和歌山市から南紀白浜への途中下車旅(二日目)~和歌山市は紀州徳川家の城下町。しかし、紀ノ川沿いに開発された荘園に始まる経済力を基盤にした寺社・地侍の自立的勢力が活動した中世こそが和歌山の歴史の誇りでしょう~
2017/01/08 - 2017/01/08
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和歌山市内を歩くのは今回が二回目。和歌山市にはJR和歌山駅と和歌山市駅の二つの駅があって、和歌山市街はその間に広がります。和歌山市を知らない人だと和歌山市なんて田舎の町だから歩いてもしれているだろうとイメージしている人も多いと思いますが、実はそうではないんですよね。
確かに、和歌山市内を和歌山城とその近くの寺町くらいに絞ってしまえば大したことはないのですが、それはもうそれなりに確認していますから、今回はちゃんと広域を回るので、けっこう覚悟が必要な街歩きなんです。そして、今日の最後は、醤油のふるさと、湯浅です。
蛇足ですが、少し付け加えると、和歌山城のほかに和歌山市の本来の観光の中心といえば、紀三井寺とか片男波、名勝 養翠園から雑賀崎の方。一応、私はこの辺りも既にチェックした後なので、このちょっと地味めの旅行記で和歌山市の観光はこんなものかと早合点しないようにお願いします。念のため。
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和歌山市内の街歩きは、和歌山市駅周辺のエリアから始めます。これは、本願寺鷺森別院。京都の西本願寺の別院です。
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始まりは、文明8年(1476年)、熊野参詣の途上で冷水浦を訪れた蓮如に帰依した喜六大夫という人物が冷水道場を立てたことから。
豊臣秀吉の紀州征伐によって衰退しますが、江戸時代には再興。境内は鉄筋コンクリートの巨大な本堂だけが目立つ極めてシンプルなもの。歴史を思いながら見ないと観光にはならないかもしれません。 -
続いての朝椋神社は、閑静な住宅地の一角。さほどの規模はありませんが、延喜式にも記載された歴史ある神社です。
朝早い時間でしたが、本殿の中には灯がともっていて、お世話をする人がちゃんといる。 -
境内の手水舎も立派です。
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住吉神社は和歌山市にはいくつかあるようですが、これは中心市街地の和歌川のほとり。
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住吉神社は海の神様なので、これがあると和歌山市が海に近い土地であるということを感じます。鳥居に特徴があって、濃い朱色のベースにてっぺんの部分が黒。本殿の前には絵馬なんかもありましたが、天正年間に創建されたようです。
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紀州藩表千家屋敷址は、和歌山市内の築地通り。歩道の一角に沿いに目立たない石碑が立っています。
表千家の四代目、宗左は、紀州徳川家に茶頭として仕えます。200万石という中級武士の扱いだったようで、以降、明治になるまで表千家は紀州徳川家の茶頭に。和歌山とお茶なんか結びつかなかったのですが、これは意外。ただ、和歌山はアンチ秀吉の土地柄。利休は秀吉に切腹を命じられたわけであり、秀吉人気の高い関西にあって紀州徳川氏は神経を使わざるをえない立場。利休の存在は紀州徳川氏には利用価値がなくはない。政治的な匂いもするように思います。 -
同じ通りにあるのは、岡崎邦輔の像。周囲は公園のように整備された立派な一角です。台座なんかもかなり重厚な造りで何だろうというほどなんですが、陸奥宗光の従弟であり、配下として活躍した大物の政治家・実業家。自由党、政友会に所属して政界を渡り歩き、農林大臣も務めますが、全体としては策士としての評価。残念ながら、和歌山の誇りという感じは受けません。
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和歌山城にも近づいて、和歌山市内中心部に出てきました。
鶴屋忠彦本舗は、朝早くから開いていたので、ちょっと寄ってみます。 -
老舗風の店内はいい感じ。
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饅頭を一ついただいたのですが、何気なく開いて見ると、黄色い色合いがとっても美しい。これだけの景色なら、どんな席に出しても恥ずかしくないですね。それに黄み餡のまろやかなうまさ。やっぱり朝早くから開いている和菓子屋さんには名店が多いような気がします。
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ほど近くには多賀神社です。大通りから参道があって、規模はさほどでもありませんが、参道の石畳や石灯籠などちょっと勿体がある神社。
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近江多賀大社のお多賀さん信仰が高まるのに応じて、紀州藩10代藩主、徳川治宝が近江多賀大社の分霊を祀ったのが始まりだそうです。
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こちらの和歌山市街の目抜き通り沿いにある汀公園には、戦災殉難者供養塔があります。
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これは、太平洋戦争で和歌山市が空襲を受けた時に犠牲となった700名以上の慰霊のためのもの。正面の碑文には惨事の様子とともに平和の大切さが書かれています。
空襲の被害を受けた都市はあちこちにあって、和歌山市もそうかという感じ。戦争の末期。一億総玉砕、本土決戦。といった陸軍を中心とする考えは国民に浸透していて、それを翻意するためには日本を焼き尽くすしかないと米国も必死だったはず。戦争を終結させることの難しさを考えてしまいます。 -
少し移動して。吹上寺は、和歌山西国三十三ヶ所の第30番札所。
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山門を入るときれいに整備された境内ですが、ただ、観光要素としてあるのは、本居宣長ゆかりの寺であること。本居宣長の養子、本居大平は紀州徳川藩に仕え、その一族の菩提寺がここというわけです。ただ、そのことは前面に出していないので、寺を訪ねてもそれを偲ぶ具体的なものは見受けられませんでした。
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同じエリアですが、これは水門吹上神社。紀州の十日戎発祥の社です。
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境内は意外に広いし、本殿も雰囲気がありますね。それに、ちょうど十日戎の日に当たっていたので、何人かの人がその準備をしていましたが、これなら大勢の人がやってきても十分。活気がある地元の神社って感じでした。
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水門吹上神社からは、和歌山市立博物館へ。
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和歌山市立ですが、和歌山県全体の歴史を知るにはとてもいい内容ですね。
和歌山は江戸時代は紀州徳川氏の城下町だったのですが、その歴史はそう面白いものではない。むしろ、それ以前の紀の川沿いに荘園が開かれて行ったり、熊野古道を始めとする宗教的な匂いがする風土の中で、根来寺、雑賀衆に代表される地域地域の土豪が活躍した中世までが興味深い。これに終止符を打った秀吉の位置づけもきちんと解説してあって、とてもポイントをついている。和歌山の基礎知識を得るにはいい施設だと思います。 -
南方熊楠生誕地碑まで来ると、また和歌山市駅に戻ってきましたね。
南方熊楠は、世界的な博物学、生物学、民俗学者とか紹介されますが、とにかく人間離れした能力を持っていた巨人というしかない。金物商を営む弥兵衛の次男として生まれた碑の南方熊楠像は、唇を少し噛んだような表情。溢れる能力を支えた意志の強さも感じます。 -
すぐ近くには、勝海舟寓居地碑。何でもない道路の脇に石碑がありました。
文久3年、幕府の軍艦奉行であった勝海舟は、海岸砲台検分のために、ここ和歌山に派遣される。その宿所だったのが、ここに居を構える両替商、清水平右衛門の屋敷だったということです。文久3年といえば、尊王攘夷の嵐が最高潮に吹き荒れていた時期。幕府への攘夷実行の圧力がこれ以上なくかかっていたのですが、そんなことは無意味なこと。勝のため息が聞こえそうです。 -
和歌山市駅のエリアから、また和歌山城の方へと向かいます。
サブール 本店は、和歌山市では老舗の洋菓子屋さん。 -
店内は広くて明るいです。シュークリームをいただきましたが、入口脇にテーブルと珈琲のサービスがあって、これはとっても親切です。
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ほか、気になったのはばかでかいキャベツと言うお化けシュークリーム600円。こんなでかいのは造るのが難しいので和歌山市の名物になってますとのことでした。
以前、いわきででかいシュークリームをいただきましたが、同じくらいだったかなとちょっと懐かしく思い出しました。 -
中橋地蔵尊は、和歌山城の北側、市街地を流れる市堀川の中橋のたもと。これは、太平洋戦争の末期、昭和20年7月9日の和歌山大空襲の犠牲者を悼んで祀られたもの。火災から逃れようとして川に飛び込んだのですが、満潮時だったこともあって、おぼれた人も多数になったのだとか。お地蔵さまは、覗くと若い女性のようなきれいな目をしています。
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市堀川の遊歩道です。
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ここは、和歌山城下の河岸もあった場所なので、江戸時代から人の往来が活発だった場所です。歩道は石畳の風情ある造りですが、ビルの真裏のような寂しげな場所もあって、ちょっと道頓堀にも似ているような気がします。
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納屋河岸は、城北橋のそばの辺りにあったという説明を見ましたが、碑のあるのは中橋地蔵尊の交差点を東側に少し歩いた場所。当時の賑わいの風景画と解説書が刻まれています。しかし、ここは和歌山城の目と鼻の先。船で魚をこんなところまで運び入れていたということは、城からも市井の賑わいが常に感じられたということ。意図した政策だったのか、偶然なのかもちょっと興味を引くところです。
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紫香庵は、ビルインの和菓子屋さん。
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おばちゃんが一人でやっていて、お店自慢のきんかん大福をいただきました。
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和歌山ではきんかんの産地もあるようで、おばちゃんはそこの出身なのだとか。甘く煮こんだようなきんかんの味わいが大福にあってます。お茶も入れていただきまして、元気がちょっと回復です。
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和歌山城は雨に煙っています。今日は和歌山城はパスして、引き続き周辺部を回ります。
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わかやま歴史館は、和歌山市観光土産品センターの二階です。
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和歌山城の歴史を雑賀衆の時代から、秀吉の征服と羽柴秀長、桑山重晴。関ヶ原の戦い後の浅野氏、紀州徳川家の時代へと、
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遺品などの展示は限られますがコンパクトに紹介しています。
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しかし、いずれにしても、だんだんと地元の勢力が追いやられて、いわば進駐軍の時代に変わっていくような印象。そう考えると、ちょっと複雑な気持ちになるかもしれません。
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陸奥宗光も地元の英雄ですね。
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明治政府の最大の課題である列強との不平等条約の是正に尽くしたのはいいとして、日清戦争への積極性は異常なほどの前のめり。ただ、日清戦争の勝利は、英国のロシア南進を防ぐという方針があって、ぎりぎり介入を逃れたもの。私としては、カミソリと言われた陸奥らしからぬ行動であったような気もします。この頃は、伊藤博文の懐の深さの方が好きですね。
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和歌山市観光土産品センターは、一階です。
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和歌山のお菓子や工芸品を扱うお土産物屋さんなんですが、ふと目に止まったのは「紀州御殿てまり」。てんてんてんまり、てんてまり。。「鞠と殿様」という歌ですが、なるほど和歌山の歌だったんですね。いいところで、ひょっこり気が付かせてもらいました。
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この建物を裏に回ると和歌山市観光案内所。建物は、わかやま歴史館や観光土産品センターと同じなのですが、入口が別々なので要注意。スタッフは複数いるし、中はゆったりしているので落ち着いて情報収集ができると思います。
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雨の中ですが、そのまま、紅葉溪庭園へ。
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ちょっとした入口を入ると
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飛び石、延べ段の散策道が現れて、
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それを進むと低地の池に導かれるように降りていくことになります。
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城の中に、城主が楽しむ日本庭園があるのは普通のことなんですが、この庭園も紀州徳川家の名に恥じないもの。
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青く輝くような見事な石段とか、
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ちょっとお目に掛かったことがないような場所もあって、けっこう楽しませてもらいました。
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和歌山城内をいったん出て。
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濱口梧陵像は、和歌山県庁の東別館前。
ちなみに、濱口梧陵は、幕末に起きた安政南海地震の津波が村に来襲した際、自分の田にあった藁の山に火をつけて安全な高台にある神社への避難路を示す明かりとし、多くの村民を救ったという人物。
「稲むらの火」として知られる史実だそうですが、これは今でも忘れてはならない防災の教訓。ここに像があるのは正しい判断だと思います。 -
今度は、気になっていた和歌山県庁本館のレリーフへ。
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レリーフは、本館入ってすぐの正面階段を上がったところ。一階から二階の踊り場とその上の階の二か所にあります。
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紀の川市出身の彫刻家、保田龍門の作。写真は「丹生都比売命」で、紀伊国一宮、丹生都比売神社の祭神として知られます。
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こちらは、高倉下命。古事記・日本書記に登場する神で、神武東征の折り、熊野へ上陸して大和へ進軍する途中、神武天皇が土地の荒ぶる神の毒気に当てられて倒れてしまったところ、天照大神の神託を受けた高倉下命が、霊剣を差し出して献上すると蘇ることができたというもの。こちらも和歌山にゆかりのあるテーマです。
なお、日曜日で県庁は休みでしたが、守衛さんに話をしたら案内してくれました。頼んでみるものです。 -
県庁から、今度は寺町方面へ。
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徳川吉宗は、紀州藩第二代藩主徳川光貞の四男。母は、側室お由利の方です。誕生地は、和歌山城からは少し離れた場所。和歌山城から寺町に向かう途中。徳川家菩提寺報恩寺の近くで、かつては吹上邸という建物だったよう。
ちょっと地味な石碑と駒札が並んで建っていました。 -
こちらは報恩寺。歴代紀州藩主正室の菩提寺です。
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墓地にお墓が並びますが、ひときわ大きいのが初代藩主であり、紀伊徳川家の祖、徳川頼宣公の正室瑤林院のお墓。ちなみに、瑤林院は、加藤清正の娘。第5子、次女として肥後国に生まれています。徳川家康と加藤清正の合意により婚約して、紀州に輿入れし、14年間を和歌山城で暮らします。最後は江戸の藩邸で亡くなるようですが、だびに付され、この地に運ばれました。それにしても、加藤清正の血は紀州徳川に受け継がれたわけで、吉宗にもその血を受け継がれていると思うと感慨深いものがあると思います。
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ちなみに、寺町通りは、和歌山城の南側。城下町を設計する場合、寺町は街の防御を考えて位置が決められるんですが、和歌山城の場合は南側だったんですね。
で、こちらの窓誉寺は、その寺町通りに面した曹洞宗の寺。 -
和歌山西国三十三ヶ所の9番札所。境内から本堂にかけてはよく整備された感じで、スキがありません。ただ、ここが有名なのは番丁皿屋敷のお菊の皿が残っていること。境内には供養のためのお菊地蔵も祀られています。
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寺町から、また和歌山城の方に戻って。
これは和歌山県立博物館。 -
和歌山市立博物館に続いて、ここでも和歌山の歴史を概観します。
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改めて、古代からの歴史を見ていくと、
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和歌山は紀の川一帯から開けていき、
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荘園や寺社の勢力拡大と地侍や土豪の台頭により、
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中世の紀州が形作られている。
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古代の寺の瓦なども美しく展示されています。
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これは粉河寺参詣曼荼羅図。
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これは、紀三井寺参詣曼荼羅図。
高野山や熊野大社だけではなく、ほか根来寺なども含めて隆盛を誇る寺がいくつもあったということ。
地元の勢力がこれを支えると同時に、経済や情報面で京都とのつながりも意外に太いパイプがあって、侮れません。
地元の勢力としての武士団で言えば、例えば、湯浅党。平治の乱で清盛の危機を救ったことで、平家の家人となって勢力を拡大。京都とのつながりを重視する一族から神護寺に送り込まれた明恵は、華厳宗中興の祖となり、高山寺を開く。 -
熊野古道も純粋な信仰だけではなくて、外部の情報をもたらし、意識の高さを醸成したという側面も見落とせないことだと思います。
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これは後鳥羽上皇筆の熊野懐紙。
先の湯浅党は南朝に組みし、最後は、南朝の滅亡とともに衰微していきますが、天皇とのつながりや政治的な視野の広さは長い年月の中で育まれたもの。とても興味深い歴史です。 -
これは戦国時代の勢力図ですが、一方で、堺との関係性はイマイチ触れられていない。信長や秀吉に対しても一歩も引かなかった堺ですが、それは世界情勢に明るくて、日本の置かれた状況を国際的な視点で理解していたから。一方で、堺とのつながりがあったはずの和歌山の地元勢力は、むしろ、地域の中に閉じこもったような行動に終始する。そこにはかなりのギャップがあるような気がするのですが、いかがでしょうか。
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そして、和歌山の中世を終わらせたのは、秀吉の紀州攻め。その辺りまでが、面白いところですね。
展示は高野山や熊野古道の関係など宗教色が濃くて、また美しいもの。写真撮影可なのも嬉しいです。 -
続いては、隣の和歌山県立近代美術館で、大正の異色画家たち展を拝見しました。
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佐伯祐三とかの有名画家の作品のほか、美人画を中心とする浮世絵も秀逸。線で描く技法は、やっぱり日本のお家芸。改めて、その繊細さやリアルな表現を楽しませてもらいました。
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岡山の時鐘堂は、紀州藩5代藩主、徳川吉宗が造らせた鐘楼です。
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小高い山の上にあって、坂を上って行くと正面には和歌山城の天守閣が見えて、ちょっと不思議な感じのロケーションです。少し距離を置いた場所から二階建てのお堂を見上げるんですが、箱のような形。この姿自体に風情はないかもしれません。
なお、鐘は大坂夏の陣で豊臣方のものだった青銅製大筒を鋳なおしたもの。平和を願って造ったということかと思います。 -
再び和歌山城の中に入って。これは和歌山縣護國神社。
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天守閣と別の高台にあるので、天守閣からだと下ってからまた上がるので、ちょっとしんどいです。鉄筋コンクリート造りの本殿が殺風景な境内の奥にちょっと寂しげに立っています。また、こちらにも和歌山の空襲の碑がありました。
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和歌山城の中にはお城の動物園というのがあります。小さな動物園ですが、鳥のケージとかはなかなか立派。天守閣を下から見上げるような場所なので、なにか感じが違うかなあという期待もあったのですが、それはなし。たまたま空いたスペースを利用したということ以上には意味はないように思います。
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和歌山城の岡口門は、重要文化財。
和歌山城は天守閣などほとんどの建物を戦災で焼失していて、この岡口門はそれを免れた貴重なもの。位置付けとしては旧大手門で、櫓門の形式。規模は小さいですが、石垣に守られて堅固な感じ。二階部分からは積極的な攻撃ができるように設計されています。 -
和歌山公園は、和歌山城を中心に整備された公園。以上、全体として統一感があるかというとそれはイマイチかも。紅葉渓庭園やお城の動物園、和歌山縣護國神社の境内とかがパッチワークみたいに貼り合わさったような。まあ、どこからでも天守閣が見えるので、それでまあまあのかっこうにはなっています。
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岡公園の入口すぐに大きな滑り台があって、これが観光スポット?ちょっと意味がよくわかりません。雨の日だったこともあって誰もいませんでしたが、よっぽど人気があるんでしょうか。ただ、岡公園自体、どうかすると陰気な感じ。いずれにしても、無理があるように思います。
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以下は岡公園の中のチェックですが、
高橋克己頌徳の碑は、陸奥宗光の銅像の並びです。
しかし、この碑は「農業博士 高橋克己頌徳碑」と書いてあるだけのシンプルなもの。氏の功績とかはよくわかりませんでしたが、明治から大正にかけて活躍し、世界に先んじてビタミンAを抽出したとのこと。日本の科学界の伝統を築いた一人ということでしょう。 -
陸奥宗光の銅像は、記念碑公園である岡公園ではメイン的な存在でしょう。ただ、それにしては、微妙な感じもしなくはない。土台に建つ陸奥宗光の像は少し右手に立っていて、バランスを取っているので、力強さや堂々とした印象はありません。前述しましたが、不平等条約の見直し交渉の一方で朝鮮戦争では異常なまでの強硬方針を貫いたり。カミソリというあだ名の一方で、やや自己矛盾もしているような。この像も意外に骨太の感じがしないのは私だけでしょうか。
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今度は中央の小山を登っていくと、
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四役戦亡記念碑です。ただ、最後のところの足場は悪いし、四役とは、佐賀の乱、熊本神風連の乱、西南戦争、台湾出兵となんともマニアックな感じ。明治維新の流れに取り残された感のあった和歌山ではこれを取り戻したいとする思いもあったでしょう。微妙な評価にならざるを得ないように思います。
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石切場跡は、和歌山城の石垣の石を切り出した場所。和歌山城はここから本の目と鼻の先。ここで切り出した石なら城まで運ぶのはわけがなかったでしょう。そして、説明によれば、その石は紀州の青石と呼ばれる質のいいもの。江戸城の石垣の石は伊豆半島からも取り寄せたそうですが、これは本当に優れものです。
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ところで、岡公園は、岡山城の南東部。中央に岩山があったり、滝の注ぐ池があったり。規模はさほどでもないのに、地形の変化には富んでいます。陸奥宗光の銅像など石碑もいくつかあって、それもそのはず。天妃山という山を公園にしたのは明治12年。それも記念碑を建てるためだったというのは面白いことだと思います。
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これは倉田績 磨崖碑。滝の注ぐ池を臨む大岩に彫られた碑。傍らに説明板があって、それによると、倉田績というのは紀州藩伊勢領の出身。文政10年に生まれ、大正期まで生きた陽明学者。碑文の昇仙は天に昇り仙人になるという意味だそうです。
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武徳殿は、岡公園の端っこ。滝のある池のさらに先の方です。かつてというか、今でもそうなのかもよく分かりませんが、これは武道場。始めは神社の建物かと思ったのですが、よく見るとそうでもない。どちらにしても、何の説明もないし、捨て置かれたような感じの建物です。
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岡公園の向かいの「味処あおい」の門前にある父母状の碑です。
自分の父親を殺した罪人が自分の罪を認めない。しかし、時の藩主徳川頼宣は儒者李梅溪に孝の道を説かせ、とうとう謝罪をさせたというのです。実際にはそんなに簡単なことではなかったと思いますが、時の政権者にとって、儒教は自分の身を守るためのものでもある。簡単な評価はできない話かと思います。 -
和歌山市内のチェックもあと少し。
この刺田比古神社は、徳川頼宣が和歌山城の鎮護として再興。 -
一方で、徳川吉宗が産土神として崇めたところ、徳川将軍になったということで、和歌山では大変縁起のいい神社として知られます。ただ、鳥居から続く参道は長くてそれなりなんですが、本殿は鉄筋コンクリート造り。風情という意味ではイマイチかもしれません。
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大立寺は、和歌山市内ですが観光客には縁遠い場所かもしれません。大通りに面した薬医門が見どころ。羽柴秀吉の紀州攻めの際に水攻めにあった太田城の大門を移築したものというのですが、正直言えば、城の門としてはちょっと華やか過ぎるような。古い割には朽ちた感じもしないし、私としては違和感あり。ただ、和歌山の歴史を語るうえでは意味ある遺構だと思います。
以上で、和歌山市内の散策は終了。 -
和歌山市から、南に下って。今夜の宿は御坊なんですが、その前に醤油のふるさと湯浅町で途中下車。
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湯浅の駅から、旧市街に向かいます。
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これは深専寺。金山寺味噌発祥の地、湯浅の旧市街。
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始まりは行基の開いた海雲院という古い歴史ですが、現在の本堂は紀州藩徳川頼宣にも再建の支援を受けたというもの。屋根のてっぺんのシャチホコが細長く立っていて、見たこともないような姿。このシャチホコだけでも一見の価値があるように思います。
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周囲もめちゃめちゃレトロな街並み。
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時が止まったようなというのはまさにこれをいうのだと思いますね。
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角長醤油資料館職人蔵は、湯浅で一番の老舗、角長のお店の向かい側。
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醤油造りの道具類をそのまま資料展示しています。蒸したり、醗酵させたりというのは酒造りと似ているのですが、規模感としては少し小さいような。
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ただ、それが醤油造りだからということなのかはよく分かりません。
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イチオシ
また、道具類はそれなりに保存状態はいい。
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朽ちたような感じもないと思います。
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さて、醤油発祥の地、湯浅の伝統的建造物保存地区にあって、その中心となるのがこの角長。金山寺味噌、醤油の醸造元であり、和歌山でも一番の老舗です。
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「最近は湯浅醤油というような一般的な名前がブランドみたいになってしまいましたが、本来はそれぞれの醸造元の名前で出していたもの。ちょっとさみしい感じです」とおっしゃっていました。
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イチオシ
醤油は荷物になるので、醤油のあられをお土産にしました。黒光りのピカピカあられで、伝統の醤油味を楽しみました。
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イチオシ
甚風呂も、ほど近く。大正時代に建てられたという銭湯です。地元の漁師さんたちが汗を流したということですが、菱形の開口部に装飾を施した土塀が何ともおしゃれです。
そして、周囲は重伝建地区だし。今でもその風景の中にごく普通に溶け込んでいるのが素晴らしいことだと思いました。 -
湯浅は醤油発祥の地と言われていますが、醤油の元は金山寺味噌。湯浅では醤油を中心に扱う老舗と金山寺味噌を中心に扱う老舗があって、太田久助吟製は後者です。
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イチオシ
お店に入ると金山寺味噌の匂いがプーンと漂います。金山寺味噌にたまった汁が醤油の原型なんだそうです。
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ここでは金山寺味噌を購入。パスタや刺身なんかにも合うので、その後、けっこう重宝させてもらっています。
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この金山寺味噌の表面に浮いた汁が醤油の始まり。醤油は金山寺味噌から生まれたものなんですね。お店の人に説明してもらって、初めてその事実を知りました。
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日が暮れてきましたが、もうちょっと粘りましょう。
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湯浅の街歩きで寄ってみた有田教育会館ですが、どう見ても観光スポットではなさそう。駐車場にいた人に聞いてみたら、これは教職員組合が買って事務所にしている建物。そそて、その前は何かの国の出先機関だったようですし、どっちにしても観光スポットではありません。
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続いての宮西文化会館ですが、どうみても観光スポットではないような。公民館のような、デイケアの施設のような。住宅地の中にあったので、近所の人に聞いてみましたが、さあ?という答え。どっちにしても観光スポットではないようです。
この二つを訪ねたのはまったくの無駄でしたが、まあ、よくあること。仕方ありません。 -
旧市街からは少し離れた場所なんですが、このお店は国道42号線沿い。車で来る人にとってはこちらが便利なんでしょう。
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店舗は木造りでまだ新しい感じできれいです。天井に凧が飾ってあったり、雰囲気もいいですね。隣りに金山寺味噌のお店がありますが、これも同じお店がやっている施設。売っている商品もほとんど同じです。こちらの方が少し閉店時間が早いのですが、そういうことなので特に問題はありません。
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同じ敷地内の丸新本家 湯浅本店。
敷地内には蔵のような金山寺味噌の建物ともう少し軽やかな建物の醤油屋風の建物の二つが建っていますが、実は両方とも同じ会社。金山寺味噌の建物の方が少し遅くまでやっています。 -
金山寺味噌の建物の方が少し遅くまでやっています。
以上で、湯浅町はおしまい。 -
湯浅町から御坊駅に到着して。宿に向かう前に、晩飯です。
せちごぉて屋は、御坊のB級グルメ「せち焼」のお店。夜遅くなってしまったので、夜でもやっているというこちらにしてみました。 -
すると、スナックみたいなこともやっていて、そちらに案内されると。。
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イチオシ
これが英国のホームバーみたいな豪華な内装に、ハワイのごきげんなメロウミュージックが流れるという予想外の展開。
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せち焼は焼きそばに卵をたっぷりからめた家庭的な味わいで、これもすごくうまいんですが、この店内の素晴らしさはサプライズの極致。これだけのお店を作れるのは並の才能ではない。有名な芸能人もお忍びで来るとかも言ってましたが、確かにまんざらでもないような。敬意を表したいと思います。
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せちごぉて屋から宿までは暗い中、トボトボと国道を歩くことに。
しかし、その途中にあったのがミヤモト洋菓子店。 -
遅くまでやっていたので、ちょこっと寄ってみました。
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宿で食べようと思って、プリンを購入。まあ、コンビニのプリンでは味気ないですからね。敢えて言えばあっさりした味わいが特徴かなと思います。
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もう一つは、伏見屋さん。店構えや店内の様子など、
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いかにも地元密着といった小さなお店です。
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こちらのお店では、つりがね饅頭をいただきました。いわゆる人形焼きなので、もともとまあそう工夫は要らない饅頭。普通の味わいかと思います。
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今夜の宿は、この旅館あやめ。紀州鉄道、紀伊御坊駅の真ん前です。
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はきはきした女将さんが応対してくれました。部屋は和室。暖房がよくきくのと、こういう宿にしては風呂の湯舟が一回り大きいのがとてもいい。雨に打たれて体が冷え切っていましたが、これで生き返ったような。ゆったりと寛がせてもらえました。
さて、明日は、御坊と田辺を回ります。
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