2017/12/02 - 2017/12/02
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旅人のくまさんさん
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滋賀と京都の名城巡りの締め括りです。二条城は、1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が建造を始め、幕末の1867年、15代将軍・徳川慶喜が諸国大名を集めて、大政奉還を宣言しました。歴史の重たさを実感させるお城です。
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二条城本丸石垣の東北角付近の光景になるようです。本丸の東側にある本丸櫓門の北側を守る『鳴子門』の白い塀が左手に見えています。この写真には写っていませんが、本丸櫓門の南側を守る門が『桃山門』です。
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庭木越しに眺めた、『清流園(せいりゅうえん)』の中の建物光景です。池の西側に建つ『和楽庵』です。破風に扁額がありました。喫茶室として一般公開されているようです。
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庭木越しに眺めた、『清流園(せいりゅうえん)』の池の光景です。建物は、池の北側に建つ『香雲亭(こううんてい)』のようです。
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『清流園』の付近の黄葉と紅葉光景です。西側にある和風庭園の庭木などの光景です。黄葉や紅葉、それに松などの常緑樹の多彩な彩りです。
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『醍醐の桜』のタイトルがあった説明パネルの光景です。秀吉が開いた『醍醐の花見』で有名な総本山醍醐寺の『太閤枝垂れ桜』を、クローン技術で育てたものが寄贈されたことが紹介されていました。醍醐寺の親木の樹齢は、およそ160年とされます。
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イチオシ
紅葉でも黄葉でもない、中間の色合いをした褐葉の樹木の光景です。樹種は分かりませんでしたが、ヌマスギ(沼杉)当たりのようです、別名はラクウショウ(落羽松)です。よく似た、メタセコイアではないようです。ラクウショウは、ヒノキ科(またはスギ科)ヌマスギ属の針葉樹、メタセコイアは、ヒノキ科(またはスギ科)メタセコイア属の落葉樹で、アケボノスギ(曙杉)の和名を持ちます。
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紅葉の樹木の光景です。こちらはカエデ(楓)でした。日本で一番多く生育しているカエデと言われる、イロハカエデ(いろは楓)当たりでしょうか。ムクロジ科カエデ属の落葉高木で、イロハモミジ(いろは紅葉)の呼び名もあります。樹高 15メートル、幹の直径は 80センチ 以上に成長します。
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『清流園(せいりゅうえん)』の洋式庭園光景になるようです。現在の二条城には、江戸時代に造られた二の丸庭園、明治時代の本丸庭園と昭和時代の清流園の三つの庭園があります。その清流園近くの光景です。和風庭園の中心部には、池が配されています。
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イチオシ
楓の紅葉光景です。同じカエデでも、品種が異なるカエデが混在していたようです。中央の深紅の楓を中心に、左手に薄紅色のカエデ、奥にオレンジ色のカエデなどがありました。
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『清流園』の文字が刻まれた石標の光景です。この庭園は、この後にも紹介しますが、河原町二条にあった旧角倉了以の屋敷の一部、庭石、庭木等を無償で譲りうけ、更に全国から集めた銘石、篤志家より寄贈を受けたものなどを用いたとされます。
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『清流園(せいりゅうえん)』のタイトルがあった説明看板の光景です。昭和40年(1965年)、京都市が迎賓施設として造った庭園で、西側半分が和風、東側半分が洋風とと紹介されていました。和風庭園には、和楽庵と、香雲亭の建物があることも紹介されていました。先ほど紹介した角倉了以(すみのくら・りょうい:1554~1614年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商です。朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を行い、山城(京都)の大堰川、高瀬川を私財を投じて開削しました。また、江戸幕府の命令により富士川、天竜川などの開削を行いました。地元京都では、商人としてよりも琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に『水運の父』として有名なようです。
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さり気なく置かれていた、白い筋が入った赤石ですが、中々の銘石に見えました。『紅加茂石』かも知れません。『紅加茂石』は朱色が強いほど高価と言われ、紅色の中に白が混ざり、霜降りの肉のように見えることから、地元では『肉石』の愛称で親しまれているようです。
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若木が植樹された場所の光景です、その傍らに『大政奉還百五拾周年記念植樹』の文字が記された白い標識がありました。桜の樹のようですが、添え木などはされていませんでした。慶応3年(1867年)10月14日、徳川家第15代将軍慶喜(よしのぶ)は、天皇に対して、『従来之旧習を改め、政権を朝廷に帰し奉り』とする上表を呈しました。いわゆる『大政奉還』です。初代家康以来、征夷大将軍として264年にわたって保持していた、国内の行政に関わる権限は、この時を以って天皇に移譲されました。『大政奉還』の呼び方は、後年になって行われたものです。記念行事は2017年(平成29年)に行われました。
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黄葉の代表選手、公孫樹の光景です。『生きた化石』の呼び名が信じられない、存在感タップリの、この時期の公孫樹の黄葉の鮮やかさです。IUCNレッドリスト1997年版で希少種に、1998年版で絶滅危惧(絶滅危惧II類)に評価されています。
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公孫樹の黄葉で敷き詰められた地上の光景です。公孫樹はギンナン(銀杏)の実を産する有用な樹木ですが、その日本一の生産地が名古屋の近くにあります。その山崎地区は、町全体が黄色に埋め尽くされます。その様子が、航空写真入りで新聞に掲載されるほどです。2007年の国土交通省の調査によれば、街路樹として57万本のイチョウが植えられていて、樹種別では最多本数とされます。
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『重要文化財・北大手門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと、道を挟んで京都所司代屋敷があり、その連絡用の出入口だった可能性が紹介されていました。『東大手門』に対応するものの、少し小さく、装飾もやや控えめと紹介されていました。
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帰り道の東大手門に向かう途中、左手奥に見えていた城門の光景です。『北大手門』でした。少し離れた場所からの撮影で済ませてしまいました。
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イチオシ
少し離れた場所からズームアップした、国の重要文化財の建物、『北大手門』の建物光景です。先程の説明パネルには、正門出入口の『東大手門』と同様、正面の出格子窓に、石落しの防御施設があることなどが紹介されていました。
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『北大手門』に向かって右手に見えて居た土蔵のような建物光景です。内堀の西側にあった重要文化財の米蔵かと思って撮影しましたが、違っていました。
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『翠の園』と呼ばれるエリアにあった土蔵のような建物光景でしたが、歴史的建造物ではありませんでした。観光案内図などにも、名前は記されていませんでした。基礎もコンクリート製のようです。
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帰り道の右手に見えていた建物群です。前方に見えるのは、東側から眺めた二の丸御殿の建物光景になるようです。観光案内図を参照しますと、右手の建物が重要文化財の『土蔵』になるようです。二の丸御殿の建物の南側には『台所』の建物があるようでした。
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同じく、帰り道の右手に見えていた建物群です。先程より、少し西側に進んだ場所です。奥に見えるのは二の丸御殿、その周りには土塀がありました。その土塀は、左手に見えている築地塀と連携しているようでした。築地塀は、この場所から真っ直ぐ西に向かって伸びていました。
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右手が、西に向かってまっすぐ伸びる築地塀の光景です。通路を挟んで、左手に大休憩所や事務所の建物がありました。出入口になる『東大手門』は、この通りから左に曲がった場所です。その手前に、番所の前の門柱が建っていました。
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同じ場所から撮影した、反対方向になる東側方面の光景です。左側の建物が続櫓風の建物、右手前の建物が大休憩所、その先の白壁の建物が展示・収蔵館です。
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広い通路の西端付近までやって来ました。左手に見えているのは二の丸御殿です。途中、広い通路の途中に開け放しの門が一箇所ありましたが、その場所が『番所』でした。この場所の番所は、『東大手門』の警備と大通りの西端の警護を兼ねていたようです。
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左の説明パネルには『二条城の番所』、右のパネルには『番所の歴史』のタイトルがありました。二条城の番所は、白と素との境だけでなく、城内の門の近くにも置かれていたことが紹介されていました。江戸時代を通じて、番所の役割に変化がなかったことが、歴史の中で説明されていました。
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入城した時と同じ、『東大手門』からの退出です。ただし、往きには『東大手門』を潜った後に唐門を通りましたが、帰りには、唐門は潜りませんでした。『北大手門』の説明看板で知った、正面出格子窓の石落しの施設でした。
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ここからは、退場した後での撮影です。国の重要文化財の建物の一つ、東南隅櫓の光景です。二の丸の東南角に立つ二層の櫓です。1602年(慶長7年)から1603年(慶長8年)に造られ、1625年(寛永2年)から1626年(寛永3年)に改修されました。
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東南隅櫓の東南から眺めた外堀の光景です。西方向の光景になります。この南面には、以前は南門があったようですが、今は締め切られています。橋も架かっていません。
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往きは、京都駅前から路線バスに乗って、二条城までやって来あmしたが、帰りは地下鉄を使って京都駅まで向かいました。京都駅か名古屋駅までは、新幹線で30分足らずでした。これで、滋賀と京都の2箇所の日本百名城巡りはお終いです。
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