2017/12/02 - 2017/12/02
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旅人のくまさんさん
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彦根城天守は、関ヶ原の戦い後に18万石を与えられた井伊直政が、家康の命で普請を急ぎ、大津城の天主を移築したとする説が有力です。大津城の天主は五層でしたが、彦根城は三層です。関ヶ原での戦いで落城しなかった縁起の良い城とされます。
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紅葉の落花があった古木の根元の光景です。『ヤブツバキ(ツバキ科)』の名札が付けられていました。ツバキの花の落花ではなく、楓の葉の落葉でした。『ヤブツバキ(藪椿)』は、東北以西の暖地に生育する常緑の小高木です。
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こちらの古木にも、少し高い場所に名札がありました。『アラカシ・ブナ科』の名札でした。『アラカシ(粗樫)』は、ブナ科コナラ属の常緑広葉樹デス。クロガシやナラバガシの別名を持ちます。いわゆる、ドングリが生ります。
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それほどの大木ではありませんが、古木が揃った城内の樹木の光景です。常緑の樹に交じって、紅葉の樹も見えました。こちらは楓のようでした。
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『太鼓門櫓及び続櫓(重要文化財)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。本丸の表口を固める楼門で、築城時にほかの城から移築されてきたものとの説明がありました。桃山時代の建築物で、国の重要文化財に指定されたのは昭和26年(1951年)です。
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国の重要文化財の『太鼓門櫓』の城門の光景です。先程の説明パネルに、彦根城築城時にほかのお城から移設されたことが紹介されていましたが、今も特定はされていないようです。対象となるお城は、佐和山城、長浜城、大津城、小谷城など数多いようです。
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城門の前から眺めた、右手方面の光景です。石垣の上に櫓の光景がありました。『太鼓門櫓』は、彦根城築城以前に彦根山の山上にあった、彦根寺の山門を移築したものと考えられてきたようです。その理由は、彦根山に向かって西に伸びた『巡礼街道』があり、かつて、彦根寺へ多くの都人が参詣したとされます。こうした観音霊場では、納札を寺の建物などに打ち付ける習わしが古くからあります。太鼓門櫓には門の柱に古い釘穴がたくさん残っていて、これらの釘穴を納札を打ちつけた痕跡と考えて、彦根寺山門の移築説が生まれ、広く流布していたようです。 しかし、その後の解体修理で否定される結果となりました。
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『太鼓門櫓』の城門の前から、振り返って眺めた緩やかな傾斜の石段の光景です。正面に見えるのが先に紹介した『時報鐘(じほうしょう)』、その左の建物が『聴鐘庵(ちょうしょうあん)』です。
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『太鼓門櫓』付近の石垣の中で、段差があった部分の表面にズームアップ光景です。大きな切石を使った豪快な積み方でした。左端には鏡石の半分ほどが見えていました。
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『太鼓門櫓』の城門の内部光景です。天井には、具体的には判別できませんでしたが、通常は、階上から槍での攻撃ができる仕組みが設けられています。『彦根寺の山門説』では考えられない施設になります。
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同じく、『太鼓門櫓』の城門の内部光景です。『太鼓門櫓』は、昭和31年から32年にかけて行われた太鼓門櫓の解体修理工事によって、『彦根寺の山門説』は否定されました。解体修理に伴って実施された建物部材調査により、移築前の建物も、どこかの城の城門であったことが判明しました。しかし、どの城であるのかは、今も分かっていません。
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『太鼓門櫓』の城門を潜った後、振り返って眺めた出入口光景です。内側に向けて開かれた扉の先に、虎口の石垣が見えていました。移築される前の城門は規模が大きく、それを縮小して今日の太鼓門櫓としたことまでが分かっています。
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同じく、『太鼓門櫓』の城門を潜った後、振り返って眺めた出入口光景です。ニ階部分には、手摺りが設けられ、続櫓との間での移動が容易に行われる構造となっているようでした。望楼とする高さと場所ではないようです。彦根城のHPには、『櫓にはたいへん稀な例』として紹介されていました。
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本丸エリアの道案内標識の光景です。一番上が手前向きの『天守入口』、その下が左向きの『表門・博物館』、さらにその下が、右向きの『玄宮園・楽々園』の表示でした。
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本丸エリアにあった、立入り制限があった建物光景です。建物名を記した表札はないようでした。左手前の根太が完全に腐朽しているようでしたから、改修が必要な建物かもしれません。
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イチオシ
概ね南側から眺めた、彦根城天守の光景です。京極高次が築城した大津城の五層の天守を移築したとの説が有力ですが、三層だけの天守です。京極氏は北近江の守護で、本来は浅井氏の主筋に当たりますが、臣下の浅井氏の下克上を受け、高次はその庇護のもと、浅井の居城内で生まれました。関ヶ原の戦いの前哨戦の大津城の戦いでは、京極高次は三成側に就くと思わせ、大津城に籠城して東軍に転じました。決戦前に開城しましたが、西軍の大軍を足止めした功績で、剃髪していたものの家康の説得により、京極高次は若狭一国(若狭小浜8万5000石)を与えられ、還俗しました。高次の正室は、浅井三姉妹で有名な初でした。姉は秀吉側室の茶々(淀殿)、妹が二代将軍秀忠の継室のお江の方です。
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彦根城天守の上階のズームアップ光景です。近世の城郭で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城だけです。その内の五つが国宝で、彦根城も含まれます。
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彦根城天守の最上階のズームアップ光景です。廃城令により全国の城が次々と取り壊されていく中、彦根城もその対象になっていましたが、大隈重信公が視察に来た際にその消失を惜しみ、明治天皇に上奏し破却を免れたとされます。
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彦根城天守の鯱のズームアップ光景です。顔の部分が隠れて、雌雄の別は分かりませんでした。鯱の瓦には、薄く金箔が残っているように見えました。
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イチオシ
彦根城天守の金箔風の飾りのズームアップ光景です。金箔で仕上げた金属板かも知れません。釘止めされているようでした。左右の飾りは、井伊家の常紋の『彦根橘(丸に橘)』をアレンジしたような文様でした。
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南東側から眺めた天守1階と、天守台上部の側面光景です。跳ね上げ式の窓が3箇所とも開けられていました。天守台の石垣は切込み接ぎでした。天守1階の下部は下見板張、その上が軒下まで白漆喰の塗籠でした。
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同じく、天守1階と、天守台の側面光景です。その先に紅葉の樹が見えていました。概ね南方面の光景になるようです。
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イチオシ
東南側から眺めた天守光景です。国宝に指定されているのは、天守だけでなく、附櫓と多聞櫓も一緒です。右奥に、本丸から斜めに突き出した部分が付櫓になるようです。写真には写っていませんが、さらに右方向に続櫓が伸びているようです。付櫓は現在、天守への出入口になっています。かつては、別の入口に侵入しようとする敵を側面から攻撃するための施設でした。
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上の唐破風と、下の入妻破風が上下に重なって見える光景です。彦根城は小振りの天守ですが、18もの破風があります。数だけでなく、その種類が多彩なことで知られます。唐破風の下には、二つの『花頭窓(かとうまど)』と、高欄付きの『廻縁(まわりえん)』が見えました。
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入妻破風と切妻破風が四つ重なって見える光景です。入口があった場所の反対方面の北側からの光景になるようです。天守の瓦は34種類、6万枚が使われているようです。
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左手に紅葉光景が見える、斜め前から見上げた天守の光景です。元々は4重5階の天守を移築したものであることが分かったのは、1957年(昭和32年)に行われた解体修理の際の調査結果によるものです。
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彦根藩主の井伊家の歴史を記した『井伊年譜』によれば、『天守は京極家の大津城の殿守也』と記載されているようです。解体調査結果により、大津城の天守を移築した可能性が高まったようです。
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北側から眺めた天守の光景です。元々天守があった『大津城』について、少し紹介しておきます。大津城の築城は天正14年(1586年)とされます。琵琶湖岸に面した水城でした。豊臣秀吉が坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築城しました。その後、城主は増田長盛、新庄直頼と代わり、文禄4年(1595年)に京極高次が城主となり6万石を与えられ、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを迎えました。
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同じく、少し離れた場所から眺めた天守の光景です。左端に『付櫓』が見えていました。関ヶ原の戦いの前哨戦で、京極軍の3000は12時間かけて城下を焼き払い、大津城に籠城しました。大軍を前に7日間持ち堪えましたが、北政所の側近の孝蔵主(こうぞうす)と、高野山の木食応其の仲介による講和が成立し、降伏・開城し、京極高次は剃髪し高野山に上りました。
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天守近くにあった、『天守』のタイトルがあった説明看板の光景です。天守の特徴を、①三階三層のやや小振りな天守、②切妻破風、入妻破風、唐破風を多彩に配置、③二階と三階に『花頭窓(かとうまど)』を配置、④三階に高欄付きの『廻縁』を配置と紹介されていました。また、大津城からの移転とする言い伝えがあることが明記してありました。
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天守台の打込み接ぎの石垣のズームアップ光景です。数多くの小石が詰め込まれていました。2005年(平成17年)から2008年(平成20年)にかけて、石垣の構築調査や石材調査、崩落調査、歴史調査・整理等が行われ、今後の管理・修理に向けての石垣台帳が作成されたことが、彦根城の年表に記されていました。
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