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彦根城は、世界遺産の姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、20年以上推薦は見送られて います。

2017暮、滋賀と京都の日本百名城(7/17):彦根城(7/11):天守、西の丸、西の丸三重櫓

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2017/12/02 - 2017/12/02

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

彦根城は、世界遺産の姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、20年以上推薦は見送られて います。

交通手段
新幹線 JRローカル

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  • 天守閣の屋根越しに眺めたかつての城下町の光景です。1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されましたが、近年の世界遺産登録の厳格化のためか、20年以上もの間、推薦は見送られています。

    イチオシ

    天守閣の屋根越しに眺めたかつての城下町の光景です。1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されましたが、近年の世界遺産登録の厳格化のためか、20年以上もの間、推薦は見送られています。

  • 天守から見下ろした、開花の建物光景です。天守の東面にある付櫓と、付け櫓から東に伸びる多門櫓の甍の光景です。世界遺産登録への課題は、?既に世界遺産に登録されている姫路城との違いを明確にし、姫路城とは異なった顕著な普遍的価値がある事の立証。②彦根城の城郭・庭園・周辺の景観等の保存整備の推進。の二項目が挙げ圧れています。?は当然として、①には少し違和感を感じます。

    天守から見下ろした、開花の建物光景です。天守の東面にある付櫓と、付け櫓から東に伸びる多門櫓の甍の光景です。世界遺産登録への課題は、?既に世界遺産に登録されている姫路城との違いを明確にし、姫路城とは異なった顕著な普遍的価値がある事の立証。②彦根城の城郭・庭園・周辺の景観等の保存整備の推進。の二項目が挙げ圧れています。?は当然として、①には少し違和感を感じます。

  • 天守内を移動途中に目にした、外の光景です。さり気なく、ガラス窓が使われていた場所のようでした。遠くに、三層ほどの櫓の光景がありました。

    天守内を移動途中に目にした、外の光景です。さり気なく、ガラス窓が使われていた場所のようでした。遠くに、三層ほどの櫓の光景がありました。

  • 植向きの戒壇と、下向きの戒壇がありましたから、現在位置は、天守の二層になるようです。どちらも急峻な階段でした。

    植向きの戒壇と、下向きの戒壇がありましたから、現在位置は、天守の二層になるようです。どちらも急峻な階段でした。

  • 天守の一層か二層の天井光景です。ここにも個性タップリな木材が使われていました。最後の宮大工、西岡常一さんの名言をもう一つ紹介しておきます。『大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。軒を深くし、基壇も高くした。こういうのを賢いゆうんですわ』

    天守の一層か二層の天井光景です。ここにも個性タップリな木材が使われていました。最後の宮大工、西岡常一さんの名言をもう一つ紹介しておきます。『大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。軒を深くし、基壇も高くした。こういうのを賢いゆうんですわ』

  • 天守の城内の光景のそゆ会の最後です。見学を終えた後、次は西の丸にある三重櫓に向かいました。部屋の左側には、『武者溜』の表示がありました。

    天守の城内の光景のそゆ会の最後です。見学を終えた後、次は西の丸にある三重櫓に向かいました。部屋の左側には、『武者溜』の表示がありました。

  • 虎口らしい石垣があった場所の光景です。その両脇には礎石らしいものがありましたから、城門があった場所かもしれません。その頭上に楓の大木がありました。前方に見えるのは石垣からの転落防止のあtケガキ、更にその先には琵琶湖の光景がありました。

    虎口らしい石垣があった場所の光景です。その両脇には礎石らしいものがありましたから、城門があった場所かもしれません。その頭上に楓の大木がありました。前方に見えるのは石垣からの転落防止のあtケガキ、更にその先には琵琶湖の光景がありました。

  • 地面に散り敷いた楓の紅葉光景です。よく眺めますと、黄色から濃い赤色まで、仮り色合いが違った落葉が入り混じっていました。

    地面に散り敷いた楓の紅葉光景です。よく眺めますと、黄色から濃い赤色まで、仮り色合いが違った落葉が入り混じっていました。

  • 本丸近くの城内から眺めた、東方向の光景になるようです。中央よりやや右手の山は、『佐和山』のようです。その中間にある、かつての城下町の光景です。

    本丸近くの城内から眺めた、東方向の光景になるようです。中央よりやや右手の山は、『佐和山』のようです。その中間にある、かつての城下町の光景です。

  • 本丸から二の丸に向かうつ中の光景です。石垣の側面を見ることができあsmした。カーブのない直線に仕上げられた、打込み接ぎの石垣でした。

    本丸から二の丸に向かうつ中の光景です。石垣の側面を見ることができあsmした。カーブのない直線に仕上げられた、打込み接ぎの石垣でした。

  • ほとんど散ってしまった楓の紅葉光景です。その紅葉の落葉が辺り一面を覆っていました。頑丈な造りの竹の囲いは、確認はしていませんが、古井戸当たりの危険防止のように見えました。

    イチオシ

    ほとんど散ってしまった楓の紅葉光景です。その紅葉の落葉が辺り一面を覆っていました。頑丈な造りの竹の囲いは、確認はしていませんが、古井戸当たりの危険防止のように見えました。

  • 紅葉の樹の傍らから眺めた天守の光景です。天守の北西側からの光景になります・天守の手前に見えるが『付櫓』、その左が漆喰壁が剥がれた『多門櫓』です。どちらも国宝です。

    紅葉の樹の傍らから眺めた天守の光景です。天守の北西側からの光景になります・天守の手前に見えるが『付櫓』、その左が漆喰壁が剥がれた『多門櫓』です。どちらも国宝です。

  • 右の建物が付櫓、その左が多門櫓の北面の光景です。多門櫓の北面の漆喰が大きく剥がれています。2014年8月、台風11号の影響で天秤櫓の漆喰が2箇所が剥がれ落ちる被害も発生しています。

    右の建物が付櫓、その左が多門櫓の北面の光景です。多門櫓の北面の漆喰が大きく剥がれています。2014年8月、台風11号の影響で天秤櫓の漆喰が2箇所が剥がれ落ちる被害も発生しています。

  • 真っ赤な実を付けた『カナメモチ(要黐)』の光景です。根元に名札が付けてありました。バラ科カナメモチ属の常緑小高木です。幹は硬く、器具の柄として利用されます。かなめがし、かなめのき、あかめもち、あかめのき、そばのきなどの別名を持ちます。

    真っ赤な実を付けた『カナメモチ(要黐)』の光景です。根元に名札が付けてありました。バラ科カナメモチ属の常緑小高木です。幹は硬く、器具の柄として利用されます。かなめがし、かなめのき、あかめもち、あかめのき、そばのきなどの別名を持ちます。

  • 同じく、『カナメモチ(要黐)』の真っ赤な実の光景です。カナメモチという名は、扇の要(かなめ)に使い、モチノキ(黐)に似るためといわれます。

    同じく、『カナメモチ(要黐)』の真っ赤な実の光景です。カナメモチという名は、扇の要(かなめ)に使い、モチノキ(黐)に似るためといわれます。

  • 根元に付けられた名札と、カナメモチの樹の光景です。名札は、剥がれ落ちたままになっているようでした。あまり目立たない形で、全体に赤い実が付いていました。

    根元に付けられた名札と、カナメモチの樹の光景です。名札は、剥がれ落ちたままになっているようでした。あまり目立たない形で、全体に赤い実が付いていました。

  • 楓の紅葉が散り敷いた『西の丸』の光景です。『西の丸』は、かつては文庫が立ち並んでいた場所とされますが、現在は春は桜の名所、秋は楓の紅葉の名所になっています。

    楓の紅葉が散り敷いた『西の丸』の光景です。『西の丸』は、かつては文庫が立ち並んでいた場所とされますが、現在は春は桜の名所、秋は楓の紅葉の名所になっています。

  • 楓の大木の紅葉光景です。『イロハモミジ・カエデ科』の名札を見かけましたが、その名札も剥がれ落ちていました。名札が立派過ぎて重量があるらしく、留め具の強度不足に見えました。

    楓の大木の紅葉光景です。『イロハモミジ・カエデ科』の名札を見かけましたが、その名札も剥がれ落ちていました。名札が立派過ぎて重量があるらしく、留め具の強度不足に見えました。

  • 立派な枝振りの『イロハカエデ(いろは楓)』の光景です。『イロハモミジ(いろは紅葉)』とも呼ばれます。ムクロジ科カエデ属の落葉高木です。日本では、最も多くみられるカエデの種です。

    立派な枝振りの『イロハカエデ(いろは楓)』の光景です。『イロハモミジ(いろは紅葉)』とも呼ばれます。ムクロジ科カエデ属の落葉高木です。日本では、最も多くみられるカエデの種です。

  • 『西の丸三重櫓(重要文化財)』のタイトルがあった説明看板の光景です。本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置し、三重櫓の東面と南面に『く』の字の続櫓を付設していることが紹介されていました。また、小谷城天守を移したものとも紹介されていました。

    『西の丸三重櫓(重要文化財)』のタイトルがあった説明看板の光景です。本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置し、三重櫓の東面と南面に『く』の字の続櫓を付設していることが紹介されていました。また、小谷城天守を移したものとも紹介されていました。

  • 西側から眺めた、『西の丸三重櫓』の光景です。本体になる角の三層櫓が、小谷城の天守です。『小谷城(おだにじょう)』は、日本五大山城の一つに数えられる、標高約495メートルの小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれていました。浅井長政とお市の方との悲劇の舞台となったお城です。

    西側から眺めた、『西の丸三重櫓』の光景です。本体になる角の三層櫓が、小谷城の天守です。『小谷城(おだにじょう)』は、日本五大山城の一つに数えられる、標高約495メートルの小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれていました。浅井長政とお市の方との悲劇の舞台となったお城です。

  • 竹矢来のような垣根越しに眺めた、琵琶湖方面の光景です。先に紹介した、沖合にある小島、『多景島(たけしま・たけいしま)』が見えていました。竹島や武島(たけしま)とも表記されます。

    竹矢来のような垣根越しに眺めた、琵琶湖方面の光景です。先に紹介した、沖合にある小島、『多景島(たけしま・たけいしま)』が見えていました。竹島や武島(たけしま)とも表記されます。

  • 特別展示が行われていた、国の重要文化財に指定されている彦根城の『西の丸三重櫓』の光景です。入場して見学しました。入口左横に、『櫓内二層・三層公開中』の立札がありました。

    イチオシ

    特別展示が行われていた、国の重要文化財に指定されている彦根城の『西の丸三重櫓』の光景です。入場して見学しました。入口左横に、『櫓内二層・三層公開中』の立札がありました。

  • 『西の丸三重櫓』の中に展示された、全国各地の名城の縮小モデルの紹介です。現存する天守を持つお城が選ばれていました。<br />『彦根城』<br />滋賀県の彦根市にある国宝の複合式望楼型 3重3階地下1階の天守を持つ平山城です。日本百名城の50番に選定されています。今日、見学した名城です。

    『西の丸三重櫓』の中に展示された、全国各地の名城の縮小モデルの紹介です。現存する天守を持つお城が選ばれていました。
    『彦根城』
    滋賀県の彦根市にある国宝の複合式望楼型 3重3階地下1階の天守を持つ平山城です。日本百名城の50番に選定されています。今日、見学した名城です。

  • 『松本城1』<br />長野県の松本市にある国宝の天守を持つ梯郭式・輪郭式平城です。日本百名城の29番に選定されています。『深志城』の別名や、その黒い外観から『烏城』の呼び名を持つ名城です。現在の天守は、寛永10年(1633年)に改築された、複合連結式層塔型5重6階の構造です。

    『松本城1』
    長野県の松本市にある国宝の天守を持つ梯郭式・輪郭式平城です。日本百名城の29番に選定されています。『深志城』の別名や、その黒い外観から『烏城』の呼び名を持つ名城です。現在の天守は、寛永10年(1633年)に改築された、複合連結式層塔型5重6階の構造です。

  • 『松本城2』<br />長野県の松本市にある国宝の天守を持つ平城です。別の角度から眺めた光景です。起源は、戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、信濃守護家の小笠原氏が『林城』を築城し、その支城の一つとして築いた『深志城』とされます。

    『松本城2』
    長野県の松本市にある国宝の天守を持つ平城です。別の角度から眺めた光景です。起源は、戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、信濃守護家の小笠原氏が『林城』を築城し、その支城の一つとして築いた『深志城』とされます。

  • 『犬山城』<br />愛知県の犬山市にある国宝の天守を持つ複合式望楼型の3層4階地下2階の平山城です。日本百名城の43番です。築城年は文明元年(1469年)とされます。現在の城郭は江戸時代の元和6年(1620年)に改築されたものです。『白帝城』の別名は、荻生徂徠が命名したと伝わります。

    『犬山城』
    愛知県の犬山市にある国宝の天守を持つ複合式望楼型の3層4階地下2階の平山城です。日本百名城の43番です。築城年は文明元年(1469年)とされます。現在の城郭は江戸時代の元和6年(1620年)に改築されたものです。『白帝城』の別名は、荻生徂徠が命名したと伝わります。

  • 『姫路城』<br />兵庫県の姫路市にある国宝の天守を持つ、世界遺産の連立式望楼型の5重6階地下1階の規模を持つ平山城です。日本百名城の59番です。天守群の美しさは、類をみません。起源は南北朝時代の1346年に遡りますが、1600年(慶長5年)、池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功により播磨52万石で入城し、大改造されました。

    『姫路城』
    兵庫県の姫路市にある国宝の天守を持つ、世界遺産の連立式望楼型の5重6階地下1階の規模を持つ平山城です。日本百名城の59番です。天守群の美しさは、類をみません。起源は南北朝時代の1346年に遡りますが、1600年(慶長5年)、池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功により播磨52万石で入城し、大改造されました。

  • 『松江城』<br />島根県の松江市にある国宝の天守を持つ輪郭連郭複合式の平山城です。日本百名城の64番に選定されました。別名は千鳥城、山陰地方に唯一現存する天守です。慶長16年(1611年)、堀尾忠氏 によって築城されました。宍道湖を眺望できる、標高29メートルの亀田山に建ちます。

    『松江城』
    島根県の松江市にある国宝の天守を持つ輪郭連郭複合式の平山城です。日本百名城の64番に選定されました。別名は千鳥城、山陰地方に唯一現存する天守です。慶長16年(1611年)、堀尾忠氏 によって築城されました。宍道湖を眺望できる、標高29メートルの亀田山に建ちます。

  • 『高知城』<br />高知県の高知市にある平山城です。日本百名城の84番に選定されています。高知城の起源は、南北朝時代の14世紀頃に遡ります。現在の城郭は、江戸時代初期に土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。 4重6階の独立式望楼型の天守で、現存するのは1747年に再建されたものです。

    『高知城』
    高知県の高知市にある平山城です。日本百名城の84番に選定されています。高知城の起源は、南北朝時代の14世紀頃に遡ります。現在の城郭は、江戸時代初期に土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。 4重6階の独立式望楼型の天守で、現存するのは1747年に再建されたものです。

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