2018/04/29 - 2018/05/05
3位(同エリア307件中)
ウェンディさん
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この旅行記のスケジュール
2018/04/29
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トルクメニスタン国境を超えて、シャワットから徒歩でウズベキスタンへ入国
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車での移動
シャワットからヒヴァまでは車で約1時間
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イスラムベック・ヒヴァに宿をとる
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この旅行記スケジュールを元に
2018年のゴールデン・ウィークは御年74歳の母と共に中央アジアのトルクメニスタンとウズベキスタンへ。
トルクメニスタン2日、ウズベキスタン3日の旅程で旅をしてきました。
旅の前半に訪れたトルクメニスタンでの目的は、砂漠の中で煉獄の焔をあげる地獄の門。
母と共に地獄の門の傍らのテントで一晩を過ごし、暗闇の中に浮かび上がる負の遺産;ガスクレーターの姿を眼に焼き付けてきました。
そしてウズベキスタンは昨年に引き続き、2年連続の旅。
昨年にさんざん歩き廻ったので、ある意味、勝手知ったる国のつもりでいたのですが、たった1年しか時間が経過していないのにウズベキスタンの国内事情が様変わりしていて、母と私は入国時から戸惑うことが多くありました。
ウズベキスタンの国内事情がガラリと変わったのは政府の方針によるもので、政府が今まで適当になあなあの関係でやってきた〈昨年に旅した時は、国の施設での贈賄も日常茶飯事でした〉部分をキチンを規則化したため。
政府の様々な締め付けが厳しくなったおかげで、市民生活にはプラスになることが多くなり、公務員の横柄な職務態度も1年前に比べてかなり改善されたということでしたが、旅人にとってはメリットばかりではありませんでした。
昨年は、街中を歩けば【闇両替】に当たるとも言われているほど沢山いた両替屋さん(正規ではなく、闇レートと呼ばれる米ドルとの交換率の良い両替商)の姿が、政府の規制強化のおかげで、町の中から消えてしまいました。
そのせいで、母と私はトルクメニスタンからウズベキスタンに陸路移動してきた日に、ウズベキスタン通貨が手に入らない!という緊急事態に陥り、町の中を右往左往する羽目に。
両替難民となったのは私達母娘だけではなく、他の多くの旅人も困り果てていました。
そんなドタバタから始まったウズベキスタン旅行記は、独裁者国家トルクメニスタン国境を徒歩突破した母娘が、薄浅葱(うすあさぎ)色の古都ヒヴァに向かうタクシーの中からスタートします。
☆★ この世の果て〈地獄の門;Darvaza Gas Crater〉へ♪ 旅程 ☆★
□4/29 成田09:25-11:50仁川15:45-19:20タシケント(大韓航空)
□4/30 タシケント06:10-07:50ウルゲンチ(ウズベキスタン航空)
ウズベキスタン→徒歩で国境越え→トルクメニスタン
クフナ・ウルゲンチ遺跡→地獄の門へ(テント宿泊)
■5/1 地獄の門→国境越え→ヒヴァ
□5/2 ヒヴァ観光
□5/3 カラ巡り/カラカルパクスタン共和国
ウルゲンチ21:00-23:45タシケント(ウズベキスタン航空)
□5/4 タシケント観光
タシケント21:20-
□5/5 07:35仁川
10:00-15:00 ソウル・トランジットツアー
仁川17:40-20:00成田(大韓航空)
☆★ 2018 トルクメニスタン&ウズベキスタン旅行記☆★
【1】74歳の挑戦は中央アジアの北朝鮮!? http://4travel.jp/travelogue/11357817
【2】人生初のテント泊は地獄の淵で https://4travel.jp/travelogue/11361217
【3】独裁者政権の国って…? https://4travel.jp/travelogue/11368500
【4】ヒヴァで両替難民となる https://4travel.jp/travelogue/11384186
【5】ホレズム国で異文化交流 https://4travel.jp/travelogue/11578357
【6】潜入!カラカルパクスタン共和国 https://4travel.jp/travelogue/11579369
【7】地図にない“失われた砂の国” https://4travel.jp/travelogue/11668444
【8】タシケント別腹 バザール紀行 https://4travel.jp/travelogue/11669984
姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅☆
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
【姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅】
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
初めてその写真を目にした時から頭に焼き付いて離れなかった、大地に穿たれたクレーターで燃える炎【地獄の門】。
地獄の門は超独裁者国家;トルクメニスタンのど真ん中にあり、日本人には若干敷居の高い旅先ではあったのだが、今の時代、やる気になればある程度のことは出来てしまうもので、74歳の母と共に一昼夜を燃え盛る焔の傍らで過ごし、その大地のエネルギーを五感で味わってきた。
トルクメニスタンの出入国に当たり問題が何もなかったと言えば、そんなことはなく、ウズベキスタン国境とボーダーで多少のトラブルがあったが、トルクメニスタン側の現地エージェントが上手く動いてくれ、更に運の味方もあり、最終的には難なく出国し、ウズベキスタンへと再入国できた。地獄の門 洞穴・鍾乳洞
-
2018年5月1日15時。
トルクメニスタン国境からウズベキスタン国境の村シャワットへ徒歩で国境越えをした母と私は国境出口で待機していたタクシー(手配車)に乗り、一路、ホレズム王国の名残を現代に残す古都ヒヴァへと移動した。
トルクメニスタンとウズベキスタンは国境を隔てて1本道で結ばれている。
だから、地域の植生や土壌の性質も似通っている場所で両国とも同じような風景が続くのかと思っていたのだが、そんなことはなかった。
田舎道と言う点では両国とも同じなのだが、トルクメニスタン側では道路脇の大地に見えるのは、白く塩を葺いた荒涼とした土地。
一方のウズベキスタン側では、地面に改良剤を撒いているのか塩の大地は無く、街路樹が青々とした葉を付けた緑豊かな土地が続いていた。
国家の財力でいえば天然ガスという資源の豊富なトルクメニスタンがお金持ちなのかもしれないが、国民の事を考えて国づくりが行われているのはウズベキスタン側なのだろう。
独裁者国家のトルクメニスタンには天然資源からの莫大な収入が入るが、その還元先は国民ではなく、国のトップに居座る一部の方々の私腹となっているのかもしれない。 -
国境から1時間ほどでKhiva(ヒヴァ)の町へと到着した。
ヒヴァでお世話になるのはIslambek Khiva(イスラムベック ヒヴァ)ホテルで、場所は東門の近くにある。
実はこのホテルは本館と旧館に分かれていて、本館がIslambekホテル、そして旧館がIslambek Khivaホテルの名称で登録されている。
私の選択は宿泊料金が安い旧館で1泊の宿泊がツインルームで52ドル(朝食付)だ。 -
こちらが本館であるIslambek側の室内。
まあ、こぎれいな感じで、部屋でWi-Fiが使えるのがそのポイントだということだった。 -
コッチの倉庫風の建物が母と私が宿泊した旧館の建物でWi-Fiは飛んできていない。
でも、本館と旧館では宿泊料金が1泊10米ドル強異なるので、Wi-Fiの有無だけであるならば私達には旧館での宿泊で十分だった。(本館のレセプション前でのソファーでWi-Fiを利用することが可能) -
宿泊者の客層は個人旅の方ばかりで、団体ツアーの利用はない。
客祖、英語圏と日本人、そしてフランス語圏が多く、大陸系は少なかった。
私たちは二泊したが、どちらの夜も何人かの日本人の宿泊客の方とレセプションで立ち話をするほど日本人率は高かった。
とはいうものの、宿のスタッフとの会話で日本語が通じる訳ではなく、スタッフの中でも英語が通じるのはご主人だけだ。
宿の前でお嬢さんと遊ぶこの方は、多分、宿のおかみさん。
英語は全く通じないけれど、昔覚えた手遊び(グ-・チョキ・パーで 何作ろう♪)をしてあげたら、お嬢さんに大うけだった。 -
この日、ヒヴァの宿に着いた私たちがまず最初にしたことは、シャワー。
昨晩は灼熱の地獄の門のある砂漠で一晩を過ごしたので、汗と砂で躰がベトベトで、まずはソレを洗い流す。
それから、すぐにヒヴァの街中へと出発する。
いつもの旅ならば町探検は楽しみなのだが、この日の場合は町探検なんていう遊びをしている余裕はなく、切実な問題を抱えていた。
問題とは、ウズベキスタンの通貨であるスムへの両替。
昨年(2017年)のGWのウズベキスタン旅では、宿の支払いはドル払い(スム払いは不可)で、更にどこの宿でも強い米ドルは歓迎され、米ドル→スムの両替を喜んでやってくれた。
しかし昨年秋以降の政府の政策変更により、政府が両替レートをしっかりと管理し、一般市民が一定額以上の米ドルやユーロを持つことが禁止されたので、宿での両替が一切できなくなってしまったのだ。
この日のウズベキスタン入りした時点で私が持っていたウズベキスタン通貨は、16万スム(20米ドル分)だけ。
これでは2日間の宿代も支払えないし、この日の夜の夕食代にも事欠く状態で、何としても200米ドルをどこかで両替したかった。
そんな時に役に立つのが宿で作成している宿泊者用の市内案内地図。
そこには両替所の場所もポイントしてあった。
両替所の営業時間も17時までということで、あと1時間はある。
母と私は両替所に向けて颯爽と歩き出した。 -
ヒヴァの町は、世界文化遺産に指定されている街。
ここには、中央アジアと西アジアで唯一の史跡が昔からの形そのまま無傷な姿で残されている。
その唯一の史跡とは、イチャン・カラと呼ばれる内城壁とその城壁に内包される昔の儘の城下町のことで、城壁で囲まれた街それ自体が世界文化遺産に登録されているという事だ。
その昔は中央アジアの多くの町には外城壁と内城壁があり、敵の侵入を二重の攻防ラインで守っていたのだが、その殆どの町が歴史の中の戦いで滅び、新しい街として近代的に造り替えられている。
しかし、ヒヴァは少しだけ辺境地帯に存在したことが幸いして、外城壁は崩れ現在はその一部しか残っていないが、内城壁は街全体を囲む形で昔のままの状態で残されている。イチャンカラの城壁 史跡・遺跡
-
城壁には東西南北に門があり、16世紀の当時は夕方になると門扉が閉まり、外城から内城に入ることも、内城から外へは出ることができなくなったという。
-
門扉は昔のままの木製の扉で、古いイスラム紋様の彫刻が彫られていた。
-
イチャン・カラ(内城壁)は日干し煉瓦で出来ているため、壁のところどころで乾燥した日干し煉瓦が崩れ、中心部の古い時代の土壁の層が見えている。
実は、このイチャン・カラの土の城壁。
この城壁を作っているのはタダの土ばかりではない。
城壁の分厚い壁の中には、数千体の人骨が埋められているという。
これはこの地方に栄えたホレズム文化の昔から伝わる風習で、その昔は死者を壁の中に埋葬するのが普通だったそうだ。
この人骨話をウズベキスタン旅の事についてリサーチしている時に知った時、頭に浮かんだのはエドガー・アラン・ポーの綴った小説;黒猫。
なんだか不気味な風習だなぁ…と思ったものだったが、実際にその死体が埋め込まれた壁を目の前にすると、そんなこともあるかもね♪と思えてきた。
話だけ聞くと怖いが、その地に足を運び、町の空気や音等を五感で味わうと、不思議と納得できてしまう部分もあった。 -
史跡を眺めながら、両替所へと向かう。
ヒヴァのイチャン・カラの内部の街並みはそれほど広くはなく、方向感覚は比較的掴みやすい。
町の中には古くからの城や見張り台が残り、煉瓦の中に施された模様も、昨年にブハラやサマルカンドで見た装飾とは異なるさらに古い時代の独特の柄だった。 -
そんな風に、彼方此方を眺めながら公営の両替所へとやってきた。
公営両替所があるのはクトゥルグ・ムラド・イナック・メドレセの正面にある小部屋だ。
此処へと来る途中で路地を一本間違えたので、かなり大回りしてしまい15分で着く筈が30分以上かかり、公営両替所へと到着した時刻は16:45。
両替所の営業時間(17時終了)には間に合った…と思っていたのだが、両替所の扉を開けたところ、小部屋の中ではもう店じまいを始めていて「今日はもうお終い、明日は10時からだから」と強硬に主張するお姉さんが二人。
あと15分あるのだから普通ならば17時までは営業しているはずなのだが、さすがウズベキスタンの公務員。
この辺のいいかげんさは昨年と全く変わっていなかった。 -
両替所が営業してくれないのでは、どうしようもない。
母と二人、町の中を両替してくれそうな場所を探して歩き出す。
お金はないが、好奇心はありあまる私達。
両替所を探しているはずなのに、初めて目にするホレズム文化の紋様についつい足を止めてしまう。 -
ガイドブックは一応読んできたが、全ての建物の名前や意味が頭に入っているわけではない。
私設の両替所を探してあてどななく彷徨っている時に見つけた、この丸天上のドーム建築。
パンやピザを焼く窯かと思っていたのだが、翌日にお墓だと判明した。 -
細い通りを歩いていても両替屋さんなんてある筈はないので、再び西門へと続くメイン通りに戻る。
そこで、見えてきたのは巨大な青が美しい煙突
ではなく、ヒヴァで一番有名で美しい建築物;その名はカルタ・ミナルだ。
カルタ・ミナルはコーランを流したり、夜には砂漠の灯台となるミナレットだ。 -
イチオシ
しかし通常はミナレットと言えば尖塔形で、こんなにずんぐりむっくりはしていない。
確か、このカルタ・ミナルは何かの事件があって途中で建築放棄されてしまった塔だったはず…と云うことは記憶していたので、その真相を調べるためにガイドブックを捲ると、やはり理由が書いてあった。
もともとカルタ・ミナルは、この町の王であったヒヴァ王が400km離れた地にある敵国ブハラの動向を探るための塔として建築を始めたもので、完成すれば直径14.2m、高さ109mという巨大な物見の塔になるが筈だった。
ところが、ターゲットとなったブハラ王にもヒヴァ王の作っているブハラ監視用のミナレットの噂は届いていて、ブハラ王はカルタ・ミナルのタイル建築職人を買収し作業をトロトロとさせる反撃をとった。
さすがのヒヴァ王もブハラ王の妨害工作に気がつき、デザイナーであるタイル職人を裏切り者として殺してしまった…とか(もう一つ別の説もあるが…)。
そんな訳で、タイル職人がいなくては塔の建築を勧めることができなくなり、高さが109mの塔であったはずのものがその四分の一の高さ26mで建築中止となり、とちょっと間抜けで、でも、美しい塔になったという事だ。
そして、ここでガイドブックを開いたことで私に幸運が舞い降りてきた。
ガイドブックの地図のページ。
そこには、両替所と記された私の文字があった。 -
多分だが、私が旅行記やその他の資料を呼んでいる時に、書きこんだ情報なのだろう。
書いた本人すら忘れていたのだが、書いたからには信憑性のある情報だったはず。
時間は17時15分。
これ以上遅くなると、そちらの両替所もクローズしてしまうかもしれないと急ぎ足で南へと向かう。
でも、途中に素敵な建物を見つけると、ついつい立ち止まって写真を撮ってしまうのは旅人の性でしかないのだろう。
(写真:イスラーム・ホッジャ・ミナレット)イスラーム ホジャ メドレセとミナレット 建造物
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私が向かったのは南門。
南門をくぐって、いったんイチャン・カラ(内城壁)の外へと出る。 -
南門から後ろを振り返ると、青い空に砂色と薄浅葱(うすあさぎ)色の塔が鮮やかに映えていた。
-
南門の内側の作りはクーポラ造り。
この辺りの建築様式は、一昨日に訪れたクフナ・ウルゲンチの遺跡にあった同年代に作られたトレベクハニム廟に良く似ている。 -
ガイドブックの地図に“両替所あり”と私が朱書きしていた場所は、南門の外にあるアジア・ホテル・ヒヴァ。
アジア・ホテルはウズベキスタンの大都市には必ずあるホテルチェーンだ。
急いで、アジア・ホテルの門をくぐり見つけたのは、レセプションの脇のMoney Exchangeと表示のある部屋。
でも、その部屋には鍵がかかり、入ることができない。
え…ココもダメなの…と落胆して肩を落としかけたのだが、レセプションのお兄さんが声をかけてくれた。
「今はお祈り中から、あと30分位で戻るヨ」と。
そして18時前、私たちは無事に当座に必要な現地通貨を入手できた(1米ドル=8000スム)。ホテル アジア ヒヴァ ホテル
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南門からは城壁沿いに歩き、夕陽に輝く西門へと向かう。
西門へと向かった理由は、夕方のこの時間帯しか見ることの出来ないレアな景色を楽しむためだ。 -
西門から再び場内に入った母と私が向かったのは、クフナ・アルク(キョフナ・アルク)と呼ばれる古い城だ。
(写真:翌朝に撮影したクフナ・アルク)オタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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夕方の時間、このクフナ・アルクの城壁の上からは、古都ヒヴァが輝く景色を見ることができる。
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入場料10000スム(約140円)を支払って、城壁の上へと登る階段を進む。
-
イチオシ
城壁の上から見える、砂色の曲線を描く城壁。
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それは、400年前に築かれた当時と同じ、美しい城壁の完璧な姿。
過去の祖先たちの骨肉が守る城壁の姿だ。 -
王城の城壁の上には見張り台(通称:アクシェイフ・ババの見張り台)も有り、その柱装飾は建築当時のものが残っていた。
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全ての柱が古い時代のものではなかったが、年代を感じさせる彫刻が彫られた柱も多かった。
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その昔、ホレズム王国の全盛期には市内を見張るための見張り台だったこの場所も、今では、観光客の為のビュースポット。
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市内のあちこちにある青が美しい建物に柔らかな西日が当たり、その色をセピア・ブルーに変えていた。
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この時間帯に見る砂色の町は、なんだか町全体がノスタルジーな雰囲気。
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ヒヴァの町には展望台となる場所がいくつかあるが、カルタ・ミナル、ジュマ・ミナレット、ホッジャ・ミナレットの3つの有名な塔を見ることができるのは、このキョフナ・アルクにある城壁の上だけだ。
キョフナ アルク 城・宮殿
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当座の現金を手に入れ美しい夕景を眺めた私達は、安心し心が満たされた途端にそれまで忘れていたものを思い出した。
忘れていたものとは、食欲。
この日はランチは軽めだったのでお腹がく~と主張しだしていた。
だから、夕食の時間にはまだ少し早かったが、食事場所を探すことに…
キョフナ・アルクの展望台を降りたとこで、その前になにやら屋上席のある建物を発見。
看板にはレストラン・Terraceの文字。
建物の下で植物に水やりをしていたオジサンに、食べられる?とジェスチャーで聞いたら、階段あがって、上へ行けとの身振り。
レストランはオープンテラスになっていて、まだそれほど混みあっていなく、見晴らしの良いテーブルも空いていたので、早速特等席へ。 -
イチオシ
レストランの名が示すように屋上席はテラスそのもののロケーションで、テラスの眼下には夕陽が照らしだすムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセの姿。
なかなかメドレセを上から見下ろす機会がないので、このレストランはかなりの掘り出し物♪Terrassa Cafe & Restaurant 地元の料理
-
そして、先ほどまで私たちが登っていた城壁の見張り台方向はと言うと、逆光で城壁がシルエットなり、それはそれで不思議な風景。
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イチオシ
多分、そろそろ城壁展望台クローズの時間の筈なのだが、今、上に居る方たちは最後の見物客なのだろう。
何だか楽しそうに、記念撮影をしている様だ。 -
いっぽう、城壁の内側へと目を移すと、薄暮の時間がゆっくりと忍び寄る直前の色合い。
先ほどまでセピアがかった青色だった色は、ゆっくりとダークカラーにシフトしていた。
そこはまるで現代ではなく、中世のホレズム文化が栄えていた頃の様。
その昔にタイムスリップしたかのような風景だった。カルタ ミナル 建造物
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再び城壁の上へと目を戻すと、太陽が城壁の向こう側へと沈む瞬間。
もう、観光客も城壁の上にはいないようだ。
今、あそこにいるのは何百年も前に城壁に塗りこまれたホレズム文化を育んだ方々の魂、亡霊となったホレズムの魂だ。 -
西陽が演出するショーも終わりに近づいたころ、オーダーしていた料理がサーブされた。
この日の夕食はサラダと、鶏肉のトマト煮とたっぷりのお茶。 -
私たちは旅に出ると、夕食は軽めを心がけている。
その理由は、食べ終わって宿に戻るとたいてい1時間もしない内に寝落ちしてしまうから。
早朝から夕方まで、全体力を使って旅を楽しむので、夕食を食べる頃にはそんなにエネルギーも残っていないし、夜間は栄養を必要としないという事だ。 -
イチオシ
レストランからの帰り道、空には闇の帳が降り始め、不思議なグラデーションを描いていた。
-
このまま宿に帰ろうかと思っていたが、どうやらライトアップも始まるようなので、もう少しだけ街散歩を延長することに。
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イチオシ
この旅行記で何度か紹介しているカルタ・ミナルもライトアップの照明が当たると、昼間や夕方とはまた異なる色合いに輝いていた。
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カルタ・ミナルの背後にあるのは昔は神学校(メドレセ)であった建物なのだが、現在はホテルとして使われているムハンマド・アミル・ハン・メドレセ(ホテル名:オリエントスター・ホテル)だ。
Orient Star Khiva ホテル
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オリエントスター・ホテルはヒヴァにおける最高級ホテルで、昔の神学校の部屋に泊まれるのを売りにしている。
客室自体は中世の雰囲気を残すなかなか趣がある部屋なのだが(日中の掃除の時間帯にのぞかせてもらった)、この場所は観光客も見学できるメドレセなので、ホテルの敷地内や中庭に面した客室の前を絶えず観光客が行き来するという、ある意味、落ち着いた滞在は望めないホテルだ(宿泊費はそんなに高級ではなく100米ドル/1室程度)。 -
裏道にある小さなメドレセもバルコニー部分をひそやかにライトアップ。
大々的にカラフルにライトアップするのも悪くはないが、こんな風に素朴な雰囲気も素敵だと思う。 -
城壁展望台から見えたホジャ・メドレセとイスラム・ホジャ・ミナレットもライトアップされていた。
-
イスラム・ホジャ・ミナレットはヒヴァの中では一番背の高い建物で、此処は明日の午後に登ってみようかと思っている。
-
街中でも少し暗い場所へと出れば、空一面に星が瞬いているのが分かる。
ヒヴァの町を少しでも離れてしまえば、周りに広がるのはキジルクム砂漠とカラクム砂漠。
人工の光などどこにもない世界だ。 -
ライトアップされた建物を一通り巡ったころには、二人ともかなりのネムネム…の時間で、母なんてまぶたがくっつきそうな様子。
でも、海外では宿に帰りつくまでは絶対に気を抜いてはいけないのが鉄則。
歩くのがゆっくりとなった母に歩調を合わせて、宿への道を戻る。
宿に着いたら軽くシャワーをして30分もしない内に、母はもう夢の世界。
ウズベキスタンで3か所目の街となったホレズム王国の古都ヒヴァ。
人骨が埋め込まれた城壁がそのまま現代まで残されていると言うのには驚かされたが、人骨を埋めることで魔除け的な意味合いもあるのかもしれないし、もしかしたら日干し煉瓦だけよりもカルシウム等が入ることにより強度が増すという効果もあるのかもしれない。
そんなコトを考えながら、私も眠りについた。
前の旅行記:【3】独裁者政権の国って…?
https://4travel.jp/travelogue/11368500
続きの旅行記:【5】ホレズム王国で異文化交流
https://4travel.jp/travelogue/11578357
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この旅行記へのコメント (2)
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- TKさん 2018/08/04 22:31:56
- ウエンディさんの写真、幻想的です。
- ウエンディさん
こんばんは!
ヒヴァの旅行記、大変懐かしく拝読いたしました。
あ!この景色どっかで見た、と思ったら、
キョフナ・アルクにある城壁の上。
ここ、穴場ですよね。
カルタ・ミナル、ジュマ・ミナレット、ホッジャ・ミナレットの3つの有名な塔を同時に見られるし。しかも、結構すいていいる。
夕暮れから、ライトアップまでの薄浅葱(うすあさぎ)色の古都ヒヴァの街のウエンディさんの写真、幻想的です。
上手ですね。
また行きたくなりました。
ありがとうございます。
by TK
- ウェンディさん からの返信 2018/08/05 00:05:10
- RE: ウエンディさんの写真、幻想的です。
- TKさん、こんにちは。
ヒヴァは小さな町なのに見所の多いところ。
なのに、ウズベキスタンスムが手に入らないと何もできなく、両替商が閉まっていた時には、夕食すら食べれないとかなり焦りました。
運よく、過去の私からのアドバイスでなんとか現地通貨を入手しましたが、あれほどいた闇両替商が姿を消したのには驚きました。
ウズベキスタンは過渡期の国。
これからまだまだ変わっていくのでしょう。
クフナアルクの展望台は夕景の穴場。
幻想的なヒヴァの一時を過ごしてきました。
実は今、北米に来ています。
出発の2週間前から山火事による避難指示や国立公園閉鎖などトラブルが頻発し、出発の朝までホテルの再予約などに追われ、バタバタの出発となりました。
この旅では過去の経験があまり役に立たず、どんな旅になるのか、未知数の旅が進行形です。
ウェンディ
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