇、104代後柏原天皇、105代後奈良天皇、106代正親町天皇、そして第107代の後陽成天皇までの12帝である。後深草天皇の御代から持明院統と大覚寺統の対立が始まる。この対立のそもそもは、後嵯峨天皇が兄の後深草より弟の亀山(90代天皇)を偏愛したことに端を発しているが、対立はやがて北条、鎌倉幕府の介入による天皇譲位をもたらし、やがて南北朝の戦いに発展する。この御陵には持明院統派の天皇達が眠っている」とすばらしい明解に辿り着く。これがネットの良い所ですな。ここで、次回若草読書会と今回の伏見街道往還の接点がよりはっきりとしたわけです。更なる深読みはスピーカーの槇麻呂氏に期待です。<br /><br /> 深草十二陵です

     話が脇に逸れましたフェアーウエイに戻りましょう。深草十二陵について調べみますと「第89代後深草天皇を皮切りに、92代伏見天皇、93代後伏見天皇、北朝の第4代後光厳天皇、同じく北朝5代後円融天皇、北朝6代で100代目の後小松天皇、101代称光天皇、103代後土御門天皇、104代後柏原天皇、105代後奈良天皇、106代正親町天皇、そして第107代の後陽成天皇までの12帝である。後深草天皇の御代から持明院統と大覚寺統の対立が始まる。この対立のそもそもは、後嵯峨天皇が兄の後深草より弟の亀山(90代天皇)を偏愛したことに端を発しているが、対立はやがて北条、鎌倉幕府の介入による天皇譲位をもたらし、やがて南北朝の戦いに発展する。この御陵には持明院統派の天皇達が眠っている」とすばらしい明解に辿り着く。これがネットの良い所ですな。ここで、次回若草読書会と今回の伏見街道往還の接点がよりはっきりとしたわけです。更なる深読みはスピーカーの槇麻呂氏に期待です。

     深草十二陵です

  •  ここらでぼちぼち腹も減って来ました。二人の眼では飯屋探しを自然としているのですが、大変な事態に巻き込まれてしまいます。それは伏見稲荷さん、稲荷の坂を下ってくる異国人集団の波にもみくちゃになりつつ飯屋探しは危険且つ困難な状態です。なんとかこの人の渦巻きのような状態から脱しようと北上すると、人の流れは伏見稲荷駅へと左へ角度を変えます。京都の中心部へ向かうには手前のJR稲荷駅より京阪が良いのに決まっていますね。しかし、人並みが途切れると途端に店もなくなる、これも決まっています。さて、空きっ腹を抱えた落ち武者のようなバイカーがやっと辿り着いたのが「メモリー」という絶対に消えない不揮発メモリーに書き込まれたような喫茶店。ここで、焼きそば定食をいただくのであります。平安時代から時間が止まったようなメモリーで、たっぷりの冷えた水と堅めの焼きそばそして食後のアイスコーヒーをいただく暫くの間、休憩とさせていただきましょう。

     ここらでぼちぼち腹も減って来ました。二人の眼では飯屋探しを自然としているのですが、大変な事態に巻き込まれてしまいます。それは伏見稲荷さん、稲荷の坂を下ってくる異国人集団の波にもみくちゃになりつつ飯屋探しは危険且つ困難な状態です。なんとかこの人の渦巻きのような状態から脱しようと北上すると、人の流れは伏見稲荷駅へと左へ角度を変えます。京都の中心部へ向かうには手前のJR稲荷駅より京阪が良いのに決まっていますね。しかし、人並みが途切れると途端に店もなくなる、これも決まっています。さて、空きっ腹を抱えた落ち武者のようなバイカーがやっと辿り着いたのが「メモリー」という絶対に消えない不揮発メモリーに書き込まれたような喫茶店。ここで、焼きそば定食をいただくのであります。平安時代から時間が止まったようなメモリーで、たっぷりの冷えた水と堅めの焼きそばそして食後のアイスコーヒーをいただく暫くの間、休憩とさせていただきましょう。

  •  メモリーのマスコット犬、人間はマスコットではありません念のため

     メモリーのマスコット犬、人間はマスコットではありません念のため

  •  喫茶メモリーで栄養補給、水分補給そしてたっぷりと休息をとらせていただき、お店前でターンです。往路脇目で見た東福寺の表札が掛かった門をくぐります。紅葉の通天橋は何度か来たことがあるのですが、禅寺の三門としては日本最古と云われる三門を未だ見ていないので偐家持氏を半ば引き込むように。前の蓮の花と燻し銀のような三門の色と風格は非常にマッチしています。少し高度を稼いだ序でと、門前の道路を南下します。

     喫茶メモリーで栄養補給、水分補給そしてたっぷりと休息をとらせていただき、お店前でターンです。往路脇目で見た東福寺の表札が掛かった門をくぐります。紅葉の通天橋は何度か来たことがあるのですが、禅寺の三門としては日本最古と云われる三門を未だ見ていないので偐家持氏を半ば引き込むように。前の蓮の花と燻し銀のような三門の色と風格は非常にマッチしています。少し高度を稼いだ序でと、門前の道路を南下します。

  •  塔頭でしょうか

     塔頭でしょうか

  •  三門と蓮が見事に一体化しています

     三門と蓮が見事に一体化しています

  •  徳川家康の正室旭姫の墓と云う石柱が建っている凌雲山南明禅院という寺もこの道すがらに在るので、古くは東福寺の一部であったのかも知れません。但し旭姫には悪いのですが、次回チャンスがあったらと云うことで写真のみ押さえましょう。更に南下して民家が密集しだした所で空が広がったら、先ほど混み合っていた伏見稲荷の参道へと繋がっていた。又も渦巻きのような集団に呑み込まれそうになるが回避して先へ進みます。

     徳川家康の正室旭姫の墓と云う石柱が建っている凌雲山南明禅院という寺もこの道すがらに在るので、古くは東福寺の一部であったのかも知れません。但し旭姫には悪いのですが、次回チャンスがあったらと云うことで写真のみ押さえましょう。更に南下して民家が密集しだした所で空が広がったら、先ほど混み合っていた伏見稲荷の参道へと繋がっていた。又も渦巻きのような集団に呑み込まれそうになるが回避して先へ進みます。

  •  名神高速の高架下を過ぎ暫く南下していると、藤森神社の西門が見えて来ます。いわゆる正門で、普通でしたらこの門から入ることになるのでしょう。

     名神高速の高架下を過ぎ暫く南下していると、藤森神社の西門が見えて来ます。いわゆる正門で、普通でしたらこの門から入ることになるのでしょう。

  •  神社の南角を東に曲り、次なる目標の「恒武天皇陵」にポイントを絞って偐家持氏が進みます。それを追いかける偐山頭火、競馬風実況でしたらデッドヒートと云う所です。しかし、恒武天皇陵を発見した所で勝負は付きました。この登坂と数0メートル毎にある段差には力尽き手押しで上がること10分強。私が到着した時点では偐家持氏は写真撮影も完了し余裕の紫煙を薫らせています。なんでも、ここから数百メートル登ると明治天皇陵があるらしい。両方お参りすると、京都に遷都した天皇と京都から遷都した天皇の両方にご挨拶することになるが・・・と問われたが明治天皇には悪いがご遠慮願いしました。

     神社の南角を東に曲り、次なる目標の「恒武天皇陵」にポイントを絞って偐家持氏が進みます。それを追いかける偐山頭火、競馬風実況でしたらデッドヒートと云う所です。しかし、恒武天皇陵を発見した所で勝負は付きました。この登坂と数0メートル毎にある段差には力尽き手押しで上がること10分強。私が到着した時点では偐家持氏は写真撮影も完了し余裕の紫煙を薫らせています。なんでも、ここから数百メートル登ると明治天皇陵があるらしい。両方お参りすると、京都に遷都した天皇と京都から遷都した天皇の両方にご挨拶することになるが・・・と問われたが明治天皇には悪いがご遠慮願いしました。

  •  陵墓の看板修理中とか、後ろに少し見えるのは伏見桃山城、昔キャッスルランドと云っていた遊園地跡です。

     陵墓の看板修理中とか、後ろに少し見えるのは伏見桃山城、昔キャッスルランドと云っていた遊園地跡です。

  •  下りは快適ですが、これを押し上げるのは大変でした。遙か向こうに見えるのは西山です。

     下りは快適ですが、これを押し上げるのは大変でした。遙か向こうに見えるのは西山です。

  •  さあ、これで天皇陵巡りは終了かと思っていたら、今一つあるというのが北朝第2代光明天皇と同第3代崇光天皇の大光明寺陵。ここまで来ると何がなんだか脳みそは沸騰・糖分不足で機能不全。宮内庁の統一規格のような鳥居の方向に向かってただ歩いて写真のみ押さえるだけ。次回読書会までには何とか整理が付くでしょう。ダメならばスピーカーにご教示願おう。

     さあ、これで天皇陵巡りは終了かと思っていたら、今一つあるというのが北朝第2代光明天皇と同第3代崇光天皇の大光明寺陵。ここまで来ると何がなんだか脳みそは沸騰・糖分不足で機能不全。宮内庁の統一規格のような鳥居の方向に向かってただ歩いて写真のみ押さえるだけ。次回読書会までには何とか整理が付くでしょう。ダメならばスピーカーにご教示願おう。

  •  後は伏見の町そして宇治川を目指して下るだけ。途中「伏見代官所」跡という看板が掛かっている所に案内された。鳥羽伏見戦いでは御香宮神社に陣取った薩摩勢が代官所を目がけて大砲を撃ち込まれて焼失したという。以後新政府の軍隊などが置かれたようです。

     後は伏見の町そして宇治川を目指して下るだけ。途中「伏見代官所」跡という看板が掛かっている所に案内された。鳥羽伏見戦いでは御香宮神社に陣取った薩摩勢が代官所を目がけて大砲を撃ち込まれて焼失したという。以後新政府の軍隊などが置かれたようです。

  •  更に南下して宇治川に到着ですが、今一つシャンクというかウオータハザードに打ち込んでしまいます。サイクリングロードは続いているものとの思い込み堤外を走りすぎて行き止まりです。バックする若しくは堤をバイクを抱えて上がるかありません。ここでは偐家持氏にお世話になって堤防上へバイクを押し上げていただく。堤外からは見えなかったのですが辺りは伏見港公園の中、街区を流れる河川と宇治川の水位を調節する三栖閘門があります。資料館も併設しているがこの日は休館日とか、前回の偽家持地とのバイク行で行った高槻市立しろあと歴史館も休館であったのを思い出す。休肝日は良いが休館日は今一つだ。<br /><br /> これを来たら・・・・

     更に南下して宇治川に到着ですが、今一つシャンクというかウオータハザードに打ち込んでしまいます。サイクリングロードは続いているものとの思い込み堤外を走りすぎて行き止まりです。バックする若しくは堤をバイクを抱えて上がるかありません。ここでは偐家持氏にお世話になって堤防上へバイクを押し上げていただく。堤外からは見えなかったのですが辺りは伏見港公園の中、街区を流れる河川と宇治川の水位を調節する三栖閘門があります。資料館も併設しているがこの日は休館日とか、前回の偽家持地とのバイク行で行った高槻市立しろあと歴史館も休館であったのを思い出す。休肝日は良いが休館日は今一つだ。

     これを来たら・・・・

  •  こうなった!!

     こうなった!!

  •  閘門です

     閘門です

  •  資料館、休館です

     資料館、休館です

  •  さて、ゴール直前には多少のごたつきもあったが、この炎天下での30キロに及ぶ伏見街道往還も無事生還。道端のファミリーマートで生還祝いのアイスキャンディーをいただくと生き返ったようです。最後に、ゲートを出る時に仕掛けました謎解きを。それは、駐車場所の樹木の枝振りを観察し帰着時間に車が枝の影に入るように置いたこと、ただこれだけですが室温は随分低いと感じました。<br /> <br /> 寅二号は日陰でお座りして待っていました

     さて、ゴール直前には多少のごたつきもあったが、この炎天下での30キロに及ぶ伏見街道往還も無事生還。道端のファミリーマートで生還祝いのアイスキャンディーをいただくと生き返ったようです。最後に、ゲートを出る時に仕掛けました謎解きを。それは、駐車場所の樹木の枝振りを観察し帰着時間に車が枝の影に入るように置いたこと、ただこれだけですが室温は随分低いと感じました。
     
    寅二号は日陰でお座りして待っていました

  •  京都の道(参考)京都の大路小路(小学館編)付属地図より。<br /> 南下する道は沢山ありますが、殆どの道は最終は「高野街道」に集約されます。何処を通るかで呼び名が変わるようですね。ひどいものでは、奈良大坂では奈良から見て「大坂道」、大坂から見て「奈良道」と呼んでいる場合もあります。<br /> だからといってどうでも良いというものではありませんが、今回も便宜的に「伏見街道」と呼ばせていただきました。

     京都の道(参考)京都の大路小路(小学館編)付属地図より。
     南下する道は沢山ありますが、殆どの道は最終は「高野街道」に集約されます。何処を通るかで呼び名が変わるようですね。ひどいものでは、奈良大坂では奈良から見て「大坂道」、大坂から見て「奈良道」と呼んでいる場合もあります。
     だからといってどうでも良いというものではありませんが、今回も便宜的に「伏見街道」と呼ばせていただきました。

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