2017/12/02 - 2017/12/02
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旅人のくまさんさん
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二条城は、寛永11年(1634年)に、三代将軍の家光が30万人と言われる大軍を率いて入城した記録がありますが、その動機が今一つはっきりしません。寛永9年に父・秀忠が死去し、翌寛永10年に弟の忠長の自殺があり、何かと忙しい世の動きがありました。
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本丸エリアから眺めた二の丸エリアの光景です。その間に内堀があります。左手の石垣は本丸内、中央付近に見える褐葉の樹は、二の丸になります。西側方面の光景になります。
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『二条城』と題された音声案内の光景です。4カ国語の表示がありました。左から日本語、英語、中国語とハングル語です。日本語のところを参照しますと、?本丸の光景、?本丸御殿の焼失と再建、③天守閣の焼失、?大政奉還後の二条城、?文化財保護法と世界遺産の5項目でした。
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イチオシ
唐風の屋根を持った、『本丸御殿車寄』の建物正面光景です。。創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿と同じくらいの大きさを誇っていましたが、雷によって消失し、再建されることはありませんでした。現在の本丸御殿は、旧桂宮邸御殿を京都御苑今出川御門内から、明治26年から1年かけて移築したものです。
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『本丸御殿車寄』の唐破風の屋根飾りのズームアップ光景です。二の丸御殿などと同じ、『経の巻』が乗せられていました。銅葺仕上げに、金色の菊のご紋がありました。
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『本丸御殿車寄』の唐破風の軒下光景です。本丸御殿は、かつては年に2回公開されていましたが、残念ながら現在は一般公開されていません。建物の耐震上の問題とされます、
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『本丸御殿車寄』の唐破風の内部光景です。現在の本丸御殿は、京都御所にあった当時、第14代将軍家茂の正室であった、皇女和宮が1年8ヶ月暮らしていた邸宅とされます。
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今は内部見学が出来なくなった、『本丸御殿車寄』の玄関扉の光景です。『和宮・親子内親王(かずのみや・ちかこないしんのう:1846~1877年)は、第120代の仁孝天皇(1800~1846年)の第八皇女で、第121代の孝明天皇(1831~1867年)の異母妹です。第121代の明治天皇(1852~1912年)は甥に当たります。
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本丸内の見学を終え、お堀の西側に架かる橋に向かう途中の光景です。前方に、虎口のような石垣が見えてきました。西側の出入口からの直進を妨げ、北に迂回させるような虎口です。
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イチオシ
先程の虎口の右手にあった石垣のズームアップ光景です。切込接ぎの石垣光景です。コーナー部分は、算木積をアレンジしたような積み方でした。殊更、大きな石を使った、魅せるための石垣です。鏡石の代わりかも知れません。
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本丸内の見学を終え、お堀の西側に架かる橋に向かう途中の光景です。本丸には、最初に亘った本丸櫓がある東側の橋と、西側に架かる橋の二箇所だけが出入口となっています。この石垣は本丸西側の虎口を形成しているようです。
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この辺りの石垣も、虎口を形成しているようでした。大きな長方形に切り出された石が、二段積んだだけで2メートルを超えそうでした。これらの石の選択も、示威が目的かも知れません。
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本丸側の石垣の横から眺めた二の丸方面の光景です。公孫樹の大木の黄葉光景です。周りの常緑樹が引き立て役になっていました。
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本丸と二の丸の間に架かる西側の橋の光景です。東側の橋の袂から、西側を眺めた光景になります。橋を渡った先に、先ほど紹介した公孫樹の大木の黄葉光景がありました。
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橋を渡る前に、振り返って眺めた本丸の石垣光景です。西側の出入口の虎口を形成している石垣のようです。石が綺麗に加工された切込み接ぎでした。排水を考慮したような小石が隙間に詰め込まれていましたが、打込み接ぎとは言えないようです。。
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鏡のような内堀の光景です。右が本丸、左が二の丸になります。本丸と二の丸の間に架かる、西側にある橋の上からの撮影です。二の丸側の内堀北端に、土蔵の姿がありました。北米櫓です。
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同じく、鏡のような内堀の光景です。今度は左が本丸、右が二の丸になります。石垣の高さの違いで、直ぐに判別できます。本丸側の石垣の先端に、さらに一段高くなった場所が天守台です。
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イチオシ
本丸側から紹介した、公孫樹の大木の近くにやって来ました。樹には黄葉の葉が残っていましたが、辺り一面に公孫樹の落葉が散り敷いていました。既に12月に入りましたが、まさに秋を代表する光景の一つです。
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公孫樹の大木の光景です。遠くからは、黄葉の最盛期に見えましたが、さすがに散り敷いた落ち葉の量が中途半端ではなく、落葉が済んだ枝先光景も見えました。世界三大紅葉樹は、『スズランノキ(鈴蘭の木)』、『ニッサボク』と『ニシキギ(錦木)』です。ニッサボクの和名は『ヌマミズキ(沼水木)』ですが、あまり馴染みがありません。そもそも『世界三大紅葉樹』の定義そのものがはっきりしません。『世界三大黄葉樹』の定義はないようですが、決めるとしても公孫樹に敵う黄葉は見当たらないかも知れません。中国では、ナンキンハゼ(南京櫨)、フウ(楓)と、マユミ(真弓)を三大紅葉樹と呼ぶようです。日本で選ぶなら、カエデ(楓)を一番に、ドウダンツツジやナナカマドなども選びたいところです。
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見事に王朝の落葉が敷き詰められた公孫樹の大木の根元光景です。散り敷いた時の鮮やかな黄色を保っていました。穏やかな日が続いていたのでしょうか、風で吹き寄せられたり、雨に当たった形跡がありませんでした。
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イチョウの大木の中間辺りの光景です。イチョウは、『生きた化石』とも呼ばれます。その理由は、イチョウの仲間は、古生代から知られ、中生代ジュラ紀の頃には世界的に分布していたことが化石から分かっています。現在では中国にのみ生き残ったのがイチョウです。かつてのイチョウ科の植物は、イチョウを含め17属あったとされますが、イチョウを除き、氷河期を迎えた頃に絶滅しました。
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イチョウの大木の先端辺りの光景です。イチョウは、現生の種子植物の中では、ソテツ類とともに最も原始的な性質を残した植物とされます。例えば、主脈と側脈の区別がはっきり存在しないことは、原始的な特徴とされます。葉の葉脈は平行脈で二又分枝し、イチョウはそれがほぼ同じ長さで平面に広がるため、奇麗な扇型になります。
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イチョウの大木と、その黄葉の引き立て役だった、周りの松の庭木の光景です。公孫樹の落葉が済み、冬木立ともなれば、松が庭園の主役に戻ります。
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『世界遺産・二条城・城内案内図』のタイトルがあった案内看板の光景です。右のあqン内図は現代風に北が上になる図面でした。中央から右側が現在の二の丸の中心部、家康時代の本丸になるようです。現在の本丸は中央から左側部分で、その周囲は二の丸です。
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二の丸エリアにあった石垣の光景です。今は外堀に架かる橋はありませんが、かつては西門の虎口を形成していた石垣の一部のようでした。先程紹介した二条城の案内図にも、(北)米蔵の直ぐ西に虎口と『西門』が図示されていました。
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天守台跡から紹介した、『北米櫓』の光景です。『西北土蔵』とも呼ばれているようです。慶長年間(1596~1615年)の創建時の姿を留めた、国の重要文化財の建物です。
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『北米櫓』の扉のズームアップ光景です。内部のことは分かりませんが、米蔵とされますから、湿気を防ぐため、床が高くなっているのかも知れません。入口が一段高くなっていました。
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更にズームアップした、クラシックな錠前があった『北米櫓』の扉の光景です。二条城の『米櫓』は、全部で三箇所です。内堀の西側の二の丸にあるこの『北米櫓』と『南米櫓』、それと二の丸御殿の北側にある米櫓です。
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紅葉とも黄葉とも言えない、文字通り褐葉の光景です。勝手な造語ですが、『赤橙葉(せきとうよう)』とも呼んでみたくなる色付きでした。
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別の樹木ですが、こちらも、紅葉とも黄葉とも言えない、文字通り褐葉の光景でした。またまた勝手な造語ですが、『黄橙葉(おうとうよう)』とも呼んでみたくなる色付きでした。
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『重要文化財・西門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと寛永3年(1626年)頃に建設され、江戸時代には通用門として使用され、天明8年(1788年)の大火で周辺の櫓門などが焼失し、明治時代に橋の無くなったことが紹介されていました。元々の洋式は、高麗門だったようです。
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