2017/12/02 - 2017/12/02
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旅人のくまさんさん
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慶長6年(1601年)5月、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、上洛時の宿所として大宮押小路に築城の場所を決め、町屋の立ち退きを開始、12月に西国諸大名に費用と労務を割り当てる天下普請で二条城を築き始めました。
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
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JRの彦根駅のプラットホームからの光景です。後方に見える紅葉の山は、佐和山城があった佐和山のようです。彦根駅前のお店で昼食を済ませ、次に向かったのは京都です。京都では世界遺産に登録され、日本百名城にも指定されている二条城の見学です。久し振りに訪れました。
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イチオシ
彦根駅からJRの快速電車に乗り、乗り換えなしで京都に到着しました。京都駅前の京都タワーの光景です。晩秋を過ぎて12月の初めになりましたが、申し分のない旅行日和が続いていました。
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虚と駅前から路線バスに乗ってやってきた二条城です。約10年振りの見学となりました。二条城には、?室町幕府13代将軍足利義輝の居城、?室町幕府15代将軍足利義昭の居城、?織田信長が京に滞在中の宿所とした『二条新御所』と、?徳川家康が京に滞在中の宿所として造った『二条城』の四つが存在しましたが、この二条城は、現存する④の徳川家康が築城した二条城です。
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江戸幕府は『二条城』と称しましたが、朝廷側はこれを『二条亭』と呼んだとされます。この後の表現は『二条城』に統一します。その豪壮な大手門の光景です。家康は、関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601年)、造営総奉行に京都所司代板倉勝重、作事(建築)の大工棟梁に中井正清を任じ、天下普請で『二条城』の建設をはじめました。
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ここからは入場してからの見学になります。百名城スタンプは、この近くの『大休憩所』に置かれていました。スタンプを押してからの見学にしました。
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かなりの大きさがあった、二条城の観光案内図です。最初に紹介した四つの『二条城』について、先に紹介しておきます。
①室町幕府13代将軍足利義輝の居城:永禄8年(1565年)、戦国乱世のなか、義輝は幕府の重鎮だった斯波氏の屋敷跡に自らの城を築きました。武衛とは斯波氏の職名を由来とします。義輝は、城の完成前に三好三人衆により殺されました。
?室町幕府15代将軍足利義昭の居城:義輝の弟・義昭は、織田信長の武力を後ろ盾として永禄11年(1568年)に上洛、信長は更に防備の整った城を築きました。武衛陣の城跡を北東に拡張し、2重の堀や3重の『天主』を備える城郭でした。義昭と信長の関係は悪化し、義昭は畿内から追放され、室町幕府は滅びました。
?織田信長が京に滞在中の宿所とした『二条新御所』:織田信長が烏丸~室町の御池上る付近に設けた城館です。天正10年(1582年)、本能寺の変で、信長の嫡男の信忠自決とともに焼失しました。
?徳川家康が京に滞在中の宿所として造った『二条城』:徳川家康が築城した現存する二条城は、この後詳しく現地を含めて紹介します。 -
世界遺産の『古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市)』のタイトルがあった説明看板です。慶長8年(1603年)に徳川幕府により、京都御所の警備と、将軍所愉楽の時の宿所として築かれたことが紹介してありました。世界遺産に登録されたのは、平成6年(1994年)12月です。
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二条城の東南い位置する隅櫓、国の重要文化財の『東南隅櫓』の光景です。これは城内からの光景ですが、城外からも眺めることができます。
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『重要文化財・東南隅櫓』のタイトルがあった説明看板です。寛永3年(1626年)、寛永行幸の際に建設された隅櫓の一つと紹介されていました。『寛永行幸』は、寛永3年9月、上洛中の徳川秀忠、家光の招きに応じ、後水尾天皇が二条城に行幸しました。『二条城行幸図屏風』などにもその様子が描かれています。
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逆光での撮影になりましたが、二条城の城内光景です。二条城は、慶長7年(1602年)5月に御殿と天守の造営が着工され、慶長8年(1603年)3月に落成しました。ただし、天守は慶長11年(1606年)に完成しました。
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二条城城内の築地塀の光景です。5本の筋が入った格式が高いとされる造りです。京都御所も5本筋です。『築地塀(ついじべい)』とは、泥土をつき固めて作った塀のことで、単に『築地(ついじ)』とも呼ばれます。
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同じく、何箇所もの屈曲箇所があった築地塀の光景です。屋根飾りの中央には、三葉葵ではなく、菊の御門がありました。確認はできませんでしたが、かつての『二条離宮』の名残かも知れません。平成25年8月、修理の終わった唐門で天皇家の家紋(菊紋)の下に、徳川家の家紋(葵の紋)があったことが発表されました。
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イチオシ
唐門の光景です。二条城は、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に指定され、また、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。
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唐門の屋根飾りのズームアップ光景です。『経の巻』の屋根飾りが乗っていました。『経の巻』は、お経の巻物に似た形状からの名称で、寺院建築に用いられる鬼瓦の名称とされています。この型の鬼瓦を神社に使用するときは、『経』の文字を『京』の文字に変えて書くのが良いとされます。
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唐門を潜りながら紹介する、天井などの文様です。黒く見える部分は、黒漆が塗り重ねられているようでした。その上に金箔や、多色の飾りがありました。菊の御紋と、二羽の丹頂鶴、松と梅が飾りの文様の中心でした。
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少し前に進んだ場所の天井飾の光景です。一番手前の十字飾りの中心も菊の御紋でした。飾の中心の文様は、柱の中央に見える金箔の鳳凰と、その背後のカラフルな龍に代わりました。鳳凰が飾られた横の柱は黒漆塗りではなく、素地のままでした。
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更に前に進んだ場所の天井飾の光景です。中心部分が菊の御紋で飾られた十字模様は、全体に共通していました。ここにも鳳凰が飾られていましたが、最初の方が雄、こちらが雌かも知れません。カラフルな飾りは、龍から樹木に代わりました。康熙字典によれば、鳳凰は雄牝の文字の順とされます。
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振り返って眺めた唐門の光景です。唐門は、平成25年(2013年)に補修工事が完了しています。二条城は、徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われました。江戸幕府の始まりと終わりの場所でもあります。
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イチオシ
唐門を潜って、正面に二つ並んだ破風が見えてきました。国宝に指定されている、二条城の二の丸御殿の破風光景です。二条城二の丸御殿創建時の大工棟梁は、中井正清とされます。豊臣秀吉に父の元で作事方として仕えた後、24才から54才で没するまでの30年間を徳川の大工頭として徳川家の権威・威風を天下に示すための普請に生涯を懸けました。大和守という大名の地位も得た人物です。
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二条城二の丸御殿の玄関のズームアップ光景です。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)のようでした。唐破風と千鳥破風が重なった造りです。玄関は、『車寄せ』と呼ばれています。絢爛豪華な金箔の飾りと、精緻な彫刻で飾られていました。
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車寄せの屋根と庭木の陰になりましたが、二の丸御殿の破風のズームアップ光景です。入母屋造りの破風になるようです。
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『国宝・二の丸御殿』のタイトルがあった説明看板です。江戸城、大阪城、名古屋城の御殿が失われた今日、城郭に残る唯一の御殿群と紹介されていました。昭和27年(1952年)に国宝に指定されています。
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二の丸庭園の見学に向かう途中、振り返って眺めた二の丸御殿の光景です。以前に内部は見学したことがありますから、今回は止めにしました。内部の写真撮影も出来ません。
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二つ並んだ梵鐘の光景です。お寺の鐘ではなく、京都所司代屋敷に置かれ、火事などの緊急時に使われた大鐘ですから、『釣鐘(つりがね)』と呼ばれていました。釣鐘は、一般的には梵鐘を指しますが、広義には小型の鐘の半鐘なども含む総称とされます。
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京都所司代屋敷に置かれ、火事などの緊急時に使われた『釣鐘』のズームアップ光景です。展示のための台石の上に置かれていました。確認はできませんでしたが、京都所司代屋敷が廃止された時に、運ばれてきたものかもしれません。
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同じく、二台展示してあった京都所司代屋敷に置かれていた『釣鐘』のズームアップ光景です。京都所司代は三箇所に設けられていたようです。『半鐘』に比べれば随分と大きく、『梵鐘』そのものでした。
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『釣鐘』のタイトルがあった説明看板です。京都所司代屋敷で、火事などの緊急の際に鳴らされた鐘であることが紹介されていました。京都所司代は、主に朝廷や大名を取り締まっていた江戸幕府の出先機関で、3箇所あったことも紹介されていました。
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『西の丸庭園』への入口門の光景です。慶長8年(1603年)の二条城築城の際に作庭されたものです。寛永3年(1626年)の後水尾天皇の行幸の際に、改修が加えられました。池を中心とした書院造庭園で、桃山末期から江戸初期に大成された書院造りの大建築に伴う庭園の特徴をよく示しているとされます。小堀遠州の代表作として挙げられることも多い、桃山様式の池泉回遊式庭園です。
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先程の門の中心に見えていた、堂々とした姿の松に庭木の光景です。寛永3年(1626年)の後水尾天皇の行幸の際に、小堀遠州が回収を行ったことは確実なようです。『小堀遠州(1579~1647年)』は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家で書家です。備中松山藩第2代藩主、のち近江小室藩初代藩主を務めました。
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先程の大松の脇から眺めた、二の丸御殿の建物光景です。一般には小堀遠州(こぼり・えんしゅう)の名で知られる、小堀政一(まさかず)紹介の続きです。『遠州』は、武家官位の遠江守の唐名に由来する通称で、後年の名乗りです。幼名は作助でした。遠州流(小堀遠州流)茶道の祖です。父の小堀正次は、縁戚であった浅井氏に仕えていましたが、浅井氏滅亡後は羽柴秀吉の弟・秀長の家臣となりました。
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