2018/04/29 - 2018/05/05
5位(同エリア145件中)
ウェンディさん
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- 旅行記382冊
- クチコミ2269件
- Q&A回答130件
- 2,389,250アクセス
- フォロワー354人
2018年のゴールデン・ウィークは御年74歳の母と共に中央アジアのトルクメニスタンとウズベキスタンへ。
ウズベキスタンと言えばシルクロードのオアシス都市のイメージがまず最初に頭に浮かんできますが、トルクメニスタンって…あんまり出てこないですよね。
それこそ、トルクメニスタンって何処にあるの?状態だと思います。
それもその筈。
トルクメニスタンは現役バリバリの独裁者国家で、外部に対して積極的には情報発信をしない国としても有名で、私自身も大学の図書館でトルクメニスタンの歴史や社会背景を調べようとしてもなかなか書籍が見つかりませんでした。
それでも調べていくとトルクメニスタンにまつわる情報は出てきましたが、その内容は首をかしげたくなるような話ばかりで、特にソ連から独立後に現在の政治の基礎を築いた初代大統領のニヤゾフ氏が制定した法律などは、その情報の真偽を疑いたくもなる物でした。
その内容を少しだけピックアップしてみると…、
・メロンの日を制定。(大統領の好物がメロンだったから)
・コレラやエイズについて市民が言及することを禁止 。(理由不明)。
・首都と大学以外の地方図書館を全て廃止。 (本を読みたきゃ、首都まで来い!)
・大病院は首都にあればよい。地方の大病院は廃止。(大病をしたら、首都まで来い!)
・TVのニュース・キャスターの化粧禁止。(民族の肌色こそが美人の基準)
・インターネットの禁止。(外部からの情報遮断)…などなど
どう考えても、「これは、ありえない」と思うような法律ですが、どうやら本当にこのような法律が施行されていて、初代大統領のあまりの横暴政治ぶりに、諸外国からつけられた綽名(あだな)が「中央アジアの北朝鮮」。
で、今回の旅で実際に訪れたトルクメニスタンがどんな国だったのか…。
1泊2日の短い滞在でしたが、その様子を【地獄の門】と絡めながら綴っていきたいと思います。
☆★ この世の果て〈地獄の門;Darvaza Gas Crater〉へ♪ 旅程 ☆★
□4/29 成田09:25-11:50仁川15:45-19:20タシケント(大韓航空)
□4/30 タシケント06:10-07:50ウルゲンチ(ウズベキスタン航空)
ウズベキスタン→徒歩で国境越え→トルクメニスタン
クフナ・ウルゲンチ遺跡→地獄の門へ(テント宿泊)
■5/1 地獄の門→国境越え→ヒヴァ
□5/2 ヒヴァ観光
□5/3 カラ巡り/カラカルパクスタン共和国
ウルゲンチ21:00-23:45タシケント(ウズベキスタン航空)
□5/4 タシケント観光
タシケント21:20-
□5/5 07:35仁川
10:00-15:00 ソウル・トランジットツアー
仁川17:40-20:00成田(大韓航空)
☆★ 2018 トルクメニスタン&ウズベキスタン旅行記☆★
【1】74歳の挑戦は中央アジアの北朝鮮!? http://4travel.jp/travelogue/11357817
【2】人生初のテント泊は地獄の淵で https://4travel.jp/travelogue/11361217
【3】独裁者政権の国って…? https://4travel.jp/travelogue/11368500
【4】ヒヴァで両替難民となる https://4travel.jp/travelogue/11384186
【5】ホレズム国で異文化交流 https://4travel.jp/travelogue/11578357
【6】潜入!カラカルパクスタン共和国 https://4travel.jp/travelogue/11579369
【7】地図にない“失われた砂の国” https://4travel.jp/travelogue/11668444
【8】タシケント別腹 バザール紀行 https://4travel.jp/travelogue/11669984
姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅☆
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
【姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅】
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
御年74歳となる母とのゴールデン・ウィーク旅の行先はトルクメニスタンの砂漠。
普通に考えたら、気温が30℃近くまで上がる5月の砂漠にお婆ちゃんを連れて行くなんて、非常識と思われるかもしれない旅。
私自身も母が興味を示さなかったら、砂漠旅は諦めようと思っていた。
ところが母ときたら、私からトルクメニスタンのカラクム砂漠にある【地獄の門】の写真を受け取るや否や「行きた~い」の返事をLINEで送り返してきて、その場で旅が即決。
多分、砂漠の何たるかをあまり深く考えずに、母の持つイメージだけ(きっと砂の丘陵と駱駝の風景の中で燃える地獄の業火のイメージ)で返事をしたのだろうが、その楽天的なところが母の良さで、変な先入観を持っていなかったのが幸いしてか、無事に砂漠を旅をすることができた。
初めてのテント泊に、草原トイレ、そして砂漠でのBBQ。
砂漠での経験の殆ど全てが母にとって初体験だったのだが、どうやらその全てが彼女にとってはワクワクすることで、五感をフルに使い【地獄の門】を楽しんでいた。 -
イチオシ
地獄の門へとやって来た昨晩は24時頃にテントの寝袋に潜り込み、アッというまに夢の世界へ。
そのまま朝まで爆睡かと思いきや、砂漠の夜は寒く、真夜中の3時に目が覚めて布団の中でもぞもぞ…。
身体の中から湧き上がる生理的欲求に耐えかねた私と母は、テントを出て真っ暗な草原の中へとお花を摘みに。
そして、そのついでに足を延ばした地獄の門は、漆黒の闇の中に浮かびあがる赤銅色に輝く深淵。
クレーターから沸き起こる熱気が空気を揺らし、闇の中の筈なのに、その景色が揺らぐ不思議。
私たちの踏む砂の音だけが聞こえてくる世界で、炎が湧きあがる地獄の淵の二度とは体験できないであろう時間を母と共に過ごした。
この日の旅行記の始まりは、そんな一晩を過ごした砂漠の夜明けから…。地獄の門が閉鎖されるという噂は本当か? by ウェンディさん地獄の門 洞穴・鍾乳洞
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朝、目覚めたのは5時過ぎ。
砂漠の朝は冷え込むかと思っていたが薄手の長袖シャツの上に厚手のパーカーを羽織っていれば、寒さは殆ど感じない。
目覚めの水を一口飲んだ母と私は、テントを抜け出して地獄の門がある灰色の大地へと向かう。 -
朝の地獄の門は、真夜中に見た赤銅色の地獄の釜の風景よりはおとなしめだが、それでもなかなかの迫力。
-
イチオシ
崖の上から炎の立ち上る穴の底を覗き込むと、明るい分だけその深さを感じとれる。
-
穴の深さは約20m。
つまり、ビル5階分程度の深さがある訳だ。
昨晩は闇夜の中だったので穴の際キリキリまで近づいて地獄の焔を堪能できたが、朝の光の中で改めて眺めると、崖の際の土壁のもろさがハッキリと分かり、恐怖感を煽る。 -
地獄の門の周りを歩きながら、全体が分かるようにスマホでパノラマ撮影。
全体像として眺めると、天然ガスがすり鉢状となった穴底や崖壁から吹き出し、そこに着火した焔が絶えることなく燃え続け、【地獄の門】というその名の意味もよくわかる。
焔の蟻地獄・・・と呼んでも良いのかもしれない。 -
ガイドさんの話によると「観光客による穴の中への転落事故は起きていない」とのことだが、本当なのだろうか。
焔で焼かれてもろくなった崖際の土壁は、つま先で軽く蹴るだけでぽろりと剥がれ、燃え盛る穴の底へと転がっていく。
焔は、その一息ごとに穴壁にダメージを与え続けている。
不注意な観光客が穴の崖際に寄りすぎ、その足元の地面がほろりと崩れ落ちた…なんていう事故も十分に考えられる条件だ。
実は転落事故は無かったのではなく、起きていても一晩で綺麗に燃えて炭化してしまい、何も起きていなかった…と言う事にしてあるのではないか…そんな邪念が頭をもたげてきてしまう。 -
ゆっくりと周囲に明るさが満ちてくると、地獄の門の周りの地面の様子も良くわかるようになってきて、そんなところの観察も面白い。
砂漠の大地には小さな昆虫の姿もあったのだが、私の目を引いたのは動物の足跡。
この写真は四足動物の足跡で、足幅から推測するとサイズは柴犬位だろうか。
足跡の持ち主が砂漠狐ならば会ってみたい~となるのだが、この足跡を見つけた時に私の頭をよぎったのは、昨晩の真夜中に聞こえてきた砂漠狼の遠吠え。
地獄の門を眺めに来た人間たちが放つ美味しそうな匂いにつられて、夜中に狼が近くまで寄ってきていたのだとしたら…と考えたら、背筋がぞわっとした。
北米の国立公園では山でテントを張る時には、全ての食べ物や匂いのする人工物はテントから100mは離れたフード・コンテナと呼ばれる鉄製の大きなケースに入れて保管をするのがルールとなっている。
これは、たとえ人工的な匂いに引き寄せられた熊がキャンプ地にやって来たとしても、テントに眠る人が襲われにくくする工夫なのだが、地獄の門のあるダルバサのキャンプ地ではそんなことは全く考慮されていなく、狼の危険について何も考えていなかった私たちは自分たちのテントの中に化粧品やらいろんな匂いのする物を持ち込んでいた。
砂漠には巨大な熊は居ないが、砂漠狼がいる。
狼たちが集団で夜中にテントを襲ったとしたら…私達にはなす術はなかっただろう。 -
イチオシ
そんな風にプラプラと地獄の門の周囲を歩いていたら、地平線から射しこむ一筋の光が目に入った。
-
時刻は6時過ぎ。
日の出の時間だ。 -
夜の薄暗さを残す砂漠の灰色の大地が、太陽の出現と共に一気にオレンジ色に染まる。
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先ほどまでは存在しなかった影が砂漠のキャンバスに描き出され、母と私の姿も、こんなに足長に。
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地獄の門越しに見えるキャンプ地のある方角の砂漠も、見事にオレンジ色に染まっていた。
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お日様が高くなってくると、一気にスケールダウンしてしまうのが、地獄の門。
焔の実際の大きさは真夜中と全く変わらないのだが、太陽の光のパワーは焔の作りだすソレよりも明らかに強力で、先ほどまでメラメラ壁を這い上がっていた焔が小さくなったように見えてしまう。 -
時刻は6時半。
そろそろキャンプ地に戻ってテントの撤収をしなくてはならない時間だ。 -
地獄の門をしっかりと心に焼き付けて砂漠の中へと歩き出した私達。
-
イチオシ
でも、この景色を次に見に来ることはないと分かっているだけに、何度も足が止まり、後ろを振り返っては炎の絶景を眺めてしまう。
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キャンプ地に戻る私たちだが、そのまま真っ直ぐにテントへと戻ったわけではなく、チョット回り道。
この時間以上に遅くなると、厄介なことになることを先に済ませてしまおう…とあるモノを探していた。
有るモノとは、腰丈位の草むら。
私たちのキャンプ地にはトイレは無く、草原の何処もがトイレとなる場所なのだが、地平線まで砂漠が広がるこの場所では、かなり遠くでもはっきりと様子が分かってしまい、これ以上周囲が明るくなり過ぎると、女性にとっては草原トイレの場所を探すのもなかなか大変になってくる。
だから、まだ空に暗さが残り、地平線に居る太陽が逆光で私たちの姿をくらましてくれている内に草原トイレを済ましてしまおう作戦だ。 -
尿意を感じる度に砂漠の中を放浪するのは面倒くさい…かもしれないが、人が踏み込まない砂漠の大地には可愛らしいものが沢山。
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砂漠の中を5分と歩かない内に、野の花や不思議なモフモフの草(多分、綿毛なのだろう)を見つけた。
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キャンプへと戻ると、5人のスタッフが朝食の準備中。
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薪の焔の中には真っ黒に煤のついたヤカンの姿。
大量のガスが燃える地獄の門がすぐ傍にあるのだから火なんて簡単に手に入りそうだが、穴から噴き出すメタンガスは空気にすぐに溶け込んでしまうので、捕集して燃料にするのは難しい。 -
お湯が湧いたら、今度はパンに挟むソーセージを焼く時間だ。
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朝食も終え、太陽もすっかり高くなった朝8時。
幻想的な雰囲気を作り出していた朝の空気も消えてしまい、太陽もじりじりと熱を帯びてきて皮膚を焼き始める頃が、キャンプからの撤収の時間。
キャンプに居たのは約14時間。
その間に地獄の門へと足を運んだ回数は4回。
いつか自分の目で見てみたい…と思っていた景色に出会えた14時間は、短いようで充実した一夜だった。 -
此処から先はトルクメニスタン国境へと送ってもらい、ウズベキスタンへと戻るだけ。
母と私を載せた車は一路、トルクメ二スタンとウズベキスタンの国境の村:Shawat(シャワット)へと向かう。
シャワットまでの道は砂漠の中の1本道。
途中に出会うのは草を食む駱駝の群れ位しかない。 -
しかし、車で3時間も走ると次第に道路状態が良くなり、ガードレールが設置され、道行く家畜も駱駝から、牛へと変わってくる。
どうやら、ウズベキスタン第二の都市であるDashoguz(ダシャボウズ)に近づいている様だ。
そして、この車の中で私たちのガイドのダブロンさんから思わぬ提案があった。 -
その提案とは…、
もし君たちが望むならばトルクメニスタンでランチをして、ダシャボウズの街を少し見て行かないか?と言うもの。
そんな素敵な提案を断る理由は、母と私には、どこにもない。
ガイドがついていなければ観光できない国、トルクメニスタン。
その国を探検する(歩き廻れる)だなんて、こんなチャンス滅多にあるものではない。
実はガイドさんからのこの提案には裏事情があり、ウズベキスタン国境側で私たちを待ち受ける迎車が何らかの理由で3時間位遅くなるので、トルクメニスタン側で時間調整をしてほしい旨の連絡が、ウズベキスタンの手配会社からあったらしい。
どんな事情にしろ、私たちにとっては二度とは来ないチャンス。
母と私はガイドのダブロンさんの誘いに二つ返事で飛びついた。 -
と言う訳で、車はダシャボウズの町の中へと入っていったのだが、町の中はまるで一昔前に作られた未来都市を扱うテーマパークかと思うような建物がいっぱい。
-
殆ど人が歩いていない幹線沿いに立つ大きな建物のベースは白色で、その殆どが政府機関の建物だ。
白い建造物が多い理由は、現職の大統領であるベルドイムハイドフさんが無類の白色好きだから。
独裁者国家のトルクメニスタンは、大統領の好みで政府の建物の色も決まってしまう国。
ベルドイムハイドフ大統領が就任した2006年以降に建てられた公共施設は白色をベースとした建物が多いそうだ。
特に首都のアシガバードに行くとその傾向は顕著で、高価な大理石を用いた白亜の建物が道路に直線的に並ぶ美しい光景(それを美しいというかどうかは私には賛同できない部分ではあるが)を見ることができる…というガイドさんの話だった。
トルクメニスタンの透き通る青い空に白い建物は色としては映えるからまだ良いとは思うが、大統領がもっと変わった色が好きだったら、国民はきっと苦労していたことだろう。 -
そんなちょっと不思議な町の中を走り抜けた車が辿り着いたのは、レストラン。
ここで、ランチを食べてからダシャボウズの街散歩となる。
私たちは軽めのランチが希望で、大地の恵みをタップリ受けた野菜サラダとかぼちゃのスープをオーダー(サラダ+スープ+お茶で8US$)。
ガイド氏曰く、トルクメキスタンのかぼちゃのスープは素朴だがどこにも負けない味だという事。
その言葉に違わず、カボスを絞って飲む濃厚なかぼちゃのスープは自然タップリの味で美味しかった。
そして、塩分の豊富な土地で育ったトマトも甘みが内側に閉じ込められていた。
この食事の時にガイドさんから受け取ったのが写真の下側にある用紙で、この用紙は「トルクメニスタンに入国してからの2日間、この人は旅行会社によってしっかり管理されていました」という証明書。
これさえ持っていれば、私たちは多分、無事に国境を越えてウズベキスタンに戻れる筈だ。 -
食後は、下町のバザール(市場)へ連れて行ってくれるとのこと。
車は白い町並みの中から段々と下町風の建物が並ぶエリアへと入っていく。
道沿いにはパラボラアンテナが立ち並ぶマンション群が見えていた。
下町って言っても、けっこうちゃんとしたビルが建っているんだね…なんて母と話していたのだが…。 -
ビルの裏側へと車が回りこんだ時に見えてきた景色に、おもわず噴き出してしまった。
だって、綺麗に見えたのは建物表面を覆う化粧板のハリボテで、道路沿いの目立つところは見栄を張ってみました状態。
本当の建物は煉瓦を積み重ねたアパートメントで、裏から見るとかなりの年代物であることが明らか。
とりあえず、表面を取り繕ってみた…と言ったところなのだろう。
この様子を見て思い出したのが、日本の近くにあるもう一つの独裁者政権の国。
あの国の建物もこんな感じで写真に写る側は立派だけれど、裏へ回ったらまだ建設途中の張子だった…というニュースを昔、やっていたよね。 -
そして下町エリアで、ちょっと目を引いたのが学校帰りの学生たちの姿。
小さな子供から高校生くらいのお姉さんたちまで、その制服と帽子は同じデザインに統制されている。 -
イチオシ
更に、髪形にも驚いた。
トルクメニスタンはムスリム(イスラム教を信仰する人達)の多い国で、イスラム教では女性の髪の毛はある程度の年齢になったらスカーフ等で隠さなければならないのが教えの筈。
それが、トルクメニスタンでは学生の女の子たちは揃いもそろって、三つ編みに結った髪を前に垂らしている。
これには理由があり、この三つ編みは遊牧民族であったトルクメニスタン人(元はトルコから流れてきた民族だとガイドさん談)の伝統的なスタイルで、女性は結婚するまで、この三つ編み姿が基本とされているそうだ。 -
それと、制服の緑色はトルクメニスタンの国旗の色。
-
国旗の色を子供時代から身に着けることで、国に対する忠誠心を養おうという国策なのだろうか。
女子学生の制服の色は基本的には緑だが、たまに赤ベースに緑色の配色された制服の女子学生の姿も見られた。
多分、それも国旗の配色なのだと思う。 -
因みに男の子は帽子のデザインは女の子と同じだが、制服のデザインは至って黒色の普通の制服だった。
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参考までに街で見かけたオトナの女性の服装は基本的には先ほどの女子学生の制服の色を変えたデザインで、異なるのは髪の毛のまとめ方。
女性は結婚すると髪の毛を上げて、独特の形に結い上げるそうだ。 -
しかし、それにしても女性の服は見事にボディコンシャスなデザインで、体のラインがくっきりと分かる形だ。
たまに欧州っぽい(普通のT-シャツ)服装をしている方もいたが、それは非常に少数派で、大抵の方がバストとヒップ、そしてウエストラインが強調される形を好んで着ている感じだった。 -
車窓から人間ウォッチングをしていたら、あっという間にバザールへと到着。
バザールと言えば、ローカルな人達の生活が垣間見える場所。
此処ならば白色で化粧したトルクメキスタンではなく、実際に此処で生きる人達の表情に出会える。
そんな期待を持って、バザールの門をくぐった。 -
バザールを入るとまず最初の建物の中にあったのが意外にも甘味屋さんで、ショーケースの中には大きなケーキが沢山。
-
イスラム教ではお酒を禁止しているので、ムスリムの国では男性でも甘党の方が多く、トルクメニスタンでもきっとそうなのだろう。
ケーキは生クリームのデコレーションと言うよりは、バタークリームで飾られている感じ。
多分、脳がとろけそうなくらい甘いのではないかな(私は苦手かも)。 -
イチオシ
中央アジアではおなじみのナッツやドライフルーツ屋さんも多くあるのだが…あまり繁盛している様子はない。
ウズベキスタンでは大人気のお店なのに、国民性の違いなのだろうか。 -
こちらは香辛料を扱うお店。
香辛料は私の大好物なのでちょっと買ってみたかったのだが、今回の旅では滞在が2日間と短いことも有り、トルクメキスタンの通貨であるマナットには両替はしていなく、持っているのはUS$だけ。
トルクメニスタンでは基本的には外貨での買い物はできなく(観光客用の契約レストランなどでは例外的に闇…と言う形でドルで食事ができるらしい)、マナットを持っていない私たちは欲しいものがあっても指をくわえて見ているだけ。
(バザールの中はかなりの数の警官が巡回しているので、ドルで買い物をしているところを見つかったら、私たちもお店の人も大変なことになるので、絶対にやってはいけない)
バザールに来られるのならば、マナットを入手しておいたのに!!!!と、ちょっと後悔。 -
バザールの屋外テントには女性物のお洋服屋さん。
コチラは家の中できる普段着だそうだ。 -
しかし、トルクメニスタンの女性にとって大事なのは普段着の店ではなく、こちらの伝統的な民族文様が織り込まれた胸飾りを売るお店。
トルクメニスタンでは、どの様な柄や色をした胸飾りの布を選ぶかが、オンナとしてのセンスの良さ示す指標となる。 -
お店のオーナーのおば様に許可を貰って、その首飾りを縫い付けた服装の姿を写真に撮らせてもらった。
トルクメニスタンでは、基本的には人物の写真を目的として顔がハッキリと写真を撮る際は、必ず許可をとらなければならない。
ただし、風景として人が写りこむ場合は例外で、先ほどまで紹介していた後姿の女性たちの写真は全て風景写真からトリミングで切り取ってきたものだ。
トルクメキスタン女性が外出時に着る服はオーダーメイドで(ほとんどが自分で仕立てるそうだが)、自分の体型に合わせて布を裁断し、そのメインの布に合わせた民族文様の織り込まれた胸飾り布をどのようにチョイスするかが勝負どころ。
服のベースとなる生地と胸飾りの組み合わせは数万通り以上あり、他人と被らずにどれだけ素敵なお洋服を作れるかが女子力の見せどころとなるらしい。 -
そして、その女性のおしゃれに欠かせないのがコチラで売っている帽子。
この帽子が無いと、トルクメニスタン女性の真の美しさは完成しない。
でも、こんな派手な帽子を被って居る方なんて見なかった気がするのだが…。 -
この帽子が活躍するのは、その柄ではなく形。
既婚の女性たちはまとめた髪をこの帽子の中に丸め入れ、更に帽子の上からカラフルなスカーフで頭を覆い、独特な頭の形を作り出す。 -
若い奥様風な方からおばあちゃま風な方まで、装いに合わせたスカーフで頭を覆っている姿をあちこちで目にした。
-
バザールで衣類を見るのも面白いが、主婦として興味を惹かれるのは食料品。
イスラムの国にしては珍しくソーセージがある!と思ったら、なんと中身は豚ではなく、羊肉だそうだ。 -
野菜売り場には、農家のおばさん達が朝に取って来たばかりの畑の野菜をズラリと並べて、圧巻の風景。
野菜の種類は日本で私たちが目にする野菜と殆ど変らないが、いわゆる青菜系の葉モノは殆ど見かけなかった。
そして農家のおかみさん達の服装は、日本で見慣れている動きやすい恰好で、先ほどまでのお買いものをしていた奥様方の民族的な装いとは大違い。
野菜を売るのにあんなボディコンシャスな恰好をしていたら、動きにくくって仕方ないものね。 -
トルクメニスタンのある中央アジアではプロフと呼ばれるチャーハン的な料理が主食として一般的で、バザールでは様々な種類のお米が扱われていた。
海外のお米と言うと長粒米を思いうかべるが、バザールでは日本で食べる様な短粒米も多く見かけた。 -
活気溢れるバザールの風景。
本当はこんな場所ではガイドさんから離れて、1人であっちこっちをフラフラと歩き廻りたいのだが、それが出来ないのがトルクメ二スタン。
ガイドさんが私たちにぴったりとくっついているのは、それが仕事だから…と言う事もあるが、それ以上に彼が気にかけていたのはバザールの中を巡回している警察(兵士)たちの姿。
兵士によってはカメラを持つ観光客にイチャモンを付ける人もいて、かなり厄介らしい。
トルクメン語もロシア語も分からない私たちがそんな輩に掴まったら、大変。
だから、ガイドさんは兵士の姿を見かけると上手に私たちを彼らから目につかない所へと誘導してくれた。 -
市場の片隅には男性用の衣料品屋さんもあったが、女性用に比べるとその品数も店舗数も少なめだ。
-
市場を歩いた時間は40分位。
これがバザール(市場)の見取り図だが、私にはチンプンカンプンの言葉だった。 -
バザールの次にガイドさんと訪れたのは、白亜の建物の一つの中にある場所で、KAMILと云う名のスーパーマーケットだ。
スーパーマーケットと言っても決して安売りスーパーではなく、ちょっとハイソな家柄の方々(外交官の奥さまなどは町のバザールにはとても行けない…らしい)がお買い物をする高級スーパー。
中でお買い物をしていた方々を観察すると、先ほどのバザールで見かけた民族色溢れる服装の方は殆どおらず、如何にも…と言う方々達ばかり。
売っている品物はバザールの商品と変わらないそうだが、野菜などはバザールで見かけた野菜の方が新鮮で美味しそうな気がした。
私がトルクメ女だったら、間違いなくバザールで買い物をすると思う。 -
そして、トルクメニスタンでの最後の場所は国立歴史博物館。
此処は有料で一人5US$が必要な施設だ。(政府施設はドル払いでもOKというところが不思議だよね)。
国境に行くまであと1時間を切っているので全部の展示は見られないかもと言う事だったが、日本に居てはトルクメニスタンの歴史に触れる機会など絶対にないので、時間ぎりぎりまで見学することに。 -
歴史博物館の建物は、例に漏れず白が基調の建物だった。
-
入口までの手摺はキンピカ仕様で、若干、成金趣味が垣間見える気がした。
-
建物の中へ入るとそこもまた豪華絢爛な内装で、歴史博物館と言うよりはまるで宮殿みたい。
しかし、こんなに立派な建物なのに、見学者は母と私の二人だけ。
歴史博物館なのにどうしてなのだろう…と思っていたのだが、見学を始めたら、その理由がすぐに分かった。
博物館は三階建なのだが、一番広い1階部分に展示されていたのは、大統領が如何に偉大なのか…を誇示する展示で、中央アジアの北朝鮮♪というあだ名に名前負けしない展示内容だった。
2階以降にようやく石器時代に始まるトルクメニスタンの自然や民族の展示があり、見ればなんとなく内容が想像できる展示だったが、建物の割には展示内容のクオリティが微妙で、博物館の展示レベルとは言えないモノも多かった。
が、トルクメニスタンの人々の服装の遍歴や土器や貴金属、そして生活器具の展示はなかなか面白く、私的には行けて良かった場所だ。
博物館に滞在できたのは30分位で、見学できたのは2階まで。
この展示内容で一人5米ドルは暴利だとは思うが、学校の社会科見学に使うにも微妙なので、海外からの旅行者くらいしか来ないのかもしれない。
(内部の写真撮影は別途有料とのことだったので、展示物の写真はない) -
13時半。
歴史博物館を出て、ウズベキスタンとの国境の村シャワットへと向かう。 -
帰路の国境越えでは、出国手続きに若干手間取ったもののトルクメニスタンの旅行会社が発行してくれたENTRY TRAEL PASSのお蔭で殆ど問題なく、国境を通過できた。
唯一ドキッとしたのが荷物チェックでカメラが見つかった時で、X線に映し出された一眼カメラを見て係官が、リュックからカメラを取り出して私がトルクメニスタンで何を映したのかを逐一チェックしだした時だ。
車窓から風景を撮りながら女性の後ろ姿を追っていた私はドキドキだったのだが、係官は手にしたカメラの再生ボタンを何故か逆方向に動かしていた。
再生ボタンを逆に動かした場合、カメラが再生するのはSDカードの最初に撮影した部分で、この時使っていたカードの使い始めは皆既月食での月が欠ける様子で、係官は再生ボタンを押してもひたすら続く月の写真に呆れたように「君は、トルクメニスタンに来て月ばかりを撮っていたのか?」と言っていた。
私はあえて否定せずに、月が好きだから…と言う返事でやり過ごしたのだが、もし、人物写真が見つかっていた場合、消されていた可能性もあったのかもしれない。 -
イチオシ
トルクメニスタン側のゲートをくぐったのが14時で、ウズベキスタン側のボーダーを抜けたのが15時。
トルクメニスタンの国境は昨日の入国の半分の時間で通過でき、ウズベキスタン側のボーダーではきちんと迎えの車が私たちを待っていてくれて、16時にはこの日の最終目的地であるヒヴァ(ウズベキスタン)のホテルに到着できたのだが、ヒヴァで私たちを待ち構えていたのは、ウズベキスタンの現地通貨であるスムが手に入らない!!!という現実。
どうやら母と私の旅は、なかなかハッピーエンドの1日とは行かないらしい。
(写真:キョフナ・アルクのサンセット/ヒヴァにて)キョフナ アルク 城・宮殿
-
この日の旅行記の最後に、母と私の1泊2日のトルクメニスタン旅をアレンジしてくれた手配会社の事を紹介♪
今回のトルクメニスタン・地獄の門への旅を依頼したのは、在日本の手配会社であるウズベクフレンズ。
ウズベクフレンズは基本的にはウズベキスタン国内の手配会社だが、ウズベキスタン発の地獄の門への旅アレンジしてくれる。
質問に対するレスポンスも早く、情報も正確なので個人的には、お勧めできる手配先だと思う。
今回の依頼内容は↓
送迎:ウルゲンチ空港→ウズベキスタン国境、ウズベキスタン国境→ヒヴァのホテル
書類作成:トルクメニスタンビザの申請書(現地の手配会社が私たちの身元引受人になると証明する内容の書類)
トルクメニスタン国内での1泊2日での地獄の門へのツアーの組み立て:
1日目 トルクメニスタンの国境→クフナ・ウルゲンチ遺跡→地獄の門 (テントでキャンプ)
2日目 地獄の門→トルクメニスタンの国境
費用は1泊2日で1000US$/2人と決して安くはないが、地獄の門のすぐ傍で過ごせた一晩はまさにプライスレスで、個人的には支払った金額の価値は十分にあったと思っている。
日本での手配窓口
ウズベクフレンズ:http://www.uzbek.jp/
現地の担当旅行社
ウズベキスタン:Trust Travel
トルクメニスタン:DN Tours
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https://4travel.jp/travelogue/11361217
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この旅行記へのコメント (6)
-
- こあひるさん 2018/06/14 10:38:18
- ドキドキですね!
- ウェンディさん、こんにちは。
トルクメニスタン・・・まったく想像のできない独裁主義の国に潜入なんて、スリリングだけれど、ウェンディさんだから引き寄せた運命ともいえるかな。
女性などの人物を写さないように・・・だけでなく・・・色々、知らない規則が周りを取り囲んでいて・・・慣れたガイドさんがいないと、大変なことになりそうでドキドキ・・・。
でも、人々や街の生の様子がうかがえて・・・なかなか面白い旅行記でした。
最後に、撮った写真までチェックされるなんてビックリ・・・そこでも月のお写真だけで済んだ・・・ってのも、強運だわ~。
こあひる
- ウェンディさん からの返信 2018/06/14 19:54:34
- RE: ドキドキですね!
- こあひるさん、こんばんは。
入国する迄がドキドキのトルクメニスタンへの旅。
出発前に調べれば調べるほど奇妙な法律やらの情報がでてきて、いったいどんな旅になるのやらとある意味、変な期待を持っていましたが、実際に行ってみれば、同じ人間同士、そんなには仰天するようなことはありませんでした。
しかし、独裁者政権の影響なのか元々の民族性なのか、閉じた文化であると感じる部分が多々ありました。
例えば、血の繋がりや村が非常に重要視されていて、結婚も本人の意志以上に力があるのは親族の意見。
過去に対立したことのある集落間では、まず結婚は成立しないそうです。
もし、それでも当人同士か結婚を望む場合は結婚できなくはないですが、二人とも親を含む全ての親族から縁を切られ、生まれ育った土地からでていかなければならないとのこと。
短い滞在でしたので、あまり深い話は聞けませんでしたが、隣国ウズベキスタンの心底明るい人たちとのギャップの大きさに驚きました。
旅行記は今後、ウズベキスタン編へと続きます。
今回の旅では、ウズベキスタンに内包されるカラカルパクスタン共和国(聞いたことないですよね?)へも足を伸ばして来ました。
次に書く旅行記は中央アジアからはしばらく離れてしまいますが、夏くらいには紹介できればと思っています。
-
- きなこさん 2018/06/11 10:26:01
- 街歩きもドキドキ
- こんにちは
知らない街を歩くのってワクワクですが、今回はドキドキだったのですね
厳しく見張られているんですね
上手くトリミングして下さってるので人々の様子がよく分かりました
女性の髪の毛事情は面白いですね「なるほど、そうなんだ」と一枚一枚大きくして拝見しました。
衣装も素晴らしいですね流行りとかもあるんでしょうか?
先月行ったハザン省のマーケットで売ってる民族衣装は見た目は伝統的なのですが、全て中国からの「化繊」でした。日頃はお手入れしやすい物をって感じでした。
衣装を見るのも旅の楽しみですよね
きなこ
- ウェンディさん からの返信 2018/06/11 20:26:40
- RE: 街歩きもドキドキ
- きなこさん こんばんは。
トルクメキスタン女性の服装、なかなかセクシーでしょ。
小学生の時から体にフィットする制服で生活するので、自然にスタイルが良い体型になるのでしょうね。
そして、今回は正面からのお顔はあまり取れなかったのですが、トルクメニスタンって美人さんが凄く多い♪
だから高校生くらいの学生さんでも、思わず振り返って二度見してしまう位の学生が多くって、男性が旅したら、きっと顔がにやけてしまうかも…。
そんな美人さんが多いお国柄も有って、ソ連から独立後の初代大統領が出した法令の中にはトルクメキスタン女性は外国人の男性と婚姻禁止…なんていうのがあったんだって。
でも、どうしても結婚したい場合には国に多大なる税金を納めれば許可が出たとか…(ガイドさん談)。
実際、今でもトルクメニスタン女性は外国人との婚姻はかなり難しいし、トルクメニスタン国内でも住む地域が異なる部族間の結婚は親族皆が認めないと許されなく、更に、結婚式は二つの親族間の繋がりを結ぶ親族同士のお見合いの意味があるから、新郎新婦の親族だけで少なくとも400人くらいが集まって(普通は1000人位)パーティをするという話。
トルクメニスタンは、知らないことだらけで本当に面白い国でした。
そうそう、バザールで売っていた女性の服はベトナムと同じく化繊でした。
気軽にジャブジャブ洗えてすぐに乾いて、夏が暑い国では、便利ですよね。
-
- ねもさん 2018/06/11 07:32:25
- 毎度の力作
- ウェンディさん
地獄の門だけでも面白かったですが、続いてレアな街歩きまで。好奇心満々のお二人には、渡りに船というところでしょうか。
初めの変な法律も笑いながら拝見しました(現地の人々には笑い事じゃないですね)。「中央アジアの北朝鮮」ですか…… 本家のような周りの国への迷惑はなさそう?
- ウェンディさん からの返信 2018/06/11 19:54:56
- RE: 毎度の力作
- ねもさん こんばんは。
なかなか日本では紹介されないトルクメニスタンの服装事情などを旅行記で紹介してみました。
当初の予定ではトルクメニスタンでの観光はクフナ・ウルゲンチ遺跡と地獄の門だけの筈でしたが、バザールに連れてってもらえたり、大統領が如何に凄いのか〜をPRする歴史博物館に行けたりとなかなか濃厚な1泊2日の旅となりました。
地獄の門はもともとの目的でしたので十分堪能してきましたが、バザールの散策もそれに負けず劣らず興味深いものでした。
服装ひとつにしても着ているもののデザインの基本形が全て同じ(そういう意味では日本の着物も基本形は全て同じですね)で、その中で自分なりのオシャレな着こなしをされている方も多く、あっちを見たり、こっちを見たりとなかなか忙しかったです。
個人での自由行動が制限されてしまう国ですが、訪れて、自分の目で見て初めて理解できることもありました。
古い遺跡も多く、トルクメニスタンだけにターゲットを絞って旅をしても面白そうですよ。
ウェンディ
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