2018/04/29 - 2018/05/05
1位(同エリア122件中)
ウェンディさん
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- 旅行記377冊
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- Q&A回答132件
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- フォロワー343人
2018年のゴールデンウィークの旅は、昨年に引き続き中央アジアの国へ。
御年74歳を迎える母と一緒にトルクメニスタンとウズベキスタンを旅しました。
中央アジアにあるトルクメニスタンは現役バリバリの社会主義国で、日本旅券を持つ旅人は簡単には入国できない厄介な国です。
あえてそんな国を旅先に選んだ理由は、闇夜に浮かぶ業火【地獄の門(Door to Hell)】に会いに行く為。
世界の果て、炎の絶景とも称される【地獄の門】はトルクメニスタンのカラクム砂漠の中、見渡す限り砂の大地が広がる荒野にあります。
そこは、その昔は、地獄の門へと出かけた旅人が砂漠の亡霊(つまり強盗ですね)に襲われ、帰らぬ人となってしまった…なんてことがあったちょっと危険な地域でもあり、私にとっては行ってみたいけれど無理かな…と思っていた場所でした。
しかし、そんな私が腰を上げた理由。
理由の1つ目は【地獄の門】へのアクセスがウズベキスタン経由で可能と分かり、更にトルクメニスタンの治安も以前よりは格段に良くなったから…と言う事情も有りますが、それだけではありませんでした。
【地獄の門】へと憧れる旅人の間でまことしやかに流れる噂<地獄の門が閉鎖され、見られなくなってしまう>という情報を耳にしたため。
情報の真偽を調べてみると、トルクメニスタンの大統領であるBerdimuhammedow氏が「危険なので早急に処置をするように」という命令を出したとする新聞記事がみつかりました。
国内では絶対的な権力を持つ大統領。
大統領は白色が好きだからと言う理由で、首都であるアシガバードの政府建物には純白の大理石がふんだんに使われるような国;トルクメニスタン。
国中、どこの施設に行っても初代大統領の顔写真がデカデカと額に入れられて飾られている国;トルクメニスタン。
(現在、東アジアで注目を浴びている某独裁政権国家と似ている部分があるのかも…)
それだけの権力を持つ大統領の発言なので、彼の言葉が執行されるまでにそんなに猶予はないかもしれません。
大統領の一言は私の背中を強く一押しし、個人では行くことは難しいだろう…と考えていたトルクメニスタンに足を踏み入れることになりました。
☆★ この世の果て〈地獄の門;Darvaza Gas Crater〉へ♪ 旅程 ☆★
□4/29 成田09:25-11:50仁川15:45-19:20タシケント(大韓航空)
■4/30 タシケント06:10-07:50ウルゲンチ(ウズベキスタン航空)
ウズベキスタン→徒歩で国境越え→トルクメニスタン
クフナ・ウルゲンチ遺跡→地獄の門へ(テント宿泊)
□5/1 地獄の門→国境越え→ヒヴァ
□5/2 ヒヴァ観光
□5/3 カラ巡り/カラカルパクスタン共和国
ウルゲンチ21:00-23:45タシケント(ウズベキスタン航空)
□5/4 タシケント観光
タシケント21:20-
□5/5 07:35仁川
10:00-15:00 ソウル・トランジットツアー
仁川17:40-20:00成田(大韓航空)
☆★ 2018 トルクメニスタン&ウズベキスタン旅行記☆★
【1】74歳の挑戦は中央アジアの北朝鮮!? http://4travel.jp/travelogue/11357817
【2】人生初のテント泊は地獄の淵で https://4travel.jp/travelogue/11361217
【3】独裁者政権の国って…? https://4travel.jp/travelogue/11368500
【4】ヒヴァで両替難民となる https://4travel.jp/travelogue/11384186
【5】ホレズム国で異文化交流 https://4travel.jp/travelogue/11578357
【6】潜入!カラカルパクスタン共和国 https://4travel.jp/travelogue/115793
【7】地図にない“失われた砂の国” https://4travel.jp/travelogue/1166844469
【8】タシケント別腹 バザール紀行 https://4travel.jp/travelogue/11669984
姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅☆
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
【姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅】
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
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・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
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・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
母と二人の中央アジア旅。
中央アジアの北朝鮮とも称されるトルクメニスタンの入国は噂通りの難関で、ウズベキスタン側の国境を通過してからトルクメニスタンの入国ビザの発給までにかかった時間は何と2時間。
よっぽど大勢の旅人がビザ申請していたから時間がかかったのではないかって?
そんなことはない。
ビザ申請をしていたのは、母と私を含めてたった3人だけ。
日本では見ることの出来ないくらいの係官のチンタラさ加減にいら立ちつつも、このビザが発給されなければこの旅の目的でのある地獄の門へは行くことができない。
だから、イライラで引きつりそうになる笑顔を無理やり筋肉で引っ張って表情を作り、かなり頑張ってすごした2時間は、けっこう大変だった。
そして、ようやく手にしたビザは地獄の門への招待状。
ビザを片手に、地獄の門があるカラクム砂漠へと向かった。 -
砂漠へ向かう途中で寄り道したクフナ・ウルゲンチ遺跡から【地獄の門】までの距離は約260km。
事前に調べたGoogleの案内によれば遺跡から【地獄の門】までは4時間半はかかると見ていたのだが、車を運転するガイド兼ドライバーのダブロンさんのドライビング・テクニックはかなりのもので、舗装されているくせにアナボコだらけの道を時速100km近いスピードで走り抜け、遺跡を出発して3時間後には、だだっ広い砂漠の真ん中にある【地獄の門】を見下ろす高台へと到着していた。
写真の左側、車のサイドミラーの後ろの丘の影にあるのが【地獄の門】と呼ばれるDarvaza Gas Crater(ダルバサ・ガス・クレーター)だ。
最初に、「アレがガス・クレーターだよ」とダブロンさんから教えてもらった時は「ちっさ…」と思ってしまったが、それは周りの景色が大きすぎるから。
地平線全てが砂漠で覆われたこの場所では、60m幅の巨大なガス・クレーターも可愛いサイズに見えてしまう。 -
ガス・クレーターの脇で私たちは車を降ろしてもらい、クレーターぐるっと一回りしてから砂漠を歩いて、今晩のキャンプ地へと向かう。
-
キャンプ地があるのは、ガス・クレーターから歩いて5分ほど離れた場所。
クレーターの穴の直ぐ傍にテントを張るのかと思っていたのだが、クレーターからは結構距離が離れている。
宿泊テントをガス・クレーターのもっと傍に張れないのかと聞いたところ、その答えは「クレーターから有毒ガスが発生しているから近くで寝るのは危険だし、この距離だって絶対に安全とは言い切れない。それにクレーターの廻りの地面の下は空洞化が進んでいて、いつ崩落してもおかしくない状態で、そんなところにテントを張れるわけはない」と言うモノだった。
テントをクレーター傍に張ってもらうのは諦め、とりあえずは旅行会社の持つユルタの中へ入り、一休みをさせてもらう。 -
このダルバサのキャンプ場には、各旅行会社が専有スペースを持っていて、それぞれがベースとしてユルタ(もどき)を持っている。
ユルタは総数5棟あったので、5社のトルクメキスタン旅行会社が地獄の門ツアーの取り扱っているのだろう。 -
ユルタ(写真)とは中央アジアで生活する遊牧民が用いる移動式テントの事を指し、モンゴルではゲル、中国ではパオと呼ばれる移動式住居と同じものだ。
キェンプ場にはユルタがあると聞いてきたのでちょっとだけ期待していたのだが、残念ながら、ダルバサのキャンプ場では、どこの旅行会社の持つユルタも“もどき”で、形だけは本物のユルタに似せてあったが、床面が高床式ではなく地面に直接触れているところや、壁面の作り方も移動式のユルタとは異なった手抜きの作りだった。
本物を知らなければコレで満足なのだろうが、昨年のウズベキスタン旅(アイダクル湖)で本物のユルタに宿泊している母と私には、その違いが一目瞭然。
形だけ似せれば良い…と言うモノではないのだが、その辺が社会主義的感覚なのかもしれない。 -
ユルタの事はさておき、まずは本日の夕食の支度から。
今晩の宿泊地は砂漠のど真ん中なので、レストランなんてある訳がない。
夕食は全て、自分達で準備しなくてはならない。 -
私もディナーつくりを手伝うぞ~と腕まくりをしていたのだが、車が次から次へとやってきて、結局この日は3組の日本人ゲストが宿泊することが判明。
ガイドさんやらドライバーさん総勢5名が夕食の支度をしてくれるという事で、私たちは完全にお客さん状態で良いらしい。
ガイドさん達はまずは薪に火をつけてお湯を沸かし始めた。
調理に用いる薪だって砂が広がる砂漠には落ちていないので、途中にある村で薪を仕入れてくるのもガイドさん達の仕事だ。 -
イチオシ
ガイドさん達は手際よく、バーベキューの準備。
この日のお昼に、クフナ・ウルゲンチ村のミニ・マーケットで仕入れてきたトマトや鶏肉もあっという間にセットされていた。 -
更に、ひき肉とスパイスを和えたシシカバブーも準備万端。
-
夕食まではあと30分程度あるという事だったので、母と私はキャンプ場の裏にある小高い丘へと登ってみることに。
-
この丘は地元の人たちは「鷹の巣」と呼んでいる山で、サラサラの砂岩の山だった。
鷹の巣山へと登るための道は特にないのだが、皆が登るので踏み跡がついていて、そこを辿っていけば山頂まで上がれてしまう。
鷹の巣山を形成する岩は単一組成ではなく、鉄分を含んだ赤い部分や、黄色い部分が地層となって浮き出ていた。 -
特に山頂部分には黄色味を帯びた岩が多く、小さめの岩を拾い上げて臭いを嗅いでみたら、硫黄の臭い。
火山性の山に独特のゆで卵の匂いを強くした臭いがした。
まさか、砂漠の中に火山…?
ずっとむかしにこの場所には火山があったのかもしれないと考えられたが、火山性の岩があったのは鷹の巣山の頂上だけで、砂漠へと降りてしまえば、硫黄の匂いがする岩は見当たらなかった。
ユルタに戻ってからガイドさんに火山の事を聞いてみたが、この辺が火山帯だったなどと言う事は聞いたこともないという返事で、確証は得られず。
どなたか、カラクム砂漠のど真ん中に火山性の岩が存在する理由をご存知の方がいらしたら、その理由を教えて欲しい。 -
山頂から砂漠を見下ろすと、右手にキャンプのユルタが見え、その向こうにはガス・クレーターである地獄の門とそれを取り囲むように、灰色の大地が広がっていた。
実はこの灰色の大地の部分が、地面の下が空洞化している可能性がある部分で、地下に大量の天然ガスが埋まっているかもしれない所だ。 -
そして、鷹の巣山からの下り道の崖で、ある物を見つけた。
崖には山の岩を削った落書きが多くあったのだが、その一つがどう見ても日本姓。
それは、【小野2018】と、私には読めた。
世界遺産などの史跡ではないので落書きをしてはいけないとの決まりはないが、この様な岩に自分の名字を彫り込むのは、けっしてお行儀の良い事ではないと思う。
2018年1月~4月末までにトルクメニスタンの地獄の門へと足を踏み入れた小野と言えば、かなり人物が特定されてくるはず。
コレってかなり恥ずかしいから、次はこんなことはやらない方が良いと思うよ。 -
鷹の巣山からキャンプ地へと戻ると、準備されていた食材たちがちょうど焼き上がる時間で、ガイドさんから、夕食ですよ♪の声。
-
トルクメニスタンのトマトはもともと甘いのに焼くことにより更に甘さが増し、新鮮な鶏のモモ肉もうまみがタップリ。
シャシリクと呼ばれる串焼きもスパイスが効いていて美味しかった。 -
イチオシ
そしてデザートは、地獄の門の背後に沈んでいく夕陽。
この日の午前中、トルクメニスタンに入国した時には今にも雨が降り出しそうな曇り空で、晩の天気が心配だったのだが、どうやら旅の神様は、私たちに向かって微笑みで応えてくれたようだ。 -
夕食後からの時間は、この日一番のお楽しみの時間。
砂漠に燃え上がる巨大なガス・クレーター【地獄の門;Door to Hell】を見に行く。
夕食前に鷹の巣山から見えていた灰色の大地の端にガス・クレーターは存在し、砂漠の砂色とガス田独特の灰色の大地の色の変化は、平地を歩いていてもクッキリと分かった。
ゆっくりと夕焼け色に染まる空の下、色味が無くなっていく大地に現れる割れた亀裂。
それは、まるで大地に裂けた口が現れ、ニカっとニヒルに笑っているかのようにも見えた。 -
イチオシ
砂漠の砂地から灰色の大地へと足を踏みこむと、肌に感じるのは空気の違い。
砂漠の上を歩いていた時にはサラサラと髪をほどいていた風が、ねっとりと重みを増し、絡み付く。
地獄の…という接頭語が似合う空気が辺りに漂っていた。 -
そんな淫靡ささえも感じられる空気感を私は味わっていたのに、母ときたら、灰色の大地に咲く野の花を見つけて、少女のような喜びの声。
まぁ、母の野草好きはもう一生ものなのだから、仕方がない。
母のリクエストで、小さな白いお花の写真を一枚パチリ。 -
そして、気を取り直してガス・クレーターへと近づく。
未だ日の高い日中に見た時にはそれほど炎の勢いを意識することはなかったのだが、夕方になり大気が冷えてきて更に周囲もユックリと彩度が落ちてくると、オレンジ色の炎がくっきりと見えてくる。 -
まずは、クレーターの周囲をゆっくりと歩いて回って、様子の観察。
-
クレーターの大きさは公式情報では、直径が約60m、深さが20m。
でもこの情報は3年前の測量結果で、その後もユックリとクレーターの淵は崩壊を続けているので、現在ガス・クレーターは更に大きくなり、現在の直径は63m位あるのではないか…と言うのがガイドさんの話だった。 -
クレーターの淵の岩は穴に対して垂直ではなく、穴に対してせり出している感じ。
だから、淵のギリギリの場所に立つと、自分の1m下の足元にはせり出した岩は無く、あるのは真っ赤に燃える炎がある空間…ということで、なかなかスリリングだった。 -
時刻は20時過ぎ。
空の闇が徐々に増えていくにつれ、ガス・クレーターは明るさを増していった。 -
イチオシ
【地獄の門】と呼ばれるDarvaza(ダルバサ)のガス・クレーターだが、このクレーターは観光用に人工的に作られた物ではない。
-
【地獄の門】が誕生したのは、今から50年近く前。
-
当時のトルクメニスタンはソ連(現在のロシア)の支配下にあり、ソ連政府が起こした事故がガス・クレーターの出来る発端となったと言われている。
(写真:地獄の門をパノラマ撮影) -
トルクメニスタンは現在でも天然ガスを豊富に埋蔵しているが、それは50年前も同じ。
この地域の埋蔵資源の豊かさに目を付けたソ連政府は、天然ガスが埋まって居そうな砂漠地帯をアチコチ掘削し、その資源量を調査していた。 -
カラクム砂漠の中にあるDarvaza(ダルバサ)エリアもその調査対象の一つで、その掘削調査の最中に起きた事故が原因で【地獄の門】は現在の姿となっている。
調査の最中に何が起きたのか。
実は、この場所で1971年に何が起きたのかは、ガイドさんも何が真実なのかは知らないとのこと。
当時のソ連政府は、事故自体を無かったことにして隠ぺいしようとし、関係者全員に口封じを命じた…そうだ。 -
母と私はそんな背景のある【地獄の門】をぐるりと1周し、その後にキャンプとは反対側にある小さな丘の上へと向かう。
日が沈んでしまった時間帯は足元も見えずらくなり丘登りは難しくなるが、私達にはどうしてもこの時間帯に登りたい理由があった。
(写真:丘を登っている最中に見えたキャンプ場と鷹の巣山) -
丘の上からは、地獄の門の全体像が良く見える…と言う情報を事前にネットで読んでいたので、その様子を是非見てみたかった。
明るさが少し残る内なら大丈夫だろう…と思い登り始めた丘だったが、ヘッドランプで足元を照らしても、思いの外、足元の段差が見えづらく、かなり歩き難かった。
が、丘の上から眺めた地獄の門の風景は、頑張ってこの時間帯に登って良かった~というもの。
砂漠の中のオレンジ色に輝くクレーターの様子が良くわかった。 -
クレーターの淵に立つ人も見える。
人とクレーターの大きさの差が、丘に登ることで改めて実感できた。 -
陽の残した明るさは完全になくなり、紺色に染まり始めた空を背景に地獄の門が光る。
空中を舞う砂塵などの細かいほこりが、炎が作り出す上昇気流に乗り舞い上がる様子が丘の上からクッキリと見えた。 -
足元に注意をしながら丘から下った後は、私たちも他の観光客に混じって記念撮影をしたり、景色を眺めたり…。
次に来るという事はまずないであろう【地獄の門】の絶景を愉しんだ。 -
イチオシ
ところで、ソ連が必死に隠したガス・クレーターで起きた事故の真相だが、秘密はいつまでも秘密にはしておけないモノで、結局はある程度のことは皆が知ることの出来る情報として世の中に広まってしまっている。
-
当時、ソ連の技術者がこのDarvaza(ダルバサ)での天然ガスの埋蔵量に関する調査で開けた穴は、直径数メートルの小さいものだったそうだ。
その穴から機械を投入しガス量調査を行ったらしいのだが、その時に起きたのが落盤事故。 -
ガス田の規模はソ連の科学者や技術者が考えていたよりも深く広く、地面の中に大きなガス溜まりの空洞が存在していた。
当時はきっとスキャナーでの地質調査などなかった筈だから、技術者たちはここら辺でいいかな…位のレベルで地面にガス調査用の穴を開けたわけだが、その穴の位置が地面の下のガス溜まり空洞の位置の上になってしまうというレアな偶然が重なってしまった。
(写真:夜空には木星の姿。この晩は一晩中、木星が地獄の門の周りを動いていた) -
そんなことを露知らぬソ連の技術者たちが調査用の穴を広げていったある日、様々な負荷に耐え切れなくなった地表は、ズドンっと重力に従って地中の空洞に落下。
ソ連側は事故による死者は出なかったとしているが、それも実は闇の中。
作業員の方が無くなっていたとしてもおかしくない事故の規模だったそうだ。
この地獄の門は誕生にはそんな秘話が残されている。 -
真赤に燃えるガス・クレーターの周りでゆっくりと過ごしていたらあっという間に時刻は21時半。
いったんキャンプへと引き上げ、テントを設営してもらう。
(写真のテントは、翌朝、明るくなってから撮影) -
テントは二人用で、中には長座布団サイズの布団と簡易型の寝袋が各自1つずつ。
今晩はテントで寝る。
ここで母から、衝撃の告白が・・・。
「実はね。私、テントに泊まるのって生まれて初めてなの…」
まさか、母が今までテントに泊まったことが無いなんて知らなかった。
山小屋泊の登山も普通にこなす母なので、テント泊なんてお手の物だと思っていたのだが、まさかまさかの74歳にしてテントを初体験。
それも砂漠で。
旅の行程上、砂漠でテント泊になることは母にはあらかじめ伝えてあり、その時は母からは特別なレスポンスが無かったので、何の問題もないと考えていたのだが…。
そういう大事なことは、プランニング時に教えて欲しいかな。 -
テントの設営を終えてからは、トイレタイムで再びお出かけ。
実は私たちが使ったツアー会社のキャンプにはトイレが無かった。
正確に書けばトイレの設備はあったのだが、扉を施錠した鍵が見つからず、トイレが使えない状態で、お手洗いは人から見えない草むらまでお出かけしなければならなかったのだ。
この宵はほぼ満月で、月明かりでかなり明るい夜。
だから、夜目もある程度効いてしまうため、トイレ場所探しには最悪のコンディションだった。
母と私はキャンプから南方向へひたすら歩いて自分がしゃがんだ時にキャンプのユルタの屋根が見えなくなる高さまで行き、所用を済ませた。 -
イチオシ
23時。
再び、赤く燃え上がる地獄の門へと歩いて行く。
赤銅色に燃えた釜のような巨大なクレーター。
釜の中から熱気が舞い上がり、前髪を焦がしそうな勢いで迫ってくる。 -
観光客の姿は、私達以外に1人か2人。
皆、無言で炎の絶景を見つめていた。 -
テントに戻り、就寝したのは24時頃だったのだが、やはり砂漠の夜は寒く、寝袋に入っていても躰が冷えてしまい、午前3時ごろ尿意を催して目が覚めてしまった。
ゴソゴソと私が起き出したら、母も目を覚ましたようで、二人で仲よく草原タイム。
そして、この夜、3度目となる【地獄の門】へと足を向けた。
さすがに深夜時間帯なので誰もガス・クレーターの周囲にはおらず、独占状態。
辺りは静かで、クレーターの底から吹き上げるガスの噴き出し音である低音が地面を震わせているのが感じられるほどの静寂の中を赤銅色のクレーターに向かって歩いて行った。 -
クレーターの淵から1メートルも離れたら何も見えなくなるような闇の中で佇んでいると、火の淵へと吸い込まれそうな気分になってくる。
ガス・クレーターの中は温度がどの位あるのかは分からないが、傍に立つだけで顔がほてる程の熱気を感じるのだから、もし足を滑らせて中へと落ちてしまったら、怪我では済まない事故になってしまうだろう。 -
勿論、火の釜の淵には柵などの安全対策は無く、全ては自己責任の世界。
落ちないように自分で注意するしかない。
クレーターの底から音をた立ててガスが湧きあがり、そのガスに焔が燃え移り、釜の内側を駆け回る。
その姿は、まるで焔を纏った竜神が地の底から這い出してくるようで幻想的でもあった。 -
時おり、夜鷹が上空を舞い、火に引き寄せられた昆虫たちを捕食していく。
白色をした夜鷹の腹が焔に照らされて、闇夜の中を流れ星の様に動いていた。 -
紅蓮の炎が湧きあがるガス・クレーターは【地獄の門】そのものの風景。
【地獄の門】と誰が名付けたのかは知らないが、そのネーミングのセンスは抜群だ。
しかし、この焔の絶景もソ連の科学者たちのある行動が無ければ存在していなく、現在【地獄の門】と呼ばれる60mの焔の釜も、ただの大きな穴だったかもしれないのだ。
1971年当時のソ連の科学者たちは、落盤事故であいた大穴の底から湧き出してくる有毒ガスを含む可燃性ガスの処理に手を焼いていた。
毒ガスは捕集しなければならないのだが、穴が大きすぎてガスの捕集も出来ずに、砂漠中に毒性の高い可燃性ガスが揮散する状態が続いていた。
ソ連政府が出した対応策は、ガスを酸化して二酸化炭素に替えてしまえばガスの毒性も可燃性も失われる。
だから、ガスに火をつけて燃やしてしまえ…と言うモノ。 -
その結果、火を放たれたDarvaza(ダルバサ)のガス・クレーターは焔の釜となり、50年にわたり、周囲に雪が積もる日も嵐の日も消えることなく燃え続けている。
当時のソ連の科学者たちは火を放てば地下の可燃性ガスは全て燃え尽き、自然鎮火するだろうと安易に考えていたそうだが、その考えは甘く、埋蔵されていた天然ガスの量は彼らの予測の遥かに上を行き、未だにガスが燃え尽きる様子はない。
そして、このガス・クレーターにはもう一つ噂があり、実はこちらが真実ではないかと言う話なのだが…。
ソ連政府が有毒ガスの放出を抑えるためにガスに火をつけたというのは建前で、本当は、最初の崩落の時に、科学者がどの位のガスが出ているのか調べてみようと一部のガスの噴出口に火を近づけたら、それが一気に地下のガスだまりを通じて燃え広がり、あっという間に手の付けられない状況に陥ってしまったという話だ。
どちらにしても事故当時にソ連政府が箝口令を出したので、今となっては【地獄の門】の誕生物語の真相は闇の中だが、ソ連の責任でこのようなガス・クレーターが出来てしまったことには間違いないだろう。 -
母と私以外は、誰もいない深夜の地獄の門。
耳を澄ますと、吹き上げるガスと炎の重低音に混じり、犬が遠吠えをするような声も聞こえてきた。
観光地と言えども、此処は砂漠のど真ん中。
砂漠の砂の中には危険な蠍もいるし、夜行性の砂漠狼だっている。
もし、ここで狼に襲われて逃げても多分、皆が眠っているキャンプに辿り着く前に噛みつかれるだろうし、助けを叫んだところで寝ている彼らに私の声が届くかの保証はない。
もう少し地獄の釜の傍に居てこの絶景を眺めていたかったのだが、遠吠えが聞こえてきた時点で、安全を優先してキャンプに戻ることにした。地獄の門 洞穴・鍾乳洞
-
午前3時半のキャンプへの帰り道。
母が呟くように言った独り言が、心に残った。
「去年のウズベキスタン旅の計画時に地獄の門の事を教えてもらったでしょ。
あの時は、トルクメニスタンの砂漠の中でキャンプをするだなんて、自分の年齢で出来るなんて思ってもいなかった。
でもね…、なんでも挑戦してみなければ、わからないものね。
もう歳だから出来ないではなく、この歳だけれど、やってみようって思う気持ちが大事なのかもしれないね。」
うん、うん。
私もその考え方には同意かな。
女だから、男だから、年寄りだから、子供だから…で括ってしまうのではなく、危険が無いのならば、自分の体調が許す範囲でならば、チャレンジする精神って大事だと思うよ。 -
この日の旅行記の最後に、地獄の門が今後、閉鎖されるかどうかの可能性についてガイドさんに聞いた回答を・・・。
そんなことは、ガイドにだって分からない…と言われてしまった。
ただ、閉鎖は可能性としては十分にあり得ることだと。
もし、今後、観光客がガス・クレーターに落ちるなどの事故があった場合、大統領は即刻閉鎖を命じ、この業火の絶景は見ることができなくなる可能性も捨てきれない。
この国では大統領の権限は絶対で、誰も彼には逆らえない…と言う事だった。 -
でもね。。。
私の個人的意見として言わせてもらえば、ガス・クレーターの閉鎖は多分難しいと思う。
現在、ガス・クレーターの周りの地面は灰色に変わり、あの大地の下にも大量のガス眠っている可能性を示唆している。
例えガス・クレーターの酸素供給口を何らかの方法で絶ち、火を喰いとめたとしても、出口を失った焔は酸素を求めて地下の空洞を走り、新たな噴出孔を現在の灰色の大地のどこかに求め、新たな大きな陥没穴が出来る可能性があるのではないかな。
ただ、現在のガス・クレーターをそのまま残しておくのも問題なのは、事実。
現在のガス・クレーターは1971年の崩落当初は直径が10mソコソコの陥没穴だったのに、燃え上がる炎が穴の土壁を焼くことでどんどん土が崩れて、50年弱で6倍のサイズにまで成長している。
このままいったら70m、80m…と巨大化が加速する可能性もあり、今後どのように対処すべきかはトルクメニスタンという国だけで解決すべき問題ではなく、国際的な協力が必要なのかもしれない。
前の旅行記:【1】74歳の挑戦は中央アジアの北朝鮮!?
http://4travel.jp/travelogue/11357817
続きの旅行記:【3】独裁者政権の国って…?
https://4travel.jp/travelogue/11368500
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この旅行記へのコメント (20)
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- kiyoさん 2018/06/15 21:43:41
- 吸い込まれそうな
- ウェンディさん、はじめまして。
旅行記のタイトルに惹かれてお邪魔しましたが、
トルクメニスタンに、こんなすごい場所があるとは驚きました(@@!
イスラーム建築が好きなので、
トルクメニスタンとウズベキスタンにはいつか行きたいと思っていましたが、
観光地に関して深く調べたこともなく、
治安が不安でもあり、いまだ足を踏み入れたことがありませんが、
俄然、興味を惹かれました。
けれど、砂漠に一泊ですか・・・
ハードル高いですね。
私も昔、エジプトの砂漠にマットレスをひいて
一晩明かしたことがあるのですが、
夜のトイレは、怖かったです。
でも、それを押してなおすごい景色が見えると思うと、
行きたくもあり。悩ましい場所ですね(^^;
kiyo
- ウェンディさん からの返信 2018/06/16 15:52:31
- RE: 吸い込まれそうな
- kiyoさん、はじめまして
トルクメニスタンもウズベキスタンも旅先としてはおすすめです。
個人旅をしやすいのは、ウズベキスタン。
人も優しいですし、旅予算もお財布に優しい国でした。
中央アジアのイスラム建築は、アラブ圏の建物とはひと味違うモンゴル系の要素がはいっていて、興味深いもので、トルコではモスクが有名ですが、ウズベキスタンでは、神学校のメドレセや隊商宿のキャラバンサライの方が豪華だったりします。
イスラム建築に興味があるのならば、建築の対比をテーマに旅をしても面白いかと思います。
ウェンディ
-
- 旅の初心者さん 2018/05/28 10:56:05
- イラン母娘旅おすすめ!
- ウェンディさん、こんにちは
これまでの母娘旅の流れのコメントを読んで、とても参考になり励まされました。
私も娘と海外旅行を三回楽しみましたが、孫(男二人)が生まれて娘が身動きつかなくなったので、その後は一人旅に切り替えています。
でもやはり二人の方が盛り上がるし、写真も楽しいのでもっと早くから母娘旅に取り掛かっておけば良かったと後悔しています。
孫が中学生になるくらいまで海外旅行が無理だとすると、あと10年以上、私は72才になってしまう、と思っていたらお母様も74歳でいらっしゃるとかで勇気をもらいました。
さらに子供が3歳位のうちから出かけられていたとのことで
あのやんちゃ坊主達を連れての海外旅行は地獄になるかもと思いつつ、やってみるのもありだなと思いました。
また、イランに行きたいとご希望だとも知りました。
実は私たち夫婦ははイラン大好き、超親イラン派ですので
おせっかいながら、ぜひイランへ行ってくださいとお便りした次第。
主人が2年間イランに赴任していて、私は二週間訪れました。
そのうちの一週間を観光旅行で過ごし、残りは現地のお宅に招かれたりして過ごしました。
イランの観光価値はすごいです。以前トルコに行ってイスラム文化のすごさに感動して帰ってきた私たちでしたが、イランに行ってみて、「ここがご本家だー」と圧倒されました。
それにアケメネス朝とササン朝の両時代の遺跡が残っているので、ペルセポリスからイマーム広場、宝石博物館まで様々なバラエティがあり、飽きることはありませんでした。ナッツ、ドライフルーツも安くておいしいですよ。一週間ではメインどころがほとんどでしたが、さらに奥地にもいいところがありそうですし、砂漠でのテント宿泊もできるようですよ。また行ってみたいと思っています。ずーと日本語話せるガイドさんを雇っての個人旅行でしたが格安で行けました。
女性はスカーフを形だけでも被って、ズボンをはいて上っ張りを着れば問題ありません。10年前の話ですから今はもっとゆるくなっているかもしれませんね。サウジなんかと違って戒律ゆるいし、親日的だし、とてもいい思い出になりました。
昔のことで。4トラにあげたりしてないので皆さんに紹介できてないのが残念ですが、ぜひ行ってみられると良いと思います。イランの思い出につい熱くなってお便りしました。
ご参考になれば幸いです。
- ウェンディさん からの返信 2018/05/28 20:25:27
- RE: イラン母娘旅おすすめ!
- 旅の初心者さん こんにちは。
昨年の増上寺の七夕の催しの記録、興味深く拝見しました。
蝋燭が照らしだすほのかな和の明かりが美しく、私も行きたいな〜と思ってしまいました。
さて、母娘旅ですが、お孫さんも一緒にどんどんお出かけしましょう。
小さい子供を連れてのお出かけは荷物も多くなって大変だし、子供を連れてだから自由には動けないのがデメリットですが、子供の成長は早く、私の場合は旅を通してその成長を実感する場面も多くありました。
子連れ旅のポイントは子供の喜びそうな場所で大人の興味のあるところを選ぶことと、お孫さんが小さい内は、出来るだけ時差の少ない場所を。
我が家の場合は0歳と2歳の旅では、ハワイのカウアイ島とオーストラリアのケアンズを旅先に選びました。この2か所は夜便で行けてさらに時差も少ないので、昼間しっかりと体を使って遊ばせれば、夜は飛行機の中でぐっすり寝てくれます。
3歳からは少し頑張って、ケニアやアメリカ・カナダ・ニュージーランド・オーストラリアの国立公園巡り。
草原や山岳部の野生動物は、動物園にいるのとは異なり、その迫力は数倍。
英語の全く分からない娘が、ケニアのドライバーさんと動物の名前だけでコミュニュケーションをとっていたのには笑ってしまいました。
いわゆる都市旅を楽しむ文化圏にデビューしたのは娘が中学生になってオトナ旅の良さが分かるようになってからです。
イランですがまだ予定は白紙の状態で、行けたら良いね〜の状態ですが、私は是非行きたいと思っている国です。
ただ、母が暑さに弱いので、旅にはGWや夏の休暇は使えなく旅の時期は2019年の年末年始の冬になるのかな。
イランのお勧めの場所や現地手配会社などあったら、教えてくださいね。
今の所、絶対に行きたいのはシーラーズの薔薇モスクとペルセポリスの遺跡群で、あとは季節によっては不向きの地域も有るので、これからじっくりと1年かけて考えようと思っています。
ウェンディ
- 旅の初心者さん からの返信 2018/05/30 12:00:44
- RE: RE: イラン母娘旅おすすめ!
- ウェンディさん、こんにちは
返信ありとうございます。ウェンディーさんに励まされて、
孫と三世代の初飛行機旅行の計画をたてはじめました。
とりあえず国内ですけどね。
さて、イラン情報ですが、10年ほど前にお世話になったガイドさんのアドレスをお知らせします。2013年の情報ですので、変わってないといいのですが、今わかる限りの情報です。
ハリリさんという日本にも来たことのあるガイドさんと、ずーと一緒に回りました。
ホテルは彼は私たちとは違うところを使って、毎朝迎えに来てくれました。
別れ際に彼が撮った写真をDVDにしてわたしてくれました。
彼が突然果物やさんでザクロとかを買い始めて、もう帰国の日なのにどうするつもりなのかしら?と思っていたら、原っぱにおもむろにペルシャ絨毯を引いてピクニックを始めたのを楽しく覚えています。
ローズモスクも朝一番の誰もいないときに連れて行ってくれて、私たちはバラ色の朝日の中で写真を撮りまくりました。
では彼から来たメールのアドレスです。
ahmad KHALILI [mailto:khalili1890@yahoo.com
よろしければ参考になさってください。
- ウェンディさん からの返信 2018/05/30 23:52:37
- RE: RE: RE: イラン母娘旅おすすめ!
- 旅の初心者さん こんばんは。
祝☆娘さんとお孫さん達との三世代の旅のプランニング開始♪ですね。
予定は詰め込み過ぎず、臨機応変に変更可能な位ルーズに立てておく方が、気が楽だと思います。
あと、子供は嬉しすぎると熱を出すから要注意。お薬は忘れないでくださいね。
そして、イランの情報をありがとうございます。
まだ航空券も手配していない、本当に白紙状態のプランニングなのでどうなるかは分からないですが、航空券がとれたら、来年の春位にでも紹介いただいたハリリさんのアドレスにメールしてみます。
ウェンディ
- 旅の初心者さん からの返信 2018/06/01 16:18:29
- RE: RE: RE: RE: イラン母娘旅おすすめ!
- ウェンディさん
ほんとに子供たちは、出発直前や旅先で熱を出したり、病気になったりしますね。
お母様のタフぶりをみならいたいです。
これからもウェンディさんの旅行記を楽しみにしています。
-
- ひろさん 2018/05/23 21:15:33
- かなり感動!
- ウェンディさん こんばんは!
動画も拝見しましたが、この地獄の門凄いですね~
旅行記や写真を見ていて思ったのは
人類が初めて火を使った時の光景を思い出しました。
(もちろん自分で見ていませんが・・・・)
暗闇の中に火があるのは、暖かさも感じるし
逆に怖さも感じます。
そんな雰囲気をこの旅行記で伝えてくれてありがとうございます。
化学には詳しくありませんが
50年も燃えているというのも不思議ですね。
燃えているところは場所的に風の力が弱いって事なのですかね?
そして、お母様のテントに泊まった事ないってことに驚きました!
今思えばですが、道産子は夏になったら
何故か海岸でキャンプをしてその時にテントに泊まります。
道産子は山でテントを張る人は少ないですが・・・・
新潟もそんな感じかなと思っていましたが
ここはやはり文化の違いでしょうか?
まずは諦めないで試してから考える。
これ、ホントそうですよね~
一人一人感覚も違うし、体力も異なるので・・・
でも、ウェンディさんのお母様は
自分の母よりも格段に若々しくて考え方も素敵です!
そしてそんな人に育てられたウェンディさんも素敵ですね。
ひろ
- ウェンディさん からの返信 2018/05/24 07:30:07
- RE: かなり感動!
- ひろさん こんにちは。
地獄の門は1971年のソ連が統治した時代に出来てしまった陥没穴で、穴の底の亀裂から大量の有毒な可燃ガスが50年にわたり噴き出していて、ソ連の科学者により着火された炎は、地底の空洞に溜まるガスが尽きるまで消えることが無いだろうと言われています。
周囲の砂漠一面に数十センチの雪が積もる日も、大雨の日も、嵐の日もガスは途絶えることなく吹き出し、炎が衰えることも無かったそうです。
ただ、ここ何年かは少しずつ炎が小さくなっている傾向もみられるそうなので、もしかしたら地底のガス量に限界が来ているのかも知れません。
北海道の海キャンプの話、寒い地域ならではですね。
夏が短いので、その時期を家族で目いっぱい楽しもう。。。という気概が感じられます。
私が子供の頃の新潟ですが、海でキャンプする人も見かけましたが20代の若者のグループが殆どだったと思います。
新潟の夏はかなり蒸し暑く、真夏の夜に海岸でテントで寝たらテントの中が日中に熱せられた砂の輻射熱で蒸し風呂になってしまう気もします。
私の場合は、家から海が車で20分位の距離だったので、水着に着替えて海に行き、帰りは車のシートにビニールを置いてそのまま家に帰り、家の前でホースの水を浴びて砂を落としてからそのままお風呂場に直行でした。
ウェンディ
-
- fujickeyさん 2018/05/23 16:07:37
- たくましい母娘だわ。
- ウェンディさん、こんにちは。
すごくすごく美しい地獄の景色!
暗くなってからのほうがすごくいいですね。
お母さまが見つけたお花の写真の1枚前の写真。
ウェンディさんもイチオシ!されていますがこの写真、すごく良いです!
テント泊が初めてなのを黙っていたお母さまをすごく可愛いと思いました。
きっとワクワクされていたのではないかな、と。
最後にお母さまが呟かれた言葉もとても響きます。
今回の旅行記でお母さまのファンが増えそうな気がしますよ♪
fujickey
- ウェンディさん からの返信 2018/05/24 07:00:23
- RE: たくましい母娘だわ。
- fujickeyさん こんにちは。
地獄の門の景色を堪能してきました。
トルクメニスタンは、外部に対して国の状態を発信しない主義なので(だから中央アジアの北○○とか呼ばれるのですよね)、国の状態がどんな状況なのかがわからなかったのですが、現地のガイドさんの話を聞いて驚きの連続でした。
今回は他の日本人の旅人のガイドさんが現役の大学生(観光業を勉強していて、ガイドはアルバイト)だったので、その方からも少しだけ話を聞くことができました。
独裁者国家で社会主義の国の学生…とか言ったら、ガチガチに洗脳されているのかと思いましたが、思いの外、柔軟な考え方の方でちょっと安心しました。
さて、本題の地獄の門ですが、凄かったです。
写真で見るよりも、その迫力が数倍。
炎が顔を炙る暑さやガスの臭いなど、現地に行かなければ体感できないことも沢山あり、閉鎖される前に行けて良かった…と思っています。
fujickeyさんからも良いと言っていただいた、夕景の地獄の門の写真;暮れゆく空と、ゆっくりと赤味を増していくガスクレーターの様子が分かる写真、私も好きなんです。
でも、色合いが少しおどろおどろしいかなぁ…と思って表紙にするのは止めていたのですが、やっぱり旅行記2の表紙写真に変更してしまいました。
母には毎回の旅で驚かされますが、今回はテントが初めてだという事を現地で聞き、吃驚。
基本的にはどこでも寝る母ですので何の問題も無かったのですが、良く考えれば74歳で草原トイレやテント泊がデビューって、なかなか凄いですよね。
次回の旅では、何がデビューとなるのか、楽しみでもあります。
ウェンディ
-
- salsaladyさん 2018/05/22 19:35:17
- 地獄の入り口 vs キラウェア火山~
- ☆どちらも恐そうですが。。。キラウェアの方は、今正に増殖中~
☆果たして“Hawaii島”の売り文句にキラウェアが我慢できるのでしょうか?
☆Door to hellとは、恐ろしいネーミングの割に近くまで行けましたね!~see you~
- ウェンディさん からの返信 2018/05/23 00:34:43
- RE: 地獄の入り口 vs キラウェア火山?
- salsaladyさん こんばんは。
女神ペレの怒りか、それとも豊穣のダンスか、ハワイ島の火山活動はなかなか収束しないですね。
もともとが活火山でしたのでいつ大噴火が起きてもおかしくはない状況でしたが、まさかあの規模の噴火が起きるとは予測はしていてもそれが今だとは、ハワイ島に住む方々も思っていなかったのではないでしょうか。
自然の成すことで人知が及ばない部分故に、私たちはただ見ていることしかできませんが、人に被害が及ばないことを願いたいです。
一方、トルクメニスタンの地獄の門。
コチラは地球が作り出した炎ではなく、人間のミスにより起きてしまった事故の結果生まれた絶景です。
今から50年前に、ソ連の科学者たちがもう少し慎重に行動をしていれば、二酸化炭素をまき散らすあの光景も生まれなかったに違いありません。
まぁ、そのお蔭で地球上ではあそこでしか見ることの出来ない地獄の一丁目の光景があるのですから、文句は言いませんが…。
さて、御年74歳の母上は【地獄の門】の淵に立ち、炎をじっくりと眺めながら、一言、呟いておりました。
「地獄の風景はたっぷりと予習できたし、もう何も怖いものは無いわ…」と。
キラウェアもですが、母も年々パワーアップしている様で、この先がどうなるのか、楽しみでもあります。
-
- らびたんさん 2018/05/21 08:44:35
- 日没後の丘
- ウェンディさん、こんにちは(^^)
待ってました~地獄の門!
想像以上でした。
こんな近くにキャンプ張れるのも想定外でしたし(といってもウェンディさんたちはもっと近くに行けないのかと聞いたくらい距離はあるんですね)、時間を変えて何度も近づくなんて、1000ドルの価値ありますね☆
特に感銘を受けたのは、日没後の丘。
あそこからの景色は人の姿が影のように入ってとても素敵です!!
夜中の誰もいないガスクレーターも良いのですが、狼は怖すぎます。。
余談ですが、私と母の2人旅、初めては同じカンボジアでした。
2002年のことになります。
暑さにやられ、吐いたのは若い私のほうw
それから九寨溝やソウルなど母子で出かけましたが、当分は無理かなあ…やったとしても三世代だろうなあと思っています。
地獄の門は単身で行くとそれこそ1人1000ドルかかるでしょうし、できたら複数で行きたい場所です。
かといって、娘と2人旅はモロッコ以上に厳しいでしょうしね(^◇^;)
でもいつか必ず日没後の丘からあのガスクレーターを眺めてやりますよっ!
続きも楽しみにしています(^^)
らびたん
- ウェンディさん からの返信 2018/05/21 19:37:30
- RE: 日没後の丘
- らびたんさん こんばんは。
地獄の門は、噂以上に凄い処でした。
写真は様々なブログで見ていましたが、自分の五感で味わうのと写真では大違い。
一晩、寝ないで眺めていたい…と思う程の場所でした。
でも、昼間はかなりショボイ感じで、その落差には笑いが出る程でした。
次回の旅行記で、日中のアレレ・・・なガス・クレーターも紹介したいと思っています。
お嬢さんと地獄の門へと一緒に行くとしたら、小学校高学年からですね。
地獄の門の周りには柵も何もないので、小さな子供では危なっかしくって見ていられないと思います。
文化や景色系の旅はある程度子供が大きくなって、知識として吸収できるようになってからがお勧め。
我が家も娘が小さい頃は、ひたすら自然系の旅でアメリカやカナダの国立公園で野生動物を探すハイキングに行ったり、オーストラリアのグレートバリアリーフで泳いだり、ニュージーランドでトレッキングしたりと、子供の理解できるレベルに合わせて旅をしてきました。
母と私の二人旅は私の結婚〜子供が10歳になるまでは封印していましたが、実は母+私+娘の三世代(相棒は抜きで)の女旅はちょこちょこ出かけていました。
コレも基本的には子供の体力や理解力に合わせてですが、娘が3歳の頃には3世代でケニヤにサファリに行き、5歳にはソウルに行き美味しいものを食べ、韓服のコスプレ写真を撮り、7歳の時にはモンゴルで遊牧民のゲルにホームステイし3人で草原を馬で走り回ってきました(娘はインストラクターのお兄さんの前に座らせました)。
モンゴルでの異文化体験は娘にとってはかなりインパクトがあったようで、今でも、面白かった〜。また、行きたい!と言っています。
らびたんさんもあと7年もすれば、お嬢さんとオトナ旅ができるようになると思います。
今はお嬢さんの体力や興味に合わせての旅になるとは思いますが、それでもいろんなところがあるので、是非、母娘そしておばあちゃんも巻き込んでの旅を、楽しんでくださいね。
ウェンディ
-
- norio2boさん 2018/05/20 22:28:58
- 旅行記拝見しました!
- ウェンディさん
いつも楽しく旅行記拝見しています。
親孝行の娘と元気な母との旅行記シリーズ拝見しています。10年前の母娘旅行記も楽しませて頂きました。
僕も今年72歳になります。
ウェンディさんのような親孝行の娘がいれば良いのですが。
旅行記には描きづらいご苦労もあると思います。
楽しく安全に旅を続けられ無事にご帰国される事をお祈りします。
- ウェンディさん からの返信 2018/05/21 00:18:44
- RE: 旅行記拝見しました!
- norio2boさん こんばんは。
母と私の2人旅の始まりは、24年前のカンボジアの旅が最初でした。
カンボジアの次はしばらく時間が空いて、10年前のペルー旅。
そして、その後はなんだかんだと、続いています。
私が親孝行娘かどうかは別として、母は私の企画するちょっと変わった母娘旅を楽しんでいる様です。
ただ、さすがに年齢も年齢ですので、ハードな旅は出来なく旅のペース配分はのんびり目にしてあります
そんな母の次なる希望の旅先は、イラン。
イランは私自身も非常に興味のある国ですが、ムスリムが多い国の中ではかなり宗教色の強い国ですし、女性が旅をするには制約も多くて、母を私がエスコートしきれるのかが悩ましいところです(旅先では、私は添乗員兼現地係員・相談役を全てかねますので)。
まずイランに行きたいのならば、母自身の体力アップが必須なので、そこら辺から母に取り組んでもらおうかと思っています。
行きたい…と思う気持ちがあるならば、連れていてあげたいですし、私自身も愉しみたい。
次の旅の予定はまだ白紙ですが、母にやる気があるならば、70歳代後半でのイラン旅も夢ではないと思っています。
-
- ねもさん 2018/05/20 22:22:34
- 地獄の門(@_@)
- ウェンディさん ご投票ありがとうございます。
毎度、読み応え満載のレアな旅行記ありがとうございます。今回もヒマラヤトレッキングに負けません(^o^)
ウェンディさんの旅人魂は並外れていると思います。きっと「そんな~、好きでやっているだけです」と言われると予想しますが。それに波長が合って楽しまれているお母さまも素敵です。母娘2代の旅人魂は、お嬢さんにも受け継がれているのか興味津々(笑)
かなり山を歩いていてもテント泊したことない人は珍しくない、むしろ多数派だと思います。ウェンディさんや私なら何でもwelcomeでしょうが、一般人には山小屋泊まりでも自炊となると結構高いハードルのようです。
お母さまも、困るというニュアンスじゃなかったのではないですか。
- ウェンディさん からの返信 2018/05/20 23:43:18
- RE: 地獄の門(@_@)
- ねもさん こんばんは。
先日は、ノルウェーのプレーケストーレン編を拝見しました。
お子さんがまだ小さい頃の記憶を思い出しながら書く旅行記、読んでいて親心を感じました。
今回の地獄の門での母のテントデビューですが、多分、シチュエーションはねもさんが考えていらっしゃるのとは逆かも。
74歳での初デビューならば、お祝いのシャンパンでも持って来れば良かった♪って意味ですヨ。
母はテント宿泊を愉しんでいましたし、寝付くのも私よりも早かったです。
何処にでも適応力があるのが、母の取り柄の一つの様です。
- ねもさん からの返信 2018/05/21 09:08:40
- あははっ!
- ウェンディさん ご返信ありがとうございます。
コメントの前半ではウェンディさん母娘を分かっているようなふりしているのに、ホントは理解していませんね(苦笑) これからは、ウェンディさんを常識で計らないようにします。
norio2boさんとのやりとり拝見しました。私が聞きたかったことが書いてあって、な〜るほどと思いました。
何でもメモしておくのが好きなので、当時の記録をアップしてみました。結構「熱い」書きぶりでしょ!?
改めて写真を見ると、夏のピークなのに混んでいなくて、有名になる前に登れてラッキーでした。
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